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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


忠犬ドロップ

ゴーストネットOFFの掲示板にこんな書き込みがあった。

タイトル:助けてくだたい  投稿者:ドロップ

僕は九歳のラブラドールです。
目の見えないご主人たまの盲導犬をしています。
だけど、このごろ、僕の目もあんまり見えなくなってきているみたいなんです。
この間も、ご主人たまが転びそうになってしまいました。
このままではご主人たまがケガをしてしまうかもしれません。
お願いです、目の見えるようになる薬を探してくだたい。

書き込みと一緒に公開されていた写真には、真っ黒なラブラドールリトリーバーが写っていた。

  動物は人間ほど長くは生きられない。犬などは十歳に近くなるとほとんど目が見えず、耳もよく聞こえない。ドロップが喋るとき「さ」が「た」になってしまうのも、意識してそのようにしているわけではなく、嗅覚のめっきり弱くなった鼻が詰まっていてそのように自分で聞こえてしまうせいなのだった。
「今日から三日間、ご主人たまは検査入院なのです」
という掲示板からの連絡を受けて、ドロップが仕事を休める期間を選び三人は小さなアパートを訪ねた。
「よろしくお願いしまつ」
元々は黒い毛にうっすら白いものの混じった頭を下げるドロップの代わりに声を発しているのはパソコンにつながれたスピーカー。視覚障害をもつ人のための特別なソフトが入っているそれは、ワープロの文章を音に変換することができるのだ。
「ドロップさん、パソコンが使えるんですね」
「ご主人たまをいつも見てるからでつ」
中藤美猫の質問に答えるため、ドロップはゆっくりと口にくわえたペンで一文字ずつキーボードを叩く。マウスを動かすのは鼻先で、随分慣れていた。
 ドロップの仕草を見ていた初瀬日和は、ふと自分の飼っている犬のことを思い浮かべた。バドがドロップのようにキーボードで自分の考えていることを教えてくれればきっと楽しいだろう。
「おい、そんなに顔を近づけるなよ」
ドロップの目は片方がきれいなチョコレート色をしていたが、もう片方は水飴が溶けたように濁っていた。羽角悠宇はドロップの首を抱え込み、熱心にその目を診断している。
「飼い主の入院してる間にお前も病院に行ったほうがいいんじゃねえのか?なんなら俺、連れてってやってもいいぞ」
「悠宇くん」
その目は病気ではなく、老いのせいだと知っている日和は悠宇にどう説明しようか言葉を選びあぐねていた。
「日和、どこかいい動物病院知ってるか?お前犬飼ってるだろ」
「・・・・・・」
「病院だったらさ、いい薬だってあるだろ。そうすりゃこいつの目も」
「ドロップさんが欲しがってるのは、ドロップさんのお薬じゃ、ないです」
真剣にドロップの目が治るものと信じている悠宇。そんな悠宇を間違っているとは誰も言葉に出せない。それでも美猫はドロップの気持ちがわかるから、ドロップの気持ちも悠宇に負けず劣らず真剣だったから代弁をしたのだった。
「ドロップさんはご主人さまの目がよくなる薬を、探しているんです」
「は・・・・・・?」
反問した悠宇の口が開いたままになり、日和の大きな目はさらにも見開かれた。
「美猫、お家からお薬持ってきたんです。お婆ちゃんもときどき目が見えないって言ってたから、おばあちゃんのお薬。効くかどうか、わからないんですけど」
病院の紙袋をぎゅっと握りしめる美猫、ドロップはパソコンデスクの上から一通の封筒を選んで中の紙を引っ張り出す。
「ご主人たまが病院からもらったお手紙です。そのおくつり、ご主人たまの目に効きまつか」
診断書らしき手紙勝手に見るのはよくないこととわかっていたが、ドロップの問いに答えるため目を通さなければならなかった。人の秘密を探る役目は、悠宇が一人で引き受けた。
「・・・今回、お前の主人が入院したのは角膜の検査のためだな。八年前に自動車事故で角膜を損傷、失明と・・・」
恐らく自動車のフロントガラスかなにかが両目に飛び込んできたのだろう。放射状にガラスが割れたのと同時に、主人の視界も砕けてしまった。
 病気や加齢によるゆっくりとした失明ならば美猫の持ってきた薬は一時的にではあるが進行を留めるのに役立っただろう。しかし一瞬の失明には、手の施しようがなかった。
 黙り込んだ三人を見たドロップは、主人の目の状態を教えられなくとも理解した。一瞬悲しげに鼻を鳴らしかけたが、盲導犬の大人しさからか感情を逆立てることはなかった。
「よくなりませんか」
誰も返事はできなかった。今どんなことを言っても、励ましにはならなかった。

