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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


天下裏五剣 斬之肆“鹿島の太刀”

◆鹿島の太刀◆

常陸国。鹿島。
其処は古の昔よりの武の聖地。

現代を遡ること千六百年余。
彼の地に在りし一人の男。
其の名を国摩真人と云う。

彼の男が創始せしめし御剣の業。
其を人は“鹿島の太刀”と呼びにけり。

†††

「“紅葉”と“経若”を封印する……?」
「ああ、そうさ。確かにウチでもそれなりの封印は出来るけど、然るべき場所、然るべき方法でキッチリ護っておきたいと思ってね」
例によって例の如く、
『手伝って欲しいことがあるからウチに来な』
そんな電話一本でアンティークショップ・レンに呼び出され、何かと思えば……これである。
天下裏五剣を巡る一連の事件の中で手に入れた二振一対の短刀“紅葉・経若”。
今までは、アンティークショップ・レンの地下にある四次元(の如き)倉庫に保管していたのだが……
「何しろ、コイツを狙ってる相手は只者じゃ無さそうだからね……。念には念をって訳さ」
“鬼真柄”を奪った、鬼を操る謎の法師。藤原・千方。
名前以外は殆どが未だ謎に包まれた相手である。蓮の心配もある意味では当然と言えた。
「で、今度はいったい何をしろって言うんだ?」
「なぁに、そんなに難しい話じゃないさ。強いて言うなら……宅配便の真似事ってトコかねぇ」
そう言って蓮は何時もの変わらぬ様子でタバコを燻らせニヤリと笑う。
その表情からは、蓮が自分で言うほどには事態を重く見ていないような、そんな感じが見て取れる。
「ああ、ちなみにアタシは今回も同行は出来ないから、その心算でシッカリ頼むよ」


◆いざ鹿島へ◆

―― アンティークショップ・レン / 店内 ――
「明らかに! 色んな意味で駄目っぽい、出来れば関わり合いになるのは御遠慮させて頂きたい的な物騒なオーラがバリバリ出てる其れを俺らに運べと!?」
 呼びかけに応じて集まってくれた五人が揃ったことを確認し、蓮がアンティークショップ・レンの地下倉庫から引っ張り出してきた天下裏五剣のひとつ、二振一対の短刀“紅葉・経若”を目にした途端、宵守・桜華(よいもり・おうか)はそう言って大仰に溜息を吐いて見せる。
「さすが天下に名高き伝説の鬼女の名を冠する妖刀、といったところでしょうか……」
篠原・美沙姫(ささはら・みさき)もまた同様、態度こそ表に出さぬものの“紅葉・経若”から発せられる尋常ならざる妖気に並々ならぬものを感じていた。
そこには、遍く万物に宿る精霊と交感する術を修めた“使い人”たる美沙姫ゆえに感じる点があったからかもしれない。
「しかし、なんと言うか……回収した時も相当に強い妖気を纏ってましたけど、更に妖気が増してませんか?」
蓮がこの“紅葉・経若”を回収した際にも同行していた櫻・紫桜(さくら・しおう)。彼が口にしたその言葉は正しく真実であった。
「ああ、その通りさ。あの時は……あの地方一帯に“結界”を張るための呪力をこの“紅葉・経若”から吸い出してたからね。ほとんど空みたいなモンだったのさ」
「つまり……時間が経過と共に妖力を取り戻したのがこの状態と、そういう訳ですか」
何事か考え込むように呟く加藤・忍(かとう・しのぶ)のその言葉に首肯する蓮。
日を追うごとに確実に妖力を蓄えてゆく“紅葉・経若”。それは八百万をはるかに超える数の人間が集まり、日々を過ごし、様々な想念を吐き出す、この東京と言う都市に在るが故とも言えた。
「もう、ここまで来ると個人レベルでどうにかできるモンじゃないのさ。チャチな封印を施したところで一日だって持ちやしない。いまはまだ大丈夫だけど、このまま放っておけば……コイツの妖気に惹かれて集まった妖魅で街が溢れる、なんてコトだって有り得る」
そうなってからでは遅いのだ、と蓮は神妙な面持ちでそう告げた。
「なるほど……な。そう言う事なら急いだ方が良さそうだが……しかし蓮よ。こんな物騒なモンを封印する場所なんて、どこか心当たりはあるのかよ?」
個人の手に余るほどの強力な呪物を封印しようとなると、それには相応の設備や施設が必要になってくる。それをどうするのか。ディオシス・レストナードは蓮にそう問うていた。
「そいつは心配ご無用。ひとつだけ、こういう物騒な代物を預けられる場所に心当たりがあるんでね」
しかし、ディオシスのそんな懸念を振り払うように、蓮はニヤリと笑ってそう答えた。

