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『生きている森(真相解明編)』
【プロローグ ゴーストネットOFFにて】
あたし・瀬名雫の友達の影沼ヒミコちゃんがいなくなってから一週間が過ぎている。
十六夜の森からなんとかしてヒミコちゃんを助け出さないといけないんだけど、どうも調査依頼を頼んだ人の話だと霊能力がある人が必要みたいだ。あたしがなんとかヒミコちゃんを助け出したものの、あたしには霊能力なんてないからなあ。
だけど、あたしがなにもしないわけにはいかない。あたしにできることは、手がかりとなる情報を手に入れることだ。
あたしはホームページの掲示板に十六夜の森について呼びかけてみた。
*
タイトル:至急情報求む NAME:SHIZUKU 2005/12/27 13:04
ねえねえ、みんな。十六夜の森の詳しい情報を知らないかな。なんでもいいの。なんか森の中に妖しげな木があったらしいんだけど、知らないかな。
タイトル:RE:至急情報求む NAME:百合 2005/12/27 15:30
ああ。知ってる知ってる。わたしの知り合いもあの森で妖しげな木を見たって話だよ。湖だか池だかの対岸に大きな桜の木が立ってたんだって。しかも、夏なのに、満開に花を咲かせてたんだってよ。
タイトル:キモイ NAME:ミハエル 2005/12/27 17:15
真夏に桜ってなんかキモイ。もしかしてさ、そいつが妖しいんじゃないの?
タイトル:森の主とか? NAME:柳田 2005/12/27 22:00
確か昔話でも人を迷わす森ってよく出てきますよね。昔の人は森には個々の神様がいて土地をおさめていると考えていたみたいですよ。ほら、よく川の主みたいな言い方をするじゃないですか。
タイトル:人柱 NAME:ミハエル 2005/12/27 22:25
じゃあさ、もしかして、その行方不明になった女の子って人柱にされちゃったってやつ?昔の人は神様に生贄を捧げてたってよくいうじゃん。
タイトル:人食い? NAME:環 2005/12/27 22:50
じゃあさ、その森の主がその女の子を食べちゃったんじゃないの?
タイトル:RE:人食い? NAME:百合 2005/12/27 23:30
たぶん大丈夫じゃない? 時間がおかしいってことは、その女の子が食べられるまでには時間がかかるから。いまのうちなら助けられるんじゃないかな。根拠はないけど。
タイトル:RE:人食い? NAME:ミハエル 2005/12/28 2:51
それで、そいつから女の子を取り戻すためには、霊能力が必要だってわけ? はあ。オカルトだねえ。なんとか女の子を助け出せればいいんだけど。
タイトル:霊能力者募集 NAME:SHIZUKU 2005/12/20 12:20
じゃあ、ここで、霊能力を持って、森の主とやらを鎮めることのできる人を募集します。腕っ節に自信のある人、霊を退治できる人、かよわい女の子を守ってあげたい人、ぜひぜひSHIZUKUのいるカフェに来てください! 至急お願いします!
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「これでよしっと」
これであとは霊能力があって森の主を退治できるような相手が出てくるのを待つだけ。
今度こそなんとしでもヒミコちゃんを助けてもらわなくちゃ。
あたしは祈るような気持ちでパソコンの画面を見つめていた。
【本編 再び十六夜の森】
「ここかい? 将ちゃんが迷ったところってのは」
白い衣に身を包んだ青年が将太郎に声をかける。その表情には緊張感などまるで感じられず、昔から変わらない陽光のような笑顔があるだけだ。
前回の調査から三日後の早朝、臨床心理士の門屋将太郎は、ふたたび十六夜の森に戻ってきた。前回、影沼ヒミコを助けるために十六夜の森の調査をした際、ヒミコの森を支配する存在がいる≠ニいうメッセージと直径五百メートルほどの湖の対岸に妖しげな桜の巨木を発見したものの、なぜか桜の巨木にたどり着くことはできずに入口に舞い戻ったのだった。
ヒミコのメッセージによれば、森の謎を解き明かすには霊能力を兼ね備えた人物が必要らしい。そこで、将太郎は幼なじみで溜息坂神社宮司の空木崎辰一に白羽の矢を立てたのだった。符術師として活躍している彼ならば、森を支配する存在の謎を解けるのではないかと思ったのだ。
