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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


犬飼ウ者 [後編]


 犬飼圭祐(いぬがい・けいすけ)の告白は終わった。
 相変わらず彼は柔らかい微笑みを浮かべて草間たちを見つめている。対して草間たちはどこか腹の中に蟲を放たれたような不快感を感じていた。
 とても満たされた幸福な人間・犬飼圭祐。それだというのに彼は理由もなく殺人を繰り返す、真性の快楽殺人犯なのだ。さっき人を殺めたばかりの手でお茶を飲み、お茶請けに出されたどら焼きを食べて、幸せそうに微笑っている。
 草間は、この男は悪魔ではないかと思ってしまう。いっそ彼が悪魔だったら、こんなに不快な気分にはならなかっただろう。だが、この男は歴とした人間、それも特別な力も持たない、普通の人間だ。
 草間は思わず胸ポケットを探り、煙草を取り出し一本銜えた。この事務所に来た者に嫌煙権はないものと思っていいが、それでも「依頼人」の話を聞く間はなるべく吸わないようにしている。だが、今回ばかりは我慢の限界だった。安物のライターで火をつけ、心を落ち着けるようにゆっくりと深く、吸い込む。
 …そうだ、この男は「依頼人」だった。失念していた。
「お前さんは探偵…俺に何を望んでるんだ? 何故、こんな話を…?」
 自分の身を危なくしてまで探偵の前で全てを告白する。そんな必要がこの男にあったとは思えない。一体、何を考えてここへ来たのか。
「自首…のつもりか?」
 もしかしたら、この男にも最後の良心があったのかも知れない。そう期待して呟いてみるが、犬飼はそれを無邪気に笑って一蹴した。
「自首? なんで僕がそんなことしなきゃならないんですか?」
 不遜とも言えるその言葉。だが、そういう犬飼の顔は本当に不思議そうで…。草間は少々気色ばんだ。この男に期待した自分が馬鹿だった。それならば、とポケットの中に忍ばせていたものを取り出すと、犬飼に突きつけた。
「…なんですか、それ?」
「テープレコーダー。今の会話、全部録音させてもらったぞ」
 きな臭い話になりそうだと踏んだ草間が密かに用意したものだった。大当たりだ。このテープを警察に持っていけば、重要な証拠になるに違いない。
 だが、犬飼はそれを聞いてクスクスと笑う。
「何が可笑しい?」
「いや、気が合いますね」
 そういうと、犬飼はそのジャケットコートのポケットからMDを取り出した。外部マイクがついていて、外の音を録音できるタイプだ。草間は真意を量りかねるて犬飼を見る。犬飼はおかしそうに笑いながら、肩をすくめた。
「僕も、全く同じことをしてたんです」
「…………………」
 草間は言葉に詰まって、口を虚しく開け閉めするしかなかった。そんな草間に追い打ちをかけるように、犬飼は指で探るようにMDの再生ボタンを押す。すると、マイクと一緒につけられていた小型の外部スピーカーから、鮮明な音が漏れだした。
『こんにちは、探偵さん…ですよね?』
 先ほどの会話だ。草間がテープレコーダーをまだ回し始めていない、一番初めから録音されている。犬飼は「ね?」といって小首を傾げる。
 草間はその場でがくりと項垂れた。この男は完全に草間の予想外を行っている。追いつめられているのは彼の方なのに、気分的には草間の方が切羽詰まっているのだ。なんたる理不尽。
「なんなんだ、お前は…。何がしたい…?」
 ついに草間はそれを犬飼に訊ねた。本当は訊ねたくなかった。この男が何を考えているのか解らない。解りたくもない。こんな気狂いの考えていることなんて…。
 犬飼はジャケットコートのポケットに手を突っ込み、顎をあげた。その目はどこか遠くを見つめている。そして、そのまま口を開いた。
「…足りないんですよ」
 ここにきて初めて、その声に負の感情が込もった。遠足の日に降った雨に天を恨む子供のような。そんな悲しげな声と顔。
「人を殺すだけじゃ、もう足りないんです」
「…な…んだと…?」
「もっと楽しいことをしたいんですよ、僕は。例えば、探偵や警察に追われながら人を殺すことができたら…?」
 犬飼は穏やかな表情を取り戻していた。そして、ゆっくりとMDからディスクを取り出すと、軽く振ってカタカタと音をたててから、それを草間に差し出した。草間はディスクと犬飼を見比べる。
「…これが報酬です。大したものじゃなくて申し訳ないですが、警察に恩を売るくらいのことは出来るはずです。これを差し上げますから…」
 犬飼はにこりと笑う。とても朗らかに。
「僕と追いかけっこしてください。僕は逃げますから」
 追いかけっこ、ね…。無邪気なことだ。
 草間は心でそう呟く。指の腹にちりちりとした熱さを感じた。
「…逃げ切れると思ってるのか?」
「そうですね、可能性は低いと思いますよ。…でもだからこそ、ねぇ、楽しいとは思いませんか?」
 心底楽しそうに微笑う犬飼を冷たい目で見つめ、殆ど吸わないまま灰になった煙草を灰皿に押しつけた。そして、今度は低い位置から犬飼を睨み上げてやる。この男の言うことにいちいち反応してやるのも怠くなってきた。…もう終わりにしよう。机に置かれたMDのディスクを取り上げると、さっき犬飼がして見せたようにカタカタと振る。
 さて、この気狂い野郎、どうしてくれようか?


