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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


【ロスト・キングダム】山人ノ巻


  国内の山村にして遠野より更に物深き所には
  又無数の山神山人の伝説あるべし
  願はくば之を語りて平地人を戦慄せしめよ
  ――柳田國男「遠野物語」


 碇麗香は、各方面からの報告に、渋い顔をしながらコーヒーを啜っていた。
 失踪事件については、予想通り、風羅族の集結を意味しているようだ。調査員たちの活躍で、一部、山へ帰ることを思いとどまったものがいたという。
 逮捕されていたらしい八島真も釈放されたと聞く。
 それはいい。問題は、例の『ヤシマ・ノート』である。あれに記されていたことをどう考えるか――。
「あのぅ、編集長、お客さんなんですけど」
 三下が、眉間に皺を寄せている麗香のもとにやってきた。
「誰?」
「そ、それが……」
 顔を上げると、三下の肩ごしに、ひとりの老人の姿が目に入った。どこかで見た顔だ。
「はじめまして、ですな」
 カツン、とステッキをついて、老人は言った。
「私、大河原正路です」
「お……、大河原博士!?」
 がたん、と、思わず腰を浮かせた拍子に、マグカップがひっくりかえった。机の上の書類がコーヒーに染まる。机上の惨事は無視して、麗香は叫んだ。その背後で、ぴしゃん!と音を立てて、障子が閉まった。
「え……?」
 編集部のあちこちから、あがる悲鳴。
 床から木の柱が生え、畳があらわれ、襖が重なり……。あたかも、編集部のある場所に、無理矢理、新しい建物があらわれ、とってかわろうとしているようだった。麗香は、方向感覚を失う。床が傾いているようだ。いや、まるで天地が逆転したようにさえ感じる。そして、視界にあるものが、ダリの絵画のように歪んでいく。
「失礼しますよ」
 大河原正路と名乗った老博士の声が、いんいんと響いた。
「われらのために、場所を開けていただきたい」

 その日。
 池袋の街を歩いていた人々は、その光景に唖然としたことだろう。
 アトラス編集部を含む白王社ビルが……、まるで、丸太にキノコがはえるように、ビルの外壁からはえだした壁や石垣や柱や屋根瓦に覆われてしまったのだ。
 できあがったものは、奇妙にデッサンの歪んだ、屋敷のような、城のようなものだった。
 忽然と、池袋のビル街にあらわれたそれは、低い、唸り声をあげて、まるで生きているような脈動をはじめた。

  *

「いまだかつてない規模で出現した巨大な《マヨイガ》でしょう。白王社ビルを内部にとりこみ、現在は沈黙していますが、風羅族がいよいよ本格的に攻勢に転じたものかと」
「それで?」
 八島の眼差しは黒眼鏡の下であったが、声にはうろんな調子がこもっていた。
「きみはまだ『二係』に出向したままなの、弓成くん? もういい加減に――」
「自分にはまだ任務があります。まもなく正式な命令書が届くと思いますが、係長を補佐して作戦にあたれと」
「何の命令ですか。『二係』の係長は私です。『一係』が自分で動けばいい」
「不服があれば申し立てるのもよろしいでしょうが、相応の処分はご覚悟下さい。……本作戦は『ヤマト作戦』と呼称します。目的は――、風羅族の完全な殲滅です」

■幽冥談

「人間の、怨嗟とは……このように大きくなるもの……なのでしょうか……」
 交通が封鎖され、戒厳令下の静けさに覆われた池袋の空に、忽然と浮遊するのは、一体の日本人形――四宮灯火の姿である。
 人の強い想いを受けて、かりそめの命をもつものとなった灯火は、人のこころというものへの興味が尽きぬらしい。だがその、表情に乏しいおもてに、今、浮かんでいるのは困惑である。
 つい数時間前までは、白王社ビルがあったはずの場所に、奇怪な建造物がそびえている。
 屋敷というか城というか、日本の古い建築を、シュールレアリスムの手法で描けば……あるいはジグソーパズルのピースをぐしゃぐしゃにして無理矢理つなぎあわせてみれば、これが出来上がるだろうか。
 巨大マヨイガ。一転、攻勢にうってでた《風羅族》の要塞。
 そして、そのうちがわに、アトラス編集部をその部員ごと取り込んでしまっているはずの存在だった。
 灯火にしてみれば、それは人間の、怨みという土壌に育った悪意の大樹であった。
 ふと、灯火の青い瞳が街を見下ろす。
 誰も立ち入れぬはずの領域に、どうやって忍び込んだものか、ひとつの影が動き、まっすぐにそのマヨイガへと向かっているのだった。
「……」
 裾をからげて走る和装の男は、瀬崎耀司と見えた。
 次の瞬間、灯火の姿がかき消える。
 周囲は不気味なほど静かだ。
 それはまさしく、嵐の前の静けさであった――。

 ブラウン管を通して見ても、その異常さや迫力は伝わってくる。
 すべてのテレビが、通常の放送を中断して、池袋の変事を報道していた。もっとも現場にはさしもの報道陣も近付けないらしく、封鎖区域外から遠距離で撮影したマヨイガの様子が映し出されているだけだったが。
「持ち切りね」
「……いつも、アトラス関係の事件って、テレビに出てましたっけ?」
「今回は、IO2の報道管制も間に合わなかった、ということですか」
 草間興信所のテレビに見入っているのは、あるじの草間と零の他、事務員のシュライン・エマ、そして、ソファに集まったセレスティ・カーニンガムとモーリス・ラジアル、マリオン・バーガンディらおなじみリンスター財閥の面々である。部屋のすみにはひっそりと、亜矢坂9・すばるの姿もあった。
「それにしても、この『ヤシマ・ノート』……」
 マリオンが、テキストデータにしてバラまかれた『ヤシマ・ノート』を打ち出した紙の束をめくる。
「驚くには値しない」
 そう評価したのはすばるだ。
「これが人の世の常というものだ。……さて」
「行くのですか?」
 すばるの様子にそう問えば、
「アトラスを狙ったのは陽動の可能性がある。といって、現状、あそこに風羅の大部分がいることも間違いがない」
 と、いつもの淡々とした調子で返される。
 にべもなく、すばるは興信所のドアから出ていった。
「……たしかに、なぜアトラスにマヨイガを出現させたのか、という疑問はあります」
 モーリスが顎をなでた。
「かれらの敵は、このヤシマ・ノートの内容からあきらかになったように宮内庁『一係』です。……さすがに皇居を直接狙うことは不可能だったのでしょうか。それにしても、池袋では攻撃拠点にするにもおかしいですね」
「そもそも」
 セレスティが口を開いた。
「『一係』はなぜ風羅族の虐殺などを? それが新たな謎です。そして……」
「アンナ・アドラー」
 シュラインが言葉を引き継ぐ。
「『歩く死体』が風羅の術でないのなら、アンナという女性の差し金と見ていいと思うわ。思えば村雲くんに届けられた記事は、『ヤシマ・ノート』の内容をほのめかすものだったのよね。……彼女が、いろいろと画策しているのは間違いないと思う」
「そう。あのひとが、八島さんのお兄さんになにかを教えていました」
 マリオンが、《過去》で見た光景を思い出す。
「たぶんだけど……八島信吾さんはそのときまで『一係』の、風羅族への所業を知らなかったんじゃないかしら。それをアンナが囁いたのだとしたら」
「ますます黒幕めいていますね。私は『一係』そのものの成り立ちについても興味があります。まずはそこから調べてみようかと。マリオンは引き続き、『ヤシマ・ノート』と『大河原文書』の内容を吟味してくれますか。モーリスは――」
「よければ私からお願いが。風羅の通信網に介入して、あのマヨイガと連絡がとれないかしら」
「お手伝いしましょう」
 興信所の面々は動き始めた。
 テレビの中では、アナウンサーが、突如出現した謎の建造物について、甲高い声で報道を続けていた。

