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<東京怪談ノベル(シングル)>


祈問


 気紛れは罪をも犯し、ただ嘆きだけを抱かせる。


 一人、魔術師がいた。死の病を患っている事に気付いた彼は、工房にて一体のホムンクルスを作り上げた。
 気紛れに。
 ただ、気紛れに。
 彼が持ちうる錬金術の全てを以って、彼のいる工房にある整っている設備を使って。彼女は、誕生した。
 ほとんど掃除をされていない汚い工房で生まれた、純真な少女。小麦色の肌に良く映える、緑の髪。ゆっくりと開かれた赤い目。
 中に宿るのは、無垢なる魂。
 魔術師は彼女を見つめてそっと手を伸ばし、小さな声で呟いた。
「サイン……」
 彼女はその言葉を脳内に刻み込ませ、それが自らの名だと理解した。その名の意味は分からなかったが、自分の名なのだと思えば体がどくんと震えるような感覚に襲われた。それをどのような言葉で表現するかなど、まだ学習していない為に分からない。
 ただ、どくんと撥ねた。
 彼女は知らない。サインというその言葉に秘められた、魔術師の思惑を。その言葉に込められた本当の意味を。
 まだ、知らない。
「サイン、お前に教えよう」
 魔術師はそう言い、サインの髪をそっと撫でた。
「料理を、教えよう。人はお腹が減れば、食事をしなければならない」
「食事」
 気になる言葉が出てきたために、サインはぽつりと呟くように言葉を発した。魔術師が話す言葉ならば、理解できるようになっていた。ただ、言葉を知らないだけだ。
 赤ん坊と同じ。耳に入る言葉のそれは分かっても、意味を解さない。音楽のように流れてくる言葉を、身の内に留める事はできるのだ。
「そう、存在する為に必要な栄養の摂取をする為だ」
「栄養」
 きょとんとしてサインは呟く。魔術師は頷き、サインが抱く疑問に一つ一つ答えていく。諭すように、また与えるように。
「こうして話しているだけで、栄養は使われている」
「摂取」
「摂る事だ。物を食べ、体に必要なものを得る事をいう」
「それが、食事」
「その通り。食事をする為に必要なのは、食べ物だ」
「食べ物……それを得る為が、料理」
 魔術師は笑った。微笑みながら「その通り」と答える。そっとサインの頭を撫で、サインの手を取る。
「料理をするのは、台所だ」
 魔術師はそう言うと、サインの手を取ったまま台所へと向かう。台所につくと、一つ一つ調理道具や食材について説明をする。野菜を切ったり、肉を炒めたり、味をつけたり。そういう小さな事を一つ一つ教えた。
 言葉と、動作を。根気良く、一つ一つ。
 サインはそれらをただ聞くだけで、質問したりする事は無かった。彼女にはまだ質問する理由は無く、分からないという事が分からない状態なのである。サインは今、渇ききったスポンジの如く、与えられる知識という水を吸収していた。
 貪欲に、漏らす事なく。
 そうして出来上がった料理を、魔術師は皿に盛ってテーブルへと持っていった。一緒にスプーンやフォークといった道具も持って行く。
「これらを使って、食べる。手づかみには極力しないように。これがフォーク、これがスプーン」
 サインが頷く。それを見、魔術師は微笑んだ後に手を組んで目を閉じる。目を閉じたままでも、サインが不思議そうな顔をしているのが分かった。魔術師は祈りながら、そっと口を開く。
「これは、感謝の祈りだ。この目の前にある食事は、多大な感謝の元に成り立っている」
「感謝」
「そう。ありがたいと思う気持ち。嬉しいという気持ち。存在を喜ぶ気持ち」
「……祈り、とは」
「祈り……祈りは、ただ願う事」
「願う」
「こうあればいいと、こうあってほしいと、ひたすらに念じる事」
「ひたすらに」
「……ひたすらに。狂おしいほど、哀しくなるほど」
 立て続けにいうと、サインは不思議そうな顔をしたまま小首をかしげた。魔術師はくつくつと笑い、そっと目を開ける。
「今は、まだ良かろう。食事の前に祈るという、ただそれだけを知ればいい」
「知らなくていい?」
 やはり不思議そうなサインに、魔術師は笑う。
「いつしか、ちゃんと教えてやろう。必ず」
 魔術師はそう言い、食事をする為にフォークを取った。サインはそれを見、同じようにフォークを取った。魔術師がする事をそのまま真似、同じように口へと運んでいく。
 それが、初めての食事だった。
 魔術師はその他にも、掃除や洗濯といった基本的な家事、それに付随する言葉や動作などを一つ一つ教えていった。ゆっくりと、そうして気紛れに。
 教える時はとことん教え、教えない時はただゆるりと流れる時間を楽しんだ。真っ白な彼女の中に刻まれていく、様々な世界の成り立ち。彼女にとっては魔術師が教えるものが全てであり、そうして得る事のできる知識だった。
 与える魔術師、受け取るサイン。在って当然であり、無い事が不自然なまでになっていた。分からない事が全てなくなる迄、教えてもらう事があたりまえなのだと、サインはいつしか思い始めていた。
 そんな折だった。
 魔術師は突如サインを呼び、目の前に座らせた。サインはじっと、魔術師を見つめる。また何か教えてくれるのだと思い、知識を得る準備を無意識にしながら。
「サイン……懺悔をしよう」
「懺悔、とは」
「私の罪を、告げることだ。そうして、許しを乞うのだ」
 サインはいつもとは違う雰囲気に、小首をかしげながら口を開く。
「罪……」
「私が犯した、やってはならぬ悪い事だ。だが、悪い事だと分かっていながらやってしまう事を、私はやってしまった」
 サインは何も言う事ができず、ただ魔術師の言葉を待った。魔術師は一呼吸置き、口を開く。
「私には、かつて娘がいた。だが、お前を作る事ができたのに、私は娘を救えなかった」
 魔術師は嘆く。サインから目を逸らし、苦痛に顔を歪ませている。サインは何も分かる事ができず、じっと魔術師を見つめていた。どうしてそのような表情を見せているのかすら分からないのだ。
 どうしても、分からない。
「それなのに、私はお前を育てている。それこそが、私の罪。罪とはつまり……お前を指すんだ、サイン」
「私が、罪」
「お前にとっては、罪ではない。だが、私にとっては罪なのだ。気紛れに作ったお前がこうして目の前にいて、娘を救えなかった私がお前を育てている」
 魔術師の言葉に、サインは首を振った。よく分からなかった。魔術師の言葉ならば多少は分かっても、その裏にあるものがさっぱり分からないのだ。
 戸惑いを見せるサインに、魔術師はそっと優しく微笑んだ。慈しむ目を向けて。
「いいんだ。……私は、お前を本当の娘のように思っているのだから。私の残り少ない命を割いてでも、お前を育てられて良かったのだ」
 魔術師はそう言ってから立ち上がり、サインに「ありがとう」と言って頭を撫でた。サインは最後まで、その意図を知ることができなかった。


