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あなたの姿が見つからない
相変わらず、暇な日々が続く草間興信所。
そんなある日、一人の刑事が興信所にやってきた。
「警視庁捜査一課超常現象対策班 天海勝真・・・・・・?警視庁の刑事さんが、ウチみたいな興信所に何の御用ですか」
名刺を受け取った草間はちょっと嫌味を込めて尋ねた。
天海は懐から煙草を取り出して、黙って火をつけ、一息入れる。その顔は渋く厳しい。
「先日、都内である強盗殺人事件が起きた。テレビでも報道されたから知っているかもしれないが、飲食店に押し入って経営者を殺害して現金七百万円を奪って逃走した事件だ」
それなら草間もテレビで見た。
「しかし、その事件は犯人はもう逮捕されたじゃないですか」
確かに先週か、それよりももう少し前の報道番組で、“犯人無事逮捕”というものを見た記憶がある。
「それなんだがな・・・・・・」
天海は煙草を灰皿押し付けながら、相変わらずの渋い顔で言葉を続けてた。
「決定的な物証が無いんだよ。状況証拠や目撃証言などはあるんだが・・・・・・」
「いや、だからなんでウチに来るんです。あんた達で調べればいいでしょうに」
「手袋の中の指紋すら残っていないから困ってる。上の連中は、もしかしたらオカルト絡みじゃないかって疑いだしてな、それでうちの班に話が回ってきたんだよ」
草間はもう一度名刺を見る。“超常現象対策班”。
「俺達でも調べてみたんだが、どうにも証拠は出てこない。所詮俺達は対策班、なんていったってオカルトに関しちゃ素人だ。ここは怪奇探偵事務所なんて呼ばれてんだろ?」
「それは誤解だ、ウチは普通の興信所だ!」
がたっ、と思わず草間は椅子から立ち上がる。
何という事だ。いつの間に警察にまでこんな悪名が轟いていたとは。立ち上がったのはいいものの、その怒りをぶつける対象が無く、草間は抜いた刀のやり場に困ってしまった。
「警察が探偵に事件解決を依頼なんて恥になるだけだが、拘留期限ももうすぐで切れそうなんだ。対面ばかりを気にしちゃいられない。頼む、どうやって指紋が付かない様にしたのか解
き明かして欲しい」
言って天海は頭を下げた。
「い、いや、そんな事を言われましても」
「謝礼金は出す。ちゃんと公安委員会で決められているからな」
「引き受けましょう」
“謝礼”という言葉にはとても弱い。
「とりあえず、唯一・・・・・・と言ってもいい手がかりはこれなんだ」
「・・・・・・なんですか、こりゃ」
手渡された長さ5センチほどのビニール製のポチ袋には、小さな半透明の欠片が入っていた。袋ごしに触れてみると感触はプラスチックで出来ているもののようだ。
「判らん。それを元手に謎を解いてくれ。頼む」
天海は頭を下げた。
草間としても謝礼という欲しいものがあるにせよ、ハードボイルドだと自称している手前、大の男に頭を下げられて断れるわけも無い。
そんなわけで、草間は指紋をどうやって消したのかを解き明かす事になったのだ。
「珍しくマトモな依頼が入っているかと思えば、早速人に頼るわけですか」
ヤレヤレ、と頭を振ったのは、魏・幇禍(ぎ・ふうか)だ。黒い髪に銀のメッシュが入っていて、更に眼帯をしている。瞳が半分隠されているのにもかかわらず整った顔立ちである事は判る。
手には零が入れた安物の湯のみがある。それを品良く一口飲むと、また頭を振る。
「ちゃちゃっ、と片付けて、ちゃんと俺への借金を完済して下さいよね、駄目人間」
「誰が駄目人間だァァァァ!!」
「あ、すいません、ロクデナシ探偵」
「てめっ、喧嘩売ってんだろィ!!」
シレっとした調子で幇禍が言うものだから、草間の激昂度もヒートアップしている。鼻息荒く幇禍に詰め寄っているが、詰め寄られている当の本人は草間を小汚いものかカワイソウなものを見るような目で見ている。例えて言うなら、「マァこんな所に<検閲により削除>が」みたいな感じの視線だ。
「借金完済して欲しければ手伝えコノヤロー」
「そういうの本末転倒って言うんですよ、万年金欠の胡散臭い男代表みたいな顔しといて」
「もがぁぁぁぁぁぁ!!」
「ふむ、案外割れ鍋に綴じ蓋状態でいいコンビではないかな?」
一番冷静だったのは、レイベル・ラブだ。肩にかかる金の髪を手ぐしで後ろに流し、男二人の醜い罵り合いを眺めている。
「お兄さん、いくらお借りしたんですか?私、代わりにお支払いします」
「・・・・・・零・・・・・・」
唯一優しい言葉をかけてくれる零の優しさに触れ、草間は涙ぐむ。心なしか鼻水も出ているようだ。三十路男の鼻水は綺麗なものではない。
ああ、俺の教育は間違っていなかった。零はこんなに良い子に育ちました・・・・・・!
