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暗躍する魔術師
【プロローグ】
「今回の依頼は件の道具屋からの奪還依頼。腕利きの泥棒が、ある人物に品物を流したんだ」
昼下がりにふらりと草間興信所を訪れた魔術師、セレナ・ラウクードはそう言った。
「その、男とは?」
「こいつだよ」
懐から取り出した雑誌のページを開いて、ばさりとテーブルの上にセレナが置く。
「む……『暁の祝福』?」
「新手の宗教屋さんだ。最近信者が続々と増え続けていて、飛ぶ鳥を落とす勢いだよ」
「この、宗教屋が何を……」
「ここの教主が、品物を買った奴だと僕は思っている」
武彦の言を遮ってセレナが断言する。
ふと武彦が見返した彼の瞳は、人形のように無機質だった。
「盗まれたのは三流の魔道書でね。ある程度の戦闘力を持ったクリーチャーを召喚する」
「……雑誌にある『幻想から天使を呼び出す御業』とは、その効果か?」
うっすらと、セレナが口の端を歪めた。
「そう。更なる高みへ上る気など最初から無い、愚者の愚行だよ」
「今回は件の集団及び集団の主を調査し、その後にどうにかして品物を取り返したい。確信はあるんだけど、何も知らないのも良くないし……僕だけでことに当たると、件の集団が全滅して品物は出てこない、という事態にもなりかねない」
「……何気に怖いことを言うな、セレナ」
「不器用だからねぇ……で、適当な人、居ないかな?」
セレナ・ラウクードは、行儀良く、やはり微笑みながら首を傾げた。
そう。
この場面が、全ての始まりであった。
【1】
「魔道書、ねぇ……」
目の前の男、セレナ・ラウクードから依頼内容を聞いて思わず眉を顰める。
「おや、本は嫌いかい?」
「……そういうわけでは、無いのだけれど」
一筋縄では行きそうにない事件―――もっとも、この草間興信所に舞い込んで来る事件の大半に、この言葉は付けられるのだが―――が厳然と在るという事実に閉口していた彼女、シュライン・エマの渋面をどういう風に捉えたのか。
いささか見当の外れたことを口にしつつ、目の前の金髪の青年がこちらを覗き込んでくる。
―――白いコートを身に纏った、金の髪と青の瞳。
知性の光と飽くなき興味がその身から漏れ出ているその魔術師は、今回の依頼主であるセレナ・ラウクードその人であった。
軽く首を振りつつ、シュラインは彼の言葉を否定する。
「ええ、その、本は好きよ。愛とか平和と同じくらいにね」
「それは素晴らしい」
「今回の話題に上った魔道書なんて、是非とも読んでみたいわね……けれど、私が顔を顰めたのは貴方の依頼が「魔道書の読書会をしましょう」という方向性のものではないからなの。良い、セレナさん?」
「ふむ」
それを聞いて、成程、とセレナが相槌を打つ。
「系統の似た書物なら、今度貸してあげるよ?」
「………ありがとう」
にっこりと邪気無く微笑む彼に、小さく嘆息しながら礼を言う。
目の前に座している男は、成程賢い。しかし些か「会話を楽しみ過ぎる」きらいがある……
「……その辺は諦めろ。俺はもう、諦めたよ」
セレナの座っているソファ、その隣に居る武彦が疲れたように声を上げる。
――――二人は、依頼を受けてくれそうな人物とこの興信所で会っているのだが。
どうも彼女は、その最初の一人目というわけでもなく。つまるところ、少しばかり慣れるのに時間がかかるこの男に武彦はかなりの時間付き合っている次第である。
「武彦さん、死なないでね」
「………ああ。とても、頑張る」
小声でエールを贈ってから、彼女はこほんと咳払いを一つ。
自分の話す環境を形成し、まっすぐにセレナを見据えて話し始めた。
「それで、セレナさん。貴方が私に求めるのは、その教団の調査なのね?」
「その通りさ。あの教主が持っていると確信はしているんだが、確証が無くてね。回りくどいかも知れないけど、色々と調べて欲しいんだ。敵の情報について、僕はまだ何も知らない。この興信所に来たのが最初のアクションなのさ」
「戦闘は?」
「そちらの畑の人も何人か見繕って貰うつもりだ……なに、いざとなれば僕だけで行けるよ」
うっすらとセレナが笑う。
そこに見え隠れしたのは、彼の矜持。魔術師の戦闘者としての自負だった。
「まったく、巴が居れば色々と楽なのにねぇ。困ったものさ」
「ああ、やっぱり巴さんの………すると、この間途中で帰った魔術師さんは貴方なのね?」
「ふふ、そう。あの幽霊の件では相棒が世話になったね、シュライン・エマさん。しかし、僕は君にその辺りのことは話していないんだけど……やっぱり、って何だい?」
「今の雰囲気、あの黒い退魔師さんにそっくりだったもの」
その台詞に、初めてセレナは間の抜けた顔を見せる。
「…………はは!そうかそうか、それはまた!凄いな、貴女は!」
ややあってから、弾けるような笑いが、瞬時に場を支配した。
「いやいや、面白いよ……それで、引き受けて貰えるのかな?」
「ええ、勿論。宜しくお願いするわ」
「こちらこそ。聡い女性と仕事が出来るなんて光栄だ」
頷き合って、す、と差し出してきた彼の手を迷わず握る。
此処に彼女は、此度の舞台に上がる資格を得たのである。
「ところで、やっぱりパフェとかお好きなの?」
「うん?ああ、あいつの趣味だね……残念ながら、僕は甘いものが苦手でね」
ふと湧いた疑問に小首を傾げたシュラインへ、セレナはぱたぱたと手を振ってみせる。
そして、ポケットから胡椒のビンを取り出して微笑んだ。
「こいつでも振り掛けてやらないと、とても食べられないよ」
「なんて、嘘………」
とんでもないジョークに、一瞬だけ顔が凍りつく。
「………エマ、事務所の冷蔵庫のタバスコが三十分前に全て尽きた理由を知りたいか?」
「………」
―――仄暗い闇から響くような、死んだ目をした武彦の声。
