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遠き日のさくら
●入院
雪の舞うその日。草間武彦は寂れた雑居ビルから落ちた。
「それにしても」
ベッドに寝る草間のギブスに前足をかけ、子熊がため息をついた。
「入院先で女の子と相部屋とは。運が良いね、探偵?」
そこは四人部屋だが、入っているのは草間と窓の外を眺める長い髪の女性だけ。
「皮肉を言いに来たのか、お前らは」
「まさか。一応、仲介仕事での事故だからだよ」
心外そうに首を傾げる。なお同行の黒服は、籠のりんごを物色中。
「‥‥言っとくがあれは幽霊だ」 「ほう、ゆーれい」
クマ所長の目に気づいたのか、女性が目を移し小さく微笑んだ。
「夜中に出た白衣の爺さんが言うには、だ。彼女には約束があるんだと」
「ほう、色恋沙汰だね」
「それは知らん。ともかく、桜が散るまでここに居る」
窓の外には、枯れ山を背に咲き誇る満開の桜。
「だが、あの桜は先代の頃から咲き続けているらしい。 そこで先代はここを開かずの間にしてそっとしておいたんだが」
「『もういい加減開放してやって欲しいんじゃよ』?」
「少し違うが、今の院長はそっちだろう。部屋を空けたいと、腕の良い拝み屋を聞かれた。人をなんだと思ってるんだ」
「そりゃ決まってるやん。そんで」
五色がへらりと笑い、お手玉していたりんごを草間に放る。
「どっちにつくつもりなんや、怪奇探偵殿?」
●連絡
「それで?」
『そんだけ』
「……それだけ、じゃなくて」
『あ、探偵? う〜ん、浮気するほどのかい……えう』
電話の声がしばし途絶えた。
『すまん。病院側は、「しばらく様子を見よう」やとさ。てことで』
(また不思議なことに巻き込まれた、か)
勝手知ったるなんとやら。
草間零と手分けして用意した着替え等をカバンに詰めこみながら、シュライン・エマ(−・−)は一つ息を吐いた。
(だからこそ怪奇探偵とか言われるんでしょうけど)
「何か?」
不思議そうな顔の零。
「何、って?」
「いえ、ちょっと。嬉しそう、かなって」
「そんなわけないでしょ。じゃ、とりあえず荷物を届けてくるから」
「えっと」
こほん、と咳払いをした零がスカートのポケットから出したメモをちらりと見た。そして。
「しばらく帰ってこなくてもいいです、よ?」
「……誰に教ったんだか」
なんとなく目星はついたが。
●見舞い
「彼女が?」
「そ。探偵の浮気相手」
パイプイスに座る子熊がしれっと言う。草間は少し出ているらしくベッドには誰もいない。
「……もういいわ、それで」
「うむ。でさ、探偵、奪、還、大作せ〜ん、を考えたんだけど」
「ちょっといいかしら」
シュラインは子熊を無視して、窓の外に目を向ける女性のベッドに歩み寄った。
(う〜ん。一応のことを考えると)
「その。お話は聞きました」
こちらに向き直り微笑む女性に、声と手話で話かける。
「何か、お手伝いできることはありませんか?」
(通じているのかしら)
しばらく変わらぬ笑みを浮かべたまま、じっと動かない女性に不安になる。
「お話は」
と、再び声をかけようとしたところで、女性が宙に片手を動かし始めた。
「花?」
いつの間にか足元に来ていた子熊の声に小さく頷く。そして。
『花ヲ見るだケ』
そうなぞり一つ会釈すると、女性はまた窓の外へと目を向けた。
●不良患者
戻ってこない草間を探しに行くと、桜の木の側で壁にもたれて煙草を吸っていた。
もう一人も含めて無言で殴る。
「少しは入院患者だという自覚をして」 「いや、こればっかりは」
憮然とした顔で草間。
「零ちゃんに言いつける」 「いや、それだけは」
途端に青くなる草間に、こっそりため息。
「苦労してますなあ、姐さんも」
へらりと五色が笑った。
「なら、無闇に煙草を与えないでほしいんだけど」
「俺は動物園の動物か?」
「愛玩動物であることに違いはあるまい。猛獣なヤツよかマシやと思うがね。で?」
「『ナースセンターに探偵を探しに行く』って」
「さよか。なら当分静かやな」
シュラインの言葉に肩をすくめ、桜を見上げる。
「にしても、見事なもんや。酒持ってくりゃ良かった」
「病院じゃなければ、でしょ」
桜は見事なまでに咲き誇っていた。風に散る花びらも無限に踊っている。
「武彦さん、彼女から何かお話聞いてない?」
「いや」
「本当に?」
「ああ。どう声をかけたものかと考えてはいたけどな」
新しい煙草をくわえる。
「そ。聞く聞かない以前ってこと」
さっと取り上げる。恨みがましい目は無視。
「咲く桜、散る桜。求められるはいずれの桜」
ふいにそう言うと、苦笑気味の笑いを浮かべ五色が壁際から立ち上がった。
「どっちにしろ、桜は咲いて散るだけ。そこに何を思うかは他人の勝手っと」