「八島さんが釈放されてよかったわぁ〜……なんて、喜んでいい段階じゃまだないみたいね」
 黒澤早百合がため息をついた。
 宮内庁地下300メートル、『二係』の事務室は、重苦しい沈黙に包まれている。
 いや、実際にはいろいろと騒がしい。
 『二係』の、黒服・黒眼鏡の職員たちは、てんやわんやの大騒ぎをしているのだ。
 いつもの黒スーツは、黒い迷彩の戦闘服に変わっていた。係長補佐の榊原も、あきらかにサイズの合っていない戦闘服を着て(前ボタンがはちきれる寸前である)、そして、ダンボール箱から取り出した重火器をメンバーに配っている。
「おれ、肥ったなあ。この戦闘服って入庁したとき配給されてから袖通したことないし」
「係長補佐よりはマシだと思わないと……」
「ちょ、誰か、ライフルの組み立て方知らね? やり方忘却の彼方」
「マニュアルあるんじゃないの?」
 ……かれらの様子は、まるっきり、無理矢理戦争に借り出された非戦闘員そのものである。
 そんな様子を背景に、応接スペースには、一様に渋い表情のものたちがいた。
 黒澤早百合をはじめ、羅火と裏社の兄弟、そして光月羽澄と時永貴由である。
「気にくわん」
 羅火は言った。
「やりあえるのは歓迎じゃが、ぬしの兵隊になるのは胸くそ悪い」
 直球で言い捨てて、弓成を睨む。
 白い詰襟の青年は臆した様子もなく、
「これは『二係』があたる作戦ですので、指揮は八島係長に執っていただきます」
 と答えた。
「このひとたちに戦争やらせようなんて本気じゃないでしょう? まだウチの女の子たちのほうが百倍マシよ」
 汗だくになっている榊原を見遣りながら、早百合が言った言葉は的を射たものだろう。
「それでも、われわれは日本国と皇室を守ることが使命ですので」
「守るだって。隠蔽したいだけじゃないか」
 内心の義憤を隠そうともせず、貴由が言った。弓成は、今度は珍しく、それなりの感情をあらわした様子で、貴由と羽澄に険しい目を向ける。何も言いはしなかったが、本当なら出入り禁止にしてもいいくらいなのだ、と言わんばかりだ。
「とにかくわしは降りる」
 羅火が立ち上がった。二階堂裏社も、それに続く。
「すいません。俺もちょっと……。“こういうトラブル”にはかかわらないようにしてるんですよ。これってもう、この世界の主導権争いでしょう? 俺みたいな“通りすがり”がそれにかかわってバランス崩してしまうとまずいと思うんですよね……。なので、失礼します」
 兄弟竜たちは、そう言い残して去ってゆき、応接のソファーには女たちだけが残った。
「無理にとは言いませんよ」
 青ざめた顔で、ずっと黙っていた八島が、やはり黙ったままの羽澄のほうを向いて言った。
「八島さんはどう考えているの」
 ぽつり、と呟くように、羽澄は口を開いた。
「『ヤシマ・ノート』は八島さんのお兄さんが遺したんでしょう」
「……私は公務員なんですよ」
 八島の口から出た答に、羽澄は一瞬、鋭く息を吸った。だが言いかけた言葉が出ることはなかった。黒眼鏡を通してさえ、彼の表情をうかがい知ったからだ。
「正式な命令が出ています」
「そう」
 深い、息を吐いた。
「出発時刻は一五〇〇(ヒトゴーマルマル)です。係長、用意をお願いします」
 弓成に促され、『二係』のふたりが席を立つ。
 早百合もその後を追った。
 貴由は行きかけて……まだ座っている友人を振り返った。
「羽澄」
 その声は、優しかった。
「私たちも行こうよ。マヨイガへ。……そこに、どんな絶望が待っていても、やっぱり行くべきだと思う」
 緑の瞳に、うっすらと微笑が浮かぶ。
「わかってる。……高峰さんが言ったことを考えていたの。風羅は『滅びゆく種族』だって。でもせめて、命は残したい。そんなことを……」
 そして笑った。どこか自嘲めいた笑みだった。
 しかし、光月羽澄という少女は、このときまで何も動いていないわけではなかった。すでに、彼女の仕掛けた種は、動き始めてもいたのである。

 そこは、座敷牢であった。
 編集部のフロアは、なぜか畳敷きになっていて、部員と、机やコピー機が雑然とその上に投げ出されている。
 出口はどこにもなく、太い木枠が麗香たちの行手を阻んでいた。その向こうにはただ、深い、闇。ここに閉じ込められてどのくらいが経っただろう。
 不思議と空腹は感じない。
 三下をはじめ、編集部員はぐったりと、畳の上に坐り込んでいる。麗香ひとりが、鋭い目の輝きを失わずに、あれこれ方策をめぐらせているのだった。
 ――そこへ、突然、飛び込んできたものがある。
「ひゃあああ」
 三下がひときわ高い悲鳴をあげた。
 それは、壁を突き破ってきたらしい。さっと、陽光と外気が、穴から差し込む。それでは、意外とこの壁は薄いのだろうか。
『アトラス編集部諸君』
「その声……クミノさんね!」
『編集長、ご機嫌いかが』
 ササキビクミノのものらしい声は言った。飛び込んできたのは、ミサイルのようななにかだが、それが何なのか、どうやってかれらのいる場所に撃ちこむことができたのか、なぜクミノが声を伝えられるのか、考えても答は得られそうになかった。
「まあまあね。居心地は悪くないわ」
『風羅の誰かに会ったか』
「いいえ。誰も来ないわ。特に動きもないの」
『そうか。……言うまでもないが、編集長はとにかく部員を守れ』
「ええ」
『三下は』
「は、はい!」
『全力でへたれてろ』
「そ、そんなぁ!?」
『ほどなく、外からは――』
 クミノの声に雑音がかぶり、聴こえなくなった。
 見れば、それが開けた穴が徐々に元に戻って閉じてゆく。それに呼応して、通信が遮断されたようだ。そして、最初からそういう仕組みだったのか、役目を終えた機会は小さな爆発を起こして粉々になった。
「へ、へんしゅうちょぉお〜」
「……全力でへたれてろ、ね」
 くすくすと、麗香は笑った。

「ふん」
 クミノは鼻を鳴らして、肩に担いでいた砲を、ごとり、と、アスファルトの上に置く。
 近付いてくる足音に振り向けば、桐藤隼と、三雲冴波だった。
「おう、どうやってここまで来たんだよ。蟻の入る隙もない包囲陣だったぜ」
 と隼。
「桐藤さんが、警視庁のコネで、機動隊の人たちをうまくごかましてくれたの」
 冴波が、その包囲陣の中を、ここまでたどりつけた理由を説明した。
「それは正攻法その2ね」
 自分はどうしたのかは言わずに、クミノは答えた。
「その1は?」
「腕ずくで突破」
「あー……」
「それはそうと行くつもり?」
 クミノの問いにふたりは頷く。
 見上げた先には、異様な建築のキメラのごとき巨大マヨイガがある。
「いよいよ大詰めだな……。やつらもここまで来たら後には退けない。ったくよぉ」
 面白くもなさそうに、隼は吐き捨てた。
「そんなに国なんざ欲しいもんかね」
「同感ね。山では、かれらにはかれらの暮らしがあったはずなのに」
 そして歩き出すふたりを、クミノは見送る。
「来ないの?」
「すこし別のことをやってみる」
 言い置いて歩き出した少女と別れ、冴波と隼は、マヨイガに近付いていった。

