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<東京怪談・PCゲームノベル>


とまるべき宿をば月にあくがれて 弐


 ハワイコナ。
 コナコーヒーはとてもシンプルな風味ながら、しかしストレートで楽しむには絶妙とも言える個性を持っている。
 この日、汐耶は、日常的に足を寄せている専門店とは異なる店を見つけ――結果から言えば、コナコーヒーの中でも魅力的なアロマを持っているとされる、エクストラファンシーという種類の豆を手にする事が出来た。
 あまつさえ、明日は休日となっている。
 汐耶は、豆を収めた紙袋を抱え持ちながら、足取りも軽く、家路へと着いているのだった。
 明日になったら、このコーヒーに似合うであろうケーキを焼いて、ちょっと贅沢なコーヒータイムを楽しむのも良いだろう。――ああ、確か、冷凍庫にパイシートが残っていたはずだ。あれを使ってミルフィーユでも焼こうか。
 明日の朝は時間を気にする事なくゆっくりと目覚め、この豆をドリップしたものをゆったりと堪能するのだ。
 汐耶の頬が、じわりと笑みを滲ませる。
 そう。この日の汐耶は、まさに幸運な出会いとも言える発見を立て続けに二度も体験していたのだ。
 一度目の出会いは、言うまでもなく、件のコーヒー豆専門店との出会い。
「帰ったら酒盛りね」
 独りごちるその言葉にも、汐耶の心を包み込んでいる幸福が滲み出ている。
 ――そう。コーヒー豆の専門店のはす向かいに、今までは存在さえも知らないままだった酒屋があるのを見つけたのだ。
 ふらりと立ち寄ったこの酒屋では、滅多にお目にかかる事の出来ない日本酒が陳列されていたのだ。
 立て続けに降って沸いたこの幸運に、酒屋での汐耶は自分の胸が大きな高鳴りを覚えているのを知る事となる。
 静岡の酒造で造られている『初亀』――確かに幾分か値の張る銘柄ではあるが、酒瓶を手にした汐耶に、酒屋の店主は頬を緩めて語りかけてきたのだ。
 ――――明日には売れちまうよ。
 むろん、店主のあの言葉は、汐耶に酒を購買させようとする、あの壮齢なりの商売っ気でもあったのだろう。が、それは何も大袈裟なばかりのものでもない事も確かだ。
 汐耶は、初亀をレジへと持っていき、――そうして今に至るのだ。
 美味しいコーヒー豆と、美味しい酒。
 休暇を楽しむには充分たるものだ。

 汐耶は帰路を進む足を少しだけ速め、日頃歩き慣れた道とは異なる路地を曲がる。おそらくは、今日この幸運に恵まれたのは、あのコーヒー店の看板に惹かれて曲がり慣れない場所を折れたためでもあるのだろう。
 ひっそりとした夜で覆われた路地は、車の往来などは到底無理であろうと思われる程の幅しか持っていない。路地の両脇には家壁が続き、その向こうからは夕餉の香りがほんのりと漂い、流れてくる。
 かすかな空腹を覚え、汐耶はもう一度角を折れ曲がる。角を折れれば、いつも歩く道に出るはずだ。そしてそこまで進めば、部屋までの距離はもうさほどのものではないはずなのだ。
 ――――が、この角を折れたところで、汐耶はひたりと足を止めることとなった。

 眼鏡のフレームを指の腹で押し上げて、小さな息をひとつ吐く。
 汐耶が立ち入ったその場所は、歩き慣れた道の上とは異なる場所であったのだ。そうして、汐耶は、この場所には以前にも立ち入った事がある。すなわち、今回で二度目の邂逅となるのだ。
 夜の薄闇が広がるその場所は旧い都のそれを彷彿とさせる大路となっている。もちろん、東京のそれとは違う世界のものだ。
 行灯を片手に、機嫌よさげに鼻歌などを唄いながら、妖怪がひとり歩いて行く。あれはぬらりひょんだろうかと考えながら、汐耶は一度は止めた歩みを、再びゆったりと進め出したのだった。
 ぬらりひょんはふらふらとした歩みながら、やがてその姿を薄闇の向こう側へと紛れ込ませていった。
 汐耶は彼が消え入った方向とは真逆の方角へと歩んでいく。
 その視線の先には、一軒の鄙びた茶屋が映されていた。

