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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


[ 香りのススメ1 -正しい夢の見方- ]



 ――――扉の向こうは夢の世界。
 そこでは小さな夢を見せようとしていた。


【  草間武彦は好きか?

  □月△日 丘の上診療所にて草間武彦を使った人体実験を行う。
  参加費は無料。実験内容は奴の夢の中に入ると言うものだ。草間の夢を自信の手で作り上げて行くも良し。
  夢をただ共有するも良し。ただし、この実験で使用するものは言うならば試薬品。
  そして、夢の中の出来事、その後の出来事に調香師は一切の責任を持たない。
  全ては夢の中のことだが、その夢自体は普通の夢と同じく現実に残るものかもしれないという事を予め頭に置いておく事。
  草間の夢に乱入したい奴や、興味本位でとにかく引っ掻き回してみたい愉快な奴の来訪を待っている。
  尚、体験後は簡単なレポートをメモ用紙一枚でもいいから提出してくれな?

                                            夢藤 香梓 】


「ヤバイ、こりゃ会心の出来だ……」
 手書きポスターをうっとりと見つめた男――夢藤は、そのポスターを無言で机の上に置いた。
「……なんだよ、コレは」
 一枚一枚わざわざ手書きで書かれたポスターを手に取り見ると、一之瀬はそれを片手に今度は夢藤を見る。
「なんだもかんだも、待ってるだけは性に合わないからな。客寄せのポスター」
「元医者が待ってるのが性に合わないって……どういうことだよ。しかもこれ、被験者に許可とってあんのか?」
「許可? んなもんコレからだ。まぁ、草間は上手く丸め込むから良いとして――」
 嬉々として言う夢藤に一之瀬は頭を抱えるが、彼の前には手書きのポスターがドンと置かれた。ポスターは今まで机の上にあった数枚だけではない。何処にしまっていたのか、一体何時の間にこんなに書き溜めていたのか。同じポスターは軽く…五十枚はある気がした。
「んだよ、これ?」
「これ、貼って来い」
「……」
「ついでにいいモニター人材がその場で見つかったら引き連れて来い、お前は俺の優秀な助手だろ?」
 数分後、全てのチラシとそれを留めるためのテープや鋲が持ち去られ。壊れかけのドアが酷い音を立て開いては閉まる。
 夢藤はただ、回転椅子の背を敷きませ。右手に持った小瓶に入る液体を見つめ笑みを浮かべた。

 そこには薄く色づいた液体が揺れ動いている――――


    □□□


 此処へ来る途中見つけた一枚のポスター――基チラシ。
 見つけた時の彼女はと言えば、それを眺め小首を傾げていた。何せ見知った、余りにも身近な名前がそこにある。挙句には人体実験という名目で協力?するらしい。
「――……?」
 結局仄かに湧き上がる興味を抑えきれぬまま草間興信所に辿り着けば、当の本人は何故か嬉々として出掛ける支度をしているところだった。
 話を聞くと、知り合いから『簡単な試薬のテストをしてくれれば、マルボロをカートンで三箱(ライター付き)やる』と言う美味しい連絡が入ったらしい。
 この様子だと恐らく、本人は人体実験の実験体であることなど知らないのだろう。「零、後は頼む」と留守を頼む武彦を見て、彼女は普通を装い同行を希望した。
 ぽてぽてと武彦の後をついて行き到着したのは、小高い丘の上にある、人が住んでいるかも定かではないようなおんぼろ小屋だった。
 思わず彼女は足を止め。ぼんやりと小屋を見上げては武彦に問う。
「――……此処、なの?」
 その言葉に、先行く武彦も足を止め振り返り言った。ただ、その表情には苦笑いを含んでいる。
「あぁ。まぁ、言いたい事は分かるが……何度か来てるから崩れない保障だけはしておく」
 そう言うと、建てつけの悪い扉をノックもせずに中へと入っていった。
 ギィッと嫌な音を立て開いた扉の向こうには、回転椅子に座りクルクルと回っている白衣を着た男の姿が見える。
「おお、時間通りだなー草間、俺は嬉しいぞ」
 その言葉に、恐らく彼がチラシに書いてあった名前の男であろう事は確かだった。
 男は椅子から立ち上がると武彦の方へとやって来、やがて彼女の姿にも気がつく。
「連れも入れ。おい琉已ーー、水!」
 そう男に言われ。振り返った武彦にも半ば促されるような形で彼女は一歩足を踏み入れた。
「えっと…お邪魔します」
 中は思ったよりも広く、そしてもう一人。こちらはコップを手に持った青年がやって来た。こちらはたった今男に『琉已』と呼ばれた人物だろう。
「んじゃ草間は俺と奥来い。連れはぁー…」
「私はチラシを見て」
 武彦を奥へと押しやりながらこちらを振り返った男に、彼女は小さく本来の目的を告げた。そうすれば男は悪戯そうな笑みを浮かべ「名前は?」と聞いてくる。
「シュライン・エマよ」
 彼女――シュラインがそう言えば、男は「りょーかい。あっちの方で待ってな」と言い残し、武彦と共に奥へと消えていった。
 『あっち』と顎で示されたのはカーテンで仕切られた向こう側。覗いてみると小さなテーブルと椅子があった。そのテーブルに青年が水を置いて戻っていく。
 此処まで歩いてくるのも少し疲れたこともあり、シュラインは椅子に座ると水に口を付けた。