 かれらより先に、そこにたどりついていたものがいる。
 瀬崎耀司である。
 気がつくと、そのかたわらに、いつのまにか四宮灯火がいたが、ちらりと一瞥をくれただけで気にとめたふうでもなく、彼はまっすぐにマヨイガへ向かっていた。
 大きな門が見えてきた。あれが入口だろうか。
 ギ、ギ、ギ、ギ、ギ――
 重々しい音とともに、それは開き、ぽっかり開いた深淵のような闇に充ちた内部を見せる。
 そして、彼を待っていたとでもいうように、耀司を迎え入れるのだった。

■風位考

「この柱や襖は、いったいどこの……?」
「さてね。これもまた、遠い時の果てからやってきたのかもしれない」
 小首を傾げる灯火に、耀司が言った。
 マヨイガの中は、ひっそりと静まり返っていた。
 そして、空気はひんやりとしている。
 板張りの廊下をふたりは歩く。しかし両側は、襖や障子かと思えば、石垣や土塀になっている部分もあり、道自体もうねうねとつづら折りになっていたり、ひたすら真直ぐだったりと一定しない。
(どうか――)
 灯火は、そっと柱にふれて、想いを送り込んだ。
(無用な諍いがおこりませぬように。どうぞ、お力をお貸し下さいませ)
 はっきりとしたいらえはないが、それは灯火の切なる願いだ。
「誰かいないか」
 耀司が声を張り上げた。いつまでも歩いていても埒が開かぬと思ったか。
「闘う意思はない。きみたちと話がしたい!」
 その声に応えるように――
 だん、と、襖が開いた。
 その向こうは無間の闇。そして、ぽつぽつと灯る蝋燭の炎。
「莫迦なひと」
 その中から、彼女が姿をあらわした。
「本当に来たのか」
「キョウ」
「ここは危ない」
「承知の上だ。……なぜこんな…………この方法が、風羅にとって最良のものだとは、僕には思えない」
「ヤゾウ様方が決めたこと」
「なら、ヤゾウサマとやらに会わせてくれ!」
 梟(キョウ)なる少女は、目を見張った。
 あまりに直入な物言いに、絶句したらしい。
 灯火は、黙ってなりゆきを見守っている。つと、その青い瞳が闇の中を見透かす。じっと息をひそめているなにものかが、暗がりには多数いるようだった。ツチグモだろうか。
「いいでしょう」
 梟のうしろから、ぬうっと、僧形の男があらわれた。
「ヤゾウ様!」
「案内しましょう。瀬崎殿。……オオヤゾウ様がお会いになります」

 耀司に遅れてマヨイガの門に到着した冴波と隼の前では、門は固く閉ざされ、かれらの侵入を拒んでいた。
「インターホンはねぇみたいだな」
 隼がそんなことを言ったが、軽口にしても精彩を欠く。
「……」
 冴波は風に耳を傾けた。
 精霊たちに周囲をめぐらせてみたが、他に出入り口らしきものも見当たらない。
「強硬な真似はしたくないけど」
 冴波のおもてに逡巡の色が浮かんだ。
 と、そこへ――
「危険だ。そこをどいて」
 振り向けば、すばるがいる。
 手にしているものは、ショットガンのように見えるが……
「『マックスェルマスターキー』。『扉』と定義できるものの解放または封鎖を行う」
 というものらしい。ふたりが彼女の意図を問ういとまもなく、すばるはそれを発射した。銃撃そのものの音が弾ける。そして、被弾したところから、マヨイガの門に穴が――撃たれて壊れたというよりは、その部分が消滅したようにぽっかりと空白ができてゆく。
「……」
 これで通れる、といわんばかりの一瞥を残して、表情を変えずに歩き出すすばる。
 冴波が肩をすくめ、隼は頭を掻きながら、その後を追った。
 こうして、新たに3人の訪問者が、異形の建物の中に足を踏み入れる。
「お出迎えか」
 ざわざわと近付いてくる足音に、隼はその身を緊張させ、懐に手をやった。
 一応、ホルスターには拳銃があったが、冴波の風をあやつるわざや、すばるが駆使するスーパーアイテムに比べてどれほどの効果が期待できるものか……。
「争いに来たんじゃないわ」
 冴波が言った。
「それは俺としてもそうでありたいが」
「すばるさんも。わかってくれるでしょう?」
 少女からいらえはなかった。
「みんな聞いて!」
 ぶわり、と、冴波の髪が風にあおられた。
 ごう――、と、マヨイガの中を風が駆け抜ける。
 壁に灯されていた火が揺れて、行手より迫ってきていた黒服の一団の影が伸び上がった。かれらにも風が吹き付け、そしてその合間をぬって、風は複雑に入り組んだ通廊を奔って行った。
(みんな聞いて!)
 冴波の声が、その風に乗る。
(これは復讐なんでしょう?)
(かつて、宮内庁はあなたちを一方的に虐殺した)
(でも……)
(それに対して、今、復讐することに、みんな納得しているの?)
(これは本当に、あなたち全員の意思なの……!?)
 彼女の声は、空間に反響し、伝播していくのだった。

 その頃――
 池袋の封鎖区域内の静寂は、はげしい戦闘音に破られていた。
「下がって! 下がってください!」
 八島が声を張り上げ、戦闘服の『二係』職員たちがほうほうの呈で後退する。
「八島さん!」
 早百合が、八島の傍に走り込んできた。
 空気に溶ける硝煙の匂い。
 煙の向こうからあらわれるのは、いつもの『二係』めいた黒服たち。
 そして、ぎらりと光を反射した日本刀を手にした長身の男は……
「あら。誰かと思えばいつかのヤクザさんだわ」
 早百合の言葉に、鬼鮫は何も答えなかった。
「この地域はわれわれIO2が支配下に置き、調査を行います。すみやかに撤退してください。従わなければ実力を行使することになりますよ?」
 プロテクターを身につけた少女――《ヴィルトカッツェ》こと茂枝萌が告げる。
「聞いていない」
 八島より先に、弓成が進み出た。
「いかにIO2の超法規性を考慮しても、この事態では主権国の意向が優先される。われわれは正式な命令を受けて行動しているので、IO2のほうこそ、すみやかに退去すべきでしょう」
「かれらは」
 ヴィルトカッツェはマヨイガのほうを振仰いで言った。
「日本国からの独立を宣言しているそうですね。……いわば、ここは国際扮装地区です。すでに超国家的な影響も懸念されるので、われわれが介入するに充分かと。そして、宮内庁が関与した過去のある事件についても、おうかがいしたいことがあるので、その点でもわれわれの調査に協力いただく必要がありますね」
 ぴくり、と、弓成の頬が痙攣するように動いた。
「なぜだ」
 八島が低く呟く。
「民間のテレビ局の報道を許すほど後手に回っていたIO2がいつのまにそんな情報を……」
 八島の視界の端で、ちらりと動いたものがあった。
 それは、羽澄は振り返ったことで、その銀の髪が揺れたさまだったらしい。一瞬――、八島は、彼女がウィンクをよこすのを、見た。
「え――」
 もしも。
 IO2に情報を提供したものがいたのだとしたら――
 だがその思考は、弓成の声にかき消される。
「全軍突入」
「……む、無茶だ!」
「どのみちIO2相手に、『二係』が通常の戦術で太刀打ちするすべはありません。できることは――」
「『バンザイアタック』? あんたって人は」
 貴由が食ってかかるのも構わず、自身の刀を抜く弓成。
「弓成くんや、少数のものがここを突破したって、その人数でマヨイガに対抗できないのではまったく意味がないでしょう!?」
「ご心配なく」
 つめたい銀色の瞳で、弓成は言ってのけた。
「『一係』が出動するでしょうから」
「……! わ、私たちを……捨てゴマに……」
「もう一度言います。全軍突入!」
 刀を振り上げ、弓成大輔は走り出した。
 むろん、続くものなどありはしない。
 だが、IO2のほうから、かれらに向かってくる以上、その場にいるものはなんらかの対処をせざるを得なかった。
 響く金属音。
 それは、鬼鮫と弓成の刀が、はげしくぶつかりあった音だった。