「零が、こいつの頼みで十本ほど買出しに行っているよ」
ジョークではなく、そして笑い話にもならない事実。
事件にまだ触れてすらいない昼下がりに、一つの怪異が彼女を戦慄させた――――
【2】
「……『暁の祝福』について聞きたい、ですか」
「はい、是非とも」
どうかお願いします、と頭を下げる。
「うーん……良いけど、そちらの期待する情報が得られるかどうかは分からないよ?」
礼儀正しいこちらの態度に好感を抱いたのか。
最初は警戒すらしていた風のある目の前の若い男―――まだ大学生だ―――はほぅ、と肩を降ろしてから肩を竦めた。
「手早く済ませてしまいましょう。さ、こちらへどうぞ」
手招きして、男が自分のアパートの中を示す。
「それではお邪魔します」
「……お邪魔します」
―――コンタクトに成功した。
心中で短く呟きながら、秋月・律花と櫻・紫桜は目の前の男に頭を下げた。
「それで、どうしてあんなところに興味を?」
カチャリ、とコーヒーカップを置きながら男が目線と共に問うてくる。
……二人も。その言外に在る意味が汲み取れないほどの無能ではない。
「斉藤さん、私は友人から貴方が敬虔な信徒であったと聞いてきたのですが」
「ふふ、秋月さん、だったかな。貴女の友人も間違っちゃいませんよ」
「と、いうと?」
「ほら、『敬虔な信徒だった』と―――――過去形で言っているでしょう?正鵠を射ている」
「……その辺りのことを、詳しくお聞かせ願えますか」
どこか気の抜けた返事をする彼に、紫桜が鋭く切り込む。
―――そう、彼らは既に『暁の祝福』の大まかな概要については理解をして来ている。
インターネットや雑誌といったものから得られた、表層的な情報。
それに対する裏付けの意味合いも込めた、現場を知っていた人間とのコンタクトは必要だった。
「そうか……それじゃ、少し長くなるよ?」
「ええ、構いません」
頷く律花と紫桜を見て軽く鼻を鳴らしながら、男が眼鏡を弄りつつ話し始める。
「……もう知ってるかもしれないけど、あの教団も最初は浄土真宗系統の団体の下部組織でしかなかったんだ。ほら、そういう組織って存外に大学に入り込んでいたりするじゃない?サークル申請なんかしちゃってさ」
「そうですね。私の大学にも、事実あったわけですし…浄土真宗というと、親鸞ですか」
「そうだねぇ……」
「一遍上人の教えについては?」
「ふふ、あれかい?僕は嫌いじゃないけどね……結構、個人個人で差があったよ。君は?」
「私も嫌いでは……まだ不勉強な部分もあるので恥ずかしいのですが、そもそも念仏を唱えた者が全て救われる、というものから札を持つものが全て赦される、とシフトしたことへの反発の度合いが、所謂内部でどのくらいであるかについては興味が………と、ごめんなさい。話を戻しましょう」
「うん、そういった話は大歓迎さ。機会があればいずれ、ね………さて。件の教主が、そんな大学に食い込んでいる団体のリーダーも兼ねていた背景もあって、色々と広まったときに速度が凄かったんだ。まぁ、多くの場合彼等は熱心で、悪いことなんかしない善良な集団であるわけなんだが……紫桜君?君の行ってる大学にもあったりするよね?」
「あ、ええと……そうですね」
(俺は高校生ですが)
そんな呟きは心の中で数回呟くだけで済ませ、差障りの無い対応をする紫桜。
「……制服でも着て来ればよかったかな」
「うん?まあ良いや。そんな訳で、その為になる集団の頃の僕は結構熱心なメンバーだったんだ。昌義さん―――あ、教主の名前ね―――も機知に富んだ話をしてくれる、良い先達だったよ」
ふ、と、男が遠い目で窓の外を見た。
「そう………彼がそのままであれば、僕も冷めたりしなかったのにね」
「それは……」
ついに、深層に近付く。律花が言葉少なに相槌を打ち、先を促した。
「………或る日の集会。あの人は、一冊の本を持ってきてね。いつもの魅力的な語り口と笑顔で、自分が神に選ばれた人間であると告げちゃったんだ」
「神に選ばれた、ですか。親鸞の教えを伝える会で出る言葉じゃないですね」
「そうだねぇ。だから事実、いかに彼が魅力的であろうと皆呆れたんだが……彼は、その証拠だよなんて言ってさ。『その場で天使を呼び出したんだ』」
「……天使ですか」
(……やはり、此処……!)
本と、天使。
気にしている二つのワードが出てきた。
下調べした情報では、前者は殆ど出てきていなかった。すなわち、本当にその現象が魔道書によるものであったら、意図的に教主は魔道書の存在を隠しているのだろう。
――奇跡の御業は、あくまで己自身の行うものであると主張せんが為に。
「本当に、本を持っていたんですね?」
「ああ、そうだ。沢山の人数を呼んだ後の集会では、もう見せていなかったけど……あれが必要なものだとは、最初の身内だけの集会のときにはっきり洩らしたからね。多分、隠し持っているんだろう」
「……そして、その男は己を教主とした集団を形成したんですね」
「うん、正解。僕はその、そんな経緯もあってさ。前とのギャップを感じる立場だったから、なんとなく嫌になって辞めちゃったんだ」
分かったかな?と、眼鏡の奥から男が人の良さそうな瞳を覗かせる。
「つまり、教主は最初からあの召喚能力を持っていたのではなかったのですね?」
「そう、多分ね。あの人は集団のリーダーを十年以上続けている。あんな凄い能力を最初から持っていたのなら、数年待つだけで十分だ。そりゃ、それだけ注意深いんだって指摘されればそれまでだけど、つい最近まで隠し持っていた意味も無いだろう?」
「ええ、賛成できます」
「うん……ええと、秋月さんに紫桜君。そんなわけだから、僕としてはあの教団に入るのはお勧め出来ないな」
気をつけてね、と男が念を押す。
これで話すことは全て話したといわんばかりに、ふっと肩の力を抜いた。