人知れず草間は拳を握る。零が育った報告を誰にしたのかは謎である。
当の本人の零は返答を待たずに台所へに行った。そこには零が日ごろコツコツと貯めている貯金箱がある。本当に“箱”で、随分前に町内会の会長さんの草津土産の温泉饅頭が入っていた箱が、零の貯金箱になっている。
「あいつ三万も持ってたのか?」
素朴な疑問が浮かぶ。
「草間氏、あんな小さな子に支払わせて情けないと思わないのですか」
「三万か。闇金融で借り入れれば利子が膨らみ轢死したくなる金額に変貌するには十分な額だ」
「お前等何しに来たんだァァァ!」
血管が切れそうな勢いで草間は絶叫する。はっきり言ってご近所迷惑だ。
「偶々の休日の買い物がてらお茶飲みに」
安物の湯飲みを手にしたまま幇禍が答える。
チラリとレイベルら視線を移すと、
「ひつまぶし」
「は?」
「・・・・・・あ、違ったな。暇つぶしだ」
もはや草間はズッコケる元気もなくなったかに見える。
ひつまぶしとは、主に名古屋地方で食べる鰻料理の事だ。蒲焼にしたウナギの身を細かく刻んで御飯に混ぜたもの。小ぶりなお櫃に入れて供されるため、こう呼ばれる。−ってなもんだ。鰻料理で興信所に来るってどんな事情だ。
「はい、お兄さん。私の貯金です。使って下さい」
台所から戻った零が、草間に差し出した箱の中身の金額は−
「きゅうじゅうえんありました」
にこにこと零は笑みを絶やさない。
−こ、これは・・・・・・使えない・・・・・・よな・・・・・・。
尤も、使った所で文字通り焼け石に水、なのだが。
「・・・・・・事件の事、忘れないでほしいんだけど・・・・・・」
ポツリと言った天海の言葉は、あんまり人の心に響かなかった。
「えー、とりあえず、事件のあらましを天海刑事に聞こう」
「思い切り適当に扱いやがって」
天海のこめかみにはいわゆる“怒りマーク”が浮かんでいる。しかし話を出さなければ前に進まないのも事実で、第一相談を持ちかけたのだからどういった事態か正確に話す必要がある。適当に扱われたみたいで非常〜に腹立たしいがそこは大人の良識で(ここにはそれがある人間が居なさそうだ)、ぐっと堪える他ない。
「まず被害者についてだが」
切り出しても、幇禍は零が淹れなおしたお茶を飲みながらナケナシの煎餅を頬張っており、レイベルは手にしているアヤシイ医療器具(と思われる物体)をいじっている。聞く気があるのか、お前等。
天海はちょっぴり泣きそうになった。
「被害者は野津・敬三(五十九)、小料理屋浜野を経営。連れ合いとは二年前に死別していて男やもめ。息子夫婦は現在福岡在住。で、死因は出血多量に因るショック死。刺された部位は腹部で、凶器は出刃包丁。犯人が持ち込んだものと推測それてる。店の包丁は全て揃っていたし、被害者を発見した当時、凶器は刺さったままだった」
「そこまでは別に特異な点は見受けられないですね」
「まあな。例のアレだ、指紋が見つからない、という点が珍しいんだ」
「指紋は無くても」
つい、と視線を上げたレイベルが静かに語りだす。
「指紋の無い指での行為には指紋の無い指の痕跡が残るわけだよ。これは大変な証拠ではないかね?マロニイ君」
幇禍と天海ははっ、とレイベルを見た。草間だけが彼女の言葉を反芻している。今一理解できなかったようだ。
「いや、マロニイ君て誰」
「なるほど。こちらのご婦人の仰る通りですね。現に“指紋が無い”という事実に直面しているわけですし」
「だからマロニイ君て何」
「そういう事だ」
相変わらず冷静な顔でレイベルは少し冷えたお茶を口にする。
天海の疑問はすっかり無視されているので、諦めてそのままにしておいた。何だかこの二人に答えを求めるのは難しい気がしたのだ。
