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<東京怪談・PCゲームノベル>


密室

 ――花の下にて

  【1】
 軽い衝撃と共に、エレベーターが突然止まった。
 少しぼんやりしていたシュライン・エマは、驚いて思わず階数表示を見やる。ランプは、五階を示す数字で止まっていた。が、扉の脇にあるボタンのランプは、乗り込んだ時に同乗している草間武彦が押したとおり、十階――最上階を示している。もちろん、五階で誰かが呼んだ可能性もあるが、しかしさっきから扉が開く様子もなく、誰かが乗り込んで来るふうもない。
 彼女は、草間と顔を見合わせた。
「事故か何かかしら?」
「かもしれないな」
 うなずいて草間は、扉の傍の緊急を知らせるブザーを押した。
『何かありましたか?』
 ややあって、ブザーの傍のインターフォンから、若い男の声が響く。草間が、エレベーターが五階で止まってしまったことを、説明した。
 しばらくやりとりした後、相手は告げた。
『わかりました。これからすぐに、そちらのビルへ向います。ただ……現在、道路がかなり渋滞しているため、到着は一時間後になります。このブザーは、姉崎警備システム管制センターに直接通じていますので、何かありましたら、これで連絡して下さい。それでは』
 どうやら、ビルの中に警備員が常駐しているわけでは、ないようだ。
 やりとりを終えて、草間は、どうする? と問いたげにシュラインを見やった。
「とりあえず、警備会社の人が到着するまで、待つしかないわね。……ただ、零ちゃんには連絡しておいた方がいいんじゃないかしら。心配すると思うし」
「そうだな」
 うなずいて草間はズボンのポケットから携帯電話を取り出したが、すぐに顔をしかめる。
「だめだ。圏外になってる」
「あら」
 彼の呟きに、シュラインも小さく目を見張った。
 エレベーター内にいるのは、彼女たち二人だけである。
 昨日たまたまテレビで、隣接する十六夜(いざよい)市の中央公園にある桜が見ごろで、一部はライトアップされて夜桜も美しいと報じられていたのを見て、シュラインと草間は夜桜見物をするべく、やって来たのだった。今現在閉じ込められているエレベーターがあるのは、駅に隣接して建てられているテナントビルだ。日が落ちる前に駅に到着したシュラインたちは、ここのビルの最上階にあるコーヒーが美味いと評判の店で、じっくりそれを堪能しながら、夜桜見物のルートを決めるつもりだったのだ。
 ちなみに零は、ここしばらくあやかし町商店街の催し物の手伝いをしているため、今日は二人より遅く出て、直接、中央公園で待ち合わせることになっていた。
 シュラインは、自分の携帯の時計を見やる。一時間なら、零との待ち合わせには、なんとか間に合うかもしれない。が、コーヒーは諦めるしかなさそうだ。
(……ということは、エレベーターが動いてからじゃ、見物ルートを決める時間も、ないってことよね)
 シュラインは、ちょっと考えてから、バッグの中から地図を引き出した。
「一時間、無駄にするのもなんだし、ここで相談しましょ」
「う〜ん。そうだな。別に、危険はなさそうだしな」
 草間もうなずき、彼女が広げた地図を覗き込んだ。

  【2】
 二人はそれからしばらく、地図を手にしてあれこれと相談に花を咲かせた。
 地図は、シュラインがインターネット上の十六夜市のサイトから印刷したもので、中央公園とその周辺の地理と桜の位置が書き込まれたものだ。
 公園といっても、元は小さな城のあった址なので、かなり広い。芝生のある広場に池、野外劇場と小さな音楽堂まで建っており、それらの間にいくつか種類の違う桜が植えられている。昨日のテレビでは、現在は五分咲きぐらいだと言っていた。ちなみに、ライトアップされているのは、野外劇場の周辺らしい。また、公園のあちこちには、夜桜見物の客を当て込んでの、飲食物を扱う屋台も出ているようだ。地図には、その屋台の位置も、しっかり載っている。
