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<東京怪談・PCゲームノベル>


MotherShip 〜螺旋にて〜




 自分の店を、開けては閉め、開けては閉め──そう繰り返すのは、女にとっては日常茶飯事のことだったが。
「ただいま、……なんてね」
 同じ場所に、同じ趣きでまた店を出すということは、今までにしたことがなかった。
 あの日と同じ座敷。
 あの日と同じカウンター。
 あの日と同じ暖簾と食器棚が、うすぼんやりとした店内で息をひそめていた。
 ――こんな路地裏で、しかもちょっと引っ込んだところにあるだろう? なかなか借り手がつかないまま、気がついたら1年も経っていたんだよ。
 なんて人の良い大家だろう。女――伊杣那霧は、先だって別れた店の大家を思い出して苦笑する。
 この有り様はまるで、今日という日が必然だったとでもいわないばかりではないか。

 池袋、決して明るいとはいえない路地裏にひっそりと門を構える小料理屋、螺旋。
 訊ねようとすれば見つけられず、夜の街をさまよい歩けばいつしかその戸口に佇んでいるという。
 果たして女主人はそのカウンターの奥、濃紺の暖簾の前に置いた小振りのスツールに舞い戻ってきた。
 己を知る、という言葉がある。
 己に足る、という言葉もある。
 女が忽然と東京から姿を消してから1年、おそらく彼女の姿を見かけた者はいなかっただろう。
 女は女の闘いをし、女の答えを見つけ――この場所に、戻ってきた。
 また、廻りだすのだ。
 螺旋という名を与えられた、たびびとたちの憩いの場所が。
「――感傷にひたってる場合じゃないったら」
 螺旋が廻りだす。
 そのことを、誰に伝えたわけでもなかった。
 それでも女にはわかっていた。
 迷うもの、哀しむもの、そして、喜びを誰かと分かち合いたいと願うものは、必ずまた、この店に足を踏み入れることになる。
「掃除、買いだし、それに……下ごしらえ。ああ、忙し忙し」
 たとえば、今日。
 訪れるであろう誰かのために、客を迎え入れる準備は万端にこなしておかねばならないのだった。



 桜の花びらを散らした、盥(たらい)いっぱいの混ぜ飯をこしらえ終えたとき、透かしガラスの引き戸の向こうでカツン、と靴の踵が響く音がした。右手の甲で額をぬぐいながら視線を投じると、
「こんちゃ〜す★ 見覚えのある店に辿り着いちゃったわん♪」
 鮮やかな金髪、そして紅瞳。
 がらがらと扉を開けて入ってきた女の笑顔に、自然と那霧の目元も綻んでしまう。
「あらあら、いらっしゃいな。目ざといったらないじゃないか」
「女将のオーラを感じたの、ビンビンにっ」
 そういって、金髪紅瞳の女――海原みたまは、にこにこと人懐っこい笑顔を那霧に向けたまま、カウンターの一番奥に腰を降ろす。
「ふらぁっと来ちゃったから、今日は手土産ないの」
「そんなこと、気にしぃでないよ。ちょうど今でき上がったところだから、混ぜご飯があるよ。乾杯はとりあえず――」
「いつもので」
 ニ、と那霧が口端で笑う。みたまがそれに、同じく応える。
 いつもので。
 その一言が、1年という時間に隔たれた互いの距離を、ぐんと縮めてしまう。
 それはなんと偉大な言葉だろうか。
「牛乳なんか常備してる小料理屋、他にないよ。感謝しとくれ」
「ノラネコでも来たら、ちょっとくらい分けてあげてもいいわよん」
 カウンターの上に、なみなみと白い液体をそそいだグラスをふたつ。
「乾杯って、『杯を乾かす』って書くだろう? 乾杯っていったからには、グラスを空けなきゃならないんだってさ」
「中国のマナーでしょ? じゃあ今日は中国風にっ。カンペー★」
 それらの縁を小さく搗ち合わせると、ふたりは再会を祝うようにグラスの中身をぐっと飲み干していく。
 指先に、結露した水滴が冷たい。
 やっとの思いで空けたグラスをカウンターの上にコトリと置くと、口紅をぬぐってしまわぬようにそっと指先で、みたまは上口唇を撫でた。
「……、次は、乾杯の牛乳は――ちょっと温めてネ……」
「あたしも……『カンペー』に付きあうのは、もうやめることにするよ……」