 それから一年後、魔術師は倒れた。その時には、サインに齎された知識は膨大なものになっていた。洗濯や料理、掃除といった基本的な家事は新たに教えられる事なく、こなせるようになっていた。
 魔術師は病床で、サインを呼んだ。サインはいつも通り、魔術師の傍につく。
 いつも通り。
「……私は、これで終わりだ」
 魔術師はそう言い、そっとサインに手を伸ばす。
「いつしか、約束していた。祈りを、教えようと」
 サインは思い出す。生まれてすぐくらいに、魔術師に言われた事を。いつしか教えようといわれたまま、結局は教わっていない事を。
「祈りとは……思うことだ。心のうちに、幸せを思うこと」
 魔術師が伸ばした手を、サインは握り締める。震える手は、震える声は、今までで一番弱々しい。
 サインには分かった。魔術師の言っていた、最後の時というのがやってきているのだと。
「お前を所有してくれる、そんな人物が……きっと与えてくれる」
「私、を?」
 魔術師は、静かに頷いて微笑む。
「きっと、全てを与えてくれる」
 魔術師の言葉に、サインは頷く。魔術師は微笑み、小さな声で「イルフィア」と言った。サインはその言葉に頷く。頷かなくてはならないような気がしたから。
 そうして、それが最後だった。
「……終わった」
 サインは、握っている手が力ないことに気付いて呟く。それは魔術師から教えられていた、死というものなのだと理解した。
 知識として与えられていた「死」なのだと、確かに理解した。
「どうして……動かないんですか?」
 死。
「もう、喋らないんですか?」
 それが、死。
「……教えてくれないんですか?」
 それこそが、死。
 魔術師に襲い掛かった死は、全てを止めた。サインは動いているのに、喋っているのに、教わろうとしているのに、魔術師にはそれができぬ。
 死とは、そういうものなのだ。
 サインは動かない魔術師の手をそっとベッドの中に戻し、立ち上がる。魔術師自身が死んだら持って行けと用意してくれた手荷物を取り、外へと出た。
「イルフィア……サイン……」
 娘だというイルフィア、罪だというサイン。二つの名がぐるぐるとサインの中を巡り、一つになる。
 サインの目から涙が流れた。何故流れたかは分からない。喉の奥が熱くなり、自然と流れていった。
 つう、と一筋。
 サインはそれを指で拭い、歩き始めた。一度だけ魔術師が眠る家を振り返り、それからは背を向けて足早に歩き続けた。
 胸に、祈りが刻み込まれていくかのように。

<問いし祈りは熱く響き・了>