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<東京怪談・PCゲームノベル>


偽の恋人募集中

【プロローグ】
 綾和泉汐耶の携帯電話に、妹尾静流から連絡があったのは、春先のうららかなある日のことだった。
 祖父の誕生日のパーティーに、恋人のフリをして一緒に出席してほしいというのである。
「どういうことですか?」
 汐耶は、軽く眉をひそめて問い返した。対して、静流が話してくれた事情はこうだ。
 祖父の誕生祝いは毎年、親類縁者だけを集めて行われる。それが、パーティーだなどといやに派手なことをするので、不審に思って二人の兄のうちの一人に訊いたところが、静流に友人・知人の娘や孫を引き合わせるつもりらしいと知れたのだ。
 普段は家を離れて一人ぐらしをしている静流だが、祖父や両親には顔を合わせるたびに、結婚をせっつかれている。おそらく、彼が自分で動こうとしないので、祖父が実力行使に出たと思われた。
 兄からは、「嘘でもいいから、恋人を連れて行けばいい」と入れ知恵され、それでこうして電話して来たというわけだ。
「そういうことなら、かまいませんよ」
 汐耶は、話を聞いて、あっさりと承知する。
「それで、パーティーはいつですか? ひとまず、休みを合わせておきますけど」
『ああ、そうですね』
 静流は、電話の向こうでホッとしたように吐息をついてうなずくと、パーティーの日時を彼女に教えた。それを頭の中にメモしながら、汐耶は再び尋ねる。
「口裏合わせはどうしましょう? 草間さんとか麗香さんとか、普段私たちが立ち回っている周辺へは、必要ですよね。いろいろ、探られた場合は困るでしょうし」
『そうですね。じゃあ、草間さんたちには、私から話しておきます』
「そうですか? じゃあ、私の方は両親と兄に話、通しておきます」
 静流の答えにうなずいて言いながら、彼女は自分の場合、これは絶対に必要だろうと考えていた。
 静流の実家は、かなりの資産家だと言うし、それだと金にものを言わせて、こちらの身辺調査をされる確率は高い。もっとも、それ以前に静流の祖父や両親が、彼女の身元を知っている可能性もあった。
 というのも、彼女は学生のころ、父親の名前を使って株をやっていたことがあるのだ。学資をそれで賄っていたぐらいなので、同じように株をやっている者の間では、それなりに有名になっていたに違いない。また、その名前を借りていた父親がそもそも、今は隠居しているが名の知れたイラストレーターだ。
 静流の父親も二人の兄も医療関係者だそうなので、もしかしたら予備校講師や家庭教師をやっている兄と、どこかで面識ができている可能性もないとはいえない。
「あとは……結婚のことを訊かれたら、私が一緒にくらしている妹が一人立ちするまでは……ってことにしておくのはどうでしょう?」
 他に、どんな用意が必要だろうかと考えながら、汐耶は尋ねた。
『ああ、それはいいですね』
 うなずいてから、静流は少し驚いたように返して来る。
『それにしても、汐耶さん、なんだか慣れてますね』
「ええまあ……」
 汐耶は、曖昧に言葉を濁した。
 たしかに、彼女はこういう頼み事に慣れている。兄に女性避けを頼まれて、何度か恋人のフリをしたことがあるのだ。そういう時には、兄妹だとバレては水の泡だし、下手をすると相手の恨みを買うことにもなりかねないので、周囲への根回しや準備には、かなり気を遣う。それに較べれば、とりあえず他人である静流の恋人のフリは、まだしも気楽かもしれない。
「当日の服装とかは、どうしましょうか」
 ふと思いついて、彼女は尋ねた。
『かなり大袈裟なパーティーみたいですから、ドレスで正装した方がいいと思います』
「そうですか。じゃあ、そうします」
 少し考えて言う静流に、あっさりうなずいて、その後待ち合わせ場所と時間を決めると、彼女は電話を切った。当日、どのドレスで行こうかと考えながら、彼女は携帯をバッグにしまうと、テーブルの上の読みかけの本を取り上げる。
 昼休みはすでに半分、終わりかけていた。が、彼女はたちまち、本の世界に没頭して行く。それは、携帯電話のアラームが昼休みの終わり十分前を教えるまで、続いたのだった。

【1】
 そして、パーティ当日。