「確かストーブで指を焼いた者も居たな。いや、全くの馬鹿だ。以前の指紋を収得されれば今その指に指紋が無い事など何の意味も持たないのに」
「げ。指焼いたのかよ?!」
「薬品で指紋を消すって犯罪者も居るみたいですよ」
嫌悪感丸出しの草間に幇禍が追い討ちをかける。それを聞いてレイベルがどれだの痛みを伴うかリアルに草間に教えるものだから、草間の余計に身体をねじれさせて悶絶していた。
「ま、今回、犯人の指紋はちゃんと取調べ中に採取できた。とりあえず、指先を焼いて指紋を消したって事は無いんだ」
「あー、俺犯罪犯してまでは大金欲しくない。痛いのは勘弁だ」
心底嫌そうに草間が言う。天海は何となく気持ちがわかったのか、苦笑して相槌を打つ。
「ボロは着てても心は錦。罪を犯してまで金は要らない。七百万如きでは焼け石に水だしな」
「確かに。犯罪は割に合わない」
「だよなー、後ろめたいしなー」
ギィ、と大分くたびれている草間のデスクに付随している椅子の背もたれを寄りかかって倒す。後頭部で組んだ手が見える。
レイベル、草間、天海の三者の“罪犯してまでお金欲しくないよね”という、極一般的というか、良識が少しでもある人間の意見が交わされる。
「バレる様なレベルだから拙いんですよ」
ポツリ、と幇禍が呟いた。口元は少し上がっていて微妙に歪んでいる。
ソレハ悪役ノ台詞ジャナイデスカ?
「そうそう、例のプラスチックですが」
打って変わって人の良いお兄さん、という印象の表情で問いかける。
「焼け焦げたり縮んだりした痕跡は無いんですかね〜?手袋の中に更に医療で使うようなビニル製の、ほら、薄い手袋あるじゃないですか。あれを使用していたのでは?」
「そうか、それなら手袋の中に指紋も残らないな」
得心したように草間が呟く。それを見て幇禍は、頭を振った。“アナタ探偵なのに今頃気が付いたんですか?”と言わんばかりに。それに気付いた草間はワナワナと拳を握り締めて怒りを堪えていた−というか、かかっていっても勝てそうに無いので堪えていた。幇禍はお構い無しに言葉を続けた。
「殺害を終えた後に、ライターや車やバイクのマフラーの熱を理由してそれと判別できなくしたとか・・・・・・あ、そうだ、まさか使い終わった手袋って、現場に置きっ放しになっていたんじゃないですよね?」
「あの皮の手袋か?」
「そうです。そんな大事な証拠になるもの、置きっ放しにしていたとしたら、あまりに怪しいですから。ミス・リーディング、なるものの可能性が出てきます」
草間を苛めて楽しんでいる嗜虐嗜好のある男かと思いきや、意外と冷静らしい。幇禍の言葉を受けて天海は手帳をパラパラとめくりだす。
「手袋が見つかった場所は・・・・・・家宅捜索した際にタンスの奥から出てきたようだ。証拠品として挙げられていた理由は、血痕が微量ながら付着していたらしい。DNA鑑定の結果、犯人のものと断定されたんだ」
「なるほど。ミス・リーディングの可能性は消えた、と」
「ところでミス・リーディングってなんだ?」
幇禍に聞こえないよう、こっそりと草間はレイベルに聞いた。
「ミス・リーディングとは、いわゆる心理操作だな。この場合間違った証拠品を用意して目を逸らさせようとしたので、という所だ」
「草間氏、貴方探偵なのにそんな事も知らないのですか。ああ可哀相に。それだけまともな依頼がなかったのですね」
レイベルの声は草間の希望と違い、通常通りのよく通る声だった。それを聞きとがめた幇禍は痛々しい視線で草間を見つめた後、わざとらしく、よよ、泣く真似をして見せた。
レイベルはそんな二人を一瞥した。
「先程の続きだが、勿論、皮膚移植も同様だ。確かに元々の指紋は隠せるかもしれないが、所詮異なる部位の指紋。使用感は辛いぞ・・・・・・試しに臀部の皮膚でも移植してあげようか」
