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闇の庵
幽艶堂の住人らが暮らす三軒の家から少し離れた竹林の奥に、ぽつんと一軒。
「――では、今宵はあちらでお過ごし下さい。何かありましたら工房の方にいますので、お呼び下さい」
そう言って翡翠は工房に戻っていった。
幽艶堂に用向きがある客ばかりではない。
訳ありらしき者こそ、この幽境に訪れる。
今宵も、また――…
闇の庵に独り
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幽艶堂に来る客は人形ばかりが目的ではない。
中には呪詛依頼にくるという勘違いもはなはだしい者もいる。
だが、そんな不届き者共とは別に、ただ泊めて欲しいと何処からともなくやってくる客人もいるのだ。
そんな客人は瞳の奥に暗い光を宿していることが実に多い。
そして、そんな客人を迎えるのは何故かいつも翡翠がふらりと外へ出た時。
…今宵も、また―――…
「――遅くなっちまったな…寮も閉まってるだろし、どっか泊まっていくか」
そうして泊まれそうな所を探しているうちに、街中から郊外へといつの間にか抜けてしまっていた和田・京太郎(わだ・きょうたろう)は、迷っているという感覚もなく、ただ道なりに山の方へ進んでいく。
まるで何かに引き寄せられるように。
「あ?」
「おや」
竹林を抜けた先に、開けた場所があり、そこには古民家が三件建ち並んでいる。
「どこだここは!?」
街中で宿を探していた筈がいつの間にやらこんな辺鄙な所にまで来てしまった。
しかも目の前には白髪をした和装の男が、小さな提灯の灯りを手に、京太郎の前に佇んでいる。
気づかぬ間にタイムスリップでもしたのかと、一瞬焦ったが、京太郎の目の前にいる男はにっこりと微笑み、京太郎に言った。
「いらっしゃいませ、人形工房幽艶堂へようこそ。私はここの着付師の翡翠と申します。今宵はどのような御用向きで?」
「…俺は和田京太郎…どのような用向きっつーか、別に用なんてねぇんだけどよ。宿探してたらいつの間にかこんな所まで来ちまったんだ」
そう言うと男は、呼ばれたのかもしれませんね、と、呟いた。
何に呼ばれたんだか、口に出したかけた呆れ交じりの言葉は、京太郎の胸のうちで浮かんできては消えた。
「―――お客様を御泊めするのに、ここから少し奥にあるもう一つの庵でしたらお貸しできますが…」
「登って来て何だけど、今時分から山道下るのは危ねぇと思うし。寝れりゃ何処でもいいよ」
男は京太郎の顔をジッと見て、上から下まで視線を動かす。
その値踏みされているような仕草に、気分を害さないわけは無い。
「あんだよ」
「失礼、耐えられるかどうか第一印象から判断せざるを得ないので」
気分を害したなら済みません、と添える。
耐えられるって何に?
京太郎は眉を寄せ、訝しげに先を歩く男を見やる。
「この先にある庵は、少々特殊なもので…時過ぎて夜が明けるまで…あそこに入ったが最後、ご自分から出てはなりません」
「なんで」
笹の葉ずれの音に紛れ、翡翠の言葉が些か聞き取りにくい。
しかし、一箇所だけ妙に耳に響いた。
闇に 呑まれるから―――
「…闇…?」
訝しげに鸚鵡返しする京太郎。
そんな彼に、翡翠は振り返らずに説明する。
「内なる影、もう一人の自分…はたまた己の能力の具現…切っても切れない己の中の『何か』が具現化し、相対することになる…」
自分の内面が、能力が具現化するあの庵の効力は夜通し続く。
途中で戸を開け飛び出せば、具現化した悪夢のような現実が外へと溢れ出すからだ。
「今までにそういう奴いたわけ?」
「――…一人だけいたのですよ。あの庵に入って耐え切れず夜明け前に…自ら扉を開けてしまった方が…」
「――で?」
どうなった?
