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<東京怪談ノベル(シングル)>


■+ 女王陛下の眼鏡屋さん +■

 道を歩くと、何故だか人々が避けて通る。
 一休みしに入った桜並木のある公園においては、若いおかーさま方が、こちら側を見て我が子を抱え込み『危ないから、もう帰りましょうね』などと言っている声が聞こえた。
 が。
 「……。まさか、私ではないですよねぇ」
 取り敢えず前方の視線を確認し、そして背後を振り返って、彼──シオン・レ・ハイはそう小首を傾げつつ呟いた。
 ちなみにそのおかーさまを筆頭に、公園からは親子連れが消えつつある。
 そしてその原因は、本人が違うと思おうが、間違いなくシオンであるのだ。
 現在彼は仕事中である。
 爪先に火を灯しても成り立たない日々の生活を、何とか爪先に火を灯して間に合う程度へと持って行こうと、頑張って訪問販売の仕事をしているのだ。
 それだけ聞くと、何とも立派な話であるが、しかし。
 出で立ちが尋常ではない。
 長い黒髪を後ろでゆったりと結わえ、周囲を見る穏和な青い瞳は人を和ませるものであるのは代わりはない。けれど、その服装が問題であった。
 ちなみに上下共、真っ黒。両肩には何故か金モールが、そして袖口は大きく折り返され金のラインに縁取られている。更に後ろ身ごろの下と言うか裾、そこは二股にぱっくり別れ、燕尾服の様になっていた。
 一見して、軍服なんだかバトラー服何だか良く解らない。
 取り敢えず、街中で着て歩く様な服ではないことは確かだ。
 ただその服は、決してシオンの趣味でそれを着ている訳ではなく、れっきとした制服なのである。
 そう、彼のバイト先である『めがねのまさ』と言う眼鏡屋の制服だ。
 その『めがねのまさ』では、現在『春の眼鏡フェア』を開催しており、シオンはその特別訪問販売員として働いている。
 そして浮きまくっているのは服装だけではなく、最たるものとして眼鏡屋の販売員らしくかけている眼鏡にあった。
 蝶々を思わせるけばけばしいフレーム、それで本当に見えているのかと突っ込みたくなる様なラメを散らしたレンズ、オマケとばかりに触覚モドキが、鼻の辺りから生えているのである。
 シオンは、この服装が誇らしかった。もう完璧だと、鏡の前で思いっ切りうっとりとしていたのだ。
 けれどこれで引かない豪傑な人間がいたら、それこそお目にかかりたい。
 「それにしても……。売れませんよねぇ」
 シオンの指定席とも言える、公園のベンチに座って溜息を吐く。
 「あんなに苦労したのに……」
 思わずほろりと涙が零れた。地獄の様な研修会は、思い出す度に身も細る思いがする。
 『海辺の街で研修』と言う口説き文句に、夢描いていたシオンであった。
 なのにそこでの研修は、涙なくして語れない。
 確かに、海辺の街での研修だ。
 だが内容はスポコンも真っ青。
 起床は午前五時。そこからまず研修施設の前に広がるグラウンドにて、ランニング。その後、グラウンドの前方に広がる海に向かって発声練習。終われば寝起きしている部屋と施設各所の掃除と続き、それが終われば漸く朝食だ。
 更に朝食が終われば、またもや海まで出て社是を叫ぶ。ちなみにそこは、そこそこに観光スポットとなっており、社是を叫ぶ海の近くには観光客が屯していた。それが為、良い大人の集団が、でかい声を張り上げて叫ぶのを見て、観光客が指を指して笑うと言う、何とも哀しくなってくる様な事態に見舞われるのだ。
 社是の雄叫びが終わると、続いて売り物の眼鏡についての蘊蓄があり、眼鏡を用いたの百人一首訓練が行われ……などなど、夜中の二時まで延々と研修が続く。
