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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


約束

 0、教師の思惑

 この学校で教鞭をふるったのは、もう十六年も前になる。
 あの頃の私はまだ大学を出たてで右も左もわからず、毎日が手探りで苦労の連続だった。
 だが、授業を始めるまでに、一日の体力の半分を使うと言う現在に比べれば、その苦労も比ではない。子ども達は素直で明るく、教師には威厳があった。私も今でこそ無くしてしまった夢や希望を胸に抱いていた。それが、空回りしない時代であったのだ。
 現場を移動して十二年が経つ。少子化が進み、校舎の取り壊しが決まったと聞いた。時代の波が、また一つ思い出を消し去ろうとしている。哀しいものだ。
 校門にかけられた『立ち入り禁止』のプレートに触れる。アクリル板がひんやりと冷たい。門は固く閉ざされ、来訪者の侵入を拒んでいる。
 校舎の左手にある小さな飼育小屋を眺めるのが、当時の私の日課だった。家畜の世話をするために、朝早く子ども達が訪れる。皆、せっせと小屋の中を掃除し、ウサギや鶏にエサを与えていた。私はそれを、小屋の真上に当たる音楽室から眺めていた。
 朝練に来ていたブラスバンドの子ども達は、そんな私をからかった。練習を見に来ているのか。飼育小屋を眺めに来ているのかと。そのどちらも、私は好きだった。調子はずれな弦の音を聞きながら、動物の世話に励む子ども達の姿を見る。一日の始まりをあらわす、穏やかな序曲となるのだ。当番の子供たちも、良く私に手を振ってくれた。
 楽しくも、懐かしい思い出だ。だが、そこにぽつりと埋もれた、悲しい記憶もある。
 忘れもしない。その日の当番は、四年二組の生徒であった。須藤尚子、本村大介の二人だ。
 いつものように上から眺めていると、二人が小屋の中を右往左往していた。様子が変だと思った私は、階段を駆け下りて飼育小屋へ向かった。私の顔を見るなり、子供たちは泣きそうな声で言った。三羽いるウサギのうち、一羽がいなくなっていたのだ。
 ブラスバンドの子ども達も加わり、皆で手分けして探したが、結局、ウサギは見つからなかった。灰色のメスで、名をチェリーと言う。一番、人なつこくて、子ども達に好かれていたウサギだった。
 このことは、校内でも大きな問題となった。小屋の鍵は開いていて、エサ箱がひっくり返されていた。ウサギは自力で逃げたのではなく、誰かに連れ去られた可能性が高かったのだ。子ども達にはショックが強すぎるからと、事実は伏せたままとなった。
 子ども達は逃げたウサギがいつか帰ると信じていた。中でも、人一倍チェリーを可愛がっていた大介は、チェリーがいつ帰ってきても良いようにと、今まで以上に早く学校へ来ては、飼育小屋の前で待っていた。放課後も促されて渋々帰ると言った具合だった。
 大介は三年生の頃、この学校へ転校してきた子供だ。
 彼は飼育係りを自分から進んで引き受け、当番の日はどんなに具合が悪くとも休まずに学校へ来ていた。彼にとって、誰よりも早く友達になったのが、このウサギたちだったのかもしれない。その上、チェリーは出産が近かった。大介は子供が生まれるのを楽しみにしていたのだ。
 ウサギがいなくなってから一週間。彼は、毎日、小屋の前でチェリーを待ち続けた。
『チェリーは絶対、俺が見つけるから』
 それが大介の口癖になっていた。
 真っ直ぐな目を見ていると、私も彼の行いを強くやめさせることが出来なかった。それが、仇となった。
 その日、大介は珍しく朝寝坊をした。心身共に疲れきっていたのだろう。親は何度も起こしたのだが、起きることができなかったのだ。当番の日と言うこともあり、焦った大介は赤信号を無視して歩道を渡り、車にはねられて死んでしまった。
 あんな結果になるのなら、無理矢理にでもやめさせるべきであった。
 この記憶は、例え校舎が無くなっても消えることはない。
 私は、校舎から立ち去ろうと踵を返しかけた。
 だが、足を止めた。
 飼育小屋の裏から、ふらりと人影が現れたのだ。
 