その雰囲気を察して、腰を浮かせた彼に律花が声を上げる。
「あ、最後にお聞きしたいのですか……その急変っていつごろの事だったんですか?」
「ん?ああ……そうだね」
いつだったかな、と一瞬男が視線を宙へ向け、
「うん、三ヶ月くらい前かな。考えてみれば、凄い速度で変わったねぇ……」
昔を懐かしむように、嘆息した。
「「お邪魔しました」」
それから十分後。
色々と質問を重ねた後に頭を下げて、二人して玄関を出る。
「律花さん……確か、セレナさんから聞いた本の盗難時期って」
「……ええ、殆ど一致する。彼から聞いた本の色も多分同じだし、買い手が早く見つかったのね。買ってすぐに使い始めたのだから、余程興奮したのかしら」
「男っていうのは、魅力的な玩具に得てして弱いんですよ」
「あら、それは知らなかったですよ、紫桜さん」
ふ、と微笑みながら律花がおどけたように紫桜に反応して、のんびりと歩き出した。
「集合場所に戻りましょう。他の人たちも何かを掴んでいることでしょうし、ね」
【3】
―――――同時刻。
シュラインと冥月は、取材という名目で教団の人物に接触を図っていた。
「お待たせ致しました。私が『暁の祝福』の代表をしております、吉沢昌義です」
「……シュライン・エマです」
「黒・冥月だ。そちらの組織に興味があり、本日は友人の取材に同行させて貰った」
「そうですか。それは、とてもありがたいことですね」
吉沢昌義と名乗った男が、丁寧に頭を下げた。
………それはいささか、予想外の展開ではあった。
暫くお待ち下さい、と豪華な部屋に通されたのは数十分前のこと。
もっともらしい名目で内部に侵入し、施設を観察。大体の間取りは把握できた。
最後に、インタビューを偽って内部の人間と接触を図ろうとしたのだが……
(大きい魚が、釣れすぎたかもしれないわね)
「……まさか教主自らが応対して下さるとは、予想外でした」
「いや、右も左も分からぬ未熟者が立ち上げた集団です。大したおもてなしの出来ない 私は、こうして誠意を見せることを怠ってはならないのです」
「素晴らしい心掛けですね……それでは、幾つかお伺いしても?」
「ええ、お好きなだけどうぞ」
「それでは……」
座りを直し、手帳を手に取りながらシュラインは隣に座る冥月と視線を交わす。
(始めるわね)
(ああ、私はあくまで護衛のつもりで来ているのだしな。任せる)
こくりと、無言で頷き合った。
「……貴方の話題と云うと、まずは「奇跡」についてですが。これはどのようにして身につけたのでしょうか?」
「正確には、身につけたのではありませんよ、シュラインさん」
にこりと、吉沢が微笑む。
「この力は、神から授かったのです」
「つまり……それをして、貴方は選ばれし者であると?」
「私は、そう理解しています」
「そうですか……何らかのマジック・アイテムを使っていたりは?」
「儀式の際、私は何も」
「あら、幾らでも隠せますでしょう?貴方の聖性を上げるためなら、その方が望ましいですもの」
「ふ………成程、これは有意義なインタヴューになりそうですね」
のらりくらりと質問の意図を回避する吉沢に、シュラインは追いすがる。
しかし吉沢も、簡単なミスを序盤から起こすほどの愚鈍ではないらしい。
「しかしノン、とだけ申し上げておきましょう。神に愛された私の体こそが、そうですね。ある意味でのマジック・アイテムなのでは?」
「どうにも…信じ難いですね」
「なんなら今度、集会にお越しになりますか?疑惑は容易く消えぬでしょうが……」
「………く」
シュラインへ真摯な瞳で告げる吉沢に、冥月が苦笑しつつ顔を背ける。
(仮面の被るのは上手いな。あの魔術師ほどでは無かろうが……)
シュラインと吉沢の対談が、なめらかに続いて行く……
「……それと、吉沢さんはこの組織の前身では、親鸞の教えを説いていたそうですが」
「ええ、そうですね」
「今は、教義として貴方に力を授けた神を信奉し、修行をした者のみが真の幸せを掴めると仰られているそうですね?それに伴い、お金を持っている信者さんからは随分と……」
「彼等は進んで寄付をしてくれているのですよ」
「……しかしそれにしても、他力仏教寄りの人物であった貴方がそのような主張へ向くのはいささか不自然ではないですか?」
「やはり……納得頂けませんか?」
「ええ、そこのところは不可解です。実を言えば、その、天使の召喚というものも……」
穏やかながらも喧々囂々の感を漂わせる会話が続く中、シュラインが首を振る。
「残念ですね……しかし、人はいつの世にも新しい物を容易く受け入れない」
「それは愚鈍ではなく、知恵でしょう」
「ふむ……やはり、そうですね。シュラインさん、一度集会に来ませんか?」
「……それは、願ってもないお話ですが」
「なに、構いませんよ。その程度の労と開放性を惜しむ者ではないつもりです…そう、そこの冥月さんにも理解を深めて頂けるでしょう。ご友人、ご同僚を連れ立ってお越し下さい」
にこやかに吉沢は告げる。
それは――――何かのアクションを起こしますか?という誘いかも知れず、
何かアクションを起こしてあげましょうか?というコトバなのかもしれなかった。
「そうですね……今見せて頂くことは?」
「ああ、そうしたいところですが――私は未熟者故、そう気軽に使えるものではありませんので」
「無理であると?」
「申し訳無い。疲弊した状態でこの後に控えている仕事を行うのは厳しいのですよ」
なんのてらいもなく、堂々と言って再び頭を下げる吉沢。
何を考えているのか――――――
「……分かりました、吉沢さん。それでは後日改めて伺わせて頂きますわ」
「ああ、そうして頂けますか」
それは良かった、と安堵する吉沢。
(発信機を付けて、火災でも起こしてやれば……保管場所も割れるかしらね)
(ほう、実行するか?)
