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<東京怪談ノベル(シングル)>


Needless Emotions ―LIFE with time limit―



 最高の夢とも、悪夢とも思える二日を経て数日後……漣はかかりつけの医術士のもとを訪ねてきていた。
 いつものように軽い診察をされ、漣は着衣を直す。
 目の前に座る医者はカルテに何か書き込んでいた。
 ここに来るといつも思い知らされる。
 自分はそう長くないのだと。
 ……死ぬまで、そうかからないだろうと。
 医者に声をかけられていたことに漣は気づかなかった。慌てて伏せていた視線をあげる。
「あ、は、はい。なんとか……慣れました。東京での生活も」
 東京に出てから様々なことがあった。
 なにより……。
 視線をぼんやりとさせ、考えに集中しそうになった時、医者がまた声をかけてくる。
 どうにも自分は注意散漫になっているようだ。その理由はわかっている。
 医者は自分に対し、少し明るくなったねと軽く笑う。
 そうだろうか?
 自分ではそんなことはわからないし……これが自分の普通だ。
 医者の言葉を信じるならば、自分は今まで暗かったということになる。
 好きな子でもできたかい?
 そう問われた瞬間、漣の顔が真っ赤に染まった。
 脳裏によぎるのは、数日前の出来事。
 甘く艶かしい彼女とのキスの感触を思い出して、漣は思わず視線を泳がせた。
 漣は数日前、高熱で苦しんでいた。風邪をひき、そのために倒れてしまったのである。
 その時に看病してくれた「彼女」は漣の想い人だ。
 異性として認識して、挙句……流れで彼女に告白までしてしまった。なんてことをしたんだと今でも恥ずかしさでたまらない気持ちになる。
 高熱で動けない漣になんの味もしないお粥を無理やり食べさせ、口移しで薬を飲ませ。
 考えてみればとんでもないことばかりだった。
 漣は女性と交際など生まれてから一度もしたことはない。それは自分が死んでしまう運命にあるからだったし、誰かを好きになるなんてことはないと思っていたからだ。
 できるわけがない。自分が好きになることなどありえない。
 そう考えて東京にも出てきた。
 だが彼の意志に反して東京という場所は彼の前に彼女を用意したのだ。
 彼女と出会った時と今では状況がまったく違う。出会った時は、まさかこんなことになろうとは予想もしなかった。
 それに、だ。
(女の子とキスをする日がくるなんて……思ってなかった)
 あるとすれば人工呼吸だと思っていた。そんなものはキスのカウントには入らないが。
 漣の初めてのキスの相手が好きな少女というのは……ラッキーなのだろう。幸運だと自分でも感じている。
 しかもあっという間に終わった。
 薬を飲ませるために口移しをされたものだから、漣としては一瞬の出来事でまったく反応できずに終わったのである。
 なにをされたのか理解すらできなかった。
 喉を通った薬と、水の感覚のほうが強くて呆然としていたほどだ。
 それに彼女はまったく気にしていなかった。人工呼吸の一つのように、なんとも思っていない様子でいたのである。
 その後のことを思い出して漣は赤くなったまま、ぐ、と唇を噛み締めて顔を伏せた。
 気持ちいいキスをしてやるから、自分を好きになるな。彼女は確かにそう言った。
 それは実行され、恋人がするような濃厚なキスの洗礼を漣は受けた。
 あの時のことを思い出せば心臓が高鳴り、恥ずかしさに顔をあげられなくなる。
 彼女に翻弄される自分が情けない。
 しかもその後、彼女に「気持ち良かったか」と問われて漣は素直に頷いてしまった。なにをやっているんだと過去の自分に怒鳴りたくなる。
 漣の高熱は一日中続き、次の日も一応は微熱までさがったが彼女の部屋に居座ってしまった。結局家に戻ったのは三日目のことだったのだが。
 二日間も女の子と同じ部屋で過ごすなど、今までの漣からすればありえないことである。
