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<東京怪談ノベル(シングル)>


白い罠

 ホームルームが終わり、終業のチャイムが鳴ると、教室の中が一斉にざわつき始めた。男子も女子もにこにこと満面の笑みを浮かべている。
 どこか浮ついた雰囲気に、普段と微妙に違う空気を感じ取りながらも、朝深拓斗はさして興味がなさそうな表情で、ロッカーの中にある汚れた半袖のウェアを鞄の中に突っ込んだ。体育の授業の時に着るもので、一昔前は「体操着」と呼ばれていた。家に持ち帰って洗濯しようと思ったのだ。
 ついでとばかりにロッカーの中を整頓していると、教室の一番後ろの席に座っていた男子生徒の会話が耳に飛び込んできた。

「お前、何個あげるんだ?」
「俺? 十五個」

 得意気に語るクラスメイトの声が聞こえてくる。

「すげえ、十五個も貰ったのか。俺なんかたった三個だぜ」
 なんの話をしているのかと、拓斗は疑問に思って振り返った。気づいたそのクラスメイトが、拓斗に問いかけてくる。

「おい、朝深はいくつ?」
「……十五歳」

 間があった。

「あほ。年齢の話をしているんじゃねえよ。今日はホワイトデーだろ?」
「ホワイト……なんだって?」
 二人のクラスメイトは顔を見合わせた。
「ホワイトデーだ、ホワイトデー。バレンタインにチョコ貰ったろ? お前、そんなのも知らないのか」
「知らん」
 
 やってられないな、という表情で、袋を抱えたクラスメイトは二人とも立ち上がり、どこかへいってしまった。
 なんだかよくわからないが、今日はホワイトデーというものらしい。
 直訳して白い日、というからには、神様が三月十四日に雪を降らせるという神話でも、日本にあるのだろうかと、拓斗は真剣に考えた。
 律儀にロッカーの戸を閉め、廊下に出て、窓を開ける。
 見上げると、雲一つない青空が広がっていた。雪など降りそうな気配はない。
 数分待ったら、曇ってくるだろうか。拓斗は空を見上げたまま、微動だにしなかった。雪が降ることを期待していた。
 
 三十分が経過した。
 ピチュチュチュチュ、という鳥の鳴き声が聞こえてくるだけで、天気に変わった様子は見られない。
「いや……天気は関係ないようだ……」
 拓斗は窓を閉めた。思い返すに、クラスメイト達は、チョコだの個数だの、そんな話をしていた。 
 不意に拓斗の後ろを、別のクラスの女子が通り過ぎて行く。

「ねえ、ホワイトデー特集の、例の雑誌見た?」
 拓斗は視線を走らせた。その女子は、廊下にいた友達らしき人物に声をかけている。「見た見た! 本命からプラダの鞄とか貰うの、理想だよね」

 プラハ……? 
 拓斗は一瞬世界地図を思い浮かべた。授業中はよく寝ているから、プラハがどこにあるのかわからない。とにかく、ホワイトデーとは、なにかをあげたり貰ったりするらしいことは理解できた。
 そのことは、雑誌に載っているのか。
 少し調べてみようと思い立って、拓斗は早々に学校を去った。
 帰り道を、ずんずんと歩く。まっしぐらに向かっているのは、学校から自宅までの間にある、一件の本屋だ。
 ホワイトデーなんだから、なにか白いものをあげるのだろうという思い込みが、今、拓斗の頭の中を暴走している。 
 見上げた空は、白くない。雪も降らない。プラハを頂戴することができたら拓斗にとっても理想的だが、それは非現実な話だ。プラダとプラハを完全に誤解している拓斗は、プラハも別に白くないよな、と呟いた。
 
 ふと、拓斗は足を止めた。
 これは一体、誰が、誰にあげるんものなんだ?
 気になりだすと、止まらなかった。拓斗は面倒くさいといわんばかりに本屋に突進し、くそ真面目な表情で自動ドアを潜った。
「ホワイトデー」と表紙に書いてある雑誌を次から次へと手当たり次第に掴み取り、読み漁る。
 活字を目で追っていくうちに、クラスメイトたちが騒いでいた「バレンタインデー」と「ホワイトデー」というものを、一通り理解することができた。理解するまでにかなりの時間がかかり、気がつくと汗が滲み出ていた。雑誌には拓斗の指痕がついている。 
 そういえば二月の中旬、クラスの女子たちが紙袋を抱えて、拓斗のもとへやってきたことを思い出した。
「朝深君、これあげる。義理よ」
 差し出されたのは、一粒のチョコレートだった。「義理」と言われても、その女子とはあんまりかかわりがなかったし、貰う義理はないから「いらん」と一言返した。
「ああ、そお?」
 で、その女子とは話が済んだのだが、あの日の放課後、顔も知らない中学二年の女の子にいきなり、人のいない木陰に呼び出された。女の子は真っ赤な顔をして、
「これ、貰ってください」
 と拓斗に言ってきたのだ。
 女の子は綺麗に包装された箱を持っていた。これも昼間クラスの女子が言っていたような「義理」なのだろう。貰う義理はない、と拓斗は勝手に解釈した。
「いらん」
 と言った。すると、女の子は泣きながら、夕日に向かって物凄い速さで走り去ってしまった。
「いらん」のなにが気に入らなかったのか、感受性の豊かな子だったのだろうとその時拓斗は思っただけだった。
「あれは……言っちゃまずかったのか?」
 拓斗は雑誌から目を離し、少しばかり反省した。
 
