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<東京怪談・PCゲームノベル>


お眼玉袋

 ずるずる。
 ずるずる。
 腕引きずって、なに盗ろか――。
 耳食って、鼻食って、頭つぶしてなに盗ろか――。
 眼玉盗って、食ってしまおか――。



「そんな、唄が聞こえるんです」
 忌まわしそうに耳を覆って、女は項垂れた。
 目の下に大きな隈を作り、いささか頬がこけたように見える女はそのやつれた顔を歪めた。今にも泣き出しそうな息を吐いて、ツブサを見上げる。
「夜になると風が吹いてきて、唄が聞こえて……こ、怖くって」
 見上げるだけでこちらも気落ちしそうな、曇天の日である。
 雨が降るのか降らないのか、風が吹くのか吹かないのかよく解らない。ただ湿った空気だけが漂って、そこらに転がる音を拾っては吸い込んでしまう。店内がやけに静かで、いつもより薄暗いのはそのせいだ。
 それをかき消すように、ツブサは胸の前で手をひらひらさせる。
「あらあら、そないに暗いお顔でおっては、あきまへんえ。お茶でもお飲みになって、一息おつきやす」
 優しく差し出された湯飲みを受け取り、震える唇で女は笑う。ツブサもそれに優しい笑みを浮かべ、細い目が弧を描いた。
 番台に腰掛けた薬師がくぁ、と欠伸をして、ふと扉を見る。その視線を追ってツブサも扉に目を向けた。磨りガラスの向こうに揺れ動く影がある。暫く扉の前をうろつき、やがて決心して取っ手に手をかけた。
「ごめんください」
 立て付けの悪い扉が引き開けられ、ひょっこりと顔を覗かせた客を見て、ツブサは明るく笑った。眩しいくらいの、逃れられない笑みが自分に向けられていると知って、客は首を傾げた。


 向けられた突然の笑みに内心首を傾げながら、その隣で不安そうに両手を握りしめる女を見て、瀬崎耀司は無難に笑顔を浮かべた。
 学会帰りの服装は、普段の和服でなくスーツ姿である。この店には不釣り合いだが、古枝しそうな女を驚かせないからこちらがいい。笑いながら勧められた椅子に腰を下ろして、会釈に会釈を返した。美味い茶があると言われたが深刻な話の最中だったらしく、空気を壊したくなかったので恭しく断った。
 和装の女がにこりと笑って口を開く。嬉しそうな目元は紅のせいもあって明るく見えた。
「突然のことで驚きですやろ。それでもどうぞ、お話をお聞きになっておくれやす」
 目尻に紅をさした糸目の女はこの店の主人だという。鶯色の着物を緩やかに着込み、人受けの良い柔らかで快活な笑みを浮かべている。
「うちは白樺ツブサいいまして、こちら様は栗真唯はんどす。瀬崎はんで、よろしおすか?」
 知らぬ内に眉をひそめた。糸目から、こぼれるような黒い光が見える。名前は調べ上げられていたらしい。耀司の僅かな警戒の色を察して、ツブサは依頼人に見えぬよう人差し指を唇に当てた。怪しさは満ちているものの敵意はない。了承の意味を込め瞳で頷き返した。まだ不安そうにする依頼人の肩に手を乗せ、ツブサは言った。
「彼女少々厄介な事に巻き込まれてしもて、妖か鬼か天狗か、ようわからへんのですけども、おかしなもんに目ぇをつけられてしもたんですわ」
「おかしなもの」
「そうどす。曰く、唄が聞こえる」
 聞けばそれは隣人が延々CDを流しているわけではなく、脳に響くような、家全体を不気味に包む人外の唄であるとのことだ。
 ツブサの説明の間、栗真唯は始終唯肩を震わせていた。床に落とした視線を一カ所に留めず、逃げ回る鼠のようにせっせと動かしている。時々耀司を一瞥することもあるが睫が上がっただけで、しっかり見ているのか定かではない。少なからず彼女の眼差しは、救いを求めていた。
「話は分かりましたが、だがどうにも情報が少ない。それに単独でお引き受けするには少々、酷な仕事だ」
 南京椅子に腰掛け腕組みをして、耀司は眉間にしわを寄せた。
「そう思いまして、瀬崎はんの他にもお話を通させてもらいましたよって。そろそろ来る頃ですわぁ」
 穏やかに笑ったツブサには抜け目が無く、手回しは終わっているらしかった。切り替えが早い女主人の顔は一変して真面目になっている。察した唯がツブサの顔を見るように体を少し乗り出した。
「お仕事、引き受けてくれはりますか」
 躊躇う必要はなかった。耀司は強く微笑んでみせると、ゆっくりと頷く。
「もちろん。女性が困っているのを見過ごすのも、奇怪な唄い手を見過ごすのもごめんだ」
「ふふ、左様でございますか。栗真はんもよろしいようですし、もう一人の方と一緒に説明させてもらいましょ」
 立て付けの悪い扉を何処か上品に開けたのは耀司を三つか四つ越した初老の男である。セピア色の雰囲気を背負って店内に入っていた男はゆっくりと会釈をして、入ったときと同じくがたがたと扉を閉めた。
 二色の瞳で男を眺めた耀司は、改めて会釈をした。
「瀬崎耀司です」
「僕は城ヶ崎由代といいます。ツブサさん、こちらが一緒に仕事をさせていただく方ですね」
 ツブサがゆっくり頷く。その後幾分落ち着いた様子の唯が、ツブサの背後でおずおずと頭を下げた。