 いや……そんなことはどうでもいいことだ。
 なんの感情も持っていないならば同じ部屋に居ても何も感じないはず。
 好意を……恋心を持った相手とだったから漣は心臓が壊れてしまうのではと何度も思った。
 こんな気持ちは感じたことがない。だからこそ恐ろしく、不安で、甘美だった。
(考えてみればすごいことだな……薬を飲ませるためとはいえ、い、いきなりキスされたり……彼女の家に不本意とはいえ滞在させてもらったり…………あ、あ、あんな、あんな……の、濃厚な……っ)
 生々しい感触を完全に思い出して漣は頭の中が真っ白になりかける。
 ハッとして漣は頭をぶんぶんと左右に振った。自分はなんてことを思い出しているんだろうか。
(いつから俺……! じ、邪念は捨てろ!)
「あ、い、いえっ、そ、そそ、その……そんな……こと、は」
 声を上ずらせてしどろもどろになって答える漣に、医者は唖然としている。
 漣自身も今の自分の態度は丸わかりだと恥ずかしくてたまらない。それに、きっと今の自分は物凄く変に見えているはずだ。
 自分はもっと冷静沈着だと思っていたのに。
 東京に出てから自分はペースを乱されている。
 漣はそそくさと立ち上がってコートを羽織った。
「よっ、用が済んだならもう帰ります……っ」
 この場から早く去りたい。これ以上失態を重ねるわけにはいかない。
 そう思いつつ漣は足早にドアに近づき、ノブに手をかける。
 ふと……気になって彼はそこで停止した。
 自分は死ぬのだと――ずっと、思っていたのだ。今まで。
 だから大事な人もできない。作らない。いいや……作れない。
 自分は何かとんでもないことをしているのではと漣は今さら気づいた。
(俺……は、間違っているんじゃ……?)
 誰かを好きになるなど、おこがましい。
(俺は死ぬのに)
 死んだら……どうなるんだろう。
 今までは当たり前だったことに漣は恐れを抱き始める。
 自分が死んでも世界は変わりはしない。
 彼女もきっと、今と変わりはしない。
 ソコに、自分が、居ないだけ、だ。
 死ぬのは怖くない。死ぬのが当然だと思ってきた。今さら、だ。
 彼女に好きだと告げた。死んでしまう自分の気持ちを、知っていて欲しくて。
 その見返りなど望んでは……いない。
 ――――本当に?
 自分が死んだその未来で、彼女はどうなるのだろうか。自分の居ない世界で彼女は今と同じようにただ戦い、傷ついていく?
 もしも。
 もしも彼女に……想い人ができたら……。
 その可能性を漣はまったく考えていなかった。想いを告げたことに満足していて。
 やっと気持ちを自覚したばかりなのだ。だけど。
 彼女の傍に自分以外の男が立った時、果たして自分はそれを見ても平気でいられるだろうか?
 いずれ死んでしまう身だ。そんなことを考えるほうがどうかしている。
 どうかしている……のだ。
 けれど一度芽生えたその感情を、漣はもう、見て見ぬふりはできないと感じていた。
「先生……もし、この呪いが……」
 なにを口走る?
 解ける方法があるとしたらどうするか、など。
 訊いてどうしようというのだ?
 もう決まっている未来を今さら覆せるとでもいうのか?
 だいたい……あの男の言葉を信じろと?
(俺は……あいつの言葉なんて)
「…………なんでもありません」
 漣は医者のほうに向き直り、丁寧に頭をさげてドアを開けて出て行った。
 足音をたてて歩く漣は小さく思う。
 無駄な希望などもたないほうがいい。
 ムダな……。
(ムダなんかじゃ……)
 いいや。きっと――――――無駄なのだ。

 漣の足音が完全に聞こえなくなり、医者は軽く息を吐いて電話を手に取る。
 もしも漣が近くに居てもその囁きに近い会話は聞き取れない。
 計画の前倒しが……悪くない……。そんな言葉を聞くことも。
 そして、漣の命に残された時間のことも。
 あと――五ヶ月。
 そんな医者の小さな小さな声など、今の漣に届くわけもない。
 ただ窓の外の空だけが知っている。泣きそうな曇り空だけが――――。