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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


恵比寿の釣り針

 シュライン・エマは憂鬱だった。
 草間興信所の慢性的な財政難はもういい加減スルーできそうなレベルで――言い換えれば『あるのが当り前』の空気とかそんな感じで……経費のやりくりに頭を悩ませているのがごく普通の日常になってしまっていた。
 が、そんなぬるま湯の不幸にどっぷり肩まで浸かってしまった自分に気付く時、危機感は何倍にも膨れ上がってシュラインを更に悩ませた。
 ――まずいわ……。
    今月もギリギリ。タマネギの薄皮位ペラペラでスレスレ。
    文字色で言えば限りなく赤に近いグレーね。
「それって何色なのよ!!」
 バンッ!! 
 自分にツッコミを入れてシュラインは帳簿を机に叩き付けた。
 ――は!
    備品は大切に使わないと。
    クールダウン、クールダウン。
 シュラインの苦悩を他所に、草間武彦は先ほどから物置にこもって何かを探している。
「武彦さん、探し物?」
「ああ、確か釣竿を一本しまってあったはずなんだが……」
 狭い上に雑多な物がノンジャンルで押し込められた物置は、一種の亜空間と化していた。
 絶対にキャパシティ以上の物が詰め込まれている。
「釣り? 何で急に」
「いや、この釣り針もらってな」
 草間が手にしているのは指の長さほどもある大きな釣り針だ。
骨を削りだして作ったように見えるそれの根元には糸を絡ませる溝が彫られ、針の先に返しが付けられている。 
「よくわからんじーさんに押し付けられた。
『恵比寿の特製爆釣釣り針』だってな」
「ばくちょう……」
 草間が取ったリアクションと同じく、胡散臭さにシュラインは顔をしかめた。
 ――また色んな意味で怪しい人(かどうかもこの場合怪しいわ)に関わっちゃって……。
「まあ、欲しい物は何でも釣れるってやたら自信ありげに言ってたしな。
暇だからその冗談にも付き合ってやろうと思ってさ」
「武彦さん……どうして暇なのか、考えた事ある?」
 ひんやりとシュラインから漂う冷気に草間の顔色が変わる。
「考えた事がないなら、今すぐ考えてみてね?
ここは興信所で、武彦さんは所長だったわよねぇぇ?
前にしたお仕事からどの位たったかしらぁ?」
 畳み掛ける言葉と笑顔の下で動く血管が怖い、と草間は思った。
「一分一秒だって暇な時間は無いのよ本当は!」
 蓄積されたシュラインのストレスが一気に爆発する。
「し、仕方ないだろ依頼が無けりゃどうにも……!」
 後ずさったもの、後ろはカオスな物置で逃げ場は無い。
 ――どうする俺、大ピンチ……!?
    釣竿一本探そうってだけで、何でこうまで追い詰められなきゃならないんだ!!
 その時突然閃光が走り、二人の目をくらませた。
「え!?」
「な、何だ!?」
 白い残像を視界から苦労して追い出した草間は、自分が釣り竿を手にしている事に気付いた。
「もしかして、釣り針の効果……か?」
 さんざん探しても見つからなかった釣竿だ。
「……本物? まさか」
「いや、この微妙にナナメに折れた竿は、確かに俺が去年海で曲げた跡だ」
「竿じゃなくて、釣り針の方っ!」
 ぽかん、と手にしたままだった帳簿でシュラインは草間の後ろ頭をどついた。
 そうは言っても、半分シュラインも信じたいと思い始めている。
 ――恵比寿って、あの釣竿しょったエビス様の事よね。案外本物かも。
    何にせよ何か良い物連れたら、恵比寿さんにお参りしとかなきゃよね。
「じゃ、出かけるか」
 ジャケットを羽織って事務所から出て行こうとする草間を、シュラインは追った。
「どこへ?」
「釣竿と針が揃ったんだ。行き先は釣り堀だろ」
 ――何でも釣れるっていうのに、どうして直球ストレートに魚を釣りに行くの!!
 どこかズレた草間の思考に、シュラインは心のサンドバッグに二、三発打ち込んだ。

