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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


禁煙しましょう

「思うに、兄さん」
 ある日帳簿を眺めていた草間零が、兄の草間武彦に言った。
「うちの貧乏の理由のひとつなんだけど……」
「なんだ?」
「兄さんの煙草代。かなりかかっているの」
 草間はぎくりと口にくわえていた煙草を落としそうになる。
 彼は自他共に認めるヘビースモーカーだ。たいてい口に煙草をくわえていて、口にそれがないと寂しいのが本音だ。探偵という仕事柄、やむなく煙草から離れている時間もあるのだが、そんな時間がつらくて仕方がない。
「兄さん」
 零の口から、恐ろしい言葉が飛び出す予感がする。
「あのね。また椅子がひとつ壊れたの。それも接客用の」
「そそそそれで」
「……兄さん、せめて椅子代をひねりだせるくらいまで、煙草やめてみる努力する気、ない?」
 言われてしまった。
 草間はがっくりと肩を落とし、引きつった笑顔で「ど……りょく……は、する……」と言った。
 零は容赦がなかった。
「兄さんひとりの意思じゃきっと無理だから、手伝ってくれる人さがしてみるね」
 草間はどーんと肩に重い石を乗っけられた気分になった。

     **********

「禁煙かあ……」
 草間興信所に、事務員として通っているシュライン・エマは、その整った面立ちに陰を落とした。
「武彦さん、大丈夫かしら。何だか気の毒だわ」
 とりあえず目に毒だからと、シュラインは煙草、灰皿、マッチ、ライターをしまいこみ、もちろん煙草の空き箱捨ててあるごみ箱の中身もまっさらに捨ててしまった。
「基本的に武彦さんてお金自体に執着ないのよね。煙草吸えて、余裕あれば珈琲飲める収入程度で満足というか……」
「そうですね」
 零が沈痛な面持ちでうなずく。「私も、迷ったんです。ですけど……」
 目の前では、すでに草間が魂が抜けたような様子で椅子に座っている。
「……ほら、うちって……仕事で稼ごうとしても……稼いだ傍から何かしら出費するじゃないですか。だから……今確実に出費の原因となっているものを止めたら……って、思ったんです」
「そうねえ……」
 シュラインがその口元に手を当てて考え事をしている間に、
「おーっす! こんちは!」
 まず第一の来客がやってきた。

「とうとう禁煙令出されたか……」
 五代真(ごだい・まこと)は心底気の毒そうに、魂のぬけかかっている草間を見た。
「可哀そうだなあ、草間さん」
「……いや……これも家のためだから……」
 ふっと草間は遠い遠い目をした。
 真はうんうんとうなずいた。
「あんたひとりに酷な思いはさせやしないよ。俺も禁煙に付き合う」
「いいのか、五代」
「任せろ。……接客用の椅子代がたまるまでな」
 要するに彼も、煙草は吸いたいから一時的な禁煙でいるつもりなのだった。
「ということで、コレはゴミ箱行きだ」
 真はポケットから取り出した煙草をぽいとゴミ箱に捨てた。
「あ、武彦さんの目の毒だからね」
 シュラインが即座にゴミ袋にまとめて、「零ちゃん、よろしく」とぽんと渡す。
「はい」
 零はにっこりと残酷な笑みを浮かべた。
 うわ〜零ちゃんゴミを捨てないでくれ〜! なけなしの金で買った俺のラッキーストライク〜! と、後で拾えばいいやと思っていた真の本心の叫びなど知るよしもない。
 心の中で滝のような涙を流している二人の男性をよそに、
「よーっす」
 興信所に、また新たな客がやってきた。