 それに先立つこと一時間ほど前、都内某所において、セレスティ・カーニンガムと、ある人物との秘密の会見が行われていた。
 ある人物の名前を記すことはできないが、日本に暮らす人なら誰もが知る名前であろう。
 リンスター財閥たっての要請で、特別に実現した秘密の会談である。
 セレスティは質問をした。
「『一係』のなりたちについて教えてください」
「宮内庁秘密機関は平安朝の時代から連綿と続く、朝廷に使えた陰陽師たちの組織を前身としている。その役割は国家の霊的な安泰を保持することと、朝廷を守護することだ。したがって、霊的な武力も必要とした。しかしながら、その方面はずっと手薄だったのが、戦後、一度は解体された帝国陸軍の残党を受け入れることで強化がはかられた。旧来の陰陽師たちは『二係』の、軍人を中心とした一派が『一係』の礎をつくった」
「『風羅族』と、かれらのかかわりは?」
「『一係』の前身であった軍部は、戦間期からさかんに、日本民族の統制のための行動に腐心してきた。『風羅族』との戦いもその一環だ。宮内庁の一機関になったことで、かれらはいっそう、風羅への敵対心を強めたようだ」
「なぜなのでしょう」
「大儀を得たからだ。……『風羅族』は日本の先住民族。その存在を認めることは、万世一系の皇族に統治される日本帝国の基盤をゆるがすことになりかねない。ミカドが、『あとからやってきたもの』であってはならなかったのだ」
「しかし、『一係』が具体的に風羅族の虐殺を行ったのは90年代の話です。戦前ならともかく……、すでに日本は帝政ではなかったでしょう」
「……そう。ゆえに、『一係』の悲願は秘められたままだった。しかし、事情が変わった。《界鏡現象》だ。その大規模な発生が予見され、風羅族が異界に勢力を拡大するおそれがあった」
「それは……飛躍過ぎるような……」
「その可能性を示唆したものがいる」
「もしやそれは……アンナ・アドラーという女性では?」

■魂の行くえ

「そ、それで……?」
 マリオンが、好奇心に目を輝かせて、あるじに先を促す。
「アンナ・アドラーというのは大河原博士の助手であったときの偽名ですから、その女性かどうかははっきりとはわからないのですけど、要するに、一種の情報屋のような存在だったようです。さまざまな情報を右から左に流して、利益を得たり、情勢を操ったりしていたのではないかと」
「虚無の境界との関連は……?」
 シュラインが切り込んだ。
「今のところそれを裏付けるようなものはないですね。かれらだとしたらやり方が間接的過ぎる気もしますし……」
「そうね……」
「仮名アンナさんも、あのマヨイガにいるのでしょうか。今も大河原博士と行動をともにしているのかどうかで、目的が何なのか、わかるのではないのですか?」
「マリオン。……マヨイガに行きたくてしようがないのでしょう?」
 モーリスが鋭く指摘した。
「えっ。いや、べつにそういうわけでは」
「ヤシマ・ノートと、大河原文書の分析はどうなったんです?」
「セレスティさまが聞いてきて下さったお話と一致するのです。『一係』はかなり組織的に、風羅族への攻撃を行っていることが、八島さんのお兄さんの調べでわかっています」
「『一係』と大河原博士に接点はないのですか?」
「博士は、風羅について調べていくうちに、『一係』による弾圧のことを知って、風羅に肩入れするようになったらしいです」
「ちょっと待って」
 シュラインが思案顔で言った。
「『一係』が風羅の弾圧に乗り出したのは、もともとの背景はあるにせよ、界鏡現象発生による風羅の強化をアンナにほのめかされて焦ったからよね。でも、そのアンナは大河原博士に近付いて風羅について博士が調べるのを手伝い、その結果、博士は風羅族へと走った。しかも、博士は異界について八島さんのお兄さんと共同研究をしていて、そのお兄さんに『一係』の過去の所業をささやいて、彼にヤシマ・ノートを書かせたのもアンナだわ。つまり、情報を操作して、風羅族を一度弾圧させたあと、かれらに大河原博士と異界技術という助けを送り、今の衝突に至るお膳立てをしているのよ」
「死の商人――のようなものなのでしょうか」
 セレスティが不吉な言葉を唇に登らせた。
「戦争になれば、双方に互いの情報を売ることができますから」
「シュラインさん」
 そのとき、モーリスが、口を開いた。
「聞いて下さい」
 モーリスはセレスティたちの話を聞いたり、マリオンの話に口を挟んだりしながら、その、音響機材のようなものをいじっていたのだ。スピーカーから雑音まじりに流れてくる音は……
『鬼火のヤゾウより二の丸へ――』
「これ……!」
「ついにかれらの通信網を傍受することに成功しました。これが今、マヨイガ内で交わされている交信かと……」
『南西方面へ砲撃を開始せよ』
「え」
 聞こえて来た言葉に、モーリスとシュラインは顔を見合わせた。
 まだつけっぱなしのテレビの中で、池袋の街中に爆音とともに煙が上がるのが見てとれた。

「編集長〜」
 三下は、定期的に泣き言を漏らしている。
「僕たちどうなっちゃうんでしょうかぁ〜」
「……もし殺すつもりならとっくにそうされているわ」
 冷静に、麗香は応えた。
「そうかもしれませんけどぉ。……もう〜、冴波さんたちはどうしちゃったんですかぁ? ここへ来てるんでしょう!? それにクミノさんは!?」
「そうねえ」
 すこし前――
 三雲冴波の声がマヨイガ中に響き渡った。おそらく侵入しているものと思われたが、いまだ、麗香たちのもとには姿をあらわしていなかった。
「はやく誰か来てくださいよぉ」
「うるさいぞ。静かにせい」
「う、うわ!」
 低い声に振仰げば、羅火の金色の瞳が、三下をねめつけていた。
「あ、あなた!」
「揃っているか」
「え、ええ……編集部のフロアにいたものは」
「応接間は」
「えっ。ああ……今日は空室だったの」
「ふん」
 羅火のうしろには、裏社が控えていた。
「次元転移でお邪魔しました。無事みたいでよかったです。俺、この喧嘩に嘴挟むつもりはないですけど、編集部に手出ししたのは、内心、ちょっと頭きてたんで。兄貴もこう見えて心配して――あいたッ」
「余計なことをぐだぐだ喋るな。無事なら構わん。行くぞ」
「ええっ、助けてくれるんじゃ!?」
「知るか。他にも客人がいるらしいわい。わしらは女を探しに行く。はやくこい、しろ」
「あ、ちょっと待って。それじゃあ、すみませんけど、これで」
 どたどたと走り去るふたり。
「でも兄貴、その女を見つけてどうするの」
「知らん」
「……知らんって……」
「独逸から来たとかいう話であったな。まさかとは思うが、やり口が、チョビ髭のチビの一派を思わせる」
「チョビ髭? なんのこと?」
 たん、と、音を立てて、傍の襖が開いた。
 その向こうは、ただの、闇。
 蝋燭が立った台がひとつ、しつらえられていたが、にもかかわらず、闇が深いのだ。
 ゆらり、と火が手招きするように揺れた。
「ほう。来いというか」
 不敵な笑みをたたえ、羅火はそこへと踏み込んでいった。
 やれやれ、と息をついて、裏社が兄の背中を追う。
 そのとき、低い轟音と、地響きが、遠くから伝わってきていた。

