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<東京怪談・PCゲームノベル>


偽の恋人募集中

【プロローグ】
 秋築冬奈が妹尾静流と会ったのは、春先のうららかなある日のことだった。
 以前、時空図書館の庭園で会った時に約束した、ファンタジー小説の原書を貸すために、あやかし町商店街の中にある喫茶店で落ち合ったのだ。
「ありがとうございます。じゃあ、遠慮なく借りさせていただきます」
 喫茶店の窓際の二人掛けのテーブルで、冬奈が持って来たビニールバッグの中を覗き込み、静流はうれしそうに礼を言う。しかし、それを足元に置いて、紅茶のカップを取り上げた彼は、どこか浮かない顔だ。
「どうかしましたか? なんだか、元気がありませんけれど」
「ええ。実は……」
 うなずいて静流が口にしたのは、こんな話だった。
 昨日、彼の元に祖父の誕生パーティーの招待状が送られて来たのだという。毎年は、親類縁者だけを集めて行うもので、そんな派手なことはしたことがなく、不審に思った彼は、二人の兄のうちの一人に電話してみたのだそうだ。すると兄は、祖父が彼に引き合わせるために、友人・知人の娘や孫を呼んでいるらしいと教えてくれたのだという。
 静流は現在、家を離れて一人ぐらしをしているが、以前から祖父や両親と顔を合わせるたびに、何かと結婚を急かされていた。最近はそれが嫌で、実家から足が遠のいてもいたのだという。
「どこの親も、似たようなことを言うんですね」
 冬奈は話を聞いて、思わず苦笑しながら言った。
「私も、親と顔を合わせると、結婚しろとうるさく言われます。今時、私の年で独身なんて、普通だと思うんですが……親にしてみたら、心配なようで」
「冬奈さんも、同じことを?」
 静流は、幾分驚いたように彼女を見やる。そして、小さく溜息をついた。
「私も、心配してくれているのはわかるんですが……子供ではないんだし、放っておいてほしいというのが、実情です」
「ですよね。別に、結婚してなくても、こちらはこちらで、なんの問題もなく楽しくやっているんですから」
「ええ」
 冬奈が言うと、静流はそのとおりだというように、大きくうなずいた。それから、ふいに思いついたように、冬奈を見やる。
「ところで、不躾なお願いですけど……もしよかったら、その祖父のパーティーへ、一緒に行ってくれませんか。その……私の恋人だということにして」
「え?」
 驚く冬奈に、静流は電話した時、兄から「嘘でもいいから恋人を連れて行けばいい」と入れ知恵されたのだそうだ。そうすれば、うるさく言われることも、とりあえずパーティー会場で他の女性と引き合わせられることもないだろうと。
 冬奈は、それを聞いて軽く眉をひそめた。
「ご一緒するのはかまいませんけど……偽の恋人を立てるのは、賛成できません。その場しのぎにしかなりませんし、もしも私が偽物だったとバレたら、よけいに結婚を急かす声がしつこくなると思います」
「あ……」
 言われて静流は、小さく目をしばたたいた。が、やがて肩を落とす。
「そうですよね。……兄と電話で話した時には、私もいい方法だと思ったんですが、言われてみれば、そのとおりです」
「気を落とさないで下さい。友人としてであれば、ご一緒して妹尾さんをフォローしますけど?」
 しょんぼりと言う彼が気の毒になり、冬奈は言った。実際、立場が逆なら自分も、かなり負担に感じるだろう事態なのだ。
「一人よりはきっと、心強いと思います。ぜひ、お願いします」
 静流はホッとしたようにうなずくと、パーティーの日時と場所を口にする。
 待ち合わせの場所と時間を決めると、冬奈は立ち上がった。
「じゃあ、次はパーティー会場で」
「ええ」
 別れの挨拶を交わし、彼女は喫茶店を後にする。頭の中では、いくつかあるパーティー用のドレスのどれを着ようかと考えながら。

【1】
 そして、パーティー当日。
 冬奈は、約束の六時半きっかりに、待ち合わせ場所である有名ホテルのロビーに足を踏み入れた。パーティーは、ここの最上階にある広間で七時から行われるという。静流の話の端々からも想像がついたが、妹尾家というのは、かなりの資産家のようだ。