(やめておくわ……今日はひとまず退きましょう。いざとなれば召喚現場で押さえる)
(ふ、それも悪くないな……)
などと小声で話しながら、彼女達も調査を終えて拠点へ戻ることにした。
【4】
「成程ねぇ……うん、良く調べてくれたね」
ありがとうだよー、と微笑みながらセレナが皆へ礼を言う。
時を経て、ここは都内にあるホテルの一室。
タバスコの瓶が乱立するスウィートの室内で、皆が手に入れた情報を共有化しているところである。
「うーん、やっぱりその教主は魔道書を持っているみたいだね」
「ええ、それとシュラインさんに指摘された召喚のプロセスですが……特に変わったことは無かったそうです。多分、そちらも同じ証言だと思いますが」
「そうね。あの後に信者の人へ聞いてみたけど、やっぱり工程は一定みたい。律花さんと紫桜君が得た証言から考えると、魔道書も毎回所持しているのでしょうね」
律花とシュラインが、確信して頷きあう。
魔道書については、高位の魔術師が使用するならば手元に無くても召喚可能な場合があるとセレナから聞いていたが――――そこまでの高みに到達するには、絶望的な研鑽を必要とするとか。状況を鑑みて、召喚儀式の際に教主は魔道書を持っているに違いない。
「さて、それじゃ招待には応じようか?面倒だし、その場で拝借しても良いしねー」
「………本気ですか?」
「うう、紫桜君の視線が痛い。でも、冥月君のスキルでどうにかなりそうだしさ?」
半眼で指摘する紫桜に苦笑を返しながら、セレナがちらと冥月を見る。
視線に気付いた彼女は、ふん、と軽く鼻を鳴らして返答した。
「詳しくは分からないけど、君の能力は隠密行動に向くんだよね?僕がその場に居合わせれば、何処に魔道書が隠されているかくらいは余裕で分かるから……」
「…その足取りを追い、あわよくば奪還のアクションに繋げるか。随分と買ってくれるじゃないか」
「勿論さ。仲間を信頼するのは当然だ」
中性的な顔立ちで、セレナがにっこりと笑顔を咲かせる。
「ク……面白い。付き合ってやろう」
「それは嬉しい。さあ、それじゃ見られる天使が可憐であることを祈りつつ……」
ずい、とテーブルの上に置かれたピザを皆へ示す。
「明日に向けて英気を養おうじゃないか!」
その傍らに、空になった赤いタバスコが五本。
緑のものが、六本ほどその亡骸を晒していた―――――――
「すいません、やらなきゃいけない宿題があるので帰りますね」
「紫桜君、きみ、今日は此処に泊まっていく予定なくらい暇じゃなかった?」
ぱたん。
「私もレポートが……」
「あ、それなら僕が夕食の後に相談に―――」
「いえいえいえ、セレナさんに迷惑はかけられませんよ!」
「いや、遠慮しなくても」
ぱたん。
「あ、私、今日は武彦さんと夕食の約束が」
「……武彦も今日、夕食に此処へ来るんだけど」
「それじゃあ零ちゃんでいいわ」
「うわ、酷いねエマ君」
ぱたん。
「冥月君………」
「悪いが断る。食ってやっても良いが、その場合は仕事を降りる」
ぱたん。
四回、扉が閉まる。
「…………ふふ、皆、遠慮がちなんだね。奥ゆかしいことだ」
ソファには、白い魔術師が一人。
ピザを一人でぱくつき始める。
……この場面はここで否応無く終幕であり。
早急に次の朝、すなわち怒涛の後編へ突入する―――――。
【5】
そして、翌日。
「これはこれは、ようこそお越し下さいました」
セレナ達は予定通り、『暁の祝福』の本部へ足を運んだ。
「今日はお世話になります」
「ええ、それではこちらへどうぞ」
ぺこりと頭を下げる一同に朗らかな笑いを見せながら、眼鏡をかけた男が建物へと招き入れる。
外から見た威容と、シュライン達からもたらされた情報通り。その建物の規模は相当のものだった。
(広いですね……色々と手間取りそうだ)
(そうね。戦闘になったら頼むわよ?)
小声で会話しながら、男に先導されつつ建物の中を進んでいく。
洋式を基調としつつも微妙に和が入り混じった空間。
広いエントランスから通された廊下は、眩暈を起こすほどに長く。
その左右に付随する部屋数は、おそらく相当数に上るだろう。
「お待たせ致しました、皆様。こちらになります」
……やがて、廊下の突き当たりの巨大な扉へと到達する。
「それじゃ、失礼しようかな」
セレナが気軽に言って、最初に扉をくぐる。
「ふむ……これは、また」
そして、中の荘厳な作りにほぅ、と息を吐いた。
―――教会の高い天井を連想させる、広い広い部屋だった。
先刻の廊下やエントランスも、この「聖堂」の前には霞むだろう。
ずらりと並べられた長椅子に、凄まじい数の人間が座っている。
「この人たち、瞳が……」
「そうだね、律花君」
急に、ぞくりと背筋が凍る。
妄信的な色の入り混じった瞳。それは人というよりは、人形だ。
律花のみならず、大小はあれど全員がこの場の異常を感じ取り、顔を顰める。
「……宗教は人が縋り、平穏を得る為のツールだ。でもこれは、行き過ぎているね」
セレナが涼しげに、しかし嘲弄の意をわずかに込めて空間を見据える。
否、彼が見ているものは信者ではなく。
或いは――――
「ようこそおいで下さいました、シュラインさん。そしてご友人方」
奥の壇上で誇らしげに声を上げる、教主のみであったのかも知れない。
「貴方が、教主……」
「ええ、そうです。歓迎しますよ」
鷹揚に両手を挙げて男、吉沢昌義が答える。
その挙動を合図に、後ろの大扉が急に閉まり。また、信者達が前方へと波のように移動した。
……それは、いと尊き主を守る肉と信念の盾。
「……おや、どうしてそう構えるのかな?僕たちは儀式を見せて貰おうと…」
「ふ、しかしそれにしても油断は出来んのでな」
困ったように小首を傾げるセレナへ、善人の顔をかなぐり捨てた教主が答える。
「そうだろう?貴様等はこれを、奪還しに来たのだから―――」
にやりと笑って教主が手に掲げたものは、緑の古い本。
それは。
「魔道書か」
「そう、そうだとも。これを売り込みに来た男から、少し前に警句を発されてね?」
「ふん……成程、僕が出張るのもそいつには予測済みだったか。さしずめこれは遊戯かな」
俺は貴様等を凌駕しているぞ―――
そう、言外に告げる悪人の顔から真相を聞いて、ぴくりとセレナが微笑を止める。
「誰かは知らないが、悪趣味だな。僕と彼等の動きを鑑賞していたと見える」
「ふん、しかし私は感謝しているよ。危険予告のみならず、力を手に入れられたことに」
冷気すら帯びたように感じられるセレナの声にも、教主は崩れない。
彼はおもむろに虚空へ手をかざし、
「さあ、それでは私も楽しませて貰うぞ!」
それをして、「何か」を呼び出す挙動と成した。
「私の敬虔なる教え子達よ!共に悪魔が滅びる様を見ようではないか!?」
叫び声と共に、空間が歪む。
歪みの数は数十を超え。獰猛な唸り声と高貴な光が現出する。
「「おお……おおお………」」
――――出てきたのは、巨躯を持つ狼と。
清廉な姿と翼を持つ、槍構えたる天使の軍勢であった。
「やる気は、十分にあるみたいですね……!」
「は、しかし分かり易い!」
その軍勢を見て、シュラインを守るように冥月が。
律花を守るように紫桜が前方へ進み、セレナと肩を並べた。
――――――おお、おお。
――――――うおお、お。
―――――神よ、御使いよ。
狂いし信者の声の響きなど、知った音ではない。
「ふ……やるつもりかね?」
そして、驕りし愚者の繰り言など知ったことではなかった。
「ふん。己の誇示の為に、奪還に来た私達へわざわざ書を見せる小物など物の数ではない」
「冥月君、宝塚みたいで格好良いねー」
「黙れ。なんにせよ、調査では暇を持て余していたのだ。ここで喝采を浴びるとしよう……」
「同じく、お手伝いします。シュラインさんと律花さん、下がっていて下さい!」
ふ、と微笑み自然体で立つ冥月と、拳を固めて構える紫桜。
「頼もしいねぇ。それじゃ、物語にアクションシーンを加えるとしようか、二人とも」
妖艶に微笑みながら笑う、白い魔術師が一気に敵へと駆けた。
「やらせんよ。さあ、天使達よ!その力でその悪魔を滅ぼすのだ!!」
「グオオオオオオ!!」
呼応するように、巨大な狼が弾丸の如き速度を以ってそれに対抗する―――!