†††

「なるほど、鹿島ですか。確かにココでしたら安心かもしれませんね」
「……だろう?」
地図を広げて今度の目的地を皆に説明する蓮に、美沙姫はほうと僅かに嘆息を漏らしてそう呟いた。
茨城県・鹿島。そこは神代から人代へと世が移ろいし古の昔より、利根川を挟んで隣接する香取ともども剣の聖地・武の聖地として人々の信仰を集めてきた土地。
それと同時に、鹿島神宮に仕える祝部の国摩真人(くになずのまひと)が“鹿島の太刀”と呼ばれる最古の剣術が創始された地としてもつとに有名である。
「以前から連絡を取っていたんだけどね。つい先日、“紅葉・経若”の封印を引き受けてくれると知らせがあったのさ」
そう言って蓮は煙管を燻らせる。
千年以上にも及ぶ長い時、武の聖地・剣の聖地として人々の尊崇を集め浄域として在り続けたそこは、既に土地そのものがある種の魔を封じる結界の役割を果たしている。まさに妖刀を封じるにはうってつけと言えた。
「目的の場所は、まぁ判りました。ですが、宝を狙うものの立場から言うと、厳重な保管場所から別の保管場所へ移すときこそが、それを奪う最大の好機となります」
常ならば“奪う側”の人間である忍が呈する意見に、その場にいる全員が耳を傾ける。
「さらに言えば、これを狙う相手は人外の力を自在にする妖の徒。“紅葉・経若”の妖気を抑えられなくなった我々が次にどのような行動に出るか、読んでいると思って間違いありません」
藤原・千方と名乗った謎の法師の姿が忍の脳裏を掠め過ぎる。おそらく……いや、間違いなく、奴はこの機を逃しはすまい。
「狙われる可能性がある……しかも、おそらくは強行的な手段で。そういう事ですね」
紫桜の言葉に忍が頷く。
「そうなると、問題は鹿島までの移動手段ですね。……第三者への被害を考えると、やっぱり徒歩でしょうか」
「いや、紫桜の言う第三者への被害は確かに考慮しなきゃヤバイだろうが、だとしても徒歩じゃあ時間が掛かりすぎる。イコール、襲撃に晒される回数・確立が増すってコトだ。ここは多少の危険は覚悟の上で車を使ったほうが良いだろうな」
徒歩での移動という意見を提示する紫桜にディオシスが応え、運転手が居ないというなら俺がやろう、と言い加えてから他の四人に視線を投げる。
「俺個人としては、電車かなんか使ってパーッと行ってパーッと帰って来たいんですけど……ま、そう言うワケにもいきませんよねぇ」
「わたくしは……ディオシス様のご意見を支持いたします。移動の利便性と被害の軽減と言う点を考えると、徒歩や公共の交通機関による移動ではそのどちらかが犠牲になってしまいますから……」
丸眼鏡のブリッジに人差し指を押し当て位置を整えながら、やる気なさげに呟く桜華とは対照的に、美沙姫は真剣な表情でそう意見を述べる。
いや、別に桜華とて真にやる気が無い訳ではない。彼とて依頼を請けて仕事をこなすプロの端くれ、頼まれて引き受けた以上、仕事を蔑ろにするつもりはカケラもない。ただ……
『……頼まれたからには努力はしますよ、努力は。けど、厄介な仕事請けちまったなぁ……でも前金受け取っちゃったしなぁ』
と、言う気持ちがあるのも事実だった。
「まぁ、どのような手段、どのような経路で運んだとしても危険度にさほど違いはないでしょう。ですが、この二振の刀を誰にも渡すわけにはいかない。それだけは事実。……全力を、尽くしましょう」
皆の視線が自分に向けられていることを感じながら、最後に忍が口を開く。
刀のこと襲撃者のこと思うところは様々あれど、忍の言う、“紅葉・経若”を余人の手に渡す訳にはいかない、という点は、その場にいる誰もが思うところだった。


◆鬼事(おにごっこ)◆

―― Route126 / 千葉県・北東部 ――
東京都心から川崎へと車を走らせ、そこから東京都アクアラインに乗り千葉県・木更津へ。
「ふぅ、とりあえずココまでは何事もなく……って感じだな」
「そうですね……あ、お茶のおかわり如何ですか?」
木更津から更に房総半島を横切るような道を辿り、その途中からRoute126へ入る。
「いや、休憩はこれくらいにしておこう。美味かったぜ」
「いえ、お粗末さまで御座いました。それではティーセットを畳んでしまいますので少々お待ち下さい」
広げた地図と携帯型ティーセットを手早く畳む美沙姫を交互に見やりながらディオシスは、東京を出てからここに来るまでにまで辿ってきたルートと、ここから鹿島へ向かうルートの確認を行っていた。
「お待たせ致しました。それでは参りましょうか」
ティーセットの片付けを終えて車の助手席へと乗り込む美沙姫。その胸には二重に封の施された小さな桐の箱が抱えられている。
「……ったく、こんだけ厳重に封をしたってのにまだ妖気が漏れ出してきやがる。本当にとんでもない代物だな」
ディオシスは半ば呆れたような口調でそう言い放つと、自分も車の運転席へと乗り込みエンジンを始動させる。
美沙姫の抱える桐箱の中に収められたもの。それは二振一対の妖刀“紅葉・経若”の片割れ、刃長一尺八寸の小太刀“紅葉”。

あれから、本格的に移動手段と運搬方法を全員で話し合った結果、“紅葉・経若”にはそれぞれ別の封印を施し、更に二手に分かれてそれを運ぶ、と言う手法がとられる事となった。
そして、その片方“紅葉”の封印と運搬を任されることとなった美沙姫とディオシスのペア。
護法の術に長けた美沙姫が封印を担当し、戦闘技能に長けたディオシスが“もしも”の際には敵の迎撃に当たる。
なかなかにバランスの取れた編成と言えた。