「……だいたい、こんな感じでいいかしら」
 地図上に、二人で決めたルートを赤鉛筆で薄く書き込んで、シュラインは呟いた。そうしながら、彼女は小さく身を震わせる。気のせいだろうか。先程から急に、エレベーター内の温度が下がったように感じるのだ。
(変ね。今夜はそんなに寒くはならないって、天気予報で言っていたのに)
 彼女は、思わず首をかしげる。時計を見ると、エレベーターが故障してから、ようやく三十分が経過したところだった。外はそろそろ日が落ちるころだろうか。
 と、ふいに。
『今あなたが印をつけた、その道を脇に逸れると、昔は城の天守閣があったという、高台へ行けるんです。あまり人には知られていませんが、きっと今ごろ、桜が素晴らしい眺めだと思いますよ?』
 穏やかで優しげな声が、あたりに響いた。
 シュラインは、ぎょっとして顔を上げる。草間も、飛び上がらんばかりにして、あたりを見回していた。
 当然だ。ここにいるのは、彼女たち二人だけなのだから。
「今の声って……」
「もしかして、警備会社の?」
 思わず二人は顔を見合わせ、それから草間が、ふいに思いついたように、扉の脇のブザーの方を見やった。が、その傍のインターフォンからはなんの音も聞こえて来ない。そもそも、あちらにはこのエレベーター内の様子を知る方法がないのだ。ましてや、夜桜の見どころについて口にするなど、あり得ない。
 二人が再び顔を見合わせた時、またもや声が響いた。
『申し訳ありません。驚かせてしまいましたか……』
 今度は、声のする方向もはっきりわかった。二人がいるのとは反対側の、エレベーターの隅である。シュラインは、思わずそちらを見やった。そしてそこに、ぼんやりとした人影のようなものを見つける。
(もしかして……幽霊?)
 シュラインは、思わず目をしばたたいて、胸に呟いた。
 草間の仕事を手伝う過程で、実物の霊と遭遇したことは何度もあるので、相手が無害だとわかれば、無闇と怖がるつもりは、彼女にはない。しかし、こんな所にいるということは、いわゆる自縛霊の部類だろうか。
「……おまえ、さっきからずっとそこにいたのか?」
 同じく霊との遭遇には慣れている草間も、慌てず騒がず、尋ねる。
『おや。私を怖がらないんですね。……ええ、ずっとここにおりました。というか、死んで以来、ここから離れられないものですから』
 ぼんやりとした人影は、どこかうれしそうに言って、少しだけ二人の方へ近づいて来たように見えた。
『たいていの方は、私を怖がりますから、いつもはじっと大人しくしているんですが……あなた方が夜桜見物の話をしているので、つい、声をかけてしまいました』
「この公園のことに、詳しいんですか?」
 霊の言葉に、シュラインは尋ねる。霊は、うなずいて言った。
『はい。……ああ、申し遅れました。私は、芝崎俊夫と申しまして、生前はタクシー運転手をしておりました。中央公園の傍で生まれ育って、あのあたりには詳しいもので。おかげさまで、桜の季節になりますと、何組もの観光客や花見に向かうお客さんをお乗せしたものです。老人や障害者の方の、案内を頼まれたこともございますよ。あの公園のこととなると、ついつい熱が入ってしまって……ですが、それを喜んで下さるお客さんも多くて、楽しゅうございました』
 生きていたころのことを訥々と語る霊の口調は、本当に嬉しそうで、同時に懐かしげなものが含まれている。
(悪い霊じゃなさそうね。生きている時に会っていたら、私たちのことも、案内してくれたかもしれないわ)
 ふとシュラインは、そんなことを思った。