 唯に案内されたのは『開眼凡才亭』から歩いて約十分。ありきたりな造形で代わり映えのない住宅団地だった。その一角に建てられた一軒家が栗真唯の住まいである。
 低い塀に囲まれた家の庭は池が殆どの面積を占領しており、色とりどりの鯉がゆらゆらと水底を這うように泳いでいる。時期をはずした蓮の花は蕾であり、控えめな桃色をちらりと見せているだけだった。
 その家の前では、最後の協力者が待っていた。
 由代と同じくツブサに依頼を受けてやってきた彼の名前は、セレスティ・カーニンガム。長い髪は流れる青で、平たく冷たい印象の瞳は深みのある銀。人間離れした端正な顔で、セレスティは自己紹介をした。
 門扉の前で短い自己紹介を済ませ、唯に通されたのはリビング。女性の一人住まいのせいか、広い家で家具は少なく、何処か隙間風が通っていた。
 三人に熱い紅茶をいれて、唯はぽつりぽつりと語りだした。
 唄が聞こえだしたのは二週間ほど前であり、唐突すぎて原因も思い浮かばないと言う。歌詞はきわめて不気味で、やけに生々しい唄い口は民謡のよう。自分が体験したことでなければ怪談のような話ですねと、唯は力無く言った。
 耀司は顎に手をやりふむと静かに唸った。
「唯さん、覚えてるだけでいいので、少し唄ってくれますか」
「あ、はい」
 すぅと息を吸い込んで、目を伏せた唯は歌い出した。


 腕引きずって、なに盗ろか。
 耳食って、鼻食って、頭つぶしてなに盗ろか。
 眼玉盗って、食ってしまおか。


「凄く短いフレーズなんです。本当はもうちょっと唄っているのかも知れませんけど、怖くて聞いてる余裕があまり……」
 そう言うと申し訳なさそうに項垂れてしまう。耀司は腕を組んで天井を見上げた。
 話し出してからは口が回るようで、唯はつっかえながらも知っている事全てを語った。
 四日ほど前から就寝中に、誰かに瞼を撫でられているのだという。感覚だけであるだけに、大層な恐怖なのだそうだ。それと時期を同じく友人が赤茶の毛むくじゃらで、骨ばかりが目立つ岩肌の腕を見たと言った。腕といっても肘から下だけで、電気コードのような骨と神経がずるずるついていたという。
「鬼、か……?」
 不安げな瞳が耀司を見たが、大丈夫と手で示されてまた視線を落とした。
「何かきっかけはなかったかな」
 きっかけ、と唯が口の中で反芻した。
「ただ気まぐれに唄ってるわけではなさそうだ。二週間前になにかがあったとか」
 肩を揺らし膝に乗せた手を握って、唯は体を強張らせてしまった。泣きそうな表情で視線を泳がせ、酷く言いにくそうにしている。
「失礼。参考にしようと考えただけなので、無理に答えなくても結構」
 柔らかな口調でそう言って耀司は考え込んだ。由代が口を挟む。
「最近貰ってきた物はないですか」
「貰ってきた物、ですか」
「幽霊なのか妖怪なのかまだはっきりしないけれども、人外であることは間違いないだろうから。そういったものは、何かに宿っている可能性があるので」
 唯は長く考え込んでしまう癖があるらしく、ゆっくりと首を傾げた。その間にセレスティが紅茶をすする。由代は辛抱強く唯の答えを待っている。唯の口があ、と開かれた。
「ありますか」
「あの、巾着なんですけれど」
「それはどこに?」
「物置です。あまり好きな柄でなかったので仕舞ってあります」
 取ってきましょうかと唯がソファから立ち上がる。耀司がそれを制して、口元に人差し指を当てる。
「今何かが」
 素早く立ち上がり、耀司はそっと廊下への扉を開ける。縦長の家であるから廊下が長く、玄関へ行くには途中で曲がらなければならない。長い廊下の先に、ぽつんと何かが置いてある。
「あれは?」
 指差された物を見て、唯が短い悲鳴を上げた。
「あれが、私の言った、巾着です。でも、どうして」