翡翠は京太郎の問いに、哀しげな目を見せたかと思うと、苦笑混じりにその時のことを話した。
夜の陰気を手に入れたそれは、夜が明けようとも失せることなく毎夜枕元に現れるようになり、やがて精神を犯し、自ら命を絶ってしまったという。
「…はた迷惑な話だな」
「――…残されたものの想いがとうに届かぬ所まで、彼女は病んでしまいましたから…」
「知り合い、なのか?」
その問いに翡翠は立ち止まり、振り返る。
いっそう強く揺れる笹の葉の音が二人を包み込む。
「私の師匠。着付師・玄竹ウメ…享年八十でございました」
あまりにも身近な死。
京太郎は、一瞬息を呑み、何か言わなくてはと思っても、ただ一言「悪ィ」とか言えなかった。
それ以上何を言ってもおこがましい気がして。
京太郎の挙動から察したのだろう。翡翠は、昔の話です、と微笑んだ。
「師匠自らが選んだ道です。あの人も私も…後悔しておりません」
そしてその後、風の噂にこの庵の事を聞きつけた者がちらほらと、まるで修行のように足を運んでくるようになった。
三師匠たちとの約定から、使いたい者には使わせればいいが、使うからには自己責任であることをしかと伝える事になっている。
「ただ、どうしてもお客人を我々が使っている家にお泊めできないので、仕方なく使っていただく場合が殆どですが」
「なるほど、んでもって現状では俺か…」
「出来る事なら我々と一緒の方が安心して眠れると思うのですが…どうにも、家や人形たちが他人が寝起きするのを嫌うものでして」
庵を使わず男屋女屋でそれぞれ泊めてみたが、客の方がこんな所では寝られないと血相変えて若衆の所へ飛び込んでくるという事が度々あった。
夜な夜な一人になると尋常ではない家鳴りと共に、障子の影に人形の姿が映り、隙間からは人形が覗き込み、出て行けと言わんばかりに脅かしてくるらしい。
勿論、家人たちはそんなことなど全く感知しない。
家鳴りも普段どおりの僅かな軋みだけらしい。
「………何か嫌だ…」
家鳴りは兎も角、日本人形に囲まれる事を想像すると、どうにも気味が悪い。
「永く生きているのだから、一晩ぐらいおおめに見てくれてもとは思うのですが…彼らはかなり心が狭いようです」
その代わり、あの庵は誰でも受け入れる。
病む病まぬは中に入った者の心次第。
執拗なまでに追い詰められるとすれば、それだけ内面が抑圧されているという事でもある。
「要するに、自分自身に試されるって訳だ。…あんまりいい気はしねぇな」
しかし、家や人形たちに脅かされるぐらいならそこの方がまだマシだ。
京太郎は苦笑しつつも足を進める。
「庵の中に工房の私の部屋と繋がる電話があります。もし……状況に耐えられなくなった時には迷わずご連絡下さいね」
外観こそぼろい印象を受けるが、庵の中は割と小奇麗で、寝起きするには十分なものだ。
年季の入った囲炉裏傍。
部屋の隅には年季の入った、ヒンジ金具が施された小さな食器棚。
小引き戸を開けると中には急須と湯のみと茶碗が一組置いてある。
「想像してたより普通なのな」
京太郎の言葉に苦笑しつつも、翡翠は火をおこし、庵の中に灯りを灯す。
「御夜食などはどうしますか?」
「いいや、カバンの中に多少あるし。ここのお茶使っちまっていいんだろ?」
「はい、ご自由に」
勿論、鍵を閉めている訳ではないので誰でも開けられるには開けられる。
だがたとえ朝が来ようとも、中から開ける訳にはいかない。
朝焼けと共に工房の朝は始まる。遵って悪夢の終わりも朝焼けと共に。
「――それでは…」
浅くお辞儀をしてゆっくりと戸を閉める翡翠。
そして。
「!!」
引き戸が完全に閉められ、外界と遮断された刹那。庵の中の空気が変わった。
さすがの京太郎もここまで違和感を感じるものとは想像しておらず、えもいわれぬ圧迫感に片膝をつく。
「―――ったく…随分危ねぇモン管理してんじゃねーか」
苦笑交じりに一人ごちる京太郎。
だが戸が閉められたからには最早後戻りは出来ない。
随分危険な宿泊になってしまったものだと、溜息をつく。
明かりの灯された囲炉裏傍で、慣れない手つきで湯を沸かし、お茶の支度をする。
何時出るか、今出るか。そんなことがチラチラと頭をよぎり、家鳴りひとつにも敏感に反応してしまう。
「――…何びびってんだか」
聞かされた内容がどうであれ、それは自分ではない他人の話だ。
人は人。自分は自分。
自分の中のものを直視できなかった者の末路。
気が触れるほどのおぞましい内面とは何だろう?