戦闘を最初に行ったのは、速度で勝る紫桜だった。
「一時、十一時……!」
一瞬で己へ向かってくる敵を正確に、瞬時に見切り紫桜が先制の拳打を放つ。
「ふっ!」
鋭く吐いた拳と共に、神速で打ち出されるのは無骨な拳。
原始的な、それでいて凶器の役を担うそれが駆ける敵を打ち据える。
「グアアアアア!」
(ちぃ……)
しかし敵の巨体も伊達ではない。
肉を抉られ血飛沫を舞い上げながらも疾走を止めない。
「その程度の……速度で驕るな、化物がッ!!」
打撃を終えた体を強引に沈ませ、体のバネを生かして鋭く紫桜はその場で飛んだ。
その運動は惚れ惚れするような横の回転。
そして、その怪力と気を帯びた独楽には鈍器代わりの脚が付属している―――!!
「せあっ!!」
苛烈な薙ぎ払いは敵を仕留め、進軍を緩慢にする。
そこに、
「その年でよくやる―――そして、それに足を止めた貴様等の負けだ」
いつのまに敵の陣中へ辿り着いていたのか、冥月が紫月の隣に立っている。
「オオオオオ!!!」
「女を先に狙う、か。悪くない判断だがな………」
我先にと牙を剥いてくるそれらを睥睨して、彼女もまた臆しなかった。
す、と手をかざして目を見開く。
「惜しいな畜生共。最高の判断は、恥と外聞を捨てた逃走であったと知れ」
………それが、彼女の異能のトリッガー。
『彼らの足元に潜んでいた影』が、
【その瞬間、主へ反逆する】
影は先鋭化した穂先となり、敵を一気に串刺しにした!
「「ギャアアアアア!?」」
「ほう、あの攻撃を全て回避しているか。本格的だな」
「やっぱり俺への配慮は少なかったんですね………はぁ!」
群れの一角が瞬く間に全滅する中で、変わらず紫桜は舞い続けている。
「あ……二人とも、気をつけて!」
優勢に戦況を進める二人へ、後方から律花の声がかかったのはその時である。
「何……!?」
ふと見やれば、宙に浮き戦闘に参加していなかった天使達が手に光輝を携えている。
「天使らしい攻撃といえば、らしいですね!」
「ああ、全くもって美しく……小賢しいな、紫桜!」
短く吐き捨てて二人は二手に分かれ、その敵を仕留める為に走り出す。
だが、遅い。
「く、結界を……」
「ああ、大丈夫だよ律花君?」
……同じく。
それに応じて動こうとする律花を止める声も、また響いた。
「そういえば……貴方は魔術師だったかしら。忘れていたわ」
「エマ君、それは問題発言だなぁ。そんなに僕って威厳が無い?」
軽い声。
そして、翻る金の髪。
「―――――――――!!!」
声ですらない呪文で光の矢を放つ天使達を。
「さあ、それは僕の友人へは通らない――“Seien, die nicht raffinierte Stange gebrochen Sie”」
美しい知性の声で紡がれた呪文が、全てを吸い込んでしまった。
「馬鹿な!?」
「教えてやろう、高みを知ろうとしない馬鹿な男よ」
勝利を確信していた愚かな教主へ、刃を突きつけるようにセレナが朗々と告げる。
それは、とても冷たい声だった。
「これが魔術だ。そして僕の選んだこのメンバーは、愚鈍な君を追い詰める」
「ふ。貴様も、十分に外道だな!」
「お褒めに預かり光栄だ、冥月君」
そして、また。
芝居の一場面にも見えるその光景の最中にも、賢明な戦闘者は止まっていなかった。
「これで、終わりだあぁああぁ!!」
影に侵され崩れ落ちた天使を踏み越えて跳躍し、紫桜は高く跳んでいた。
勢いのままに突き上げた拳が、最後の天使を破壊する。
「な……」
「多勢を圧倒する速度に特化した攻撃のサポート、助かります、冥月さん」
「なに、これくらいはしないとな。前半はいささか、エマと律花が目立ち過ぎた」
ふ、と肩を降ろす紫桜の肩を気安く叩く、冥月。
周りの数十を超える死体の群れが、一気に光の露と消えた。
「馬鹿な……」
「道化を演じるにも、賢さは必要ですよ?吉沢さん」
言いながら、目に見えて狼狽する、仮初めの奇跡を与えられた教主が後ずさる。
シュラインの台詞は、果たしてその耳に入っていたのだろうか。
「馬鹿な……」
「ふぅ、狼狽はいけないな。周りの信者がざわついてるじゃないか?」
「うるさい…馬鹿な……うるさい……何が」
いや、はぐらさずに答えればそれは否であろう。
観念しろ、という声は最早聞こえていない。
「こんな馬鹿な終幕は――――有り得ないのだああああああああ!!!」
じりじりと距離をつめるこちらに怯えながら、彼は背後の壁に触れる。
がたん、と音がして壁がスライドしていく。
言うまでも無く、それは―――
「ち……どこまでも小悪党な!」
「黙れ!黙れ!くそっ、さあ子羊たちよ!ついて来なさい………!」
いかに俊敏な者達にも、距離は厳然と存在している。
うろたえながらも信者を先導し、教主は壁の奥に消え、瞬間に壁が戻ってしまう。
「どうするの、セレナさん?」
「大丈夫だ。退いていて――――!!」
先行する冥月と紫桜においついてシュライン、律花、セレナが壁の前に立つ。
間髪居れずに、セレナが二撃目の神秘を手から放った。
「退け、我は破綻を恐れない―――“Axt der Zerstörung”!!」
単純に、破壊に特化した力が解放される。
それ故に汎用性に富むその魔術が、堅固な壁を容易く砕いた。
「さあ、急ごう……どうせ退こうとしても罠はあるんだろうし、あの状態じゃ何をするか…」
「ええ、もう理性は殆ど無かった。信者の人々が心配です」
「そういうことだね。では―――」
紫桜の台詞に大きく頷きながら、セレナが背後をちらと見る。
「物語もいよいよ大詰めだ。少々慌しいが、最後までお付き合い頂けるかな?」
半ば、返答の内容を確信しながら。
セレナ・ラウクードは今までよりも一段、深い己の心情を乗せた笑みを見せた。
――――返答は、物語の王道に沿うが如く。
一同は何の躊躇いも見せないままに、奥へと足を踏み出した。
【絶望の現出】
――――――自分を呼ぶ声がする。
ああ、その声に応じて自分は呼び出されるのだろうか。
それを、否定することは赦されず。
殊更、否定する気も無い。
…………そう。異能を呼び出し主は求めているのだと、自分は直感で感じている。
同時に。
呼び出された先に、「ボク」の欲するものが在るのだと知っている。
故に委ねる。光は身を包み、消えた頃には違う風景。
違う風景に、知らない、人たち。
「お……おお!」
呼び出した人が、こちらを見て感極まったように声を上げていた。
(……人間)
そう、人間だ。それが分かるなら十分だ。
「あれ?」
十分だから、声を出す。
「此処は、どこ?」
呼び出されたことしか理解していない自分。
