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ため息の行方
大きなため息が一つ――雲一つ無い青空には少し不似合いだ。
「俺、何やってんのかなぁ……はぁ」
ため息がもう一つ。
何かでため息をつく度に幸せが一つ逃げると聞いたが、この調子では一体いくつ逃げたのか計算しようもない。
自己嫌悪とそれ以外で頭の中は一杯なのだから、ため息の種には事欠かない。
――どうしたんですか? この所、上の空が続いてますよ。
そう言われて、麟凰はただ「すいません」と頭を下げるしかなかった。
何しろ自分でもこの状態をうまく説明出来ないのだ。
それに何故だか師匠には言い辛かった。修行中の身の上で変に浮ついた気持ちを持っていると誤解されたくなかった――それが誤解なのか違うのかも自分では判らない。しかし、そうではないと言うなら、どうしてこうも気になるのか、その理由が説明出来ない。
――そもそも感じる懐かしさの正体すら判らないのだから。
記憶のない自分が、どうして懐かしいと思うのか。
それが、過去に関わりのある事なのか。
判らない。それに、懐かしいと感じる相手は、自分の事を知らない様にも見えた。
――だとしたら。
だとしたら、それが勘違いなのか、それとも彼女に似た誰かを知っているのか。それすらも。
「判らないんだよな……」
白い手袋に包まれた掌を見下ろして、少年は大きなため息を一つ付いた。
むしろ能力で解決できる問題ならよかったのに、とも思う。しかし、彼女に触れた時感じたのは、過去でもなく、記憶でもなかった。
それは、データの奔流――麟凰にはそうとしか表現できなかった。
光の明滅なのか、数値なのか、それすらも判別出来ない圧倒的な情報の流れ、それが彼女を形作っていた。その向うに彼女がいるのだろうか、それも良く判らない。
ただ圧倒されて、真っ白になって怒られた。
――何スルんだヨ!
その声すらも仕草すらもどこか懐かしさを感じたのはどうしてなのか。ただ、惹きつけられてしまっただけなのか。
判らない。
だから、師匠にはただ詫びの言葉を繰り返した。何度目かのやり取りの後に師匠はとうとう彼に休暇を言い渡した。
――少し気分転換しておいでなさい。集中出来ない時に術を使っては危険ですから、自主的な修練は禁止です。外に出て休む。これが今日の貴方の修練です。いいですね。
返す言葉がなかった。めげそうな気持ちを叱咤して、退席の挨拶をすると、行先も考えずに家を出た――いや、飛び出した。そうでもしなければ、部屋の中でただ落ち込んでいただろう。
ため息がまた一つ。
「どうして、俺ってこうなんだろう」
外に出て空を見上げてみても自分が何か変わった気など一つもしなかった。
ただ、空の青さが目に染みた。それだけだ。
なんだか、空を見上げているのも綺麗な空に申し訳なくなってきて、麟凰は項垂れた。
目を閉じれば、白い天使の羽のリュックを背負った少女の背中が思い浮かぶ。
「だから、そうじゃないだろ!」
今しなければならないのは、あの子の事を思い出す事じゃなくて、気分転換をする事で――。
ああ、だけど、彼女は一体。誰なんだ。
「アンタ背中がススケてるゼ☆」
「……ミリアちゃん!?」
聞き覚えのある声に目を上げれば、不思議なポーズをつけている少女が一人。
フリルとレースのたくさん付いた可愛らしいワンピースに茶色い髪。
間違い様もなく、彼女だ。
「ヨっ! 麟凰、久しブりだナ」
「……うん。久しぶりだね」
髪と天使の羽を揺らして覗き込んだ少女に辛うじて麟凰はそう繰り返した。
「ドウしたンだ?」
「どうしたって、何が?」
「シケた顔しテルのダ!」
びしっと指を突きつけられて、麟凰は目をさ迷わせた。
「そ、そうかな。ミリアちゃんこそ、どうしたの?」
「アタシは散歩ダ」
ミリアは意味もなく偉そうにそう言って頷いてみせる。その仕草に麟凰は眩しげに目を細めた。
「そっか。俺も散歩かな……師匠に今日は休みだって言われちゃってね」
「シケた顔なのハ、師匠に怒らレタからカ?」
「そうじゃなくて……、えっと」
言葉を探す少年をよそに電子妖精は大きく頷いて麟凰の手を引いた。
「ミリアちゃん!?」
「そウイう時は気分転換がいイって言っテタのダ! パパもヨく連レまワサれてるゾ☆」
「……ご両親は仲が良いんだね」
「パパを連レまワシてるノは、ママじゃナイ。ホラ、早く早ク!」
そもそもパパは麟凰と一つしか違わない。そもそもミリアは人類でもないから遺伝子的な親子でもない。
しかし、そうとは知らない麟凰は漠然と家庭環境複雑なのかな、と考えて慎重に口をつぐんだ。そして漸く問題に気付く。
ミリアに手を引かれて、自分は今どこへ行こうとしているのか。
「ミリアちゃん、その、これからどこに?」
「色々! さァ、時間もナイし、ガンガン行ッくゾー!」
だからどこに!?