ニヤリと笑ったその顔は、なまじ、中性的に整っている分、迫力が増す。悪役は美形の方が似合う、というのは、笑った時の迫力が違うからなのかもしれない。
幇禍はそ知らぬ顔でお茶を飲んでいたが、草間と天海はこっそりと彼女から視線を外した。
「まぁ、それはともかく。手袋の後、サイズや力の入れ具合等も十分証拠になるし、鑑識も見つけているはずだがな。世代が代わったのか。かといって謎物体や犯人周囲残留物質の成分分析を出来る出なし・・・・・・経験と技術が相乗しなかった、と。そうしておこうか」
受け取り方を間違えれば手酷い嫌味にも聞こえるが、これはレイベルの素直な感想だったのだろう。天海は嘆息しながら弁解をした。
「捜査員の数も鑑識の数も圧倒的に少ないんだよ。本部は手間もかけてくれないしな」
「それはまた、何故です」
「あんた等も知っているだろ、ほら、今ニュースで散々騒がれていると思うが、連続殺人事件の方に割かれちまっていてな。おかげで被害者一人で被疑者は拘束中の事件になんて、お偉いさんは構っちゃくれないのさ」
今テレビや新聞で連日騒がれている連続殺人事件がある。“平成の切り裂きジャック”とも称されているその事件は、被害者はみな鋭利な刃物で殺害されている。件の事件と喩えられるのは、被害者が娼婦であるという理由ではなく、被害者が発見されるのは、いつも殺害されて間もない頃合だからだ。被害者数は現在で八人。全員、死後一時間以内の状態で発見され、殆どの者がまだ温かかったという。
「ははぁ、それはまた大変ですねぇ。俺には関係ありませんが」
「私は知らない。何だ、そんな事件があったのか?」
むしろ堂々とレイベルが言ったので、全員ちょっと驚いた。今この東京−というか日本でこの事件を知らない者がいたとは。
「貴方はテレビをご覧にならないのですか?」
「私はテレビを持っていない。というか、私には家なんて無い」
心なしか、バックに日本海が見えたような気がした。by魏・幇禍。
ホームレス、と言うほどではないが、レイベルは住所不定なのだ。無職でないだけマシだろうと思われる。
「そんな事件のことは今はどうでもいいのではないか?」
「確かに、そうですね。あ、そういえば、犯人逮捕に至った経緯ってどんなものなんですか?」
気を取り直したように幇禍が尋ねる。天海もすぐに手帳をめくり始めた。
「ああ、それはな・・・・・・っとと、ここだここだ。ちょっと長くなるんだが。そもそも浜野に七百万って大金があったのは、臨時収入でな。その話をした相手は一人。午前中の開店準備中の店内でだ。話を聞いた相手は事件当時町内会の会合に出ていたっていう完璧な不在証明−アリバイがある。で、その臨時収入の話を聞くことが出来たのが他に一人。犯人の島崎・良助だけ。島崎は浜野にビールを卸している酒屋の定員でな。ビールを運んでいる最中に店から聞こえてきたその話を聞いて、犯行に至った。っていうのが本部の見解だ」
「目撃証言はなかったのか?」
「いや、あるぜ。犯行後に店から出てきた犯人を目撃したって人が居てな。その人が第一発見者で通報者なんだが。背格好や、目の印象から、数枚の写真の中から島崎を当てたんでな。任意で引っ張って、今は被疑者として拘留中ってわけだ」
「ところで、この欠片、何で出来ているんですか?」
「それは今科研が分析中だ。今朝問い合わせたら、そろそろ結果が出るって言ってたよ。出たら俺に連絡もらえるように話はつけておいた」
「なら、結果が出てからまた推理すればよいのでは?」
「それじゃ俺の矜持が許さない」
格好つけているが、別に様になっているわけではないのでちょっと痛々しい。幇禍はそう思ったが、草間ほど知り合っているわけではないので特に口にはしなかった。