 彼女たちが待ち合わせ場所に決めたのは、ロビーの中央に配置された、人魚の像のある噴水前だった。そこには、人待ち顔の男女が何人も佇んでいたが、静流はすぐに見つかった。
 やわらかいベージュのスーツに身を包んだ彼は、そこに佇む人々の中から、一人浮き上がって見えたのだ。通りすがりの人々が、皆、彼をふり返って行く。
 他人の美醜にあまり頓着しない冬奈は、気に止めてもいなかったが、静流は整った顔立ちと均整の取れた体躯の持ち主で、けして見映えは悪くなかった。
(たしかに、そういう人が特定の恋人もいなくて、結婚もしていないというのは、他人の目からは奇妙に見えるのかもしれないわね)
 冬奈はふと胸に呟く。しかし、知り合って間もない彼女でさえわかるほど、静流は生真面目な青年だ。たとえば次々と相手をとっかえひっかえしたり、妊娠させては捨てたりするような、「早く結婚させて引き綱をつけた方が、世のため人のため」という人種ではない。
 自分自身もそうだが、結婚しなくても当人も周囲にも、なんの不都合もない人間に、どうして世間だの親族だのは、うるさくそれを押し付けようとするのだろうか。
(たとえ根底には、家族としての愛情があるにしても、価値観の押し付けには、うんざりするわよね)
 思わず吐息を漏らしながら胸に呟きつつ、彼女は静流の方へと歩み寄った。
「妹尾さん」
「冬奈さん。わざわざすみません」
 声をかけられふり返った静流は、言って、驚いたように目をしばたたく。
「どうかしました?」
「あ……いえ。ちょっと、見違えてしまって……」
 首をかしげて尋ねる冬奈に、静流は幾分しどろもどろになって返した。
 今夜の冬奈は、やわらかなベージュのドレスをまとっている。長い袖は、肩にたっぷりギャザーを寄せてふくらませ、手首に向って次第に細くなって行く形になっており、スタンドカラーがすっぽりと喉元をおおっている。が、首の付け根のあたりから肩までは、両方とも丸くくられていて、肌が覗いていた。スカートもまた襞を多く取って、彼女が動くたびにふんわりと揺れるフレアーになっている。飾り気も露出度も少ないが、ずいぶんと上品なドレスだった。
 しかも、これは偶然だが、静流のスーツと色がまったく同じで、はからずもペアルックのように見える。
 長い黒髪は、いつもどおり背に流したままで、これまた飾り気がなかったが、かえってそれがドレスとマッチしていた。
「ありがとうございます。こんなホテルで催されるパーティーなら、正装した方がいいかと思って、ドレスにしたんですけど」
 冬奈は、素直に礼を言って微笑む。
「そうですか。とても似合ってます」
 言って、静流はそろそろ会場へ行こうと促した。
「ええ」
 冬奈もうなずき、彼と共に歩き出した。

【2】
 最上階の広間は、さすがに有名ホテルだけあって、豪華だった。
 四方には広い窓があって、そこからは素晴らしい夜景を臨むことができる。天井からは壮麗なシャンデリアが下がり、床に敷き詰められたじゅうたんは、客の足音を完全に吸い取ってしまうほどだ。
 パーティーは立食形式で、広間のあちこちに、料理や飲み物を乗せたテーブルがいくつも置かれ、そこから自由に取って飲み食いできるようになっている。部屋の一画には、生バンドが配置され、場の雰囲気を壊さないやわらかな音色を響かせていた。
 訪れている客も、本物の紳士淑女のようで、立ち居振舞いも洗練されており、誰も大声で笑ったり話したりしている者はいない。皆、それぞれに料理と飲み物、会話を楽しみながら、くつろいでいる様子だった。
 そんな中を、冬奈は静流と共に歩いて行く。ロビーでと同じく、すれ違う人々は皆、静流をふり返っているが、中には冬奈に目を止める者もいた。多くは男性で、何者かと問いたげな者もいれば、単純に目を見張っている者もいる。
 やがて静流が、広間の一画で足を止めた。
 そこはいわゆる貴賓席で、小さなテーブルの傍の椅子には、七十代と見える白髪の老人が座していた。長身で大柄な体にはスーツをまとい、白い髪はきれいに櫛目を通してなでつけてある。鼻の下と顎にたくわえた髭も、きちんと整えられ、背筋をぴんと伸ばして座る姿は、軍服を着せればもっと似合いそうだ。