 ――――ギィ。
 暫くすると扉の開く音と共に誰かが入って来たことが伺える。
 どうやら青年と何かやり取りをしているようで、もう少しすると今度は男とのやり取りも聞こえた。
 少しすると、どうもこちらへと近づいてくる足音。そして――。
「あ、こんにちはーなの!」
 カーテンが全部開かれ。思わず振り返ると、シュラインは「あら」と声を上げる。
「こんにちは。もしかして…コレ?」
 そこにその先に居たのは藤井・蘭(ふじい・らん)。彼はチラシを見つけ、此処まで一人でやってきた。
 そして『コレ』とシュラインが蘭に見せたのは例のチラシで、勿論蘭も同じ物を今、片手に持っている。
「そーなの! 僕も行くのっ」
「そう、宜しくね」
 にっこり笑みを浮かべた蘭につられたのか、シュラインも明るい笑みを浮かべると時計に目を向けた。
「うーん……いい加減そろそろ時間かな」
 一言呟いたところで先ほどの二人がカーテンを開け現れ。シュラインの隣に座った蘭の前には無言のまま水の入ったコップが置かれた。
「ありがとーなの」
 お礼を言えば、青年はただ一言「あぁ」とだけ返し、シュラインと蘭の向かい合わせになる状態で四本足の丸椅子に腰掛ける。
 続いて男がカーテンを閉めると、どっかりとパイプ椅子に腰掛け口を開いた。
「さてっと…草間の準備も終わったし、まずは簡単にこれから先のことを説明しておくな……まずはそうだなぁ――こっちの自己紹介しておくか」
 そう言い男は子供っぽい笑みを浮かべる。パッと見は然程武彦と大差ないであろう彼は、やはり夢藤・香梓(むとう・こうし)と名乗った。
 その隣に座る青年は香梓曰く自称助手らしい、一之瀬・琉已(いちのせ・るい)。彼は助手とは言え見た目は学生だろう。
 シュラインと蘭もそれぞれ名乗ると、「一日よろしくなー」と香梓は言った。琉已の方はといえば、ただそこに座っているだけだ。
「んじゃまず草間の夢に入るってのだが、今薬を使って奴は眠らせてある。俺らも眠りに就いて奴の意識…つまり夢の中に入り込む。此処までは俺が勝手にやるから、特に心配無い」
 香梓の隣で琉已が無言のまま頷いていた。
 そこでシュラインは一つ問う。
「んー…と、夢の中の事は強く望めば影響出るの?」
 その言葉に、香梓は一瞬顔を顰めた。蘭は気づくことなく水を飲んでいたが、勿論シュラインはその微妙な変化に気づく。
「あ゛ーとだな、草間の夢の中のことは……説明が面倒だから実際やってみて理解しろってとこだ」
 隠すような事ではなく、単に説明が面倒なだけのようだが、これでは行く場所が分かっていても何をするか分からない観光旅行のような気分だ。
「後は、俺から絶対に離れないこと。わかったかぁ?」
「……取りあえず危険が無ければ良いのだけどね」
「はーい、僕離れないのー」
 二人の返答に満足したのか、香梓はガタッと音を立て椅子から立つと二人を振り返った。
「まぁ実践だ実践! 奥の部屋、行くぞー」
 そのまま奥の、今は武彦が眠る部屋へと続くらしい――やはり外れかけの扉をゆっくりと開いた。
 結局二人はこうして全く説明になっていない説明を受け。
 逸る気持ちを抑えきれない香梓と、助手の後を追った。