矜持ってなに? と草間がまたレイベルに聞いている。探偵、貴方はものを知らなさ過ぎです。
ちなみに矜持とは、「自信と誇り」、いわゆるプライドである。下っ端ぽい刑事だが、下っ端には下っ端並のそれがあるという事だろう。
「そういえば、これは何処で見つかったんだ」
無造作にテーブルに置かれていた、プラスチックの欠片の入った袋をレイベルは天海に投げつけた。天海は柔らかく飛んできたそれを辛うじて受け止め、また手帳を開く。
「これはだな、被害者の近く、だな。被害者が仰向けに倒れていて、向かって右側頭部の辺りだ。厳密に言えば、右耳のちょい上辺りだな」
「なんだって、そんな所に」
「それがだな、これが手袋なんだが」
言って天海はバッグの中から10×10程の大きさのビニール袋を取り出す。その中には、黒皮製であろう手袋が入っていた。袋の表面には白いラベルが張っており、“証拠品・手袋”とお世辞にも丁寧とはいえない字で書かれていた。
手袋は一見普通の大量に市販されている黒皮の手袋のように見えたが、左人差し指の辺りに裂け目があった。位置的には第一関節の少し上辺り、斜めに一センチあまりのものだ。傷がつく途中で滑ったのか、斜めに開いている。そしてその周りは、色が少し濃かった。
「犯人のものと思われる血が付着している。現に犯人は人差し指を包帯でグルグル巻きにしてやがった」
「血・・・・・・」
殺人事件なのだから、てっきり被害者のものかと見当をつけたのだが、犯人も怪我を負った様だ。
「その欠片からは指紋は検出されなかったのか。していないのか。どちらだ?」
「指紋は出るには出たんだが、照合できるほどは出なかった」
深いため息が興信所の狭い居間に響く。零が各々の湯飲みに新しいお茶を注いで回る。そのトポトポという音が、なぜか脱力感を増していく。
「検査結果が出るまで、大人しく待っていたほうが良いのではないですか?」
諦めた口調で幇禍が言う。温かいお茶で身体を温める。春とはいえ、まだ冷えるこの時期だ。
その様子は伝染していき、草間は完全に諦めモードに突入している。救いを求めるようにレイベルを見ると、彼女は特に興味を示している様子ではなく、アルミ製の安い灰皿を人差し指の先でくるくると回して遊んでいる。
一喝しようと口をあけた瞬間、懐かしい黒電話の音がした。興信所の物ほどの音量はなく、天海のポケットから聞こえてきているようだった。
「はい、今取り込み・・・・・・あ、結果?どうでした・・・・・・はい、はい、あ、判りました。お疲れ様です」
「それの分析結果ですか」
幇禍が指し示す先には、プラスチックの欠片があった。
「ああ、主成分はアクリル系モノマーと4-META、ほかにアセトンと水を70%も含む、って事だ。−ボンドだな」
「ボンドですか?なんでそんなものが、また現場になんて」
ちょっと驚いた様子で幇禍が問いかける。しかしすぐに沈黙し、なにやら考え込む。
「ボンドだとすれば」
灰皿を回すのをやめたレイベルがキリっとした表情になった。目が鋭い。
「大分前から子供や犯罪者、仕事師のやっている事だ。樹脂やゴムを手に塗って即席の指紋隠しという手段はな」
「そうか、今回は樹脂やゴムではなく、ボンドでやって、犯行におよんだと。そういうわけですね」
「恐らくな。先程マロニイ君が見せた手袋には血が付いていたことだし」
「つまり被害者を刺し殺した後、なんらかのアクシデント−手が滑ったとか、その程度でしょうが、それが原因で指に怪我をして、その時に手袋に血が付着した、と」
「止血なり何なり、応急手当てを試みようとし、手袋を外した時に切り傷が原因で切れたボンドが床に落ちた。犯人はそれに気が付かなかった。間抜けな話しだが、恐らくそんな所だろうな」