「あれは、確かに大介でした。見ていると、何度も同じ動作を繰り返すんです。飼育小屋の裏から現れ、消えてしまう。私になにかを訴えかけているようでした。けれど、もう良いんだ。あの子に、諦めろと言ってください。チェリーはきっと心ない誰かに殺されてしまったのでしょう。草間さんなら何とかしてくれると聞いて来ました。彼を、成仏させてやって欲しいんです」
 困り果てた依頼人に、草間は小さく頷く。
「わかりました。なんとかしてみましょう……」
 相手は子供の霊である上、長い間、同じ場所に執着している。単なる説得では、納得しないだろう。力で圧せば、後味の悪い結末になりかねない。最悪、土地に憑く霊となる可能性もある。
「同じ動作か……」
 草間は浮かない声で呟いた。
 探偵を悩ませているのは、事件の内容よりも、依頼人の言葉に含まれていた一言である。
 怪奇は草間を選んでやってくる。
 どう足掻こうと、逃れられやしないのだ。


 1、壁
 
「弱ったわね。ずっと警戒したままだったけれど、大丈夫かしら」
 電話を切ったシュライン・エマの口から、小さな嘆息が漏れた。大介と共に飼育係を務めた、『須藤尚子』の家に連絡を入れたのだが、生憎と本人は留守で、電話口に出たのは彼女の母親であった。
 彼女はシュラインの話に、あからさまな警戒心をみせた。何度も、娘の友達なのかとしつこく問う。なにかの電話勧誘ではないかと、尋ねられもした。
 そうではないとわかって貰うのは一苦労だった。興信所から電話が入り、卒業アルバムを見て連絡をしてきたと言うのだ。にわかに信じがたいのは良くわかる。事情は説明した。しかし、尚子の母は、冴えない生返事を繰り返した。穏やかではない表情が見えるようであった。
「尚子さんからの連絡が欲しいと頼んではみたけれど、あの調子だと、真実を曲げずに伝えてくれるかどうか微妙なところね」
「振り込め詐欺に電話勧誘。他人の言うことを鵜呑みにはできない時代になっちまったからな」
 草間は苦々しく笑って、長く燃え尽きた灰を灰皿に落とす。
 捜査の基本は聞き込みである。だが、昨今では、それがやりにくい。個人情報保護法への過剰反応も、妨げの一つである。欲しい情報を手に入れるまでの距離は、確実に伸びてしまった。地道さと忍耐強さで信頼を築き、一つ一つの壁を乗り越えて行くほかないのだが。
「『彼』と会う前に、尚子さんの話を聞きたかったのよね」
 シュラインは壁の時計を見上げた。
 九時を指していた短針は、正午へと移動している。十三時には、現場に着いていなければならない。依頼人や他の調査員との待ち合わせがあるのだ。
 草間に差し入れを届けに来た東条花翠も、その一人であった。
「そう言えば、中に入ることはできるのでしょうか?」
 花翠に問われ、シュラインは軽く笑んだ。工事を担当することが決まった建設会社と行政からは、すでに立ち入りの許可を得ている。
「ええ。事務所へ寄って、校門の鍵を受け取ってから行きましょ」
「はい」
 二人は、テーブルの上の散らかった皿やカップを片づけ始めた。カチャカチャと陶器の触れあう、小気味の良い音がする。
 花翠が、従兄から勧められた桜のロールケーキは、この季節ならではの、優しい色合いをしていた。まるで、今日の花翠のようであった。
 白のニットとシフォンスカート、その上に薄桃色のトレンチコートを羽織った姿は、フワフワと華やかで、どこか清楚であった。
「開花予想では来週だったな」
 草間が誰にともなしに呟く。
 二人は顔を上げ、草間を見た。草間は花翠のバックを眺めている。小さなカゴに、桜のコサージュがついていた。
「お花見にでも行きたいですね」
 そう言って、花翠は目を細めた。草間は頷き、新しい煙草に火を点ける。
「そうだな。久しぶりに皆を誘ってみるか」
「お酒と食べ物を持ち込みにすれば、草間さんの負担にならずに済むでしょうか」
 貧乏探偵の懐は、春とは言えど温むことがない。
 ここへ来るメンバーは、それを良く理解している。
 苦笑が浮かんだのは草間だけではない。洗い物をするシュラインの横顔にも、同じ笑みが貼り付いていた。

