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<ホワイトデー・恋人達の物語2006>


月夜の葡萄園



◇★◇


 石畳の上に水を撒き、両脇に植えられている花々を見詰め、枯れてしまった葉を取り除く。
 綺麗に咲いた花の香りは甘く優しくて・・・笹貝 メグル(ささがい・めぐる)はうっとりと目を瞑りながら花の香りを楽しんだ。
 ザァっと、風が1陣吹き、メグルの淡い銀色の髪を撫ぜる。
 腰まで伸びた髪は、大きな弧を描いて風に踊り―――
 「メーグルー!!!」
 そんな爽やかな昼下がり、メグルの名前を呼ぶ間の抜けた声。
 メグルの脳裏に実の兄である、鷺染 詠二(さぎそめ・えいじ)の顔が浮かぶ。
 「お兄さん、何ですか〜?」
 「ちょっと。」
 なんだろうか・・・。小首を傾げながらも、メグルは立ち上がると屋敷の中へと入って行った。
 廊下を抜け、突き当りの部屋に入る。
 「何か困った事でも・・・」
 「メグルさぁ、葡萄園の小父様覚えてるか?」
 「・・・えぇ。覚えてますよ。綺麗な葡萄園の中に建っている小さな丸太小屋に住んでいる・・・」
 「その小父様がさ、今度レストランを開くそうなんだ。あの丸太小屋を改装して。」
 「そうなんですか?良いじゃないですか。葡萄園の奥には、確か小さな噴水なんかもありましたよね。花畑とか・・・」
 「そうそう。んで、ホワイトデーにってチケット貰ったんだよ。」
 詠二がそう言って、淡いピンク色の紙をペラリとメグルに差し出した。
 「特別御招待券・・・料理もタダなんですか・・・?」
 「あぁ。そうみたいだ。前に俺らに世話になったからってくれたんだけど・・・」
 「ホワイトデーは、予定が入ってますね、確か。」
 メグルはそう言うと、小さく溜息をついた。
 何でも屋をやっている詠二とメグルには、基本的に休みは無い。特に行事の時は・・・・・。
 「お断りするのも、アレですし・・・どうするんです?お兄さん?」
 「んー・・・しょうがないから、誰かにあげよう。」
 詠二はそう言うと、よいしょと勢いをつけて立ち上がった。
 「あげるって言ったって、誰にあげるんです・・・?」
 「さぁ。ま・・・誰か適当に声でもかけるよ。」
 「適当ってお兄さん・・・!!」
 「折角のホワイトデー、素敵な場所での夕食・・・最高じゃん!」
 詠二はそう言うと、ソファーの上からポンと飛び下り、パタパタと部屋を後にした。
 「最高じゃんって・・・!お兄さんっ!!いきなりそんなの手渡されても、迷惑じゃ・・・って、もういないんですよね・・・」
 はぁぁぁっと、盛大な溜息をつくと、メグルは天井を仰いだ。
 こうも無鉄砲な兄を持つと、とても苦労する・・・・・・・。