「このまま、何事もなく目的の場所まで行ければ良いんですけど……」
60キロ弱、やや早めの速度で目的地である鹿島へ向かってひた走る車のその助手席で、“紅葉”の収められた桐箱を胸に美沙姫がポツリとそう呟く。
「おそらくは無理、だな。具体的にどんな能力を持ったものかは知らんが、これほどの妖気を放つ破格の呪物だ。人妖問わずコイツを欲しいと思う奴は山ほどいるだろうさ」
ハンドルを握り前方をジッと見つめたままでディオシスがそう言葉を返す。
「……そう、ですよね」
胸に抱えた桐箱を抱く手にギュッと我知らず力が篭る。
美沙姫とて、それは判っていた。自分が呟いたその言葉がただの楽観でしかないことを。
蓮から連絡を貰ったとき彼女は、「まぁ、もしもの時の保険ってヤツさ」などと軽く言ってはいたが、真実“もしも”の備えであるなら蓮は美沙姫に連絡などしなかったろう。
『わたくしの、『使い人』としての力が必要だと判断した。そういうことですね』
考えて、美沙姫は思いを新たにする。心なしか胸の桐箱の重さが増したような気がした。
「……おい」
その時だった。先程までとは明らかに異なる重々しい口調でディオシスが助手席の美沙姫に声を掛ける。
「はい、なんでしょうか?」
その声に美沙姫は淀みなくそう応えながら、半ば思考の海に埋没していた感覚を一気に現実へと引き戻す。
「……おいでなすった!」
言うと同時に力いっぱいアクセルを踏み込むディオシス。突然の加速によって生まれた慣性に引き摺られ、美沙姫の体が大きく前につんのめる。
「ちょ、ディオシス様。いったい何事……ッッ!?」
そう口に出した瞬間、美沙姫ようやく“それ”に気がつく。研ぎ澄まされた霊感に突き刺さる禍々しい気配。
「この屍臭と腐臭が入り混じった様な穢れたニオイ。相変わらずだな、ったく鼻が曲がるってのはこのコトだぜ」
ディオシスが吐き捨てるように言い放つ。
龍の血をその身に宿すが故に常人とは比べ物にならないディオシスの五感。とりわけ嗅覚をひどく刺激するそのニオイ。それは“鬼”と言う名の人外の化物が放つものに他ならない。
「……あれは!?」
美沙姫の口から漏れる驚愕の声。
法定速度をはるかに超えた時速100キロという速度で車を走らせるディオシスたちに、その気配は易々と追いつき、遂にバックミラーへとその姿を映す。
『ギ、ギ、ギヒャハハハァ……』
聴こえるはずのない厭らしいその声が耳をつく。鏡に映る醜悪なその姿が眼を汚す。
もとは法衣であったであろう衣服は襤褸襤褸(ぼろぼろ)に破れ見る影もなく、その赤茶けた肌はまるで疱瘡を罹したかの様に醜く爛れている。
「ディオシス様ッ!」
「クソッ、なんて速さだ……」
はじめは豆粒のようだったバックミラーに映るその姿は刻一刻とその大きさを増し、少しでもスピードを落とせば忽ちのうちに追いつかれてしまいそうだ。
『ギヒヒヒヒッ』
口の端を大きく歪め、牙を剥き出しにして鬼が哄笑う。それは、獲物を追い詰めることを悦ぶ嗜虐の笑み。
「……野郎ッ、遊んでやがる!」
その笑みの意味を悟ったディオシスが堪らず唇を噛む。
本気を出せば何時でも追いつけるにも関わらず、鬼はワザと手を抜き速力を加減してディオシスたちを逃げ回る様を見て愉しみ、それを追い積めることを愉しんでいた。
「……ここで、迎撃しますか?」
助手席の美沙姫がディオシスに問う。いまここで足を止めヤツを迎え撃とうか、と。しかし、
「いや、いまここでヤツとやり合えば周囲に相当な被害が出る。それだけは何とか避けなきゃならねぇ」
ブレーキは一切踏まず、ハンドルを右へ左へ動かし前方の車を躱しながらディオシスが応える。
いま自分たちが走るこの道路の交通量。ディオシスが言うように、もし今ここで車を停めてヤツを迎撃すれば、関係のない一般の通行車両にも被害が及ぶであろうことは明白。ならば……
「すまん、美沙姫。飛ばすぞ」
 ディオシスは短くそう告げると、美沙姫の返事は待たず左手をギアへと飛ばす。
「……え?」
その言葉の意味を量りかねた美沙姫がそんな間の抜けた返事を返すが、それは既にディオシスの耳には届かない。
ディオシスの、左足がクラッチを捉え、左手がシフトレバーを滑らせ、そして右足が一気にアクセルを踏む。
一瞬の淀みもない流れるような操作を受けて、鋼の心臓が眼を醒ます。
「きゃぁぁぁぁぁ……ッ!」
先程とは比べ物にならない突然の急加速。美沙姫の悲鳴が車中に響く。しかし、それすらも今のディオシスには意中の外だ。
「鬼事か……上等だ。捕まえられるモンなら、捕まえてみやがれッ!!」


◆隠れ鬼◆

―― 東京外環道 / 三郷JCT付近 ――
アンティークショップ・レンを発って直ぐ首都高に乗り東京外環道へ入り、そこから常磐道を目指し東進していたときのことだった。
「なぁ、忍、紫桜」
「はい?」
「……どうかしましたか?」
不意に、車の後部座席で手持ち無沙汰にしていた桜華が、助手席で地図を広げてナビをしている紫桜と運転席の忍に声を掛ける。
「俺は、この物騒なブツに関する事件に首ィ突っ込むのは今回が初めてな訳ですけど、おたくらは……これまでにも何度か関わってて、俺よりかは事情に詳しいんですよねぇ?」
「ええ、まだ判らない事の方が多い気もしますが、多少は」
そう問い掛けてくる桜華に、紫桜はナビの手を休めて後部座席を振り返る。さすがに運転を預かる忍はそう言う訳にも行かない様だが。
「だったら、今のうちに簡潔にでも良いですから、これまでの経緯を聞かせちゃ貰えませんかね?」
桜華はそう言うと、自分の傍らに置いた、妖気の放出を余人の眼から隠すために封術を施した布を幾重にも巻きつけた天下裏五剣“紅葉・経若”の片割れ、刃長七寸の白鞘刀子“経若”をポンポンと叩いてみせる。
これまでに一体どんなことがあったのか。この物騒な刀を狙っているのがどんな連中なのか。それらの事情を知っているのといないのとでは必然、アクシデントに遭遇した際の対処法が違ってくると言うものだ。
「…………」
桜華のその問いに紫桜は迷う。果たして、話してしまって良いものかどうかを。
この天下裏五剣に関わる事件の中で起きた事を思うと、それを口に出すことを躊躇わずには居られない。それ程に凄惨な出来事が多すぎた。
考えて、紫桜は隣の運転席に座る忍へと視線を向ける。忍は何も言わずにただ首を縦に振り、応える。
「……そう、ですね。判りました。これまでに何があったか、お話します」
一瞬の逡巡のあと、紫桜はそう言うと、ゆっくりとこれまでの経緯を桜華に語り始めた。

―― 十分後。

「刀を狙う怪しげな法師やら人外やらとの間で繰り広げられる血みどろの大惨劇……」
一通りの話を聞き終えた桜華は、そう呟くと何事か考え込むようにして頭を抱え、
「スイマセン運転手さん、俺ここで降ります。いや、マジで、勘弁してー!」
そう言って突然ガタガタと騒ぎ出した。
「……残念ですけど途中下車は出来ませんよ。ここは高速道路ですから」
「嘘です、冗談です。だから、そんな眼で睨まないで下さいよ」
しかし、それも一瞬のこと。バックミラー越しに後部座席へ冷たい視線を送る忍の様子に桜華は直ぐ調子を元のものに戻す。
「話を聞くと確かに相当ヤバイ代物みたいですけど……ま、何とかなるでしょ。そんな暗い顔しないで気楽に行きましょうよ」
そう言うと桜華はカラカラと勢いよく笑って見せる。
どうやら先の言動は重苦しい車中の空気を吹き飛ばすための寸劇の様なものだったらしい。なんとも楽天家の桜華らしい振る舞いだった。
「ふふっ、桜華さん、あなたって人は」
その証拠に、そんな桜華の様子を見ていた紫桜の口からは僅かに笑みがこぼれ出していた。