 2、廃校

 校門の脇に佇む梅が、見事な花を咲かせている。
 小石川雨と榊遠夜は、二人並んで白い花を見上げていた。高い塀越しではあるが、梅の持つ趣が薄れることはない。
「綺麗だね」
 もう何度目かになるその台詞に、遠夜は微笑を浮かべて頷いた。
 雨は、先ほどから同じ言葉ばかりを口にしている。それだけ、花に感動しているのだろう。
 昼はバイト、夜は夜間制の学校と忙しい毎日を送っている雨にとって、ゆっくりと花を眺める時間は貴重なのかもしれない。
 待ち合わせの時間より大分早く着いてしまったが、退屈をもてあますこともなく、楽しんでいるように見えた。
「あ、花の中にハチがいるよ」
 雨は遠夜の袖を引き、一振りの枝を指さした。ミツバチが花から花へと忙しなく飛び回っている。
「本当だね」
「これだけ花があると、仕事には困らなさそうだよね」
 無邪気な雨の様子が、依頼人を破顔させた。
「キミたちは高校生かな? 生徒が皆、キミたちのような子なら、教師も幸せなんだが」
 二人の会話の邪魔にならないよう、一歩下がった場所で静かに校舎を見つめていたのだが、つい、漏れてしまったようだ。
 教師は、澤谷と言った。年は三十代後半。日々の苦労が後退しかかった頭部に現れている。今日はシュラインから同行を求められ、二つ返事でやってきたのだ。
「そうではないのですか」
 雨を見る澤谷の目には、微かに悲哀が滲んでいる。遠夜はそれを見逃さなかった。
「うん。難しい世の中だよ」
 澤谷は、自分が教師であることと、遠夜たちの肩書きを考慮したようだ。語らずに、苦い笑顔を返す。
 だが、遠夜には、その笑みに含まれた事情を察することができなかった。
 小学校と言うものを、遠夜は知らない。幼い頃は、籠の中に捕らわれた小鳥のようなものだった。家から出ることを許されなかったのだ。自分の中に棲食う、暗く病んだ力が原因なのだが。
 遠夜は校庭を眺めた。
 片隅に、コンクリートの山がある。頂上から数本の鎖が垂れていた。下にはトンネルが開き、通り抜けが可能となっている。子供達のための遊具の一つであった。
 うんてい、鉄棒、ジャングルジム。ブランコに登り棒と言ったものもある。それらはカラフルな色に彩色してあった。
 遠夜には、目に見えるもの全てが新鮮であった。
 物思いにふける遠夜と同様に、澤谷もまた、静かに校舎を見つめていた。
 子供達を見守り続けてきた大時計が、十一時をさして止まっている。電力が止められたせいだろう。校舎が息吹くのを止めたその日、大時計の役目も終わったのだ。
 ここは廃校なのだと、それらは無言で訴えていた。
 それぞれの思惑が飛び交う。
 雨は邪魔をしないように、二人の背中を眺めていた。
「お待たせしてごめんなさい」
 背後からかかった声に、三人は振り返った。
 シュラインと花翠であった。
 シュラインは、大きな風呂敷包みを抱えていた。エンジ色に白い桜が咲いている。一メートル近い長さがあった。フライ返しを大きくしたような形をしているのが、布越しに見てとれる。三カ所に麻紐を巻き付け、風呂敷がほどけないようにしてあった。
「それは?」