「おじいさん、誕生日、おめでとうございます」
 静流が、その老人に声をかけた。どうやら彼が静流の祖父らしい。
「おお、静流か。久しいな。おまえときたら、めったに顔を見せんのだからな。このじじ不幸者めが」
 老人は、冗談めいた口調で返した。
「久しぶりじゃありません。正月にも会いました」
 苦笑混じりに静流が答えるのへ、老人は笑い返して言う。
「二ヶ月以上も前の話ではないか。わしにとったら、久しぶりだよ」
 そうして彼は、冬奈に気づいて尋ねた。
「こちらは、どなただな?」
 その問いに、老人の周囲で思い思いに椅子に座したり、立ったままグラスを傾けたりしていた男女が、興味津々という顔でこちらを見やる。
 それにはかまわず、静流が冬奈を紹介した。
「友人の、秋築冬奈さんです」
「はじめまして。パーティーのお話を伺って、好奇心からお邪魔してしまいました」
 冬奈は、普段はめったにしない愛想笑いを浮かべて、挨拶した。もちろん、笑顔は完璧で、それが愛想笑いだと気づく者は少なかっただろうけれど。
「それはそれは。静流の友人ならば、むろん大歓迎だとも。わしは、妹尾大(せのお まさる)、静流の祖父だ。よろしくな」
 老人は笑顔で名乗って、うなずいた。が、周囲の者たちの間からは、幾分落胆したような吐息が漏れる。まるでそれを代弁するかのように、老人――妹尾大は尋ねた。
「ところで、静流はあなたを友人だと言ったが、本当にそうなのかね? 実は恋人だとかいうのではないのか?」
「いえ、友人です」
 冬奈は、にべもなく答える。
「そうか。それは残念だな。……静流の奴は、もう二十八にもなるのに、いまだに結婚しようともせんし、つきあっている女性がいるようでもない。息子ともども、いろいろ気をもんでおったので、もしかしたらと思ったのだが……」
 大は本当に残念そうに言って、静流を見やった。
「まあいい。そういうことなら、ここにはわしの友人・知人の娘や孫も大勢来ておる。おまえと年の近い者もおるし、話してみれば気の合う者もいるだろう。少し、そのつもりになって、相手を探してみんか?」
「いえ……それは……」
 静流が困ったように言いかけるのへ、冬奈はフォローのために口を挟む。
「結婚の適齢期は、当人がその気になった時だと言いますし……今は、二十代後半で独身は、普通だと思いますけど」
「若い者は、何かとそんなふうに言う。しかし、男も女も家庭を持って一人前なのは、今も昔も変わらんよ。いかに頭が切れて仕事のできる男でも、家庭を持っていないというだけで、その能力を割り引かれてしまう。世間とは、そういうものなのだよ、お嬢さん」
 大はそれへ諭すように言って、これだから世間を知らない小娘は困ると言いたげに、小さく苦笑した。
 その言葉と態度に、冬奈はムッとしたものの、自分を抑える。こんなところで、他人の祖父とケンカなどしても、何もいいことはないに違いない。
 ただありがたいことには、大はそれ以上、その説教めいた話を続けようとはしなかった。静流に、今日の招待客の若い女性の相手を進んでするよう言って、その話題にケリをつける。
 静流もそのことにはホッとしたようで、神妙にうなずいて、彼にプレゼントを渡した。冬奈もそれを見やって気を取り直し、やはり用意して来たプレゼントを渡す。
 その後は、大の周囲にいた人々に、それぞれ紹介された。そこにいたのは、静流の両親と、二人の兄だった。父親も兄二人も医者だという。また、母親と兄たちの妻は、全員が元看護師らしい。
(医療従事者一家なのね。……それに、全員妻が看護師って……職場結婚なわけね)
 笑顔で彼らと挨拶を交わしながら、冬奈はなんとなく、彼らが静流に結婚をうるさく迫る理由が、わかったような気がした。
 職場結婚が悪いと考えているわけではないが、それは一番ありがちで、いわば男女が結婚に至る一つのパターンだった。
 それは、たとえば日本人の大半が、幼稚園→小学校→中学→高校→大学といった学歴をたどって行くのに似ている。実際には中学→就職とか、中学→大検→大学とか、高校→就職というパターンもあるにも関わらず、大多数の人間は、自分がそうだから、他人も幼稚園から大学へのルートをたどって来たと安易に考えがちだ。そして中には、そうでないパターンの人間を理由もなく蔑んだり、奇異な目で見たりする。