「そりゃ、な」
「つうことで。痴話ゲンカに絶えられないアチキは去るでゲスよ。捕獲作戦もせにゃならんしな」
ひらひらと手を振り、五色が玄関へと歩いていく。
「痴話ゲンカ?」
●咲き続ける花 見続ける人
「駄目ね。あれじゃ話にならないわ」
草間に紹介された現院長は、超がつくほどの利益追求型合理主義者だった。
『彼女は座敷童子のような存在で』と吹き込むことも考えたが、その後が容易に想像できるだけに言わなかった。
「だろうな」
「もしかして」
ベッドに寝転がる草間の鼻先を指でつつく。
「どうでもいい、とか考えてない?」
「正直なところ」
指をのけると、ふっと草間が息を吐いた。
「さっきの奴の言ったとおりだよなって。どう思うかは他人の勝手だ」
「そんなの……怪奇探偵草間武彦らしくないわ」
「探偵は依頼があっての探偵だ。今はただの入院患者さ」
「煙草を吸えないからってすねることはないじゃない」
『ならば、依頼があれば良いのですな』
ぼんやりとした声。シュラインが顔を上げると半透明の老人が立っていた。
「……分かりやすい幽霊ね」
「昼間だけどな。爺さん、依頼だからって俺が受けるとは限らないんだが」
『いえ、あなた様ならば引き受けてくださると伺いましたので』
誰に、と聞くよりも早く目星はついた。それは草間も同じらしく曖昧な表情をしている。
『もしそうと知っておれば、昨夜にお願いしたのですがままならないものですな』
「ま、まあ、そうだな」
「……そうね。えっと、正式に依頼ということになるといくつか契約が必要となるのですが」
『それについては仲介の方にお願いしておきますよ、美しいお嬢さん』
幽霊が仰々しく一礼する。
「分かりやすい幽霊ね」
「昼間だけどな。ま、いいだろ。なら聞きたいことがある」
『彼女についてなら、私から言えることはこれだけです。「人は見るもの。桜は見られるもの」』
「謎かけか?」
『いえ、そのままですよ。彼女は桜を見る。桜は彼女に見られる』
「散れば彼女が居なくなる。居なければ桜が散る。だから咲き続け見続ける。余計なことをしたもんだね、爺さん」
「看護士の姉ちゃんに追っかけまわされてたお前が言うなや」
病室に五色と猫つかみされた子熊が入ってきた。
「さ、探偵。仕事やぞ」
開いている手で手招き。子熊も真似して手招き。
「ああ、現院長の説得ね。なら、私も」
「いやあ、あの阿呆。質より量ってことで拝み屋に片っ端から連絡したらしくてな」
腰を上げかけてシュラインは動きを止めた。草間がシーツを引っかぶる。
「今やロビーは大盛況。一般外来は右往左往と言ったところや」
「いや、俺、入院患者」
『仲介お願いいたします、熊の人』
「おっけ、了解。行くぞ、探偵! 拝み屋狩りに!」
「だから、入院……」
「依頼なら仕方ないわよ。ね、探偵の草間武彦さん?」
「……あーもう分かった分かったなんだって連れて来やがれこんちくしょう!」
なお、この一件が元で当時の院長は免職。草間も転院することになった。
さらに余談にはなるが。草間の入院期間が更に延びたと時の興信所日誌には記されている。
「本当にしばらく帰ってこないとは思いませんでした」
「零ちゃん、それ意味が違うから」
●遠き日の桜
今日も桜は咲く。彼女に見られるために。
今日も彼女は見る。桜を咲かせるために。
遠き日に交わした約束のために。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 年齢 / 性別 / 職業】
0086 シュライン・エマ (しゅらいん・えま) 26歳 女性 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
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■ ライター通信 ■
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どうも平林です。この度は参加いただきありがとうございました。
幸せなことに私自身の入院歴はないのですが、どうにも病院の雰囲気が苦手です。特に見舞いとなると……病室に行かず玄関脇で煙草を吸ってて「何をしに来た」と同行者に怒られたり。いや、本当に何をしに行ったのやら。
では、ここいらで。いずれいずこかの空の下。再びお会いできれば幸いです。
(なごり雪のころ/平林康助)
追記:桜が散らないのはご推察の通りです。後、老人については前者で。
捩れる彼女の話……う〜ん、そっちの方が良かったかもしれませんね。
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