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<東京怪談・PCゲームノベル>


日常の非日常

 歩き始めたばかりの子供にとって、スーパーマーケットという施設は、決して安全な場所とはいえない。しかし逆もまた然りで、子供は店にとって危険な存在にもなり得るのである。



 手元のメモに目を落としながら、賢木濫は商品の並ぶ棚の間を歩いていた。
 職場で恒例のジャンケン合戦に、珍しくも負けてしまったがための買い物当番である。
「……誰ですか、この季節にスイカなんて頼む人は」
 今はようやく冬が過ぎ去ったばかり。
「売ってるわけが……」
 軽く嘆息した濫の視界の隅を、丸い何かが転がっていった。
 見覚えのある色合い――そう、緑と黒の縞模様。
 目を離すこともできず凝視していると、おぼつかない足取りの赤ん坊がその後を追って現れた。
 とたとたと懸命に歩いている様子は微笑ましいのだが、季節外れのスイカとの取り合わせが違和感を誘う。
 数メートル歩いて、ようやくスイカを捕まえた赤ん坊は、にっこり笑って、それを転がしながら一列向こうの棚の方へ消えていく。
 何となく嫌な予感を拭えなかった濫が後を追うと、そこにはありとあらゆる商品を積み木がわりにして作られた小さな建造物があった。
 まるでそこだけ、異世界を切り抜いてきたかのような空気が流れている。
 正午を少しまわった時分なので店内に客は少なく、その上レジからも死角になっているとはいえ、よく誰にも気づかれなかったものだ。
 感心しつつも、止めに入ろうとする濫の目の前で、赤ん坊がカレールウの箱で作られた塀の向こうから顔を出す。その手に、先ほどまで転がしていたスイカはなかった。
 赤ん坊は、一点の曇りもない笑顔を浮かべると、元気よく叫んだ。
「ぱぁぱ! 」
 濫は慌てて背後を見回したが、該当しそうな人物はおろか、当てはまりそうもない人間すらいない。
 そう、自分以外には。
 正体不明の子供と、その手になる建造物。
 脱力するのに十分すぎる原因は、文字通り目前に山積していた。
 これでは、職場に三時のおやつを持ち帰ることは、諦めた方が無難かもしれない。
 スイカを楽しみにしている上司が怒るかもしれないが、仕方ないだろう。
 腰をかがめ、片膝をついて赤ん坊の顔を覗き込む。
「……私はあなたの父親じゃないんですよ、えぇと……」
 名前を呼ぼうとして言葉につまる濫を見て、赤ん坊は嬉しそうに手の中の箱をぶんぶんと振った。
「きーら」
 故意か偶然か、小さな手が示している文字は「煌」。
 「きら」と読むことは十分に可能である。
 ちなみに箱に記されている謳い文句は「本場敦煌の味」。
「煌くん? 」
 他に手がかりもなく、本場の味の採用が決定された。
「お母さんはどこですか? 」
 間違われている以上、父親の所在を尋ねても無駄だろう。
「まぁまはみらい」
 たっぷり一呼吸置いてから、濫は口を開いた。
「……それはまた、随分と遠くですね」
 嘆息しようとした濫の頭上で、それは突然起こった。




 世には、万有引力の法則というものがある。
 不安定な物の積み方をしてバランスを失えば、崩落する。
 当然といえば当然すぎる事象が起こったのもまた当然。
 もとより不安定な構造をしていた商品の山の上に、スイカなど置いてあったのだから。




「いつの間に……というより、どうやってスイカをあんなところにのせたのかは聞きません」
 崩落した商品の山に半ば埋もれながら、なんとか抱き上げた煌は無傷ですんだ。
「でも……いいですか、これらはあなたのおもちゃじゃないんですよ」
「おもちゃ? 」
 煌は無邪気な顔で聞き返す。
「お店の物なんです。だから、欲しいものがあったらお金を払って買わないといけません」
「ほしい……もの? 」
 煌は何かを考えるような仕草をし、次の瞬間にはにっこりと笑う。
「きらのほしいおもちゃ、これだよ! 」
「はい? 」
 何故か突拍子も無い方向に話が進んでいる。
 ぽんっ、という軽い音がして二人の頭上に影がさした。
 落ちてくる何かからかばおうと、濫は煌を腕に抱きこんで背を丸める。
 その腕の中で、小さな赤ん坊は微笑みながら掻き消えた。




 あとに残ったのは、散乱する大量の商品と、巨大な熊のぬいぐるみ。何の偶然か、熊は黒と緑の配色である。
「さて……」
 膝の上に乗ったインスタントラーメンの袋を横に除け、濫は静かに立ち上がった。
「このまま、というわけにもいきませんね」
 次はもう少し分かりやすく説明しなければなるまい。




 ワームホールが消え、いつも通りの風景が戻る。
 煌が生まれて育った街。
 蜃気楼が揺らめき、街路樹の中から蝉の声がする。
 今というこの時は、どこにも繋がってはいない。
 それなのに。
 「今」にいるはずのないその人影は、路地を曲がって現れた。
 道端に座っている煌の姿を認めると、歩み寄ってきてかがみこむ。
「あなただって、自分の大切なおもちゃがぐちゃぐちゃになったら、嫌でしょう? 」
 その様を想像したのか、煌が不安げな顔になった。
「あなたが遊んでいた物も、お店の人の大切な物なんですよ」
 そのままの表情で、煌は濫の顔を見上げる。
 その頭を軽く撫でて、濫は優しく笑った。
「分かっていただけて嬉しいです」
 じっと見つめてくる煌を、そっと抱き上げた。
「それじゃ、ちゃんと『ごめんなさい』って言いに行きましょうか」
 煌がこくんと頷く。
「大丈夫ですよ。あなたは……取り返しのつかないことをしたわけじゃない」
 だから、そうなってしまう前に。
「まだ、間に合います」
 すると、顔を上げかけた煌の視線が、濫の首の辺りで止まった。
 困ったような顔で、しぱしぱと目を瞬いている。
 不審に思った濫が首筋に触れると、指先に赤いものがついた。
「おや……」
 気づきませんでしたね、と苦笑する。実際、大した傷ではない。
 すると、恐る恐るといった風で煌が口を開いた。
「ごめ……な…さい」
「大丈夫ですよ、カレールウの箱なら、豆腐の角より柔らかいですから」
 濫の言葉に、煌が不思議そうな顔をする。
「とーふ?」
「ええ、そうです。……あなたが、もう少し大きくなったらわかりますよ」
 どこか含みのある顔で笑うと、濫はゆっくりと歩き始めた。
 二人の存在が「今」から消え去る。
 人影を失った空間が歪んで見えるのは、暑さのせいだけではなかったのかもしれない。
 
 



 その後しばらく、件のスーパーの入り口には、黒と緑の奇妙な配色のぬいぐるみが置かれ、季節外れに漂うスイカの香りとともに、様々な憶測を招いたという。





END


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【4528 / 月見里・煌 (やまなし・きら) / 男性 / 1歳 / 赤ん坊】


NPC
【賢木・濫(さかき・らん)】

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■         ライター通信          ■
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はじめまして、ライターの紀水葵です。
このたびは発注ありがとうございました。

詳細はお任せとのことでしたので、意表をついて未来まで追いかけてきてしまいました。
こういう結末もありかなぁと思ったのですが、いかがだったでしょうか。
楽しんでいただければ幸いです。


また機会がありましたら、どこかでお会いできますよう楽しみにしております。

紀 水葵