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渡辺家奇譚〜陰の巻〜
そんな感じで暫し後。
一般人な感覚では敷地内の空間の広さやらあるものがデタラメ過ぎる渡辺家。その実態に驚かされっぱなしだった友人――中原慎太郎が家主の綱から最後に案内されたのが――敷地内を案内されている途中で目に止めた、そして同時に渡辺家の敷地に入る前にここがそうなのだろうと目にした、そして綱当人もそう説明した、有り触れた普通の建て売り一軒家の――『渡辺家』。
一時、ひとまず屋敷の方にある二十畳もある和室で綱は中原を持て成そうとしたのだが――それでは中原の方がどうしても落ち着けず、結局、向こうの家が――お前の部屋がいいと泣き付かれてしまった。…やっぱり避けるのは無理だったか。綱はわかったわかったと苦笑しながら、中原をそちらに案内する覚悟を決める。
できるなら、『あちらの家』には連れて行きたくなかった。
…そりゃ、連れて行ってもいいんだけど、さ。
■
ただ。
向こうに連れて行ったら、親の事、気付かれる可能性が増えるから。
こいつは、凄く、御節介だから。
…俺の事を、自分の事のように置き換えて気遣ってくれる可能性が、高いから。
だから綱は、『こちらの家』に中原と言う大事な友人を連れて来るのに、気が引けていた。
案内するのに、ちょっとした覚悟が必要だった訳で。
…敷地の片隅にある一戸建ての渡辺家。綱からそこに案内され、漸く中原はほっとしたようだった。少なくとも見た目だけは普通の家だったから、そういう事なのだろう。
だが。
またもや、その玄関に一歩入り込むなり止まっている。
…ああ。
もう、気付かれたな。
思うが――綱も、わざわざ触れない。
わざわざ、言うような事でも無い。
悲しい事だけど。
寂しいけど。
だけど――こいつまで、その感情に巻き込まなくて良い。
その一戸建て――綱と中原が来る前から、屋内に人の気配は、する。
だが『屋敷』の方とは違い、誰も綱を迎えに出ようとする者は居ない。
それでいて、気配はあからさまにこちらの様子を伺っている。
物音一つ、しない。
空気の動きが無い。
何処か張り詰めた何かが、ある。
部屋のドアを隔てた向こうか、壁を隔てた、廊下を隔てた向こうか。とにかく明らかにすぐ側に誰かが居、こちらに綱と中原の二人が居る事に気付いていながら――何の動きも見せて来ない。
おかえりの声も掛からない。
が。
綱はそれも当然の事のように、上がれよ、と中原を促している。
少し、寂しげな顔だったと中原が思ったのは、気のせいだったか。
■
中原は玄関で止まったそこで、綱に何も問わず、言わないまま少し思考する。途惑いながらも、この状況に付けるべき説明を探す。少しは平和な可能性を考える。
元々出迎える習慣が無いのか、とか。
友人が訪れるのが珍しいから興味津々、だけどプライドとかそう言う問題で、それを直に見せる気は無いとか。
実はここに住む方々は、とんでもなくシャイだとか。
いや、違う。
…どうにかして良い方に、無難な方に考えようとしてみても、無理がある。
そんな感じでは、無かった。
綱の態度からしても、それを裏付けるようにしか、見えない。
中原はそこまで察している。
少し前、この一戸建てについての説明を中原が綱に求めた際、綱自身がついでのように言っていた言葉――「俺だけが住んでいる訳じゃないけど」。それはつまりは、綱の自室があるのみならず、他にも誰かが住んでいる事は予め言っていた事になる。ただそれでも、あまり詳細を語りたくは無いように軽く流された。
そして。
綱は家族については――両親については、外の者に――この中原にさえも話した事が無い。むしろその話題をごく自然に避けている節がある。
中原にしてみても、ここに来て初めて、綱が何故自分の親の話題を避けるのか、その理由を察する事が出来てしまった。
………………玄関の二人を伺う、何とも言えない居心地の悪い気配には…覆しようのない『警戒』と『怯え』が含まれていた。
