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春のお買い物
●渋谷で3人
春4月、桜の舞う季節。ついでに花粉なんかも舞ってたりするが、そんなことはどうでもよくって――場所は渋谷である。
「いいお天気ですね」
「ほんとだわ。せっかくの零ちゃんとのお出かけだもの晴れてくれてよかったわ。最近妙なお天気だものね」
草間零とシュライン・エマが横断歩道行き交う人々に混じり、並んで歩いていた。渋谷駅前のスクランブル交差点、日中はいつ来ても人の姿が多い。
「ね、武彦さんもそう思うでしょ?」
くるりと後ろを向き、シュラインが少し後ろを歩いていた草間武彦に同意を求める。昨夜眠りについたのが少々遅かったのだろうか、草間は小さくあくびしてから答えた。
「……ああ、雨の中出かけるのも嫌なものだからな。それより」
「それより?」
それより何だというのか。シュラインがそう思っていると、零が短く声を発した。
「あ」
「信号がもうすぐ変わるぞ」
さらりと言い放つ草間。
「そういうことは早く言って!」
シュラインは歩行者の信号が点滅していたのを確かめると、零や草間とともにやや小走りになって急いで渡り切ったのであった。
ところで、どうして3人連れ立って渋谷の街を歩いているかといえば、それは先月3月のホワイトデーまで遡る。色々とあったので簡単に言うと、零に対してはお返しを贈るのが若干遅れたのである。
そのお詫びに草間が、今度春物の服を買ってやると言ったので、今日こうして出てきたという訳だ。やはり服は着心地などの問題もあるため、本人が1度着てみるのが手っ取り早いということだ。
だったら草間と零の2人だけでもいいんじゃないかという話だが、零はどの服がよいのかよく分からない。草間は草間で若い女の子が着るような服に疎い。ともに『着れればいいかな』的傾向が強めといってもいいだろう。そこでお目付役というか、アドバイスするためにシュラインも一緒にやってきたのだった。
「とりあえず、あれこれと見て歩きましょうか」
シュラインが最初にどこへ入ろうか思案していた。やがて3人の姿は、手近なファッションビルへと消えていった。
●どの服が似合うかな?
草間曰く、買う服は2、3着までよいとのことだった。せっかく出てきたのだし、いつも頑張っている零への贈り物なのだから、たまには……ということらしい。
それを事前に聞いていたシュラインも妥当だと思った。零のことだからあんまり多くても逆に恐縮するだろうし、1着きりではちと寂しい。それに何より、現実問題として財政的な問題もあったりして。草間興信所の帳簿を握っているシュラインだからこそ見えてくるものもある、という一例である。
「零、好きなのあれば遠慮せず着てみろ」
草間がきょろきょろと衣服を見ている零に、優しく声をかけた。
「本当にいいんですか?」
「着てみなくちゃ色々と分かんないでしょ? 零ちゃんは何も気にせず、好きなのあれば言ってくれればいいの。ね?」
戸惑い顔の零へ、シュラインがぽむと肩に手を置いて言った。そこまで言われて、ようやく零も安心したようである。
「ああいうのもいいわよね」
服が目についたシュラインがつぶやいた。視線の先には薄手の白いジャケットとズボンの組み合わせ。普段スカートな零だから、たまにはこういうのを着るのも新鮮かもしれない。
「…………」
零は零で、じーっと1着の服を眺めている。桜色のシンプルなワンピース。特に飾り気もなく、零らしいといえば零らしい。
「1着はあれで決定かしら、武彦さん」
苦笑して草間へ話しかけるシュライン。草間は小さく頷いてから、ぼそりとつぶやいた。
「……ああいうのを選んでくるよりはいいんじゃないか?」
草間の視線の先には、何故か並んでいる黒革のジャケットとショートパンツのセットがあった。
「ロッカー零ちゃん?」
「……ああいうの着ると、何だか零が不良になりそうだ」
いや、そうそう簡単になりませんから、草間さん。
「武彦さん。世の中もっととんでもない衣装もあるし……あれくらいじゃ問題起こらないと思うわよ」
あー、そういうフォローも少しどうかと思います、シュラインさん。
そんな会話をシュラインと草間がしている間も、零は先程の桜色のワンピースの前から動こうとしなかった。シュラインが零のそばへ行く。
「零ちゃんはこれがいいのね」
ふふっと笑うシュライン。零がこくこくと頷いた。
「一目見て、何だかいいなって思ったんです……」
零はそう答え。なおもじーっとワンピースを見つめる。よっぽど気に入ったらしい。
「すみません、これ試着お願いします」
シュラインが店員の女性を呼んで、試着のお願いをした――。
●草間のつぶやき
