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死を届けるもの
●オープニング
「行ってきましゅ……」
ふらふらふらーっと揺れながら歩いていく三下を見送って、因幡恵美は首をかしげた。
「三下さん、どうしたのかしら」
掃除をしている内にそんなことも忘れる。三下がふらふらするのはいつものことだ、そう気にすることでもない。
が……。
日に日に三下の様子はおかしくなっていった。
真っ直ぐ歩けない、顔が青い、目の下には黒いクマ。
――寝ていないのは明らかだ。
ついに一週間目の夕方、恵美は帰ってきた三下を呼び止めた。
「三下さん、どうしたんですか? 何か悩み事ですか?」
「……因幡さん……」
眼鏡の奥の瞳を潤ませて三下は答える。
「よくぞ聞いてくれました……」
聞いてくれるのを待っていたらしい。
「実は……夜中に誰かがうちの扉をノックするんです……」
「まあ」
「若い女の人の声で、忘れ物を届けに来た、と……。今、ちょうど編集部でそういう記事を組んでいまして……」
夜中に死を届けに来る死神、という都市伝説だそうだ。
深夜、一人暮らしのアパートに、忘れ物を届けに来たという女性の声がする。住人が扉を開けるとそこに立っているのは死神で、『死ぬのを忘れていますよ』と、魂を持っていかれるという。
翌朝一人死んでいる住人が発見される――。
「でもそれだとおかしくありませんか? どうして一人で死んだのに、死神が訪ねてきたなんて広まるんです?」
「それです。だから、碇編集長、僕に取材してレポートを書けというんです。僕はもう怖くて怖くて……」
それで寝ることが出来ないらしい。
「うーん」
このままでは、三下は死神に魂を持っていかれる前に、睡眠不足の疲労で死んでしまう。
「誰かに頼んでみましょうか、その死神をどうにかしてくれるように」
「う、うう……」
本格的に、ポロポロと三下は涙を流しはじめた。
「どうしたんですか三下さん」
「ちゃんと心配してくれるなんて……。因幡さんはいい人だぁ……」
どういう生活をしているんだ、この人は。
呆れつつ三下をなだめながら、恵美は『頼れる誰か』を思い描いていた。
●三下の部屋で
コツ、コツ、コツ、コツ……。
古くて安っぽい掛け時計の針が、大きな音で三下の部屋の中に響いていた。
――時刻は午後8時。
三下の部屋のなかでは、部屋の主である三下と、白神琥珀(しらがみ こはく)、五代真(ごだい まこと)が緊張した面持ちでじっとしていた。
「どこ行ってるんだ、あいつらは」
時計を睨みながら真がつぶやいた。
周囲の住人から聞き込みをするというので、新田陽介(にった ようすけ)、菊坂静(きっさか しずか)の二人が出て行ってしまっている。
出て行ったのは、確か午後の5時ごろだった。三時間も何をしているのか……。
白い髪に白い着物という、全身白ずくめの琥珀が振り返って微笑む。
「彼らはしばらくあやかし荘にいましたが、30分もしないうちにここを出て行きました。ひょっとしたら、忘れ物でも取りに行ったのかもしれませんねぇ」
それからまた扉に向き直った。
――琥珀は今、不可視の網をこの辺り一帯に張り巡らせていた。だから陽介と静があやかし荘から出てどこかに行った、ということは分かる。だが、それ以上――どこに行ったか、分からない。
最初、陽介と静と真の三人で、一晩中三下の部屋を見張っていようという話になっていた。だがそれでは目立ちすぎるから、視覚できない網を張り巡らせて静かに待ちましょう、と琥珀が申し出てたため、こうして二手に分かれての行動になったのだ。
居残って三下を守る――そう、自分から宣言したのは真だった。
「もう真っ暗だぞ。いつ死神が出てもおかしくないっていうのに……。あいつらは何を呑気に出歩いているんだか」
真は部屋の隅で眠る三下を見やった。
煎餅布団にくるまって眠る三下。もともと色白な目元が黒くなり、頬は痩け、髪にも張りがない。それでも安心しきった寝顔だった。
「まったく、いい気なもんだな」
あまりの警戒心のなさに、真は思わず笑ってしまった。
よっぽど怖い思いをしていたのだろう。因幡恵美に紹介されてやって来た四人を見た三下は、ありがとうありがとう、とポロポロポロポロ涙をこぼして喜んだものだ。
それから――すぐに寝てしまった。寝不足が限界まで来ていたようで、気絶でもするように、すーっと寝てしまった。部屋の真ん中で立ったまま寝た三下を、布団に横にしてやったのは真である。
「あ……」
琥珀が声を上げた。