「なに!?」
 ヴィルトカッツェがすんでのところで退いた場所で、爆発が起こった。
 にわかに乱戦状態――というか、IO2の攻撃に『二係』が逃げ惑う修羅場――になった地域に、次々と砲撃が加えられている。
 IO2の人間が、自身の防御のためにはりめぐらせていた霊的障壁や結界のパワーによって、大半の攻撃は退けられ、結果として『二係』の面々も被害は免れているか、これはいよいよ撤退せざるを得ない状況だ。
「こ、これは」
 八島は、砲撃のもとは他ならぬマヨイガであることを知る。
 その壁面から、デタラメに生え出した大砲から、轟音とともに砲撃が行われているのだ。
「これじゃとても近付けない。っていうか、どう考えても最初から無理過ぎだ。弓成くん! 『一係』が来るならはやく呼んで! 壊滅してしまう!」
 しかし、いらえはなかった。それどころか、どこに誰がいるのかもさだかではない。
 と――、八島は、自分の身体がふっと軽くなる感覚をおぼえた。
「え!?」
 誰かが、彼を抱えて走っている。
 それなりの体重がある成人男性の八島を抱えてなお、風のように駆けるその存在は、いくら凝視しても、その容貌が杳として知れない。
「心配しないで。これ、《刹那》です。私の式神」
 いつのまにか、貴由が並走していた。
「あ、あの……、お気持ちは嬉しいのですが、走るくらいなら自分でも……」
「でもそれじゃ命令違反になっちゃうでしょ? 無理矢理、『拉致された』のなら、八島さんに非はないですから」
 貴由は言った。
「行きましょう。お兄さんがやり残したこと……やりたくないですか……?」
「そ、それは――」
「こっちへ! はやく!」
 前方から羽澄の声が聞こえた。貴由と八島(を抱えた《刹那》)がそちらへと駆け抜けようとした、そのとき。
 高らかなクラクションが響く。目にしみるような真っ赤なオープンカーがつっこんできた。急ブレーキをかけて停まった運転席にいたのは――
「乗ってくかい?」
「河南教授!?」
「さあ、どうぞ。レディはどちらか僕の助手席へ。八島クンはトランクでいいかな?」
「教授」
 羽澄が問いただすように言った。
「あなたも終焉を見届けに?」
「終焉……そう……、そうだね。残念ながらここにあるのは終焉だ。前に言ったかな。ボクは永遠を探している。風羅もまた、永遠には手が届かなかった。大河原博士が生涯を賭して護ろうとしているのは、永遠ではないかと思ったのだけれど」
「お取り込み中だけど、行くなら行くではやくしないと、どんどん危険になる」
 貴由に促され、河南は笑った。
「ごもっとも。さあ、行こう。すべての終わりと――始まりを見届けに!」
 そして、真っ赤な車は、まっしぐらに、マヨイガへと走り出した。
 前方には、巨大なあぎとのような、入口が開いている。

■山の人生

 弓成大輔が、はっと気がついたときには、そこは見知らぬ場所であった。
 みたところ、どこかのオフィスのようだ。自分は皮のソファーに寝かされていたらしいが……。
「……!」
 すぐさま激痛に襲われて、低い呻き声をあげる。
『池袋周辺では、ひきつづき、爆発音が響いており、依然として謎の建造物を中心に、戦闘行為が行われているものと見られています。それでは現場から――』
 ボリュームを落したテレビの音が、どこかから聴こえて来ていた。
「あ。気がつきました?」
「……」
 ドアを開けてあらわれた若い女が、彼に気づくと、
「社長ー。このひと気がついたみたいですー」
 と、呼ばわった。そして入れ代わりに姿を見せたのは、黒澤早百合だ。
「気分はどう?」
「ここは」
「あたしの会社よ。黒澤人材派遣。……まだ寝てなきゃだめでしょ」
 起き上がろうとする弓成を制する。手当てはされていたが、傷は深いようだ。額に脂汗がにじむ。
「なんの真似だ。治療なら宮内庁病院で受ける」
「つれないのねぇ。そんなんじゃモテないわよ」
 自分のことは棚に上げて、早百合は言った。
「あのヤクザさんは手加減するような人じゃないわよ。ちょっとネジが飛んでるから、あのままだったら、とどめを刺されてた」
「助けてくれと言った覚えはない。戦場で死ぬなら本望だ」
「……あーら、でも、私は八島指揮下の『ヤマト作戦』部隊とやらにいたんだから八島さんの副官の、いわば上官のあなたを助けるのは当然じゃないの」
「なら、命令する。自分をもういちど池袋の――」
「ところが今はもう隊員じゃないの。……あなたにはここにいてもらうわ。事態が終息するまでは」
「……」
 美しい暗殺者の女首領は、勝ち誇ったように宣言する。
「百合のつぼみは、もう刃の花を咲かせたの。『ヤマト作戦』だなんて莫迦げた戦争はさせないわ」
「貴様――」
「『一係』とやらが、あのひとたちを虐殺した……それがこの戦いのはじまりなんでしょう? 虐殺だなんて、不粋なこと。殺しには殺しの仁義というものがあるのよ、坊や」
 艶めいた早百合の唇に、笑みが浮かんだ。弓成が、ぎり、と歯を噛み締めた。
「やっとわかった? ……つまりあなたは、私の捕虜なのよ」

 前方の闇の中から、ぼうっと浮かび上がったのは、冴波にとっては見覚えのある狐の面であった。
「弦から放たれた矢はもう戻りはせぬと、言ったはずだが」
「宮内庁のしたことは罪だと思うわ。でも――」
 周囲に、灯りはじめる狐火。
 ツチグモたちが、じりじりとにじり寄ってくる。
「戦えばあななたちも無傷じゃすまない」
 冴波は、狐面をきっと睨んだ。
「だが戦わねば滅びるしかない」
「そんなことない。『一係』がなにをしたか、『ヤシマ・ノート』のおかげでみんなが知ってる。あんなこと二度と……させやしないわ」
「そうだとも」
 隼も口を揃えた。
「おまえたちにも、おまえたちを叩き潰そうとする側にも言い分がある。どこまで行っても平行線だ。……それにな、政権ぶんどって独立なんざしたら、もっと大変だぞ。今度はおまえ……世界中を相手にすることになるんだ」
「……」
 狐面は、面によって表情はわからないはずなのだが、一瞬、躊躇するような様子を見せた。そして背後の闇をふりかえる。
 コツ、コツ――、とステッキの音をさせて、その向こうから、大河原博士があらわれた。
「博士。いったい何のつもりなの。アトラスの人たちは関係ないはずでしょ。なんでこんなことをするの」
 冴波が詰め寄る。
「そんなに……復讐がしたい?」
「それだけの仕打を……このものたちはされたのだ」