「落ち込むな、まだなにか方法はあるはずだ」
沈黙の重さに耐え切れず、悠宇は立ち上がった。小さな部屋だったので体がパソコンデスクにぶつかり、他の手紙がばらばらとこぼれ落ちる。
「あ」
拾い集めたのは美猫。手紙は請求書がほとんどだったが、さっきの病院の封筒も何通か混じっていた。
「ご主人さまがよくならなくたって、お前がまた見えるようになればいいんだろ。だったら俺が探してきてやるよ、目の見えるようになる薬」
「悠宇くん、どこへ行くの?」
「蓮さんの店だ」
あそこで手に入らないものはなにもない。悠宇は子供が親へ絶対の信頼を寄せるように店の主、碧摩蓮を信じて部屋を飛び出していった。引き止めることも、追いかけることもきっかけを逃して日和と美猫は取り残される。
 日和は、鞄の中から携帯電話と財布を取り出した。財布の中には名刺が入っていた。生成り色のそれに書かれた電話番号を、ゆっくり携帯電話へ打ち込んでいく。打ち終わったら番号を一度確かめ、通話ボタンを押す。
「・・・あ、もしもし。以前お電話した初瀬といいますが・・・」
いつかかけてみようと思っていた番号。しかし、これほどいきなりにかけようとは思いもしなかった。ボランティアでパピーウォーカーをやっている女性は、もどかしいほどにゆっくりとした日和の話を辛抱強く聞きつづけ、優しい声で答えを返してくれた。
「はい・・・はい・・・・・・」
見えない相手に向かって頷きながら、時折視線がドロップへ注がれる。瞼を閉じるとどこに目があるかわからないほど黒い犬のはずが、眉のあたりに白い毛が浮かんでおりそれがしきりに震えている。
「それから・・・」
以前から聞いてみたかったことに加えて、もう一つの質問も投げる。
「えっと・・・ちょっと待ってくれるかしら?確か資料があったはず・・・」
「はい」
電話の向こうで紙の束をかきわける音が聞こえる。さらにその向こうから仔犬が鼻を鳴らすなんともいえない甘い声も。かつてはバドもドロップもこんな声を出していたのだ。
「ああ、あったわ」
向こうの声で日和は意識を引き戻される。そして再び、はいと頷きとを繰り返す。すべてを効き終え、ありがとうございましたと電話を切ったところで悠宇がアパートに戻ってきた。


「・・・悠宇くん。私、パピーウォーカーの人に電話して聞いてみたの」
悠宇の首が項垂れていた。それだけで結果を悟った日和は敢えて薬には触れず、まず自分の為したことを報告した。
「盲導犬の数って、まだ全然足りてないんですって。訓練学校には盲導犬を希望する人たちのリストが溜まっていて・・・新しいパートナーに会えるまでは随分時間がかかるって教えてもらったわ」
「新しいパートナー、か。それじゃあドロップはどうなるんだ?」
「お仕事を終えた犬もボランティアで引き取ってもらえるらしいの」
「でもそれは、ドロップと主人が一緒にいられる方法じゃない」
それなら蓮さんの薬のほうがいくらかましだと悠宇は呟いた。え、と日和、そして美猫が顔を見合わせる。
 意外だった。薬がなかったから、悠宇は落ち込んでいたのだと信じていたのに。薬があるのなら、早くドロップに与えて・・・。
「蓮さんに言われた。薬を飲めば目は見えるようになる。代わりに三日で死ぬって」
「・・・」
言葉が喉に詰まった。
 やはり奇跡を起こす薬は存在しないのだ。不自然を回復させようとすれば他の部分に無理が生じる。その歪みに、肉体は三日しか耐え切れない。しかし己の全身を投じて主人に尽くす忠義な犬は、地獄へ続くその茨道を選んでしまう。
「悠宇たん。薬、くだたい」
「ドロップさん、いけません」
「僕はいいのでつ。ご主人たまのお役にたちたいのでつ」
さあ行きましょうとばかりにドロップは悠宇のシャツを噛んで引っ張る。意外に強い大型犬の力に足をもつれさせる。力というか、思いの強さに負けてしまいそうだった。
「ドロップさん」
今まで黙っていた美猫がしゃがみこみ、ドロップの鼻面をそっと撫でる。
「三日間、ご主人さまが帰ってくるまで待ってください」
「・・・?」
「ご主人さまが帰ってきても今と同じ気持ちなら、私たちもう一度来ますから」
 帰り道、日和は美猫に訊ねずにはいられなかった。
「美猫ちゃん、どうしてあんなこと」
すると美猫はドロップの部屋を見上げ小さな声で言った。
「奇跡は起こらないかもしれないけど神様はきっといるって、美猫は信じています」
「神様?」
それ以上美猫はなにも語ろうとはしなかった。彼女が一体なにを信じているのか、悠宇にも日和にもわからなかった。