「………駄目だぁ、やっぱり気になっちまう!」
板の間にゴロンと仰向けに寝転がり、囲炉裏の灯りで僅かに天井の梁が見える。
淡いオレンジの灯りがゆらゆらと梁を照らし、その揺らめきをボーッと見つめていた。
そして、どれだけ時間が経ったのだろう。
<――たろう…きょうたろう…>
「!?」
うつらうつらと目蓋を閉じかけていた京太郎は、誰かの囁きでハッとした。
「誰だ」
のそりと起き上がると、囲炉裏を挟んだ向かい側に誰かが座っている。
自分と似た背格好。
否。
似ているのではない。
自分そのものが目の前に座している。
しかも、その額には二本の角。
<――京太郎…>
「…俺の事は放って置いてくれ」
鬼の姿をした自分に対し、拒絶的な反応を返す京太郎。
しかし鬼の京太郎は、できる訳ないと返してくる。
<――お前、俺を自分の心の影だのと誤解しているようだが、そもそも自分こそがお前の本性であり、お前の方が影なんだぞ>
「!んな訳あるかッ俺は――」
<人間だとでも言う気か?この期に及んで>
薄々自身の人智を超えた力に気づきつつある京太郎は、自分が人であるとすぐに言えなかった。
当然、鬼の京太郎はそれを見透かしている。
自分は鬼としての力も自信も漲った存在で、弱くて不安定な京太郎の事を弟のように思い親近感を沸かせている。が、ただ自分の存在を認めない京太郎に、最早痺れを切らしていたのだ。
風鬼と雷鬼の間に生まれた子。
分けられた二つの力をその身に兼ね備えるが故に、禁忌とされ人間界に堕とされた鬼子。
<――自分自身を忘れたまま、十二分に力を発揮できない未熟なお前が…>
「黙れ!!」
赫怒して鬼の自分に殴りかかろうと踏み切ったが、鬼の京太郎は眉一つ動かさぬまま、軽く突風を吹かせ京太郎を弾き飛ばす。
家は軋みを上げることなく、ただ何事も無いように見える。
それゆえこれが幻であると解る。だが、今、自分が感じた風は紛れも無く本物の風だ。
肌で感じる空気の流れは限れも無く本物の感触だ。
太い柱に叩きつけられた背中の痛みも本物だ。
背中の痛みに呼吸するのもままならず、一瞬息が出来なくなる。
そんな京太郎の前に、もう一人の京太郎が立ちはだかり、胸座を掴み上げしかと視線を交わす。
<思い出せ。お前自身の持っている強い力や…早く俺を思い出せ!>
まさに鬼気迫る表情で詰め寄るもう一人の京太郎の言葉に、何を言えばいいのか、如何したらいいのかわからずうろたえる。
「…俺は…俺は――」
「和田さん?」
自分ではない声に驚き、声のした方に顔を向けると、朝日が射し込む中、心配そうにこちらの様子を窺う翡翠の姿があった。
「――ぇ…」
朝?
もう?
時間の感覚がなく、まるで狢に化かされたのかと思えるほどに、もう一人の京太郎と対峙した時間が過ぎていたらしい。
「――あ…」
視線を戻すが、今の今まで胸座を掴んでいた自分の手は既になく、そこに初めから誰もいなかったように、気配は掻き消えている。
けれど、自分の胸元に僅かに残る感触が、夢ではないことを自覚させる。
鬼の姿をしたもう一人の自分が。
それが、本当に自分だと言われた事が。
「…和田さん?大丈夫ですか?」
混乱する頭で、かろうじて翡翠が心配していることが理解でき、大丈夫だと苦笑交じりに告げた。
「大丈夫…俺は、大丈夫だ…」
そう、自分を納得させるように目を閉じて深呼吸する。
いつもの自分に。
平静を取り戻さなければ。
二、三度深呼吸してからゆっくりと目蓋を開け、戸口に立つ翡翠に向き直った。
「…まーったく休めなかった。寮帰って寝なおすわ」
「和田さん…」
混乱しながらも必死で平静さを取り戻そうとしている京太郎に、一瞬、実に申し訳なさそうな顔をしたかと思うと、朝餉は如何かと問いかける。
「ん――…そうだな。言われれば腹も減ってきたし。せっかくだから貰う」
「では荷物を持ってこちらへどうぞ」
柔らかに微笑む翡翠は、庵の戸を大きく開け、闇の世界に光を入れる。
改めて室内を見渡せば、何のことはない至極普通の民家の室内。
昨夜の事が、つい今しがたの事が嘘のようにさえ思える。
「―――……あれは…」
もう一人の自分は。
告げられた言葉は。
京太郎の前に突きつけられたその事実は。
紛れも無く、本当の出来事。
痛みがだいぶ遠退いたにしろ、背中の痛みも本物だ。
京太郎にだけ、京太郎の前でだけ現実となった出来事。
「――俺は…」
…の子なのか。
今はまだ、もう一人の自分に言われたことの結論を出したくない、納得しきれない自分がいる。
その答えを確定させるのは、もう少し先のこと。
もう少しだけ、先の…
「――たぶん、もう来ねぇよ」
庵の前でそう一人ごち、踵を返して翡翠の後についていく。
一度も振り返ることなく。
二人が去った後、竹林の奥に佇む庵は朝日に晒され、ただ古いだけの庵となっていた。
外観からしても昨晩のような不気味さは欠片もない。
だがそれも…
再び夜の闇が訪れるまでの話――…
― 了 ―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1837 / 和田・京太郎 / 男性 / 15歳 / 高校生】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、鴉です。
この度は幽艶堂ゲームノベル【闇の庵】に参加下さいまして、まことに有難う御座います。
鬼という設定はとても好きなので、設定からいろいろ膨らましていこうと思いました。
草間興信所依頼【夜魔之王】にも参加していただいているので、
こちらでの展開もやや織り交ぜつつ、進行しております。
週明けになってしまいますが、今暫くお待ち下さいませ。
ともあれ、このノベルに際し何かご意見等ありましたら遠慮なくお報せいただけますと幸いです。
この度は当方に発注して頂きました事、重ねてお礼申し上げます。
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