   
「草間さーん! 釣りに行くんでしょ? ね、おれも一緒に行っていい!?」
 道路を挟んだ向こう側から、ブレザー姿の高校生が手をブンブン振っている。
 葉室穂積、明朗活発な高校生男子だ。
 部活帰りらしく、胴着の入ったバッグを肩にかけている。
 横断歩道が青に変わるのを待って、穂積が駆けて来た。
 とてもさっきまで、空腹を抱えて思考を食べ物で一杯にしていたとは思えない素早さだ。
 しかもサワヤカ。
 これはポイント大きい。
 ――若いって、やっぱりそれだけで価値あるよな。うーんまぶしい。
 ぐ、と複雑な感想を飲み込んで、挨拶代わりに草間は片手を挙げた。
「珍しいわね、こんな時間に。部活今日は早上がりだったの?」
 長い髪をうなじで結った草間興信所の事務員、シュライン・エマが疑問を口にした。
 興信所の家計を一手に担う――主に肩辺りに……敏腕事務員だ。
 たまに顔を会わせる穂積をシュラインも知っている。
「今日は弓道場直すとかで使えないんだ」
「ふぅん」
 穂積が草間の手元を覗き込む。
「随分でっかい釣り針だね!」
 草間が手にしているのは指の長さほどもある大きな釣り針だ。
 骨を削りだして作ったように見えるそれの根元には、糸を絡ませる溝が彫られ、針の先に返しが付けられている。 
「ああ、よくわからんじーさんに押し付けられた。
『恵比寿の特製爆釣釣り針』だってな」
「ばくちょう……」
 草間が取ったリアクションと同じく穂積はそう呟いたが、その瞳は疑いの曇りもなくキラキラ光っている。
 ――まぶしいわ穂積君、その疑いを知らない素直さが今の私には……。
 シュラインも複雑な感想を飲み込んで穂積から視線を逸らした。
「すごいや、欲しいもの何でも釣れるんでしょ!? いいなぁ、草間さん」
 やや視線を外しながら草間が答える。
「まあ、何だ。
とりあえず釣り堀に行こう」
「え、何でも釣れるのに?」
 ――やっぱりそこは疑問よね!
 きょとんとした表情の穂積に、シュラインが心で頷く。
 が、すぐにがくりとその肩が落ちる。
「さっすがー! 釣り堀のヌシを釣るんだねっ!?」
「お、わかるか?」
 更に輝きを増した穂積の視線の先で、まんざらでもない表情の草間が微笑んだ。
「え、ヌシ釣りで当たりなの!?
もっと、こう、上を狙っていってもいいんじゃない?」
 ――この人は肝心な所で根本的に何かがずれてる……!
 必死に軌道修正しようとするシュラインの努力も空振りだ。
「ヌシ釣りはロマンだろ……」
「そうだよね!」
「せ、せめて一月分の家賃くらいの金額稼いでもバチ当たらないと思うけど!?」
 ――このままじゃホントにヌシ釣りで終るわ! どうすれば……っ!? 
 焦るシュラインの聴覚が、低く響く笑い声を捕らえた。
「フフフ……」
 字にするとこうだが、実際は水を通したようなくぐもった音だ。
「何だ?」
 草間達が覗き込んだ橋の下で、ゴボゴボと水が泡立っている。
 三人が見ている前で橋の影が水面に伸び、それがスウゥ……と黒い滴を引いて持ち上がる。
「フ、フフフ……ッハハハ!!」
 影の中央から青ざめた女の笑顔が現れ、黒ずくめの肢体に繋がってゆく。
「ぎゃーーー!!」
「いやあああぁぁーーー!!!」
「ぎゃーーー!!!」
 悲鳴が輪唱となってこだまする。
 するとにわかに阿鼻地獄を呈したその場にそぐわない、ハスキィだがのんびりした声が黒い何かから発せられた。
「随分楽しそうじゃないか、草間。釣りか?」
 黒尽くめの中華な元暗殺者、黒・冥月だ。
 影を操る特殊能力を利用して、ここまで来たらしい。
 今では暗殺業から手を引き、たまに気が向けば草間の手伝いをしている。
 アルバイト、というには限りなくボランティアに近いのはシュラインと同様。
「って、人騒がせな現われ方するなって!」
 水の中から現われたというのに、冥月の長い黒髪や服には一滴の水もかかっていない。
「許せ、特に他意はない」
「出来心で人の寿命を削るな!」
 明るく、しかし無責任に言い放つ冥月に草間が言った。
「……お前のその閉じた目が、時々むしょーに憎たらしく思えるんだが」
「お互い様だ。それよりその釣り針は何だ?
内側から光っているように、私には感じられるぞ」
 冥月はさらりと草間の小言を流した。
「あ、そういえば事務所で釣り竿を見つけた時にも光ったのよね」
 シュラインが思い当たったように答える。
「恵比寿の釣り針だって武彦さんは渡されたみたいなんだけど」
「へえ……」
 瞳を閉じたまま針に顔を向ける冥月が何だか妙な感じだ。
「そういえば、この先の釣り堀の名前も『エビス屋』だね」
「は?」 
 一斉に全員の視線が穂積に集中する。
 ――恵比寿の釣り針に、釣り堀って……!! でき過ぎだろそりゃ! 
 穂積以外の全員の心が一つになってツッコミを入れた。
「え、皆そこに行くんじゃないの?」
「そうだけど……あそこそんな名前なのか……」