 案内された部屋は、今まで居た部屋とは違い、ただベッドがあるだけの簡素な部屋だった。
 窓も無く、壁の間から漏れる外の明かりと、ゆらり揺れる蝋燭の炎だけがこの室内を照らしている。
 そして扉を閉めれば部屋は密室となり、だからこそ気づいたこともあった。
「ふに? なんだかとってもいい匂いなのー」
「そう、ね。この香りはもしかして……」
 二人ともこの匂いはどこかで嗅いだ事があり、尚且つ悪い物ではない。
「草間には他調合の物も使ってるが、俺らはコレで十分だからな」
 コレと指された場所には勿論この部屋で一番目立っているであろう蝋燭――否、アロマポットがあった。上皿に何らかの精油がはいっているのだろう。
 そのまま、武彦が眠る質素なベッドの横にある、見た目が既に寝心地の良さそうなベッドへと二人は誘導され、最後に琉已から枕を渡された。
「これにも香りが? なんだかこの調子だと、色んな匂いが混ざって大変な気もするけど……」
「本来は寝付きを良くするために枕に香りを染み込ませるんだが。まぁ寝ろ。匂いも相手も問題ないだろ」
「わーい、ふかふかベッドなのっ」
 早々に蘭は靴を脱ぎベッドに上がると、枕を両手で抱えながらベッドのスプリングを何度も軋ませている。
「なんだか変なものね…隣には武彦さんが寝てて……」
 言いながらシュラインも靴を脱ぎベッドの上に上がった。それにあわせ、蘭もようやく落ち着く。
 幸いベッドは大きく、シュラインと蘭が寝たとしてもまだ余裕はありそうだ。それぞれ枕をベッドへ置き、ゆっくり横になる。
「みんなでお昼寝なの。いい夢見れると良いのー」
「そうね。それも私達次第、なのかも知れないけど」
 蘭の言葉にシュラインはそっと微笑み、隣のベッドで眠る武彦を見た。
 一体武彦は普段どんな夢を見ているのか。それを知れる機会というのは、本人がしゃべらない限りそうは無いことだろう。
「んじゃ目、閉じてろ。最初目ぇ開けた時は二人だけかもしれないが、俺もすぐ行くから絶対にその場から動くな」
 指示を受けながらも、最後の注意を聞かされた。
「それにしてもこんな時間から眠れるかしらね?」
「…ふにぃ……僕、なんだかね、むいな…の…‥」
 目を擦る蘭の隣、シュラインは小さく欠伸をかみ殺す。
「大丈夫だ、きっと…良い夢が見れる――」
 香梓の言葉と同時。閉じた瞼の前に闇が広がった。


