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<東京怪談・PCゲームノベル>


空鞘の歌

 東京では盛りを過ぎた桜が、ゆらめきながら細い流れに乗り、土手の下を漂っていく。
 流れの上流にまだ花の咲いている場所が残っているのだろう。
 それを眺めながら杖をつき歩むセレスティに、前を歩いていた結城が振り返って声を掛けた。
「疲れませんか?」
「いえ、ゆっくり歩く分には、これ位がいい運動になります」
「そうですか」
 結城自身も左足をやや引きながら歩いているので、決して歩む速さは早いとは言えない。
 かつて狭間との戦いで痛めた、としかセレスティも聞き及んでいない。
 ――今、尋ねる事ではないですしね……。
「ああ、あそこじゃないですか?」
 立ち止まった結城の視線の先、細い枝に白い花を抱えた桜が慎ましやかに立っていた。
 その木の元では、一足先に結城の雪狼が主人を待っている。
 セレスティはほぅ、と息をつき、
「やっと、会えましたね……」
桜へと歩み出した。
 その手には、刀の納められた鞘が握られている――。


 セレスティ・カーニンガムは移動に使っているリムジンを屋敷に返し、ステッキを頼りに路地を歩いている。
 狭い路地で大型の自動車は小回りが利かないのもあるが、この界隈には徒歩が似合うようにセレスティは思うのだ。
 東京という街が無機質なもので作りかえられていく中、未だに日本家屋が並ぶ間で歩を進めていると、まだ人の心に柔らかな何かが残っていると感じられる。
 長い刻を過ごしても、まだそれが何なのか、輪郭も掴めていないのだが……。
 路地を抜けた先に暖簾をかけた得物処・八重垣は着物姿の少年が一人商う店で、話し好きな少年・八重垣芳人の人柄もあってか、武器を求めずとも店に立ち寄る者は少なくない。
 セレスティも直接武器を手に何者かと闘おうという立場ではないので、その細工に目を留め、由来を聞くのを楽しみにしているただ見客という事になる。
 ――何にせよ、居心地の良い事には変わりありませんね。
「あ、それ珍しいでしょう? 鞘だけで」
 ふと目にとまった木製の鞘を手に取ったセレスティに、芳人が声をかけてきた。
 桜らしい木の皮を巻いた木製の鞘は、表面にうろこ状の彫刻が施されている。
 この文様はアイヌの工芸品で見た事がある。
「メノコマキリっていう、アイヌの小刀です。でもうちにあるのは鞘だけなんですよね」
 着物に白い前掛けをまとった芳人が、セレスティの手元を覗き込んで言った。
「刃の方は行方が知れなくて……結城さんに探してもらおうと思ってたところなんです」
 芳人の言葉に出てきた人物――結城は結城探偵事務所の所長だ。
 結城は八重垣の武器を使っているため、芳人とも懇意にしているらしい。
「……アイヌの男の人は、好きな女の人に自分で作ったこの刀を贈ったそうです。
二人が結婚した後、もし旦那さんが先立ってしまったら……奥さんは刃の方を棺に収めて、鞘だけを持っていたそうですよ」
 かつての恋人たちに意識を向けているのか、芳人の声は静かに響いた。
 ――もう持ち主は、すでにこの世にはいないのかもしれませんね……。
「鞘と刃は一続きのものです。
もし持ち主がわかるなら、僕は一緒にしてあげたいんです」
「売り物ではないのですか?」
 店頭に並んでいるのに、というセレスティの疑問に、芳人は笑った。
「うちは武器商いですから。
それに、刃を探して欲しいって初めに仰ったのは、うちの旦那様なんですよ」
 芳人の言う旦那様というのは八重垣の店主だろう。
 ここにある武器は店主の作だ。
 かつての小刀の持ち主について思いをめぐらせていると、結城が現われた。
 穏やかな印象の白髪の男だ。
 常にその足元には彼の視力を補う白狼が付かず離れず寄り添っている。
 知り合って後に目が見えないのだと知って驚いたものだ。
 ――でも、どうして視力を無くしてしまったのかは知らないのですよね。
 いつかそれを彼自身の口から聞く日が来るだろうか。 
「セレスティさんもこの鞘に興味をお持ちですか?」
 セレスティは鞘を持ったままだと気付いて、慌てて芳人に返した。
 しかし自然と鞘に惹かれる視線を抑え切れない。
 ――何が私を惹き付けるのでしょうか? 悲恋の結末が……不遇の愛が?
 セレスティの疑問を感じたのか、結城が言った。
「もし宜しければ、調査のお手伝いをお願いできませんか?
少し立て込んでいて、うちの事務所でこの調査にあたれる人員が一人しか割けそうにないので」
 結城は「勿論、ご都合がつけば」と付け加えた。
 結城の足元から白い狼が人懐こい赤い瞳で見上げる。
 それは結城のもう一つの貌だ。
 赤い瞳が湛えた温かさに後押しされ、セレスティは調査の手伝いを承諾した。