†††

―― Route126 / 茨城県・利根川沿い ――
東京外環道から常磐道へ、そして茨城県内に入ったところで高速を降りて利根川沿いを東へ進む。もしこのまま何事もなく進めれば、程なく目的地の鹿島へと入れるだろう。だが……
「忍さん、桜華さん……」
どうやら、そう簡単に事を進めさせてはくれないらしい。
「ええ、まだ追ってきてますね」
「襲って来るなら来るでチャッチャと来れば良いモンを……ったく、面倒な」
茨城県内に入ってから程なくして。一行の車と付かず離れずの微妙な距離を保ちつつ、纏わり付くように追って来る何者かの気配に、忍たちはその神経を磨り減らしつつあった。
「……何者、でしょうか」
紫桜はいつ襲われても良い様に気をピンと張り詰めながら、その疑問を口にする。
事前に蓮に頼んで手に入れておいた地図に記された“敵の襲撃が予測されるポイント”を通過したときにも、その気配はまったく何のアクションも示さなかった。
「どんな素性の者かは判りませんけどね。私たちを追ってきているのは確かです。しかもこいつは相当に厄介な相手ですよ」
忍のその応えに紫桜は静かに首を縦に振る。
忍が言うように、いま一行を追って来ている相手は間違いなく並ではない。まるで存在そのものが希薄であるかの様な、一瞬でも気を緩めればたちどころに見失ってしまいそうになる桁外れの隠形の業がその証拠だ。
「どうします? 向こうから仕掛けてくる様子はないみたいですケド、今のこの状態はあんまり気分の良いモンじゃない」
隠形の僅かな隙間から漏れ出す瘴気が桜華の黒く染まった魂を刺激することから見ても、十中八九、相手は人間じゃない。
「確かに、迎え撃つのも一策ですが、私たちの仕事はあくまで“経若”の護送です。それに、もうしばらくすれば鹿島の浄域。……とりあえず、そこまでは様子を見ましょう」
忍の言葉に頷く二人。どうやら全く得体の知れない相手を今この状況で相手にするコトは得策ではないと判断したようだ。
「ディオシスさんと美沙姫さん、無事だと良いんですが……」
追っ手を振り切らんと速度を上げる車中に、自分たちとは別行動を取るディオシスと美沙姫を案じ、そう紫桜が小さく呟いた。


◆剣の聖地◆

―― 鹿島神宮 / 境内 ――
ディオシスと美沙姫が、忍と紫桜と桜華たちが、それぞれに鹿島を目指して車を走らせていた頃。
「……何も変わらんな、ここは」
彼らの目指す場所、剣と武の聖地・鹿島神宮の境内に一人の男の姿があった。
痩せこけた頬、落ち窪んだ眼窩、伸びるがまま任せた黒髪。黄昏時にすれ違えば幽鬼と見紛うばかりのその様相。ただ、視線だけは抜き身の濡刃の如き鋭さを保ち、辛うじて彼が生ある者であることを物語っている。
「……懐かしい」
清浄な神気に満ちた鹿島の奥宮。
眼を瞑れば、師や兄弟子らと共に木刀を片手に一心不乱に剣の稽古をする幼き頃の己の姿が瞼の裏に浮かんでは消える。
「だがッ!」
男はその懐かしい情景を振り払う。いまの自分にそんな思い出など必要ない、一切の未練もない、と言わんばかりに。
妻子の仇を討つために故郷を捨て、ただ鬼を追う者としてのみ在った半生。
しかし、ようやく見つけた手掛かりを追って辿り着いたのが、捨てた筈の故郷、この鹿島の地とは……。
「天啓か、それとも只の皮肉か……」
それを思うと腹の底から黒い笑いが込み上げてくる。しかし、いまはそんな衝動に身を預けている暇はない。
鼻を鳴らさずとも感じることが出来る、刻一刻と迫る“鬼”のニオイ。もはや寸毫の時も惜しい。
「嗚呼、待ち遠しい、待ち遠しい、待ち遠しい。早く来い、速く来い、疾く来いッ!」
ともすれば狂笑と共に漏れ出しそうになるそんな言葉を、僅かに残った理性でねじ伏せて、男は身を潜める場所を探し始めた。

†††

―― 鹿島神宮 / 参道 ――
「どうだ、撒いたかッ!?」
鹿島神宮の楼門へと続く参道を駆け抜ける二つの影。息急き切らせ、ときに背後を振り返りながら走る一組の男女。
「いえ、判りません。とりあえず、気配は感じられませんが……」
それはディオシス・レストナードと篠原・美沙姫の二人であった。
風の如き圧倒的なスピードで迫り来る追っ手の鬼をどうにか振り切り、鹿島の浄域に入った二人だったが、それでもなお鬼の気配は執拗に二人の後を追ってきていた。
「おそらく、浄域に入ったことでヤツは俺たちと“紅葉”の気配を見失ってる。……このまま奥宮まで一気に行くぞ!」
「はい!」
蓮の言に拠れば、目的地の鹿島神宮その奥宮では既に封呪の準備に掛かっていると言う。
『奥宮まで、そこまで行ければ、この勝負は俺たちの勝ちだ』
背後に迫る禍ツ風を、鬼の気配と哄笑を感じながら、ディオシスと美沙姫は奥宮を目指してひた走る。
そして二人はそのままの勢いで朱楼門を抜け、本宮へと差し掛かったときだった。
「ん、ディオシスさんに……美沙姫さん。どうやら、無事だった様ですね」
どうやら先に辿り着いていたらしい、忍、紫桜、そして桜華の三人が拝殿の前に立っていた。
『ディオシス様』
“紅葉”が納められた桐箱を手に外套の裾をはためかせながら走るディオシスの隣を走る美沙姫がチラリと視線で合図を送る。
『ああ、わかってる』
念には念を。敵は様々な符術・方術を操る法師。アレが幻術によって作られた幻じゃないとは言い切れない。
ディオシスは美沙姫に言われるまでも無く己の内に秘められた力のひとつ“竜眼”を発動させ前方の三人に視線を注ぐ。
「大丈夫だ、あの三人は本物らしい」
しかし、どうやらその心配は杞憂に終わった。目の前の三人は紛れも無い本物だ。
「で、首尾は?」
「ああ、途中から何やらアヤシイ気配に追い掛け回されましたけど、まぁ何とか撒きましたよ」
封布を巻いた“経若”を小脇に抱えた桜華がディオシスの問いに応える。
忍たちを追っていた謎の気配は、彼らが鹿島の浄域に入るとほぼ同時に完全にその気配を消した。突然のことに不審さを感じはしたが、第一に優先すべきは“経若”の護送。その任を果たすために三人はこうして鹿島へ入っていた。
「それで、ディオシスさんたちは……」
どうだったのか。紫桜はそう訊ねようとして、そこで口を閉ざす。
ディオシスたちが走ってきた方向から迫る“鬼気”を感じたのだ。
「申し訳ありません。どうやら、撒ききれなかったようです」
美沙姫が申し訳無さそうにそう呟くのとほぼ同時。
―― 轟ッ!!!
瘴気を孕んだ禍ツ風が、剣の聖地に吹き荒れた。