その暇は数瞬であり、本能レヴェルで感じただけ。だから、不思議で首を傾げた。
「よく……よく来てくれた!」
目の前の男の人は涙を流していた。
周りの人たちも、何処か狂った目でこちらを見つめている。
「……うふ」
悪い気は、しない。
「お前は上等のようだ!さあ、私の言うことを―――」
「うふふ」
人間が沢山居るのだから、上機嫌。
一人だけ煩い人が居るけれど、それも許してあげよう。
「聞いているのか!?いいか、これからあの扉の向こうに」
「嬉しいな」
くるりと、上品に佇まいを直してボクは微笑む。
常にレディは優雅たれ。お姉ちゃん達がいつも言っているそのルールは、守らなくちゃいけない。
「な………お、お前は…」
……男の人が、ボクを見て恐怖する。愚鈍でも、本能で感じ取ったのだろうか。
でも、まあ。どうでもいいことだと思う。
「ああ――――――凄いや。ご飯が一杯だ」
「ひ」
前置きは、これくらいで良いだろうな。何しろお腹が空いているんだから。
「それじゃ、いただきます♪」
それだけ呟いて。
ボクは、呼び出された自分の「目的」を早々に済ませることにした―――――
【終章】
「―――“Axt der Zerstörung”」
紡がれる呪文で、目の前の壁が破壊される―――
「ふぅ……そろそろ、最後かな?」
何度も叫んだ呪文ではなく、やや辟易した声でセレナが呟く。
「そうね……この先は広い空間があるみたい。人の気配もするわね」
彼の台詞を肯定するように、背後のシュラインが頷いた。
優秀な彼女の耳が、物音を捉え。同時に他のメンバーもまた、それを否定しない。
「そうだね……それじゃ、教主さんを観念させてエンディングといこう!」
ふ、と微笑みながらセレナは再び声を上げる。
その声は言うまでも無く――――圧倒的な知性の顕現。
「我は破綻を恐れない―――“Axt der Zerstörung”!」
魔術の効果は速やかに露わになり。ドガン!と、鋼鉄製の扉が吹き飛んで。
むっとするような、血の匂いが皆を襲った。
「な………」
驚愕する。
「た、助けてくれ……」
血の奔流の奥から、声がして。
「あ…くま。あくま…何が……何がぁぁぁぁぁぁ!?」
そこに広がる光景は、ああ、無論。
「あ、あああ……あああああああ!!!」
驚愕に、値するものであったのだ。
「ふん、成程な……」
不機嫌そうな声で、冥月が呟く。
「身の程を知らぬ外道には、相応の化物が落ち着いて………相応の咎が下ったようだな」
その根拠は、言うまでも無くこの現状。
部屋中が、赤いペンキをちりばめたかのような深紅のそれ。赤い赤い、或いは赤黒い部屋。
信者達は死に、傷つき、心を病んで、狂乱していた。
尋常な者が居ない証拠に―――――扉を開けようと、叩いた音すら聞こえなかったではないか。
彼らは従うべき主の指示を聞かねば動けない。
そして、その主はまた、冥月の台詞の通り。
「……虫の息、ですね」
紫桜が、目を細めて部屋の奥を見据える。
設けられた祭壇の奥には、虫の息で喘いでいる吉沢昌義。
「あれぇ……新しいお客様かな?」
そして、その胸を貫いている小さな少女だった。
「女の、子………?」
「そうだね、可愛い女の子だ……だけど律花君、あの子は可愛すぎる」
愕然と呟く律花を茶化すように、しかし笑っていない声でセレナが応じる。
なにしろ、その少女は―――――
「あの血に濡れたドレスがあそこまで似合うなんて、人間じゃないみたいだ、彼女」
「そう、ボクは人間とは違うね」
いかにも、血に慣れ親しみすぎていたのだ。
「血をね、吸っていたの。ボクは人間の血が好きだから……あぁ、美味しかった♪」
返り血すら自然と笑うその少女は、平然と答える。
「吸血鬼か……!」
「そう、ボクはロルフィーネ・ヒルデブラント。吸血鬼とか、そういったモノだよ!」
吸血を終えた対象に興味は無いのか、彼女はおもむろに教主の体から手を引き抜く。
「ぐぁ……」
どすんと、地面に教主が跳ねた。
「恥かしい所を見せちゃったかな?ごめんね、ボクは血を吸うのが苦手なんだぁ」
そう言って、場違いな。どこまでも場違いな笑みを咲かせるロルフィーネ。
「さて……それじゃお兄さん達、幾つか質問をしても良いかな?」
「うん、してみると良い」
物怖じせずに、セレナが答える。
最早目の前の少女が、「何かの手違いで」魔道書から呼び出された化物なのは一目瞭然だった。
「あなた達は、ボクのお食事の邪魔をする?」
「うーん、まあ、生きているなら人々は助けないとねぇ」
「そう。人間だものね。それじゃ、もう一つ」
ち、と人差し指を少女が立てる。
にぃぃと、無邪気な笑みは此処に来て極まった。
「――――大人しく、ボクのご飯になる気はあるかなー?」
「ふ……勿論、それは否に決まっている」
セレナの答えもまた、簡潔に。皆の意志と同じもの。
「シュライン君と律花君は怪我人を助けて。紫桜君と冥月君は、最初からトップギアでね」
続いて出た台詞にも異議は無い。
「三人とも、気をつけて下さいね!」
「律花さんとエマさんも!」
五人が一気に散り、
「ふふ、ご飯の邪魔はさせないよっ!」
ロルフィーネがそれを迎え撃つ、終幕の激闘が開幕した。
「動ける人は扉から逃げて!動けない人は、声を!」
シュラインと律花が、的確に周囲を見据えながら動き始める。
「律花さん、あっちに動けない人の声!早く外へ!」
「はい、分かりました!」
通常と一線を画した聴力をフルに活かしながら、状況をシュラインが組み立てていく。
律花も動揺を抑え、人命を助けんと必死に動き始めていた。
「……お姉さん達、女の子らしくないよ?」
そこへ響くのは、敵を迎え撃とうとしているはずの少女の声。
「……貴女!」
「悲鳴を上げて、大人しくしてくれていないなんて駄目だよっ!」
ロルフィーネが、レイピアを構えつつエマに突進する。
影を縫う意味も無いだろう。優秀な目の前の二人は、おそらく戦闘能力に関しては低い。
「手足は、要らないよねっ」
決めてかかり、風の如く彼女は駆ける―――
「エマさん、危ないっ!」
割り込むのは、怪我人を抱えていた律花。
彼女は一瞬だけ目を瞑り、集中した後に虚空へ文様を描く。
それが、彼女の異能。結界形成である。
「くっ……お姉さん、やるね」
「あなたは害を成そうとしている。私は見過ごせない……!」
一撃目が弾かれ、速やかに彼女は次策を打つ。
「エマさん!」
「ええ、仕方ないわね……」
だが、それよりもエマの行動が早かった。
「お嬢さん、甘いわよ………!」
エマが懐から取り出したプレート――奇妙な文字が描かれている――を、投擲する!