    □□□


 闇が広がり光が戻る。二人が目を開けた時までは、一体どれほどの時間が経っていたかは分からない。
 ただ、自然に開いたその目は、二人に見慣れた景色を見せていた。
「ほっぺた抓っても…痛くないなの」
 実際夢の中ではそうそう出来はしない確認をし、蘭は辺りを見渡す。
 やがて今居る場所が本当は何処であるかということを忘れ、一歩を踏み出そうになったシュラインを思わず引き止めたのも蘭だった。
「そ、うだったわね……動いちゃいけないって。でも確かに夢の中、なのかしらね…此処」
 しかし見れば見るほど、夢の中に居るという現実味が無い。
 二人が立っているのは紛れも無く草間興信所の入り口。いつもと何一つ変わらぬ風景の中、武彦が机の前の書類をぼんやり眺めながら煙草を吹かしていた。
「はいー、お待たせさん。動かず大人しくしてくれてて助かった。此処が、草間の夢の中な。どうよ?」
 何故か小さな旗――『草間武彦夢中観光旅行』と書かれている――を持ち、二人の背後に突如現れたのは香梓だ。
「武彦さん、こっちには気づかないのかしら?」
「あぁ。今俺達は草間の夢を共有している物の、草間の夢の中に出ているわけじゃなく、傍観してるだけだ。まぁ願えば多分どうにかなるだろ」
「お願いするなの?」
「おう、例えばそうだなぁ……たて続きに電話が掛かってくるが、どれも怪事件の依頼――こんなのがまぁ、草間の日常になるわけだが、まともな電話がまとめて来る夢でも見せてやるか」
 呟いた香梓の言葉のすぐ後、電話がけたたましい音をたて鳴り響く。
「――はい、草間興信所」
 受話器を上げた武彦の表情は不機嫌そのものだったが、やがて受話器を耳に当てたままその表情が厳しく変わり、やがて綻んで行く。
 チンッと電話を置いた後、電話は再び鳴り響く。そんなことを五度繰り返したところで、武彦はようやく一息吐き。走り書きしたメモを破り、何処かにかいるらしい草間・零の名を呼ぶ。
「久々にまともな依頼が五件も入ったぞ!? どれも確かに怪事件じゃない、極一般的な探偵だけを必要とした物だ!」
 その様子から、恐らく夢の中でも毎度怪事件と関わっている武彦の姿が皆の脳裏を過ぎった。
「これが夢なら醒めないでほしいものだな…っと、一人目の来客が来る前に奮発して茶菓子でも買って来るか」
 そう言い武彦は椅子を立つと、出掛ける準備を始めたようだ。
「どだ? まぁ、口に出しても心の中でも。今目の前にある風景をこう変えてみたいと頭の中で描ければ簡単なもんだ」
「すごいのー! うーんと、僕は…ぼく、はぁ――」
 簡単に言ってみせた香梓を振り返りながら、蘭は「うーんうーん」と唸り始める。
「頭の中で描けば……」
 一方、ポツリ口に出し、しかしその後そのまま押し黙ったのはシュラインだった。
 彼女の頭の中では既に、様々な思考が入り混じっている。
 この夢の内容ならばまず、彼女が好むことの無いセクハラ系の夢に発展することは無いだろう。隣に居る蘭の事を考えれば、そんな夢を誰かに敢えて見せられることも無い。とは言え、万が一そうなれば回避する事を願いつつ。
『あ…どうせなら、せめて夢の中だけでもハードボイルド野郎貫いてみる武彦さん、なんて良いかな。後はっと――』
 今は無邪気にはしゃぐ武彦を見ながらも、なんとなく武彦が望む理想の姿を頭の中で思い描く。
 醒めない夢は無い。ならば勿論本人の苦にならない、出来るならば望み通りの夢という物を思い描いてあげるのも良いと思ったのだ。
「おっ、もう何か願ったな? 夢に歪みが出た……」
 とは言え、シュラインや蘭には何一つ変わらぬ興信所の風景。ただその言葉から、香梓にだけ何かが見えているらしい。
「そろそろ此処、出るみたいね。私達も追うべきなのかしら?」
「いや、草間の見ている景色が勝手に動くから、俺達は此処で立って見ているだけで大丈夫だ。下手に動くと草間の夢の中から出れなくなるからな」
「それで動いたり、離れたりしたらダメ、なの?」
 蘭の言葉に、香梓は「その通りだ」と一つ頷いた。
「んじゃ、行って来るか。零、留守は任せた」
 そう言うと武彦は煙草――勿論マルボロに、素早く火を点け――点けたのは勿論というべきかの百円ライター。しかしそれが余りにも様になっていたのは一体何のせいなのか…。そしてそれを軽く銜えたまま上着に袖を通しサングラスを掛け、武彦は軽快な足取りで外へと出て行った。
 天気は生憎の曇り。全くもってこの夢には人の手を加えない限り明るい話題が無い気がする。
「ふに、僕はお天気が良くて、明るい世界がいいなの!」
 そう蘭が言うと、武彦の頭上にあった灰色で厚い雲は、彼を中心にまるで強風に吹かれたかのように一斉に消えた。
「ん、今日は依頼も来たし曇り空は晴れるし幸先が良いな」
 不自然に晴れ渡った空を仰ぎ、満足そうに頷くと武彦は駅の方へと向かっていく。
「わーい、なの」
「こういうやり方もあるのね…うん、良い天気」
「おー、すげぇなちっこいの」
 思わずシュラインと香梓が関心の声を上げた。
「後はお花さんがいっぱいさいていて……」
 瞬間、アスファルトの地が土へと変化した。ただ地面が変わっただけで、辺りの景色は変わらない。
 そしてそんな道の両端に突如、色とりどりの花が一斉に咲き乱れた。なにやら季節感も無く、見たことも無い花もある。
「なっ、んだ!?」
「わー、本当なの。お願いしたら叶ったなの。凄いのー」
 一番驚いたのは勿論武彦だ。シュラインと香梓は蘭の一言に暫し驚きを隠せない物の、事態は更に夢らしい物へと発展する。
「あ、お花さんもみんな楽しそうに歌ってるなの!」
 突然に。辺りに歌声が響く。歌声は人で言う幼稚園から小学生低学年の、決して音痴ではないが元気すぎる声も混じった物だ。
 花たちは武彦の周りは勿論、蘭やシュライン、香梓の足元にも咲き乱れ歌っている。