◆☆◆


 テーブルの上に置いてあった携帯電話が微かに震え、低い振動音が空気を揺らす。
 千住 瞳子は睨めっこしていた楽譜をパラリとその場に置くと、パタパタと走って携帯を掴み通話ボタンを押した。携帯を耳にあて・・・そう言えば、誰からの着信だったか見ていなかったと思い出し、少々間をおいた後に小さな声で「はい?」とだけ言った。
 『もしもし・・・アトリですけれども・・・瞳子さん・・・?』
 どやら瞳子の声は自分が思っていた以上に冷たく素っ気無いものだったらしい。受話器越しに聞こえる柏木 アトリの声は、ほんの少し戸惑いの色を帯びていた。
 「とりちゃん?ごめんなさい、誰からの着信だか見ていなくて・・・」
 慌ててそうフォローを入れる瞳子の耳に聞こえてきたのは、クスっと言う小さな笑い声だった。
 どうやら今度は慌てた声を出しすぎていたようだ。『瞳子さんですよね?』と、アトリが優しい声でそう尋ね、瞳子は「はい」と言う声と共に思い切り首を上下していた。
 『今日、街でお友達に会って・・・レストランの招待券を頂いたのですが、もし宜しければ瞳子さんもご一緒にどうですか?』
 おっとりとしたアトリ特有の話し方を前に、思わず心落ち着く。
 ゆったりとした性格のアトリを瞳子は好きだった。一緒に居て安心できる、思わずほっと落ち着ける・・・そんな存在だった。
 『14日なんですけれど・・・』
 沈黙してしまった瞳子の耳に聞こえてきたのは、語尾を濁したアトリの言葉だった。
 「14日ですか・・・?」
 『えぇ。何か予定が入っていますか?』
 壁にかけられたカレンダーに視線を滑らせる。
 何の印もついていないそこには、カレンダーにもとからうってあった言葉が一文字、赤い色で浮き出ていた。
 「いえ、何もないです。」
 ホワイトデー・・・そう言えば、まだ何も予定を入れていない・・・。
 『綾さんにも来て頂こうと思っているんだけれど・・・』
 「はいっ!」
 “ご都合は大丈夫かしら”と言うアトリの言葉を掻き消しての元気の良い返事に、思わずと言った様子で受話器の向こうから大人しめの笑い声が上がる。クスクスと笑いながら『ごめんなさい』と言うアトリ。
 カァっと頬が赤くなり・・・瞳子は頬に手を当てて俯いた。
 『それでは、詳細はまた後でメールにして送りますね。』
 「よろしくお願いします・・・!」
 また後でと言って、アトリが電話を切った。
 ツーツーと言う短い音を聞きながら、瞳子はヘナヘナとその場に腰を下ろした。
 恥ずかしさと嬉しさが混じり合って、不思議な気持ちだ・・・。
 そして―――――
 「・・・あっ・・・!!」
 バレンタインデーの時にチョコをい頂いたお礼を言おうと思っていて・・・すっかり忘れてしまったのだ。
 頂いた時にはお礼を言ったのだが、食べた後の感想をまだ言っていない。
 凄く美味しかった事を、14日に会った時に伝えなくては・・・。
 瞳子は立ち上がると大きく息を吸い込んだ。
 今度はこちらがお返しをする番だ。・・・手作りのクッキー・・・料理下手なので、美味しく出来るかどうか不安だけれど・・・。


◇★◇


 陽の光に照らされた葡萄園の風景は、爽やかで清々しいものだった。
 木々の間を縫うように突き進む道を歩きながら、両脇に並ぶ木々を見詰める。
 葉のついているもの、実の生っているもの、花のついているもの・・・・・・。
 今の時期に葡萄が生るなんて、なんだか不思議だった。
 それでも、ここの雰囲気は全てを許しているかのようにおっとりと流れており、それ以上“常識”を考える気にはなれなかった。
 暫く歩いた先にあった丸太小屋はまるで御伽噺の中から飛び出してきたかのように可愛らしい作りをしており、瞳子は隣にいたアトリと一緒に声を上げて喜んだ。2人の少し後から歩いて来ていた槻島 綾が、元気の良い2人に微かな笑顔を向ける。
 女の子2人組の声にだろうか・・・半開きになった扉から初老の男性がゆっくりと出て来て、首を傾げた。
 紳士風の男性を見てアトリが1歩前に歩み出ると、ピンク色の紙をペラリと男性に差し出した。
 「鷺染さんからのご紹介で・・・」
 「あぁ、詠二君からの。はい、聞いてますよ。それにしても、随分とお早いお越しで。」
 にっこりと、人の良さそうな笑顔を浮かべる初老の男性。
 ともすれば嫌味とも聞こえる言葉だが、男性の表情や仕草、もっと言ってしまえば口調や瞳は、嫌な雰囲気を少しも含んでいなかった。
 若い3人を見て、優しい瞳をそれぞれに向け・・・「お昼は持って来たんですか?」と穏やかに言葉を紡いだ。
 「あ・・・そう言えば、何も持って来てないですね。」
 思わず瞳子が“しまった”と言うような顔をして―――男性が、大丈夫だと言うような笑顔を向ける。
 「簡単なものでも宜しいのでしたら、お昼を何か作りましょうか?」
 「お願いできますか?」
 「えぇえぇ。大丈夫ですよ・・・もし宜しければ、外で食べてみますか?今日は風は強いですが、暖かいですし・・・。」
 ゆったりとした口調を受けて、アトリがこちらを振り返った。
 「そうして頂きましょうか・・・?」
 「そうですね・・・。」
 瞳子が綾とチラリと視線を交わし、コクリと頷いた。
 男性が中に入って行くその後姿を見詰めながら、瞳子は隣に立っている綾を見上げた。
 ホワイトデーの約束をしていなかっただけに、どうしようか迷っていたのだが・・・。
 アトリには大感謝だった。こんなに素敵な場所に連れて来てもらえて・・・。
 風が吹き、瞳子の髪を揺らす。
 心地良いその風は、微かに甘い香りを纏っているようだった。
 ・・・葡萄の香りなのだろうか・・・?
 甘く柔らかい風を胸いっぱいに吸い込み―――瞳子は、青く澄んだ空を見上げた。