「 !!」
「きゃぁっ!?」
ルーンと呼ばれるそれが速やかにその威を示し、作者の都合の良いように是正された光が爆ぜる。
たまらず、ロルフィーネが飛び退いた。
「なんて悪戯をするお姉さん!………ボク、驚いちゃうじゃない」
「―――ならば、そのまま冥府へ行け」
その気を逃さない連携を見せるのは、戦闘員の冥月と紫桜である。
「吸血鬼にも遅れはとらんぞ?」
冥月が闇を友とし、それを武器としてロルフィーネへ攻撃する。
空を高速で翔るロルフィーネを執拗に追い、一気に追い詰めて闇の刃が彼女を刺した。
「い……いったぁい……………!!酷いよ、お姉さんも悪い人だね!」
「ち…流石は闇に生きる化物だ。面白い、一撃では死なないか!」
痛そうに体をさする少女へ、犬歯を剥いて冥月が賛辞する。
高度が落ちたその隙に、紫桜が地面を思い切り蹴ってロルフィーネへ向かっていた。
「悪いが、容赦はしない!」
「あはぁ……お兄さんも酷いね!酷くて、強い人だ!」
レイピアの刺突を拳で払ってギリギリで回避しながら、気を乗せた拳で少女の顔面を打つ!
「せあっ!」
「っ……!」
それを、空いた片手で受け止めるロルフィーネ。
「若いのに、随分と素敵なヒト……っ」
両手を戻さず、それより早い挙動で細い少女の足がしなって紫桜の腹を薙ぐ。
「ちぃ!」
受身を取って勢いを殺しつつ、跳ねた体は冥月が受け止めていた。
「外面は可愛らしい化物か。締め括りにはまた、面倒過ぎるかもな」
「ええ……一対一だったら、いつ終わるかも分からない」
「まだまだっ!」
ロルフィーネの声に、とっさに散ろうとするが、体が重い――――
「影が……縛られているのか!?」
「ご名答!ボクもレディとして、魔法は使うよっ!」
ロルフィーネの、影縛り。絶妙な効果で今度はこちらが隙を見せてしまう。
とっさに影と闇を操る冥月が抵抗を試みるが、
「冥月君、それを全力で攻撃に持っていけ!」
「………」
一瞬前に、戦闘の前線に出ない魔術師の声。
さて、信じるか否か?
「ふ……」
考えるまでも無い。
「ああああああ!!!!」
彼女は一瞬で力を練り上げ、減衰も見せずに敵を滅ぼす矛を成す。
防御は最低限。後ろの馬鹿を信じて、敵を打ち抜く――――――!!
「きゃっ……痛い、けどっ………ボクだって負けないよっ!」
しかし身に確かな傷を負いながら、吸血鬼は進む。
ああ、後ろで何をしているとも知れぬ馬鹿を信じた彼女は浅慮であったのか?
無論、否。
「無粋は友人を侵さない―――“Das Lanthan, das den Nachteil abstellt”」
魔術師が本領を発揮し、影縛りはその効果を失う。
「紫桜君、周囲に瀕死者が居るから君の異能はリスキィだ―――使え!」
「はい!」
連携は続き、紫桜の前へと細長い抜き身の刀が踊る。
「………はっ!」
裂帛の気合と共に、紫桜は邪悪に抗し得る妖刀を一閃してロルフィーネを切り裂く!
「う……きゃあああああああ!?」
ロルフィーネが、一際大きな悲鳴を上げる。
「やった!?」
「いや、まだだ!」
―――――彼女にも、吸血鬼の矜持と実力がある。
「痛い……」
ロルフィーネの姿が、急速に霞んだ。
「痛いよ、お兄さんたち……!」
「「ぐっ!?」」
瞬きほどの間を開いて。
レイピアが空間を奔り、冥月と紫桜の腕を切り裂いた!
「痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い………!!」
吹き荒れる嵐、と呼んでしまって差し支えないだろうか。
単純な膂力と速度に任せた攻撃が、それぞれの防御と回避を犯していく。
「―――――もう、食べちゃうよっ!」
「させない、お嬢さん……!」
その攻撃へセレナが体ごと飛び込み、防壁の魔術を用いてレイピアの猛攻を妨げる。
瞬く間に亀裂が走っていくそれに覆いかぶさるように冥月の闇が重なり、盾になった。
「!」
「残念だが、連携を知らぬ愚者ではない!」
好機を逸してロルフィーネが後退するのを見ながら、三人が体勢を立て直す。
「大丈夫かな、二人とも?」
「無論。少々詰めを甘くしてしまったな」
「吸血鬼は伊達ではない、というところですか……」
微笑みながら聞くセレナに、二人は同じく微笑みながら応じる。
そこには、武力を持つ者の矜持がある。
一対一でも、負けることなど自分は認めないという意固地な意志。
それは間違いではないと、誰が否定しても自分は信じ続けるだろう。目前の、少女と 同じく。
ましてや数で勝るなら負ける道理は無いと、二人は気概を迸らせていた。
「エマ君に律花君。ルーンの奇跡と結界で頑張ってくれるかな?」
「ええ。好きになさい、セレナさん」
「大丈夫です、どうか負けないで下さいね」
後方で見守る二人にも、不足は微塵もあるまい。
ならば。この決戦の先は見えている。
「さあ、ロルフィーネ君。僕等の意地を見せてあげよう……このような戦いも悪くない」
「うふ……お兄さんもお姉さんも、命知らずだねぇ」
……短く言葉を交わして、それも最後にする。
「たまにはこういった殺し合いもしないと、お姉ちゃんたちに追いつけないしね!」
疾駆する吸血鬼。
迎え撃つ、セレナのパーティ・メンバー。
それから数十分に渡る激闘の後に、後者が勝利を収めたことを記しておく―――――
【6】
前述したように、数十分の後。
どさりと、ロルフィーネの体は遂に力を失って崩れた。
「………終わったか?」
「………そのようです」
「だねぇ」
「ふん……くそっ、面倒な娘だった」
口の端をわずかに歪めて冥月が呟く。
「ああ、小物がラストで無くて良かったよ…………そうだな。本気を出すのは稀だ」
かつかつと、彼女はその場で座らずに部屋の奥へと歩いてゆく。
距離は遠い。こちらからでは奥のものが何をしているか、見えにくいのだが。
「悪くない終わり方。そう、それを……」
ふ、と一瞬彼女の姿が消え、一瞬後に奥へと到達する。
そこで、
「貴様が汚すのは、惜しいというか気に入らん」
魔道書を抱えて何かをしようとしている教主から本を取り上げた。
「あ……」
「あ、じゃない。ゴキブリか貴様は」
呆れたように嘆息して、興味を失ったかのように彼女は視線を外す。
「うるさい、私は、私は……」
「律花、エマ。そこの馬鹿へ渡す前に読んでみるか?」
「あ、読みたいです!」
「うーん、同じく。興味が無いといえば嘘になるわね」
次の瞬間には、またもや消えて仲間の下へ帰っていた。
「凄いですね……これ、どのくらいの時に書かれたものなんだろう」
「昔の本には、魔道書にも一般書にもそれなりの格式が匂うわね。私も欲しいくらい」
「うん?僕が貸してあげようか?」
「待て、貴様等……私は、私はっ……!」
声は、届いていないのか。
「よぅし、それじゃ近くに辛いカレーを食べさせてくれるところがあるんだ。行こうか?」
「セレナさん、美味い、じゃなくて辛い、ですか……」
「あははー、細かいね紫桜君。律花君にエマ君、それと冥月君も付き合ってくれよぅ」
「………」
「待てぇ!私は、私はぁ……」
誰も自分へ関心を払わない。
払って、くれない。
「あ、信者さんは助けられるだけ助けたよ?君も致命傷じゃあない」
扉が閉まる直前、白いコートの男が声をかけてくる。
「死んだ信者さんに懺悔しながら生きることだね。それも出来ないなら、お前は最低だよ」
そんな、呪いじみたコトバを残して去っていく。
「う……」
部屋に死体。
埋もれている自分。
「うううううう………」
特別な自分を夢想した愚人は、いつまでも泣いていた。
「さて………」
ぱたん、とドアを閉めて教団の建物を出てから、セレナが改まったように言った。
「さっきは軽口に付き合ってくれてありがとう。事後処理とか、君達はやらないで済むはずだ」
すらすらと言って、彼は肩をすくめた。
「信者については全力を尽くすよ。まだ奥に転がってる新鮮な死体に施す、蘇生に近い奇跡なんかは骨が折れるけど、まあ、その分死者の数はかなり減らせるだろう。或いはゼロ……と言いたいが、まあ、確約は出来ないね」
疲れるんだけどね、とそこで苦笑した。
「正直、ここまで君達がやってくれるとは思わなかった。相棒を取り替えたいくらいだ」
そして、
「ここに、セレナ・ラウクードは君達へ至上の感謝を捧げるよ。どうも、ありがとう」
人を食ったような態度は鳴りを潜めたままに、頭を下げた。
「……それじゃ、セレナさん?巴さんと仲良くね。栄養はちゃんと摂りなさい」
「ふふふふ、問題ないよエマ君。僕も巴も、料理に関してはある人に任せきりだ」
「ああ………なんというか、とてもその人が可哀想ね」
「う……その、本気で痛ましげな視線は止めて欲しいんだけど。酷いよエマ君……」
………一冊の書物から始まった、永い物語。
白い魔術師が仲間の助力を借りて暗躍した事件は、こうして終わりを迎えた。
<END>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【5453 / 櫻・紫桜 / 男性 / 15歳 / 高校生】
【6157 / 秋月・律花 / 女性 / 21歳 / 大学生】
【2778 / 黒・冥月 / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【4936 / ロルフィーネ・ヒルデブラント / 女性 / 183歳 / 吸血魔導士/ ヒルデブラント第十二夫人】
・登場NPC
セレナ・ラウクード
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■ ライター通信 ■
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シュライン・エマ様、こんにちは。ライターの緋翊です。
この度は「暗躍する魔術師」にご参加頂き、どうもありがとうございました。
また、一部プレイングの反映に手違いがあり再納品させて頂きました。お騒がせしましたことを深くお詫び申し上げます。
エマさんには今回も調査メインで、主に前半の主要人物を担って頂きました。参加された方々のプレイングを吟味した結果、予定していたものを修正・追加してこういった長めの仕上がりになりました……火災偽装で一気に場所を特定して王手をかける展開と、教義に難癖を付けていく展開で悩みましたが後者を変形させて採用しました。いや、毎回毎回こちらも触発されて物語が膨らみます(苦笑)
やはり、色々と躍動するキャラクタさんは描写していて面白いですね。
そして。ロルフィーネさんのみの描写が物語の最後に、その他の方々の描写が基本的に物語の冒頭部分(セレナとの顔合わせ)となっております。ロルフィーネさんの作品の最後を見て頂ければ分かるとおり、死人に関してはあのままでも良かったのですが、ソフトな物語を想定していたためあの形に落ち着きました。ご了承下さい。
さて。其方様の予想とは違っていたかもしれませんが、出来うる限り皆さん一人一人が活躍できるように努力して書きました。楽しんで読んで頂けたら、これほど嬉しいことはありません。
それでは、また機会がありましたらどうか宜しくお願い致します。
ノベルへのご参加、どうもありがとうございました!
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