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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


白物語「葉」

「Sizuってモデルさん、知ってる?」
開口一番、瀬名雫が瞳を輝かせて問う。
 こちらの返答を待たずに、「そっかぁ、知らないかぁ」と……何処か嬉しげに、彼女はカチカチとマウスを操作し、目の前のデスクトップにあるサイトを呼び出した。
 それは素人写真の投稿サイト、ささやかながら賞金がつくという事でそれなりに盛況である。
 採点は閲覧者によるランキング形式、不正投票を防ぐCGIも独自に組まれているそうで、得票はそのまま人気である信憑性が高い。
 これが何か? と、物問いたげな複数の視線を受け、雫は一位を独走する作品をクリックした。
 画面一杯に表示されるのは、セピア加工の施されたポートレートだ。
 自然の色彩は判然としない。しかし夏の日差しの眩しさは光の加減から解る。
 併せてモデルの少女が纏うレトロなデザインのドレスは夏らしい半袖で、その色は何故か白だと判じる事が出来る、素人目にも雰囲気の良い写真だ。
 だが、今着目すべきは其処ではない……モデルは、雫の顔をしているのだ。
 しかも写真はその一枚だけではない。
 複数枚、連作の形で投稿されている作品は、どれも同一のカメラマンによる物、浴衣姿や日傘を差したシルエット、アイスを手にカメラに笑みかける自然な姿……作品の下には簡単な題名が掲載されている。
『Sizuと共に過ごした夏の日・壱〜拾』
「嘘だ!」
誰ともなく上がった否定の声は、雫ではあり得ないという確信を込めての物だ。
 モデルの少女は何と言うか……清楚というか可憐というか。明るさと元気ばかりを前面に押し出した、おきゃんと言う表現の最も相応しい雫の雰囲気と全く対局にある。
 盗撮か、総CGか、アイコラか。生き別れの双子説はあまりにありきたりすぎて、誰もが胸に秘めるに止まる。
 意見の紛糾する中、雫は満を侍して一枚のコピー紙を取り出した。
「実はもう、カメラマンの人に連絡とってあるの☆」
 メールをプリントアウトしたと思しき書式は、前略から始まり、草々で終わる。雫が送付したメールに対する返信の形に、詳細は直接会って話したいとの旨が記されていた。
 その上。連作を撮影した場所にお付き合い頂けないかとも。
 面々が何かを言うよりも先に、雫は可愛く首を傾げてみせた。
「もう、うんってお返事しちゃったんだ☆ そしたらスゴイよこんなの貰っちゃった!」
差し出されたコピー用紙に記載されたのは、旅行会社顔負けの観光巡り時刻表である。
「いいよねー、上野動物園とか面白そう! スゴイよ象見学15分とか不忍の池遊覧60分(天候により変動)とか、予定が細かいの!」
因みに場所は上野の近隣のみである。
 粘着気質に見えない事もない詳細な予定に雫は感心しきり、あまりの細かさにマイナス方向に展開される色々な想像に、青ざめる余人の心配なぞ何処吹く風だ。
「そーいうワケで☆ ミンナで雫を守ってね♪」
助力を当て込んで無謀な行動に出るを、若さ故と言い切ってしまっていいものかどうかは、また別の議論を要する所である。


「上野かぁ……」
ギィ、と椅子の背もたれ体重をかけて軋ませながら、朧月桜夜は天井付近に視線を漂わせながら胸の前で両手を組んだ。
「パンダって良いわよねー、数ある植物の中で笹しか食べないという偏食っぷり、外見は愛らしいのに実は凶暴というそのギャップ! お土産にぬいぐるみ買って帰るんだー♪」
うきうきと脳裏に描くのは何処か凄惨なパンダの姿……半ば決定している予定を口から流すに、その横でカコカコとリズミカルにキーを叩く瀬水月隼が器用に肩を落とした。
「……で、その無謀な瀬名に何も考えないでお前もくっついてく訳だな? 無謀さ加減はいい勝負だろうが!」
電脳世界と現実世界、間に身を置いた隼が画面を眺めたまま……桜夜の独言の内容を半ば反射で読解し、ついていくという意味に達して漸く脳が感情と現状の齟齬に気付いたらしい。全く唐突に声を荒げた彼に返されたのは腕全体をフルに使って顔面に繰り出された裏拳であった。