 どこをどう通ったのか――
 延々と歩かされ、ようやく通された場所は、等間隔に蝋燭の火が揺れるだけの、うす暗い広間だった。奥に、一段高くなり、御簾によって隠された場所がある。
 その前に進み出て、梟と、蓑火のヤゾウと呼ばれた男とがひざまづく。
 とっさに、耀司もそれにならって、姿勢を低くした。
 部屋中に、侵すべからざる神聖な空気のようなものが漂っている。
 間違いなく、ここは禁域だ。
 灯火の青い瞳が、不思議そうに、御簾を見つめた。
 その向こうに誰かがいるような気配はするが……。
(よくぞ参られた、里の方)
 いんいんと、血の底から響くような声が、耀司と灯火の頭の中に直接聴こえてくる。
(もっと近くに参られよ)
「……よろしいでのですか」
 耀司は、ふたりの風羅たちに目をやった。蓑火のヤゾウが頷くのを待って、一歩を踏み出す。
 御簾をおしあげ、その中へ。
「…………!」
 目を瞠った。
 あ、と、小さく、灯火が声をあげたようだ。
 そこにいた《オオヤゾウ》――風羅族の頭目たるものの有様に、耀司は驚きを隠せなかった。

「ようやく、姿を見せたか」
 羅火の金色の瞳が見つめる先に、その女はたたずんでいる。
 ほっそりした身体を、やわらかなラインの、白いワンピースが包む。そして屋内だというのに、どういうわけか、レースの日傘を指していた。
「なんというたか……」
「アンナだよ、アンナ・アドラー」
 裏社が助け舟を出す。
 だが、女の、桜色の唇にはふわりと微笑が浮かぶばかり。
「名前など記号に過ぎないわ。貴方たちならよくわかっているのではなくて?」
「それもそうじゃ。……わしは、小細工を弄して人をいいように操るような真似は好かん。こたびの始末、言い分があるなら申し開きをせい」
 くくく、と、《日傘の女》は笑った。小鳥のような声であった。
 年齢は二十代にしか見えないが、大河原博士の助手であったときの写真からして容貌が変わっていないのが不可解である。輝くような金髪と碧眼が、白い肌に映えている。
「わたくしはただ、仕事をしているに過ぎないわ。主義や主張などありません。それよりも……貴方たちに会ってみたいと思ったの。異なる世界からの旅人たち。あるいは貴方たちの方法こそ、わたくしたちが探していたものかもしれない。この仕事は……失敗だったのですから、別の方策を探さなくては」
「もうひとつ、わしは余計な御託も好かぬ。申し開きがないのなら……」
「待って、兄貴。彼女はバランスの要だ。俺たち、介入し過ぎだ」
「うるさい。指図をするな」
「でも――」
「ミズ・アドラー……?」
 空間から、ばらばらと、人が吐き出されてきた。
 マリオンにモーリス、そしてシュラインである。
「あれれ、こんなところに繋がっちゃいましたね」
「アトラス編集部のドアに繋げたんじゃなかったんですか?」
「それは間違いないのです。でもその編集部がマヨイガに取り込まれていますから、マヨイガの中に出てくるのは正解なのです。……でも編集部のみなさん、いませんね」
「よくもそんな行き当たりばったりな……」
「失礼なのです。これもちゃんと想定内の……」
 なにやら言い合いをしているマリオンとモーリスをよそに、シュラインが、慎重に、《日傘の女》に向き直った。
「日本語でもいいのね?」
「もちろんよ、シュライン・エマさん。貴方にも、ぜひ一度、お目にかかりたいと思っていたわ。貴方の活躍については、いつも興味深く拝見しています」
「……それはどうも」
「スカウトしたいくらいだけれど……きっと貴方は受け入れないわね」
「あなたが何者で、何を目的としているのか説明してくれたら検討しないでもないけれど?」
「わたくしたちは崇高にして単純な目的のために活動しているに過ぎないわ。それはすなわち、種の保存」
「なんですって?」
「わたくしたちは世界的な規模で活動している機関で、各国の要人を、会員として擁しています。その会員に、《生存》を保証することために、活動しているの。来るべき終末を生き延びるすべを、模索している……ともいえるかしら」
 うっすらと余裕さえ感じさせる微笑を保ったまま、《日傘の女》は語った。
「それと、風羅族がどう関係するの」
「界鏡現象を利用した民族自治の方法が、わたくしたちの会員の《生存》のための方法として利用できるかどうか、そのテストケースとして状況を整え、観察をしてきたのです」
 しん、と、場に沈黙が落ちた。皆が、とっさには意味を把握しかねたのである。
「つまり、こういうことですか」
 口を開いたのはモーリスだ。
「風羅をただ実験体として利用した――、と?」
「あら。でもどんな製品も、販売する前にテストをするでしょう? わたくしたちは《なんらかの終末的事由の後も生存すること》をいわば商品として提供しているの。当然、その商品の品質を確かめる必要がある――」
「こやつ!」
 動いたのは羅火だった。
 一瞬――、戒めの手錠が見えたようだったのは気のせいか……あるいはそれこそ、彼の本気を示しているのか。だが、《日傘の女》は面白いようにその一撃をかわした。
「言わせておけばぐだぐだと。生存のための方法じゃと? そんなもの、考えるまでもない。力じゃ。それ以外に何がある!」
「そうした力を持たない人にも、《生存》を提供するのが、わたくしたち《カルネアデス会》の理念なの。……そんなことを話しても仕方ないかしら。ともかく、風羅族と同様のやり方には問題があることがわかったので、この現場は撤収します。……みなさんとは、またお会いすることもあるでしょうね。……ご機嫌よう」
 日傘が、羅火の視界を遮った。
 その寸前――
 シュラインは、女が、手の中でなにかのリモコンのようなものを操作するのを、見たと思った。

■新たなる太陽

 耳をつんざくようなブザーの音が、耀司を驚きから解放した。
 だが、その音は、蓑火のヤゾウたちを恐慌に陥れたようだ。
「オオヤゾウさまッ! なんだ、どういうことだ……」
「……これは……」
 耀司は訊ねた。
「これは、生命維持装置……?」
 御簾の中は、意外なほど近代的な医療設備があった。
 ベッドの上には枯れ木のような老人。そして、おびただしい機械類。
 悲鳴のようなブザーを鳴らしはじめたのは、そのひとつである。
「停電かなにかでは――というか、動力は……? ここに電気なぞ来ているのか?」
「それは問題ない……はずだ。まさか…………あの女!」
 男の顔に、あきらかな狼狽が浮かんだ。
「梟ッ! オオヤゾウ様を頼むッ!」
 そして駆け出してゆく。
 つい、と、灯火が、機械に触れた。
(お願いします。どうか……)
 機械は彼女の願いを聞き入れてくれる。しかし。
「長くはもちません。『停止信号』が送られて、『動力供給』が断たれたと仰っています」
「仰る、ってこの機械がかい? ……それにしても……」
 耀司は、もういちど老人を見た。
 素人目に見ても、彼が、ただ機械と繋がれることによってのみ長らえている存在であることは明白だった。
(驚かれましたかな。里の方)
「……大丈夫なのですか」
(いずれ長くはありませぬ)
「オオヤゾウさま!」
 梟が驚いて叫んだ。
(よいのだ。生あるものはいつか土へと還る。そして……われわれが滅びてゆくのも、また、さだめであったのでしょう)
「そんなことはない」
 耀司が、憤ったように言った。
「あなたたちは生き残るべきだ。その資格がある。いや、その義務がある。……それなのに、こんなやり方は、歴史の闇を循環させるだけだ。僕はそれを伝えたくて来たのです」
(仰るとおりでしょう。里の方。ですがもうよいのです。われわれは、われわれ自身の中にある悪意……内なる闇に呑まれた。それゆえに滅びてゆくのです。……最初から、争ってはならなかったのです。そうであったのに、虐げられた怨嗟の声を、あげずにはいられなかった)
 心に直接伝わるその声が、だんだん細く小さくなっていくのを、耀司は絶望的な思いで聞いていた。
 灯火が、彼を気遣うように、その手にそっとふれる。
 風羅の老人の、命が、失われようとしているのだ。