 雨はシュラインに尋ねた。
「スコップよ。もしかしたら、必要になるかもしれないと思って」
「じゃあ、シュラインさんも、飼育小屋の後ろに『なにかがある』って考えてるんだね」
 皆、同じ考えに辿り着いていた。その言葉の意味に気づいたようだ。澤谷は愕然とした様子で、シュラインの顔を見た。
「まさか、チェリーが……?」
「そうなのかもしれません」
「そんな。そのことを知らせるために、大介が現れたと?」
「多分、ですが」
「では、一体いつからそこに?」
 それは誰にもわからない。本人から話を聞くしかないだろう。
 シュラインはバッグから銀色の鍵を取り出した。
「校舎に入る許可は得ていないんですが」
 断りを入れた先は、澤谷である。
 澤谷はすっかり消沈した様子で、静かに頷いた。
「結構です。飼育小屋へ近づくことさえできれば……」
 校門がゴロゴロとくぐもった音を立てる。五人は揃って、足を踏み入れた。
 飼育小屋は、入口を入って左奥にあった。校庭を向いて建っている。右手は花壇、左手と背面は塀だった。
 どこの学校にでもありそうな、特徴のない造りである。三方が緑色のフェンス、背面にあたる部分はトタンで出来ていた。下側をコンクリートにするのは、ウサギが穴を掘って逃げ出さないためだ。屋根の庇は少し長めで、雨が吹き込みにくくしてあった。
「本当に、動物を育てていたんだね」
 飼育小屋を初めて覗いた遠夜が言った。小学校にこんなスペースがあることを知らなかったのだ。
 教師は驚いたようであったが、事情を問うほど、ぶしつけではなかった。その代わり、思い出の一つを口にした。
「ウサギやニワトリ、インコを飼うこともある。時には、アヒルも。攻撃的だったニワトリは生徒から怖がられていたが、ウサギは仕草が愛らしいから人気があった」
「その中でも、チェリーさんは可愛がられていたのですね」
 澤谷は哀しげな微笑を浮かべて、花翠を見る。
「抱き癖のないウサギは、触られると直ぐに逃げてしまうんだが、チェリーはじっとしていた。大介も良く、チェリーを抱いていた。その人懐こさが、仇になったんだろう。チェリーでなく他のウサギだったら、大介もそれほど執着を見せなかったかもしれない」
 廃校が決まって、住人達はどこかへ移動したのだろう。
 トウモロコシ片やアワなどの鶏のエサが、剥き出しの地面を飾る星のように散らばっている。水入れとエサ箱はひっくり返り、地面から突き出た止まり木は、あちこちがボロボロに囓られていた。
 飼育小屋の中は、小さな戦が起こったあとのようだった。
 澤谷は、この小屋の裏から出入りする大介を見かけている。だが、今日はまだ姿を見せていない。澤谷がたまらず呼び掛ける。
「大介、いるか?」
 なにかが動く気配も、応じる様子もない。辺りは静まりかえっている。澤谷は首を傾げたが、遠夜だけはごく薄い霊波を感じ取っていた。
「後ろにいるようだけれど、とても弱ってるよ。もうここに長く留まっていられないかもしれない……」
「大変。急ぎましょ」
 シュラインはスコップを取り出しかけた。その手が止まる。
 小屋の後ろから、白い『もや』のようなものが出てきたのだ。