「って、さておき」
鼻を押さえてキーボードに伏す、敗者はさておかれて。
「こういう怪しげな人に対して雫ちゃんもいきなりコンタクト取る? もうちょっと警戒心持ってもいいと思うけど……ってまあ、虎子に入らずんば虎児を得ずって言うしね」
隼の言い分の一理だけなりと認めたのか、桜夜は立てた人差し指をチチチと振って一応なりと諫めて見せる。
「……それを言うなら、虎穴に入らずんば虎児を得ず、だろうが……ッ」
ヤバい感触のする鼻を押さえながら、突っ込まずに居られない男、隼。
 誤りを指摘された桜夜は指の動きを止めてしばし中空を睨み……。
「イヤぁだもぅ! 隼ったらヤらしい!!」
「ちょ……ッ、ま……、止め! 何がヤらし……ッ!」
バシバシと背を叩き捲られ、一打ごとに確実にHPを削られつつも隼は真意を問わずに居られない。
「だって子が欲しいなら穴に入れろだなんて、そんなイヤァンッ!」
乙女に何言わすのよぅッ! と真っ赤になった桜夜の見事なチョップが延髄に決まり、隼は今度こそリング(?)に沈んだ。
 素直に過ちを認められない負けず嫌いは良い。だが、その歪曲の仕方はどうだ、と隼が薄れる意識に思ったかどうかはいざ知らず。
「さー、バカっぷるは放っとくぞー」
親父ギャグ風味の夫婦漫才に区切りがついたと見て、少女遊郷がパンパンと手を打って場を改めると同時、心持ち桃色な空気を払って不発に終わった桜夜の諌めを引き継ぐ。
「こんっなアヤシイもんに参加するってんだから相変わらずだな、お前も」
とはいえ、そんな雫の無謀さを慣れたものと捉えて、怒りというよりも諦めの方が先に立って苦笑混じりのそれではあまり効果は望めない。
「アヤシイからこそ面白いんじゃない☆ 今からワクワクだよ! くぅ〜ッ、楽しみ♪」
興奮を抑えられないのか、その場で足をジタバタする雫、それは果たして真実を追究するスリルに対してなのか、はたまた観光を期待してか……どちらにしろ、遠足気分に変わりなく、当事者が火に飛び込むお膳立てを自ら喜んで整えてしまった今、良識のある人間は申し合わせたでもないのに被害を最小限に抑えるべく自然と協力体制を整える。
 然れども、ごくごく軽く窘めの意味を込めて郷が雫の額を指で弾く……無謀すぎる行動力に対する形ばかりの諌めに、雫はその箇所を抑えてえへへ☆と笑った。
「郷さんに叱られちゃったぁ♪」
見てみてー、と、ほんの僅かに赤くなっている箇所を、雫はシュライン・エマに何処か嬉しそうに見せる。
「良かったわね」
タイムスケジュールから視線を上げたシュラインの、口元に刻まれる笑みは苦さを含んでいるものの制止の気配はない。
「現状把握、が優先よね。隼君、写真をプリントアウトしてくれる? 後は関係資料のコピー……と」
流石、鬼のような忙しさを誇る事務所を、実質束ねる地位にある……てきぱきと準備にかかるシュラインの手から、すっと書類が抜き出される。
「貴方の手を患わせる事はありません……ここは俺に任せてくつろいでいて下さい」
無駄にきらきらと男前オーラを発し、それ故に黙ってれば二枚目認定の下る大上隆之介が書類を手にシュラインを制す。
「そ? じゃぁお願いね、十部」
対するシュラインは慣れたもの、使える人手に否やなく自然に指示を下しながらも……ちょいと隆之介の背後を指で示す。
 促されて振り向いた隆之介は、真っ直ぐに自分を見詰める風見璃音の眼差しにかち合って、途端におろおろと挙動を乱した。
「え……っと、なんてーかこれはそう! あわよくばくどいたりなんかしてという下心は欠片もなくって、女性は須く太陽であり、古代に置いては地母神信仰から始まるアニミズムの為せる技であってだね?!」
誰も何も言っていないというのに、動揺甚だしい言い訳に、雫が無邪気に無情に鉄槌を振り下ろす。
「隆之介さんは一億総勢運命の人だもんねー☆」
ハーイ、隆之介さんの運命の人ー! と自らも挙手する雫の呼びかけに、その場の女性が全員手を上げる……璃音以外。
 それまでの行状からすれば当たり前の展開に、赤くなったり青くなったり。果ては弁明の言葉に詰まって紫になる愉快なリトマス試験紙は半ば放置して、挙手を保った女子高生二人が画面を覗き込む姿勢で同時に首を傾げた。
