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<東京怪談ノベル(シングル)>


【堕ちるみなも――甘味なる夢の中で】

 ――夢と現実の違いとは何処で気付くのでしょう?
 あたかも現実のような光景で綴られているのだとしたら、あなたは夢だと気付きますか?
 現実のように綴られた世界に歪みが生じるから、夢だと気付くのではないでしょうか?
 ふと目が覚める事によって、夢だと気付くのではないでしょうか?
 でも、醒める事のない全く異なる世界の同じ夢を何度も見続けていたとしたら‥‥。
 繰り返す夢の中で、現実との境界線を何処に見出せるのでしょうか――――。

「ただいま」
 古めかしいデザインのセーラー服に細い身体を包んだ海原みなもは、玄関のドアを開けて小さな声で帰宅を告げた。あどけなさの残る端整な風貌は生気を失ったように窺え、円らな青い瞳は、どんよりと濁っているようだ。気だるそうな足取りで靴を脱いだ少女は、誰かに名前を呼ばれた気がして一瞬振り向いたが、ゆらりゆらりと階段を上り、自分の部屋へと向かってゆく。
 部屋のドアをゆっくりと開けると、漆黒の闇が広がっていた。視線を流さず、慣れた手付きで灯りのスイッチを入れる。夜の闇に灯りが燈る中、まるで夢遊病にでも掛かったかのような足取りで中に入り、胸元のスカーフを解くと、そのまま青いロングヘアをふわりと舞い躍らせベッドに突っ伏した。
「はぁ‥‥」
 気だるそうに吐いた溜息が静寂に染み渡る。みなもはセーラー服のポケットを弄り、一枚のカードを取り出した。澱んだ青い瞳が揺れ潤む。
「あたし‥‥」
 小さな呟きを洩らすと、少女は瞳を閉じて寝息をたてていた――――。

●無意識の願望
 ――白い壁に包まれた部屋に、ガサゴソと耳障りな音が響き渡る。
 辺りに人影は見当たらず、床や調度品が埃に塗れていた。陽光が注す窓はガラスが割れており、人が住まなくなって大分月日が経過したようだ。薄汚れたボロボロのカーテンが空しく風に靡く。
 ――バリバリッ!
 耳障りは物音はキッチンの方から聞えていた。彼方此方の戸棚が開け放たれており、床にはクラッカーやビスケットが散らばっている。その傍で大きな『鳥』は袋に頭を突っ込んで一心不乱に保存食を啄んでいた。
 否、正確に言えば鳥ではない。人間と鳥を掛け合わせたような生物だ。下半身の細い脚は逆関節に曲がった鳥類のものだが、上半身は腕と鳥の翼が融合したように一体型となっているのを除けば、人間の少女そのものである。例えるなら、西洋ファンタジー物語に登場するモンスター『ハーピィ』といえるだろうか。それは端整な風貌をしており、長い青色の髪を背中へと流していた。そう、鳥娘の顔は、みなものものである。しかも彼女は羽毛があるとはいえ、一糸纏わぬ裸体を露に晒していた。当初は衣服を纏っていたのだろうか。キッチンの床に鋭利な爪で引き裂いたような布地が落ちている。
(ふぅ、もうお腹いっぱい♪)
 みなもは、残りカスのついた愛らしい唇に満面の笑みを浮かべた。食欲が満たされると、大きく水色の翼を広げ羽ばたきながら窓へと視線を流す。クンっと脚の関節に力を込め、少女は四角い枠から見える蒼穹へと舞い上がった。圧倒的に広大な領域が彼女を迎える。
(わぁ☆ 風の抵抗を感じない。やっぱり服が無いと飛び易いんだ♪)
 気持ち良さそうにロングヘアを風に靡かせ、縦横無尽に大空を滑空してゆく。それはまるで、ダンスを舞い踊るような光景だった。遮るものは何も無い。ここは大きな、みなもの庭なのだから。
 一頻り空のドライブを満喫すると、みなもは翼を広げて身体を傾けた。刹那、風きり音を響かせ、一気に急降下してゆく。白い雲を抜け、眼下にもう一つの庭が広がった。何処までも続くような大海原だ。少女は微笑みを浮かべたまま、広げた翼を畳むと、風に乗る手段を失った身体は、まっ逆さまに落下した。視界に急速で青い大海が迫る。
 次の瞬間、大きな水飛沫をあげて、みなもは紺碧の海中へと飛び込んだ。海に潜って魚を獲る鳥もいるのだから珍しくはない。尤も、人魚の末裔という彼女にとっては故郷のようなものだ。気泡を漂わせて海中深く潜った少女の青い瞳に、彩り鮮やかな魚達が映る。
(こんにちわ☆ ご機嫌はいかがですか?)
 みなもは魚達に挨拶の笑みを浮かべ、クルリと細身を捻って仰向けになった。揺らめく水面に陽光が淡い色を放っており、神秘的な世界で身体が浮き上がるまで暫しの遊覧を楽しんだ。
(気持ち良い‥‥まるで水のベッドに横になっているみたい‥‥ここも、あたしだけの世界なんだ‥‥誰にも邪魔されない‥‥)
 ――誰も語らなくて‥‥。誰とも話す必要のない世界‥‥。時間に縛られる事もない‥‥。
 誰かの顔色を窺う必要もなくて‥‥誰かの興味ある話題を探る必要もない。
 面倒なコミュニケーションに悩む事も、困る事も、泣く事もなくて――――。
(‥‥あれ?)
 みなもの表情から笑顔が掻き消え、見開いた瞳から哀しい色の気泡が溢れ出した。視界が涙に濡れ、水面に揺らめく陽光が湾曲してゆく。
(‥‥なんで‥‥急に‥‥なに? この記憶‥‥いやっ!)
 ――人に‥‥人に会わなきゃ!!
 みなもは動揺と戸惑いの色を浮かべたまま、翼をパタつけせて一気に海面へと急いだ。水中呼吸や耐水圧という人魚の特殊能力は残っているものの、ハーピィと化した今は、海中を自在に動ける身体ではない。なかなか空へ羽ばたけない事がもどかしかった。