◆☆◆


 包んでもらったお昼を綾が持ち、3人は丘の上へと来ていた。
 丘の上には桜の花が1本立っており、ちらほらとピンク色の蕾がついているのが見える。
 借りて来たシートを瞳子とアトリで広げ、その上に綾が荷物を置く。
 「桜・・・随分と早いんですね。」
 「暖かいからですかね?」
 アトリと瞳子にそう言って見上げられ・・・綾が苦笑した。
 「暖かいから・・・でしょうか。」
 僕にも良く分からないんですと言って―――その言葉を聞きながら、アトリがサンドイッチを取って2人に差し出した。
 中に挟まっているのはトマトとハム。
 彩り鮮やかなそれをパクっと1口食べると・・・美味しい・・・。
 質素な味は、取り立てて美味しいと言うわけではなかったけれど、どこか懐かしいその味は瞳子の心の奥底まで届く。
 素朴な美味しさが、温かく身体の中に染み込んで行く。
 しばらくサンドイッチに舌鼓をうっていると、不意にアトリの視線を感じて瞳子はにっこりと微笑んだ。
 「それにしても、今日は天気が良いですね。」
 「本当ですよね。風が強いですけど・・・でも、気持ち良いくらいですし。」
 そう言って、そっと目を瞑った。
 風が気持ち良くて、陽の光が暖かくて・・・香る、甘く優しい匂いは酷く心地の良いものだった。
 「大学生活はどうです?」
 「楽しいですよ。友達の幅が広がりますよね、大学は。」
 「そうですね。新しい友人が出来ると、話のバリエーションが増えますし、新しい発見も出来ますし・・・」
 「ものの見方も人それぞれで、楽しいんですよね。あぁ、そう言う見方も出来るんだなぁとか、逆に感心したりします。」
 そう言うと、アトリが大きく頷いた。そうですねと、口に出して言ったわけではなかったけれども・・・アトリも同じ気持ちなのだと知って、瞳子は嬉しかった。
 新しい友達が出来る毎に感じる、人それぞれの感じ方の違い。
 自分一人では見えて来ない場所でも、人と一緒に居ると見えて来たり―――
 「でも、懐かしい友人も良いですよね。」
 「でも、懐かしい友達も良いですよね。」
 アトリと瞳子の言葉が重なり・・・あまりにも偶然なその瞬間に、黙って聞いていた綾が吹き出した。
 「や・・・あまりにも仲が良いので、思わず微笑ましくなってしまって・・・」
 女の子2人からの視線を前に、綾が口元を手で覆いながらそう言う。
 声が微かに震えているのは、きっと笑いたいのを我慢しているからなのだろう。
 瞳子の視線とアトリの視線が合わさり―――ぷっと、まったく同じタイミングで2人とも吹き出した。それが更におかしさに拍車をかけ・・・続く偶然に、運命を感じずにはいられなかった。
 「運命ですね。」
 「とりちゃんと私は、見えない運命の糸で繋がってますから。」
 小指を空に向けて、悪戯っぽい笑顔でそう言うと、アトリが急に抱きついてきた。
 女の子同士特有の感情表現を前に、瞳子は思わず声を上げて笑った。
 以前もこんな事があった気がする。鮮明には思い出せない昔の思い出だけれど・・・きっと、あったのだろう。
 アトリが瞳子に抱きついて・・・そして多分、瞳子もアトリに抱きついた事がある。
 アトリの背中に手を回し、綾に向けて小指を見せた。
 「運命の赤い?糸ですから。」
 その言葉を受けて、綾が苦笑を洩らす。
 「瞳子さん・・・疑問系でしたよ?」
 「・・・見えないって言ってしまっただけに、赤いかどうかはちょっと・・・」
 語尾を濁す瞳子に、アトリと綾が顔を見合わせて微笑む。
 確かにそうだと言って、笑い出し―――
 弾む会話は、サンドイッチを更に美味しいものへと変える。
 過ぎ去った遠くも近い過去の話に華が咲けば、現在の話に華が咲く。
 咲き誇る、言葉と言う花は、見えないながらも色鮮やかだ。
 ・・・ふと、瞳子の視界に小さな紫色の花がチラリと映った。
 可愛らしい花に心奪われ、思わず立ち上がって近づき・・・指差して、小首を傾げた。
 「これは何ですか・・・?」
 草花の名前を殆ど知らない瞳子が、他の2人にそう尋ねる。
 「それは丸葉連理草(マルバレンリソウ)ですよ。」
 綾がそう言って・・・隣ではアトリが頷いていた。
 “丸葉連理草”
 数度心の中で呟き、今度はまた別の花が視界の端に映った。
 「こっちの花は何ですか?」
 すぐ近くまで行って、指を指し・・・2人に向かって首を傾げる。
 「それは春紫苑ですよ。」
 アトリがそう言って、ふっと、視線を下げた。
 それを不思議に思いながらも、今度は更に先にある花が目に付き―――パタパタと、小走りで駆け寄るとアトリの名前を呼ぶ。 
 「とりちゃん!この花は何ですか?」
 随分と2人から遠くなってしまったらしく、何やら交わしている2人の会話はよく聞き取れなかった。
 しばらくしてからアトリが走って来て、瞳子の指先を追うと「あぁ」と小さく声を零した。
 「その花は、赤詰草と言って―――――」
 詳しい説明に、瞳子は思わず聞き入った。
 易しくも詳しい説明は、瞳子を惹きつける・・・・・・・・・。


