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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


『運命の交わるカレー屋』


<オープニング>

「おまたせなの〜」
 赤いサリーを体に巻き付けた『アムリタ』のウェイトレス、シャクティが常連客のテーブルへと歩み寄る。トレイの上では、チャイが香ばしい湯気を上げていた。
 が、その常連の青年は、テーブルに名刺大のカードをたくさん散らかしたまま、カップの為のスペースを空けようともしなかった。カードには一枚に一文字、大きなひらがなで『は』とか『せ』とかが印刷され、和風のイラストも添えてあった。インド人とは言え日本で生まれ育ったシャクティは、これが『カルタ』だと知っている。
「ちょっと! 八月! 片付けてなの!」
「はなより だんご!」
 八月は突然手持ちの札を読んだ。
「えっ・・・。あ、あった、!ハイッ!」
 条件反射でシャクティは『は』の札を叩く。カップが波打って、トレイに半分チャイをぶちまけた。
「あーあ」
 二人同時に溜息をついた。

 ライターの八月は、カルタ遊びをする為に店に来たわけではない。顧客と待ち合わせしていたのだ。
 江戸カルタの中から客に二枚を選んでもらい、それを織りまぜた、客の登場する体験談やフィクション・ストーリーをまとめるのだという。
 扉の銅のベルが鳴って、来客を知らせた。
「いらっしゃいませなの〜」「いらっしゃい」
 また、二人同時だった。例の、八月の客でもあるらしい。


< 1 > 

 客は、青年と少年の狭間の年齢に見えた。店内に入ると、華奢なフレームのサングラスを外す。黒猫に似た金のいたずらっぽい瞳が現れる。華奢というほどではないが、しなやかな体型で、色白も手伝って女性的な綺麗な男だった。若さに似合わず、初老の紳士のような仕立てのいいスーツを纏う。八月は思わず古着の綿シャツの衿を直し、背を伸ばした。
 入口付近に無造作に置かれた象や女神の木像、それらを口の端で笑ったように見えた。体温の低そうな薄い唇が、よけいに彼を女性っぽく見せた。スーツの袖からフリルのカフスが覗く。襟元もネクタイでなく、英国貴族風のリボンが結ばれていた。

 男はマリオン・バーガンディと名乗った。以前はキュレーターの仕事をしていたが、今は研究所で絵画修復をしているという。空間移動の能力がある。年齢は、なんと275歳だとか。
 八月は、客から受け取った資料に目を通しつつ、冷めてしまったチャイを飲み干した。この街でライターの仕事を始めて、八月はたいていのことには驚かなくなった。世の中には色々な人がいるものだ。シナモンと生姜が底に残ってピリピリと舌が痛んだ。
「カルタは、どれにしますか?2枚選んで下さい」
「そうですね。裏にして並べていただけますか?」
「え・・・あ、はい」
 八月は『めんどくせー』と心で悪態をつく。トランプと違い、カルタは分厚くて扱いにくい。あまり器用でない八月は、一度二度パラパラとカードをこぼしつつも、やっと50枚をテーブルに重ねた。
 マリオンは上から2枚を捲った後に、整った眉を軽く歪めた。
「うーん、ピンと来ないですね。そうだ、『良薬は口に苦し』と『油断大敵』でいいですか」
 知っている諺を口にしたという印象だった。
『だったら初めから並べさせんなっ!』
 この男、誰かに似ている。しなやかで美しく、気まぐれでマイペースで。
 ああ、そうだ、アパートの大家が飼っているシャム猫のリンダ、あいつに似ているんだ。

 今回はフィクション・ノベル希望だという。来週の今日、ここで完成原稿を渡す旨を告げると、都合が悪いので翌日でいいかと言う。
「では、シャクティに原稿を預けて置きますね。
 いいよな、シャクティ?」
「イイヨ。でも、その日は『亜細亜商店街食堂スタンプラリー』だから、お店もバタバタしてるかもなの。
 マリオンさん、忙しそうでも遠慮無く声をかけてね」