勿論、麟凰の望む返事は返らない。何しろ行先は何一つ決まっていないのだから。
「楽しカッたナァ♪」
「……そうだね」
心底楽しそうなミリアに麟凰は曖昧に頷く。
「ドォした?」
「……ポップコーンって日本のお菓子じゃないよね?」
「ソォだな」
「そうすると時代劇には何が合うのかなって」
時代劇と言っても、下駄でタップダンスを踊る映画は正しく時代劇なのかはよく判らない。なんでも有名な映画のリバイバル作品らしいが、元の映画もこう言うノリだったのだろうか。
映画の分類を気にする麟凰を余所にミリアは小さく首を傾げた。
「細かイ事ヲ気にすルンだな。映画ニはポップコーンでオッケーだト思うゾ」
そういう事を言う割にはミリアはポップコーンに手をつけていなかった。
一人で食べきれなかった麟凰の手にはまだ大き目のカップと半分以上のポップコーンがある。
さて、これを一体どうするべきだろうか。さすがに捨てるのは勿体無い気がする。
「でも余っちゃったね。もうちょっと小さ目のサイズで売ってあったら良かったんだけど……」
「コレ位でちょウどイイ」
「え? どうして?」
瞬いた麟凰にミリアは得意げな笑顔を浮かべた。
「アッチにハ大きナ公園ガあるンだゾ?」
「公園がどうかした?」
「行ッてミレば判ル」
麟凰の手を引くとミリアは公園に向かって走り出した。
「ぽっぽっぽ♪」
「それ、マメじゃなくて、ポップコーンだよ?」
「細カいゾ! そんなンじゃハゲる日も近いナ」
禿げると言われて麟凰は小さくショックを受けた。
まだそんな年じゃない。むしろそんな年になっても禿げたくはない。
そんな少年の傷心には気付いていないのか、ミリアは肩と言わず頭まで鳩にまとわりつかれて楽しそうに笑っている。
ポップコーンのカップに留まろうとする何羽もの鳩に耐え切れずにミリアはとうとうカップを取り落とした。
慌てて飛び上がる鳩と地面に散らばるポップコーン。それを見たミリアは鳩達に場所を譲るようにぴょんと後に向かって飛び跳ねた。
「とラレちゃッタな」
そう言って麟凰に駆け寄る少女の後にたくさんの鳩が舞い降りた。一心不乱にポップコーンを食べる鳥達を眺める為にくるりと振り向いたミリアはそのまま後に下がって麟凰に並んだ。
「皆一生懸命ダナ」
「お腹、すいてるのかもね」
麟凰の言葉に頷くとミリアは何故か真剣に麟凰を見上げた。
「麟凰もカ?」
「え? なんで?」
「さっき、ヘコタれた顔シタ」
それは多分禿げると言われたからです。とはとても言えない麟凰の沈黙をどう解釈したものか、ミリアは麟凰の手を引いて歩き出した。
「ミリアちゃん?」
今度は何だろうと思いながら、先導するミリアに逆らわずついて歩いて、少年は問い掛ける。
「腹が減ッテは戦は出来ナイって言うゾ。さァ、腹ごシラえダ!」
「……ミリアちゃん、ミリアちゃんも見てた通り、俺、ポップコーンを残したよ?」
別に食べろと言われたら入らないことはない成長期の少年ではあるが、ポップコーンでそれなりに満足しているし、何より、まだ稼いでいない身であるからには彼の使う金を用意してくれる師匠の為にも無駄遣いは出来ないという、些かこの年頃の少年にしては堅苦しい経済観念を持つ麟凰としては、今何かを食べるという選択はあまりする気になれなかった。
そんな少年の事情など知る良しもないミリアはしばし立ち止まり熟考すると、また歩き出した。
「ソォか、じャア、甘イモノがイイな。甘いモノを食ベルと元気ニなる!」
身近な誰かの事か、はたまた本人の事か。ただどちらにせよ、励まそうという心根だけは伝わった気がして、麟凰はそれ以上逆らわず、少しだけ歩調を速めて、ミリアに並んだ。
「あんまりボリュームのないものがいいな。ミリアちゃんのお薦めを教えてくれる?」
「アそこのデパートの地下デ限定のロールケーキガもウスぐ出来あガル時間だヨ」
「へえ、どんなロールケーキ?」
あれこれとロールケーキについて話し込みながら、二人は件のデパートの自動ドアをくぐった。
気の早いことだが、すでに初夏向けの商品が所狭しと並んでいる店内を二人はきょろきょろと見回しながら進んだ――麟凰はエレベータかエスカレータの表示を探して、そしてミリアは。
「あ! アの日傘可愛イ!」
指し示す方向にはカラフルな日傘が並んでいる。麟凰には良く判らないが、そろそろ日焼け対策の必要な時期なのだろうか。
「行ってみる?」
「ウン!」
小走りに売り場に寄っていく少女を麟凰は追いかけた。