∇決着

 日が傾いてきた。オレンジ色の西日が窓から直接入ってきて眩しい。
 シュラインは右手に座る草間の俯き加減にした顔をちらりと見る。眼鏡が西日を反射して、目元は見えなかった。だが、先ほどからカタカタと音をたててMDを振っているその行動とその口元に、草間の苛立ちが伺えた。
 不意に、草間が顎を上げた。角度が変わって、眼鏡の奥の目が見える。その目にある意思をシュラインは瞬時に読んだ。
(武彦さんは彼をここで取り押さえる気ね。その気になって彼を喜ばせるのは心外だけど、この先の被害や被害者やご遺族の気持ちを考えるとそれがいいでしょうね…)
 シュラインは膝に置いた手を軽く握ったり開いたりさせた。それは無意識の動作だったが、気持ちを落ち着かせる為の重要なプロセスだった。握って、開いて、握って…。こういった一定の繰り返し動作は、どこか人を落ち着ける。
(そうね、捕獲は武彦さんにお任せするとして、私は彼の気を引いておきましょうか…)
 最後にきゅっと掌を握りしめて、シュラインは顔を上げた。
「聞きたかったのだけど、答えてくれるかしら? なんで興信所に直接乗り込むことを選んだの? 新聞社や雑誌社に郵送かなにかで持ち込んだ方がじわじわと追われる感覚を味わえたのじゃない?」
 シュラインの問いに、犬飼はふと考えるような表情をする。しかし、それはすぐに消えて、ふふっと可笑しそうに笑い始めた。
「何が可笑しいの?」
「いえ…そうですね。確かにそうだったかも知れませんね。それは僕が短絡的すぎたのかも。でも、ちょっと魅力的でしょう? 探偵と殺人者の追いかけっこなんて。昔の推理小説みたいじゃないですか」
「これは小説じゃない、現実よ…」
「ええ、ええ。勿論、解ってますよ。でも楽しそうだと思ってしまったから」
「貴方は楽しみに対してこらえ性がなさすぎだわ。身の内に棲む凶暴性…貴方が『犬』と呼ぶモノ…は誰でも多かれ少なかれ持っているもの。貴方はそれを抑える術を知らずに生まれてきたのね…」
 決して感情的ではない、窘めるような声。怒りはあまり感じなかった。ただ、訥々と。対して犬飼はやっと笑いを治めて、それでも喉を鳴らしながら応える。
「そうですね。僕がもう少しこらえ性のある方だったら、僕は一般人だったんでしょうね。どんな悪魔のようなことを考えていても、実行に移さなければ罪にはならないですから」
「それならば、まだ貴方は『犬』を飼っている、と言えたのにね。貴方は、違う。『犬』を飼っているのじゃない。『犬』に飼われているのだわ。お気の毒な人。凶暴な『犬』に飼われている貴方は、楽しさを感じることは出来ても、一生満足感を得ることは出来ないのでしょうね。膨らみ続ける欲望の衝動に駆られるだけ駆られて、身を滅ぼすのだわ」
 字面を見ると、辛辣にもとれるシュラインの台詞。だが、シュラインは犬飼を嫌悪し、罵倒する気持ちはなかった。言ったとおり、この青年を気の毒な人間に感じただけ。ただ、感じたままを言葉に乗せただけだった。
 だが、その言葉に、犬飼はすうっと目を細めた。おや、と思う。今までになかった反応だ。もしかして、今の言葉は少しでも彼の心の琴線を掠めることが出来たのかもしれない。