 汐耶は、約束どおり正装で、待ち合わせ場所の都内の有名ホテルのロビーへと足を踏み入れた。パーティーは夜の七時から、このホテルの最上階にある広間で行われるという。それで、彼女と静流は六時半にロビーの噴水の前で待ち合わせたのだ。
 汐耶が視線を巡らすと、ロビーの中央に据えられた人魚の像の噴水の前には、人待ち顔の男女が何人かいた。が、静流はすぐに見つかった。
 彼は、やわらかなベージュのスーツに身を包み、ただそこに立っているだけだ。しかし、不思議と周囲の人々からは浮き上がって見える。ロビーを横切って行く客や、ホテルの従業員らが、かならず彼をふり返って行くのも、そのせいだろう。
(恋人のフリを引き受けたのはいいけど……お相手候補に呼ばれた女性たちからは、風当たりが強そうね)
 それを見やって、汐耶は内心に苦笑しつつ思った。
 普段から目立つ容姿の人間が周囲に多いせいで、汐耶は気に止めてもいなかったが、静流もそこそこ見映えのいい男なのだ。おそらくもてないわけではないだろう。
(……それなのに、どうしてつきあっている女の一人もいないのか。なぜ結婚しないのか。――なるほどね。家族としては、不思議かつ心配なわけね)
 少しだけ、静流の家族が彼に結婚を急かす理由を察して、汐耶は小さく肩をすくめる。気持ちはわからなくもないが、どちらにしろそれは、当人の問題だ。もっとも、もしそういう理由で心配しているなら、とりあえず「恋人」を名乗る者が現れれば、それで彼の家族は安心するのかもしれないが。
 そんなことを考えつつ、彼女はそちらへ歩み寄った。
「妹尾さん」
「ああ、汐耶さん、すみません……!」
 ふり返った静流は、何か言いかけ、そのまま息を飲む。
「どうかしましたか?」
「え? ああ……。そういう姿を見るのが初めてだったので、驚いてしまって」
 問いかける汐耶に、静流はようやく我に返って言った。
 今夜の汐耶は、長身でスレンダーな体型を更に際立たせるかのように、体にぴったりとした渋いワインカラーのドレスに身を包んでいる。スタンドカラーで一見するとチャイナドレス風だが、背中が大胆に開いていて、白くなめらかな素肌が覗いていた。裾の脇にもスリットが入っており、靴もドレスに合わせてワインカラーのパンプスだ。銀糸で編んだ大きめのストールを羽織り、手にはやはりワインカラーのバッグを携えている。髪は頭に撫でつけ、かっちりとジェルで固めてしまい、わざと少しボーイッシュな感じにしていたが、それがまた、ドレスとマッチしていた。化粧もワインカラーを基調に、いつもより少しだけ派手めにしている。
 たしかに、普段の濃紺のパンツスーツに薄化粧の彼女を見慣れている目には、驚くほどの大変身と映っただろう。
「そういえば、妹尾さんの前でこういう恰好をしたのは、これが初めてでしたね」
 言ってから、ふと気づく。
「名前……苗字で呼ぶのは、まずいですよね?」
「あ……そうですね」
「じゃあ、『静流さん』でいいですか?」
「あ……。ええ」
 問われてうなずく静流は、ずいぶんととまどっている様子だ。
(少し、気合を入れすぎたかしら。この恰好)
 汐耶は、ふと胸に呟いた。ホテルの名前を聞いて、そこの広間で開かれるパーティーなら、これぐらいが妥当だろうと考えてのことだったのだが。
(それとも、とまどっているのは、呼び方の方かしら。……でも、恋人ってことにするなら、名前で呼ぶのが自然よね)
 軽く首をかしげつつ、彼女は再び胸に呟いた。
 それへ静流が、声をかけて来る。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
「ええ」
 うなずいて汐耶は、彼と共に歩き出した。

【2】
 パーティー会場は、汐耶が想像していた以上に、豪華だった。
 四方の窓は大きく広く取られ、そこからは素晴らしい夜景が臨まれる。天井からは、シャンデリアが下がり、床に敷き詰められたじゅうたんは、客の足音を完全に吸い取ってしまうほどだ。広間の隅には生バンドが用意され、場の雰囲気を壊さない優しい音楽を提供している。
 パーティーは立食形式で、広間のあちこちに、料理や飲み物を並べたテーブルがいくつも置かれ、すでに訪れた今夜の客たちが、飲み物を片手にくつろいでいた。