「彼女は……風羅が長らえる方法がひとつだけあるといった」
 大河原博士の言葉は続いていた。
「それが界鏡現象か」
 隼に頷く博士。
「そのときすでに、オオヤゾウさまの容態はおもわしくなかった。彼女の力を借りて……延命措置がとられた。そしてわたしは、風羅のための異界を創造することにした」
「だったらそのまま、異界として風羅の国を独立させりゃよかったんだ」
「そのつもりだったのだ。だが、風羅が抱える闇はわたしが思うよりも深かった。過去の遺恨に、せめて一矢報いたいというものたちが、少なからずいたのだ。そしてとうとう、青梅の山で、偶然、マヨイガに接触した里のものを、鬼火のセブリのものが手にかけてしまった」
「あれは禁を破ったからだ、って、博士は言ったじゃない」
「そうだ。だが殺す必要はなかった。あのときはそう説明するよりなかった。『一係』は証拠を残していない。『ヤシマ・ノート』の記録以外は。ツチグモを使って河南くんの身辺を探らせもしたが、ノートのゆくえは知れなかった」
「今からでも遅くないぜ。撤退しろよ。あんた……そのために、界鏡現象を研究してきたんだろ?」
「……私も、できれば風羅のひとたちは、平穏に暮らしてもらいたいと思う……」
「博士」
 狐面までもが、博士を促すように言った。
「……異界の彼方に、失われた王国を再建するか……」
「いいや」
 ぱん、と、渇いた音が響いた。
 ぽかん、と、隼と冴波が口をあける。
 すばるだった。
 それまで、ただ黙ってついてきていただけのすばるが、ふいに前に出て、大河原博士をひっぱたいたのである。
「お、おい――」
 続いて、向き直ると、隼にも一発。
 冴波にまで一発。
 都合3つの、平手打ちの音がマヨイガ内に響いた。
「そんなことをして何になる」
 冴波は、無表情なすばるの顔の奥に、たしかに、感情の揺れ動くのを、見た。
「われわれの住む世界はここ以外にない。なにがこの事態を引き起こした? それは人の弱さだ。『一係』は支配欲と、その裏側にある怖れによって虐殺を行った。風羅もまた無知なるものを侮るがゆえに殺し、自らの滅びを恐れるがゆえに殺した。どちらも同じだ。……逃げてもなにも解決しない。ここにろ。ここにいて、苦しむべきだ。皆も……私も」

「碇さん!」
 羽澄の声に、麗香よりもはやく三下が反応して、ぱっと明るい顔になった。
「待ってましたよおおおおお、きっと、きっと助けてくれるってぇえええ」
「みなさんご無事で」
 八島に、河南が、羽澄と貴由のうしろに続いていた。
「なんとかね」
「は、はやくここを出ましょう」
「いえ、待って」
 八島が、はやる三下を抑えた。
「碇さん。みなさんにお願いがあります」
「お願い?」
「かれらがなぜ、ここにマヨイガを出現させたのか。そのわけを考えてみましたか」
 八島は言った。
「アトラスに伝えたかったんだわ」
 羽澄があとを引き継いだ。
「そう……かれらは再三、アトラスに接触してきていたもの。自分たちのことを知ってほしい……自分たちがどんな目に遭ったのか、歴史の真実を知らしめてほしい、って。それこそが、風羅族の本当の願いだったのね」
「なるほど。メディアを持ちたかったのか。それでここを拠点に」
 貴由が考え込むような素振りを見せた。
「でも、それは……、八島さん。宮内庁にとってはダメージになる」
「承知の上です。……兄は、しかし、それを決断したのだと思います。『ヤシマ・ノート』を、そのために遺した」
 貴由と羽澄は、麗香たちを振り返った。
「そう……。そうね」
 もともとそこは編集部のフロアだった場所だ。デスクもあれば、文具もある。
「いいわ。……三下くん、みんな。仕事を続けましょう」
「えええええ!?」
「恩に切ります」
 頭を下げる八島。
「次に、私たちにできることは?」
「そうですね。ここは小異界として外部から遮断されてしまっています。羽澄さんの結界で、それをさらに隔絶させて、異界の中の異界に変えて、外界につなげるんです。つまり、われわれの世界の、マヨイガの中における飛び地にするんです」
「そうすれば、通信も復活するわね?」
「そうです。インターネットがないと仕事にならないでしょう? 貴由さんは、私と一緒に、万一に備えて。“臨時編集部”を護ります」
「了解」
「さあ、三下くん、はやく用意して!」
 “臨時編集部”が活気づいてゆく。
「大仕事よ。ありったけの力で、オカルトチックに! センセーショナルに! ファンタスティック&バイオレンスに書くの! わかった!?」

 銃口が、つきつけられている。
「……」
 《日傘の女》の、美しいおもてに、はじめて、かすかではあるが、狼狽の色が差す。
 いずこともしれぬ深い山中。
 昼なお暗い木立の中に、忽然と姿をあらわした彼女の前に、まちかまえていたものがいる。――ササキビ・クミノだ。
「よくここが」
「何ということはない。マヨイガは不安定で小さな異界。よりどころとしてこの世界との接点を必要とする。それはどこか。むろん、山だ。他にどこがある?」
「お見事。……でも、わたくしを殺したところで、今さら何にもならないことは、あなたならよくわかっていると思うけれど。ササキビ・クミノさん?」
「忠告しておく。金と権力と情報を操って、世界をコントロールしているような錯覚に陥るものは、必ず、自分自身のなしたことに復讐される」
「風羅は滅びゆく民。今さら何を」
「風羅ではない。おまえ自身のなしたことが、その身に返ってくるだろうと言っている」
「因果応報、と?」
「そういう理解でもいい。ただその手の中の金も権力も情報も、おまえ自身が生み出したものではないことだけは、肝に命じておくことだ」
 それだけ言うと、拳銃を懐に収めた。
「わかったらどこへでも消えろ。……できれば、私の目の届くところでもう仕事はしてくれるなと言いたいところだが」
「わたくしにはどんな脅しも通用しないわ。必要があればいつでも来ます。貴方とだって、必要があれば取引をする。覚えておいて、クミノさん。では、ご機嫌よう」
「Auf Wiedersehen.  ……アドラーとは妙な姓を選んだな。エヴァ・ブラウン」
 最後に……彼女はそれまで見せたことのない、表情でクミノを振り返った。だがそれもほんの一瞬のことで、すぐに、《日傘の女》の姿は、白い幻のように、消え去ってしまったのであったが。

 *

 やがてブザーがやんだとき、心電図のグラフも、一本の平坦な線になった。
 瀬崎耀司は深い深いため息をつく。
 それが意味するところを知って、梟がわっと泣き出したが、耀司がその肩をぐっと抱き寄せた。
 周囲の闇に、次々に火がともり、薄闇の中に何百という黒装束のものたちがひざまづいて、かれらのあるじの死に礼をつくした。
 灯火が、ぽつりと、呟く。
「マヨイガが……。この異界そのものが……悼みの気で満たされて……います……」

 池袋の封鎖区域では、『二係』が撤退した後、IO2と、応戦するマヨイガとの関係が膠着状態に陥った。そのまま、日は暮れて、自衛隊の照明車両からのライトが、マヨイガを一晩中照らし出す、憂鬱な夜がやってきた。そして、翌朝の未明のこと。あらわれたときと同じく唐突に、マヨイガは、溶けるように消え失せていった。
 あとには――いつもと変わらぬ白王社ビルがそこに建っていた。
「これで終局――、ですか」
 その様子を、リムジンの窓から眺めていたセレスティが安堵したように言った。