「ここでは、みんな僕と同じで、おしゃべりや移動ができるなの。えっと…お花さん、こんにちはなのー」
『こんにちは』
「――――」
 武彦は武彦で。足元の花に挨拶され、思わず銜えていた煙草を落としかけた。
『こんにちは。今日はとてもいいお天気だから、私達いっぱい光合成できて嬉しいわ』
「僕も嬉しいなの!」
 ちょこんとその場に座り込み蘭は花に話しかけるが、武彦はかぶりを振ると頭を掻きながら足を進めた。
「……ったく、このまま客を待たせるわけにもいかないから、そろそろ行くか」
「あっ、武彦さん行っちゃうわ」
「お花さんたちも一緒に行くなの」
「…マジか……」
 やがて武彦は駅前のスーパーへと入っていく。が、三人に見える光景としては彼が入り口の自動ドアから中へ入って行った所まで。
「草間の夢が少し変わったな……しかし夢が変わっても、花は消えない、か」
 ふと宙を見て呟いた香梓の言葉の後、でかい買い物袋を両手に提げた武彦がスーパーの自動ドアの向こうから出てきた。着ている服が違うことから、どうやら先程までの夢とは設定が少し違うらしい。とは言え、舞台がスーパーなのは何故か変わらないのだが。
「武彦さんの買い物袋から長ネギや大根が……」
「男があんなもんぶら提げて煙草銜えて真顔もどうなのか。ここはいっちょ夢を改ざんしてと――お、草間妹も一緒だな」
 珍しく二人で買い物を済ませたらしく、揃って帰る姿が見えていた。しかし、香梓のひと言の後、武彦のかけていた眼鏡が鼻眼鏡に変化する。本人は気づかぬまま、いつも通りの様子で、隣を歩く零のそれに対する反応も特に無い。
「兄さん、花が動いて喋ってます。なんだか綺麗ですね」
 そこには蘭が生み出した花が未だ咲き乱れ、動いては喋り歌っていた。
「……花、か」
 足元のそれを見つめ、武彦は何を考えたのか、淡い笑みを浮かべる。
「零、持って帰るか?」
 言うや否や花の前にしゃがみこみ、花を相手にニヒルな笑みを浮かべた彼は、彼の姿形をした別人だ。
「たまには花のある生活も良いだろう。心が洗われるし、普段依頼を任せてる奴らに礼として渡すのも良いだろ――さて、と。帰って仕事だな、零っ」
 普段そんなことを考えているのかどうかは定かではないが(しかし皆に感謝しているのは当然だと思われる)、武彦は希少な台詞を言いながら、晴れた空を仰ぐ。鼻眼鏡がキラリ光った。
「あんな武彦さん、実際現実世界に居たら……私思わず殴るだろうなぁ」
 それまで香梓の隣でほのぼのと武彦の様子を見守っていたシュラインだが、笑顔でサラリと言ったひと言に香梓が思わず苦笑する。
「想像しといてなんだが…夢だから許せるって事だよな。やっぱ草間の存在ってのは、いつものあいつが一番良いんだろうな」
「……それはもう、言わずとも当たり前ね」
「――……でも、どうしてこんな事をするなの?」
 しかし蘭が突如現実モードへと戻り、後ろに立つ香梓を振り返った。
「僕いっぱいお願い事したけど、よく考えたらここの夢、いじっていいのかな? なの……」
「んあー、そうだなぁ。夢ってもんは脳が見せてるって言うよな? つまり、そいつ自身の中身が現れる」
 蘭の問いかけに、香梓は逆に問い返す。
「…そう、なの?」
「なんだか突然だけど…確かにそうね。それで?」
「悪い夢でも良い夢でも、覚えてると多少は気になったりするだろ? それが知り合いや知っている景色が出てくれば尚更の事」
 それは誰もが一度は経験したことのある出来事ではないだろうか。
「人の感情や意識を覗いたり勝手にいじるのは勿論性に合わないんだが、もしこれが実用的であれば、精神面で救える患者もいると思ったんだ。で、悪いが草間で試させて貰った」
「患者さん……えっと、お医者さんなの?」
「そういえば『診療所』だったわね」
「まぁ、今は医者とは言えないが、たまに昔の患者も来る。そういう奴にとっては医者なんだろな」
 何かを思い出すかのように言う彼の言葉と同時に風が吹く。ザァッと。それは彼の白衣を靡かせ、シュラインと蘭の髪を揺らし。
 花びらが無数に空へと舞い上がる。
「あっ……お花さ、んっ――」
 その光景に思わず蘭が舞い上がる花びらを目で追い空を仰ぎ、小さく声を上げた。その声につられ、思わずシュラインも空を仰いだ。それは武彦も零も、声を聞いたわけではないものの。皆がそれを目で追った。
 花びらは全てが散り飛んでいったわけではなく、花はまだ確かにそこにあるけれど。花びらと共に、歌も空へと舞い上がった気がした。
「でも逆に、これが世間に出てしまえばこれによって苦しめられる人、というのが出てくる可能性も十分あるわよね」
 そっと視線を香梓へと戻し、シュラインは言う。
「確かにな。物事っつうのは必ずしも正しい方向だけには行かないが、医者はまず患者の苦痛を取り除く為に存在する…と、俺は思ってる」
 その為であれば…彼はそういうつもりらしい。
「人は一晩に幾つもの夢を見るのはお前らにも分かるだろ? 誰もがそれを知っているからこそ、そこを利用してるのがこの実験だ。言わない限り、本人にバレもしないし、治療っぽくも無い。薬は表に発表する気も無いから、お前らが漏らさない限り悪用はされないだろ」
「秘密なの?」
「そうだ、まぁ秘密だな。とりあえず、薬は利いたようだからな……後は夢から出た後。草間をタイミング良く起こした後が問題だな――んじゃ、琉已が呼んでるみたいだしそろそろ帰るか」
「帰るって、どうするなの?」
「此処で目瞑って待ってろ。俺が先に帰ってお前ら起こすからな」
「つまり、私が目覚める事によってこの夢の中からは出れるって事ね?」
「ご名答。んじゃちょっと待ってろよー」
 そう言うと香梓は目を閉じ、フッと二人の前から消えた。
 武彦の夢は未だ続いたまま。
 ただ、二人の頭の中に何か声が響く。何処か聞き覚えのあるような。それでいて――二人を現実へと引き戻す声。