「ふーん、禁煙ねぇ?」
 唐島灰師(からしま・はいじ)は、同情の視線で草間を見た。
 ただ単に草間をからかうためだけにしばしば草間興信所に来るこの童顔美形の青年も、さすがに今回ばかりは本気で気の毒そうだった。
「ま、頑張れ?」
 と草間の肩をぽんぽんと叩いて、定位置のソファにどっかと腰を下ろす。
「その……そのソファを代わりに使うことも考えたんですけど……やっぱりここは、新しいのを買おうかと……」
「ん? そうだなあ。このソファはちょっと俺でも本当は座ったらつぶれるんじゃねえかって心配で心配で仕方ねえシロモノだしなあ」
 灰師はうんうんと零の切実な話にうなずき、
「反対はしねぇよ。煙草のふくりゅーえんとか言うやつで零ちゃんの体調が悪くなっても困るしな」
 その言葉に、その場にいた全員がさっと零を見た。
 ……アンドロイドの零に体調などあるのだろうか?
 灰師だけがそんなことお構いなしに、
「禁煙上等ってか?」
 と両腕を広げてソファでくつろいだ。
「……でもよ、愛煙家の俺としては……正直、武彦が可哀そうではあるな。よって、反対はしねぇが協力もしない!」
「理屈が通ってない!」
 草間がどんと机を叩く。
 あっはっは、と灰師は顔に似合わない豪快さで草間の呪い殺しそうな目を笑い飛ばし、自分は煙草を取り出した。
 平気な顔でそれを口にくわえ、
「ああ、うんめぇ〜!」
 ――禁煙中の草間と五代の目つきが恐ろしいものへと変わったが、どこ吹く風である。
「悪ぃな零ちゃん。そっちには煙いかねえようにするからよ」
「っていうかあんた、少しは周りの状況考えなさいよ……」
 シュラインが厳しい顔で言う。灰師にはまるっきり効かないと分かってはいても言いたくもなる。
「何言ってんだ。俺はこの煙草の危険さを身をもってそいつらに教えてやってんだぞ。ほら武彦、煙草ってのは危険だろう? 吸っちゃいけねえぞ」
「たしかにな……」
 うなるように草間は言った。「煙草を吸うと、性格が悪くなるのかもしれん……」
「草間さん、俺たち負けないようにしようなっ」
 がっしと手を握りあう草間と真。
「ああ、何て人の恩を知らねえやつら……ああ、うめえ〜〜」
 ぷかあ
 白い煙を吐き出しながら、灰師は豪快に笑った。
 再び草間と真とシュラインの、すさまじい視線が灰師に向かった。
 ……もちろん効き目などからっきしないのだが。
 その時、
「こんにちはっ」
 興信所に、また新たな客がやってきた。

「え、椅子買うために禁煙するの?」
 瀬川蓮(せがわ・れん)は、そのかわいらしい顔を不思議そうにさせて、
「ふぅ〜ん。ボクはパパやママたちにお願いすれば革張りでぴかぴかでふかふかなの幾つでも買ってもらえるのになあ」
「だめだめ、そんなんじゃよ」
 灰師が蓮にちっちっと煙草を振って見せる。
「そんな革張りでぴっかぴかなソファなんざ、この興信所に似合うと思うか? 第一、今大切なのは禁煙だ。そう、武彦が煙草をやめることが重要なんだ!」
 ふーっ
 煙草の煙を吐き出しながら、青年はそんなことをのたまう。
「………っ」
 草間の両手の指が、わらわらと生き物のようにうごめいた。
「そっかあ、大変なんだね」
 蓮はにっこりと笑った。「じゃあボクも、お手伝いしてあげるね? ボクのお友達に二十四時間見張り頼もうか? 草間さんが煙草に近づいたら、警告として髪の毛引っ張って、零お姉ちゃんに連絡してあげるね」
 大丈夫だよ! と御歳十三歳の少年は、肩にお友達もとい小悪魔を乗せたまま、大きく手を広げた。
「ボクが煙草以外の面白いこと色々教えてあげるから!」
 そして蓮の小悪魔が、草間のまわりに取り憑いた。
「いでっ! いででっ! こら蓮! まだ俺は煙草に近づいてもいないぞ……!」
 小悪魔に髪を引っ張られて、草間が悲鳴をあげる。
 蓮は、あーと申し訳なさそうな顔を作った。
「ごめんね。きっと草間さんの心の中にある『煙草吸いたい』っていう気持ちにも反応しちゃうんだ」
「そんなのってありか……!」
「だから、ボクが楽しいこといっぱい教えてあげるって! 報酬は、そうだなあ、新しく椅子買ったら一番にボクに座らせてほしいなあ」
「おいガキ、それは俺の役割だ」
 灰師が大真面目に口を挟んできた。
「新しいソファが来たら、真っ先に座って煙草吸って焦げ目を作る! これぞ醍醐味……!」
「あんたいい加減にしてくれない?」
 シュラインが目じりを吊り上げて灰師に迫った。もちろんどこ吹く風の灰師は、ふーと再び白い煙を吐いた。
「お邪魔しますよ」
 そこで再び、興信所に来客が現れた。

