コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


想いだけ、この想いだけ



 形が無くなっても
 容が亡くなっても
 心に抱えたそれは
 亡くならない

 ずっとずっと、それはずっと
 生きてる

 この、續 羽椰という容の中で





 流れる景色。それは多様に姿を変えていく。
 家族と一緒に車の中。他愛のない話。
 楽しくて楽しくて、そう、気がつかない。
 この一瞬、普通の生活が崩れるだなんて夢にも思わない。
 ありえない事だと思ってた。自分には関係のない事だって。
 なのに、なのに本当に零れ落ちたんだ。
 それはするりと、手からこぼれる砂のように。
 羽椰はどうして自分のことを俺って言うの、とお母さんに言われて、曖昧になんでだろうなと笑う。妹にはそれがおねーちゃんには似合っててかっこいいから良いの、と言う。お父さんは、そんな会話を聞いてただただ笑っていた。
 俺だけ髪の色も目の色も、みんなと先祖還りだとか言って違うのに、いつも大切に扱ってくれる。
 大好きな家族。
 時々ウザーと思うこともあるけど、やっぱ大切。
 妹がおねーちゃん、と呼んで何と俺はそっちを向く。

 その瞬間。
 その瞬間に。

 世界が一転して感覚が消える。
 何が起こったかわからないって、本当にあるみたいだ。
 俺の頭は全てを理解して、全てを理解できてない。
 ただただ感じるのは、匂い。好きじゃない、鉄の匂い。指先が少し動いて、ぬるっとしたものがあって、なんとなく重いと、思考の外側、俺でない俺がそう思ってる。
 体が痛くて、痛くない。きっとこれが麻痺、っていうのか。
 そして、きっと一番の違和感は、視界が、きっと上下反対で、それで、なんだろ。
 なんだろ、半分しか世界に色がない。
 右半分の世界がよくわからない、わからないというか、ない。
 ないはず、なのに。
 ないはずなのに世界がある。普通じゃない世界。
 見えてない見えてない見えてない。
 見えない見えない見えない。
 なのに。
 見えている。
 うあ、と声にならない声が、息が口から漏れてる。ああ、まだ息をしているんだ。
 半分墓に足つっこんでんのかなーとか暢気に考える余裕があるけど、もうどうでもよくなってるんだ。
 俺は知ってる。感じてる。
 諦めてる。
 瞳を閉じる。閉じたはずなのに視界が閉じない。
 黒いモノ。
 真っ黒なそれが近づいてくるのが見える。
 俺はもちろん逃げることなんてできない。
 それが髪も額も目も、鼻も口も、全てを覆っていく。
 心地良さは気持ち悪い。気持ち悪いけど、優しい。
 あやふやな境界、あいまいな感覚。
 全部飲み込まれて、俺が、消えていく。俺が、沈んでいく。
 消えていく、はずだった、のに。沈んでいく、はずだった、のに。
 昏い、昏い視線が、俺をそうさせない。
 眠らせてくれない。

 起きろと、目を覚ませと、動けと、言う。
 そんな事を言われても、身体は動かない。
 俺は薄く笑った。





 ぱちっと、覚醒。
 その終わりは唐突に。
 じっとりとした汗、開いた瞳の先、うっすらと明るくなってきたらしい外から光が入ってきて、天井が見える。
「あー……また、か……」
 ぺた、と汗をかいた掌を額において續 羽椰はくくっと笑いを漏らす。
 それは自嘲。
「真っ黒いのー、そう、本当どーして」
 どーして俺だけ生かしたんだ。
 あのまま家族と一緒に死ねてたら、良かったのに。
 ひらひらと、額においていた掌を空へと上げる。天井を掴むかのような動作。
「うん、俺は、俺だけ生きてる」
 失ったのは家族と右目。失ったのは普通の世界。
 もう今居る世界は普通じゃない。
 右目は、隠していないと生きている、生物以外を見てしまう。
 視てしまう。それは自分では選ぶ事は出来ない。
 好意も悪意も、良いものも悪いものも、選ぶ事は出来ない。
 どちらかと言うと嫌なものを視る方が多い。
 だから、眼帯で隠す。
 何もない眼孔にはないものがある。そんな感覚。
「くっそ、マイナス思考なんて俺らしくねーっての」
 がばっと勢い良く起き上がる。ギシ、とベッドがきしむ音。ぼさぼさの髪を掻き揚げてあくびを一つ。
 カーテンを掴んで光を部屋に入れる。眩しいな、と思うそれがいとおしい。
「ちゃんとさ、生活してる。生きてる、大丈夫…………多分……」
 最愛の家族の名前を呟いて、羽椰は一度深く瞳を閉じる。
 世界は厳しいよ、ほんと。
 俺が死んだら皆がいた事実も消えてしまいそう。
 そんなことは、させない。
 それが生きる意味。
 あの幸せな過去と、あの最悪な過去と、この残された現実。
 全てに挟まれて生きている。
 身動きとれね、と短く呟いて顔を上げる。
「あー今日もガッコ行かなきゃ……ダルいけど……」
 ベッドからおり、ひやりとフローリングの冷たい感触。
 感覚がある。
 それは、幸せ。
 顔を洗う。流れる水に触れる。生活の実感。
 昏い、暗い、深い感情がある。
 自分だけだというのは、これは夢じゃないかと時々、まだ思ってしまう。
 今でも思う。
 夢をみるたびに思う。
 まだ夢にみるのかと思う。
 自分の中にあの事故は根深く残り、きっとこれからもずっと、悩ませていくと思う。
 何度だってどうして一緒に死ななかったのかと思う。
 家族が自分を助けたのだとはまだ考えられない。
 まだ後ろ向き、前向きになりきれない。
 前向きになるのが、自分にとって罪であるような気がしてならない。
 鏡に映る自分は、相変わらず変わらない。
「やー、羽椰ちゃんは今日も相変わらず。ほんっと、俺って朝酷い顔」
 苦笑しながら鏡の中の自分にしゃべりかけるのも、癖になってしまった。寂しさから、何時の間にかそうしていた。
「頑張らなきゃ、なんないから」
 頑張るなんて、似合わないけど。
 少しずつでいいから、前に進みたい。
 傷を消すなんて、無理だとわかってる。だから抱えたままで良いけど。
 今ここにいない家族が心配しないような強さ。
 それを、持っていたい。





 変容する世界で
 一人きり
 最も心許す場所はもうないけれど
 それをいつか
 いつかまた、得たい
 それは強さなのか、弱さなのか
 わからないけれども
 確固たる續 羽椰の意思

 想いだけ

 そんな想いだけはしっかりと
 手放さない





<END>