(ここで出会ったのも、何かの縁だし……見物のルートについて、この霊に相談してみるのも、悪くはないかも)
 ちらりと草間を見やると、彼も似たようなことを考えているらしいのが、なんとなくわかった。それで、シュラインは芝崎俊夫と名乗った霊に、声をかけてみる。
「あの……。もしよかったら、この公園ならではの見物スポットとか、美味しい屋台とか教えてもらえないかしら」
『私でよければ、もちろん、よろこんでお教えしますよ』
 嬉々として弾むような声が、芝崎から返って来た。シュラインは、草間をふり返る。
「相談に乗ってもらって、いいわよね? 武彦さん」
「ああ」
 草間もうなずく。
『それでは――』
 芝崎の声と共に、人影が二人のすぐ傍までやって来た。途端に、彼女たちの周囲だけ、温度がぐんと下がった気がする。
(……さっきの寒さは、芝崎さんのせいだったのね? いえ、もしかしたら、このエレベーターの故障も、この人のせいなのかしら。……そういえば、どうしてこの人はこんな所にいるの? 事故か何かに、巻き込まれたのかしら)
 それにしては、穏やかすぎる霊だと考えながら、シュラインは改めて地図を見やった。
 それへ人影から、腕らしいものが伸びて来て、地図の上を指し示す。
『さっき私が言ったのは、地図ではこのあたりになります。道は狭くて、少し急勾配になってますが、月が出ていれば、夜でもまったく問題なく登れます。……ここの桜は、本当に見事ですよ。それに、見晴らしもいいですから、月夜なら最高です』
「ええっと……たしか、月はかなり太かったように思うわね」
 シュラインが、少し考えて言う。
「ああ。それに、昼間は天気が良かったから、たぶん、月もきれいなはずだ」
 草間もうなずいた。
『それならきっと、素晴らしいですよ』
 芝崎は言って、また別の地点を示す。
『ここの屋台は、私が死んだころと同じなら、関西風のそりゃあ美味いタコ焼きを売ってます。一般的に、関西の味は私ら関東の人間の口には合わないといいますけど、ここのタコ焼きだけは別でしてね。なんというか、東西関係なく、美味いものは美味いんだと、食べる人の舌を唸らせる、そういう味なんですよ』
「それはぜひ食べてみたいわ。まだ夜になったら肌寒いし、きっと体もあったまるわね」
「零が喜びそうだな」
 小さく目を輝かせるシュラインに、草間もうなずく。
「そうね」
『おや、他にお連れの方がおいでなんですか?』
 二人のやりとりに、芝崎が尋ねた。
「ああ。妹と、公園前で待ち合わせることになってるんだ」
『ああ、なるほど。では、家族で夜桜見物ですか』
 うなずく草間に、芝崎は納得したように返す。
 「家族」という単語に、シュラインと草間は、一瞬思わず目を見交わした。
(芝崎さん、私たちのこと、夫婦だと思ってるのかしら?)
 シュラインは幾分気になったものの、否定するのも妙な気がして、黙っていた。草間も同じく、何も言わない。
 だが、二人の微妙な沈黙に、芝崎はすぐに気づいたようだ。
『これは失礼しました。とんだ勘違いを。……私はこう見えて、少しばかりそそっかしいもので。それでよく、妻や娘にも叱られたものです』
 詫びの言葉を口にして笑うと、芝崎は再び、地図に向かう。
 シュラインと草間は、苦笑混じりに顔を見合わせ、芝崎の話に再び耳を傾けるのだった。

  【3】
 そろそろエレベーターが止まって、一時間が過ぎる。警備会社の人間たちも到着するころだ。
 芝崎のおかげで、シュラインたちの夜桜見物のコースも一通り決まった。テレビでやっていた、野外劇場の傍のライトアップされた桜を見て、それからゆっくり歩いて桜を見ながら、屋台で彼おすすめのタコ焼きを食べ、いくつかの桜を回って最後に、高台に登ってそこの見晴らしと桜を楽しもうということになったのだ。