嬉しげにミリアはレースの付いた傘をあれやこれやと開いている。何故だか黒が多い訳は寄って来た店員が教えてくれた。黒の方が陽射しを弾くらしい。しかし、その分吸熱効果は高いのだから、どちらが良いのかといわれれば微妙な気がした。もっとも女性にとっては、暑いよりも日に焼ける方が問題は大きいらしいのか、日傘と言えば連想する白いそれは、随分となりを潜めている。
ミリアの方もわかっているのかいないのか、黒にレースが付いた日傘をいくつも選んでは開いている。ただ、少し違うのは気に入った物は同じようなデザインで白い物がないのか、チェックをしている点だろう。
「両方欲しいの?」
不思議に思い問い掛ければ、ミリアはこくりと頷いた。
「パパと三人デ出かケタ時、お揃いだッタらイイなッテ」
「仲良しなんだね」
「ソんなコトない!」
なにやら乙女心は複雑らしい。大いに憤慨した様子で首を振るミリアに麟凰は曖昧に頷くに留めた。
それからも、バッグやハンカチのコーナーで何か見つけるたびに二人は立ち止まり、自然とエスカレータで1階づつ上りながら、くまなくデパート内を見て回る事になった。
そうなるとどうなるのか。
当然の事ながら、いつのまにやらすっかりロールケーキの販売時間は逃していた。
「次は一時間後だって」
「屋上マで制覇しテも一時間はカカらなイナ」
さてどうするか、と二人で首を捻った時、アナウンスが流れた。どうやら、もうすぐ何かのキャラクターショーが始まるらしい。
「子供向けの番組だよね。ここでやるんだ」
少女向けのフリルのついた洋服の少女達が出ていたような、とCMを思い出しながら言った麟凰にミリアはきらきら輝いた瞳で高らかに宣言した。
「ヨォし! 行くゾ!」
「え? 屋上に?」
「ソウ。終る頃にハ、ロールケーキも焼きアガるシ、一度見テミたカッた♪」
これぞまさに一石二鳥だな、と上機嫌なミリアに、麟凰は苦笑気味に頷いた。屋上で浮かないといいけど、と密かに考えていた事はミリアには言わずにいる事にした。
「楽シかッタなー」
「そうだね」
お子様達と同じ位、或いはそれ以上に盛り上がるミリアを眺めているのは楽しかったので、麟凰としては否やはない。
やっぱり可愛いな、なんて思っていた事がミリアに知られていない事は確かだ。それ所じゃなく、ミリアは変身ヒロインに夢中だったからだ。
ちなみに二人の手にはそれぞれハーフサイズと通常サイズのロールケーキがある。さすがに二度目の焼き上がりは逃さずに買えたようだ。
「じゃア、次はドコへ行こウ? ……あ!」
「あ?」
きょとんとする麟凰を余所にミリアは視線をめぐらせて時計を探した。時計を探しているのだと気が付いて、麟凰は携帯電話を差し出した。
「オッとイけネえそろそろ時間だナ」
ミリアは麟凰に先程買ったばかりのロールケーキを渡した。
一瞬門限かと思ったが、まさか昼下がりのこんな時間にそれはないだろう。
「何か用でもあるの? 俺もつきあおうか?」
「ヤボなコト言っちゃアいけナイゼ」
「野暮な事?」
格好つけたポーズをとったミリアは今度は一転して嬉しげな、飛び切りの笑顔になった。
「デートなのダ!」
デート、それはつまり、恋人と逢う事。確かにそれに付いていくのは野暮というものであろう。
しかし、麟凰にとってはまったく寝耳に水の言葉だった。
そうか、彼氏いるんだ。いや、そうじゃなくて、今日デートだったんだ。いや、それも違って……。
思考を迷走させる麟凰に頓着せずにミリアは手を振り、携帯電話に触れる。
「じゃあマタな」
消える直前に見せたのは飛び切り可愛い笑顔で、麟凰はその笑顔が消えるのを呆然と見つめる事しか出来なかった。
二箱のロールケーキが机の上に並んでいる。その向うの窓から見えるのは見慣れた夕暮れだ。
「あーあ、俺何やってんのかなぁ」
ため息が一つ。
握った携帯の画面からは当然の事ながら何一つミリアの事は表示されていない。
「デートの相手ってどんな奴なのかなぁ」
ため息がまた一つ。
気のせいか、朝より機が滅入っている気がする。
こんと頭を机に打ち付けて麟凰は小さくうめいた。
「本当に何やってんだろ、俺」
そしてため息が――。
ため息の代わりに携帯からクラシックの一節が流れた。メールの着信した合図だ。
一体誰から?
そう思いながら携帯を操作するとメッセージが現れた。
TO 麟凰
FROM ミリア
ロールケーキ食べテ元気デタ?
元気でなカったラ、もットおイシい物を食べルとイイぞ☆
今日は楽しカッた今度マタ遊ボウ♪
(>▽<)ノシ
「ミリアちゃん、それ何か違うよ」
笑いながらそう言いつつも。
最後までどこか的外れながら、それでも忘れずにいてくれた事が嬉しくて何度も読み返してしまった麟凰だった。
fin.
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