「ん〜」
「んー」
久喜坂咲と月見里千里、思考に無意識の声が期せず重なる偶然に、二人は顔を見合わせてまた同時に吹き出した。
「この写真って本当に加工されたものなのかしら? 手紙の書き方もきちんとしてるし……Sizuって書き方も普通なら漢字やひらがなでつけそうな気もするけど」
意見を求める形で思考を纏めようとする咲は、千里との間、椅子に腰掛ける形でマウスを握り締めて固まる、瀧津瀬流にふと気付く。
 Sizuの写真が掲載されている頁と、右手に掴んだマウスとをなんとも真剣な表情で交互に見やって、有り体に言えば硬直していた。
「いんたーねっと」なる物に興味を覚え、触れてみようと思い立って出向いたカフェにて、件の騒ぎに巻き込まれた段は不運と言うべきか否か。
 因みに店員に「いんたーねっと一つ」と注文したのを雫に面白がられ、一……以上の講釈をさんざ拝聴した流れから逃れられずにこの場に居る次第である。
「瀧津瀬さん、マウスはこう右クリックで……」
掌をそっと重ねて指を添え、カチカチと素早くクリックする咲の手に、切り替わった画面に真面目な表情を向けたまま、流は頷いて礼を述べる。
「かたじけない」
如何せん、雫の講義は初心者向きではないのだ……アングラサイトの安全な徘徊の仕方、など興味深くはあれどもマウスを初めて握る人間にはクリックの仕方から必要な知識であるのを失念する、玄人程その当たり前過ぎる認識が欠けて不親切になる、いい事例である。
 漸くマウスを使って頁が進む事を理解した流が、おっかなびっくり表示して行く連作を示して、千里が咲の意見に応じて軽く眉を上げた。
「これって単純に考えていいんじゃない? ほら、雫ちゃんのお婆ちゃんとかそういう人だったとか」
言われて見れば最もな可能性に、郷も頷いて更に問いを重ねる。
「雫、お前の親戚か何かに昔お前とそっくりだったヤツなんかいねーだろな」
双方から問われて、雫は肩を竦めて朗らかに笑った。
「何言ってんの♪ うちの一族はミンナこの顔だよ☆」
顔、と示して己の両頬を人差し指でぷにと押す。
 老いも若きも男も女も、一族総勢、皆雫。
 あらゆる年齢のバージョンの雫が一同の脳裏を一様に駆け巡るに、得も言われぬ沈黙がその場を支配した。


・9時30分〜:象見学及び撮影
 集合時間に合わせ、駅に集った関係者は三々五々、予定の後先を考えてフォローや確認に先回り、若しくは尾行の任に着いている。
 隼も専ら暴走しがちなパートナーの抑止力……には成り難い実績から、感情の矛先を変えるという些か消極的な立場を選び、途中偶然を装っての合流を狙う所存で、タイミングを計る為に雫一行の近くに潜んでいた。
 そんな折、携帯が振動モードで伝えるメール着信は雫からだ。
『伊藤・J・誠太郎(以下雀)と無事接触☆ 心配なさそーだから様子見でヨロシク♪ 駒鳥』
雀、とは今回の事態の原因となったカメラマンに割り振られたコードネームである。
 因みに、関係者全員に割り振られた鳥の名前は、動物園でうっかり名前を呼んでしまわぬ配慮、というよりもほとんどスパイごっこの域だ。
 自己申告である為、格好良く横文字表記に『クロウ』と名乗りたかった隼だが、皆の呼びかけが『苦労』にしか聞こえずに『鴉』で納得する事になったのは今は余談である。
 象に気を取られたふりで、ちゃっかりとメールを送信して来た雫の情報に、隼は肩の力抜く……いきなり桜夜が暴行罪でお縄になる可能性は低いらしい。
 が。
「それとも、連作の順番のコースを崩すのがヤなの?」
風向きの為かで、上背のある老人に向かって詰問口調の桜夜のそんな台詞が耳に届き、隼は思わずオブジェの影から身を乗り出した。
 桜夜は笑顔だが、その背に『ケンカ売る気がなくとも無理矢理買ったんどゴラ』的なオーラが見え、いきなり切りつけるのに裏も表も必要ない桜夜の性分を正しく理解しているのはやはり己かと、隼は予定より早いが声を掛け、姿を見せようとした。
 未然形なのは、目論見が未遂に終わった為である。
 物影から一歩を踏み出す事すら許されず、中腰の姿勢の隼のこめかみにクリーンヒットしたのは桜夜の一投。