 勿論、研修内容は評価され、一定レベルを超えなければ、それに達するまで一日が終わることはなかった。
 つまり。
 『睡眠時間がない』と言うことを意味するのだ。
 外回りの際にかけることを義務づけられている眼鏡は、もしかすと研修の時に出来た隈を隠す為なのかもしれない。
 「確か。『貴方の心を鷲掴み、キュートでポップ、メルヒェンの世界に包まれた、そんな眼鏡をお届けする『めがねのまさ』でございます。モットーは『何時もにこにこ現金払い』な『めがねのまさ』。安心してお買い物が出来る『めがねのまさ』。貴方もお一ついかがでしょうか? きっと素敵な一夜を夢見ることが出来ますよ?』で、ぱっと眼鏡を出す……でしたよね」
 所々違った気もするが、取り敢えずシオンの脳内ではそうなっている。
 「ああ、忘れてはいけないのは、眼鏡をお勧めする時に、笑顔を浮かべないと……」
 シオンは言いつつ笑みを浮かべる。それはそれは素晴らしい営業スマイルだ。
 ただし、人がいない時限定で。
 思いっ切り木枯らしが吹いてしまうのは、その不気味さ故だからだろうか。
 「ここなら上手く笑えるのに、どうしてお客様の前ではひきつってしまうのでしょう」
 そう呟くと、溜息混じりに満開に咲き誇る桜を見上げ、その美しさに見とれてしまう。そして何時しかシオンは、こっくりと居眠りを始めてしまったのであった。



 『ノルマは一日五十本』
 そう掲げられた目標に、シオンはやる気満々足取りも力強く店舗を出て行く。
 勿論その身は制服に包まれ、蝶々を模した眼鏡(絶滅危惧1類のタイワンツバメシジミがモデルだそうだ)をかけ、大層怪しい出で立ちとなっているのだが、シオンは全く気にしていない。むしろ、気が引き締まっている様な気がしていた。
 そして当然の如く、その姿を真っ先に見せに行ったウサちゃんは、白い目で一瞥した後、黙って冷たく駆け去っていたが。そしてウサちゃんを追い掛けたシオンが、何もないところで盛大に転んだ話は、ただ単なる余談であった。
 とまれ、本日もシオンは張り切って訪問販売へ出たのである。
 まず一軒目、どうやらそこは見えない箇所にカメラが仕掛けられていた為、『仮装行列お断り』と言われてしまい、後はうんともすんとも言わないインターフォン目がけて『いえ、眼鏡の訪問販売なんですー』と話しかけることで終わってしまった。
 二軒目は、見えるところにモニタが付いている家で、シオンがインターフォンを押し、モニタを覗き込むと同時、『通報しますよ』と言われて追い払われる。
 三軒目は、音声のみの受け答えだが、研修中に習った長ったらしい口上を言いかけた時に『結構です』ときっぱりさっぱり言い切られた。
 四軒目。口上はちゃんと聞いてくれたものの『ご苦労様』の一言と共にシャットアウト。
 五軒目、漸く扉が開いたかと思えば、シオンと目が合った途端に、無情にそれは閉じられてしまう。
 更に六軒目、七軒目、八軒……。
 全て上手くいかない。シオンは足を棒にしながらも、訪問し続けた。
 ただ救いはと言えば、一人暮らしのお爺ちゃん宅へと訪れた際のこと。話し相手が欲しかったらしいお爺ちゃんは、シオンにお茶と茶菓子を出してもてなしてくれた。
 お爺ちゃんの身の上話を聞いたシオンは、息子夫婦と離れて暮らしている彼が不憫になり、また遊びに来ることを約束した上、売り物である筈の眼鏡をプレゼントしてしまった。
 上げた眼鏡は、形こそ羽が弦の部分に付いている個性の強いものだが、ダイヤと五色の宝石がフレームに埋め込まれ、きらきらと万華鏡の様に色んな表情を見せる大層綺麗なものだった。
 お爺ちゃんは涙を流して喜んだが、これは勿論、シオンの自腹だ。
 ちなみに一番高いそれであることは、ホンの余談である。
 「一体今日は、何軒回ったのでしょうか」