 そのまま三日が経った。休日の朝から悠宇はぶらりと日和の家を訪れ、
「バドの散歩に行こうぜ」
と日和を誘った。断る理由は日和にない。二人で家を出て、相談したわけでもないのに足が同じほうへ向いた。ちょうど同じ頃、美猫も自宅からドロップのアパートのほうへと歩いていた。
 バドが二人を引っ張るような形で歩いていく。駆け出したくてたまらないのを悠宇に引っ張り戻されながら、それでも足が踊っている。そんな二人と一匹を見つけた美猫が後ろから追いついてきて
「こんにちは」
と小さな声で恥かしそうに挨拶をした。
「こんにちは」
「確か今日だったよな。一体なにがあるんだ?」
「あの・・・期待の通りならいいんですけど」
だからなんの期待なのか、それを悠宇は聞きたかった。しかし美猫は願いごとは声に出すと叶わないものだと信じていたから、あくまで口をつぐんでいる。沈黙が三人を包みかけたそのとき、バドが嬉しそうに吠えた。
「バド?」
なにを喜んでいるのかと道の向こうを見たら、ハーネスをつけたドロップと主人らしいサングラスをかけた男が歩いていた。静かにしなさいと抑えてもバドははしゃぐのをやめずドロップにじゃれかかった。
「すいません、うちの犬が」
「いいんですよ」
バドのおかげで、期せずして主人に話しかけるきっかけができる。
「あの・・・この子、何歳ですか?」
「ドロップのことですか?もう九歳になります。すっかり年寄りで」
ドロップをからかうような口調であったが男の顔は優しかった。それになにかいいことでもあったのかなんとなく頬が緩んでいる。
「大切な相棒です」
「そんなに年寄りで、盲導犬として役に立つのか?」
「そうですね・・・」
男は、悠宇の質問に言葉を濁した。だが笑うのはやめない。
「実はもう、こいつは盲導犬を引退するんですよ」
引退という言葉に、悠宇と日和は息を飲んだ。だが美猫は対照的に目を輝かせた。どうやら美猫の信じていた奇跡というものが男の言葉に、ドロップの引退に関わっているらしい。
「あ・・・新しいパートナーが来るんですか?」
「いえ」
親に自分の結婚相手を紹介するときのように、男は照れていた。
「実は俺の目・・・角膜移植ができることになったんです。片目だけですけど、なんとか見えるようになるだろうって。手術で目が見えるようになったら、今度は俺がこいつの面倒を見てやるんですよ」
三日間の入院は、そのための適応検査をしていたのだ。アパートで病院からの手紙を見つけてそのことを知った美猫は、一人胸の内で検査がうまくいくことを祈っていた。
「こいつはずっと、俺の相棒なんです」
ドロップは嬉しそうに尻尾を振っていた。主人に尽くすのが犬の本願であるが、こうして主人から愛情が戻ってこなければ身を捧げることはできない。
「よかったわね、ドロップ」
自分とバドもこれくらいの強い絆で結ばれているだろうかと思いながら、日和はドロップの頭を撫でる。すると、見透かしているよと言わんばかりにバドが日和の頬をなめた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

2449/ 中藤美猫/女性/7歳/小学生・半妖
3524/ 初瀬日和/女性/16歳/高校生
3525/ 羽角悠宇/男性/16歳/高校生

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■         ライター通信          ■
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明神公平と申します。
動物の話を書くのは大好きなのですが、その一途さに
ときどき自分自身で辛くなることもあったりします。
最後には幸せになれる話を、いつも書きたいとは
思っているのですが。
いつか日和さまと飼い犬の話を書いてみたいと思っていたので
今回の終わりは楽しく書かせていただきました。
お二人も、よい相棒同士でいてください。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。