『おはよう御座います』


    □□□


 目覚めた時刻は夕方。それを知ったのは、近くにおいてあった時計からだった。
 それにより、あっという間の体験に思えたそれは、予想以上の時間を使い体験していた物だと知る。夢なんてそんなものだろう。
 そして今、この部屋には小さなランプが置かれ、部屋を明るく照らしている。
 ベッドから起き上がると、シュラインと蘭は軽い偏頭痛に見舞われた。香梓曰く、軽い副作用だろうとの事で、結局それは数時間も経てば自然と消えたのだが。問題は武彦の方だった。
 彼は未だ隣のベッドで身動きひとつとらず静かに眠り続けている。
「まだ起こさないなの?」
 そう問いかける蘭に、香梓はまだ時間じゃないと一言告げた。
 人が夢を覚えているというのは、夢に対する気配りは勿論のこと、目覚めのタイミングもあると言う。香梓は、武彦が見た夢を比較的鮮明に覚えていられるタイミングを狙っていた。
 結局彼が武彦を眠りの世界から無理矢理引きずり出したのは、それから少ししてからのこと。
「おはよう、武彦さん。気分はどう?」
「おはようなのー。ぐっすりだったの。いいゆめ見れたの?」
「草間、お前ぐっすり寝てる間になんか夢見たか?」
「――――ぁ、あ……?」
 武彦にとっては、香梓とシュラインが居るところまでは良いのだが、蘭の存在は今初めて気がついた。
 挙句その三人にベッドを囲まれ、上半身をゆっくりと起こしながらも記憶を辿る。
「夢? そう言えばまともな依頼が何件かきて…あー、あれやっぱり夢かっ」
 畜生といった様子で三人から視線を外すと軽く舌打ちし、続きをぼそぼそと口にした。
「歌う花が居てスーパーに買い物行って……いつもと少し違う俺だった気がするな。後最後にやぎの着ぐるみ着て真剣に尾行を――って、なんでんなこと聞くんだ?」
「そうか、んじゃもういいや、実験は成功だ。もう終わりな」
「凄いなの、全部覚えてるの!」
「成功、なのかしらね。うーん、不思議……」
 それぞれは、確かに武彦が見ていなものと同じ景色を見てきたことを実感し。
「は、実験? 成功? ところで、試薬のテストってなんだ? 俺、寝てただけでまだ何もしてないだろ」
 何も知らされていない、そして知らされることの無い武彦をよそに、今回の実験が終了しようとしていた。
「俺は今日の成果をまとめるから、お前もう帰れ。ほれ、約束のマルボロだ。あ、二人のレポートは後日でも良いから。待ってるなー。琉已、見送って来い」
「……はいはい、出口はこっち」
 言いながら部屋の扉を開け琉已は外へと出て行く。
 それには蘭がついていき、続いてシュラインが、最後に武彦が「訳がわからない」と言った様子で、しかしマルボロのカートンだけはしっかり抱きかかえ診療所を後にした。