◆四鬼ヶ壱・其の名は風鬼◆

―― 鹿島神宮 / 拝殿 ――
古の史書に曰く。
藤原千方といふ者かつて有り、金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼といふ四つの鬼を使へり。
金鬼、その身堅固にして、矢を射るに立たず。
風鬼、大風を吹かせて、敵城を吹き破る。
水鬼、洪水を流して、敵を陸地に溺す。
隠形鬼、その形を隠して、にはかに敵をとりひしぐ。

「ギ、ヒ、ヒヒヒヒヒッ!」
禍ツ風と共に現れた“それ”が喉を振るわせ軋り出すような、そんな耳に卑しい哄笑を上げる。
襤褸襤褸の衣服からのぞく赤茶けて爛れた肌。ぬらりと黒く光る額に生えた水牛の角。鋼すらも容易く切り裂く鋭利さを備えた爪と牙。
衣こそ虎皮ではないものの醜獪極まるその姿は人々が“鬼”と言う言葉から想像する人外の徒そのものだ。
―― 蕭。
そして、瀟洒な扇から流れ出る鈴の音の携えた白衣の法師が、
「なんだ、つまらないなぁ。鬼事は、ここでお終いですか?」
いま再び、五人の前に姿を現した。

†††

「……キサマ、藤原・千方!」
唐突に五人の前に姿を見せた白い法師の名を、ディオシスが吐き捨てるように言い放つ。その脳裏を過ぎる、死にたくないと訴えていた無辜の魂魄の姿。
「これはこれは、覚えて頂かなくても構いません、と言いましたけど……なるほど。誰かに名を覚えていて貰うと言うのは存外嬉しいものですね」
醜悪な巨躯を傍らに従えた千方がそう言ってニコリと笑う。
それはまるで事の善悪を知らぬ童のような無邪気な笑みと声音。
「やはり、現れましたね……外道」
いつもは飄々として、どこかしら冷めたような印象を見る人に与える忍が、その姿を前に僅かだが感情を露にする。
「……コイツが噂の藤原・千方ですか。なるほど、確かに心の底から腐ったような眼ェしてやがりますね。あ〜、やだやだ」
かつて、魔道に堕ちた魂を持つが故に、桜華には目の前のこの人物の内に巣食う魔の強大さが己の事のように感じ取れた。コイツは人のカタチをしてはいるが、間違いなく人外の者だ。
「ふふふ、光栄だね。『天喰い』とまで呼ばれた貴方にそう言われるとは」
しかし、そんな桜華の言葉も千方は皮肉めいた戯言を吐いてスルリと躱す。
「貴方の目的は、やはりこの“紅葉・経若”なんですか?」
「当然じゃないか。もとはと言えば、それは私が鬼無里で“実験”に使っていたものだったんだから」
紫桜の問いに千方は事も無げにそう返す。
あれほどの人を犠牲にしておきながら、それを“実験”の一言で片付ける千方に、紫桜は怒りを覚えずにはいられなかった。
「まぁ、そういう訳ですから……それ、返してもらえませんか? 私もあまり手荒なことはしたくないので素直に言うことを聞いてくれると助かるんですが……」
美沙姫と桜華。それぞれが持つ“紅葉・経若”を指さして、千方がクスリと嘲う。
「申し訳ありませんが、貴方の言葉に『はい、そうですか』と従う訳には参りません。もし、力尽くでと申されるなら、こちらも相応の“お持て成し”を、させて頂きますわ」
しかし、邪気すら孕む千方の視線と言葉を、美沙姫は毅然とした且つ常からの優雅な態度で一蹴してのけた。
「……ふふふ、そうか、なら仕方ありません。お望みどおり、力尽くで」
千方の貌に差す“魔”の色が一気にその密度を増す。
五人もまたそれぞれに戦に臨む姿勢を取る。
「やらせて頂きましょうかッ!」