「草間さん。禁煙ですか? それは仕方ないですね。あーっはっはっはっは」
 話を聞き、高ヶ崎秋五(たかがさき・しゅうご)は大笑いをしてくれた。
 情報屋である彼は、ネタを探しに「遊びに」来たのだが、そこで禁煙令が敷かれていることを知って愉快そうに周囲の面々を見渡した。
 小悪魔に髪を引っ張られている草間、それを気の毒そうに見ている若い青年、草間の妹零に、いつもこの事務所にいる事務員シュライン。どこかの金持ちの息子のような雰囲気を持つ金髪の少年。そして、禁煙令が敷かれているにも関わらず、ソファに堂々と座り堂々と煙草を吸っている、若いのか少し年齢が高いのか分からない、とにかく美形には違いない青年。
 秋五は煙草を吸っている青年に向かって、
「おや、あなたの煙草もいい煙草ですねえ」
 しかしこれもいいですよ、と服のポケットからマルボロを取り出し口にくわえ、火をつけた後ゆっくりと目の前で吸い、
「はあ……うまいものです」
「お前も灰師の同類だったのか、高ヶ崎……っ」
 草間がぎりぎりと両手の爪で机を引っかく。
 その傍らでは、真がすでにがっくり魂ぬけかかった状態で草間の椅子にもたれかかっていた。
「俺……正直言うともうダウンだけど、禁煙に付き合うと言ったからには、とことん付き合うからな……」
「五代……」
 草間ががっしと若い青年の手を握る。
「話変わるけどさ……」
 真は力なく口を開いた。
「草間さんてマルボロしか吸わないよな。他の銘柄、吸ったことないのか?」
「あ? 別にそういうわけじゃないが」
「マルボロ以外もありますよ」
 にこにこと秋五がポケットに手をつっこむ。そこにはあらゆる銘柄の煙草が入っていると、もっぱらの噂だった。
 びしっ、とポケットから煙草の山を取り出そうとする秋五の手を、シュラインが払う。
「もう、みんなして……! いいからまじめに考えてちょうだい!」
「まじめに考えてるから結果がこうなんだぜ、おまえ」
 灰師が本気のまなざしでシュラインを見つめた。「いいか? 人のフリ見て我がフリ直せって言うだろ。だから俺はこの身を鬼に変えてっ! 武彦に煙草はいけないものだと教えてやってるんだ」
「そうだよね。ボクも、お友達に草間さんの見張りしてもらうのとっても胸が痛いんだよ」
 傍らからは蓮。灰師は調子に乗った。
「ほら、武彦よ。煙草の煙! よく見ろよ。いかにも体に悪そうだろ? もう吸っちゃいけないって気になるだろ?」
 ふーっ
 草間のほうを向いて、灰師は煙草の煙を吐く。煙はまともに草間の顔に当たった。
「うわっ……お前……っ!」
「唐島さん、あなたも肺に悪いわよ。この際吸うのやめたら?」
 嫌味のつもりでシュラインが言うと、
「何時死ぬかわからんから好きなときに好きなことをすんだよ」
 ……説得力があるんだか、ないんだか。
「それじゃあ俺だって吸いたい……」
 草間が泣きそうな声を出す。
「ばーか、武彦はこの事務所の責任があんだろ!」
「あああっ灰師が珍しくまともなことを言っているのがうらめしい……!!!」
「はっはっは! 俺はいついかなるときも正しい……!」
「ああ……煙草の話すると余計に吸いたくなってきた……」
 激昂する草間の横で、真がぐてっとなっていた。
「ヘビースモーカーじゃないけど、喫煙者にとって、煙草がないってのはしんどいなあ……」
 真の目は、すでに虚ろになっていた。
「すっげぇ腹減った気分に似てる……しんど……」
「気の毒だなあ、そこの。ほら、煙だけ吸わしてやるからよ」
 ふーっ
 灰師が真に向かって煙を吹きかける。
 うわっと真が慌てて草間の背後に逃げた。
「や、やめてくれっ。余計煙草が吸いたくなる!」
「五代、俺の背後に隠れるな! 俺にまともに煙がかかる……!……って、いて、いてて!!」
 なぜか小悪魔が草間の髪を引っ張る。
 見張りというよりは、ただ遊んでいるだけのようだ。
「ああ、ボクのお友達が警告を発してるよ。煙草の煙も吸っちゃダメだって言ってるよ。だめだよ、草間さん」
「それはそこのバカ喫煙者に言えーーー!」
「え、だってこっちのおにいちゃんは禁煙令出てないんでしょ?」
「そうだ、ガキ。偉いな……! よく分かっている!」
 灰師がぐりぐりと蓮の金の髪をなでた。
「いたた、おにいちゃん、痛いよ」
「お前もでかくなったら、まともに煙草吸ったりしちゃだめだぞ。いいか、吸うときゃ禁煙令が出ている人間の前で堂々と吸うんだ。そうしたら煙草が二倍三倍にもうまくなっからな」
「うんっ」
「灰師ーーーー! それはどんな教育だーーーー!」
「おうっ! ガキの人生が二倍三倍にも楽しくなる教育だ……!」
 灰師は実に爽やかな笑顔でそう言った。
 そして爽やかな笑顔で、煙草の煙を吐き出した。
「邪魔するぜ」
 その時、興信所にさらに新たな客がやってきた。