◇★◇


 草花を追いながら、気になる草花をアトリに訊きまくる。
 時折知らない花があるのか、アトリが口篭ると必ず綾がフォローを入れていた。
 風が気持ちよくて、咲き乱れる花々は、どこか儚くも力強くて・・・。
 道の脇に咲く、黄色の花。その隣に咲く花はピンク色。その隣には真っ白な花。更に隣は水色の花――――
 一見すると、あまりにも規則性のない花の並びだった。近くで見れば見るほど色合いの不自然さが目立ってしまって・・・。
 「綺麗な配色ですね。」
 綾の言葉に、アトリと瞳子は顔を見合わせた。
 「なんだか規則性のない色の並びじゃないですか?」
 瞳子の言葉に、今度は綾が首を傾げる番だった。
 そうですか?と口の中で呟き―――咲き乱れる花々の、少し遠くを指差した。
 その指に導かれるように指し示された方を見やり・・・アトリと瞳子が、思わず「あっ」と小さく声を洩らした。
 様々な花が咲き乱れるその場所は、七色に輝いていた。
 近くを見るばかりで、遠くを見ようとしなかったから・・・・・・・
 「1つ1つを比較しながら見るんじゃなく、混ぜてしまえばこんなにも綺麗に見えるんですね。」
 アトリの言葉に、柔らかい笑顔を浮かべる。
 「これも、視点の違い・・・ですね。」
 「あぁ、確かに・・・近くで見ると不自然な色合いですね。」
 どうやらアトリと瞳子の視点に立ったらしい綾がそう言い・・・3人は、小さく微笑んだ。
 暫く花々を見、風を感じて歩いていると・・・ふと、瞳子の耳に微かな音が響いた。
 足を止め、人差し指を唇の前につけてしーっと言いつつアトリと綾を振り返る。
 そして・・・視界の端に現れた、真っ白でふわふわなモノを指差した。
 跳ねる、真っ白なウサギは可愛らしくて・・・。
 大きな音を立てれば直ぐに逃げてしまいそうなほどに儚い存在感を放つウサギは、数度耳をピコピコと動かして、固まった。
 そして・・・ピョンと跳ぶと、どこかへと走り去って行ってしまった。
 こんなところにウサギがいるなんて・・・と思いながらも、今度は瞳子の耳に小さく鳥の声が聞こえて来る。
 華やかな色の鳥が、長く尾を引く声を上げながら上空を右から左へ通り過ぎる。
 瞳子は次から次に、聞こえて来た音の正体を追った。
 鳥の声や小動物の足音、聞けば聞くほど広がって行く、好奇心の輪。
 たまに鳥の名前を間違えて綾さんかとりちゃんに直されたりして・・・楽しいと、瞳子は心から思った。
 離れていた期間は長かったけれど、こうして再会できたとりちゃん。幼馴染だからこそ、咲く、思い出話が鮮やかで・・・。
 恋人の綾さんも、今日・・・こうして一緒に居れて嬉しい。
 2人とも、大好きで大切―――。
 それぞれの視点、違う、ものの見方。
 自分1人では気付かないモノ、知らないモノ。
 3人寄れば、色鮮やかに見えてくる・・・。