 結婚においても、それと似たような現象が起こっているのだ。
 そう考えてみると、妹尾一家にとって「結婚していない三男」という存在は、どこか座りの悪いものなのかもしれない。
(とはいえ、結婚なんてそうそう他人の思惑でどうなるものでもないから。……というか、他人の思惑でどうにかされたら、たまらないわね)
 冬奈は胸に呟き、静流とその一家の間にある価値観の溝に、自分とその家族の間にあるものを見た気がして、思わず小さな吐息を漏らした。

【3】
 人気のない広間の隅のベンチに腰を下ろして、冬奈はようやくホッと息をついた。
 あの後、静流はさっそく大の知人の娘らしい女の相手に借り出されて、あの場所を離れて行き、冬奈も適当にそこを離れるつもりにしていた。もともとあまり、こんなふうに愛想をふりまくのは得手ではない。
 ところが、なぜか大は彼女が気に入ったようで、結局さっきまでずっと話し相手をさせられていたのだ。化粧室へ行くと言って、ようやく逃げ出して来た。
(まさかあのおじいさん、気に入ったから、私に妹尾さんと結婚しろなんて言うんじゃないでしょうね)
 ふと思い当たった嫌な考えに、彼女は思わず身を震わせた。
 そこへ、いささかぐったりした様子で、静流が歩み寄って来た。
「冬奈さん、ここにいたんですか。……無理を言って来ていただいたのに、ほったらかしにしてしまって、すみません」
 言って彼は、隣へ腰を下ろす。
「いいえ、気にしないで下さい。……それより、なんだかずいぶん、疲れてますね」
「ええ……。私は、あんまりこういう席は得意じゃないものですから。それに、途中で従妹につかまってしまって……」
 小さく吐息をついて言いながら、彼は軽くネクタイをゆるめた。
「何か、飲み物でももらって来ましょうか?」
「すみません。じゃあ、シャンパンか何かを」
 彼がうなずくのを見やって、冬奈は立ち上がる。
 近くの飲み物を置いたテーブルから、彼の分のシャンパンと共に自分はコーラのグラスを取って、元のベンチに戻った。
「どうぞ」
「すみません」
 彼女が差し出したグラスを受け取り、静流は一口飲んで、ようやく人心地がついた顔つきになる。
「セラピストでしたっけ、妹尾さんのお仕事って。普段、対人のお仕事をされているのに、こういう席は苦手なんですか?」
 冬奈は思わず苦笑して尋ねた。
「クライアントとは、一対一ですから。……こういう場所で、大勢に取り囲まれると、どう応対していいのか、わからなくなるんです」
 静流は、困ったように返す。
「殊に、女性が大勢だと、困惑しますね。女の兄弟がいませんし、女友達や今までつきあった人たちも、その……あんまりテンションの高い人はいませんでしたので」
「ああ……」
 それは冬奈も、なんとなくわかる気がした。考えてみれば、以前、時空図書館の庭園に集まっていた人々も、あまりテンション高く騒ぐような者はいなかったように思う。もちろん、あの時の面々は彼の友人というよりは、三月うさぎか草間武彦の友人だったのかもしれない。が、類は友を呼ぶとも言う。
 が、その一方では、思わず苦笑せずにはいられなかった。
「だったら、もし妹尾さんが私の兄弟に会ったら、驚くかもしれませんね。私は、五人姉妹なんです。その二番目」
「それはすごいですね」
 静流は、かなり驚いた様子で、目を見張る。
「一番上の姉は、結婚してますけど、後はみんな独身で……私は、上京した末っ子のお目付け役として、彼女が住んでいるマンションに引っ越したんです」
 彼の反応が面白くて、冬奈は自分のことを続けて口にした。
「そうなんですか。私は、自分が末っ子なので、妹さんがいるのは羨ましい気がします。……妹さんを、とても大切にしているんですね」
「ええ。とても大切です。……たぶん、私が本当に理性を失うとしたら、妹に関することでしょうね」
 うなずいて冬奈は、小さく口元をほころばせる。それは、先程からの妹尾一家に対していた時とは違う、ひどく優しく温かな笑みだった。
 しかしながらそれは、傍目には充分、「恋人と語らうことに幸せを感じている女性の笑み」に見えた。静流のハートを射止めるつもりで、今夜ここに来ている女性なら、勘違いして嫉妬に目がくらんでも、無理はなかっただろう。