 アムリタも亜細亜商店街の中にある。食堂スタンプラリーは、加盟レストランで前菜・スープ・メイン・デザートの四種類を食すというイベントだ。スタンプを四つ押して貰った人の中から抽選で、商店街のどの食堂でも一カ月食べ放題という特権が貰える。
 四種類は同じ店で食べてもいいが、一品食べたら一度会計を済ませて(スタンプを押して貰って)、再度並ばなくてはいけない。また、一度ドアを開けた店で、必ず食べなくてはならない。混んでいるから別の店というのはルール違反だ。そして、オーダーしたものは完食しないとスタンプは貰えない。
「ふうん。私は舌が肥えているので、参加できそうにないイベントですね」
 ササミしか食べない猫。マリオンは唇だけで微笑んでみせた。


< 2 >

 マリオンは普段『商店街』という下世話な界隈に足を踏み入れることは少ない。以前訪れた時より人が多くてざわついているのは、例のスタンプラリーのせいだろうか。人気のある食堂の前には列まで出来ていた。
 だが、再度訪れたアムリタは数名の客がカレーを楽しんでいるだけで、はっきり言えば閑古鳥だった。本格インドカレー店である。かなり辛いのかもしれない。なにせ店名の「アムリタ」は命の水という意味だ。完食が義務ならば、マリオンだって避けたいところだ。
 外見が17、8歳ということは、肌の若さも骨の若さも17、8歳である。味覚も少年に近かった。渋さやえぐみなどを「美味い」と感じるには、舌がまだ若すぎるのだろう。辛いのもあまり得意ではない。
 マリオンはテーブル席に座り、ウェイトレスのシャクティを待った。
「あ、マリオンさんなの! はい、これなのね!」
 A4の茶封筒を渡される。確認する為に、封筒の中身を取り出した。

* * *
「何にするなの〜? マリオンさんは一個目だから、まずは前菜からなの!」
 インド娘の強い瞳が上目使いにこちらを見つめた。
「え?」
 完成原稿を握っているはずの指は、何故かこの店のメニューを持っていた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
 封筒を覗くが、メニューしか入っていなかったようだ。
「待ったナシね。インド料理にも前菜はイロイロあるなの。どれにするなの?」
「私はラリーに参加しに来たわけでは・・・」
「一度扉を開けたら、ここで食べなきゃならないのね。逃げるのは負け犬なの!」
「負け犬・・・」
 見かけによらず負けず嫌い。マリオンの意地に火が点いた。
「では、マサラカジュを」
 カシューナッツをスパイスを絡めて揚げたものだ。ナッツなので甘みもあるだろう。

 皿に乗って来た白いハズのナッツは・・・赤かった。
「・・・。」
「辛いものは発汗作用もあるし、ヨイなのよ。老廃物を出すなの。275歳だと、だいぶ老廃物、溜まってるなの」
 余計なお世話だ。
「血行も良くなって体が暖まるなの。マリオンさん、顔色が悪いから、辛いものイッパイ食べるなの」
 自分は顔色が悪いのでなく、色白なのだ。と言っても、浅黒い肌も艶やかなシャクティには、通じないか。
『もしや、これが“良薬は口に苦し“?』
 ノベルでなく、諺を実体験させられるってことなのか?
 恐る恐る口に近づける。チリパウダーのきつい匂いに鼻を殴られたようだった。視界がぼやけた。知らず、涙目になっているのだ。
 幸い量は少ない。水を二杯お替りして、慌てて流し込んだ。舌の上でねずみ花火が炸裂する。拳でテーブルを小刻みに叩いて耐えた。

「ありがとうございました〜なの。はい、スタンプ一個」
 ハガキ大のカード、一つ目の枠内に象のスタンプが押された。いい加減に押したらしく、長い鼻のところが掠れて見えない。
 全く酷い目に遭った。店を出たらすぐに八月のところに電話を入れて、文句を言おう。完成が遅れたのを誤魔化したのかもしれない。なんて奴だ!
 自宅に戻らないと番号がわからない。アムリタの扉を押しつつ、空間移動で帰宅するつもりでいた。チカラを発動させる。
 アムリタの重い扉が閉じて、リリンと銅のベルが鳴った。
「いらっしゃいませ〜なの!次はスープなのね」
・・・えっ?
 自宅に戻ったハズなのに。扉を閉じて道路へ出た瞬間、また店内へ移動していたのだ。
「インド料理では、よーするにスープはカレーだわなの。チキン野郎になりたくなければ、オーダーするなの」
 これは、何かの罠なのか。それとも呪いか。辛さに動揺して空間移動に失敗した? そんな馬鹿なっ!
 だが、チキン野郎と呼ばれるのは我慢ならない。
「パンプキン・マサラを」
 カボチャのカレーなら、そう辛くはないだろう。
 運ばれて来た皿は、まろやかなオレンジ色のポタージュに似たカレーで満たされていた。ナンも焼きたてで香ばしい匂いだ。