 得物処八重垣で目にしたアイヌの小刀に興味を持ったセレスティは、結城の調査に加わる事になった。
 ――調べるための手掛かりが、今の所少ないようですが……。
「こちらのお店に来る前は、どなたがお持ちだったのでしょう。
八重垣には台帳か何かありませんか?」
「あっ、お待ち下さいね」
 セレスティの疑問に芳人が奥へと向かい、分厚い台帳を取り出してきた。
 しっかりとした和紙に、流麗な筆文字が躍っている。
「……ええと、旦那様が買われたのは結構最近ですね。
個人の、好事家の方のようです」
 間近でよく見ると、うろこ状の模様とは別に、その上から文字のようなマークのようなものが彫られている。
 ――持ち主のお名前でしょうか。
 セレスティにアイヌ文化の知識はないので、それがどんな意味を持つのか今の時点ではわからない。
 結城が鞘に彫られた模様を指でなぞりながら芳人に聞く。
「直接アイヌに連なる方が売った訳ではないんだね?」
 記された住所は都内のものだった。
 八重垣の店主は松江に居を構えているが、ごくたまに東京へと出てきているらしい。
 芳人が重い台帳を小上がりの畳の上に開き、言葉を選びながら慎重に答えた。
「そうですね。
お名前だけではわかりかねますけど……。
もし自分たちの先祖が作った物だったら……売らないと僕は思います」
 セレスティと結城の視線が自分に向いた一瞬の間に、芳人は顔を赤らめて言葉を繋ぐ。
「あ、お店やってる僕が言うのも変ですけど。
これはたった一人の為に作られた物でしょう?
それに、鞘だけが残っているというのは、贈られた男の人が亡くなっているという事だし……。
もしご家族がいたら、女の人のお墓に入れますよね。これも」
 大切な物ならば尚更手放さずにいると思うのが、セレスティも自然だと思った。
「俺もそう考えるのが自然だと思うな。
地道に以前の持ち主を回ってみるしかないようですね」
 ――それなのに何故、鞘だけが好事家の手に渡るような事になったのでしょうか。


 数日後、セレスティの屋敷を訪ねた結城の表情は芳しいものではなかった。
 二人の間、テーブルの上には八重垣から借り受けた鞘が置かれている。
「……なかなか直接の持ち主には行き着きませんか?」
 セレスティは持ち前の情報網を駆使し、実際に行動するのは結城が担当している。
 が、アイヌに関する情報自体が少ないだけに、調査は難航していた。
 転々とした好事家同士に繋がりは無く、どの人物も手に入れた時は鞘のみだったと口を揃えている。
 結城は足元に身体を横たえた雪狼に視線を落とし、慎重に言葉を選んで答えた。
「アイヌの流れを組んでいるという事は、あまり公にしたがらない人が多いのですよ。
まだ、この時代では」
 セレスティははっと胸をつかれたような感覚を覚えた。
 ――民族差別が、日本にもあっただなんて……。
「この国でも、そのような事が……」
 日本の国を構成する人間はモンゴロイドが大半で、セレスティから見ればほぼ差異など認められないように思えるのだが。
「それすら知られていないのが、この国なんですよ」
 膝の上に指を組み、結城はソファにもたれた。
「自分がアイヌの言葉を話せる事も秘密にしているくらいです。
そしてそういった古老たちが亡くなった後は、誰もどんな言葉が話されていたかわからなくなる……」
「言葉が、失われていくだなんて……」
 自分たちと異なる者への迫害は、セレスティの過ごしてきた長い年月の間にもあった。
 しかし、日本はそういったものとは無縁だと思っていたのだ。
 ――ここも、他の国と変わらないのですね……。
 物憂げに瞳を伏せるセレスティに、結城が言う。
「それでも近年はアイヌに対する評価も変わってきています。
彼らが口述を重要視していたために、文字を持たないと思われてきましたが……それも覆されつつあります」
 テーブルに置いた鞘を手に取り、結城が模様の上から彫られたものを指差した。
「ここに彫られているものは、明らかに後から入れられたものです。
アイヌの言葉は今私たちが使っているものと、文法的に近く、単語を並べればそのまま文になるくらいなんですよ」
「どういった意味でしょうか?」
 首を傾げるセレスティに結城は答えた。
「クアニ  ソモ チオヤオヤ――ソモは否定語で、『私は泣かない』という意味です」
 セレスティの心に、伴侶を失くしても、残された家族を守ろうと決意する女の姿が浮かんでくる。
 ――強く生きようとした方だったんですね。
「もう少し調査範囲を広げてみようと思っています。
東北と北海道にはやはりアイヌ縁の物が多いですしね」
 立ち上がった結城は再び鞘を手に取る。
 結城を見送るセレスティが思いを言葉にした。
「強い思いが込められてるなら、引き合うかもしれませんしね」
「そうですね……俺もそう願っています」
 結城もそう言って微笑んだ。