その後、何着か零の試着を繰り返し、最終的に3着の服を購入することとなった。零お気に入りの桜色のワンピース、それからシュラインが目についた薄手の白のジャケット&ズボン、そしてフリル多めの華やかなワンピースの3着だ。前2着がおとなしめなので、最後の1着に飾り気ある物を選んできたのである。
「ありがとうございます!」
零がぺこりと草間とシュラインに対して頭を下げて礼を言った。
「あら、まだ終わりじゃないわよ。買った服に合う靴も見てみましょ」
さらりと零へ言うシュライン。まあ自然な流れであろう。
「おい」
小声で草間がシュラインへ声をかけてくる。草間が何を言いたいか、シュラインには声の様子で分かっていた。
「大丈夫よ。考えてた予算から、思ったより低く抑えられたの」
小声で返すシュライン。予算が大丈夫でなければ、きっと靴はまた今度ということになっていただろう。
そして零のために靴を2足購入。色違いで同じ形のパンプスである。ハイヒールなんかも試してみたが、ちょっと零のバランスが取れなかったので見送ったというのは余談だ。
「それじゃ、武彦さん。私と零ちゃんはもうちょっと細々とした物を買って帰るから、これお願いね」
靴購入後、買った服や靴の入った紙袋を草間に手渡し、シュラインがそう言った。先に事務所へ持って帰ってもらおうというのだ。
「ああ、分かった。あんまり遅くなるなよ」
と言って草間は、何故かちょっとほっとしたような表情を浮かべて、先に帰っていった。
「……お買い物、気が進まなかったんでしょうか」
草間の後ろ姿を見て、ぽつりと心配そうに零が言った。だがシュラインが即座に否定する。
「単にこういう場所が苦手なだけよ、武彦さん。周囲見てごらんなさい、若い女の子が多いでしょ?」
はっきり言えば居心地が悪かったのだ、草間は。総じて男はこういう場へ連れてこられれば、いたたまれなくなってくるものなのである。何だか自分が場違いな感じがしてしまって。
「零ちゃん試着した時、似合ってるって言ってたじゃない。あれ、素っ気なく答えてるけど、武彦さんの本心よ」
くすっとシュラインが笑った。零は知らないだろうが、試着中に草間はこう独り言をつぶやいていた。
「……何着ても似合うもんだな、零は」
親ばか? いえいえ、兄ばか発言ですとも――。
●甘い時間(文字通り)
草間と別れた後も、やれハンカチだ、やれちょっとした鞄だと買い物を続け、気付けば午後も3時を過ぎていた。
「さて、と。買い物も一段落したし、零ちゃん」
シュラインが零の方へ向き直った。
「あ、はい、そろそろ帰りましょうか」
てっきり帰るのだと零は思ったが、実は違っていた。
「今度は私からのお詫びの番よ」
「え?」
シュラインの言葉に零がきょとんとなった。
「元はといえば、こっちの遅刻に突き合わせた形になっちゃった訳だしね」
「そ、そんな! お洋服とか……あれこれ買ってもらったんですし、もう十分ですから!」
ふるふると頭を振って遠慮する零。そういう反応を示されることはシュラインも予想済みであった。
「形に残る物じゃないから。とにかく、行きましょ」
そう言って零の手を引っ張ってゆくシュライン。着いた先はお洒落なケーキ屋である。
「……ここは?」
「月代わりの限定スイーツが人気なんですって、ここ。直接お店で食べる機会ってないでしょう? 何事も経験、ささ入りましょ」
シュラインが有無を言わさず零を店の中へ押し込む。店内は甘い香りが漂い、テーブルも9割方埋まっていた。かなり人気である。
2人が注文したのは今月4月限定のスイーツ。苺をたっぷり使ったケーキに、バニラのアイスクリームを添えて出しているのだ。それに揃って舌鼓を打つ2人。
「どう? 美味しい、零ちゃん?」
「はい。とっても美味しいです」
はむはむとケーキを食しながら、零がシュラインに答えた。一気に食べるのが勿体無いのか、少しずつ食べている。なのでアイスクリームが溶け始めてしまっていた。
「そういえば武彦さん。あのラッピング、どんな顔してしてたのかしら」
「どこであんなの用意したんでしょう? 最近、何かと出かけること多いですけど……」
他愛もない会話も交わす2人。あんな大きな箱を道端で用意するはずもないので、どこか知り合いの所にでも行って準備したのだろうと思われる。
そんなこんなで、美味しいスイーツを堪能しつつ、のんびり休憩をした2人。1時間ほど過ごしてから、店を後にすることにした。
「零ちゃん先に出てて。お会計済ませるから」
「はい、分かりました」
シュラインは先に零を店の外へ出し、レジへと向かった。ふとケーキの並ぶケースが目に入った。ケーキを買って帰ることも出来るようだ。
「あ、すみません。これとそれとあれと……あ、はい、2つずつ。お会計はこれと一緒に」
お土産のケーキを選ぶシュライン。先に事務所へ戻った草間にも、寛いだ気分のお裾分けである。
【了】
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