 微妙な気分で四人が向かった先に、エビス屋があった。
 普通の適度に寂れた釣り堀だ。
 四角い釣り堀の周りに板がめぐらされ、その上で客は釣り糸を垂れる。
 もっとも今は草間達以外に客はいない。
 管理人小屋に貼られた『釣り餌ありマス』の文字が、チラシの裏に筆ペンで書かれている、その適当加減がまた絶妙だ。
 ――ゆるい。
    ゆるゆるだ。
    経営とか考えてないだろう。
「わあ、貸切だぁ!」
 喜ぶ穂積と対照的にシュラインの表情は暗い。
「それって逆に何だか緊張するわね……これで釣れないと」
 話し声を聞いて小屋の中から腰を曲げた老人が顔を出した。
「……何じゃ本当に釣り堀に来たんか」
 草間と老人の視線がぶつかる。
「げ、アンタ、あの時のじじい!!」
「おお、あの時の貧乏人」
 老人はカッ、と擬音の入りそうなキレの良い笑顔を返す。
「怪しいモン押し付けやがって!」
 啖呵を切る草間から少し離れた場所では、ぼそぼそと他の三人が言葉を交わしていた。
「……ヌシ釣りやる気一杯じゃなかった? 武彦さん」
「えー? 草間さんヌシ釣りやめちゃうんですか?」
「人間、都合が悪くなると簡単に意見を翻すものだ。嘆かわしいな」
 会話の〆に冥月がふーぅとため息を漏らす。
「……お前ら、まるっと聞こえてるんだが」
 心なしか赤面した草間が低い声で言った。
 堀の端に腰掛けた老人が煙管をふかす。
「怪しい物じゃない言うても余計信じんじゃろうがの。
それは自分の妄想を形にして釣り上げる針……媒介じゃな。
妄想をこの世界に留める、男の夢凝縮アイテムじゃ。ブラジル水着とかの」
 ――生々しいって! しかし何故ブラジル水着……?
 一同の困惑が一見枯れ切った老人に向けられる。
「その竿は釣り針で出したんじゃろ。
なら効果はわかってるんじゃないかね?」
 草間はカオスな物置から見つからない釣竿を、無意識のうちに針で形にしたのだった。
「この釣り針、本物なのか!?」
 草間の竿を持つ手が震えている。
「わぁ、早速振ってみて草間さん!」
 穂積が期待の眼差しを送る。
 何を出そうか迷う草間に、冥月が声をかけた。
「金目の物か……アメリカのくじはどうだ? 賞金は百億を越えたって言うぞ?」
「でも『当たりくじ』をイメージしなきゃならいんでしょう?」
 シュラインの言葉に「そうだな、それは難しい」と冥月は再び考え込んだ。
「餌といえば……」
「何だシュライン?」
 遠い記憶をたどるようにシュラインが額に指を当てる。
「小学生頃、学校の合宿なんかでよく餌の触れない女の子や男の子の代わりに、ぶちぶち千切っては釣り針につけてあげてたわ」
「……そりゃ、いい思い出だな……」
 想像力がブツ切りの釣り餌を思い描くのを、草間は必死でモザイクに隠した。
「あーまとまらん!!
先にお前ら振ってみろっ」
 急に押し付けられた竿に戸惑ったが、シュラインはすぐに思考を切り替える。
 ――そうねぇ、高級食器セットなんか事務所にあっても良いかな。
    たまにはいい物で珈琲飲むのも楽しみだし……。
 白地にピーコックグリーンの縁取りが鮮やかな食器セットがシュラインの心に浮かぶ。
 ――あ、それよ! いつも見るだけで終わっちゃってた、憧れの……!!
 閃光が走り、確かな手ごたえをシュラインは感じ取った。
 腰だめでヒットした獲物を思い切り釣り上げる。
「あ! バラけたわ!!」
「任せてよ!」
 宙に舞う高級食器セットに穂積が飛びつき全てキャッチした。
「おおーー!!」
 ――そもそも食器のどの辺に引っかかってたんだろう?
 穂積に拍手を送りつつも冥月は疑問に思わざるをえない。
 が、それを口にしないのは大人の分別だ。
「ありがとう、穂積君」
 口にまで皿の端を咥えた穂積の頑張りは、さすが現役高校生男子。
「え、へへ。褒められると照れるなぁ」
「あ」
 カチャン、と本物そのものな音を立てて皿が一枚落ちて割れた。
「……こ、これ弁償かなぁ?」
「い、いいのよ一枚くらい。ね、事故だし……」
 どんより表情が落ち込んだ穂積を励ますように、シュラインが竿を渡す。
「今度は穂積君が振ってみて。武彦さんはまだ迷ってるみたいだし」