「禁煙令か……」
 来生十四郎(きすぎ・とうしろう)は、腕を組んで眉根を寄せた。
「俺ぁ何かと草間をからかっちゃいるが……」
「認めるなっ! そこでっ!」
「うるせえよ草間。今回ばかりはお前さんの味方してやるってんだよ」
 え、と草間が驚いたように目を見張る。
 十四郎はしみじみと、
「禁煙の辛さだの、最近の愛煙家の肩身の狭さだの……同じヘビースモーカーとして俺はよく分かる。というわけで、禁煙反対だ」
「え……っ」
 零が慌てたような声を出す。それを手で制し、
「禁煙の理由はなんだってか?」
「あの……」
 詳しい話を聞き、十四郎はよしとうなずいた。
「応接の椅子くらいなら、俺のコネを使って何とか入手できるように頑張ってみるからよ。倒産した店の品を安く扱ってる知り合いでも当たってみるさ」
「来生……!」
 草間が感激して、十四郎の手を握った。
 十四郎は気持ち悪そうに、それを振り払った。
「要するにだ、接客用に使えて適度に見栄えがすればいいんだろう? その前に、どんな椅子でいくらまでなら出せるか教えてくれ。ダメだったら悪いが諦めてくれ」
「革張りでぴかぴかのソファだな」
 灰師が大真面目に言った。「そうだな……サイズはこの事務所を半分埋めるくらいか? 十人くらいは座れる椅子じゃなくっちゃな。ついでに銀装備だ。何しろここには幽霊の依頼者さえ来る……!」
「銀じゃお客様逃げちゃうじゃないの」
 シュラインがため息をついた。「二人ほど座れるソファで充分だわ。贅沢を言えば三人ほど。ねえ零ちゃん、武彦さん」
「よっしゃ、分かった。今から行ってきてやらあ」
「た、頼むぞ来生」
 草間は必死の様子で拝んだ。
 その傍らでは、
「頼んます、あにさん」
 訳の分からない口調になりながら、真も拝んでいた。