 何時の間に書したものやら『邪魔すんな!』の意図を記された拳大の石は、赤く染まって隼と共に地に転がる。
「……何をしとんだお前は」
見るに見かねて歩み寄るのは、一部始終を静観せざるを得なかった郷だ。
 如何な人混みでもその長躯が目立つのは必至、シャツにジーンズのラフな格好にグローブとソフトボール用のボールを装備して、コンセプトは練習がてら公園に来たついでに動物園も見て回るスポーツマン、を装おうがそれが妙に板についている。
 人事不省に陥る隼を助け起こそうとした折、不意にストラップで手首に引っかけた携帯が振動し、郷は人命救助より先に受信したメールを呼び出した。
『雀はパンダ以前にのみ上野来訪 孔雀』
『誰が鴉を殺したの……それは孔雀と鴉が……ゴフッΣ( ̄■ ̄|||』
「元気じゃねぇか」
倒れながら、カチカチと指だけでメールを送信した隼の執念を、根性と呼ぶべきかそれとも単なる馬鹿と言うべきか、議論を要するまでもない答えは各人の胸の内に秘めるをお薦めする。
 郷は一つ息を吐くと、携帯の新規メールを作成、一括送信した。
『狗鷲が鴉を捕獲・合流』
各人に行状を明確にしておかねば、不自然に行動が重なって相手を警戒させかねない為、本日は各人メールにて連絡を密にする事になっている。
「な、何故……」
だくだくと血の池を作りながら、桜夜に疎まれた理由が計れずに呻く隼の傍らにしゃがみ、郷はよいせと少年を肩に担ぎ上げた。
「その格好で何故と問うか」
呆れをふんだんに交えた郷の意見も当然……黒とレザーを基調としビジュアル系な服装に目にも眩い蛍光色の工事用ヘルメットを装着。更にカモフラージュのつもりか頭の脇に生木を括り付けていれば、石を投げられて当然だ。
「今日はアレだな……引きこもりの弟を鍛えようと外に連れ出した兄、という兄弟設定で行こう。付き合え」
差し当たり目立たない場所で割れた額を治療せねば、という意図に担ぎ去られる隼に拒否権はなく、目立つ事この上ない拉致現場は、象と記念撮影を始めていた雀の視界に入る事は、幸いにしてなかったと言う。


・9時45分〜:日本猿見学
「アラ、郷さん……と隼くん?」
ぐってりと伸びる隼を肩に担いだままの郷を発見し、シュラインは隠密の意図を忘れて思わず声をかけた。
「よーぅ、金糸雀」
本日のコードネームで呼びかけて郷は猿山を見下ろす柵の際に隼を下ろした……こめかみの流血が乾きかけて肌にへばりつき、白目も向いていてちょっと怖い。
「ちょっと……合流メールは見たけど、どうしたのコレ」
最もなシュラインの問いに、郷はうん、と頷く。
「手当してやろうと思ったんだが暴れてな。当て身くわせて静かにさせたのはいいが、生憎、財布と車の鍵とコレ以外に何も持っとらん」
手に嵌めたグローブにボールを軽く放り入れ、小気味よい音を立てて示す郷。
「お前さんなら、絆創膏の一つも持ってるだろうと思ってな」
その言にシュラインは軽く眉を上げると、肩に提げた小振りのディバッグを下ろした。
 その動きに、郷はシュラインが腕にかけていたコートと帽子、サングラスを自然に受け取りながら問う。
「で、どうだ調べの方は」
シュラインは鞄の中から取りだしたアトマイザーの中身をハンカチに含ませ、隼の傷の周りの血を拭いながら答える。
「昨日の内に済ませてあるけれど、人物が主体になってるせいか背景は曖昧であまり参考にならなかったわね」
掲載写真を現実の風景と合わせる事で何らかの手がかりを得られないか、尽力していたシュラインだが、労は実を結んだとは言えないらしい。
「あ痛ーッ!」
その間、ハンカチで傷を押さえられた隼が飛び起きる。
「……その香水入れの中身は何だ」
傷を手で押さえて声を無くす隼に、郷が思わず問うにシュラインはプシリと中空に中身を押し出した。
「消毒液。こうやって小分けにしておくと外出時に使うのに便利なの」
次いで大判の絆創膏を取り出し、有無を言わさず隼の手を剥がすと傷の上にべたりと貼る。
「傷は小さいし、血は止まってるから大丈夫よ。後はハゲない事を祈るばかりね」
「ハゲ……てんのか、ここ?!」
指先で傷の箇所を慌てて確かめる隼に、シュラインは笑って視線を右手にやった。
「で、郷さんと隼くんのコンセプトは?」