「ありがとう。おかげで、思っていた以上に楽しめそうよ」
 シュラインは礼を言ったあと、ふと思いついて尋ねた。
「ところで、芝崎さんはどうして死んだの? ここにいるっていうことは、このエレベーターの中で?」
『はい。……まあ、間が悪かったのでしょうなあ』
 この三十分ばかりですっかり打ち解けた芝崎は、半ば自嘲気味に言って、自分が死んだ訳を彼女と草間に話した。
 一言でいえば、彼は事件に巻き込まれたのだ。
 このビルまで客を乗せて来て、下ろしたところが、つり銭を渡し間違えたことに気づいた。それで慌てて客の後を追ってこのビルへ飛び込んだのだ。ところが、一足違いで客は、エレベーターに乗り込んでしまった。
『……そこで、諦めればよかったんですな。つり銭の間違いと言っても、そう大きな額ではなくて、人によったらチップだと思って取っておいてくれ、というようなものでした。でも私は、自分がもらうべきではないものを手にするというのが、どうにも気持ち悪くてならない性分でしてね。それで、お客さんの乗ったエレベーターが、五階で止まるのを見て、隣にあったもう一基のエレベーターで同じ階へ向かったんです』
 芝崎は吐息をつくように言って、続ける。
 彼が乗ったエレベーターには、途中の三階から、男女の二人連れが乗り込んで来た。二人は、入って来た時から、口汚く罵り合っていたが、ドアが閉まってエレベーターが動き出した途端、男の方がいきなりポケットからナイフを出して、女に突きつけたのだ。芝崎は驚いて、それを止めようとした。そして、間に入って男ともみ合ううちに、刺されたのだった。
『ナイフは、一突きで心臓に達してたみたいですな。……それで私は死んだんです。ちょうど私が絶命した時、エレベーターは五階へ到着しました。外で待っていた人が何人かいたので、すぐに警察と救急車が呼ばれて、私は近くの病院に運ばれましたが、その時にはもうとっくに死んでいたわけです。なにしろ私は、他の人たちが大騒ぎをしている時に、ここでぼんやりとそれを見ておりましたので』
「じゃあ、それからずっと、ここに?」
 話し終えた芝崎に、シュラインは問うた。
『ええ。……私としては、家へ帰るなり、あの世とやらへ行けるなら行くなり、したいんですがね。どうしてだか、ここから離れられなくて』
 うなずいて言う芝崎に、シュラインは思わず眉をひそめる。
 改めて、五階でエレベーターが止まったのは、彼のせいかもしれない、という気が彼女にはした。だが、恨みや何かがあるようにも見えない。また、自分が死んだことも自覚している。それならいったい、何が彼を引き止めているのだろう。
「何か、未練に思っていることとか、あるんじゃないのか?」
 考え込んでいるシュラインの隣で、草間が尋ねた。
『未練……ですか。そうですね。心残りなことは、いくらもあります。娘の花嫁姿が見たかったとか、孫を抱きたかったとか、あの時のお客さんに、結局つり銭を渡せなかったなあとか。でも、自分で言うのも変ですが、それなら何もここにいなくてもいいわけじゃないですか。家や会社にいる方が、その未練を晴らせる可能性は、高いわけでしょう? だから、自分でも、よくわからないんですよ。どうして、私がここにいるのか』
 芝崎は、困惑した口調で答える。人影が、小さく首をかしげているのが、妙に可笑しかったが、当人にとっては笑い事ではない。おそらく、言われるまでもなく、もう何度も考えてみたことなのだろう。
(たしかに、芝崎さんの言うとおりだけど……でも、やっぱりここにいるのには、何か理由があるわよね)
 シュラインは胸に呟き、ふと最初に彼が、中央公園の近くで生まれたと言っていたことを思い出した。それに、公園の高台の桜に、ずいぶん思い入れがあるようだ。
(まさかと思うけど……芝崎さんの未練は、桜?)