●人間と鳥の狭間
 みなもは海面から飛び出すと、翼を羽ばたかせて20m位の高度を保ち、風に乗った。
 視界に広がるは殆どが瓦礫と化したビル群だ。戸惑いと不安に揺れる瞳は眼下の朽ち果てた街並を捉えて離さない。暫らく滑空した後、ゆっくりと身体を傾け、舵を取ると、ガラスが嵌められていたであろう窓枠へ細身を潜らせてた。
(‥‥あった♪)
 荒れ果てた室内に何かを捉えて、みなもの表情が安堵の微笑みを浮かべる。瞳に映ったのは、人間が十分入り込める大きな鳥篭だ。少女は傍で着地し、格子を口に咥えて器用に入口を上へスライドさせた。カチン★ と固定された音が鳴ると、スルリと鳥篭の中へ入る。
(あぁ‥‥☆)
 微笑みは恍惚にも似た色を漂わせる中、軽く羽ばたき、太い止まり木へと着地した。みなもは水色の翼を畳み、脚の関節を沈ませ身を丸めると、瞳を閉じて穏やかな表情を浮かべる。
(どうしてかな? 何故か落ち着く‥‥)
 みなもは暫らくの刻を鳥篭の中で過ごした。お腹が空けば外に出て何かを探して食らい、満たされたら篭に戻って、お気に入りの止まり木で眠ったり、用を足す。何も変わらない、何も進歩すらない生活をうたかたに過ごした。