 3、大介

「彼なの……?」
『もや』は子供ほどの人型を為していた。周囲が透けて見えている。頭と胴体が、かろうじてわかる程度だ。誰であるのか判別はつかない。
「大介くん、だよね?」
 雨は『もや』に向かって問いかけた。『もや』は五人の前に佇み、ゆらゆらと前後左右に揺れている。返事はない。雨は遠夜へと目をやった。大介の代わりに、遠夜が小さく頷いた。
 澤谷は、大介の変わり果てた姿を受け入れられずにいる。
「いや、だが、彼はもっと」
 遠夜はじっと『もや』を見つめた。
「もともと、そんなに強い思念じゃなかったんだろうね。チェリーさんの居場所を教えるために、力を使ってしまったから。この形もやっと維持しているよ……」
 違和感があるけれど。
 最後の言葉は遠夜の中でだけ呟かれた。
 それがなんであるのか。探ろうとすると、大介の思念が邪魔をする。無理をすれば、大介自身の消失に繋がりかねないだろう。悪しきものではない。遠夜は見て見ぬふりをすることにした。
「私たちの言葉は通じるのでしょうか?」
 花翠の問いに頷いたのは、やはり遠夜だ。
 花翠は『もや』の前に腰を下ろし、顔があるであろう辺りに向かって話しかけた。
「大介さん。もう、楽な格好に戻って大丈夫ですよ。先生も私たちも、チェリーさんを助けるためにやってきました。大介さんが伝えたかったことは、ちゃんと伝わっています」
 人型の輪郭が崩れていく。頭部も胴体も空気の中に溶けて行った。残ったのは、野球ボールほどの、うすぼんやりとした発光体だ。人型の立っていた場所に浮かんでいた。
 ――皆、ついてきて。
 声ではない。頭に直接響く音のようなものだ。発光体の発したそれを、皆、聞き取った。驚いたのは澤谷である。
「話ができるのか」
 ――うん。この格好だったら少しだけ。でも、あんまり時間がないんだ。
 光が移動するのに従って、五人も小屋の裏手に回った。幅は七、八十センチと言ったところであろう。雑草が僅かに生えている以外には、なにもない。
 ――ここだよ。
 光はほぼ小屋の中央で止まった。足下を囲う、コンクリートの下だ。
 澤谷がシュラインの前に進み出た。
「お願いがあります。私にスコップを貸して貰えませんか。この子に、償いがしたい。気がついてやれなかった、償いを……」
 強い目であった。哀しげでもある。シュラインはスコップの柄を、澤谷の手に握らせた。
「彼もその方が喜ぶでしょうね」
「ありがとう」
 澤谷はシャツの袖をまくりあげ、スコップを突き立てた。土は硬く、容易には起こせない。額にうっすらと汗が浮かんだ。
「今、ガサって音がしなかったかな?」
 三十センチは掘り進んだだろうか。スコップの皿の部分が、穴の中に埋まる深さである。穴の中を指さす雨を見つめ、澤谷も首をひねった。
「感触もおかしい」
 スコップを引き上げた。白いものが見える。スーパーなどで、買い物をすると貰えるビニール袋のようだ。
 ――チェリーは、その中だよ。
 光が言った。
 ――他の場所に埋めてあげて。工事が始まったら、チェリーの体は……。
 重機は建物を粉砕し、土を掘り返す。チェリーは大量に出る廃棄物の一部となるか、土の中に放置されたまま、新しい施設の下に眠ることになるだろう。
 澤谷は無言でビニールに手をかけた。
 もう心配しなくていい。
 そう呟くのが聞こえた。
 穴の外に出たチェリーを見つめ、大介は安心したようだ。球体が一回り小さくなった。別れの時が迫っているのだ。
 教師は震える声で、光に話しかけた。
「いつから、ここにいたんだ?」
 ――ずっとだよ。
 ギュッと目を閉じる。澤谷の苦痛が、皆にも伝わってくる。
 記憶の底に名前が沈み、噂に上らなくなったあとも、彼はここにいたのだ。
 ――俺、チェリーと約束したんだ。絶対、見つけるって。それで、事故のあとにここへ来たら、チェリーが蹲ってるのが見えたんだよ。一緒に行こうって誘ったんだけど、体から離れることができないんだって。だから俺、一緒にいることにしたんだ。チェリーが離れられるようになるまで。
 チェリーは死にきれなかったのだろう。その身の埋まる場所に想いを残してしまったのだ。
 感じていた違和感の正体に、遠夜は気づいた。
「チェリーさんは、キミの中にいるんだね」
 ――うん。
 やや躊躇いの混じる口ぶりで、大介は言った。
 ――チェリーは死にたくなかったんだよ。赤ちゃんも産まれるはずだったし、学校も好きだったから。でも、人間が嫌いになっちゃったんだ。ここで震えてたんだよ。だから、放っておけなくて。
 教師の口から、吐息と共に深い自責の念が漏れる。
「もっと早くに気づいていれば、こんなに長い間、ここに縛り付けられることも無かったのにな。ごめんな、大介」 
 ――先生は悪くないよ。だって、俺が出ていかなかったんだから。学校がなくなるって聞いて、誰かにチェリーのことを教えなきゃって思ったんだ。わかってくれたのは先生だけだったよ。
 灯火がゆっくりと消えて行くように、発光体から光が失せて行く。これ以上、大介と話すことは困難だった。
 ――来てくれてありがとう。チェリーがもう行こうって。
 それが大介の最後の言葉だった。
 彼は光の消失と共に、無に還っていった。あとには、彼らが存在していた証が残された。チェリーは長い年月を越え、小さく軽くなっていた。
 シュラインはその傍らに、淡いピンクの風呂敷を広げた。スコップをくるんでいたものと同じ、桜の柄である。
「どこか、落ち着ける場所が良いわよね」
「ここから十分も歩けば、土手に出ます」
 意を察した澤谷が、風呂敷の中央にチェリーを移し替えた。塞いだ穴に皆で黙祷を捧げる。
 その場を離れようとした時であった。
 シュラインの携帯が鳴り響いた。開いた画面には、03で始まる十桁の数字が表示されていた。身覚えるあるナンバーだった。
「尚子さんだわ」
 皆は足を止め、シュラインを振り返った。
 あれだけ不信そうだったにも関わらず、尚子の母は話を伝えてくれたようだ。シュラインは花翠に目配せをした。
 尚子は、当時の様子を詳しく覚えていた。
 そして、学校側の知らない事実も知っていた。
 電話は思いのほか長引き、話し終えたシュラインには疲労感が漂っていた。