「…もういい、シュライン」

 ふと、草間が呟く。その次の瞬間、既に全ては終わっていた。
 草間は素早く、一瞬シュラインだけに気を取られた犬飼の背後に回ると、手を掴んでそのまま後ろへ捻り上げ、肩を強く押して目の前のテーブルに押しつけたのだ。その間、ほんの一、二秒。草間は瞬きをする間に、完全に犬飼の体の自由を奪ってしまった。
「…!!」
 捻り上げられて軋む腕に、犬飼の表情が歪む。だが、それも一瞬。犬飼はすぐに目だけで背後にいる草間を見て、口元を弛める。
「…っさすが探偵、といったところですね。僕も運動神経いい方だと自負してたんですけど、反応すらできなかったな…」
 この窮地に陥っても、犬飼はその微笑いを止めなかった。クスクスと楽しそうに微笑う。酷くカンに障る。だが、草間は眉一つ動かさず、シュラインに声をかけた。
「シュライン、物入れの中に新聞とか雑誌を縛る為に買ったビニール紐があっただろ。俺が押さえてるから、あれでこいつを縛り上げてくれるか」
「え…ええ、わかったわ」
 シュラインは頷くとキッチンの奥にある物入れからビニール紐を取り出してきた。熱には弱いが、丈夫であり、人間の力ではまず引きちぎれない。丁度いい即席捕り縄だ。ビニール紐を持って犬飼と草間の元へ戻ると、慎重に、そして弛まないように犬飼の両手両足を縛り上げた。そして、客用ソファの上に転がす。
「ごめんなさいね、でもちょっと我慢して」
 シュラインはビニール紐と一緒にキッチンから持ち出してきた薄手のタオルを差し出すと、犬飼に噛ませようとした。即席の猿ぐつわだ。楽しいと思えばどんな狂気の沙汰も躊躇せずに実行する気配のある犬飼のこと、そのまま舌を噛み切りかねない。そんな危惧がシュラインにはあった。
 だが、犬飼はさすがに少し嫌な顔をして、それでも苦笑いで軽く首を左右に振る。
「…大丈夫ですよ。舌を噛むような真似はしませんから」
「…………………」
 しかしシュラインはどこか不安だった。もし、万が一のことがあったら取り返しが付かないことになるのだから。だが、犬飼はふるふると首を振る。
「好きなようにさせとけばいい…」
 吐き捨てるような草間の声に、シュラインは振り返った。
 光の加減で、また眼鏡の奥の表情は見えない。だが、草間はまたあのMDを手にしていた。カタカタと軽く振る動作も同じ。
 次の瞬間、草間の手からMDが滑り落ちた。軽い音をたてて床に落ちたMD。続いて先ほど草間が録音したカセットテープもその後を追った。犬飼が小さく首を傾げるのを見て、草間は足を上げて勢いよくMDとカセットテープを踏みつけた。
 パ…キン!
 粉々に砕けたMDとカセットテープ。
「武彦さん…!」
 シュラインの案ずるような声の中、草間は険しい顔で犬飼を見つめた。
「あーあ、証拠が台無しじゃないですか。せっかく最初からきれいに録音されてたのに…」
「こんなものいらない。自分の楽しみの為に殺人者の手ずから差し出された証拠品なんて胸くそ悪くて使えるか。俺はしがない探偵だ。警察に余計な恩なんか売ったって仕方がないし、お前を牢屋にぶち込む為には、血臭ぷんぷんさせたお前自身を突き出すだけでいい。さっきお前が言った通り、今の警察は有能だ。威信にかけて、すぐに今までの事件とお前とを結びつけてくれるだろうさ」
 言い放つ草間。犬飼はその草間をじっと見つめていたが、すぐに視線を逸らしてくつくつと笑い始めた。
「この興信所を選んだのはたまたま目に付いたからだったんですが、どうやらここを選んで正解だったみたいですよ。まさか、今時そんな格好いいことを言ってくれる探偵さんがいたなんて、びっくりです」
「…………………」
 草間は何も言わなかった。