 沈み行く夕日の色は、あまりにも淡い色だった。
 そっと近づいてくる夜の気配に耳を澄ませば、風の音が冷たく響く。
 キラキラと輝く星の粒も、真っ白な月の光も、幻想的なまでに美しい葡萄園に降り注ぐ、淡いヴェールとなる。


◆☆◆


 真っ白なレースのテーブルクロスの掛かったテーブルの上には、美味しそうなステーキの乗ったお皿が置かれ、その脇には黒とも取れるような色をした液体の入ったグラスが置かれた。
 テーブルの上は賑やかで、サラダの入ったボウルの側面には繊細な絵が描かれている。
 窓の外に視線を向ければ既に闇に染まっており、煌々と輝く月が全ての光を支配している。
 星と月と葡萄園と。
 きっと特等席なのであろう、そのテーブルからは全てが見えた。
 右手にナイフ、左手にフォークを持ち、和やかな談笑を交えながらの食事はとても美味しかった。
 柔らかいステーキに、色取り取りの野菜。
 最後に出てきた葡萄のタルトは甘さ控えめで、葡萄の味を良く引き出していた。
 「あ・・・そうだ・・・」
 美味しい食事に夢中になっていた瞳子は、ふと“プレゼント”を持って来た事を思い出すと、小さく声を上げた後で足元に置いたバッグを漁った。バッグの中から小さな箱を2つ取り出し・・・こんなに美味しい料理を前に、自分が作ってきたクッキーなんてあげるのは恥ずかしいけれども・・・。
 少し恥ずかしそうに、俯き加減になりながらも瞳子はアトリと綾に箱を差し出した。
 淡いピンク色のリボンが、蛍光灯の光を受けて更に淡く染まる。
 箱を受け取った2人が顔を見合わせて・・・
 「とりちゃんに、バレンタインのお返しと思って・・・チョコ、凄く美味しかったです。」
 「そう言っていただけると嬉しいです。・・・有難う御座います。えっと、これは・・・」
 「クッキーなんですけど、美味く出来たかどうかは・・・」
 言葉に出すと、更に恥ずかしい気持ちが倍増され・・・アトリがそっと瞳子の髪を撫ぜた。
 「有難う御座います。きっと、美味しいですよ。」
 顔を上げればふわりとしたアトリの笑顔があり、あまりにも優しい瞳に瞳子はふにゃりと微笑んだ。
 「綾さんには、いつもお世話になってますから・・・。」
 「有難う御座います。」
 瞳子の言葉に、綾が丁寧に頭を下げた。
 顔を上げた綾が微笑み、瞳子もそれにつられてふわりと微笑み―――
 「あー、いたいた!アートーリーさーんっ!!」
 そんな声に、瞳子は入り口の方を振り返った。
 ちょこんと立っている、1人の少年と1人の少女。少女の方は見事なまでの銀髪で・・・少年の方が、ブンブンと大きく手を振っている。それに、アトリが小さく手を振り返した後で席を立った。
 「ごめんなさい、知り合いが来たので・・・行っても大丈夫かしら?」
 「えぇ、どうぞ。」
 よく分からないながらも、瞳子と綾がそう答え・・・再び視線を入り口に立つ少年と少女に向ける。
 どう考えても、アトリとあの2人の接点が良く分からない・・・。
 「それじゃぁ・・・」
 そう言って、アトリが2人の方へと歩いて行った。
 その背を見詰めながら、瞳子と綾はアトリの帰りを待つ事にした。
 他愛もない世間話をしながら、今日の事も織り交ぜて・・・中々戻って来ないアトリに、心配の念が強くなる・・・。
 「どうしたんでしょうか、とりちゃん・・・」
 思わず零れた言葉に、綾が「もしかして」と小さく呟いてから口を閉ざした。
 その言葉に、アトリが気を遣ってくれたのだと言う事に気付き・・・視線を合わせて互いに照れ笑いを浮かべる。