「引きこもりの弟を鍛えようと外に連れ出した兄」
何故か胸を張る郷に、人差し指を立てて天に向け、シュラインは小さく頷く。
「じゃぁ、私はそれを心配して同行するお母さん……じゃ、あんまり切ないからお姉さん設定で頂くわね」
「なんで」
日頃の生活からすれば当然的に引きこもり役からは逃れられそうにない隼の最もな質問に、シュラインは肩を竦めた。
「だって一緒に居る所、雀が見てるんですもの。今更他人な振りは無理ね」
それもその筈。猿山を囲む人の群は日本猿ではなく、流血な隼、及びガタイの宜しい郷、そして甲斐甲斐しいシュラインの姿に……何か青春モノめいた家族ドラマを観ている風に遠巻きだ。
「あ〜、あたし達ちょっと花摘みに行って来ま〜す」
「お猿さんトコで待っててねジョナジョナー☆」
「すぐ戻るから〜」
知人が見世物になっている居たたまれなさに、そそくさと視界から消える……雫と千里、そして桜夜の後を追おうとする隼の襟首をひっつかんで郷が止めるのに、シュラインは一息をついて足を止める人々を見回した。
 それに気まずく目を逸らして散り散りになる人々とは別に、雫達と行動を共にしていた老人が、猿山を見下ろす位置に動くのに、シュラインはごく自然に移動する。
「失礼ですが」
「……は?!」
横に距離を詰められて声をかけて来たのが、遠巻きに見ていた渦中の人物とあって、伊藤の驚きも最もだ。
 そこは敢えて意に介さずに、シュラインは薄型のデジタルカメラを取り出して掲げて見せた。
「お連れの……今のコ某サイトの写真のコですよね? デジカメなんて邪道ですけど、私も写真好きでよくサイトを拝見させて頂いていましたの」
先ず、自分の持っている情報を提示して相手の安心感を誘う……シュラインの術中に落ちて伊藤はほ、と警戒を解いた。
「それはありがとうございます。それにしても偶然とはあるものですなぁ」
「あら、あのサイトはアマチュアの間では切磋琢磨になると秘かに有名ですのよ? 勿論、私も票を投じさせて頂きましたわ。写真から……何と言うか、互いの信頼が感じられて素敵でした。お孫さんなのかしら?」
心底から感服したと、ストーカー疑惑など微塵も感じさせずに清楚に微笑む、シュラインの様を秘かに見守る、郷と隼は仮面を使い分ける女の真髄を見る。
「孫に見えますか、やはり」
その問いに何処か寂しげな気配を漂わせ、伊藤はグルーミングする猿に目を向けた。
「あの写真のモデルは、私の昔の許嫁……恋人だったんですよ」
気持ち肩を落として答える、老人の悄然とも取れる空気は『あ〜、なんか地雷踏んじゃったかな〜』な感がある。
 古い写真なんですね、とか連作なのはやはり同じ場所で撮ったからか、とか……さり気ない会話の流れに質せる事は山とあったが、醸される空気は最早、初対面の人間が踏み込んで問いを重ねられる物ではない。
「悪い事を伺ってしまったかしら……」
沈痛な面持ちで空気を合わせ、シュラインは伊藤の表情を探るが、年輪を重ねるに刻まれた皺が、穏やかな感情以外を隠してしまっているかのようで計れない。
 ただ、声に嘘はないと、それだけは確信して、シュラインは軽く辞去を述べると、俄兄弟の元へと戻る。
 一勝したが敗しもした……金糸雀に、けれど狗鷲と鴉はその技能と努力を間近でつぶさに見て取るに、グッジョブ! との激励の声は内に止めて、その労を親指を立てる事で労った。


・11時30分〜不忍の池遊覧60分(天候により変動)
「貸ボートですわね千里さん」
「そのようですわね桜夜さん」
キラリと光る眼差しを交わして、二人はガッシと腕を組み合わせた。
「白鳥になさいますでしょう?」
「愚問ですわ」
交わしあった眼差しに不敵を輝きを光らせ、白鳥の形をした足漕ぎ式のボートを示す。
「え〜、それじゃ雫が乗れないよ〜ぅ」
握った拳を上下に振って、雫が定員二人のボートを選択は仲間はずれだと主張するに、千里と桜夜は同時に顔を向けた。
「雫ちゃんはジョナジョナとボート!」
「クミミン、後はヨロシク〜♪」
言ってさっさと船着き場に消える二人に、雫とササキビ・クミノは伊藤と残される形になった。
「……物理的に、無理だし」
五人も乗れば手こぎボートとて沈む。小柄なクミノに雫を任せたはある意味適任と言えよう。