「辰一。迷ったってのは人聞きが悪いな。俺は迷子になったわけじゃねえんだ」
「ごめんごめん。森の主に嫌われて追い出されたんだっけ」
「そういう言い方もやめろ」
将太郎が不機嫌に言っても、青年はにこやかな笑みを浮かべるだけだ。
あいかわらず飄々として掴み所がない男だった。けれど、どんな殺伐とした雰囲気でも、やわらかな空気に変えてしまうこの男が、将太郎は嫌いではなかった。
「俺は霊能力とやらがあんまりねえからよ、おまえに任せてもよかったんだけど」
「将ちゃんは昔から義理堅いところがあるからね。その森の主に囚われた女の子のことが気になって仕方ないんでしょ? ほんとやさしいね」
辰一はくすくすと笑う。こういういちいち見透かしたような態度が苦手だった。
「ぐだぐだ言ってねえで、さっさと行くぞ」
将太郎はぶっきらぼうに言うと、荷物を持ってさっさと森の中へと入っていった。
辰一ははいはいと緊張感のない声で返事をすると、将太郎の後を付いていった。
*
「確かに異様な障気に満ちてるね」
森に入った途端、辰一の表情が変わっていった。顔から笑顔が消え去り、符術師として刃物のように研ぎ澄まされた表情が浮かび上がっている。
「やっぱりこの森はおかしいのか?」
「そんなこと言わなくても将ちゃんにだってわかるだろ?」
辰一は唇の端に笑みを浮かべるが、目は笑っていない。将太郎は辰一の真剣な表情に気圧されて自然と体中が緊張してくる。
前回は入ったときと同様に、森はビデオテープの静止画の中に迷い込んだかのように奇妙な静寂に包まれている。誰かに見られているような居心地の悪さも感じる。けれど、陽射しを浴びている森ははた目には危険だと思えなかった。
「将ちゃんも何も知らずに入って、よく生きて出てこられたよ。僕なんか将ちゃんの頼みじゃなきゃ絶対に引き受けたりなんかしないよ。今すぐにだって帰りたいくらいさ」
「そんなにやばいのか?」
将太郎の問いに、辰一ははっと鼻で笑った。
「やばいなんてもんじゃない。空間が歪むということは、現世と異界が繋がっている証拠さ。でも、ただの霊なら現世と異界を結ぶことなんてできない。現世と異界を結ぶとなると、もう神霊の域に達しているやつの仕業さ」
「神霊?」
「つまり、神様ってことだよ。神様を相手にして人間が敵うわけないじゃないか。まして、この十六夜の森すべてを支配しているとなると相当な相手だよ」
見れば、辰一のひたいから大粒の汗があふれている。考えていたよりも、よほど相手は危険らしい。うかつに引き受けたのが失敗だったかもしれない。自分だけが危険にさらされるのはかまわないが、幼なじみの辰一まで危険にさらしたくはない。
「将ちゃん、もしかして僕の心配をしてくれてるのかい?」
「そりゃ心配するだろう。専門家のおまえが弱音を吐いてるんだ。俺だって、おまえの身にもしものことがあったら、親御さんに申し訳が立たねえって」
「でも、将ちゃんはひとりでも調査はするつもりだろ?」
辰一に見透かされて、うっ、と将太郎は言葉に詰まる。
「僕は将ちゃんがそういう人間だって知ってるからついてきてるんだ。将ちゃんは絶対にあきらめない。重傷を負わされたとしても、何度でも女の子を助けに来る。そうだろう?」
将太郎はどう答えていいかわからずに頭を掻いた。
「俺は過去を失った影沼がかわいそうで仕方ないんだよ。俺は診療所であのくらいの年頃の女の子を何度も見てきた。診療所に来るくらいだから不安を抱えて病気になっちまう子ばかりさ。だけどよ、心の痛みってのは生きてるからこそあるんだろ?」
「確かにね」
「だから、あの影沼を見ていると、過去がないために心までなくしているうようにしか見えねえんだ。そんなのあわれじゃねえか。今ここであいつは生きてるはずなのに、あいつの心は生きている実感がないだなんて」
「なるほど。実に将ちゃんらしいね」
辰一に微笑みかけられ、将太郎は今度は気恥ずかしくて鼻の頭を掻いた。
「僕もそんな将ちゃんだからこそ、放っておけないんだよ。まあ、幼なじみとして一蓮托生ってことで。帰るときも死ぬときも一緒ってことだね」
「男のおまえとなんか死にたかねえよ」
ひどいなあ、と辰一は苦笑し、将太郎も笑った。
今度はひとりではない。仲間がいてくれることが心底ありがたかった。誰かが側にいてくれるだけで、困難な状況もなんとか挑戦してみようという気持ちになる。
「さて、さっさと片づけちまうか」
*
やはり符術師の辰一の存在は大きかった。