幇禍とレイベルがバリバリと推理を働かせている横で、草間はすっかり小さくなっていた。自分が探偵であるという事を全くアピールできていない。これでは、この依頼が来た時、密かに胸に立てた野望は潰える様だ。
その野望とは、警察に捜査協力をして功績を立てていけば、必ずや“怪奇探偵”などという不名誉な称号からはオサラバできる、という物だった。
「ちょ、二人とも、ちょっとちょっと」
推理をしている二人を、探偵デスクの前まで引っ張っていき、草間は二人に耳打ちした。
「物は相談だ。謝礼はお前たちに譲る。涙を呑んで譲る。だから、この事件は俺が解決したことにしないか?」
「いきなりなにを言うんだ、草間」
「見苦しいというより他ありませんよ」
「いいか、これには俺の探偵人生のケガラワシイ汚名を挽回することが出来る一大チャンスなんだ」
「ー汚名は挽回するものだったか?」
「いえ、返上するものです」
不思議そうにレイベルが幇禍に尋ねた。レイベルが尋ねたのは、あまりにも当たり前すぎた言葉を草間が自信を持って間違えていたから、自分が間違えて覚えていたものかと勘違いしたのだろう。幇禍は職業家庭教師である。この位の単語は知らない筈がない。
草間・武彦。取り敢えず基本は踏む男らしい。
「頼む!ここは俺に免じて!」
両手を顔の前で合わせ、拝むような仕草を草間はした。
「別に貴方に免じる理由なんて何処にもありませんから」
女子高生がイチコロにされる位サワヤカな微笑を返す。普段の笑顔とは8倍(当社比)爽やかさが違う。いっそ別人。
「私は別に構わないがな。マロニイ君には義理も恩もないし、草間に恩を着せたほうが後々役に立つこともあるだろうしな」
「まじでか、じゃ、そういう事にしような!!」
心底嬉しそうにレイベルの手を握り、ブンブンと大きく上下に振る。幇禍はそんな草間の様子を痛々しい目で見ていた。
「さて、刑事さん、気付かなかったと思うが、実はこの事件、俺にはとっくに見当が付いていた!!二人に指示を与えていたのは、何を隠そうこの俺だ!」
座り込んでいたのに急に立ち上がったものだから、ちょっとふらついている辺りが情けない。ハードボイルド探偵には程遠い。
「いや、こんな近くで普通の声量で話しをされたら、聞こえるから。普通に」
・・・・・・・・・・・・。
天海は幇禍とレイベルに深々と礼を言い、草間をカワイソウなものを見るような目で見た後、コートをひるがえし興信所を去っていった。
ポーズをつけて気取っている分、哀愁が増した。
草間はちょっぴり泣きたい気持ちになった。
後日。
草間興信所に天海から連絡があり、幇禍とレイベルを呼んで欲しい、という内容だった。
呼ぶのはレイベルに限って言えば一向に構わないのだが、実は草間は二人の連絡先を知らない。幇禍の方は前に幾度か家に行った事があるから、直接訪ねてもよかったので、面倒だったが、訪ねた。問題はレイベルの方で、彼女は自称するとおり住所不定であるから、探し当てる他なかった。レイベルを探して東西南北。たまたま小さな公園で膝を擦りむいた子供の治療をしているのを見つけなければ、今も会えていたかどうか。
とにかく、天海の指定した日時にあの日のメンバーを揃える事は出来た。
「よう、その節は世話になったな」
くたびれかけたトレンチコートをまとって、天海が興信所にやってきた。なんだかご機嫌らしい。幇禍とレイベルはやはりナケナシの煎餅をかじり、零の入れたお茶を飲んでいた。
「やあマロニイ君。わざわざ呼びつけて何の用だ」
「だからなんで俺がマロニイ君?」
そもそもマロニイ君てなんだ。
そんな初歩的な事はいいのか、マロニイ君。
「いや、例の事件な、無事解決したよ。ルミノール反応が出てな。島崎の血液とDNA判定したら見事に一致したよ。それを元に追求してやったら、自供した。指紋を消した方法も、あんた等二人が言ったとおりだったよ。ありがとう」