「ではお嬢さん方、我々も参りましょうか」
促す伊藤に雫はぶぅ、と膨れる。
「雫も白鳥が良かったのにな〜」
自分の欲求に(のみ)正直な雫の不満に、申し訳なさそうに伊藤が頭を下げた。
「私の我儘を聞いて下さっているのに申し訳ない……けれど、此処が最後の撮影箇所ですから」
どうかお付き合い下さい、と老人に頭を下げさせて聞かぬようでは若人の面子が廃る。
「解ったよぅ、ジョナジョナのお願いだもんね!」
ふんッ、と不満を鼻息で吹き飛ばして、雫は何気にクミノの腕を取った。
「それじゃ行こっかクミミン! あ、あたしあの赤いのがいーッ! 走って走って!」
そのままぐいと腕を引かれてよろけるように走り出すクミノ、雫の親しみを感じさせる行動は人付き合いに慣れぬ彼女の頬に僅かなれど朱を帯びさせる。
 そんな遣り取りを遠く、一足早く池上にて眺めるのはシュラインと隼だ。
「ちょっと隼くん? 何で逆向きに進むの」
「漕いだ事もないのに知るかよ。そんなに言うならあっちのに乗りゃ良かっただろ」
あっち、と示す先には郷が操るボート……一人の重量で、明らかに喫水線が他の物より低いそれを示す。
「……乗れると思う? もう一人」
「無理」
あっさりと自分の意見を撤回する隼と、シュラインの視線に気付いた話題の主が大きく手を振る。
 オールを握ったまま、豪快に振り回して己の位置を示す郷、その体躯を構成する筋肉の重さと強さを容易に想像させる荒技だ。
 その大技を遊歩道のベンチから確認して、咲が感心に思わず手を叩く視界を横切り、白鳥ボートをゲットした千里と桜夜が息の合った漕ぎっぷりに水上暴走族と化して水を蹴立てて走っていく……そんな賑やかな水上に気を払わず、目的(?)の古書に目を通す時間を得た流は、我関せずとばかりに手にした書物に没頭していた。
「……何してるんでしょうね、皆さん」
一人、冷静に雫の護衛という本日気大儀を覚えていた璃音の呟きに、というよりも彼女が口を開いたというそれをきっかけに勇気を絞って見たらしい、隆之介が携帯メールの送信操作を終えた手を、そっと差し出した。
「璃音……ちゃん、その、俺達もボート……乗らない?」
頬を赤らめて、乙女のように恥じらいながら問われて照れぬ者はそう居まい。
「えと、その池に出た方が、雫ちゃん護衛しやすいしさッ」
慌てて理由を付け足しつつ求められる同意に否やなく、璃音も躊躇いがちにこくりと頷いた。


 さて、各々が隠密行動に専心している中、本来護られるべき本人は、結局疑念を氷解させるに至らぬままである伊藤とボートで優雅に不忍池を遊覧していた。
「慌ただしく引き回してしまいましたね」
穏やかに話しを……専ら、今の風景と最後に訪れた夏の想い出を照らし合わせた昔語りは、当時を知る者の言葉だけあって現実味を帯びる。
「ふわぁ、そんな時代だったんだねぇ〜」
興味の指針は怪奇のみに向く筈の、雫ですら興味深く耳を傾ける伊藤の話に、クミノは対面する位置に腰掛けたまま背を正した……ポケットの中には通話状態を保った携帯電話が入っている。
 自営のネットカフェに繋いだ回線は、メイドアンドロイドの手で関係者の携帯に会話の内容を伝えている筈だ。
 興味の対象にこの上なく無防備な雫を、今最も近くで守れるのは自分のみとの自戒に、出来るだけ相手に刺激を与えぬよう……迂闊に障壁を発動して雫を巻き込む事だけはすまい、と緊張感を持って、オールを漕ぐ伊藤の一挙一足投から目を離さずにいるクミノの横、セピアに染まった想い出話の穏やかな流れを保ったまま、雫がさっくりと確信を突いた。
「でね、ジョナジョナ☆ 結局のトコロ、Sizuさんって誰?」
「雫ーッ!」
「雫ちゃんッ?!」
何を考えてるんだ!と。
 危害を加えるつもりがあるのならばこの上ない刺激であろう、正体をそんなあっさり聞くなと言う、想いのふんだんに籠もった思わずの叫びが池のあちこちから上がるが、幸いにして……伊藤の耳に、というか心には届かなかったらしい。
 ふ、と小さく何かを堪えるような息を吐き出した老人は、懐から大切そうにラミネート加工された写真を幾枚か取り出す……動きに銃かと反応しかけたがクミノはどうにか銃火器を呼び出す衝動を堪えた。
