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<東京怪談ノベル(シングル)>


◆ 椿の色は ◆



◆ ◇


  ・・・もう、直ぐそこまで天使がやって来ていて

      その呼び声は酷く優しいもので


  貴方に会えたとしても、直ぐに私は行かなくては・・・

      でもね・・・でも・・・遅すぎたなんて思わない


  だって・・・貴方は戻って来てくれたんですもの

 

    立ち上がって


         感謝するの・・・


                神よ ―――――



◇ ◆


 本日のお目当ては、椿姫の主役の胸元で輝く深紅の宝石。
 社交界の花である彼女に相応しい額の宝石がちりばめられたネックレス。
 トップの石以外はただの硝子玉ではあるが・・・。
 黒羽 陽月は、持っていたチケットを係の人に渡すとスルリと中に入った。
 今日はここで『椿姫』の舞台が公開される。
 ちらほらと見える、青い制服の屈強な男性達。見れば私服の刑事も混じっているらしい。
 随分と厳重な警備だ。
 それもそのはず・・・本日ここにはあの噂の“怪盗Feathery”が現れるらしいのだ。
 勿論、この会場でそれを知っているのは、警備に当たっている人間と、椿姫のスタッフ。
 そして、怪盗Featheryのみ・・・。
 並んでいた列からするりと抜けると、黒羽は“関係者以外立ち入り禁止”と書かれた紙の貼ってあるロープを跨いだ。
 この先は出演者の控え室や衣裳部屋がある―――
 薄暗い廊下を抜け、突き当たりの階段を上った先が出演者の・・・考えながら歩いていた黒羽の耳に聞こえてきたのは、女性の甲高い悲鳴だった。何事が起きたのか・・・視線を上げると、豪華なドレスを身に纏った1人の女性が階上から転げ落ちて来ているのが見えた。
 足を滑らせてしまったのだろうか・・・!?
 咄嗟に走り出し、階段に叩きつけられる前にその身体を抱きとめる。
 手すりを掴み、なんとか持ち堪え
 「大丈夫でしたか?」
 そう言って微笑んで女性を見下ろす。
 濃い舞台用メイク、豪華なドレスに包まれた華奢な身体―――彼女がつけているネックレスが、黒羽の視界の中で鮮やかに輝く。
 「貴方は・・・」
 言いかける黒羽の言葉をそっと止めると、女性は立ち上がり・・・顔をしかめた。
 美しい顔が苦痛に歪み、崩れ落ちそうになる身体を支える。
 「危なっ・・・」
 「いっ・・・た・・・」
 ドレスをたくし上げ、華奢すぎる足首を掴むと困ったように眉根を寄せた。
 「捻ったんですか?」
 「そうみたいね・・・。」
 女性はそう答えると、縋るように黒羽の胸元を掴んだ。
 「もう開演までに時間がない・・・でも・・・」
 「その足では無理ですよ。」
 「えぇ・・・そうね・・・。ねぇ、貴方・・・一つだけ・・・お願いがあるの。」
 「何ですか?」
 悲痛な表情を浮かべる女性。
 その言葉の先は、勿論黒羽にも分かっていた。
 「私の代わりに・・・ヴィオレッタを演じて・・・。」
 「俺がですか?台詞も分からないのに・・・」
 「いいえ・・・貴方は分かってるはずよ。」
 にっこりと、妖艶な笑みを見せる女性。
 その笑顔は『全てを知っているのよ』と言っているかのようで―――
 「どこまで知っているんです?」
 「貴方が、噂の怪盗さんじゃないかって言うだけ。だって、こんなところに用事があるのはスタッフと怪盗さんだけでしょう?」
 「警察の方は・・・」
 「こちらの警備は控えるように言ってありますの。」
 そう言われてしまってはどうしようもない・・・。
 「ねぇ・・・貴方の事は決して誰にも言わないわ。だから、私の代わりに・・・」
 「どうして出たくないんです?ヴィオレッタは主役だ。高価な衣装を纏う、悲劇の女性。その美しい悲劇は・・・」
 「悲劇が美だと、誰が決めたの。」
 言い捨てるように女性はそう言うと、ジっと黒羽の瞳を見詰めた。
 淡い色の瞳・・・きっと、カラーコンタクトなのだろう。その奥に潜む、強い感情・・・。
 「お願い。」
 「・・・そうですね、理由は色々とおありでしょうが・・・綺麗な女性に頼まれては、無碍に断るわけにもいきませんね。」
 そう言ってパチリとウィンクをすると、立ち上がった。
 「演じてみせましょう。貴方の代わりに―――」
 「有難う・・・」
 ほっと安堵した顔を見詰め、最後に一言だけ・・・黒羽は言うと歩き出した。
 「けれど、自分で階段から落ちるなんて感心しませんね。大怪我をする可能性だってあったんですよ・・・。」