 十四郎が興信所から姿を消してから、今度は秋五が真剣に話し始めた。
「ヘビースモーカーである草間さんが煙草をやめたら、激しい禁断症状が出て仕事になりませんよ」
「そうなのよね。武彦さんほどのニコチン中毒者だと医者にかかって少しずつ体内ニコチン量減らさないと、体調面でも禁煙は難しいだろうし……」
 シュラインが考え込むような姿勢で言う。
 実際、ヘビースモーカーではない真がすでにダウン気味、草間がまだ元気なのは――ひょっとすると灰師にからかわれ、小悪魔に髪を引っ張られて気が散っているのが幸いしてしまっているのだろうか?
 けれど、そろそろ限界だ。
「ああ、かわいそうな武彦。無事に成仏してくれ」
 灰師が草間に向かって拝んだ。「墓には俺がたっぷり煙草の煙を吐きかけてやるからな」
「はーいーじー」
「ああ、かわいそうな武彦。俺の愛情も分からなくなっちまってるのか……」
 灰師は煙草の煙を再び草間に向かって吐き出した。「こうやって煙草の煙を吸わせてやっているというのに……」
「なんにしてもですね」
 秋五が冷静に、話を続ける。「仕事にならなければどうせ儲からなくなりますし、そもそも元々小遣いが少ないのですから禁煙しても変わらないでしょう」
「……微妙にかばわれている気分にならないぞ、高ヶ崎……」
 草間が疲れた声で言った。
 シュラインは、もう少しまともだった。
「口寂しさに飴とか食べたりしちゃだめよ、武彦さん。別出費になって意味がないし、太るから……」
「そりゃいいや、太った武彦。ぜひ見てみたいね!」
「笑い話じゃないのよ唐島さん!」
 シュラインはきっと灰師をにらみつけてから、「ええと……それから、禁煙終了したとたんに大量に吸ってリバウンドでさらに本数増えるのも心配だわ」
「リバウンド? やっぱり太るの?」
 けらけらと蓮が笑った。「太った草間さん? ころころでかわいいかもねっ!」
「おい、蓮……」
 草間はふと気づいて、険悪な声で少年を呼ぶ。
「なーに?」
「さっきまで俺に取り憑かせてた小悪魔……どこにやった……」
「ボクのお友達? さあ、勝手にどこか行っちゃった」
 頭の後ろで手を組んで、えへへっと蓮は笑った。
 明らかに何かを隠している、黒い笑みだった。少年のくせにおそろしい。
 と、唐突に興信所の扉が開き、
「いてっ。いてえよ、なんだよこいつ!」
 十四郎が駆け込んできた。
 そのぼさぼさ頭につんつくとちょっかいをかけているのは――蓮の小悪魔。
「あ、だめだよ〜。そんないたずらしちゃっ」
 めっ、と蓮は小悪魔を叱るが――
 草間はおそるおそる十四郎に尋ねる。
「おい……成果はどうだった?」
「悪ぃ。そいつが邪魔してよお……ろくに店も回ってこれなかったんだよ」
「―――」
 全員が小悪魔をなでる蓮の、邪気のなさそうな笑顔を見る。
 ――確信犯だ。間違いない。
「まあ、なんだ。煙ぐらいはかがせてやる」
 十四郎は、苦笑いして煙草を取り出した。
「たまには本物も差し入れるから、椅子が買えるまで我慢しな」
「煙だったら俺がいくらでもかがせてやるぜ」
 灰師が再び草間と真に向かって煙を吐き出す。
「あー、うめえなあ。何か、いつもよりうめえなあ」
「ああああああ……」
 草間もそろそろ限界が近いようだ――
 頭を抱えて泣き出しそうな声を出す。シュラインが零を傍に呼び、「そろそろ本当にまずいわね」と言った。
「ええと……椅子買うまでっていう目標ならいっそ一日一本たばこ貯めて、五日か七日毎に一日喫煙日作って、それまで貯めていた本数だけ携帯灰皿と一緒に渡して大事に吸ってもらうっていうのはどうかしら? 小刻みなら我慢も案外続けられるものだし……」
「あ、なるほど……」
 零がぽんと手を打った。
「決まった本数大切にすえること覚えてもらえれば、終了後も喫煙本数減らせないかしら」
 ねえ、武彦さんこれならどう――?
 と、尋ねた相手は、
「ああああああああ……」
 頭を抱えて、聞いてもいない。
「………………」
「無駄無駄無駄。武彦にそんな駆け引きなんかさ」
 灰師が遠慮なく煙草の煙を吐き出しながら、シュラインに言った。
「お前も将来の武彦の嫁さんになるってんなら、いい加減学習しろや?」
「あんたのせいで武彦さんが冷静さを失ってるのよ……!」
「何言ってんだ。禁煙令出された時点で武彦が冷静さを保てるはずがねえんだよ。だって武彦だし。あ、零ちゃんのせいじゃないから気にすんな? 全部武彦の意思の弱さなんだから」
 零に対しては優しい灰師は、零に微笑みかけてから、煙草を携帯灰皿につっこみ新しい一本に火をつけた。これで彼は五本目である。
「あ、あんた鬼か……」
 真が必死に灰師のほうを見ないようにしながら、震える声でつぶやく。
「草間さん」
 秋五がずいと草間に迫った。マルボロを差し出して。
「差し上げましょう。さあ、吸うんです」
「お? なんだ思いっきり差し入れか? んじゃー遠慮する必要ねえなあ」
 十四郎がにこにこしてすでに四本目の煙草に火をつけた。
 草間は飛びかからん勢いで秋五の手元のマルボロに手を伸ばした。
 しかし、
「いでっ! 痛い……! 蓮、この小悪魔どうにかしろ!」
「だぁってえ、一度決めたことを途中で放り出すのはいけないことなんだよ? 草間さんっ」
 蓮はまるで子供に言い聞かせる母親のような口調でそう言う。
「椅子は結局どうなるんでしょう……」
 事の発端である零がつぶやいた。
 と、その時。
「邪魔するぞ」
 興信所に、またまた新たな客がやってきた。