 結城からの連絡が無いまま、更に数日が過ぎていった。
 その間、セレスティは財閥の主事としての業務をこなしながらも、ふと気付けば、あの鞘の持ち主を思わずにいられない日々だった。
 ――厳しい北の大地で、彼女は何を思いながら生きてきたのでしょうか。
 薔薇が甘やかな香りで満たす温室で紅茶を飲みながら過ごす時間にも、凍てついた冬と、一瞬だが鮮やかな夏の幻想に思いを馳せる。
 と、召使がセレスティの元へと結城からの連絡を告げた。
 電話の向こうの結城は、彼にしては珍しく興奮気味の口調だった。
「東京にあったんですよ、刃は」
「今、どこにいらっしゃるんですか?」
 結城が告げた場所は、都内の大学研究室だった。
 民俗学の資料として大学が北海道の博物館から借り受けているらしい。
「本当に引き合ったようですね」
 自然と笑顔になりながら、セレスティは結城の言葉に耳を傾けていた。
「セレスティさんもこちらへいらっしゃいませんか。
鞘が刀を納める瞬間は、あなたも立ち会いたいでしょう?」
 受話器の向こうで、「ああ、お忙しいですか?」と気遣う声が続く。
 ――結城さんらしいですね。
「すぐに向かいますよ。
それまで待って頂けますか?」
「……あ、研究室がもうすぐ閉まるそうです」
 気まずそうな結城の声が聞こえた。
 クス、とセレスティは笑って結城の言葉を促した。
「それではどこかで待ち合わせましょうか?」
「そうですね……」
 セレスティはまだ桜の花を咲かせている、静かな場所へと思いをめぐらす。
 ――そんな場所で再びめぐり合えたら、きっとお二人とも幸せな気持ちになるのではないでしょうか。
「それでは、私が言う場所でも宜しいですか?」
 メモを取る間を置いて、セレスティは結城にとある場所への道筋を伝えた。
 ゆったりと流れる水が、穏やかな陽光を反射してきらめくあの場所。
 その上流には、遅咲きの桜が枝を広げている……。

 
「やっと、会えましたね……」
 それは桜の木の下に、淡い影となって立っている男女に向けられた言葉だった。
 薄紅よりも更に白い、慎ましやかな山桜の花の下。
 アイヌ伝統の民族服を見にまとった男女が手を取り合っている。
 メノコマキリに残されていた思いが、形を取って現われたのだ。
 セレスティの手の中、刃を納めた鞘はほのかに温かい。
 ――これは私の温もりでしょうか、それとも……。
 男女はセレスティたちに一礼して、消えていった。
 風が舞い上げた桜の花びらがすぐ傍の水の流れに落ち、その先を目指して長い旅路につく。
 海の向こう、春の向こうへ。
 時の流れからすれば一瞬のようなひと時、引かれ合った二人の思いを乗せて。
 

(終)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】

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■         ライター通信          ■
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セレスティ・カーニンガム様
ご参加ありがとうございます。
今回は特に戦闘要素などもないので、淡々と調査が進んでいます。
プレイングによっては『人食い刀』との戦闘という流れもあったのですが、別れ別れになった二人(鞘と刀)を引き合わせる所をメインにさせて頂きました。
少しでも楽しんでもらえると嬉しいです。
ご注文ありがとうございました〜!