 テレビで、その様子を見守っていたものもいる。
 黒澤人材派遣の社長室にいる、早百合と、弓成である。
「……感想は?」
 早百合の問いに、彼は、
「……なにも。自分はただ命令を遂行しようとしただけだ。……成功とはいいがたいが」
 とだけ応えた。

 でたらめに、パズルのようになっていたビル内の空間ももとに戻ったと見え、気がつくと、ほとんどのものが、いつもの編集部のフロアに集合していた。
「脱稿!」
 麗香が、校正済みをしめす編集長の判を、最後の原稿に押したとき、わっと、編集部員のあいだに歓声が起こった。
「三下くん、印刷所に回して」
「は、はい……!」
 どやどやと騒がしくなるフロアを横目に、冴波は、大河原博士がまだそこにとどまっているのに気づく。
「博士は一緒に行かなかったの」
「すぐに戻る。今はただ……」
 その先はうまく言葉にならぬと見え、寂しそうに首を振るだけだった。
「結局、どうするんだ?」
 と、隼。
「オオヤゾウ様が亡くなった以上、王国など蜃気楼に過ぎぬ。これまで通り、ひそやかに山に生き続けるだけだろう」
「しかし、これまで通りの《アズケ》や《トリカエ》といった習慣を続けるなら、遅かれ早かれ合容れないと思うが」
 すばるの指摘に頷いて、
「そうだ。風羅は変わるだろう。それだけが唯一、滅びを免れる道か……」
 と言った。
「今回のことが記事になったら、八島さんの立場もどうなるかわからないわね」
 羽澄が、八島に話し掛けたが、彼は肩をすくめただけだった。
「大丈夫」
 貴由が、そっと言葉を添えた。
「なにがあっても、ここにいる私たちは八島さんの味方だし……これがきっと、正しいことなんだから。このことが、アトラスを通じて記事なる。真実を……みんなが知ることができるもの」
「水を差すようだけど」
 口を挟んだのは、いつのまにか戻ってきていたクミノだった。
「世界中の人々は……その記事を読んでも、『怖いね』とか、『可哀想ね』とか言うだけで、ディナーを続けるでしょうね」


■エピローグ

 はたして、ササキビ・クミノの予言は成就したか。
 風羅族についての一切の真実が報道されるはずだった月刊アトラスの最新号は、発行直前、印刷所から流通に回る過程で、何が起こったのかもわからないまま、すべての納本予定ぶんが流通経路から消え失せ、書店に並ぶことはなかった。
 なんらかの、国家的な権力の介入があったものと思われるが、詳細は定かではない。

「怒らないんですね」
 裏社が、意外にも落ち着いている麗香に向かって言った。
「……慣れているもの。黙殺されるのは。……まあ、三下くんの原稿が、彼にしてはマシだったのが、幻になっちゃったのが残念と言えば残念ね」
 裏社の膝の上では、猫形態の羅火が、伸びをして、長いあくびをひとつ、した。
 季節は、再び、春になろうとしている。
 編集部の窓から差し込む陽射しはやわらかい。
 裏社はその光に目を細める。
 兄弟竜たちは、満足そうであった。

 宮内庁地下300メートルでは、河南創士郎があくびをしていた。
「教授……別に用はないんですよね」
「用がなきゃ来ちゃいけないの?」
「いや……なんていうか……」
「皮肉だけど、おかげで、八島クンの首はつながったよねー。全部、なかったことになったんだから」
「そんなことありませんよ」
 八島は言った。
「真実は、決して消え去ることはありません」

 インターネット上に、すこしづつ、不思議な噂が流れている。
 毎度おなじみゴーストネットにはじまり、あちらこちらのサイトへと。
 それは山に棲むという、不思議な人々の物語だ。
 失われた王国の、歴史について、姿なき電子の語り部が、広大なネットの海へと情報をバラまいている。
 好事家が調べても、その出所はわからずじまい。ただ、いくつかの拠点となるサーバが、リンスター財閥の関連会社の所有であったり、ともに配信されている音楽データが、lirvaのあまり知られていない曲であった、という情報もあるが、それらも未確認のままである。

 あやかし荘の縁側では、村雲翔馬があくびをしている。
「東北は今がいい季節だろうなぁ」
 スケッチブックを眺めながら、隼が呟いた。
「うまくいきそう?」
 冴波の問いに、翔馬はのんびりと応えた。
「どうスかね。隠れ里としてもあんなにたくさんの人を受け入れるのははじめてのことだし。……何割かはやっぱり、街で……なんていうんでしたっけ、《トケコミ》になってもらうよりないと思いますよ。あの人たち戸籍も住民票もないから厄介だけど……セレスティさんが、買えるところ知ってますよ、とか、羽澄さんが簡単よそんなのとか言ってたら、八島さんがちょっとあわててました」
「それはねぇ……」
 苦笑をもらす。

「それじゃ」
「元気でね」
 シュラインに見送られて、少女は、小さく頷く。
 そしておずおずと――耀司を見返した。
「……いずれまた会いにいこう。きみたちのもとへ」
 もう一度、頷いた。
 ごう、と風が、吹く。
 小柄な姿が、風の中に溶け込んでゆく。
 あとにはただ、山の風景だけが残った。
「……一緒に行ってもよかったのに」
 ぽつり、と、シュラインが呟いた言葉に、耀司は、
「もうすこしマシなことをしようと思ってね。……本を書こうと思うんだ。よかったら……手伝ってくれないだろうか」
「もちろん」
 見合わせた顔に、笑顔が咲いた。

 そして風の中には……、いつまでも、遠い声が、こだましている。

「おーーーーーーい」
「おーーーーーーい」
「おーーーーーーい」

 ザ、ザ、ザ、ザ、ザ――


(ロスト・キングダム/完)


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【1166/ササキビ・クミノ/女/13歳/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない】
【1282/光月・羽澄/女/18歳/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】
【1538/人造六面王・羅火/男/428歳/何でも屋兼用心棒】
【1883/セレスティ・カーニンガム/男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2098/黒澤・早百合/女/29歳/暗殺組織の首領】
【2318/モーリス・ラジアル/男/527歳/ガードナー・医師・調和者】
【2694/時永・貴由/女/18歳/高校生】
【2748/亜矢坂9・すばる/女/1歳/日本国文武火学省特務機関特命生徒】
【3041/四宮・灯火/女/1歳/人形】
【4164/マリオン・バーガンディ/男/275歳/元キュレーター・研究者・研究所所長】
【4424/三雲・冴波/女/27歳/事務員】
【4487/瀬崎・耀司/男/38歳/考古学者】
【4836/桐藤・隼/男/31歳/警視庁捜査一課の刑事】
【5130/二階堂・裏社/男/428歳/観光竜】

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■         ライター通信          ■
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大変お待たせいたしました。『【ロスト・キングダム】山人ノ巻』をお届けします。
こちらは、【ロスト・キングダム】シリーズの最終回になります。
長い文章になりましたが、あえて、分割せずに一本でお届けします。

このシリーズを通して、いろいろと語りたいと思ったことを、
今回までですべて語れたかどうか、うまくお伝えできたかどうか、
それによってみなさんにご満足いただける物語を書くことができたかどうか、
正直、あまり自信がありません。

2回目のキャンペーンシナリオ運営に関して、反省点はたくさんありますが、
それもまた、今後の活動に生かしていければなあと思っております。

長丁場のシリーズにおつき合いいただいたみなさん、
毎回ご参加下さった方、複数PC投入して下さった方、たとえ一度でも
ご注目下さった方も含めて……感謝の念にたえません。
本当にありがとうございました。

この物語が、すこしでも
みなさんにとって、なにか意味のあるものであってくれることを
祈るばかりです。

リッキー2号でした。