 その客たちも、上品に着飾った紳士淑女ばかりで、談笑する声も慎ましやかだ。間違っても、大声で話したり笑ったりしているような者はいない。
 汐耶はそんな中を、静流と共に歩いていた。ロビーの時と同じように、すれ違う人々が皆、静流をふり返って行く。もっとも男性たちの視線は、汐耶自身に向けられているものが多かったが。
 やがて彼女たちは、広間の一画に設けられた今夜の主賓席へとたどり着いた。
「おじいさん。誕生日、おめでとうございます」
 立ち止まった静流が声をかけたのは、小さなテーブルの傍の椅子にかけた、七十代ぐらいの老人だった。これが静流の祖父なのだろう。長身で大柄な体には、仕立てのいいスーツをまとい、ぴんと背筋を伸ばして座っている。白い髪はきっちりと櫛目を通して撫でつけ、鼻の下と顎の髭もきれいに整えられていた。スーツよりも、軍服でも着せれば、もっと似合いそうだ。
「おお、静流。久しいな。おまえときたら、めったに顔も見せんのだからな。まったく、このじじ不幸者めが」
 破顔しながら答える老人に、静流は苦笑混じりに返す。
「久しぶりじゃありません。正月に、顔を合わせています」
「二ヶ月以上も前の話ではないか。わしのような年寄りにとっては、長の別れのようなものだぞ」
 言って、老人は汐耶に気づいたのか、軽く目を細めた。
「ほほう。なかなかきれいなお嬢さんだな。……どなたじゃな?」
 彼の問いに、老人の周囲で思い思いに椅子に座したり、立ったりして飲み食いしていた人々も、興味津々といった顔つきになる。
「綾和泉汐耶さん。今、私がおつきあいしている人です」
 静流が、軽く汐耶の方を示して言った。途端、周囲の人々が驚いた顔になる。
「これはこれは。……おまえがそういう人を連れて来るとはな。今夜はおまえに引き合わせようと、友人・知人の孫や娘らを呼んだのだが、よけいなおせっかいだったようだな」
 老人も同じく目を見張ったが、すぐに笑顔になって言うと、汐耶をふり返った。
「お初にお目にかかる。わしは、これの祖父の、妹尾大(せのお まさる)だ。よろしくな」
「綾和泉汐耶です。こちらこそ、よろしくお願いします」
 汐耶は、笑顔を見せて返す。
 それへ大は、周囲の人々を紹介した。そこにいたのは、静流の両親と、二人の兄だった。
 ひととおり挨拶を終え、用意して来たプレゼントをそれぞれ大に渡してしまうと、ちょっと話題が途切れた。その時ちょうど、生バンドの演奏がムーディな曲に変わり、何組かのカップルが、広間の中央に出てダンスを始めたのが見える。
「おまえたちも、踊って来たらどうだね?」
 大に勧められ、汐耶は静流と一緒にそちらへ向った。
「今のところは、疑われている様子はないわね」
「そのようです」
 踊り始めながら汐耶が言うと、静流もうなずいた。それへ彼女は、さっきの妹尾家の人々の驚きようを思い出して、尋ねる。
「でも、あんなに驚かれるとは思わなかったわ。……これまで、つきあっている人を紹介したりしたこと、ないんですか?」
「いえ、そういうわけではないんですが……」
 言いさして、静流は少し考え、付け加えた。
「大学を卒業してからは、誰かを連れて来たことはなかったです」
「どうしてですか? 誰ともつきあわなかったから? それとも、家族に会わせられない理由があったとか?」
 不躾かとも思ったが、少し好奇心が湧いて来て、汐耶は問い返す。
「両方の理由で……かもしれないです」
 少し考え、苦笑して静流は言った。
「傍にいるのが心地よくて、ずっと一緒にいたいと思う人は、以前からいました。でも、その人とは、恋人とかそういう関係ではないし……その人にたとえばこういう席に来てもらうのは、物理的に無理でした。だから、家族に紹介しなかったんです」
「ふうん」
 汐耶は曖昧にうなずきながら、彼の言う「その人」が誰か、自分も知っているような気がした。

【3】
 そのまましばらく、二人は話しながら踊っていた。が、広間の熱気のせいか、汐耶は次第に喉の乾きを覚え始める。
「疲れませんか?」
 それへタイミングよく、静流が声をかけて来る。
「少し休みましょう」
「ええ」
 ちょっとホッとして、汐耶もうなずく。
 広間には、飲み食いしながら休めるように、あちこちに椅子やベンチが置かれていた。汐耶たちもそのうちの一つに、歩み寄る。彼女がベンチに腰を下ろすと、静流は何か飲み物をもらって来ると言って、傍を離れた。