「何をやっているんだ?」
 やたら多い人数が集まって、やたら煙草の煙が充満しているその場所で、黒冥月(ヘイ・ミンユェ)はきょとんと首をかしげた。
 共に草間と仕事をすることが多い彼女。こうやってしばしば興信所に顔を出すのだが――
 草間が、はっと冥月が手に持っている袋に反応し、
「それは何だ!」
「これか。暇だったから初めてパチンコなるものをやってみたのだがうまくいってな。それで景品と交換だというので適当に――」
「くれ!」
 冥月の言葉をさえぎって、必死に草間が拝んでくるので、「か……構わんが……」と冥月は袋を渡そうとした。
 しかし、
「あ……すみません、い、今は」
 と零がそれを止めようとしてくる。
「何だと言うんだ?」
「その……禁煙中なので……」
「そうなのか?」
 冥月は首をかしげ、「別に好きなものくらい吸わせてやればどうだ」
「ああ……!」
 草間が感激したように立ち上がり、冥月の隣までやってきて、
「さすが、いいことを言う……! それでこそ男同士の友情だ」
 と肩を組もうとする。
 すかさず「誰が男だ」と草間の腹に冥月の鉄拳が飛んだ。
「そうですね、やはり吸うべきです」
 秋五がまたまた煙草を差し出して来て、
「うーん、もう禁煙でやるってのは諦めたらどうだ?」
 十四郎が煙草を口にくわえたまましゃべり、
「ああ……草間さん、俺もう限界かも」
 真が情けない声を出し、
「……禁煙以外の別の方法さがしましょうか?」
 シュラインまでもが諦め口調になり、
「だーめーだー!!」
 灰師はやっぱり煙を思い切り吐き出して反対し、
「みんなっ! 一度決めたことは最後まで続けなきゃだめだよっ!」
 蓮のかけ声で小悪魔が草間、真、秋五、十四郎をつつきまわした。
「だから、好きなものくらい吸わせてやったらどうだ……」
 ため息をつく冥月の傍らに零がすすすと寄ってきて、耳元で囁いた。
「兄さんの味方するなら、ケーキ好きなことをバラしますよ」
 ――なぜバレているのだ?
 自分のイメージに絶対合わないから絶対にバラされたくない痛いところをつかれ、冥月は沈黙した。
 実のところ、禁煙に反対するのは、要するに自分もケーキを止めろと言われたらつらいだろうと考えたからなのだ。
 冥月が黙りこむ。
 真が必死に頭を振り、
 秋五は小悪魔に頭をつつかれてもこりずにマルボロを差し出し、
 十四郎はスパスパと煙草を吸い、
 灰師も「ああうまい、おおうまい」と繰り返しながら煙草を吸い、
 蓮は小悪魔をけしかけて、
 シュラインは途方に暮れ、
 冥月は静かに展開を見守って、
 もう何が何だか分からなくなったころ――