 今日は、何時もの様にウサちゃんが付いてきている訳ではないので『ねえ、ウサさん』とは言えない。だからシオン一人で、この侘びしさを耐えるしかなかった。
 疾うの昔に昼も過ぎ、休憩したくなったシオンは、脳内に存在する『都内公園マップ』を検索して、近場の公園を探し出し、冒頭に至るのである。



 ごがんっと、ベンチに頭を打ち付けたシオンの瞼が、ぱっちりと開いた。
 「わわっ! 眠ってしまってましたっ」
 そう叫んだが早いか、居眠り扱いていたシオンは思いっ切りベンチから飛び起きた。
 だらーーんと涎が垂れた為、慌てて制服でふきふきふき。黒いそれが、ちょっとのり付けされた様になってしまったが、それもまた良し。
 不意に舞い降りてきた桜の花びらを見て和むシオンだったが、あることを思い出し真っ青になる。
 「どどどどどーーーしましょーーっ!! 全く眼鏡が売れてませんっ!!!」
 まるでムンクが叫んでいる様に、手を当てた頬がぐにゃりと歪む。
 通算一週間、売り上げゼロの状態だ。いや、交通費や何やらかんやらでマイナスである。
 「ここここれはもう、……女神さまにお願いするしかありません」
 これ以上ないくらいに真剣な顔つきでそう言うシオンの脳裏に浮かんでいたのは、クールビューティ碇麗香の顔である。
 「麗香さんなら、眼鏡をかけていらっしゃるから、きっと買ってくれる筈っ」
 アヤシイおじさんと化しているシオンは、握り拳を振り上げるが早いが、一目散にアトラス編集部へと駆け出した。
 その際、電柱にぶつかったり、どぶに落ちたり、犬に追い掛けられたり、何故か降って来たタライに頭を強かに打たれたりと言った定番の不幸に見舞われたのだが、それはまあ本筋でないのでおいておく。
 思ったより早くそこに着くことが出来たのは、やはり通行人の殆どがシオンを避けたからだろう。そそり立つ──大袈裟かも知れないが、シオンにはそう見えた──ビルへと入り、エレベータを使って通い慣れたアトラス編集部の扉の前に立つ。
 大きく息を吸い込んで、気持ちを落ち着かせたシオンは、きゅっと眼鏡をかけ直した。
 「行きますっ」
 ドアノブに手をかけ、勢いよく開ける。
 「貴方の心を鷲掴み、キュートでポップ、メルヒェンの世界に包まれた、そんな眼鏡をお届けする『めがねのまさ』でございます。モットーは『何時もにこにこ現金払い』な『めがねのまさ』。安心してお買い物が出来る『めがねのまさ』。貴方もお一ついかがでしょうか? きっと素敵な一夜を夢見ることが出来ますよ?」
 いきなりそう声を上げたシオンは、確かに部員の視線を集めること、そしてアトラス編集部編集長碇麗香の注意を引くことが出来た。
 が。
 一瞬の内、完璧なまでに黙殺されてしまった。
 そう、一瞬だけ、アトラス編集部は南極大陸の大気に包まれた後に、魔都東京の空気へと戻ったのだ。
 「あ、あれ? えーーと」
 焦るシオンは『あのー、皆さーん』と、小さな声を上げ、へっぴり腰で室内をきょろきょろと見回すが、全員黙殺。ここにみんなの下僕……もとい、みんなのマスコットである某どんくさい編集部員がいたなら、もう少しマシだったのかも知れないが。
 しょんぼりとしつつ、そして自分の目的が麗香であると慰めつつ──その麗香にもシカトされたのだが──、彼は奥にある編集長の机と向かった。
 「こんにちは、麗香さん」
 「はい、こんにちは、そしてさようなら。今、貴方にやってもらう仕事は抱えてないの。そして私は死ぬ程忙しい」
 ぐるりと身体ごと裏返しにされたシオンは、慌てて首だけ麗香の方を向いて訴えた。
 「違いますっ! 仕事を頂きに来たのではなく……」
 「掃除してくれるなら、あっちに掃除機あるから」
 「いえ、それでもなく」
 「あのね、シオンさん……」