「おや、汐耶さん。仕事帰りですか」
 建て付けの悪い戸口を開いて茶屋の中を覗きこんだ汐耶に、たまたま間近な場所にいたのであろう侘助がゆったりとした微笑みをかける。
「ええ、そう。今日はちょっと遅くなっちゃって」
 うなずきを返した汐耶に、河童が鼻先をひくひくさせながら寄って来た。
「おまえさん、また随分とイイ酒持っていなさるねェ。手土産たあ、随分と性根の優しいお嬢ちゃんだ!」
 緑色の顔に薄っすらと酔いを浮かべ、河童はヒヤヒヤと笑いながら汐耶の肩をぽんぽんと叩く。
「……え?」
 河童の言葉に笑みを返しながらも、汐耶は一瞬だけ目を丸くした。
「遠慮するこたねエや。ささ、こっちに座んない。大将、肴のひとつでも頼んまさァ!」
 わずかな躊躇を見せる汐耶だが、酒に酔った河童や妖怪達には通じない。
「すいませんね、本当」
 後ろで侘助が申し訳なさそうに頭を掻いている。
 汐耶は肩越しに振り向いて侘助の顔を見やり、ふと笑みを浮かべた後にかぶりを振った。
「ちょうど、いいお酒が手に入ったばかりだったのよ。……狙いすましたみたいな感じね」
 くすりと笑いながら、河童が勧めた椅子に腰をおろす。
「そうね。よく考えてみれば、私ひとりで呑むにはちょっともったいないお酒だもの」
 言いつつ、瓶をテーブルの上にどっかりと上げる。
「皆さん、一緒に呑みましょう!」
 高らかにそう告げるや否や、茶屋の中に賑やかな囃しが起こった。猪口が回され、瓶を覆う蓋がポンと外される。
「侘助さんも、良かったらどうぞ」
 猪口に注がれたそれを侘助へと渡して、汐耶がニコリと目を細ませた。侘助は猪口を受け取って首を傾げ、「ありがとうございます」と告げてから猪口を一息に空けた。
「そういやあ、汐耶さん、妖怪を目の当たりにしても驚いたりってえ事もしないんですね」
 二度目の猪口を口に運び終えたところで、侘助が汐耶の顔を見やる。侘助もまた既に酒を嗜んでいたのか、わずかに酔いの表情を浮かべていた。
 汐耶の方はといえば、もう既に五度目の猪口を空けていたが、侘助の視線を受けて手を休め、しばしの思案を見せた。
「そうねえ。別に、今さら驚くほどでもないっていうのが、正直なところかしら」
「それはお仕事上での?」
「ええ、まあ、そんなところかしら。――ああ、そういえば私、自分の職業について、侘助さんにお話してましたっけ?」
 汐耶が問うと、それを受けた侘助はふるふるとかぶりを振って、目をしばたかせる。
 河童が、汐耶の猪口が空になっていたのに気付き、再び酒を注ぎいれた。
 汐耶は猪口の中の酒に映る自分の顔を見つめ、それを再び空けてから言葉を続ける。
「私、図書館の司書をしてるの。要申請特別閲覧図書なんかの管理も任されてて」
「要申請特別閲覧図書? それはまた、随分と仰々しい」
「曰く付きの本とか、一般には公開出来ない魔術書の管理だとかね、そういったものも任されているの」
「ああ、なるほど。適材適所じゃあないですが、そんな感じなんでしょうかね」
 ぽんと手を打つ侘助に、汐耶は首を竦めて頬を緩めた。
「まあ、そんな感じなんでしょうね。管理してる書籍に憑いている『曰く』の中には、憑き物――いわゆる付喪神って称されている方々もいらっしゃっるのだけど、私、そういった方々に仲良くしていただけているから」
「つまり、それが日常的な風景になっているという事ですね」
 うなずいた侘助に、汐耶もまたうなずいた。

 妖怪や神といった存在は、割と高い確率で無類の酒好きなんだと、どこかで聞いた事があるような気がする。
 汐耶が呟くようにそう述べると、それを受けた侘助が頬を緩めてうなずいていた。
 茶屋の中は、今やちょっとした宴会状態だ。手狭な感の強い茶屋の中は様々な妖怪達で埋め尽くされ、その面々はどれもが上機嫌で唄など口ずさんでいる。
 汐耶は頬杖をついて茶屋の中を一望し、耳を撫ぜる長唄や小噺といったものに心を寄せた。
 