綱の他にここに住んでいるのは、綱の、両親。
その実の親から、こんな風に相対されているのなら。
それは――話題に出したくもないと思う。出せないと思う。
…のに。
綱は、俺の部屋は二階の洋室だから、と少し寂しげに笑いながら、中原を促し廊下を進み、階段を上って行く。
少し寂しげではあるが、別に特別な事でもないような、普通の態度。
…その上に。
あんまり気にするなよ? と、綱の方から中原に、逆に気遣うような声が投げられていた。
それだけでも、中原は堪らなくなる。
が、何も返せない。
■
渡辺家の者とは言っても。
綱の両親は、特別な力を持つ訳ではない、普通の人間。
この有り触れた建て売り一戸建ての家からもわかるように、普通の家に普通に住んでいるような、普通の人。
綱も昔はそんな家の普通の子だった。
それまでは普通に親子として家族として…接していた。
けれど。
綱が渡辺家当主として覚醒した事から、罅が入った。
…仕方無かったのかもしれない。不可思議な力を振るう我が子。それに伴い関わって来る宮内庁の動き。何事か大きな事が周囲で動いている、それも自分たちの子の事で。…綱の両親はそれまで何も知らなかったに等しい以上、目の前で起きている現実が、許容できる範囲を軽く超えていた事は想像に難くない。
むしろ他人であったなら、友人知人としてなら比較的容易に受け入れられたのかもしれない。だが、己が血を分けた子が、となれば。
逆に、恐ろしくて堪らない。
直接確かめる事は出来ないが、きっと、そういう、事なのだろう。
だから、綱との接触を拒んで生活している、のだろう。直に会えば怯えを見せてしまう、何かの拍子に化物と罵ってしまうかもしれない。綱が怖い、それもあるけれど――そんな怯える自分たちの姿を見せ綱を悲しませるのも辛い――そんな思いもあるのかもしれない、と考えるのは都合が良過ぎるだろうか。何も無くただひたすら綱が怖いだけであるのならただ綱を捨てれば――ここから逃げ出し、出て行けば一番確実で簡単な筈だ。だが綱の両親はそうしていない。
拒んでいても、離れてはいない。
だから、そんな今の関係が、精一杯なのだと。
悲しいけれど、綱はそう理解している。
両親の精一杯の譲歩だと。
これでもまだ、親に見捨てられてはいないのだと。…そう形容して良いのなら、まだ愛されてはいるのだと。
思って、綱はこの家の、元からの自室をプライベートルームとしてずっと使用している。
…屋敷の方には、その気にさえなれば他に幾らでも代用になる部屋があるのに。
直に顔を合わせる事は出来なくても、出来るだけ、傍に居るよう――せめてこの距離を保っていられるよう努めたい、と。
綱は、思っている。
だから、最低でも寝る時だけは、必ずここに帰って来る。
この部屋には、昔の、両親との関係が今のようになる前までの思い出の品も、密かに残してある。
■
…殺風景な部屋と言ってしまっては言い過ぎか。
綱が中原を案内した自室は、必要最低限の物しか置かれていない。机に椅子、ベッド、洋服箪笥と言ったところか。飾り気も何も無い。ひょっとすると生活感すらも稀薄だ。事前に中原が察していたように、年頃の少年なら誰でも一つや二つは持っていそうな雑誌やゲームにマンガ等の遊ぶ物も無い。ここでどんな生活をしているのか、容易く察しが付く状態。
中原は改めて持参した紙袋の中身を意識する。
綱の親子関係については、手出し口出し出来はしない。この生活についても。
だがその代わり、年相応の友人としてなら。
…綱を支えて行く事、俺以外の誰が出来ると言うのか。
改めて、奮い立つ。
そして当の部屋に付いたら、綱の方も中原の持参した紙袋を気にし出した。促されるまま中原もその中身を取り出し、一つ一つ簡単に紹介。最近流行りのマンガはどれだとか、いけてる芸能人はアイドルはモデルは誰だとか。どんなファッションが流行っているかとか。健全な高校生男子としては持ってて普通っぽい、あまり大きな声では言えないようなオトナのグラビア系雑誌――まぁぶっちゃけエロ本なんだが――まで密かにちょっとだけ持って来てみた。それについては説明を聞くまでも無く見てわかったか、おおおと綱も速攻で反応していたりする。続けて適当に見繕った各種テレビゲームや映画DVDのソフトも紙袋から取り出した。特にゲームの方はソフトのみならずゲーム機ごと持参。