十六夜の森はいくつもの分岐点があったが、そのたびに辰一が正しい道を指し示してくれた。将太郎にはまったく見えなかったが、どうやら霊感のある人間にはまちがった道には黒い霧のようなものがふさいでいるらしい。しかも、それを祓おうとしても、すぐに黒い霧がふたたび立ちこめてくるために別の道を探すしかなかった。
そうして、辰一に案内されるままに、将太郎は森の奥へと向かっていった。だいたい2時間から三時間ぐらいが過ぎただろうか。
時計は信用できないため、自分の体内時計で考えているので、正確ではないかもしれない。そろそろ両足が棒のようになってきたそのとき、前方に直径五百メートルほどの湖が姿をあらわした。
そして、以前は対岸で見ていた桜の巨木も目の前にある。
桜の巨木は幹の太さが大人十人ほどはあり、枝葉は五十メートルはあろうかというくらい、雄々しく広がっている。真冬だというのに薄紅色の花びらはあざやかに咲きほこり、雪のように降っている。根は水につかって湖の上にうねっている。
「……こりゃあ」
およそ現実とは思えない光景に、将太郎はただただ見取れるばかりだった。静止画のような世界の中で桜の巨木だけは命が満ちあふれている。神秘的な姿は見る者を離さず、自然と足を桜へと向かわせてしまう。
「将ちゃん。正気を取り戻せ」
辰一に一喝されて我に返ると、辰一が桜の巨木をにらみつけている。
「ほら、見てごらん」
「うわっと」
辰一に指摘されて足元を見れば、土から灰褐色の枝が出て足に巻き付こうとしていた。慌てて足を引くと、灰褐色の枝はするすると足元に押し寄せてくる。それを辰一が錫杖をたたきつけた。
枝は口惜しそうに地面の中に還っていく。
「惑わされちゃだめだ。見た目はきれいだけど、中味はかなりの怨念や障気に満ちている。きれいなものには刺があるってね。女の子と一緒さ」
軽口を叩きながらも、辰一は桜の巨木から決して目を離さない。
「おい、なんなんだ、こりゃ」
「たぶんあの桜はこのあたり一帯の鎮護神だよ」
「鎮護神って土地を守るんじゃないのか? なんで影沼を連れ去ったり、登山者を迷わせたりしてんだよ」
「さてね。ただひとつ言えることは、あの桜にはとてつもない怨念が込もってるってことだね。美しい桜の下にはなんとやらってこともあるから、直接本人に聞いてみようか」
「直接本人に? どういうことだよ……って、おい!」
将太郎の呼びかけを無視して、辰一は桜の巨木のまわりの地面に祝詞を記した符を貼り付け始めた。その符の上に神酒をかけると、符から若葉が生えてくる。同じように円を描くように符を貼ると、
「将ちゃん。僕はこの桜を中心として結界を張る。神霊を押さえ込むとなると、かなり集中しなければいけないから僕には、その桜に取り憑いているなにかと話すことはできない。だから、説得は将ちゃんに任せたよ」
「おいおい。俺がこんな得体の知れないやつの相手をするのかよ」
「将ちゃんはカウンセラーだろ。カウンセリングをして相手の悩みを聞くのが仕事じゃないのかい? どんな相手だろうと親身に話を聞いて説得するのも仕事だろ?」
「そりゃそうだけどよ」
「じゃあ、任せたよ」
辰一は懐から榊の枝を取り出すと、祝詞を唱え始めた。
ひとり取り残された将太郎はどうしたものかと頭を抱えた。確かにヒミコをどんなことをしてでも助けたいという気持ちは本物だ。けれど、いくらカウンセラーとはいえ、木やら霊やらを相手にどうやってカウンセリングをしろというのだ。
「国津神よ、天津神よ。この地に降り立ち、不浄なるものの穢れを祓い給え!」
辰一が裂帛の気合いを込めた瞬間、桜の巨木のまわりに植えつけた若葉から白い光が放たれた。その光に呼応して、桜の巨木が風もないのにざわめいた。そのざわめきの音は桜が叫んでいるようにも聞こえた。
『その程度の力で我を封じることができると思うたか』
ふいに桜から声が聞こえたかと思うと、幹の中心盛り上がっていく。こぶのようにふくれあがった幹は徐々に形をなしていく。やがて木彫りの彫刻のように灰褐色の幹は人型へと変わっていった。
「――お、女だとぉ?」
目の前の桜から出てきたのは若い女だった。裸の若い女性が上半身だけ桜から飛び出ている。美しい顔立ちだが、その表情には怒りがほとばしっていた。
『おぬしら。なにゆえに我に刃を向ける? 殺されたくなければ、さっさと出て行け』
霊能力などない将太郎だが、その圧倒的な威圧感に我知らずに総毛立つ。またたく間に背中に汗があふれてシャツが使い物にならなくなりそうだ。これが神様って奴の威厳なのだろうか。