 ずる。
 ずる。


 肉を引きずる低い音。引きずられる巾着が、亀の歩みと同じ早さでこちらへ向かってくる。ネズミが木の実を囓るような細かい音がそれに混じっている。
「あれだな」
 耀司は呟いて廊下へ踏みだした。由代が遅れて続く。
「セレスティさん、彼女を守って扉を閉めてくれ」
 振り返りもせずに耀司は言った。セレスティは小さく頷きリビングの中へと消える。素早く閉められた扉の向こうからは警戒の意志が強く感じられる。
「接触が早いな」
 冷静に分析しながら、事務的な声でそう言ったのは由代。
「僕たちが来て、焦ったのだろう」
 由代が手を横に振ると、手の平に雑霊達が群を成す。廊下の向こうで巾着がぴたりと止まった。様子を窺っているのかぴくりとも動かない。耀司が慎重に間合いを詰め、巾着を手に取った。
「大丈夫ですか」
 由代が呼びかけると耀司が手招きした。
 差し出された巾着はごく普通の物で、藍の生地に朱の渦巻きが豪快に描かれている。
「中を見てみるかい」
 由代が耀司の手元を覗き静かに驚いた。巾着の中に転がっているのは、干からびた小指。赤茶に白い爪。だいぶ前に取れたのだろう小指は水分をなくして、かさかさと音を立てそうであった。
「これか」
「おそらくね。取れた小指が、この巾着を通るために必要なのだろうよ」
「一度、戻ろう」



 目の前に差し出された巾着の中身を見て、唯は息を呑んだ。彼女の膝にセレスティが冷たい手を乗せた。
「これは、どなたから貰った物ですか」
 机の上で手を組んで、由代は物静かに尋ねた。唯はもう一度息を呑むと、叔父から、とだけ答える。背中を堅く強ばらせ、続きは体で拒否していた。由代は柔らかく笑いながらもその声音は低い。
「これを処分するのは簡単だが、それは根本の解決にはなりません」
「どうすれば、いいでしょうか」
「これに悪意があるのかも解りませんから、即座に滅するのは僕は賛成しない。どうやら口は利けるようなので、和解という形がいいかと」
「妖怪と和解って、できるものなんですか」
「多分」
 呆れた唯は小さく言い返そうとして由代を見上げたが、そこにある瞳の強さに慌てて頷いた。
「お、お願いします」
「それは良かった。耀司君とも話したのですが、やはり人でないからと言って、すぐに消してしまうのは忍びないので」
 同意の意味を込めて耀司は頷いた。セレスティも静かに目で頷いて、結局は若和解で話がまとまり、夜に備えていくつか打ち合わせをした。