†††

「ギ、ガヒャァァァァッ!」
鹿島の神域、その静寂を打ち破るような咆哮を上げて千方の傍らの“鬼”が五人を目掛けて襲い掛かる。瘴気を孕んだ禍ツ風を纏い突進するその姿は、正に風が形を成した“風鬼”と呼ぶに相応しい。
「あのバケモノは俺がやる。美沙姫と桜華は刀を守りながら援護を、忍と紫桜はあのクソ野郎だッ!」
『応ッ!(はいッ!)』
先陣を切るディオシスに残る四人の声が続く。
「……精杖シャイニング・ソウル、お目醒めなさい」
それぞれが得物を抜き放ち目標へと向かって疾走る姿を意識の中に収めながら、美沙姫は赤く輝く襟元のブローチに手を添えて、静かに目醒めの言葉を呟いた。
そして、その声に応えるかのように美沙姫の胸元のブローチは見る間にその姿を精杖シャイニング・ソウルへと変えてゆく。
「切り裂け、“風牙斬”」
精杖を片手で構え言葉と共に振り下ろす。杖の先から迸る霊気は風の刃へとその姿を変え、一直線に術者の意図した標的へ、即ち“風鬼”へと向かって突き進む!
―― ビュンッ!
刀を構え駆けるディオシスの脇を走る抜け、風の刃が鬼の躯を完全に捉えたかに思えた。しかし、次の瞬間。
「ガァァァァッ!」
雄叫びと共に振り下ろされた鬼の爪が、美沙姫から放たれたそれの倍以上はあろうかと言う巨大な風刃を紡ぎ出す。
―― バチンッ!!!
風の刃同士の衝突は、空気を切り裂く耳障りな音を周囲に響かせて、そして何事も無かったかのように春風に紛れて消える。
「そんなッ!?」
美沙姫は我が目を疑った。如何に術式と詠唱を省いた短詠唱呪とは言え、こんなにも容易く弾かれるなんて。
「あははははッ、そんな小さな風の刃で私の“風鬼”を切り裂こうなんて!」
その様を千方が然も滑稽な見世物であるかのように笑い飛ばす。主のそれに合わせて鬼もまた下卑た笑いを浮かべる。
その名の通り“風”の力をその身に宿す四鬼のひとつ“風鬼”。城をも吹き飛ばすと伝えられしその鬼は、まさに伝承に違わぬ大風の化身だった。
「なら、これはどうだッ!」
「グギャァァァァッ!」
だが、その下卑た笑いも長くは続かない。美沙姫の放った風の刃、その死角から飛び込んできたディオシスの剣閃が、勝ち誇る鬼の躯に斬傷を刻む。
「術法が効かねェなら、直接斬り刻めばいいだけのこと。オラ、膾みてぇにしてやるから覚悟しやがれ。美沙姫、援護と牽制は任せたぜ」
「……はいッ!」
傷を押さえてよろめく鬼に右手に持った刀の鋒を突きつけて、今度はディオシスがニヤリと笑う。その言葉に、美沙姫もまた余裕を取り戻し、微笑を浮かべディオシスの言葉に応えてみせた。


◆狂法師◆

―― 蕭。
「……ツゥ!」
「クソッ!」
忍の放った胴薙ぎの一閃、紫桜の繰り出す渾身の袈裟。しかし、如何に威を込め放とうと千方はいとも容易くその白刃を掻い潜り、まるで何事も無かったかの様に笑みを浮かべている。
「はて、どうしました? 私を斬るんじゃなかったんですか?」
まるで霧に映った幻影を相手にしているかの如き手応えの無さに、二人は端から見て思う以上に体力を消耗してしまっていた。
「ヤベェ……忍も紫桜も、完全にヤツの術中にハマっちまってる」
ただ一人。その様子を後方から見ていた桜華だけが、千方の術を『看破』していた。
―― 蕭。
それは、千方の扇の先端に取り付けられた銀鈴の音を媒介にした幻術の一種。
霊的感覚を摺り抜けるほどの微量な霊力を鈴の音に乗せ、耳から三半規管、そして脳へと叩き込むことで相手の平衡感覚や身体感覚を阻害する。問題は、その隠性を保つために鈴の音に込められた霊力が弱く、その威力と効果範囲が大きく制限されるという点。
「馬鹿、な……」
「何故、あたらないんだ」
しかし、それも近接戦闘と言う限定された環境下で用いるのなら弱点は弱点足り得なかった。
「忍、紫桜。アイツに接近戦を挑んだ所で時間の無駄。どうしようもない」
息を切らせながらも、己等の不利を悟って間合いを広げた忍と紫桜に、桜華は千方が用いたカラクリを説明する。
「それはまた、厄介極まりない術ですね……」
それを聞いた忍が口惜しげにそう呟く。
「ええ。俺も忍さんも術法とかの遠当ては門外漢。どうしたもんでしょうね」
どうやら千方は自分から攻めてくる気はないようで、勝負は完全な硬直状態に陥っていた。
得物を構えたままで対峙する四者の間に降りる沈黙の帳。戦闘と言う環境下で極限まで遅速化された自覚時間。
「草も木もわが大君の国なればいづくか鬼の棲なるべき」
しかし、忍の放ったその一言が、一気に時間の流れを加速化させた。
「それは……」
忍が口ずさんだその歌、それが如何なるものか紫桜は知っていた。

草も木も、この世に生を享けるものはすべて、天の皇の治に従う。
 鬼といえども、天の皇に背いてこの国に住むことはできぬと思え。

それは、かつて四鬼を率いて朝廷に反旗を翻した藤原・千方という男を無力ならしめた歌。
勅命を果たせし英雄“紀朝雄”が詠んだ歌。
それは、歌に込められた“言霊”を千方にぶつける事で、何がしかの反応を引き出そうと考えた忍の策だった。だが、
「くっ、くくくくく……これはまた、なんとも懐かしい歌を詠んでくれるものだ。しかし、今の私がそのようなもので動揺するとでもお思いですか?」
しかし、千方はその言葉とは裏腹に笑みを象った能面の如きその顔に、狂笑と言う名の亀裂を刻みながら、滔々と言葉を吐き出し続ける。
「千年の昔ならいざ知らず、長き時の間にこの世で最も尊き天孫の血は雑種の血によって穢された。世界は純血でなければ死んでしまうというのにッ! ……嗚呼、駄目だ、駄目だ、駄目だ、許せない。吐き気がする! 今世の皇に天の治意など欠片ほどでも有るものか。日の本を統べる資格が有るものかッ!」
天を仰ぎ慟哭するその姿に、はじめてその姿を現したときの超然たる様子はどこにもない。優雅な口調も所作の典雅さも消え果てて、そこに居るのは、狂然たるナニカに支配された人外の者の姿。
「今世の皇に天治の威は無い。なれば今こそ、千年の悲願である主顛を成して私が天意を戴くまで! その為に、私には膨大な呪力が要る。大呪(おおまじない)を行う為の呪力がなッ!」
 浄域の神気を飲み込むほどの圧倒的な瘴気を吐き出し天に向かって吼える千方の貌は、最早“鬼”そのものだった。
「……コイツ、完全に狂ってやがる」
その様に、桜華が吐き捨てるように呟いた。
忍は思う。これが同じ人なのかと。紫桜は思う。これが、かつて人であったモノなのかと。