振り返れば、辰一も祝詞を唱え続けることに集中して、手助けをする余裕はないようだ。彼のひたいからも大粒の汗が流れている。
どうやら本当に将太郎ひとりで問題を解決しなければいけないようだ。
『答えよ! なにゆえに我を封じようとする?』
「俺たちは別にあんたを封じたいわけじゃない。この森で行方不明になった女の子を助けたいだけなんだ。ここに十五歳くらいの女の子が来ただろう? あんたならその子の行方を知ってるんじゃないかと思っているだけだ」
『そうか。あの娘の知り合いか』
女は唇の端をゆがめる。将太郎ははっとした。
「影沼のことを知っているのか? だったら、あいつがどこにいるか教えてくれ」
『そうはいかん。あの娘は我が転生するために必要な依代だからな』
「依代だと? どういうことだ?」
『我は人間になりたくて依代となる輩をさがしておったが、我の魂を受け入れる輩はいなかった。だが、ようやく見つけることができた。あの娘を依代として我は人間になるのだ』
将太郎には女の言っていることがよくわからない。人間になるとはどういうことなのだろう。ただ、ひとつわかっているのは女が憑依すれば、ヒミコの身体をしていても、それはもうヒミコではなくなるということだ。
「あいつには心配する友達もいる。あいつには自分の過去を取り戻すという目標もある。あいつはまだ生きたがってるんだ。勝手にあいつの夢を……、未来を奪わないでくれ」
『黙れ!』
突如桜の根が地面から生えてきて、鞭のように将太郎の身体を弾いた。
「がっ!」
将太郎の身体は地面にたたきつけられる。一瞬意識が飛んだものの、なんとか身体を引きずり起こして桜の木を見上げる。
「将ちゃん!」
声をあげた辰一に、将太郎は、だいじょうぶだ、と手を振る。桜の木を見上げれば、女はおそろしい表情でこちらをにらみつけている。けれど、不思議にも将太郎には女の表情がどこか悲しそうに見えた。
「なぜそんな力を持っていながら、おまえは人間になろうとする? おまえはここで神さまとして崇められてきたんだろう? なのに、なぜ人間なんかになりたいんだ?」
『おぬしのような人間などに我の悲しみがわかるわけがない!』
心まで突き刺すような悲鳴を女はあげた。
『我は天の定めでこの地に縛り付けておる。されど、我はこの池で出会ったひとりの人間の男に心を奪われた。男も我に会うためにこの地に何度も訪れた。我らは愛し合っておったのじゃ。されど、いつの時からか、あの男は来なくなってしまったのじゃ。我はその後、千年も男を待ち続けた。もう待ちたくない。人間になってあの男に会いに行く』
将太郎は瞠目した。目の前の女は鎮護神とはいえ、心は恋をする人間の女の子となにも変わらないことを知った。そして、彼女の願いはもう永遠に叶えられないことも……。
神さまにとっての千年という時がどれほど長いのか将太郎にはわからない。けれど、人間にとってはあまりにも長い。彼女が恋い焦がれた男がどうなったのかはもう知る由もないだろう。別の女ができたのか、あるいは病気で死んだのか、はたまた別の理由か……。
いずれにしても、もう彼女が人間になったとしても願いを叶えることはできない。
「……もうおまえさんの願いは叶えられないんだよ。人間は神さまほど長生きなんかできねえんだ。いくらさがしてもおまえが会いたい男はいないんだ」
『嘘をつくな!』
「神さまがどれほど長生きなのかしらねえが、人間の寿命は八十年だ。いや、千年前ならもっと短かったはずだ。どんなに一緒にいたくても人間はいつか死ぬもんなんだよ」
『嘘だ嘘だ!』
次々と桜の木から根が生えてきて、将太郎の身体に襲いかかる。
「はっ!」
だが、桜の根は将太郎の背後から飛んできた真空の刃に裂かれる。振り返れば、辰一が座禅を組んだまま術を使って将太郎を守ろうとしていた。
『ぎゃあああっ!』
女は絶叫をあげる。彼女も人間と同じように痛みを感じるようだ。
「よせ、辰一! 手を出すな!」
「でも……」
「あいつは俺が説得する」
将太郎はひとりで桜の木へと向かった。
「つらかったろうな。好きな相手と会えないのは一日千秋というからな。おまえさんにとっては千年という時は何万年何億年にも感じられただろうな」
『来るな!』
将太郎の身体をふたたび木の根が吹き飛ばす。けれど、将太郎はふたたび立ち上がって桜の木へと向かっていった。