 大袈裟に溜息を吐き、麗香が眼鏡を外して鼻梁を揉む。
 「そ、それですっ!!」
 「は?」
 実は『本気で今、忙しいのよ。締め切り前で』とつなげようとしたのだが、シオンが麗香の眼鏡を指した為、目が点になっていた。
 「私、今、眼鏡屋さんで販売員をやってるんです。それで麗香さんに、是非眼鏡を買って頂きたくて……、ほら、これ何か如何でしょうか!」
 この好機を逃すまじとばかり、シオンはカバンの中から彼一番のお勧め眼鏡を取り出した。
 ぴかーっと光り輝く眼鏡。
 ヒマワリの花を象ったそれは、フレームに電飾がついていたのだ。
 「……」
 沈黙する麗香は、シオンをじっと見つめている。
 何故か頬が赤くなるシオン。
 「そんなに見つめないで下さい。照れてしまいます」
 テヘっと蝶々眼鏡の上にヒマワリ眼鏡をかけてはにかむと、麗香のこめかみにぴきっと青筋が立った。
 「見つめてんじゃないわよ。睨んでるの」
 「あれ? 可笑しいですねぇ……。で、如何です、この眼鏡。とってもお勧め、私の一押しなんです」
 断られることなど微塵も感じていない、シオン満面の笑みである。だが、麗香の答えは簡潔且つ冷血であった。
 「却下。ヒマワリ型に日焼けするでしょ」
 「ええっっ!?」
 思いっ切り仰け反り、ショックを隠せないシオンだが、これでへこたれてはいられない。
 次ぎに取り出したのは、フレームが『2006』となっているもの。
 「こちらの眼鏡は、フレームが西暦になっているんですよ。皆さん、ご自身の生まれ年のフレームを買ってくれます」
 「年ぶら下げて歩けって言うの?」
 「で、では、こちらは如何でしょう。今流行の、ストライプ眼鏡です」
 レンズの部分が、まるで檻の様にペイントされている眼鏡だ。弦の部分が、鍵になっているところがチャームポイントであると説明する。
 「隙間から世の中覗いてどうすんのよ」
 「えーと、ではこちらは……」
 「宴会芸はしない主義なの」
 シオンの説明を待たず、麗香が切って捨てた眼鏡は、フレームにはカールしたロング睫毛が、レンズにはぱっちりと開いたお目々が描かれている。
 「では、癒し系の……」
 「トイレの芳香剤は、編集部の経費じゃ落ちないのよ」
 香り付き眼鏡は、麗香に取って癒し系にはならなかった様だ。
 「これはお腹が減った時に良いかも知れません」
 即座に却下が出ないことに、シオンは少しばかり浮かれた。
 だがしかし。
 「何と! 出汁が取れる眼……」
 「味噌汁べったりな顔で、仕事できる訳ないでしょ」
 腕組み足組み女王様モード全開だ。
 「今度こそっ!」
 次々と並べられる眼鏡で、麗香の机は下が見えない状態になっていた。一体何処にそれだけ詰め込んでいたのだろうと突っ込みたくなる量だ。
 そして全てに置いて、一言コメントと共に切って捨てられている眼鏡達を見、麗香を見、シオンはめそりと涙目になって問いかける。
 「あの、一体何処がお気に召さないのでしょうか……」
 どれもこれも、シオンの自信作である。いや、作った訳ではないから、自慢の品と言うべきか。
 「愚問ね」
 勝ち誇った様にそう言い切る麗香は、裏返した手を顎の高さまで引き上げて人差し指を二回、くいくいと動かした。
 頭にハテナマークを貼り付けたシオンは、呼ばれるままにデスクを回り、麗香の横へと並んだ。
 ふふんと笑った麗香は、左側の引き出しを開け『見なさい』とばかりに顎を引く。
 『これは──っ!!! 流石の私も敵いません。む、無念ですっ』
 覗き込んだシオンは、そこにあるモノを見て敗北感に打ち拉がれてしまった。
 「解った? 私の眼鏡はこれって、昔から決まってるからよ」
 そこには、現在麗香がかけている眼鏡が、ずらずららーーーっと並んでいたのであった。


Ende