 草間は限りなく湧き出す物欲の狭間で揺れている。
「え、いいの!?」
 ぱっと表情が明るくなった穂積はうきうきと竿を取った。
 ――やっぱり願うんならうぐいす餡の今川焼きだよね!
    本当に釣れるかどきどきするね。
    実は釣りした事ないけど、ちゃんと釣れるかな……。
 かりっと狐色に焼きあがった皮の下にぎっしり詰められた、翡翠色のうぐいす餡の今川焼きが穂積の心に浮かぶ。
 ――でも考えてみれば水の中から出てくる今川焼きって、食べられるのかな?
    ん? 水の中ってわけじゃないのかな?
 再び閃光。
 しっかり釣り針の先にかかった今川焼きを、穂積は崩れないように針から外した。
「うわぁ! これまだ温かいよ!!」
 感激した声を上げて穂積が今川焼きにかぶりつく。
「どう?」
「すっごく美味しいっ!!」
 嬉しそうな穂積の様子を感じるうちに、冥月も釣り竿を振ってみたくなってきた。
「次は冥月さんの番ですよ」
 穂積が釣り竿を渡してくる。
「でも、私は……」
「武彦さんならまだ悩んでるわ。ちょっと欲の皮張りすぎよね」
 シュラインのため息の先で、草間はまだ眉間に縦ジワを刻んでいた。
「うーん……あまり思いつかないんだが……」
 形だけ釣り竿をたらしてみたが、何も浮かんでこない。
 ――それも何だか寂しい事だな。
 皮肉を込めて自分を笑おうとした冥月の心の中、ある物が浮かんで形を作っていく。
 ――……ハッ!? それは駄目だ!!
 三度、閃光。
 ずっしりしっかりした手ごたえが竿の先から伝わってくる。
「ああ……」
 後悔しながら見た針の先にかかった物は、懐中時計だった。
 精緻な仕掛けの施されたそれはかつて冥月の見かけたもの。
 ――チャイニーズマフィアのボスの部屋でだったな。
 精巧なその作りを再現できる職人がいないとかで、ボスは命より大切にしていた。
 それを針から外そうとしたら、針自体が砕け散ってしまった。
「ちょ、お、俺の番はどうなるんだ!!?」
 叫ぶ草間に老人がゆったり声をかける。
「ああ、寿命じゃの。釣り針にも寿命があるんじゃ」
「もう一本ないのか、針?」
 ずうずうしさ極まれり。
 ――ハードボイルド目指してるんじゃなかったのか、草間……。
 しかし浮かんでは消えた夢の数々は、諦めるにはあまりにも魅力的過ぎた。
 じっとりした視線の集中を草間は浴びる。
 が、あっさり断られた。
「お前竿出したんだし、いいじゃろ」
「よ、よくないって……」
 草間の足元が涙で濡れる。
 釣り堀の水位も心なしか少し上がったように思える。
 冥月はそんな草間の肩を叩いた。
「これやる。一億はする時計だ」
「本当か!?」
 草間は手の平に納まった懐中時計に喜んだ。
「だが隠して絶対に誰に話しも見せもするな。
それは中国最大のマフィアのボスが、命より大切にしてる物だ。
知られたら……殺されるぞ。
紛い物だなんて言い訳は通用しないからな」
「な、何っ!?」
 ぎくりと肩を震わせる草間に、冥月は「フフフ……」と含み笑いを残して影に沈む。
「逃げるな冥月! おい!!」
 スゥ、と黒い影が夕陽の方角を目指して滲んでいった。


(終)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【4188 / 葉室・穂積 / 男性 / 17歳 / 高校生 】
【2778 / 黒・冥月 / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒 】

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■         ライター通信          ■
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シュライン・エマ様

いつもご注文ありがとうございます。
お笑い路線いかがだったでしょうか?
妄想の具現化した高級食器、というと何だかとても使うのが嫌ですが(笑)
少しでも楽しんでもらえると嬉しいです。
ご参加ありがとうございました!