 それを見送って、汐耶は少しだけぼんやりとして、あたりを見回す。幸いにして、というべきか。客の中に見知った顔はないようだ。
(とりあえず役目は果たしたんだし、少し休んだら、そろそろ帰ろうかしら)
 そんなことを考えていた時。彼女は誰かの視線に気づいて、顔を上げた。
 目の前に、女が一人立っていた。まったく見覚えのない人物だ。年齢は、十五から二十までのどれとも取れる。小柄で愛らしい顔立ちで、セミロングの茶色の髪と、黒目がちの大きな目をしていた。淡い紫色の、レースをふんだんに使った妖精みたいなミニのドレスをまとっている。
「あなた、綾和泉汐耶さん?」
 きつい目でこちらをねめつけ、女は訊いて来る。
「ええ、そうだけど……」
 あなたは? と問いかけた汐耶めがけて、女はいきなり手にしていたグラスの中のシャンパンをぶちまけた。モロに頭からかぶる形になって、彼女は非鳴を上げる。髪もドレスも、台無しだ。
「いったい、なんのつもりかしら」
 彼女にはこんなことをされるいわれもなく、込み上げて来る怒りを抑えて、低い声で尋ねる。
「あ〜ら、ごめんなさい。ちょっと、手がすべっちゃってぇ〜。でも、あなたも悪いのよ。そんなところに、ぼさ〜っと座ってるから」
「なんですって?」
 相手のまったく謝る気もない、どころか悪意満載のわざとらしい言葉に、汐耶の怒りのゲージが沸点に達した。
「何が手が滑ったよ。キミ、わざとやったでしょ。いったい、なんのつもりよ!」
「まあ、怖い顔。そ〜んな顔してると、元に戻らなくなって、静流に嫌われちゃうわよ。それでなくても、ババアなんだから」
 相手は鼻で笑って、胸にぐさりと来る言葉を投げつけて来る。
「誰がババアよ。私はまだ二十三よ!」
「充分ババアじゃない。知ってる? 昔からね、女はハタチすぎたら、もうババアなのよ」
 思わず返す汐耶に、女はまたもや嫌味たっぷりな言葉を投げつけた。が、これには彼女も怯まない。昔から、十代の少女らの間でよく言われる、ばかばかしい盲信のような話だ。
「バカじゃないの? 女は二十歳(はたち)過ぎてからが、花なのよ。まあ、鼻垂れの小娘にはわからないかもしれないけど? 女の色香と肌の輝きは、二十代三十代と年を重ねてこそ、現われるものだわ」
「ふ〜ん。でも、二十五歳はお肌の曲がり角って、テレビとかでも言ってるよ? 二十三だって、もう危ないよねぇ?」
 鼻息荒く言う汐耶に、相手はしれっとして、返して来た。
「なっ……!」
 汐耶は、怒りのあまり返す言葉を失って、息を飲む。
 そのまま彼女が次の言葉を探しているところへ、静流が戻って来た。
「汐耶さん、どうしたんですか?」
 彼女のひどい恰好に、驚いたようだ。
「この人に、いきなりシャンパンをかけられたのよ」
 汐耶は、女に指を突きつけて叫ぶ。そちらをふり返り、静流が叫んだ。
「唯ちゃん!」
 途端。女は両手で顔をおおうなり、静流に駆け寄る。
「ああ〜ん。静流ぅ。私、手が滑っただけなの。ちゃんと謝ったのに、この人ったら、すごい剣幕で怒り出して、許してくれないのぉ〜」
 甘ったれた声でべそべそと泣きながら訴えられて、静流は困惑顔だ。が、怒りが収まらないのは、汐耶の方である。
「ちょっと待ちなさいよ……。何が、手が滑っただけですって……」
 握った両手の拳が、ふるふると震えているのが、自分でもわかった。漏れる声は、地を這うかのようだ。彼女がそのまま、怒りをぶちまけるべく、息を吸い込んだ時だった。
「いい加減にせんか、唯」
 穏やかな、しかしよく通る男の声が、その場に響いた。
 汐耶は、ハッとして顔を上げる。彼女だけではない。静流も、その胸で泣き真似をしていた唯と呼ばれた女も、打たれたようにそちらを見やった。
 声の主は、静流の祖父・大だった。
「客人に対して、なんという無礼な振る舞いか。おまえも妹尾の一族ならば、恥を知れ」
 そう叱責した声は、けして大きなものではなかったが鋭く、言葉を投げられた相手を充分に恥じ入らせる力を持っていた。
 唯は、たちまち肩を落として、悄然となる。
 大はそれを見やって小さな溜息をつくと、汐耶をふり返った。
「汐耶さん、すみませんでしたな。このホテルには、わしの姪が経営しているブティックが入っておる。すぐに人をやって、そこから新しい服を届けさせよう」
