コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


白卵

 立て付けの悪い扉が、来客を告げる。騒々しくもあるが日常茶飯事の音に顔を上げたのは「開眼凡才亭」主人――――ではなく、番台で牡丹餅を食らう薬師、石輪乃願だった。
 指についたあんこを舐めながら、入り口で立ち止まった客へと呑気に笑いかける。入るように促して、行儀悪く足で椅子を勧めた。座るように示され、客がゆっくりと腰を下ろす。
「牡丹餅食いますかぃ?」
 皿を差し出したが困ったような顔を向けられて、願は牡丹餅を一つくわえて番台に戻した。
「店主に習ってビードロの説明でもしたいとこだがね、オレが知ってることなぞたかが知れてますや。かわりに面白いモンがあるんで。――見ますかい」
 楽しそうに首を傾げられ、客ははい、と頷いた。
 もはや本業が副業のような願は、もたれかかっていた薬味箪笥から一つの籠を取り出した。
 竹で編まれたそれは手の平よりも一回り小さく、藍の紐でぐるぐると封をされている。紐の途中には小さな木札がひっついていて、「卵」と焼き印が入れられていた。
「今、「とっけべい」てぇ店をしましてね。いらねぇもんを、オレが持ってる本とかと交換するんで。そこで「とっけべい」したモンなんですが、なかなか珍しい品なんでさ」
 甚平の袖を揺らし、得意げに説明しながら藍の紐を解いていく。籠の蓋を開け、柔らかな黒の布を退けると、真っ白な卵が現れた。
 願は愛おしそうに固い白を撫で、顔を上げて客の顔を見上げた。
「ちょぃと、割ってみませんかね?」