 打ち合わせ通りに深夜をいくらか過ぎた頃、唯は震える肩で廊下を歩いていた。冷たい空気が家中を包み込み、履いているスリッパをも通して震えが来る。暗闇の中で静かに立ち止まった唯は、二階の物置にあるはずの巾着を廊下の向こうで見つけた。
 喉を鳴らして唾を飲み込む。三人が静かに傍らにいると知っていても、唯の震えは止まらなかった。やがて歌い出した巾着の口が音もなく開き、赤い物が出てくる。
 現れた腕は肘から下、神経と割れた骨を引きずり、赤茶の腕は爪を使って板間をはいずってくる。やがて始まった唄。ざらざらと嗄れた老婆の声が耳を満たす。
「止まれ」
 三人が音なく現れ、腕はぴたりと止まる。広い廊下の中、耀司と由代で腕を挟み、セレスティは震える唯をかばっている。耀司が硝子の無色透明を力に変換して隠形していたのだ。今だとて、静かな威厳を放つ彼の腕は針の力を自分の体に変換ししている。話し合いで終わらせるつもりではあったが、万が一のことを考えてだった。
「話し合いたい。動かないでもらいたいものだがね」
 言い終わらぬ内に腕先が耀司の頬をかすめ、唯に向かって跳んだ。すぐさま地面に皮膚をつけるが跳躍の威力は殺さない。爪の音が廊下にさざめいた。
 異様な姿で迫る腕に唯は口を開けたままにその場で腰を抜かした。腕の前に立ちはだかった由代は素早い動きで右手を振り霊を呼び寄せる。途端にひしめき合った巨大な力に躊躇し、腕は床に爪を立てて止まった。
 転がるようにして腕が由代を回り込もうとする。
 セレスティの口元に、冷ややかな笑みが浮かんだのはその時だ。
 しなやかな指で水を誘い込んだセレスティは、緩やかな弧を描いて腕を振り下ろす。友であり僕である水は庭の池水である。無数の硝子を振りまきながら窓が割れ、圧倒的な水流が館の中へとなだれ込む。一瞬にしてできた水流が蛇のように風の中をうねり、瞬く間に腕を包み込む。出来上がった水球は柔らかい水晶玉のようだった。
 セレスティの腕は球体を支えるような形でかかげられている。硝子の破片をジャケットで振り払い、由代は唯を見る。
「大丈夫?」
 線の細い顔は青白く、強張った体は冷たい。由代が優しく肩を叩くと怯えた瞳が頷いた。
 水泡の音をしきりにさせながら腕は抜け出ようと抵抗を繰り返すが、柔軟であるが故に強固な檻は抵抗すら受け流して、セレスティのように深い色で包み込んでいる。
「耀司さん、これを」
 水球に駆け寄ろうとした耀司をセレスティの言葉が止める。忘れていましたと差し出したのは大きな虫ピンだった。経を書き連ねた薄布が巻いてあり、長さは中指ほど。
「ツブサさんからです。唄の原因をこれで縫い止めてくれと」
「この場合は、巾着だろうか」
「そうでしょうね。それ以上は聞いていないので、お答えできないのですが」
 彼自身もよく理解はしていないらしい。ツブサから漠然と託されただけのようだった。
 耀司は虫ピンを指の間に挟み巾着に切っ先を向けた。少しだけ手首を返して飛ばす。床に縫い止められた巾着は、赤茶の血が滲んでいることを除けばごく普通の巾着である。普通の巾着から、追い打ちをかけるものが転げ落ちた。
 作り物のように固い水晶のように透き通っていればどれだけましであったか知れない。数々の眼玉には黒々とした光彩もあれば茶の光彩もあり、盗った人間の倍の数が、その中に込められていた。ところが藍の巾着からこぼれ床を転がったのはごく僅か。残りは茶の血をふりまいて腐り落ちている。
「これは、酷いですね」
 セレスティが鼻を押さえる。漂い始めた腐臭に顔をしかめていた。結から離れた由代が紐を掴んで持ち上げようとしたが虫ピンに縫い止められて出来ず、仕方なく床で検分を始めた。
「最初に覗いた時と同じように、特に変わったところはないね」
 事も無げに眼玉を持ち上げたが指の間から滑り落ちた。床にはじけた水晶体がぬめる。獣の食い散らかしのようだ。
 その後ろで球体を間にセレスティと向き合った耀司は水の膜に触れた。
「こういった形の妖怪は実に珍しいね」
 顎に手をあて思案していると、腕がこちらを見るように手の平を向けていた。抵抗を諦め、水の中で流れに身を任せて回転している。大まかな検分を終わらせた由代が言った。