『なんだ‥‥来てたのか?』
 或る日のこと。ふと耳に流れ込んだのは男の声だ。ぴくんと身体を小さく跳ね上げ、眠たげな瞳を開いた。ぼやける視界が徐々に焦点を絞るかのようにクッキリと捉えたのは青年の顔。
(おかえりなさい☆)
 丸めた身体を伸ばし、翼をパタつかせて少女は満面の笑みを向ける。『ただいま☆』そんな言葉を期待したみなもの耳に飛び込んだのは青年の呆れたような声だ。
『おいおい、服はどうしたんだ? 破れたのか?』
 サラサラと青い長髪を左右に揺らして、みなもは首を振る。青年は考え込むような間を空けて次々と訊ねた。同じ服に飽きたのか? 色が気に入らないか? どれも違うと少女はフルフルと更に首を横に振った。
『‥‥いらなくなったのか?』
 少女は満面の笑みで頷いて見せる。青年は深い溜息を洩らした。みなもはキョトンとした表情で、小首を傾げて見せる。
『男なら兎も角‥‥キミ、裸なんだぞ? ‥‥恥じらいとか無いのか?』
(‥‥恥じらい? なに言ってるんですか? 飛んだり泳いだりするのに邪魔だったんだもん‥‥風の抵抗も少なかったし、衣服が水を吸って重く感じる事もないんですよ?)
 細い眉をハの字に、少女は泣きそうな表情を浮かべて青年を見つめた。青い円らな瞳が次第に潤む。
『‥‥そんな顔するなって、笑っていろよ』
 ――ッ!!
 刹那、脳に電気を流されたような感覚が、みなもを突き抜けた。困惑の表情は次第に微笑みに変わり、満面の笑みへと転じる。
『うん、可愛いよ。こっちに来なよ』
 みなもはトンと止まり木から降り、開いたままの鳥篭から飛び出し、青年の膝に着地した。温かい手が少女の艶やかな髪を優しく撫でる。
『キミがいつ遺伝子操作で鳥類と融合させられたか知らないけど、今のキミは人間と鳥の境目から鳥の方へ偏っている。勿論、空を舞う翼があるんだから、それは間違いじゃないかもしれない‥‥その代わり、キミは人間である事を忘れようとしているんだ』
(人間である事を忘れようとしている? 人間である事って何なのですか?)
『キミは僕とそう変わらない年齢の女の子なんだよ? 裸を見せて平気な顔して、僕の膝で身体を預けて髪を撫でられ、心地良い気持ちになっている‥‥それはもう人間じゃない』
(‥‥人間じゃ、ない?)
『‥‥鏡を見てごらん』
 みなもは微笑みながらトコトコと鏡へ向かう。躊躇いもなく正面を向けると、映し出された自分の一糸纏わぬ姿に、少女は心の中で動揺を見せた。顔が羞恥に紅潮する。
(‥‥!? え? あたし、裸じゃない!? ‥‥どうしてあたし笑っていられるの? どうして裸体を隠そうとしないの? 恥かしいっ、こんなの嫌っ!)
『‥‥ねぇ、翼を広げて僕にもっと見せてよ。細くて白い腰や、柔らかそうに膨らんだ可愛らしい胸とかさ』
(‥‥っ!? やっ、いやですっ! そんな事を言わないで! あぁ、身体が勝手に‥‥)
 少女は羞恥に彩られながら、命令された通りに翼を広げて、青年へ全てを曝け出した。刹那、微笑みを浮かべたまま、みなもはパタリと息絶えたように床へ倒れ込んだ。ふわりと幾つかの羽根が舞い、床へ散らばった。

●その刻に抱かれて
 ――あたしは人間だったと彼は言いました。
 鏡に映ったあたしは、確かに人間の女の子でした。
 でも‥‥あたしの腰から下は、人間のものとは違っていたんです。
 それでも、人間と呼べるのでしょうか? 人間であるべきなのでしょうか?

 ――あたしは命令を拒む事が出来ません。そう制御されていると彼は教えてくれたんです。
 どんなに嫌な事でも、命令されれば従うしかないんです。
 そんなあたしが人間の尊厳を頑なに守る意味がどこにあるのでしょうか?
 だから、あたしは――――。