 4、真相

「犯人がわかったわ」
「え?」
 思わぬ展開に、雨は言葉を失った。
 話の先が気に掛かる。皆、シュラインの声に耳を傾けた。
「卒業生の一人だそうよ。塾で怒られた帰りに、飼育小屋で憂さを晴らすことを思いついたのですって」
「そんな理由で、命あるものから生を奪うなんて」
 遠夜は言って口をつぐむ。表情こそ変わらなかったが、声には幾ばくかの起伏が見られた。
「この学校にいたのなら、どれだけ懸命に、子供達が動物の世話をしているのかを知っているはずだ」
 澤谷も、信じられないと言った風に首を振る。
「それが土壇場で思い直したそうなの。いざ、飼育小屋に入ったら、可哀想で出来なかったらしいわ」
「じゃあ、どうしてチェリーは死んだの?」
 シュラインは首を傾げている雨から、教師へと視線を移す。
「澤谷さんがおっしゃっていた通りよ。人懐こいことが、仇となったようね。彼は暗がりで引き返そうとして、そこにいたチェリーを踏んでしまった」
「あぁ……」
 彼の弟は、大介と同じクラスにいた。だから、騒動になっていることは自然と耳に入った。だが、言い出すことはできなかった。彼がやったとわかれば、弟の立場も悪くなるからだ。
 彼は処分するつもりで持ち帰ったウサギを、後日、飼育小屋の後ろに埋めた。翌日は雨だった。掘り返した土が慣れると、彼はホッとした。直ぐには見つかって欲しくない。ほとぼりの冷めた頃で良い。誰かが気づけば、自分のできない供養をしてくれるだろう。それを償いとした。
 彼は、久しぶりに逢った旧友と飲んでいた席で、ドキリとする質問を受けた。あの夜、学校のある方角から、猛スピードで自転車を走らせる姿を見たと言うのだ。十年は経っていただろう。旧友は冗談半分に自白を促した。それまでに口外したことはなかった。罪悪感と酔いが口を軽くしたのだ。彼は全てを語った。
「尚子さんがその話を知っていたのは、その旧友が、彼女のお兄さんだったからなのですって。お兄さんは事件当時の尚子さんの落胆を知っていたけれど、友達を疑うのも嫌だったそうよ」
 それ以上、真相が外に出回ることはなかった。人が死んでいるのだ。昔のことだとは言え、面白半分に口に出せる内容ではなかったと、尚子は語った。
「誰を責めたら良いのでしょうね」
 花翠は憂いを宿した瞳で、澤谷の手に提げられた風呂敷包みを見つめた。
 彼の弟が同じ小学校でなければ――
 チェリーが逃げていれば――
 彼が飼育小屋に入らなければ――
「全てが、悪い方へと作用してしまったのですね」
「ええ。本当に。しかし、彼が誰であれ、生き物を殺めて平気でいられる子ではないことにホッとしました」
 澤谷は穏やかであった。責めどころを失って、拍子抜けしたようにも見える。心情は複雑なのであろう。
 それを汲み取るように、遠夜が言った。
「そうでなければ、『悪い夢』ぐらいは見せても良かったかな」
「そうね。そうでなければね」
 懲らしめるのは造作もないことだが、不可抗力の上、長く苦しんでいる。罪の償いとしては、もう十分だろう。
 シュラインは頷いたが、遠夜の持つ陰陽の力を知らない澤谷は、不思議そうに首を傾げていた。
 校門が再び閉じられる。
「綺麗だね」
 咲き誇る白花を見上げて、雨が目を細めた。
 梅が終われば、桜が来る。
 卒業を待たずして逝った彼にも、巣立ちの時が訪れたのだ。













                         終
 



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 (年齢) > 性別 / 職業】

【3149 / 東条・花翠 / とうじょう・かすい(20)
     女 / 大学生・モデル】


【0086 / シュライン・エマ / しゅらいん・えま(26)
     女 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
 
【0642 / 榊・遠夜 / さかき・とおや(16)
     男 / 高校生/陰陽師】     

【5332 / 小石川・雨 / こいしかわ・あめ(16)
     女 / 高校生】


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■          あとがき           ■
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 こんにちは。紺野です。
 長らく長らく長らく、ああ、もう本当に!
 大変、お待たせしてしまい、申し訳ございません!
 窓を開けると、何故か、私事で荒波が押し寄せます。
 呪いなのでしょうか(滝汗)。
 おかげで、エクセルと表計算が大嫌いになりました……。
 初エクセルで、最後の別れを誓うほどです。

 この度は、当依頼を解決してくださり、有り難うございました。
 少しでも楽しんでいただければ幸いです。
 
 苦情や、もうちょっとこうして欲しいなどのご意見、ご感想は、
 謹んで次回の参考にさせて頂きますので、
 どんな細かな内容でもお寄せくださいませ。

 今後の皆様のご活躍を心からお祈りしつつ、
 またお逢いできますよう──
 
 
                   紺野ふずき 拝