「君の名前はいったいなにかな」
 妖怪にする質問ではない。しかし由代は全く気にしない様子でまじめな顔をしている。
「眼ぇ盗りィ」
 嗄れた老婆の声が水球を震わせた。その様子に由代が驚き、瞳に好奇心の光りが宿る。耀司も不思議だと一言つぶやき、指で顎を撫でた。慎重に言葉を選んで由代は語りかける。
「眼玉をほしがる理由を、聞いてもいいかね」
「殺ぉ……しぃ」
 聞き取りにくい声が向かう先は腰を抜かしたままの唯だった。生気を取り戻した瞳が再び不安に揺れる。
 由代の瞳はそれでも揺るがず、黒の瞳はただ穏やかだ。
「どういう意味かね」
「叔父貴ぃの……眼玉ァを、殺しぃたぁのは……そいつゥだぁ……」
「巾着の元の持ち主の事かな」
「眼玉ぁ、奪われたからぁ……叔父貴ぃの……眼玉ぁ死んだぁ」
 眼盗りは興奮している。無い小指の付け根が痙攣しているように動く。
「眼玉ぁあればァ……叔父貴が視えるよになるよぉ……眼玉ぁよこせぇよぉ……おめの眼玉でなけぇりゃぁ、叔父貴がぁ……視えねえェ」
 力を込めた嗄れ声は不気味で、唯の肌には鳥肌が立っている。
「あ、れは、事故です」
「おめがぁ……殺したぁ……!」
 殺したというのはあくまで眼玉であって、人間のことではないらしかった。
 由代は眉根を寄せて耀司を一瞥する。耀司は小声で言う。
「おそらく眼盗りの死の概念は眼玉なのだろうな。これを納得させるのは、厄介だと僕は思うがね」
「同じ考えだ。どうする?」
「眼盗りの出方次第だ」
 当初の予定通り双方を和解させるのは難しかった。セレスティは動き出した眼盗りを抑えるため手に力を込めている。
「事故です。事故、なんです」
「殺したぁぞぉ……眼玉ぁ殺しぃ……視えなくなのはおめだ、ァ」
 嗄れ声が涙声に聞こえたのは気のせいだろうか。由代は痛々しく顔をしかめた。耀司はいつでも飛び出せるよう突きの構えをとる。眼盗りの声がだんだんと低くなり、血を吐くような辛さが滲む。
「叔父貴ぃの……眼玉さ死んで……しまったァ……おらが集め、た眼玉死んでぇしまったァ……視えね叔父貴の眼玉ぁ……返せぇえぇェ……!」
 水球が震えた。
 由代の後方でかりかりと音がする。振り返ったがそこには巾着とこぼれた眼玉しかなく、音の元はいなかった。しかし眼を戻した先に素早く動いた影があった。
「足元だッ」
 由代が叫んだ途端、速やかに唯の足元まで迫っていた眼盗りの小指が跳ねた。その後は、全てが鈍鈍と動いていった。
 セレスティが振り返って指を振った。割れた窓から飛び込んだ水流が小指を追っていく。だが直前まで迫って指を鳴らし水流をただの水へと戻す。このまま水流を走らせれば、唯の顔までつぶしかねない。
 遅れて耀司が強く床を蹴って飛び出すが、水球の向こう側にいる唯には僅か届かない。跳ねた小指の爪が怪しく光り、唯は間近まで迫った腕を凝視している。鈍鈍と動く全ての中で由代は眼を細める。異様に早く動いた指先は二つ名の優雅な動きで、形あるそれは絵にして表された。
 口にしたのは音に近い命令の言葉。
 がちん、と石が合わさるような音と、発光する複雑な絵文字。小指を凝視していた唯は、目の前に現れた「何か」に向けて悲鳴を上げた。光りに飲み込まれる直前の眼盗りが震えていたのは錯覚ではない。
 引きずるような音がしてそれが消えてなお、唯は動けないでいた。セレスティが杖をつき駆け寄って、大丈夫ですかと声をかける。耀司は居住まいを正して腕から針を消した。
 由代は残された巾着袋を振り返った。耀司もつられて振り返り、おやと口を開けた。小さな火の手が上がり、眼玉もろとも舐めるように赤い火が燃やしていた。消化の必要はないらしい。火は巾着にとりついて離れなかった。
 眼玉が燃やし尽くされた後、耀司が近寄って溜息をつく。由代は静かに問いかけた。
「どうしました」
「いや、面白い物であったのに、燃やしてしまったのはもったいなかったなと」
「あぁ、それは同感ですね」
「調べてみたかったな」
「それも、同感です」
 振り返るとセレスティが唯を支えて立ち上がらせているところだった。涙で滲んだ瞳は燃えた巾着を視ている。眼盗りの最期はあっけなかったが、残したものは重苦しい。