 それは、一瞬の閃きにすぎなかった。だが、気づいた時、シュラインは口を開いていた。
「どうしてここにいるかはともかく……よかったら、私たちと一緒に来ない? 芝崎さんおすすめの、高台の桜を、一緒に見ましょ」
「シュライン……!」
 草間が、驚いたように、彼女をふり返る。人影だけの芝崎からも、彼と同じ驚きが伝わって来た。
『……気持ちはうれしいですが、無理です。私は、ここから離れられません』
「それは、やってみなければ、わからないんじゃない? それとも、これまで試したことはあるの?」
 ややあって、どこかしょんぼりと言う芝崎に、シュラインは思わず問い返す。
『はい。……あります』
 うなずく彼の影は、ますます悄然として行くようだ。それに幾分焦れて、シュラインは続ける。
「その時にはだめだったとしても、今度はうまく行くかもしれないでしょ。試してみてうまく行ったら、家に帰ることもできるかもしれないじゃない」
「そうだな。……それに、今は俺たちもいるわけだし」
 草間もうなずいて言った。
「俺たちは別に、霊能力者ってわけじゃない。でも、こうしておまえと会話はできる。その俺たちが招いたら、一緒に花見ぐらい、できるかもしれないぞ」
『そうでしょうか』
「そうだよ」
 懐疑的に首をかしげる芝崎に、草間は励ますようにうなずく。
「とにかく、警備会社の人間が来てここから出られたら、俺たちは中央公園へ行く。おまえも、一緒に来い」
 力強い彼の言葉に、芝崎もようやく試してみる気になったようだ。
『そうですね。生きている方に協力してもらうというのは、やったことがありません。ここから離れられるように、努力してみます』
 芝崎は、明るい声音で、うなずいた。
 その時、扉の傍のインターフォンから、ふいに男の声が流れ出した。
『中にいる方、聞こえますか。姉崎警備システムの島津です。今、このエレベーターの操作室にいます。速やかに停止の原因究明と運転開始に努めますので、もうしばらくご辛抱下さい』
「わかった。こっちは別に閉じ込められてる以外は、異常はない。できるだけ早く頼むぜ」
 草間が、それへ返す。
『了解しました』
 答えて、インターフォンからの声は途絶えた。
 草間が、シュラインと、芝崎の影を見やって笑いかける。
「ようやく、外へ出られそうだな」
「ええ」
 シュラインも幾分ホッとして、うなずいた。

  【4】
 それからほどなく、シュラインと草間はエレベーターから解放された。
 開いたエレベーターから、もう一基のへ乗り換えて一階へ下りると、そのままビルを出る。芝崎の影は、最初のエレベーターを出た時から、見えなくなっていた。が、なんとなくついて来ているようには、感じる。というのも、なんともいえない寒気が、シュラインの上からずっと去らないままだったのだ。きっと、エレベーターの中で芝崎と話していなければ、風邪を引いたのかと思うところだ。
 ビルを出て、中央公園の待ち合わせ場所へと向かう。外に出たところで、草間が零に電話したので、多少到着が遅れても、彼女も気にはしないだろうが。
 やがて彼女たちは、目的地である中央公園に到着した。入り口傍の見事な桜の木が、零との待ち合わせの目印だ。桜はライトアップされて、夜闇の中にほの白く浮び上がっていた。その下に立っている零の姿も白くにじんで、どこか絵のような風情だ。
「お兄さん、シュラインさん!」
 二人を見つけて、零が手をふる。
「お待たせ」
 そちらへ駆け寄るシュラインと草間に、彼女は温かい缶コーヒーを差し出した。
「大変でしたね。でも、大事にならなくて、よかったです。これ、どうぞ」
「ありがとう」
 シュラインはそれを受け取り、そっと零の反応をうかがう。彼女にならば、幽霊となった芝崎がここにいるかどうかが、わかるはずだ。
 まるでそれに答えるように。零は草間に缶コーヒーを渡しながら、小さく首をかしげて訊いた。
「あの、そちらの人は、お兄さんのお友達ですか?」
「芝崎が見えるのか? 零」
 草間が、思わずというように問い返す。
「はい。……芝崎さんとおっしゃるんですね。はじめまして。草間零です」
 零はうなずき、誰もいない空間に向かって声をかけた。
 その様子に、シュラインと草間は思わず顔を見合わせる。もちろん芝崎のことは、電話でも話していない。それに、どちらにしろ零が嘘をつく理由はなかった。どうやら芝崎は、ちゃんと二人について来ているようだ。
 シュラインと草間は、どちらからともなくうなずき合うと、零の心づくしの缶コーヒーを飲み、夜桜見物へと繰り出した。
 桜は、思った以上に素晴らしく、歩いていると肌寒い程度の外気もちょうど良く、申し分なかった。公園内は、テレビで報道されていたにも関わらず、人が多すぎるというほどでもない。