    □□□


「仕事か?」
 後ろからかかる声にペンを置く。振り返ればすぐ隣に、武彦が早速先日の戦利品であるマルボロを銜え立っていた。
「そんなもの。武彦さんは?」
「まともな依頼が入ったんで、真面目に仕事だ」
「あら、正夢? 頑張ってね、後でお茶淹れるから」
 最初は少し笑うように言い。そんな訳は無いだろうなと思いつつ、もう一度ペンを持つ。武彦は小さく一つ返事をすると、自分の机へと戻っていった。その背中に、シュラインは一つ問う。
「ところで昨日の夢、武彦さん的にはどうだった?」
「? そう、だな。新鮮で良かったかも知れないな。おかげでまともな依頼が来たかもしれないし。とは言え、同じ夢を続けてみてるのが気になんだが……それがどうした?」
 最初は何故又そんなことを聞くのか、と言った様子だったものの、心なし嬉々として話す武彦に、シュラインは「なんでもないわ」とかぶりを振り。再びペンを走らせた。それは勿論、頼まれていたレポートだ。
 おそらく問題もあるものの、全部が全部悪いというわけでもなさそうだった。
「使い方さえ間違えなければ、って所かしら?」
 そう呟きもう数行を書き足す。結局、本人の嗜好・試薬の効果や副作用報告などを含め、個人的な感想も少し交えたレポートは完成した。
 後日、それを受け取った香梓は、簡単な物だったとは言えその内容・まとめ方に感謝し、小さな小瓶をくれた。中身は勿論ただのアロマオイルらしいが。仕事中、それをコットンやティッシュに染み込ませ近くに置いておくと良いと彼は言った。


 誰かの夢を第三者が操作するのが良いことなのかやっぱり悪いことなのか。
 本人の捕らえ方次第、も確かにあるが。少なくとも、武彦にとっては今回のことで物事が良い方向に進み始めたのかもしれない。
 こうして眠る間に見る夢も、いつかは現実になる、のかも知れない――――。



 - 副作用 -
   被験者  草間 武彦   その後暫く、毎晩のように同じ夢を見る。
   協力者 シュライン&蘭  一時的な偏頭痛。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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→PC
 [0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員]
 [2163/  藤井・蘭  /男性/1歳/藤井家の居候]

→NPC
 [  夢藤 香梓(むとう こうし)・男性・28歳・元診療内科医・現プー ]
 [ 一之瀬 琉已(いちのせ るい)・男性・17歳・高校生/助手 ]

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、亀ライターの李月です。このたびはこちらの勝手な都合でお待たせしてしまい申し訳ありません。
 自分の中では、短くする事も妥協する事も勿論できずお時間をいただいてしまいました。
 不思議な薬で見たひと時の夢。少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。

【 シュライン エマさま 】
 ご参加ありがとうございます!主に武彦いじりとなりまして、うまく反映できなくて申し訳ないですが夢の中だけの彼を楽しんでいただけていれば幸いです。ちなみに元々夢藤もちょっとした武彦いりじでしたので、本当にかっこよさ(ちょっとした動作の一つ一つが、と言うところですが)を出せたのは最初だけの気もしましたが…。
 お蔭様で背景も本人もいじる事ができたので、バランスよく夢が変化し助かりました!

 では、落ち着くまでまた依頼物は暫くのお休みとなりますが、又のご縁がありましたら…‥。
 李月蒼