「皆さん、ありがとうございました」
 夜も更け風が吹き、音を残して雲が晴れた頃、四人は玄関に立った。夜の色を写して波紋を広げる池は静かにさざ波立ち、鯉たちは水底で息を潜めているのか夢を見ているのかとにかく静かだ。住宅街のそこここに植えられた木々がざわめいて四人を包んでいく。
 ゆっくりと頭を下げた唯の顔は初めて会った頃より幾分生気を取り戻し、僅かな光源に照らされた顔は赤みを帯びている。
「お気になさらず、これが僕たちの仕事ですから」
 にこりと笑った由代はするりと背を向け、耀司と肩を並べて歩いていく。セレスティはその後ろ姿を数秒見送り唯を振り返る。生気が戻ったはずだというのに目は伏せられ活力というものがない。寂しげに呟く。
「セレスティさん。私は、人殺し、でしょうか」
 硝子の破片や燃えかすが散乱した廊下の後始末をしながら、唯は語っていた。
 先月亡くなったという叔父は好色家の爺であった。情事を迫られ、唯は思わず叔父を突き放した。それは当然の反応であったし、世間一般から見てもそんなことを迫った叔父に非があると言った。
 状況が悪かったのだ。
 その叔父は後天性の眼球の病を煩っており、腫瘍は脳にも転移していたという。唯が突き放したひょうしに壁に頭をぶつけて、そのまま病院へとかつぎ込まれた。医者の話では半年保てば良い方だったという。親戚一同、唯に非はないと思っているし実際その通りだ。
 だが眼盗りにしてみれば違ったのだろう。自分の住処である巾着を大切に扱ってくれた恩人が死んだ原因が、唯だと勘違いした。
 よくある話ではあったが、それだけに残酷だった。
 項垂れる唯の肩に、セレスティは杖を持たない手を乗せる。
「唯さん」
 顔を上げた彼女の背は猫背であり、背も低いからどうしても上目遣いになってしまう。
「眼盗りという妖怪が来たのは、そのせいかもしれません」
「え?」
「いつも下を向いて、なかなか前を見ない。だから眼盗りはキミを狙ったのではないですか。少し、前を向いて歩いた方がいい。目を開いて、顔を上げて前を見る。それだけでも、生きている人間のすることには大きな力があるんですよ」
 慰めているのでも元気づけているのでもない。知っていることを口にしただけだ。
「そうでしょうか」
「空だって晴れていますしね」
 指先で示した夜空は薄雲しかなく、昼間の曇天が嘘のようであった。それぞれの輝きが眼玉に見えると、唯が言った。
「変な表現でごめんなさい。でもあんな事があった後ですから、そう思えてきて」
 その時前を歩いていたはずの耀司が、思わぬほど近くで振り返った。唯とセレスティの会話を聞き止めて立ち止まっていたらしい。
「眼玉に見えるなら、それは生きてる眼玉だよ」
「そう、ですか?」
「あんなに輝いているんだ。決まってる」
 強い意志を秘めた瞳で耀司は優しく笑って見せた。唯は空を見上げる。
 そうだといいなぁ。
 呟いた彼女と別れ、三人はそれぞれの住処へと帰ってゆく。
 彼らにけして少なくない金額の報酬が振り込まれ、婚約を知らせる葉書が届いたのはまた別の話。








登場人物
■2839 城ヶ崎・由代 男 四二歳 魔術師
□4487 瀬崎・耀司 男 三八歳 考古学者
■1883 セレスティ・カーニンガム 男 七二五歳 財閥総帥・占い師・水霊使い
□NPC 白樺・ツブサ 二七歳 女 ぽっぴん屋

■ライターより
トラブルがございまして、当初の予定より一人人数が減った形となってしまいました。それでも楽しんでいただけるよう尽力いたしたつもりです。お仕事、ありがとうございました。