 ――カランカラン♪
 ドアが開くと共に鈴の音が室内に響き渡りました。
『いらっしゃいませ』
 マスターが来客に声を掛けました。だけど、お客様は椅子に腰掛ける事なく、鳥篭の中にいるあたしに視線を向け、興味深そうに顔を寄せます。
『‥‥新しいハーピィじゃないですか? いつ手に入れたんです?』
『あぁ、或る日、青年と取引したんですよ。戻れるか分からない旅に出るから飼ってくれないかとね。今度は素直で良い娘ですよ。何でも言う事を聞いてくれるんです』
『ほぉ、素晴らしいですなぁ』
『試してみますか? みなも、お客様に歌を唄ってあげなさい。リクエストはありますか?』
『なら、明るい歌を頼むよ』
(はい☆)
 あたしは瞳を閉じて、歌いました。店内にあたしの囀りが響き渡り、お客様達が微笑みを向けてくれます。歌い終わると拍手が溢れ出しました。
『可愛らしくて良い声だ。みなもという名前なのかね?』
(はい♪)
『教えて貰うまで苦労しましたよ。何と呼べば良い? と聞いても微笑むだけで‥‥。それで、ペンを渡して呼んで欲しい名前を書きなさいと命じたら、口で咥えて、みなもと教えてくれましたよ』
『ほぉ、みなもちゃんかぁ』
『マスター、俺もリクエストしていいかなぁ?』
 テーブル席で若い男の人が手をあげました。
『待って下さい。もう何曲も歌っているんですよ。ほら、少し遅くなったけど食事だよ』
 マスターは皿にあたしのご飯を載せて歩いて来ました。
(ありがとうございます☆)
 あたしは満面の笑みで、ご飯を食べます。え? 美味しいかって? そんなの関係ありません。マスターが『美味しいかい?』って訊けば、あたしは微笑むだけですから♪ うぅ、ん‥‥。
『おやおや、眠くなったかね? 疲れたら眠るといい。目が覚めるまでは起こさないから』
(はい☆ 用があったら‥‥また、呼んで、下さ、い‥‥)
 あたしはご飯を食べたら眠くなってしまいました。耳にマスターとお客様の会話が子守唄のように流れて来ます。
『眠ったようですな』
『ええ、皮肉な話だが、人間の顔は分かり易くていいですよ。自分から感情を見せないが、表情を見れば、眠いか、疲れたかは分かる。後で髪を撫でて褒めてあげて下さい。とびきりの笑顔を見せてくれますよ』

 ――あたしは決めたんです。
 全て受け入れようって。だって、逆らえないなら、全て受けとめた方が楽。
 あたしは、命令を聞いているだけで良いんですから。
 命じられた事だけをやれば、あたしは可愛がられ、必要として貰えるんです。
 何も考えなくていい。あたしは全てを受け入れるだけ‥‥。
 だから、あたしは決めたんです――――。


「んんっ‥‥!?」
 みなもはベッドで、ゆっくりと瞳を開いた。
 耳に小鳥の囀りが流れ、カーテンの隙間から覗く空は、白み始めている。
「‥‥鳥篭か。この部屋が鳥篭で、時間に縛られずに生きて、言われた事だけやっていれば‥‥あたしも楽になれるのかな? なんか、心地良かったかも‥‥堕ちるってこういう事を言うのかな‥‥」
 静かに呟くと、未だまどろみから覚めない眼差しでポケ〜とした顔を上げ、枕の傍に置いてある時計を見た。時刻は5時過ぎ。あと数時間後には、いつもの朝が始まる。
「最後に夢の中で、あたしは何と言おうとしたんだろう? ‥‥いけない、シャワー浴びなきゃ‥‥あ、学校に行く仕度も‥‥学校、いかな、きゃ‥‥」
 少女はまどろみの中で再び寝息を洩らし始めた――――。


<ライター通信>
 この度は発注ありがとうございました☆
 お久し振りです♪ 切磋巧実です。
 まさかノミネート発注して頂けるとは思っておりませんでした。ファンレターのお返事も遅れており、申し訳ございません。
 さて、いかがでしたでしょうか? 冒頭の部分は全てを肯定する為の演出です。つまり、これまでのノベルで部屋や家族が既に登場しており相違が発生した場合、帰宅した時点から既に夢の中だという事です。夢は醒めるから夢だと気付きます。これは夢だと思いながらも、真剣に取り組んでいたり、対応していたりしませんか? 不思議ですよね、夢って。だから切磋の好きなテーマでもあります。
 今回は物語の展開の危うさではなく、心の危うさを演出させて頂きました。『楽』という甘味な果実に負けて堕ちたか、人間として立ち向かい、学校に行ったかはお任せします。
 実は今回、全体を掴むのに難儀しました。‥‥いや、夢の中で全体を掴むもないのですが、鳥と人の狭間が重要で、葛藤する必要もあり、何度も読み返して構成し直したりしました。綴っていて胸の痛みを感じたのはヒミツです(なに?)。いえ、堕ちていませんよぉ。
 楽しんで頂ければ幸いです。よかったら感想お聞かせ下さいね。
 それでは、また出会える事を祈って☆