「はぁ」
 七重の抜けるような返事を聞いても、相手の笑顔は崩れない。さっさと割れとでも言いたげに卵を差し出してくる。心なしか、見下ろした卵自身もそれを望んでいるかのように思えて仕方がない。
 しかし安易に手を出すにはどうにも怪しく、仏頂面と名高い顔に僅か困惑を浮かべて、七重は卵を指差した。
「これは、どのような物なのですか」
「それがね、オレにもよく解らないんで。割って白身と黄身が出てくるなんざ芸がねぇでしょ? 見てみたい気もするもんですが、曲がりなりにも売り物ですからねぇ、自分で割ってみるわけにもいかんと、こういうわけで」
 そこで、と一拍溜めて、男は歯を見せて笑う。何か企みがあるとは思うのだが疑うことを許さない笑顔に、後退りそうになる。
「お客さんの出番。気に入って割ってもらえるなら、それだけでオレは満足なんで。暇も解消され、気にかかる卵も一発解決、何ら問題もなく一石二鳥。あいや、これぞビジネスってやつでさ」
 籠の中で卵が揺れる。何処か誘われるように手が動いた。
「お代はいらないのですか」
「暇が満たされるンなら、それがお代でやすよ。なに、自分で解決できないことを他人様に解決して貰うんだ。これ以上の報酬はありませんや」
 口で丸め込まれているのは気のせいではない。なにしろ七重は会話という、他人にはごく普通の作業が酷く苦手だ。生まれたときから商人面であっただろうこの男に、口で対抗できるわけもなかった。
 子供らしからぬ溜息をついて、籠ごと卵を受け取った。見た目普通の卵であり、ダチョウの卵とほぼ同等の大きさだろうか。
「こりゃ嬉しい。ところでお客さん、お名前訊いてもいいですかぃ」
「尾神七重、です」
「七坊ちゃんですな。お気に召さねぇなら、違う呼び方にいたしやすが」
「もう、いいです」
 人の会話を見守るのは得意だ。むしろ好きだと言ってもいい。だが自らに向けられた言葉を返すには多少の時間を必要とするし、ましてこの男のような多少の早口を理解するにも、これまた時間がかかる。
 早々に会話を切り上げようとした七重だったが、ふと相手の名前を聞いていないことに気づいて顔を上げた。別に伏せていたわけではないが、自分より倍以上の身長である男に目線を会わせると、どうしても見上げてしまう。
「あなたの名前をお聞きしても、よろしいでしょうか」
 質問に男は額を打ち、思い出したように目を見開いた。
「あいたぁ、こいつぁいけねえ。名乗る時ゃ自分から名乗れってね。――遅まきながら自己紹介をば、オレの名前は石輪乃願。しがない流れの薬師でござんす。どうぞ、お見知り置きを」
 今更見知り置きも何もないとは思うのだが、それでも七重は深々と頭を下げた。礼儀を忘れた自分は自分ではない。
 江戸時代のやくざ者のような自己紹介を終えて、願は再び牡丹餅を口に含んだ。音もなくそれを咀嚼しながら、七重の手を見つめている。
「割らないんですかぃ」
「これ、固そうですが」
「あぁ、こりゃ確かに。でもなぁ――うん」
 大丈夫ですぜと呟いて、願は卵に手を伸ばした。首を傾げた七重の手から黒い布だけを引き抜いていく。ごろりと卵が回転して、冷たい空が掌に触れた。
 背筋が凍りそうになるほどに、卵の表面は冷たい。氷でさえ、ここまでは冷たくないはずだ。それと同時に感じるはずのない堅さまでもが、手の平を通して骨から神経から、不思議なほどに鮮明に伝わってくる。卵の白は自分の肌より白く、しかし霧のように深く分厚い。
 ぼんやりと光を放ちそうな卵に一瞬見惚れた七重は次の瞬間、鼓膜を震わした亀裂音に肩を揺らした。
 あまりにも唐突に、それは始まった。
 大きな音のわりに、卵に浮き出た罅は小さい。しかし内部からは絶え間なく亀裂音が響き、肉体を通して耳に響いてくる。鼓動にも似た一定のリズムを刻みながら、徐々に音量を大にして、亀裂の音は迫ってくる。ただそれを感じていたのはほんの一瞬。次の変化が訪れるまでに一秒もなかったはずである。
 ぴよ々々々……
 番台の願が目を輝かせて身を乗り出す。ひときわ大きな亀裂音が、古いぽっぴん屋を揺るがすように轟く。石が割れるような鈍い音を響かせて、それは生まれた。
 手の平に乗るほどではあるが規格よりも多少大きな、丸々とした白。つぶらと言えなくもない瞳にはふてぶてしいほどの色をたたえ、まっすぐに七重を見上げている。丸みを帯びた嘴はぬらりと光り、志し新たに人の世へ生まれ落ちたひよこそのものだった。
 それ以外にいったい何と例えることができるのだ。
 無い。
 そんなものは一切無い。