「え? でも、そんな……」
 驚いて汐耶は、しどろもどろになる。が、大は鷹揚に笑って言った。
「なに、気にすることはない。あなたのドレスをダメにしたのは、こちらだからの」
 そして彼は、すぐに人を呼ぶ。やって来たのは、ホテルの従業員ではなかった。一応客の一人だが、妹尾家の使用人か大の部下といったふうな、五十がらみの女性である。大はその女性に、汐耶を別室へ案内して、新しい服を用意し、着替えを手伝うよう命じた。
 汐耶はさすがに、そこまでしてもらうのもどうかと思ったが、どうも断れる雰囲気ではない。しかたがないので、促されてそのまま、女性の後に従った。

【4】
 用意された新しいドレスに着替えた汐耶が、五十がらみの女性に案内されて大のいる一画へ来た時、そこに静流の姿はなかった。あたりを目で探すと、静流は再び広間の真ん中に出て、踊っている。相手は、彼女にシャンパンをかけた、唯という女だった。
(いきなりだったからだけど……私も少し、大人げなかったわね)
 その姿を見やりながら、彼女は少し反省する。それから、大の方に向き直った。まず、ドレスの礼を言って、騒がせたことを詫びる。
 彼女のために用意されたドレスは、ここ数年で国外でも人気が出始めた水仙のロゴで有名なブランドのものだった。誰の見立てか、深緑のシンプルなそれは、汐耶の体型や容姿をうまく引き立てている。
 彼女の言葉を受けて、大は笑った。
「いやいや、気にすることはないぞ。汐耶さんに非はない。悪いのは、唯の方だからな」
 言って彼は、唯が何者かを教えてくれる。
「あれは、夏目唯といって、わしの孫の一人……静流の従妹になる。なにやら口ぎたないことを言っておったが、あれでも今年成人したばかりでな。中学生のころから、静流の嫁になるのが夢だと公言して憚らん。これまでも、静流の恋人たちがさんざん手を焼かされたのだよ。……静流が、そういう女性をわしらに紹介してくれなくなったのは、案外そのせいもあるかもしれんな」
「そうだったんですか」
 話を聞いて、幾分驚きながらも、汐耶はうなずいた。
「何も聞いてなかったので、驚きました」
「ほう? 静流は、事前にあなたに唯のことを教えておらなんだのか」
「はい」
 問い返されてうなずく汐耶に、大はやれやれとかぶりをふる。
「それは、あれの手落ちだな。わざわざ友人に、こんな面倒なことを頼むのに、最も用心せねばならんことを、伝えていないとはな」
「え? あの……」
 汐耶は彼の呟きに、思わず目を見張った。それへ、彼はいたずらっぽく笑いかける。
「あなたの父親は、イラストレーターをやっておっただろう? 以前にわしが顧問をしておる会社のパーティーで、何度か会って話したことがあるよ。その時の彼の話では、あなたは静流と気は合うだろうが、恋人にはなり得ん。……違うかね?」
 そんなふうに言われて、汐耶はどう答えようかと逡巡し、やがて溜息と共に認めた。
「言われるとおり、私は妹尾さんの恋人じゃありません。……すみませんでした」
「気にすることはない。どうせ頼んだのは静流だろう? それにわしも、静流の友人に会えることは、めったにないのでな。これはこれで、楽しかったよ」
 笑って言う大に、汐耶は幾分ホッとして笑い返した。そして、おせっかいかとも思ったが、尋ねる。
「でも、どうしてそんなに結婚を急かすんですか? 今時、彼の年齢で独り身って、珍しいことじゃないと思いますけれど」
「年の問題ではない。ただわしは、あれにはちゃんと身を固めてほしいのだよ。まあ、唯が何かとんでもないことをやらかしはしないかと、それを案ずる気持ちもある。が、それ以上にわしは、あれには普通の幸せを手に入れてほしい」
 言って、大はちらりと汐耶を見やった。
「あれが、おかしな場所へ出入りしているのを、知っているかね?」
「おかしな……時空図書館のことですか?」
 訊かれて彼女は、ふと眉をひそめて問い返す。
「そうだ。あのような場所へ入り浸り、人でないものと交流を持ち続けていれば、いずれあれは、心を食われよう。いや、もうすでに、食われてしまっておるのかもしれん」
 うなずいて言うと、彼は深い溜息をついた。
「わしはただ、孫に人並の幸せをと、望んでおるだけなのだよ……」