 だが、甘かった。味ではない、心構えが、である。
 オレンジ色は・・・チリペーストとマスタードの混じった色だった。
「うわっ!」と叫んでグラスに飛びついた。喉を命の水が通り過ぎる。

 噎せながら何とか食べ終わり、スタンプを押して貰って解放された。睫毛に涙がたまっているのに気付き、店のトイレへ寄ってハンカチーフで目頭をぬぐった。ついでに鼻もかむ。鏡を見ると、睫毛が濡れて束になっている。目の縁も腫れて見えた。
 なんて店だ、とっとと出ていこうと憤慨しつつ、トイレの扉を開けると、チリリと銅のベルが鳴った。嫌な予感がした。マリオンは、三たび店の入口に立っていた。
「いらっしゃいませ〜」
 インド娘の軽快な声が、エコーして頭の中に響き渡った。

 メインはタンドリー・チキンにした。よくわからずマイナーな物を頼んで、予想外に辛いと精神ダメージが大きい。
 当然辛かったが、覚悟していたせいか、もう舌が麻痺しているせいか、淡々と黙々と食べた。薄い唇も腫れて、肉厚になった感じがした。
 三つ目のスタンプを押され、今度はきちんと店の外へ出ることができた。疲れ果てて、商店街をのろのろと歩く。
 と、ピンクと白のツートンで彩られた、可愛いケーキ屋が目に入った。店内に喫茶スペースも有るようだ。舌も心も消耗していた。優しいスィーツにすっぽりと抱かれたい。癒されたかった。それに、せっかく頑張ってスタンプを三つ貰った。デザートを食べればラリーは完走だ。
 マリオンは、踊る気持ちで白い扉を押した。
 チリリンと銅のベルが鳴った。
『えっ? 銅のベル?』
 背中を冷たい汗が流れて行った。

* * *
 片手に茶封筒を持ったまま、マリオンは最後のページを繰ってクスクス笑った。
「参りましたね。なんだか、現実とフィクションがわからなくなりそうです。それでなくても、空間移動をして一歩目を踏み出す度に、『ここはさっきと同じ時空なのか?』という不安に駆られるのです。
 私は、この店の扉を開けて、無事に外に出られるかな」
 店内では、まだ二名ほどラリーの客がカレーをパクついている。嗅ぐだけなら、香ばしくて気持ちのいいカレーの香りだった。二人ともハンカチで額を拭きながら食べている。かなり辛いのだろう。そうそう、舌の上でねずみ花火が踊るほどだっけ。マリオンは笑顔で原稿を封筒に納めた。そして、顔を上げた時、その笑顔は凍りつく。
 シャクティが、テーブルにチャイアイスを滑らせた。シャンパングラスに盛られたチャイのシャーベットだ。横には、三つスタンプが押されたラリーのカードが添えてある。
「スタンプの四つ目はデザートなの。うちのチャイは生姜がたっぷりでスパイシーなの。マリオンさんには生姜を倍にオマケしたの」
 舌がざわざわと、『辛さ』の感覚を思い出す。カードの最初のスタンプは、象の鼻が掠れて見えない。
 マリオンの背中を、冷たい汗が流れて行った。


< END >

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

4164/マリオン・バーガンディ/男性/275/元キュレーター・研究者・研究所所長

NPC
葵・八月(あおい・はちがつ)
シャクティ・ヨーギー

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■         ライター通信          ■
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発注ありがとうございました。
甘い物がお好きなような気がしましたので、こんな話になりました。
本当のインドカレーは、野菜をたっぷり使った甘口カレーも多いですよね。