 静流が、何か食べるものを取って来ると断って席を立った後のことだ。半分ほどに中身の減ったコーラのグラスを、手の中で弄びながら、冬奈がぼんやりしていると、いきなり声がかけられた。
「ちょっとあなた! いったい、何様のつもり?」
 顔を上げると、十五歳から二十歳のどれとも取れる女が一人、彼女の前に仁王立ちしていた。茶色のセミロングの髪に、黒目がちの大きな目をした、愛らしい顔立ちの女だ。淡い紫色のレースをふんだんに使った、妖精のようなミニのドレスに身を包んでいる。むろん、冬奈の知らない人物だ。
 彼女が答えないでいると、相手は更に苛立った様子で、声を荒げた。
「静流の恋人きどりなら、いい加減にしてよね! 彼には、私というれっきとした婚約者がいるんですからね」
「婚約者、ですか。……妹尾さんから、そんな話は一度も聞いたことがありませんが」
 その言葉から、女がどうやら静流のハートを狙っている者らしいと見当はついた。穏便に対応することもできたが、その高飛車な物言いにいささかムッとした彼女は、相手にしないことでそのプライドを傷つける方向を選んだ。
「それはあなたが、静流から恋人だと思われてないからじゃない? 一人相撲、ご苦労さまね」
 女は即座に、せせら笑う口調で返して来る。冬奈はそれへ、平然と言った。
「それはむしろ、あなたの方ではないですか? 友人である私に、妹尾さんが婚約者のことを話さないのは、そもそもあなたを、そう認識していないからだと思いますが。それに、もしもあなたが本当に、彼の婚約者だとしても、初対面の相手にこんな無作法な対応しかできない女性では、恥ずかしくてとてもそうは言い出せないでしょう」
 彼女は言葉を切ると、軽く顎を引いて目を細め、思い切り相手を侮蔑する表情を作る。
「私が妹尾さんなら、そんな婚約者はいないことにしてしまうでしょうね」
「なっ……何を……!」
 女は、顔を真っ赤にして、肩を震わせた。握った両方の拳も、ぶるぶると震えている。彼女を罵りたいのだが、言葉が出て来ないようだ。
 冬奈はそれを一瞥し、完全に興味を失ったふりをして、手元のグラスに視線を落とす。
「この……っ! よくも、私をバカにして……!」
 押し殺したような叫びと共に、それへ相手が殴りかかって来た。が、冬奈は顔色一つ変えずに、軽く身をひねってそれをかわす。退魔戦術の使い手である彼女にとっては、素人の攻撃をかわすのぐらい、容易いことだ。
 逆に女の方が勢いあまって、ベンチに倒れ込む。
 そこへ、静流が戻って来た。
「唯ちゃん!」
 女は彼の知り合いだったのか、彼は声を上げてそちらへ駆け寄る。唯と呼ばれた女は、ここぞとばかりに彼にしがみついた。
「静流ぅ〜。この人ったら、ひどいのよぉ〜。私の足を、いきなり蹴ったの! それで私、ころんじゃったの」
 鼻にかかった甘え声で、嘘泣きまで交えて訴える。しかしさすがに静流も、それを真に受けたようでもない。ただ、困惑して彼女を見やり、それから説明を求めるように冬奈を見やる。
 その時だ。
「いい加減にせんか、唯」
 穏やかだが、よく通る声が、唯を一喝した。驚いて、三人ともがその声の方を見やる。そこにいたのは、静流の祖父・大だった。
「おじいさま……」
 唯が、目を見開いたまま、低い呟きを漏らす。大は、その彼女を見据えて言った。
「そちらのお嬢さんは、今夜のわしの客だ。静流の婚約者だなどと、たわけたことを言っておったようだが、そのお嬢さんの言うとおり、わしの客にこんな無作法な応対しかできん者に、それを名乗る資格はないぞ。今夜は、もう大人しくしておれ。それができないなら、さっさと帰るがいい」
 口調は穏やかだが、言葉は厳しかった。唯は、悄然とうなだれ、静流から離れると小さく唇を噛みしめたまま、歩き出す。静流は、放ってもおけないのか、その彼女をなだめるように、肩を抱くと付き添って行く。
 それを見送り、冬奈はなんとなくやれやれというような気持ちで、胸に一つ小さな吐息を漏らした。

【エピローグ】
 冬奈と静流は、結局二時間ほどをパーティー会場で過ごし、そろそろ帰ることにして、一階のロビーへと下りて来ていた。最初に待ち合わせした、人魚の像のある噴水の前である。