◆鬼を狩るもの◆

「オオオオォォォォォッ!」
美沙姫が放つ浄化術の炎を纏わせたディオシスの斬撃が、遂に“風鬼”の心臓を捉える。
「グギャァァァァァァッ!」
浄化の炎にその身を灼かれた鬼の断末魔。
巨大な躯が、その名の如く風の中に融けるようにして消えてゆく。最後に残った“式鬼”の符さえも。
鬼を葬り、常ならばこれで終わった、と言えたかも知れないが……
「ふむ、さすがに瘴気と自然物を混ぜ合わせて作った間に合わせ程度の“式鬼”では、簡単にやられてしまいますか」
今回は、そうは行かない。なにしろその“鬼”の親玉が残っているのだ。
「美沙姫、桜華。ココは俺等が何とかしてヤツの足を止める。お前ら二人はその間に“紅葉”と“経若”を持って奥宮まで走れ」
ディオシスは手にした刀を構え直すと、その鋒を千方へと向けた。
それを見て、再び千方が嘲う。口調や容姿こそ以前のものに戻っていたが、その身から吐き出される負気は尋常なものではない。
「……そうですね。今回の仕事は“紅葉”と“経若”を奥宮まで護送し、そして封印すること。それを考えれば、それが一番妥当でしょう」
忍もまたディオシスの意見に賛同し、ゆっくりと手にした刀を正眼に構える。
「えっ、ですが……」
しかし、美沙姫はそれを躊躇する。
眼前の法師は、おそらく先程の鬼などとは比べ物にならないくらい強大だ。確かに自分たちの務めは“紅葉”と“経若”を奥宮で封印することだが、この状況で仲間を置いて行くのは本当に正しいことなのか。
「大丈夫ですよ、美沙姫さん。今度は三人、絶対に勝ちます。美沙姫さんと桜華さんは安心して奥宮に向かってください」
紫桜がそう言ってニコリと笑う。いつものそれと違ってどこかぎこちない。だが、
「美沙姫、ここは皆の意見に従うべきでしょう。あのバカに、世にも危険な刃物を、しかも二振も、渡す訳にはいかねぇ、そういうコトです」
誰もそれを指摘しようとはしない。そして、桜華もそう言って美沙姫を説得する。
「……判り、ました。“紅葉”と“経若”は必ず、奥宮まで無事に届けてみせます」
ほんの少し、考え込んで、そして顔を上げた美沙姫の顔にもう迷いは無かった。

†††

「さて、随分と待たせちまったな。そう言う訳で、お前をココで足止めしなきゃならなくなった。そう易々とは通してやらねぇからな。覚悟しろ、オイ」
奥宮へと走り去る美沙姫と桜華の姿を確認してから、ディオシスは千方の方へと向き直る。
タバコを咥え、紫煙を燻らせながらニヤリと笑うその表情には何とも言えぬ迫力が滲み出ている。
「いやいや。もしかすると今生の別れになるかもしれませんからね。何ならもう少し待って上げますから、そちらのお二方にもお別れをしてはどうですか?」
しかし、千方もまた余裕の表情でそんな言葉を口にする。
その余裕の表情に忍の第六感が警笛を鳴らす。
おかしい。“紅葉”と“経若”をこの日本屈指の霊威を誇る鹿島の浄域に封印されてしまえば、如何に千方が強大な呪力を持っていたとしても、それを解くことなど出来はしないだろう。だと言うのに、この余裕……。
「……まさか」
忍の思考が辿り着いた答え。それは、
「ええ、そうです、その、まさかですよ。私の“式鬼”は一匹だけじゃない。“金鬼”となった“真柄の鬼”もいれば、道中あなたを監視させていた“隠形鬼”もいる。奥宮にそのどちらかを配して待ち伏せさせていると何故考えないのですか?」
まるで謳うように朗々と、千方は己の策を明かして聞かせる。
「……そんなッ!? 美沙姫さん、桜華さん!」
紫桜は半ば反射的に奥宮の方角を振り返る。
もしや今頃、この視線の先で美沙姫と桜華が……。それを考えると居ても発ってもいられない。
いっそ、この場を離れて二人を助けに行こうか……そう、紫桜が考えたときだった。