 彼の低い呟きに、汐耶は思わず目を見張る。時空図書館が、彼の言うような危険な場所だとは思わない。それでも、その呟きに込められた嘆きに、彼女は強く心を揺さぶられたのだった。

【エピローグ】
 ややあって、静流が戻って来た。かなりぐったりとして、疲れた様子だ。汐耶はそれへ、そろそろ帰ろうと打診する。恋人ではないこともバレてしまったし、長居する理由もない。静流も、撤退する方が懸命だと考えたのだろう。それへうなずき、大や両親らに挨拶する。
 汐耶も彼らと挨拶を交わし、最後に借りたドレスの返送先を尋ねた。が、大は、ドレスは迷惑料がわりに受け取っておけと言う。対して汐耶も、こんな高価なものをもらう謂れはないと困惑して言葉を返す。押し問答の末、結局ドレスをもらうことになってしまった。
 最初に着ていた自分のドレスは、ちょうど帰るまでにクリーニングが終わっていたので、持って帰ることにする。
 片手にドレスの入ったビニールバッグを提げて、広間を後にした汐耶は、静流と共にロビーにいた。
「本当にこのドレス、もらってしまっていいのかしら」
 あの噴水の傍で立ち止まり、汐耶は着ているドレスを見やって、思わず溜息をつく。
「結局、バレてしまって、妹尾さんの役にも立たなかったんだし……。なんだったら、クリーニングした後、キミの所に送りましょうか。そこから、店の方に返してもらえば……」
 思いついて言う汐耶に、静流は慌ててかぶりをふった。
「それは困ります。戻したりしたら、今度は私が祖父に叱られますから。気にしないで、もらって下さい。迷惑料とか言っていましたが、祖父は汐耶さんが気に入ったんだと思います。たぶん、そのドレスを見立てたのも祖父です」
 言って、彼は神妙な顔になって、頭を下げる。
「それより、私の方こそすみませんでした。無理をお願いしたのに、唯ちゃんのことを話すのを、すっかり忘れてしまっていて……」
「それはもう、気にしてないですけど……」
 幾分曖昧に返しながら汐耶は、あの大の言葉を彼に伝えるべきなのだろうかと、少しだけ悩んだ。それから、口を開く。
「こんなこと、私が言う筋合いでもないですけど……妹尾さん、一度、おじいさんとじっくり話してみた方がいいと思います。ダンスした時、言ってた人のことも、それとなく話してみたらどうかしら。案外、お互いに何か誤解があるのかもしれないし」
「そうですね。……今度、祖父を訪ねて、二人でゆっくり話してみます」
 静流にも、何か思うところがあったのか、素直にうなずいて言った。
「今日は、本当にありがとうございました」
「いいえ。私も、トラブルはあったけど、楽しかったから気にしてません。じゃあ」
 礼を言う静流に返して、汐耶は軽く手をふると、そのまま背を向けた。
 ホテルの外に出て、タクシーを拾うために歩き出しながら、彼女はなんとなく思う。
(妹尾さんが、おじいさんとちゃんと話し合えればいいわね)
 それからふと、パーティーの場で大が言っていたことを思い出した。
(そういえば、お父さん、私のこといったいなんて話したのかしら。あんまり変なこと言ってなければいいけど。……今度家へ戻ったら、訊いてみなくちゃ)
 少しだけ心配になって、そんなことを考えながら、彼女は空車のタクシーが近づいて来るのに気づいて、足を早めた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1449 /綾和泉汐耶(あやいずみ・せきや) /女性 /23歳 /都立図書館司書】

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■         ライター通信          ■
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●綾和泉汐耶さま
いつも参加いただき、ありがとうございます。
ライターの織人文です。
さて、今回は珍しく声を荒げてキレる汐耶さまを書いてみましたが、
いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。

それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いします。