(それともこれは、私たちの選んだルートのせいなのかしら。あの地図になかった場所も、入っているんですものね)
 シュラインは、すれ違う人々を見やって、ふとそんなことを思った。ちなみに、見物客はカップルや親子連れが圧倒的に多い。
(私たちは、どう見えるのかしら)
 エレベーターの中で、芝崎に夫婦と勘違いされたことを思い出し、シュラインは胸に呟く。いくらなんでも、零を自分と草間の子供と思う人はいないだろうが、シュラインと草間か、あるいは零と草間がカップルだと思う人は、多いかもしれない。
(他人の目なんて、そんなものね)
 小さく苦笑して、シュラインはあたりに目を遊ばせる。
 芝崎おすすめのタコ焼きの屋台は、まだその場所にちゃんとあった。彼の言うとおり美味なそれは、いくつでも食べられそうなほどだった。
 そうして、エレベーターの中で決めたルートを経巡り、彼女たちは昔は城の天守閣があったのだという高台へとやって来た。
「すごい……!」
 シュラインは、低い声を上げたまま、絶句してしまう。草間と零も、声もなくそちらを見詰めた。
 高台の桜は、一本だけだった。しだれ桜だろうか。太い幹を持つ老木で、四方へ伸ばした枝には、まるで滝を思わせるかのように、花が開いていた。花びらは、薄紅というよりも白に近く、夜の闇の中で降り注ぐ月光をまとって、淡くにじんだように見える。その姿の前には、これまで見て来た桜たちが、かすんでしまうほどだ。
 と。
『ああ……』
 シュラインの隣で、誰かが深い感嘆の溜息を漏らすのが聞こえた。草間や零ではない。
 驚いてふり返るシュラインの目の前で、エレベーターにいた時と同じ、芝崎の影がゆっくりと動く。それは、桜の傍に歩み寄ると、その幹をそっと撫でた。そして、しばし桜を見上げた後、シュラインたちをふり返る。
『私は、どうやらずっとこの桜が見たかったようです。……私は、毎年この桜が花をつけた姿を見るのを自分で思っていた以上に、楽しみにしていたようですな。ところが、私が死んだのは開花前で……あの瞬間、最後にもう一度、この桜が咲いたところを見たいとそう強く思ってしまったようです。……それが、思いがけなくかなって、嬉しいですよ。本当に、ありがとうございました』
 言って彼は、三人に深々と頭を下げた。
「芝崎さん……」
 シュラインは、思わず目をしばたたく。草間と零も、瞠目してそちらを見詰めていた。
 その三人の目の前で、芝崎の影は次第に薄れて行き、最後にはまるで桜の枝の間に溶け込むように、消えて行った。その後に、一瞬、風が吹き過ぎて行く。
 はらはらと散る桜の花びらを浴びて、シュラインたちは、一時そこに立ち尽くした。やがて、草間がポツリと呟く。
「今度は、行くべき所に行けたのかな」
「はい。きっとそうだと思います」
 零が、明るくうなずいた。
「なんだか、西行法師の歌みたいね」
 ふと思い出して、苦笑混じりにシュラインが言う。
「うん?」
「『願はくは 花の下にて春死なむ このきさらぎの望月のころ』……てね」
 怪訝そうにこちらを見やる草間に言って、シュラインは笑った。
「ああ、そうだな」
 草間もうなずき、改めて桜の木に目をやる。それを追うように、シュラインもそして零もそちらを見やった。
 あのエレベーターが突然止まった理由を、シュラインは聞かなかった。ただ、これまでも何度か、五階で突然止まること自体は、あったらしい。それはやはり芝崎のせいだったのかもしれない、とふと彼女は思う。彼はきっと、自分の話を聞いてくれて、ここへ連れて来てくれる人を求めて、自分の死んだ五階でエレベーターを止めるという方法でアピールし続けていたのかもしれない。
(もしそうなら、もうあのエレベーターが五階で突然止まることは、ないわね)
 彼女は胸に呟き、晧々とあたりにやわらかな光を降り注ぐ月を、そっと見上げた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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●シュライン・エマ様
いつも参加いただき、ありがとうございます。
ライターの織人文です。
さて、今回は夜桜見物ということで、こんな感じにまとめてみましたが、
いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。

ところで、静流と三月うさぎの件につきましては、
プレイングを深読みしてしまったようです。
申し訳ありませんでした。
これに懲りずに、また参加していただければ、うれしいです。
それでは、これからもよろしくお願いします。