「ほぉ、その“鬼”って言うのは、まさか“これ”のことか?」

そんな、聞き覚えのある声と共に、ディオシスたちと千方が対峙する丁度その中間に、何かがドサリと投げ込まれ、ゴロゴロと地面を転がる。
「なッ……これは“隠形鬼”の、首!?」
それを見た千方の顔から余裕の表情が消え失せ、次いで驚愕のそれへと変わる。
ぶすぶすと黒い煙を上げながら影へと融けて消えてゆく“隠形鬼”の首。それを投げ込んだ何者かが、側道の林の中からゆっくりとその姿を現す。
「相模・影正……さん」
忍が噛み締めるようにその名を呟く。
「いや、なんとも奇妙な縁もあったものだ。こんな所で出会うとは」
果たしてそれは、忍が予想した通りの人物だった。
天下裏五剣の一振り“骨喰厳十郎影正”を携えて、妻子を喰い殺した仇の鬼を追う男。相模・影正。
「久しぶりだな、藤原・千方。……と、言っても貴様は俺を覚えてはいないだろう。何しろ俺は、これまで貴様が使い捨ててきた無数の駒の内の一人に過ぎんのだからな。それこそ路傍の石ころや、使い捨ての“式鬼”程度の認識しかあるまい」
影正はそう言うと千方の方へと向き直る。対する千方は、影正が放ったその言葉が気に掛かったのか、必死に何かを思い出そうとしている。ほどなくして、
「嗚呼、思い出しましたよ。あなたは確か、そうだ。東京にある皇の行宮を襲ったときに協力して頂きましたよね。いや、あの時は本当に助かりました。何しろ皇の行宮には私の“式鬼”はどうしたって入れませんからね」
そう言って、千方はようやく得心がいった子供の様な無邪気な顔を浮かべる。しかし、対する影正は、ただひたすらに心の底から震えが来る様な鋭い視線を千方に向かって投げるのみ。
「なに、あの時は俺も仇を討つ力が欲しかった。つまり、単なる利害の一致だ。礼を言われる筋合いじゃあない。……だがな、俺と貴様が“それ以前”に逢っている、と言ったら貴様は思い出せるか?」
影正の話が、ようやくその核心へと近づく。
「おい、おまえ何をワケ判らんことを……」
「黙って。いまは静かに二人の話を聞きましょう」
突然の闖入者にディオシスが抗議の声を上げようとするが、紫桜はそれを手で制する。
「さて、何時の事でしょうかね? 生憎と私の記憶に事の以前に貴方と逢った記憶はないのですが」
それは、千方としても同じだった様だ。とうの昔に使い捨てた駒が今ごろ一体なんの用だ。そんな感情が千方の顔からは見て取れる。
ここで、ようやく影正の表情に変化が見えた。
「嗚呼、そうだ。貴様の記憶は正しいよ。確かに、直接的には俺と貴様は逢ってはいない」
怒りでもなく、憎しみでもなく、喜びでもない。そのすべてを綯い交ぜにした感情をその貌に浮かべ、そして嗤った。
「だが、これなら覚えているだろう。貴様がこの鹿島に神代の頃から伝わる宝刀“平国剣”を奪おうと画策したとき。その守部を務めていた一家を襲い、斎宮の女とその娘を“式鬼”に喰い殺させたことだ」
影正が鬼を追う理由。その因となった“式鬼”。そして千方。そこですべてがひとつに繋がった。
「ああ、そうか。なるほど。あのときのことか。つまり貴方は……その斎宮の夫で、娘の父親だと、そういう訳か。……はははははは、なんて愉快な話なんだ。貴方は東京で、自分の妻と娘を殺した張本人に手を貸したと言う訳だ!」
底抜けの笑顔で嘲う千方。本当に可笑しいと、可笑しくて堪らないと、心の底から思っている、そういう嘲い方。
「……下衆め」
この外道だけは、どんな惨たらしい殺し方をしたとしても地獄に落とされることはないだろう。仁義を己の第一義とする忍でさえもそう思う。見ればディオシスも紫桜も湧き上がる怒りに我知らず手が震えている。
「貴様に言いたい事が、あとひとつだけ……ある」
しかし、そんな彼らの怒りとは裏腹に、影正は嗤っていた。
「……ははははは、はは、良いですよ。何でも仰って下さい。いや、これほど笑ったのは何時ぶりのことか。本当に、今日は気分が良い」
途切れることなく嘲い続ける千方。その姿を見て嗤う影正。そして……、
―― 死ね。
それは、もし地獄の底から咎人を迎えに来た死神が言葉を発するとすればこんな声なのだろう。聞いた者に、そう考えさせずにはおかない、そんな声。
―― ゴトリ……。
それに続く、人の首が落ちて、転がる音。
「……速い」
正に一閃。鍔鳴りの音すらさせない神速の居合い。
それは伝説の“鹿島の太刀”を創始した国摩真人より鹿島の七人の祝部たちに授けられ、一子相伝の秘事口伝として代々伝えられてきた七つの秘太刀の内のひとつ。“極意之居合”
そして、明らかに間合いの外であったにも拘らず、その首を落としせしめた妖刀“骨喰”の力。
「……終わった、か」
地面に転がる千方の首をみて、ディオシスがポツリと呟く。
それは、この法師の悪行を思えば些か呆気なさ過ぎるような……そんな気がしてならなかった。


■□■ 登場人物 ■□■

整理番号:5745
 PC名 :加藤・忍(かとう・しのぶ)
 性別 :男性
 年齢 :25歳
 職業 :泥棒

整理番号:5453
 PC名 :櫻・紫桜(さくら・しおう)
 性別 :男性
 年齢 :15歳
 職業 :高校生

整理番号:4607
 PC名 :篠原・美沙姫(ささはら・みさき)
 性別 :女性
 年齢 :22歳
 職業 :宮小路家メイド長/『使い人』

整理番号:4663
 PC名 :宵守・桜華(よいもり・おうか)
 性別 :男性
 年齢 :25歳
 職業 :フリーター/蝕師

整理番号:3737
 PC名 :ディオシス・レストナード(でぃおしす・れすとなーど)
 性別 :男性
 年齢 :348歳
 職業 :雑貨『Dragonfly』店主


■□■ ライターあとがき ■□■

 注1:この物語はフィクションであり実在する人物、物品、団体、施設等とは一切関係ありません。
 注2:法定速度・交通ルールはしっかりと守り、いつでも安全運転を心がけましょう。
 注3:作中の地名に間違いがあってもツッコまないで下さい。筆者は東北在住です。

 と、言うワケではじめまして、こんばんわ。或いはおはよう御座います、こんにちわ。
 この度は『天下裏五剣 斬之肆“鹿島の太刀”』への御参加、誠に有難う御座います。担当ライターのウメと申します。

 古よりの武と剣の聖地で繰り広げられる“鬼”どもとの戦い。そして復讐劇。如何でしたでしょうか?
 前回、ようやっと事件の黒幕っぽい人が出てきたと思ったのに、イキナリこんなことになるなんて……
 といった感じですが、ぶっちゃけて言うと「まだまだ終わりません」って言うか「終われません」
 こんな消化不良の状態で終わったら、私もストレスで入院しちまいます。
 どちらかと言うと、今回の話は本筋と言うよりも外伝に近い感じなのでご安心下さい。
 まぁ、終盤でのPCの皆様の活躍がすべてを物語ってるというかなんと言うか……。

 まぁ、そんな訳で今後も折を見て新しい話を発表していきたいと思っておりますので、ご期待下さると嬉しいです。
 今回は、なんかカミサマが降りて来ていたみたいで普段では考えられない執筆速度でしたが、
 いつも納品こんなに早いのか、と思うと色んな意味で火傷します。
 と、言うか以前“斬之参”にご参加頂いたお客様は……ご存知ですよね。スイマセン。
 今後は一層の精進を重ね、皆様に楽しんで頂ける物語を作れるよう頑張らせて頂きます。

 それでは、また何時の日かお会いできることを願って、有難う御座いました。