 「とりちゃん・・・そんなに気を遣ってくれなくても・・・」
 「良いじゃないですか。折角なんですから。」
 有り難く受け取りましょうと言う綾の言葉に、瞳子は頷いた。
 不意に綾が瞳子の手を取り・・・すっと、指に小さな花の指輪が嵌められた・・・。
 「綾さん・・・?」
 「これは直ぐに枯れてしまいますが・・・今日の思い出はずっと胸に残り、いつか本物の指輪を渡す日にも・・・」
 そう言って、意味深な感じで微笑む綾。
 その表情に思わず胸が高鳴る―――。
 「鮮やかに蘇る、記憶となるでしょう。」
 にっこりと微笑み・・・そっと、繋いだ手の甲に口付けを落とす。
 あまりにも艶っぽい綾の表情に、カァっと赤くなる頬。それを誤魔化すために、瞳子は立ち上がると入り口近くにいた初老の男性・・・きっと、彼がここのオーナーなのだろう・・・に声をかけ、レストランの隅にひっそりと置いてあるピアノを弾いても良いかと尋ねた。男性が直ぐににっこりと頷いて快諾をしてくれ・・・瞳子は、掛かっている真っ黒なカバーを外すと椅子を引いた。
 蓋を開け、中にかかっていた赤い布を脇に置き・・・チラリと、綾の方を見詰めた。
 素敵な場所、素敵な料理・・・今度は2人で来れたら・・・どんなに・・・。
 すぅっと息を吸い込むと、瞳子は指を滑らせた。
 軽快にして繊細なメロディー・・・。
 知っている者が聞いたならば、直ぐに答えられる曲名だった。きっと、綾も知っているだろう。
 照れ性のため、題名は告げていないけれども、きっと綾なら分かってくれる・・・。
 そして、とりちゃんにも聞こえていたら良い。
 こんな素敵な場所に連れて来てくれて、こんなにも素敵な時間をプレゼントしてくれて・・・。
 言葉に乗せるのは下手だから、その分精一杯の気持ちを曲に込める。


  エルガー作曲:愛の挨拶



  愛妻家の彼が、生涯愛し続けた妻に捧げた曲を、大好きで大切な人達へ・・・・・・・・




              ≪ E N D ≫




 ━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

 登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
 ━┛━┛━┛━┛━┛━┛
 【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


  5242/千住 瞳子 /女性/21歳/大学生


  2528/柏木 アトリ/女性/20歳/和紙細工師・美大生


  2226/槻島 綾  /男性/27歳/エッセイスト


 ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
 ━┛━┛━┛━┛━┛━┛

 まずは・・・大変お待たせしてしまい、まことに申し訳ありませんでしたっ!
 この度は『月夜の葡萄園』にご参加いただきましてまことに有難う御座いました。
 そして、初めましてのご参加まことに有難う御座います。(ペコリ)
 瞳子様の雰囲気を壊さないように描けていれば良いのですが・・・。
 もしお時間が御座いましたら他のお2人のノベルもご覧下さい。
 視点がそれぞれ違うものになっておりますので、新しい発見もあるかも知れません(笑)


  それでは、またどこかでお逢いいたしました時はよろしくお願いいたします。