「それは良かったですね。なによりです」
柔らかく幇禍が笑う。普段表情を崩さない彼には極めて珍しい表情といえる。レイベルの方も表情に変化はないが、悪い気はしていないらしい。
「で、謝礼の件なんだが」
どんどんし話は進んでいるが、主の草間はデスクに突っ伏したままピクリともしない。不貞腐れているようだ。
「本当は公安委員会で決められている金額が出るんだが、予算が一人分しかないってんで、代わりに、俺がこれを用意した」
懐から天海が出したものは、変哲のない白い封筒が二つ。それを直接幇禍とレイベルに手渡す。ガザガサと中を見ると、安っぽい薄っぺらな紙切れが一枚。
警視庁にある、喫茶室のコーヒー一杯無料券。
幇禍とレイベルはじっとその券を見つめる。
そんな事はお構いなしに、天海は饒舌に話しを続ける。
「いやぁ、手伝ってもらったのに、何にも礼無しってもかえって失礼だろ?だからその券だよ。結構職員の中でもレア度高くてな、それ手に入れるのに苦労したんだぜ?休みを代わってやったり休憩所の掃除当番代わってやったりなー」
はっはっはっ、と高笑いしているが、幇禍もレイベルも興味無さそうに無料券を見ている。草間も無料券が取り出されるまでは横目で期待しつつ見ていたが、タダのタダ券と判り、また不貞寝をしていた。
「私は要らない。警視庁になんて行かないからな。無用の長物だ」
「俺も要りません。コーヒー一杯をタダで飲もうと思うほど、落ちぶれては居ません」
ずい、と天海に返される。天海は笑いをやめた。表情は、「信じられない」といったものだった。
「なんでだ?確かに、警視庁にある喫茶室のコーヒーはあんまりうまくはない!うまくはないが、問題はそこにあらずだろう!!」
「そこにありますよ。なんだってわざわざ不味いコーヒーのみに霞ヶ関くんだりまで行かなくちゃならないんですか」
「同感だ。私はそれほど暇ではない」
患者の居る所どこまでも。話し方が少しぶっきらぼうな為か、ちょっと乱暴な治療をされると思われがちではあるが、レイベルは存外患者思いだ。たまに思いだけ空回って辺りを破壊してしまうこともあるが、それこそ、問題はそこにあらずで、悪いのはレイベルの怪力であって、レイベルの気持ちではない。
幇禍とレイベルはがっかりした様に大きくため息をつき、零の淹れたお茶を口にした。
煎餅は種類こそ色々あったが、ちょっとしけっていた。
草間は相変わらず不貞寝をしている。
天海は悶絶している。
ある意味とても平和的な風景が広がっていた。
草間興信所はいつも通りの空間を作り上げていて、今日も一日終わろうとしていた。
ちなみに、警視庁の最上階にある喫茶室には一般人は入れないので、結局無料券は意味が無いこという事は、この場にいる誰もが知らなかったのは言うまでもない。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0606 / レイベル・ラブ / 女性 / 395歳 / ストリートドクター】
【3342 / 魏・幇禍 (ぎ・ふうか) / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、八雲 志信と申します。
今回ご参加頂き誠にありがとうございます。
謎解きをメインのストーリーにしましたが、少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
またご縁がある事をお祈り申し上げます。
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