 桜の花びらがちらちらと舞い落ちる時期――春の匂いを感じる季節になったとて、夜ともなればいまだ冷え込みは肌に痛い。
 揚げ句、店に足を踏み入れて早々の、冷たい牛乳の一気飲みだった。冷えた身体を温めるべく、那霧が出した豚汁の器をみたまはちまちまと箸で突いている。
「鯉の吸い物にしようかとかも思っていたんだけど、鯉は好き嫌いがあるからねェ」
「明日からまた冷え込むっていうし、豚汁おいしいし、あたしはこっちの方が嬉しかったから、良かった」
 長い髪を左手で肩に掛け直しながら、みたまは器用に箸を扱う。一見すると、日本人とは思えぬ様相であるから、その器用さはことさらに際立った。
「最近の若い子は、箸も満足に扱えないのばっかりだろう? 親が教えないのかねェ」
「ん〜……親も気にしてないんじゃないのかなァ。恥かくのは子供なのにね」
 互いに、子を持つ親の立場である。子供の躾けの話しになると、どことなく背筋が伸びるような気持ちになる。
「でもサ……なんか……ん〜……相談、っていうか……愚痴なんだけどっ」
 みたまがそう言い淀むと、那霧は煙管の煙を細く吐き出しながら、つと視線を彼女の方へと向けた。
 珍しい、と感じる。
 元気力爆弾とでも言い表せそうなくらいに、いつもは垢抜けて朗らかな女の挙動ではないようだった。
「やっぱり、母と娘の会話っていうか……そういうのって、大切……よね?」
「まあ、一般的には、そうだろうねェ……どうかしたのかい?」
 ぎゅ、っと割り箸を握りしめると、みたまは端正な眉間にむぅっと皴を寄せ、いささか情けないような表情で那霧を見上げた。
「うちの、真ん中の娘ちゃんがネ……何っかしらに、最近悩んでるみたいな感じなのよ」
「……ふぅん?」
 話しの先を促すように、那霧は小さな相づちを打つ。カコン。灰皿の縁に煙管を打ち、灰を捨ててから腕を組んだ。
「何だろう……ホラ、何となく感じるのね、表情とか、話しかけた時に返ってくる返事の間とか、そういうので。でも……、――どうやって聞きだしたら良いのかとか、そもそもどんなことで悩んでるのかしらっ、とか、……良く、わからないのよ」
 豚汁の器の中で、ごぼうを抓んでは離しを繰り返しているみたまの箸先を、神妙な面持ちで見つめながら、那霧は数度頷く。
「あたしが、あの子と同じくらいの年のころ、どうだったかなーって考えるの。でも、例えば……将来のことだとか、自分の生き方だとかに悩む時間を作れるほど暇じゃなかったし……そもそも、明日の自分がどうなるのかってことも想像つかないような、感じだったから、サ……?」
 みたまの言葉を頼りに、那霧は、まだ見ぬ彼女の娘の姿を朧げに想像してみる。
 思春期の少女――そしておそらく、大人しい性格に分類される学生だろうか。あるいは、元気力爆弾の娘であるから、芯に強い何かを秘めているのかもしれない。
「娘ちゃんが悩んでるみたいって、ダンナさまにも相談してはみたんだけど、『思春期には良くあることだから』、って、それだけ。そういうものなのかしら? シシュンキ、ってみんな通るものなの? あたしには無かったもの、だから……わかんないの」
 最後のほうは、完全に、ぼやきである。両肩をすくめ、そこまでをいいきってしまうとみたまは豚汁の器を両手に抱え、ずずず、と汁を啜る。
「……ご飯も、もう少し食べるかい?」
「ん、あと、お茶わんに半分くらい」 
 悩むとお腹すいちゃうよね、といいたし、みたまが苦笑した。
 たんとお食べな。那霧がそう返し、ほんのりと桜の香りをさせている混ぜ飯の茶碗を彼女に渡し返す。
 迷うものが訪れる場所。螺旋。
 そして、迷うもの――足の踏みだしかたを忘れたものの背中を、そっと手のひらで押してやる場所。螺旋。
「あたしがあんまり家にいないし……あの子もまた、内側にぎゅっと溜め込んじゃう性格だから、相談もされないし――って、相談なんかされちゃっても、きっと解んないんだろうけどさ」
「……あんたの娘さんは、きっと良い子に育つね」
「――、へー?」
 みたまは素っ頓狂な声をあげて、まじまじと那霧の顔を見上げた。「母親失格的な愚痴を、今まさに女将に零してる最中なのに、そういうこといってくれちゃうのっ」
「口の端に、牛乳がついてるよ」
「あ」
 ひとさし指で口唇をぬぐう。そんなみたまの仕草は、とても幼く――外見の若々しさもあいまって、『思春期の娘がいる母親』のものには到底見えない。
「いいかい? 子供はね。親の背中を見て育つんだよ」
「……背中ぁ……?」
「あんたが気に掛けてることなんて、娘さんはとっくに気付いてるさァ。そして多分、自分の悩みを打ち明けたほうが、あんたの気持ちがすっきりするだろうことにも気付いてる」
「……だったら、どうして……」
「娘さんの『覚悟』、だとは思わないかい?」
 カクゴ? みたまは目をぱちくりとさせて那霧を見たまま首をかしぐ。カクゴ……覚悟。いったい、何の覚悟だというのだろう?
「何かしらのトラブルだとか、悩みだとか苦しみだとか――そういうことに対して、自分で考えて、自分で答えや決着を導く覚悟だよ」
「自分で……?」
「さっきのあんたの言葉の意味がやっとわかった。確かに、親子の対話は必要だろうさ。でもきっと、もっと大切なのは、子供が親の背中をみて育つことの出来る環境そのものだよ」
 親の背を見て子供は育つ。
 模範となる親の背が、誠実と自信にあふれた背であるならば、子供もそれに倣って育つだろう。
 欺瞞と怠惰にあふれた背であるならば、また然りである。
「あんたの娘さんは、あんたの背中を見ながら、ちょっとずつ大人になっていってるんだ。悩んでるなら、うんと悩ませておやりよ。そして、もしも悩みを打ち明けられたなら、自分のできる全部を使って応えてやりな」
「女将……頼もしいっ」
 今やみたまは、両手を胸の前で組みあわせ、きらきらと目を輝かせながら那霧を見上げ、感嘆の声をあげていた。
「それだけの道化ができるんだったら、もう大丈夫だろ。景気つけに、もう1杯行くかい?」
「おうともよっ★ きんっきんに冷えたやつでお願いねっ!」