「どうした?」
ちゃぶ台から腰を浮かせる真。
「新田さんと菊坂さんが帰ってきましたよ」
それからしばらくして、三下の部屋のドアが開いた。
そこに立っていたのは陽介と静。静は本屋の袋を小脇に抱えている。
「どこ行ってたんだよ」
真の問いに、陽介は真面目な顔で頭を下げた。
「申し訳ありません。ちょっと買い物に出かけたのですが、目的の物が駅前の本屋にありませんで……。ずいぶん探してしまいました」
「本屋? じゃあ、それは」
静が本屋の袋を示しながら頷いた。
「今月号のアトラスです。例の記事が載ってる奴です」
夜中に死を届ける死神――その都市伝説を取り上げた、おそらく三下が死神に狙われる原因を作った記事の乗っている、アトラス……。
「そういえば……」
琥珀がゆったりと陽介にきいている。
「ノック音はどうでしたか。周囲の住民は、聞いていませんでしたか?」
「ええ、そんな音は聞いていない、とのことです。夜中のことですから、寝ている間にノックされて、気が付かないだけかもしれないですけどね」
真があぐらをかいて座るちゃぶ台に、静が正座して座った。袋の封を開けて月刊アトラスを取り出す。
陽介は直接ちゃぶ台へは行かず、キッチンに行って、人数分のお茶を淹れて運んできた。
琥珀は相変わらず扉を向いて、網を見張っている――。
●アトラスの記事
「あ、あったあった。ここです」
パタン、と静は該当ページをい開いたアトラスをちゃぶ台の上に乗せた。
琥珀もやって来て、立って上からのぞき込んでいる。
一通り記事を読み終えて、真はふぅっとため息をついた。
「これだな、やっぱり」
「その可能性が高いですね……」
静もため息混じりに頷く。
四人の視線が集中していたのは、死神の写真だった。
もちろん、『死神』の写真ではない。死神とはこんなものだろう、という企画で、三下がコスプレさせられて、かしこまって写っている写真である。黒く長いマントにフードを深々と被り、大きな鎌(もちろんフェイク)を持った三下が、恥ずかしそうにこちらを見ている……。
「これで馬鹿にされたって怒って、三下さんに罰を下しているってことか?」
腕を組んで真が唸れば、琥珀が上からにこやかに言い返す。
「ですが。この程度で怒りますかねぇ」
ぺらぺらとページを捲りながら、静が言う。
「アトラスとしては普通ですね。でも、どの記事がどれだけ人の……いえ、死神の気に障るかなんて、他人である僕たちには分かり得ませんよ」
「参考になるかどうかは分かりませんが」
と、陽介が背広の胸元に手を入れ、一枚の写真を引っ張り出した。
月刊アトラスの横に、その写真を置く。
一人の少女が写っていた。運動会の時の写真らしく、神聖都学園の体操服を着て、頭には赤いハチマキを巻いている。
「アトラスには載っていませんが、彼女がこの都市伝説の、最初の――そして最後の被害者です」
琥珀が言葉を繰り返した。
「最初で、最後……?」
「ええ、彼女しかいないんです、この都市伝説の被害者は。アトラスの記事はかなりフライング気味に書かれていましてね、おそらく噂になり始めてすぐに書かれたんでしょう。彼女の事件はこんな感じです――。ある日ぱったりと学校に来なくなって、心配した友達が彼女の下宿先へ行ってみると……」
そこで言葉を切る陽介。
「死んでいた、ですか」
ゆっくりと、琥珀があとを継いで言った。
静が感心したように頷いた。
「それで、『死を届ける死神』っていう話が出来上がったんですね。友達が言いふらせたのが始まり、と」
「いや、少女自身が言っていたようです」
厳しい顔で陽介は補足した。
「死神が私に死を届けに来る、と……」
「なんで……この少女に、そんなことが分かったんでしょうか?」
「そこまでは分かりません……。この少女、何らかの超常能力を持っていたのかもしれません……」
「でもやっぱりおかしくないか?」
腕を組んで、真が首をかしげた。
「何が、おかしいんですか?」
静の問いかけに、真は真剣に頷いた。
「死を届けに来ました、ってやつだよ。普通死神ってのは、死を招くんじゃないかな。うまく言えないけど、届けるんじゃないと思うんだ。そいつ個人の死を招くというか、引き出すというか。決して『届け』はしないと思う……」
「そうですね、それは確かに」
陽介も頷いた。
「今回の件には、どうも最初から違和感を感じるんです。まるで、この死神が、無差別に魂を抜くような……そんな違和感が……」
「それはもう死神じゃねえな」
「……そうですね」
真の感想に、難しい顔で静が頷いたとき。