「俺はおまえになにもしてやることができない。好きな男を連れてくることもできない。ただ、痛みを知ることしかできないんだよ」
将太郎の目から涙がこぼれ落ちてきた。カウンセラーとして患者の話を聞く毎日だが、いつも自分をはがゆく思う。患者に対して自分はなにもしてやることができない。ただ、心の痛みを聞いて相手が心の傷から立ち直るのを待つだけだ。
『来るな来るな!』
何度も木の根が将太郎の身体を吹き飛ばす。けれど、将太郎は何度も立ち上がって、桜の木へと向かっていった。体中があざだらけになったが、歯を食いしばって痛みを堪え、身体を引きずりながらも桜の木へと向かった。
やがて桜の前までたどり着くと、木の根は脅えたように将太郎に道をゆずった。
「俺がおまえの悲しみをを受けとめてやる」
将太郎が桜の木を抱きしめると、無意識のうちに癒しの手が発動していた。同時に、木の根が地面の中へと消えていく。
『……あたたかい。本当に人間はあたたかいのう」
いつの間にか、将太郎は桜の幹ではなく、ヒミコと同じ年頃の少女を抱きしめていた。腕の中で少女は声を押し殺して泣いていた。千年間積もりに積もった悲しみを吐き出すように少女は泣き続けていた。
『もう一度だけあの男に抱きしめられたかった……』
最後にそう告げると、少女も桜の木も消えていき、いつの間にか将太郎の腕に抱かれていたのは影沼ヒミコだった。
ただ、桜の苗木が湖の上に浮かんでいるだけだった。
*
影沼ヒミコは幸いなことに命に別状はなかった。
一日だけ入院したものの、翌日には雫と共にまた妖しげな活動をはじめていた。けれど、不思議なことに彼女は十六夜の森での出来事をなにひとつ憶えていなかった。
事件から数日後、将太郎と辰一は十六夜の森の隣町の寺に訪れていた。寺には小さな森と池がある。その寺まで将太郎と辰一は十六夜の森で拾った桜の苗木を持ってきた。
「ここが桜の木が恋した男の墓なのか?」
「正確には墓があった場所だけどね。調べるのに往生したよ。なんせ千年も前のことだからどの文献にも載っていなくてね。地方図書館を歩き回ってやっと見つけたんだよ」
「悪いな。手間を取らせちまって」
「将ちゃんはずっとあの子が気になってたんでしょ?」
将太郎はなにも言わずに、ただかすかに笑っただけだった。
あの桜がどうなったのか将太郎にはわからない。けれど、彼女の深い悲しみだけが胸に残ってはなれなかった。神さまとは思えないほど小さな身体の少女は、将太郎の身体を痛いほどに強く握りしめてきた。
せめてなんとかしてやりたいと思って、桜の木と人間の男の恋物語の伝承や伝説などを調べて、行き着いたのが男の墓があるという寺だった。
「ここか……」
男の墓があったところまでたどり着いたとき、将太郎と辰一ははっと息をのんだ。
目の前には桜の木が植えてあった。桜の木が千年間生き続けたとは思わないが、それでも男の魂があの桜の木の少女を思い続けていたような気がしてならなかった。
「さあ、もう二度とはなれように一緒にしてあげよう」
将太郎はうなずいて、辰一と共に桜の苗木を植えた。
「きっと今年はいつもよりもきれいな桜が咲くだろうね。なんせ大好きな恋人とようやく出会うことができたんだから」
ああ、と短く答えて将太郎はまだ枯れ木の桜を見上げた。
けれど、将太郎の目にはあざやかに色づいた桜の花が見えていた。
そして、そこには愛し合うふたりの姿も確かにいたのだった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
参加していただいたPCのみなさま
1522/門屋将太郎/男性/28歳/臨床心理士
2098/空木崎辰一/男性/28歳/溜息坂神社宮司
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■ ライター通信 ■
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毎度ご参加いただきましてまことにありがとうございます。
この度はネットが接続の関係で納品が遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした。
今後とも楽しんでいただけるように努めて参りますのでぜひともご参加いただきますようよろしくお願い申し上げます。
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