 ようやく、冥月がふと思い出したように、
「なぜ禁煙などしているんだ?」
 と今さらなことを聞いてきた。
「え……それは、椅子が――」
 零が事情を説明する。
「……ふむ」
 冥月はうなずき、自分の影内の亜空間倉庫から、昔拾ったソファを取り出し、
「これでどうだ?」
 と言った。
 誰もが、沈黙した。
 そして――
 沈黙の後、一番最初に動いたのは草間――
「冥月ーーーーー!」
 喜んで跳んでくる草間の顔面に、冥月は――
 冷静に、肘鉄を一発くらわせた。

     **********

 そんなわけで、冥月のおかげで禁煙生活は一日と経たずに終わった。
「今日ほど男の友情をありがたく思ったことはない……!」
「誰が男だ!」
 草間の顔面に裏拳を叩きこみ、冥月は帰って行った。
「ああ……よかった、俺のラッキーストライク……捨てられる前に禁煙が終わった……」
 たまたま零が捨てるのを忘れていたゴミ袋の中から、真が泣きそうになりながら煙草を取り戻す。
「助かりましたよ。これでヘビースモーカー仲間が減らなくて済む」
「まったくだ」
 秋五と十四郎は満足して帰って行った。
 その後には灰師と蓮も。
「………?」
 草間は、灰師たちが大人しく帰っていったことに嫌な予感を覚えた。
 シュラインが――
「……やられた……」
 彼女にしては珍しく、わなわなと両手を震わせていた。
 どうした、と聞くのが怖かった。しかし、確かめないわけにはいかず――
 草間は、冥月がくれたソファを覗き込んだ。

 くっきりとした煙草の焦げ目と、小悪魔がかじった跡。

 草間の悲鳴があがった。
 ――興信所は最後の最後まで、にぎやかだった。


 ―Fin―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0883/来生・十四郎/男/28歳/五流雑誌「週刊民衆」記者】
【1335/五代・真/男/20歳/バックパッカー】
【1790/瀬川・蓮/男/13歳/ストリートキッド(デビルサモナー)】
【2778/黒・冥月/女/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【4697/唐島・灰師/男/29歳/暇人】
【6184/高ヶ崎・秋五/男/28歳/情報屋兼探索屋】

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■         ライター通信          ■
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シュライン・エマ様
こんにちは、笠城夢斗です。
今回も依頼にご参加くださり、ありがとうございました!
まわりに妙な妨害者が多くて、エマさんの綿密な計画が簡単に崩れてしまったことをお詫びします;もっと活かせたらよかったのですが……
ありがとうございました。またお会いできますよう……