「……!」
突然、琥珀が顔を上げた。
「来ましたね……」
真、陽介、静の顔に緊張が走る。
「突然現れました……。虚空から、ポンと。人間ではありませんね、やはり……」
四人の視線は、部屋のドアに集中した。
コン、コン。
――軽く、ノック音がした。あのドアから……。
「忘れ物を届けに来ました……」
若い女の声が、ドアの向こうから聞こえてきた。
「僕が行きます」
静が立ち上がった。
「おい、菊阪」
「大丈夫、五代さん。……僕がいちばん適任ですから」
真に微笑みを送ってから、静は軽やかにドアに歩いていった。
コン、コン、コン、コン……。
ノックはやむことを知らない。
静は、ドアを、開けた。
●ドアの向こう
廊下に立っていたのは、見たことがある少女だった。
ああ、と静は思い至った。陽介が見せてくれた写真の少女だ。写真では体操服を着ていたが、今は神聖都学園の制服を着ている。
少女は急に開いたドアに驚いたのか、なかから出てきた静の顔を、ぼんやりと眺めていた。が、静が声を掛けるより早く、ニヤリと笑った。
「おんし……」
「ま、それはいいとして」
冷静に静は笑う。
「あなたは最初の犠牲者……だよね?」
「犠牲者……はて。なんのことかな」
少女は底冷えのするような笑顔だった。こんな笑顔、人間には出来ない――。
「とにかく。三下さんにつきまとうの、やめてもらえないかな。三下さん、まだ死期じゃないと思うんだけど。何かの間違えじゃないかな?」
「人に死期なぞあって無きようなもの。我が与えれば、それが即ち死期よ」
「どうしてそこまで三下さんを狙うんだ? 三下さんがあなたに何をした。……あの記事に怒ったんなら、僕から三下さんに、よく反省しておくように言っておくよ。だから、ここら辺でやめて、帰ってもらえないかな」
「理由が必要かえ、小僧」
少女はニィっと笑った。
「人が死ぬのに理由が必要かえ。そんなこと、おんしも知っておろう?」
「なんだと……」
「死は、我が決めることじゃ。おんしは引っ込んでおれ」
(こいつ、死神じゃない)
静は悟った。
(死神というより、もっと凶暴な、別な『何か』……)
「まあよい。特別に、おんしが納得するような理由とやらを言ってやろう。三下忠雄……、きゃつのことが気に入ったのよ。我をあんなにおもしろおかしく紹介するなど、なかなか出来ぬことじゃ」
「それでいちいち殺されてしまっては、成仏しきれませんねぇ」
後ろから琥珀の声がした。
――琥珀、真が静のすぐ後ろまで来てくれていた。陽介は何も知らずにぐっすり寝ている三下のそばで片膝を付いて、こちらを見つめている。
「成仏じゃと。そんなものは関係ないわ。我は魂などどうでもよい、ただ、その者が死ぬことが大事での」
「それで殺されちゃたまんねぇって言ってんだよ」
凄みを利かせた声で真が言った。
「どっか行けよ、あんた。これ以上、三下さんを苦しめるな」
「我はどこにも行かぬ。おんしらこそ、去れ」
「頭が固いな」
言いながら、真は拳を握りしめた。
「柔らかくしてやろうか? あんたのガッチガチの脳味噌をさ」
「暴力はよくありませんよ……五代さん……」
琥珀の白くたおやかな手が、真の肩に置かれた。白い瞳は少女に注がれている。
「まぁ、もしやるというのなから。私も協力しますけどね……」
「僕も相手になるよ。三下さんを連れてはいかせない」
にっこりと、静は笑んだ。
「……なるほど」
少女はニヤリと頷いた。
「それぞれ、普通の人間ではないということか。面白い連中じゃ。簡単には、きゃつに死をくれてやれぬようじゃ」
面白がっているように、声が笑いに震えていた。
「我は身の程はわきまえておるつもりじゃ。きゃつがおんしらのような者共に守られているというのなら……。我がここを去らねばなるまい」
すぅ、と少女の姿が透明になっていく。
「待てよ、おい!」
真が制するが、少女は笑っただけだった。
「安心するがよい。きゃつへの興味など失せたわ。この世に生はあまたあるでの。他を当たらせてもらおう……」
そのまま――少女は消えてしまった。
「うーんっ」
三下の部屋で、静は大きく伸びをした。
あれから一夜明けたが、用心に越したことはないということで、四人は寝ずに三下を守っていたのだ。
だがあの少女はあれ以来姿を見せなかった。
「事件は片づいたってことで、いいのかな」
一晩で生えてきた無精髭をジョリジョリと擦りながら、真が首をかしげる。
「どうですかねえ」
こちらもちょびっと鬚が生えてきている陽介が、窓を開けながら答えた。