「これが、Sizu……静と申します、あの写真のモデルです」
写真は複数枚。一枚目から順に繰る、雫の横から写真を覗き込んで、クミノも徐々に眉を寄せる。
「あの、懐かしく美しい夏の日を……もう一度味わいたいばかりに、雫さんにはご無理を推して申し訳ありませんでした」
本心から。謝罪の気持ちを込めて頭を下げる、伊藤の首から下がったカメラがオールの柄に当たってこつりと音を立てた。
 雫の横から写真に目を通していたクミノが、思わず眉間に寄った皺を揉みほぐしながら、絞り出すように声を吐き出す。
「……気持ちは、解らなくない、ような気もする」
彼女の人生に乏しい経験から鑑みても、彼を同情すべきと判断を下すのに雫が何処か虚ろに頷いた。
「……そうだね、ジョナジョナ、ホントSizu、静さんにベタ惚れっぽいもんね〜……。あたしと会いたくなっても仕方ないかもね〜……」
写真に写る明るい笑顔、真っ直ぐな感情。それは相手が伊藤だからこそ、向けられた煌めきだろう事は、セピアに古びていても容易に感じ取れる。
 写真を持つ手を震わせて、何を思ってか雫はボートだというのにすっくと立ち上がった。
「キャーッ!!」
そして唐突に黄色い悲鳴を高く放つ。
 当然の如く安定を失って揺れるボート、そして雫の悲鳴に鼓膜を打ち抜かれなかった有志は即時に動いた。
「どうした雫!」
「ちょっとジョナジョナ何したのよーっ!!」
「無事か雫ちゃん!」
殺到するボートと白鳥に水面は揺れ、雫が立ち上がった事で重心の乱れたボートはぐらりと傾く。
「雫ちゃん!」
遠く遊歩道に事態を見守っていた咲が、梢に止まっていた式神を打つ……ひたきは一直線、小さいながらも速度が乗れば十分な威力を持って、雫の額にがんっ! とぶつかって再び腰を落とさせ、重心を低く保ったその隙、水を眷属とすれば随一の龍神たる面目を躍如して、流が池の水を操作し、複数のボートの衝突と転覆の危機を封じる。
 揺れるボートの縁に手をかけてどうにか体勢を保った伊藤が、に殺到する人々の姿に目を大きく見開いたまま動きを止めても当然だろう。
「……ジョナジョナ、ゴメンなさい! 実はミンナ雫の友達でした!」
ボートの底に頭が着く程深く深く頭を下げた雫に、纏めて正体を明かされた面々は訳が解らぬままも一様に雫に倣って頭を下げた。


・12時30分〜:昼食(園外にて予約済)
 上野でも老舗の鰻屋、文豪も度々に足を向けたと有名な店、縦に割った竹筒を容器に鰻の蒲焼きとコシヒカリを詰めた筏弁当が、本日の昼食として全員に配給された。
 どっきりに近い展開にも関わらず、伊藤は面々の行動を当然とし、お詫びと称して奢ってくれたものである……年齢が人間に重ねる度量以前、元よりの懐の広さを感じさせる。
 広場で思い思いの場所に弁当を広げる一行は、遠足状態に老舗の味を堪能していた。
「ジョナジョナ、美味しい〜ッ♪」
ご機嫌な千里がぱくぱくと箸を進める横で、雫の食は細い。
「どうした雫、食わんとでっかくなれんぞ」
気遣いながらお茶を差し出す郷は既に完食済みである。
「でっかく……なりたくない」
鰻を突きながらの雫の言は、いつになくテンションが低い。
「うん、まぁこんな現実を突きつけられたらなぁ」
しみじみと同意する隆之介の手には、先に伊藤が雫に示した複数の写真。
 時を追って並べられたその写真は……雫と同じ顔をした静の、少女から女へと女から妻へ、母への移り変わりを示す。
 それに応じてむくむくと、元のスマートさから信じがたく、横にでっかく育っていく克明すぎる記録と言えた。
「……共に英国に渡ったのはいいのですが。向こうの水が余程身に合ったらしくて」
推測を口にする、伊藤の視線も何処か遠い。
 一番最近と思しき写真は子孫に囲まれて、でっぷり、という表現しか見当たらない静さんがそれでも往時の優雅さを漂わせて微笑んでいる。
「時の流れって……」
残酷ね、とは、生涯を共にして来た静の伴侶の前で最後まで口にする事が厭われ、常ならば歯切れの良いシュラインも流石に語尾を沈黙に濁した。
「まぁ雫ちゃんがでっかくなる保証はないんだし、いいじゃない。愛しい妻の最も美しかった頃を思い出したいって老人のささやかな夢には貢献した訳なんだから」