 帰り際の1杯が――勿論、冷えた牛乳である――、みたまの口紅を完全に落としてしまったが、屈託のない笑顔は色気のないその口唇にとても良く似合っていた。
 戦う女、かくありき。おそらくは自分が引いた口紅も、すっかりはげてしまっているだろうと那霧は思う。しかし、それで良いのだ。自分たちは、戦う女であり、戦う母、なのだから。
「もう、今日からは、どんっと構えちゃうんだから! もっともっと逞しい背中になって、娘ちゃんの拠り所にならないとねっ♪」
 混ぜ飯を握ったものを、いくつか持たせた。悩んでいる娘が夜更かしでもしていようものなら、問答無用に夜食として差し入れてやるとみたまは息巻く。
「悩むとお腹が空くのは、母も経験済みっ」
「夜中にご飯ものなんか与えて、別の悩みまで抱え込ませないようにするんだよ」
「大丈夫。母と似て、太りにくい子ですから」
 またね、とヒラヒラと。
 明るい金色の髪をなびかせながら、華奢な手を振り振り、みたまは夜の界隈に溶け込んでいった。
「……また。――またおいで」
 雑踏の中に消えていった女の背中にそう呟いてから、引き戸を引き、那霧はまた店の中に戻っていく。
 女に、女の生活があるように、自分にも、自分の生活がある。
 それぞれがそれぞれの道を往く過程に、こうして一瞬の交わりがあるという事実が、とても厳かで、奇跡めいていると那霧は思った。

 夜は静かに更けていく。
 また1人になった店の奥で、女将は煙管の先に器用に煙草の葉を詰める。 

(了)


──登場人物(この物語に登場した人物の一覧)──
【1685/海原・みたま(うなばら・みたま)/女性/22歳/奥さん兼主婦兼傭兵】
【NPC/伊杣那霧/女性/28歳/呑屋の女主人】