「三下さんのことは諦めた、みたいなことは言っていましたけど」
「僕らが去ったとたんに再開するかもしれません」
先ほど伸びをしたときに溜まった目の端の涙を指でぬぐってから、静はもう一度あくびをした。静の顎には鬚の影はない。
「まぁ、僕がしばらく網を張っておくといたしましょう」
琥珀には鬚など生えないらしい。昨夜とまったく同じ顔で、優雅に微笑んでいる。
「来たら、また追い払えばいいでしょう。……僕は、もう彼女は来ないと思いますけどね」
涼しい瞳で窓の外を見上げた。空は青く、朝の空気に澄み渡っていた。
四人の脳裏には少女の言葉が残っている――。
『この世に生はあまたあるでの……』
三下を守ることは出来た。だが他に、あの少女が気に入ってしまう人物が出てこないともかぎらない。
その時はどうしたらいいのか……。
「あいつ、何者だったんだろうな」
真が青空を見上げながら、誰にともなくつぶやいた。
静が頷いて口を開く。
「おそらく、ですが。最初の犠牲者である彼女が、あの『死神』を呼び寄せてしまったのでしょう。実態を持たなかった『あいつ』が、死んだ彼女の魂を模して形作ったのが、あの少女……『都市伝説の死神』だったのではないでしょうか」
「だから、あいつはいったい何者なんだ? 人の命をなんとも思っていないようなあいつは……」
いらついたような真の声に、陽介は首を振った。
「都市伝説……としか言いようがありませんね。科学的な、ハッキリとした正体というのはないでしょう。あったとしても僕たちの認識範囲を超えた存在でしょうね」
「世の中には……」
琥珀が、どこか楽しそうに言う。
「まだまだ、謎が沢山ありますねぇ……」
「ん……、あ、み、みなさん」
ごそごそと部屋の隅から物音がして、三下が布団から起きあがった。
「おはようございます。あのぅ……、今って……」
「朝の7時だよ」
真が笑いながら言った。
「三下さん、ぐっすり寝てたな」
「わ、うわっ、すみません。ちょっと最近寝たりなくて、つい」
「それだけ、僕たちのことを信頼してくれていた、ということでしょう……」
琥珀はにこやかにフォローしてやる。
「信頼されるのは嬉しいことですよ、とってもね」
陽介も笑って頷いてやった。
「あはは……、あ、あの。それで、どうなりましたか?」
「一応、追い払いました」
静が答えた。
「たぶんもう来ないんじゃないか、というのが僕たちの意見です。けど、念のため、白神さんがしばらく網を張っておいてくれるそうです。ああ、網っていうのは目に見えない網で……。来たら分かる鳴子みたいなものです。またあいつが来たら、すぐに飛んできますから」
「う、うう……」
すっかりクマが消えた三下の瞳から、またもやぽろぽろと涙がこぼれ落ちてきていた。
「まさか僕がこんなに他人から大切に扱われるなんて、思ったこともありませんでした……うぅ……」
「そんなに泣かないで下さい」
陽介がハンカチを三下に渡し、背中を撫でてやっている。
「そうだよ三下さん」
真が言葉をかけるが、それでもやっぱり三下は泣き続けた。
またあいつが現れたら――。
その時は、また、追い払えばいい。
今はそれよりも、三下を守れた、ということを喜ぶべきだ。
静はそう自分に言い聞かせた。
あまたある生――そう少女は言った。おそらくあの少女は死神ではない。死神ではないのに、死神と呼ばれる存在。
魂などどうでもいい、とも言っていた。
ただ死を与えることだけが少女の喜びであるようだ。
そんな危険な存在……。
だが、とにかく、今は。
三下を守れたことを、喜ぶべきだ。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1335/五代・真 (ごだい・まこと)/男性/20歳/バックパッカー】
【4056/白神・琥珀 (しらがみ・こはく)/男性/285歳/放浪人】
【5566/菊坂・静 (きっさか・しずか)/男性/15歳/高校生、「気狂い屋」】
【6160/新田・陽介 (にった・ようすけ)/男性/24歳/心霊調査員】
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■ ライター通信 ■
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大変お待たせいたしました。
皆様、三下さんを助けて頂いてありがとうございました。
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