それに反して配慮って美味しい? とばかりにずんばらり、と桜夜は真実を突きつつ、隼の弁当から蒲焼きを一枚奪い取る。
「おま、それ……ッ!」
香ばしいタレのかかったご飯ばかりを残されて、隼が止めようとするも時既に遅く蒲焼きは桜夜の口中に消えていた。
「でも純愛と言えなくないわよね!」
握り拳に力説するのは咲、純愛説を捨て難く主張して伊藤の側に付いている。
「思い人の美しさを心に秘めながらも、今の奥さんも愛している! ある意味情熱的よね!」
「……今の奥さんも」
何やらそれに思う所があってか、璃音がお茶を口に運ぶ動きを止めて、隆之介に視線を注ぐ。
「そうですね……」
そして伊藤も缶のお茶を飲み干してほう、と息を吐いた。
「昔の写真を見つけた時、写真家になりたかった当時の自分を慰めるつもりで投稿してしまったのですが」
戦後の混乱が冷めぬ中、英国に渡った伊藤は夢を諦めて、旅行代理店に勤めたのだという……詳細な予定表は単なる職業病であった。
「あの頃の妻も確かに愛しいですが、人生を共に歩んできた彼女こそをやはり愛しているのだと、雫さんにお会いして再認識した次第です」
浅慮な誘いに皆様にもご迷惑をおかけしました、と伊藤に再び頭を下げられれば、こちらも何やら謝らずにおられず、傍目、米つきバッタが大量出現する。
「問題が解決したなら、私は帰る」
そんな中、黙々と弁当を平らげていたクミノが腰を上げた。
「あー!」
同時、不意に桜夜が声を上げるに、ぎょっと衆目が集まる。
「パンダ! パンダ見てかないと! 此処待て来てパンダ見ずに帰ったらお山の西郷さんに申し訳が立たないわ!」
あの銅像と一体どんな因縁が、と思いながらも口には出せず、桜夜に引き立てられるまま、残ったご飯を包み直す隼。
「折角だ、伊藤さんもどうです、パンダ」
郷の誘いに穏やかに応じる伊藤、ならばと千里が一人、本に目を落としていた流の肩を叩いて現世に引き戻す。
「よーし、午後はミンナでパンダ見学ーッ☆」
半ば自棄と言った様子で……多分、Sizuの行末を忘れ去ろうと務めて明るく拳を突き上げる雫の号令は、脱落者を一人とて許さぬ勢いで午後の予定を埋めた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0543/少女遊・郷/男性/29歳/刀鍛冶】
【0904/久喜坂・咲/女性/18歳/女子高生陰陽師】
【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0165/月見里・千里/女性/16歳/女子高校生】
【1166/ササキビ・クミノ/女性/13歳/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。】
【0365/大上・隆之介/男性/300歳/大学生】
【0074/風見・璃音/女性/150歳/フリーター】
【0444/朧月・桜夜/女性/16歳/陰陽師】
【0072/瀬水月・隼/男性/15歳/高校生】
【4289/瀧津瀬・流/男性/999歳/古書店店主】

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■         ライター通信          ■
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お久しぶりです、いつもお世話になっております、闇に蠢く駄文書き、北斗玻璃に御座います。またしてもお待たせする事になってしまい、申し訳ありません。
あまりにも久方ぶりの依頼に、勝手が掴めず徒然なるまますごい量になっております……読破お疲れ様で御座います。
北斗認識では、相変わらず皆のお母さんなシュラインさん、と言う事で兄弟設定に組み込まれながらさり気なく世話焼きな面を出しつつ動いて頂きました。因みに消毒液を入れたアトマイザーは実際北斗の鞄の中で活躍している手段で御座います。有事の際には是非ご参考下さい(どんな有事さ)。
ご参加本当にありがとうございました。またの機会を得ましたら是非お付き合い頂きたいと心より願う所存で御座います。
それではまた、時が遇う事を祈りつつ。