 そんな拓斗にも、一人、確実に返さなければならない相手がいることを思い出した。 二月十四日、確かに幼馴染から貰ったチョコレートだ。幼馴染には義理があるし、付き合いもあるからと思って貰っておいたのだが、これは返さないとまずいらしい。
 ……返さなくてもいいか?
 そんな思いが頭の中を過ぎる。いや、事情を知ったからには返さないと駄目だろう。 でも幼馴染だし。
 どうしよう どうしよう どうしよう なにをあげればいいんだろう。
 拓斗は焦っていた。額からまた、汗が滲み出てくる。
 やはり貰ったのだからお返ししなければ、幼馴染はがっかりするだろう。
 そう思って、拓斗は雑誌に視線を戻す。

『ホワイトデーに大人気商品! ベスト10』
 1位 キャンデー
 2位 クッキー
 3位 テディベア………』

「飴もクッキーもクマも白くないじゃないか!」
 
 拓斗は半ば逆切れして、叫んだ。周囲の視線が一気に拓斗に集中する。拓斗は目を血走らせながら、先を読み進めた。

『逆本命〜チョット大人のお返しにはこれ〜
 1位 プラダの鞄
 2位 グッチの財布
 3位 ティファニーのアクセサリー……』

「鞄も財布も白くない!」 
 
 拓斗は雄叫びをあげる。店員がちらりと拓斗を見た。同級生の言っていた「プラダ」にも、その脇に小さく書かれていた、その辺の中学生が見たら目玉が飛び出そうなほどの価格にも、拓斗は全く気づかなかった。
 とにかく、白、は関係ないようだ。ホワイトデーなのになぜ白いものをあげなくてもいいのか。拓斗にはそれがなんとなく許せなかった。
 じゃあ、幼馴染には一体なにをあげればいいのか。考えはそこへ行く。
 雑誌を本棚に戻し、本屋を出ると、道路を渡った目の前には、雑貨屋があった。
「ホワイトデーにおひとついかがですか」と書かれた看板がある。
 中には入らず、ウィンドウを覗いてみると、拓斗に気がついた店員がにこりと微笑みかけてきた。
 可愛いものに溢れかえった商品達に、拓斗はたじろぎ、後ずさりをした。自分がいるべき場所ではないと、拓斗は声をかけられる前に走り去り、公園のベンチに座った。
 気持ちを落着かせ、幼馴染の微笑みを思い浮かべる。
 近くの神社に白いお守りが売っていたのを思い出した。それをあげようかと考えてみたが、ありきたりな気がする。もっと、驚くものがいいだろう。
 拓斗は鞄を開け、中から半袖のウェアを取り出した。広げてまじまじと見つめてみる。
「……白い」
 拓斗はぼそりと呟いた。手に巻きつけてある包帯も見てみる。
「……白い」
 これらをお返しにあげようか。さぞ驚くだろう。
 いや。拓斗は首を振った。こんなものを貰って、喜ぶ奴はいない……な、と考える。
 
 その前に、白にこだわらなくてもいいんだ。飴とかクッキーでもいいんだ。
 白にこだわるな、白に!
 白いウェアを鞄に戻し、延々、拓斗は自分に言い聞かせた。完全に白い罠にはまってしまっている。
 学校中、いや、世間中が騒いで一体なにが楽しいのか。企業の戦略か。世の中、厄介なものがあるな、と拓斗は茫然と思った。
 
 それでも、相手が喜べるものだったら、なんでもいいんじゃないか?
 幼馴染の笑う顔が見たい、と拓斗は思った。
「バレンタインデー」と「ホワイトデー」は、誰かが誰かを喜ばせるために作られたんじゃないか。そんなことを考えてみる。
 だったら、あっても悪くない。
 拓斗の表情に、ふと笑みがこぼれた。
 あいつを驚かせてやろう。笑いが溢れるほどに。
 しばらくは、このベンチに座ってお返しの品を考えていよう。
 ティッシュ……紙……マスク……包帯……ウェア……。
 どれもお返しするにはそぐわない上に、思考がまた振り出しに戻った。拓斗の頭の中は相変わらず白一色に溢れ返っている。
「だから、白じゃなくてもいいんだって!」
 錯乱して首を振ったとき、拓斗をあざ笑うかのように、遠くで犬の遠吠えが聞こえた。  
  
<END>