 例え森羅万象千変万化、多種多様な例え言葉を用いたとしてもこれは無理だ。例えが大幅に違う気もするがそこらはもう気にしない。気にしてしまったら、手の平でふんぞり返る小さな者に、負けてしまいそうな気がするからだ。
 可愛らしく首を震わせ、体にまとわりついた液体を床に振りまく。風呂上がりでもあるまいに大きな息を吐き、満足したように頬を紅潮させた、ように見えた。それほどにひよこは人間じみている。
 鮮やかとも言えよう白の産毛がどこからか吹き込むそよ風になびき、ゆるゆると乾いてゆく。その様子に呆気にとられながら、七重は思い頭を回転させた。
「えぇ、と」
「いや、なんともはや。まぁ、拍子抜けと言えばそれまでですがね、ある意味王道ではあるかと」
 笑いたいのか困りたいのか解らぬ顔で、願はひよこを覗き込んだ。足の動作を丹念に確かめながら、ひよこはゆっくりと殻を床に蹴り落としてゆく。最後の一枚が割れる音でようやく自分を取り戻した七重は、上から下まで、約十センチのひよこを眺め回した。
 何度見ても瞳の色はふてぶてしい。
 頭を跳ね上げ七尾を見上げたひよこは大きく、見た目小さく、しかし勢いよく口を開けた。嘴の向こうから響いた声は声でなく、音の波として七重の頭に響き渡った。
「我は不死鳥なり。おぬしが我を温めた九万九千九百九十九人目じゃ!」
「不死鳥ですかい!」
 やけに嬉しそうな願の声が響く。
 厳かに、満足そうに頷いたひよこは殻のない七重の手の平に座り込む。卵の時とは正反対の、生き物の暖かさが伝わってきた。
「腹が減ったぞ」
 そんなことを言われたって困る。
「何を、食べるのですか」
 威厳たっぷり過ぎてこちらが畏まってしまう。礼儀正しく聞いてみればひよこはにやり笑って、言った。
「若いの、よいのを憑けておるな」
 水たまりに落とされた小石のようにひよこの声が響き、直接語りかけてくる。
「おお、丸々と肥えた黒い蟲じゃ」
 くすぐったいつつき方をしたひよこは、七重の肩から素早く何かを攫っていく。カメレオンのように素早い動きでひとのみにすると満足げに羽を動かした。老人のような笑い声を上げ、餌がないかと暫く探ってから、新しい獲物、願へと向き直る。
「ぬしも若いのを見習って、何か出せ」
「出せ、って言われてもねぇ。って、あぃたっ。なにするんですかい?!」
「出せと言われたら出すが良いぞ」
「出せませんって」
 自称不死鳥は三回続けて何度も何度も願を責め立てる。肩に穴が空くなどと喚、椅子からずり落ちそうな願を見て、七重は興味深い溜息をついた。
 この際不死鳥はどうかは関係ない。白色レグホンの不死鳥などは聞いたことがないからだ。にわかに信じがたい光景を眼にして七重は口元に笑みを浮かべる。しばらくは、この自称不死鳥を見ているだけで飽きないかも知れない。
「面白いな」
「若いうちから独り言とはよくないのう。仕方ない。しばらくは我がぬしの話し相手になってやろうぞ。これほど光栄なことはないのう。よかったのう、若いの」
 つつくことだけは忘れず、不死鳥は語りかけてくる。既に決定事項の話し相手は食い足りないようで、やっと引き出した蟲以外を催促していた。
「話し相手、ですか」
「そうじゃそうじゃ。嬉しかろう? そうだろう。光栄に思うがよいぞッ」
 可可と笑った不死鳥は威厳だけはある物の体の大きさが追いつかないものだから、何処か笑いを誘う。
「ありがとう、ございます」
 疑問符を隠して礼を言えば、よいよい、とふんぞり返られてしまった。
 不思議な鳥だと思う。インターネットで検索したら、この鳥について何か出てくるだろうか。
「どうしたぼんやりしおって。――ははぁ、わかったぞ。我の毛並みに見惚れておるのであろう、そうだろう。成長になれば目を離すこともできなくなるからの、心しておくがいいぞっ」
「それは、楽しみですね」
 実際楽しみだ。人の手で暖められ孵化し、災いの蟲を食して成長する不死鳥。しかも毛並みの色は白ときて、成長したら鶏になるんじゃないかと少々心配もする。しかし毛並みが美しいのは確かだから、鶏であってもそれは見事な鶏であるのかも知れない。
「楽しみですね」
 話し相手になって貰うのもいいかも知れない。興味深い出来事で頭を悩ませていられるなんて素敵なことだ。
 自分が孵した白色レグホン――もとい不死鳥を丹念に眺めながら、蟲の他には一体何を食べるのだろうとゆっくりゆっくり考えた。足元に散らばった卵のかけらは、いつの間にか砂と崩れて消え去っている。









登場人物

■2557 尾神・七重 十四歳 男 中学生

□NPC 石輪乃・願 二〇歳 男 薬師