が。
ここで一つ問題が発生。
…この部屋にはDVDのハード機どころか、ゲーム機を接続するべきテレビすら無い。
曰く、綱は日常殆どテレビを見ないとの事で、テレビは一階にしか無いとか。
さすがにそこまでは中原も読めなかったらしい。…今時はテレビは一家に一台では無く一人に一台時代である。
そこで止まって考える中原に、一階にならテレビはあるけどと綱はあっさり。そして、行こーぜ行こーぜ、とあっさり立ち上がる綱に、再び中原は――先程屋敷の別室で使用人さんを呼ばれ掛けた時のように必死こいて待て待て待てと制止する。
綱は、きょとん。
…中原、ぶんぶんぶんと必死で頭を振っている。
行かなくて良い。
綱を恐れる気配で一杯な一階に行くのは――て言うか自分が行くのもそうだが特に綱を行かせるのは――さすがに躊躇われる。
一階に行って、あの痛い気配がひしひし感じられる場所に居てしまっては、素直に遊べる――映画やゲームの世界で楽しめる気がしない。
綱に、『その事』を一時的にでも忘れさせ――と言うか綱が数多抱えるだろうそれら難しい事を抜きにして年相応の遊びをさせたいと思って中原は今日来たのに、その為にその一番辛いだろう気配の中に連れ込んでしまうとなると――本末転倒になる。
と言うか、綱が本心から構わないと思っていたのだとしても、そもそも自分が――『その事』を余計綱に意識させてしまう気がするから。
それは、本意では無いから。
だから。
…残念だけど、これは今は却下。
そう諦め、中原は次はテレビごと持ってくるもしくは携帯のゲーム機幾つか持って来てオンライン対戦にするから今日は止めにしよう、と握り拳を固めて決意。最近はモバイル仕様な便利品も多いから。…いや、次は綱に俺んちに来てもらった方が早いか、と考え直しひとりごちもする。
と。
それを聞いた綱は、次の約束――なんて、出来ないって、とちょっと困ったような顔になる。が、約束は約束、絶対にまた時間が出来たら遊ぶ事、とその流れのまま中原は珍しく強引に綱に約束させた。…離さない。何処か『違う場所』に行かせはしない。お前は普通にしていられる時は普通にしていて良いんだ。遊ぶ約束の一つや二つは忘れさせない。絶対守る。それは具体的にはいつになるかわからないのはわかってる。それでも。
そんな中原の思いがわかったか、綱も圧倒されるように頷いて見せる。
綱とて、次もまた遊ぼうと言う、中原が言い出したその約束が嫌な訳じゃない。
嫌どころでは無く嬉しいのだが…ただ、自分の状況を考えて、その約束が守れる自信が無いだけで。
そんな訳で、ひとまずは映画DVDやゲームと言ったテレビ関係を強制的に却下にしたのだが――テレビと話が出た時点でそちらにも話題が移動した。オススメのテレビ番組について。ドラマやバラエティ、観戦する方のスポーツについての事。漫才ネタやら他色々。ついでとばかりに近頃中原が凝り始めていると言う自称「紳士の趣味」ことガーデニングについてまで話をされる。…ちょっと意味が違うが当渡辺家の日本庭園も凄いなと同じ流れで中原は頻りに感嘆していた。
他――綱が知ってる物知らない物の確認、ごく僅かながら、綱が知っていた事は更に情報を補強しつつ共に語り合う。知らなかった事は以後チェックと確り教え込む。再びマンガも取り出し勧める。…結構、大量。
そんなこんなでその日は目一杯、二人して莫迦騒ぎ。
普段なかなか出来ないだろう、年相応の少年らしい友達同士の。
…と、放課後珍しく『お仕事』が入らなかった、渡辺綱の楽しくも貴重な一日は――そんなこんなで過ぎていく。
たまには、こんな事もいいだろう。
普通の少年に、戻るのも。
【了】
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