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<東京怪談ノベル(シングル)>


「花の舞」

 冬の寒さを乗り越えた学園に春がやってきたようだ。
 ポカポカとした陽気が教室の中に差し込んできて、教室中、いや学園中を暖かく包み込んでいる。
「いやぁ〜春だねぇ」
 ふと漏らしたクラスメイトの声に、皆は幸せそうにうんうんと頷いた。
 春という季節は誰もを幸せにするように思える。
 花や木のように寒さに身を縮ませていた冬から解放され、前向きで明るい気持ちになるからかもしれない。
「だけど虫が増えるわ……」
 そんな、皆がうきうきと心弾ませ笑顔で会話を続ける中、ポツリと聞こえた憂鬱そうな声音。
 月夢・優名が小さくため息を吐いた。その表情は何かを思い出しているのか引き攣ってしまっている。
「やぁね、ゆ〜なったら。いい? 虫たちだって外に飛び出してしまいたくなるくらい皆がハッピー気分だってことだよ」
「うんうん、それに春になったら綺麗な和菓子とかが新商品で色々出てくるよね。甘いもの好きなゆ〜なには良い季節なんじゃないの?」
 優名は「でも」と思ったがそれ以上はやめておいた。皆が楽しそうにしているのに水をさす事はない。
 ――それにしても、と教室の外に目を向ける。
 改めて春の訪れを感じる程、校庭の端にある花壇には色鮮やかな花が植えられており、思い返せば――女子寮の裏にある大きな桜の木も満開になっていた。
 毎年春になると神聖都学園の生徒たちが花見と称して木の周りで騒いでいるのを思い出す。
 「ね、花見しようよ!」
 優名の視線の先を辿ったのか、はたまた同じことを考えていたのか、嬉しそうな声をあげた友人を振り返ると他の者が「賛成ー!」と手を挙げており、あれよこれよという間に『花見大会』とやらが決まってしまったのだった。


 放課後にという流れで決まった花見大会はクラス全員及び、他のクラスの生徒まで巻き込む大変な行事となった。

 授業中もそわそわと上の空の者、なるようになれと思っている者、優名のように何らかの事態――桜の木はどんな虫が好むんだっけ、等と不安に思う者――様々な思いが渦巻く中、宴は始まったのである。

「わぁ、満開。一番いい時期だったみたいね」
 優名はそれまで考えていた虫達の恐ろしいあれこれを忘れ、優雅に咲き誇る桜の花を見つめた。
 温かな陽気に照らされ、優しい風に吹かれて揺れる桜の花。パアアとそれはそれは美しく吹雪のように舞い散る。
 その幻想的な光景は優名の中に、ある記憶を蘇らせようとする。
 ――いつだったか、思い出せないけれど、この桜の下で誰かと微笑みあって誰かと語らったことがある気がする。
「どうしたの? ゆ〜な」
 ボーっとしていたせいか、友人が心配げに顔を覗き込んでいた。なんだなんだとクラスメイトたちが集まる中、優名は必死に何でもないと笑った。
「なんだか平和だなあって……」
「なぁにババ臭いこと言ってんの!」
 あははと笑いあう中、けれどもやはり優名は先ほど蘇りかけた記憶を必死に辿っていた。
 こういうのは良く言うデジャヴというやつだろうか。しかしそれにしては変な引っ掛かりを覚えてしまう。
 心が温かいような、ぽっかり穴が開いてしまったような――悲しいような、不思議な気持ち。
「月夢さんっ!? どうかした?」
 すぐ近くにいたクラスメイトが声を張り上げて、それにビクリと身体を震わせて優名は我に返った。
「あ……あたし、泣いて、た?」
 頬に感じるものに慌てて手を伸ばすと目の前の男子生徒はますます心配そうに近付いてくる。
「泣いてた、じゃなくて今も泣いてるよ」
 心配そうな優しげな声と共に差し出されるハンカチに、優名は今度こそ“何か”を思い出した。
 そうだ、あの時もこんな風に優しく声をかけてくれた人がいた。
 そう、今のように――?
「ゆ〜な?」
「あ、うん、ごめん」
 再び声を出した時には辺りに――少なくとも優名の周りには男子生徒の姿はなかった。クラスの男子共は少し向こうの方で何やら騒いでいる。
「もう、どうしたのゆ〜な。早くこっちに来てってば」
 友人が男子達の中に走り去っていく後姿を追いかけようとするその時。

「元気出してね」

 そう、再び耳元であの優しい声が聞こえた気がした。
 この学校は不思議な出来事が良く起こると言われている。――それに、優名はこういったことを望んではいないけれど経験があった。
 だから特別騒ぎ立てることもない。
 温かで優しい怪奇現象だったのだ。あのデジャヴも。
「……うん、ありがとう」
 一瞬足を止めて大きな桜の木を見上げる。
「ゆ〜な、早くー!」
「うん、今行く」
 
 暖かな陽気に誘われて、優しい風に乗って、軽やかな声を響かせる皆の喜びが優名の心に伝染するようで。

 春も悪くないと思った。


END