∇エピローグ

 十数分後、草間の通報を受けた警察が犬飼を引き取りにやってきた。彼が事件の詳細まで告白した記録は既に粉々になっていたが、犬飼がジャケットコートの下に着ていた薄手のセーターには彼の物ではない血がべっとりと付着していた。その上、犬飼は警察官達を前に、にこやかに「僕は人を殺しました」と言い放ったのだ。後でしっかりと事情聴取されることだろう。
 犬飼は警官の言うことに素直に聞いて、大人しく従っていた。だが、警官達に連行されて事務所を出る時、犬飼は思い出したかのように立ち止まって草間とシュラインを振り返った。
「事務員さん…シュラインさん…でしたっけ?」
「…?」
「さっき、貴方は僕のことを『気の毒だ』っていいましたよね」
「言ったわ。貴方は自分の内に棲む『犬』を抑える術を生まれながらに知らない人。そのせいで、何人もの人が命を落とし、何人もの人が悲しみ、貴方自身も滅びてしまうのだもの」
 シュラインが語る言葉に、犬飼は少し困ったような表情を浮かべ、瞳を閉じた。再び彼が瞳を開いた時、彼は、穏やかな、穏やかな、そして綺麗な、笑顔を見せた。
「それは間違ってますよ。僕は決して気の毒な人間なんかじゃないんです。それなのに、哀れまれるなんて真っ平だ。それだったら、鬼だと、悪魔だと、罵ってくれた方がよっぽどいい」
「…そう思いたいのなら、そう思っていればいいわ。それで貴方が救われるわけではないけど…」
 犬飼は綺麗な笑顔を崩さない。だが、そのままそっと目を伏せて、今の会話に半分呆気にとられていた警官たちを促し興信所の扉を潜って見えなくなった。
 草間とシュラインは暫く、無言だった。
 それでもシュラインは一口も飲まれないまま冷たくなっていたお茶を入れ直し、自分と草間の前に置いた。草間は何も言わずに熱いお茶を煽る。続いてシュラインもお茶に口をつけた。苦み走った濃いお茶。でもその苦みが感じられることに、シュラインは何だか安堵していた。
 シュラインが口を開いたのは、二人の湯飲みが空になった頃。
「あの人は、どうなるのかしらね…」
「すぐに全部明るみに出るさ。あいつには隠す気もなさそうだったしな…」
「そう…ね…」
 シュラインが聞いたのはそういうことだけでは無かったのだけれど。でも、どんな答えが返ってきても納得できるはずもない。シュラインはふと視線を上げて、興信所の窓の外、遠くを見つめた。
 草間は握りつぶしてぐしゃぐしゃになった箱から煙草を取り出す。…既に最後の一本だった。その最後の一本を口に銜えて、ばりばりと頭を掻く。
「シュライン、煙草、買ってきてくれないか?」


∇おまけ

 マンションに帰ってきたシュラインは、電気もつけずに暗いリビングのソファにぐったりと寄りかかった。何だか疲れてしまった。このまま眠ってしまいたい。
 だが、最後の理性でうっすらと開いた目に、何かが映った。
 本だ。今日までかかって翻訳した推理小説。特に理由もなく殺人を繰り返す犯人の出てくる小説。
 シュラインはふ、とその本に指を這わせた。
「…やっぱり私は、どんな些細でも理由を持った犯人の方がいいわ」
 それだけ呟くと、シュラインはすうっと吸い込まれるように眠りに落ちていった。



<了>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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>シュライン・エマ 様
前編に引き続き後編もご参加下さり、ありがとうございます。
これにて「犬飼ウ者」無事(?)終了いたしました。
よく考えてみると犬飼、この子、未成年なんだよな、とか、
これじゃあ「犬飼ウ者」ってか「犬飼ワレル者」だな、とか、
後編短すぎないかい、とか、色々不始末もありますが…。
それはご愛敬ということで…(マテ

シュライン様のプレイングはいつも興味深く見せて頂いてます。
今回も「確かにその通りだ!」と思うことがいくつかありました。
ライターとして未熟な証拠ですね…とほ…。