「そういやあ、汐耶さんは草間さん達とはご縁をお持ちで?」
 いつの間にか茶屋の奥に立ち戻っていたらしい侘助が、菜の花の辛し和えを盛り付けた小鉢を運び持ってきた。汐耶は小鉢を受け取って小さく礼を述べる。
「侘助さんも草間さんをご存知なのね。――ええ、割と親しくしていただいてるかしら」
 割り箸を割って軽く手を合わせ、菜の花の鮮やかな緑を口に運ぶ。
 小鉢は湯呑茶碗などと同様に、少しばかりごつごつとした造りがなされていた。――多分、これも侘助作なのだろう。
「そうしたら、やっぱり色々と難解な依頼なんかにも遭うでしょう」
「この辛し和え、味付けが絶妙ね。……ええ、まあ、それは確かに」
「書籍に憑いている怪異だとて、中には厄介なものもありますでしょう」
 侘助の言葉に、汐耶はひたりと手を止めた。
 侘助の顔には穏やかな笑みが湛えられてはいるが、その視線には、どこか汐耶の思念を窺い見るような、そんな色が滲んでいる。
 汐耶はしばしそうして侘助の視線を見つめていたが、やがてゆるゆると頬を緩め、ゆっくりとかぶりを振ってみせた。
「それは、もちろんそうですけれど。……でもそれも、充実した毎日を過ごす中では、楽しむべき事のひとつでもあるように思います。……そりゃあ、哀しい事だってあるし、腹の立つような事だってありますけど」
 笑みを浮かべてそう述べた矢先、小噺に夢中になっていた河童が汐耶の猪口に酒を注ぎいれに来た。
 汐耶が礼を述べると、河童は満面に笑みを浮かべながら、再び仲間達の元へと戻っていった。
「正直なところ、たまに、今の仕事を辞めたいなあなんて思う事もあるんですよね」
 河童の後姿を見送りながら、汐耶はゆったりとした口調でそう続けた。
 侘助は猪口を口にしながら、ただ、汐耶の言葉に耳を寄せている。
「でも、私、約束してるのよね。――私の後を引き継ぐ事の出来る人が現れない内は辞めないって」
「汐耶さんの後任が現れない内は?」
「ええ」
 うなずき、視線を侘助へと戻す。侘助は汐耶の顔を見据えたままでいたが、その視線には、先ほどまで滲ませていた色はもう浮かんではいなかった。
「そりゃあ、なかなかに難しい条件ですねェ」
 笑みをこぼした侘助に、汐耶もまた破顔した。
「でしょう? 私の後任だと、責務も重くなってくるでしょうしね。……でも、もしもいつか私の後任が現れたら――その時は、私、ここで働こうかしら」
 発した言葉は、侘助の返事を待つ前に、河童達によって受け止められるところとなった。
 やいのやいのと囃したてながら汐耶の言葉を受け入れる妖怪達は、そのどれもが上機嫌に笑んでいる。
「その日が来るのは、きっとずっと先の事でしょうけれどもね。……ああ、でも、ここはお手当てもあんまり出やしませんけどね」
 それでも良ければと続けて肩を竦ませる侘助に、汐耶は小さなうなずきをもって返し、注がれた酒を一息に呑み干した。
「まあ、それはそれで、その時に考えればいい事よね。さ、今はこの酒宴を楽しみましょう」
 妖怪達の宴会は、汐耶のこの言葉によって、さらに色濃いものとなる。

 『初亀』がいつの間にか空になってしまっていた事を知るのは、これから、少しだけ先の事だった。


 





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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【1449 / 綾和泉・汐耶 / 女性 / 23歳 / 都立図書館司書】



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         ライター通信          
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お世話様です。このシナリオへの二度目のご参加、まことにありがとうございました。

妖怪だのといった存在は、現実の中においては立派な怪異として数えられてしまうのですよね。
基本的には東京怪談の世界というのは「その他大勢の一般人」といった方々が背景にあって、そういった方々には、怪異というものはやはり非日常なものであるはずで。
侘助は、多分、汐耶さん(むろん、他の方々に対しても)にはそういった部分での懸念を抱いていたのだろうと思います。
今回のノベル中では汐耶さんのお心が知れ、侘助を筆頭とする『怪異』達も安堵した事だろうと思われます。

よろしければ、また四つ辻に遊びにいらしてくださいませ。

それでは、このノベルが少しでもお気に召していただけますように。
そして、またご縁をいただけますようにと祈りつつ。