◆ ◇


 物語はオペラと同じ流れを汲んでいた。
 パリの夜会から、パリ郊外の別荘へ、そして最後はヴィオレッタの寝室へ―――
 倒れるその瞬間、ライトが一際明るく黒羽の身体を照らした。
 悲劇を祝福するかのように・・・その“美しい悲劇”を賛美するかのように・・・。
 幕が下り、再び幕が上がる。
 出演者達が一列に並び、手を繋ぎ・・・一斉に頭を下げる。
 拍手の音が響く。
 ライトが四方から舞台を照らし―――
 ニヤリと微笑んだ後で、黒羽はバサリと白い布を翻した。
 右手には先ほどまで胸につけていたネックレスを握り、騒ぐ観客達に向かって不敵な笑顔を見せつけると、黒羽は・・・怪盗Featheryはヒラリと舞台から下りて観客達の中を駆け抜けた。
 追ってくる警察を撒き、屋上へと続く階段を走りぬける。
 赤い絨毯の敷かれたその階段は、足音を全て吸収してくれる。
 走って走って・・・バンと、薄い扉を開けた。
 外は既に星が輝いており、冷たい風は驚く程に強い。
 ひゅぅっと、掠れた音を上げながら風が吹き・・・1歩足を踏み出した先、乾いた音と共に白い煙が上がった。
 銃声・・・!?
 咄嗟に意識を研ぎ澄ませる。
 組織の連中だろうか・・・?
 夜とは言え、白はあまりにも映えすぎる。
 狙うには格好の色・・・月光さえも強く跳ね返す純白・・・
 走り出す。
 その後を、銃声が追う―――
 どちらから狙撃されているのだろうか?
 考えながら走り・・・ザっと、目の前に人が立った。
 狙撃主を探す事ばかりに気を取られていたために、隠れていた人物に気がつかなかったのだ・・・!
 振り上げられる、右手に握られた銀色に光る凶器。
 それを避けるべく右に身体を捻り・・・腰の高さほどしかないフェンスを乗り越え、その向こうへと身体を投げ出す。
 後は自由落下だ。
 衝撃を軽くするべく体勢を整え―――
 鈍い音が響く。
 全身に強い衝撃がかかり、思わず意識を手放しそうになる・・・・・・
 詰まった息を取り返すかのようにむせ返り、肩で荒い呼吸を繰り返し、痛みのあまり顔を顰めながら身体を起す。
 それにしても・・・下が草むらで良かった・・・。
 これがコンクリートならば―――
 考えそうになる最悪の“もしも”に、1つだけ頭を振る。
 振った拍子に、黒羽の視界の中に真っ白な塊が飛び込んで来た。
 まるで眠るように息を引き取っている、純白の鳩・・・。
 見覚えのあるその姿に、思わず抱き上げた。
 「・・・服の中で俺を守って・・・?」
 ぐったりと力なく目を瞑る白い鳩は、まだ温かかった。
 けれどやがて・・・冷たくなって行くのだろう。
 徐々に徐々に、体温が失われ・・・その存在が、完全に死の世界に飲み込まれる―――
 ・・・白い鳩の色彩はまるで、いつか訪れるであろう自分の姿を象徴しているかのようであった。
 ぐったりと、力なく目を瞑る―――



  痛・・・痛い・・・。

     痛いよぉ・・・っ・・・



◇ ◆



  椿姫、またの名を『La Traviata』
  その意味は・・・『道を踏み外した女』



  哀しきかな、夢見の彩。



    白い椿は営業日
    赤い椿は休業日

  一月のうち、25日は白を
  残りの5日は赤を



   白き彩は空を駆け
   ・・・いつか鳥籠に収めてくれますか



  白い椿が赤に変わる
  白き衣が赤に染まる



   それまでは
   罪深き白は貴方の腕に捕らわれてはいけないから





      だから、その時まで―――











          ≪ END ≫