「今日は、ありがとうございました。それと、唯ちゃんのことは、すみませんでした」
 静流が、頭を下げて言った。
「いえ。別に実害があったわけではないですし、気にしないで下さい」
 冬奈はかぶりをふって、返す。
 唯が何者かは、あの後、大に教えてもらった。
 彼女は、静流の母方の従妹で、今年二十歳になるのだという。中学生のころから、静流と結婚するのが夢だと公言して憚らず、今までも彼の恋人たちをさんざん困らせて来たらしかった。もちろん、婚約者などというのは、真っ赤な嘘だ。
「わしらが静流に結婚を急かすのは、唯が何かおかしなことをしでかすのではないかと、心配でならないせいもあるのだよ」
 大は、唯のことを話した後、そう付け加えて溜息をついていた。どうやら彼女は、親族の問題児らしい。しかし、冬奈の目から見ても、静流が彼女に口説き落とされたりする可能性は、なさそうだ。嫌っているわけでもないようだが、彼女のああした過激な行動には、困惑しているようにも見える。好意を持っているにしろ、せいぜい「妹のような」感情にすぎないだろう。
 それよりも、冬奈にとって問題だったのは、その後の大の発言だ。彼はどうやら、冬奈と唯のやりとりを、どこからか見ていたものらしい。
「それにしても、お嬢さんの唯のあしらい方は、なかなか堂に入っておったな。いきなり難癖をつけられて、ああした対応ができるとは天晴れだ。……どうだな? 静流の嫁に立候補する気はないか?」
 大は、大笑して言うなり、そんなことを訊いて来たのだ。笑ってはいたが、その目はかなり本気だった。もちろん、冬奈がその場で断ったのは、言うまでもない。静流のような、趣味と話の合う友人が新しくできたのはうれしいが、恋愛感情など爪の先ほども存在していないのだ。
(あのおじいさん、悪い人ではないと思うけれど……あの考えには、ついていけないわね)
 その後も、何度か同じことをほのめかされたのを思い出し、冬奈は思わず溜息をついた。
「すみません。やっぱり、疲れさせてしまいましたか?」
 それをどう取ったのか、静流がすまなそうな顔で声をかけて来る。
「あ……いいえ。そうじゃなくて、急に仕事のことを思い出したので……」
 彼女は、慌ててかぶりをふって、言いつくろった。さすがに、本当のことを話す気にはなれない。
「そうですか? なんでしたら、車で送りますけれど」
「いえ、大丈夫です。……外に出て、タクシーを拾いますから」
 まだ心配そうな静流に言って、彼女は別れの挨拶がわりに軽く手をふると、踵を返した。
 ホテルの外に出て、夜の冷たい空気に触れると、彼女は思わず大きく伸びをする。中にいる時には気づかなかったが、やはり疲れているのか、体が固く強張っていた。
(途中で、ケーキでも買おう。……帰ったら、まずたっぷりのお湯を張ったお風呂に浸かって、それから紅茶を入れて、ゆっくり味わいながらケーキを食べて……)
 帰宅後にしたいことを思い描きながら、彼女は通りに向って歩き出す。パーティーで饗された料理も飲み物も、不味くはなかった。が、疲れた体がそれらに癒されることを望んでいるのだ。
 彼女は、近づいて来る空車のタクシーを拾うため、少しだけ足を早めた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【5391 /秋築冬奈(あきつき・ふゆな) /女性 /27歳 /区立図書館司書】

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■         ライター通信          ■
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●秋築冬奈さま
二度目の参加、ありがとうございます。
ライターの織人文です。
さて、今回はいかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。

それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いします。