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<東京怪談・PCゲームノベル>


VOICE





 天波・慎霰が宮本署の二係を訪れるのはこれが二度目だ。今回は慎霰のほかに鬼丸・鵺(おにまる・ぬえ)という女子中学生も捜査に参加するという。しかし鵺が来るまでにはまだ時間があるそうなので、先に慎霰だけで綾瀬ハルキに対面することにした。

 二十一歳、某有名音大三年生。耳のよさを買われて音楽の道を勧められ、たった一人で上京して都内の音大に入ったものの、内向的な性格と人見知りが災いして大学にはなじめず、登校拒否状態。それが沢木から聞いた綾瀬ハルキのプロフィールだった。

 沢木は鵺を出迎えるために二係に残り、耀は情報収集に出かけたために柳鏡華(やなぎきょうか)刑事が面会に立ち会うことになった。慎霰は彼女があまり好きではない。性別に関わらず波長が合わない人間というのはいるものだ。鏡華も鏡華で、胡散臭いものでも見るような、あるいは小馬鹿にしたような視線を慎霰に容赦なく浴びせる。この女刑事に対してだけは得意げに自分の正体と能力を語る気にはなれなかった。

 鏡華に連れられて小会議室に入って来たハルキの肌は真っ白だった。肩に触れる茶色い髪は染毛ではなく生来のものだろう。瞳の色も薄い。それなりに整ってはいるが脆弱な顔立ち。カットソーの下の肩はずいぶん華奢で、平たい。小会議室で待っていた慎霰を見て蝋細工のような唇がかすかに震えた。

 「えーっと・・・・・・綾瀬ハルキ・・・・・・さん、だよな」

 慎霰は珍しく敬称を使ってできるだけ柔らかく切り出した。繊細かつ感受性が強い青年であることを見抜いたからだ。初対面で態度を頑なにさせてしまえば話を聞くことは難しい。

 ハルキはおどおどした目で慎霰を見る。紙のように真っ白な顔は恐怖と警戒で硬くこわばり、容易にほぐせそうにない。そんなハルキを見て慎霰もおろおろするしかない。こんな状態で事件について何をどう尋ねろというのか。

 「さっさとしていただけませんかね」

 慎霰の背後で腕組みをした鏡華が舌打ちする。「我々刑事課は二係と違って忙しいんです。二係の手伝いをさせられる暇なんてないんですよ」

 嫌味を隠そうともしない鏡華の言い草に慎霰はがりがりと頭をかきむしる。一気に罵倒して殴り倒してやりたいところだが、この女刑事が相手ではそれもかなわない。

 「・・・・・・あの」

 ハルキがおそるおそる口を開いた。「取調べ・・・・・・ですか?」

 「あ、いや」

 慎霰は慌てて首を左右に往復させる。「取調べってほどのもんじゃねェよ。ただ、ちょっと聞きたいことがあって――」

 「ぼくはやってません」

 色の薄いハルキの瞳からいきなりぽろぽろと涙がこぼれた。「殺してなんかいません。本当です。頭の中で声がするんです。“おまえが殺したんだ”って・・・・・・」

 「分かってる、分かってるって。泣くなって・・・・・・」

 慎霰は壊れやすいものでも触るかのようにぎごちなく手を伸ばし、ハルキの薄い肩に手を置く。ハルキは手の甲を目に当てて小さく鼻をすすり上げている。普段ならこんな女々しいヤツには悪態のひとつでもついて鉄拳を食らわせてやるのだが・・・・・・。女に泣かれるよりもたちが悪い。緑色の数珠をじゃらじゃらと鳴らしながら所在なげに頭をかく。

 「えェっと・・・・・・ちょっと聞いてくれよ、な? 俺はな、おまえは犯人じゃねェと思ってるんだ」

 ハルキは泣き腫らした瞳を上げて慎霰を見た。細雪に濡れたような瞳が慎霰のハートのいちばん柔らかい部分をこれ以上ないほど鋭く、的確に、えぐるように貫く。同時に、ハルキをこんなふうに泣かせたであろう警察の人間に対する怒りがふつふつとこみ上げる。

 「本当に・・・・・・? 本当にぼくを信じてくれるんですか?」

 「マジ、マジ。俺はおまえの疑いを晴らすために来たんだぜ。だから泣くなって、な?」

 小さな子供をあやすように、精一杯の笑顔と優しさをもって慎霰はハルキに語りかける。ハルキはようやくこくんと肯いて手で涙を拭った。

 「頭の中で声が聞こえたって言ってたよな。そういう変な声が聞こえたことは前にもあったのか?」

 「何度か・・・・・・」

 ハルキはかすれた声で答えた。「おまえは病気だって。病院に行けって。それから・・・・・・」

 病気。何の病気だろう。気になったが、慎霰はあえてその点は問わずに先を促した。これはよく分からないけど、と前置きした後でハルキは言葉を継ぐ。

 「・・・・・・頭の中で声がしてるのか、本当に聞こえてるのか分からないけど。周りの人は“おまえの頭の中で変な声がしてるだけだ”って・・・・・・」

 「どういう意味だ?」

 「みんなぼくの悪口を言うんです。大学の人たちも、バイト先の先輩も」

 ハルキはすがるような目を慎霰に向ける。触れればぱりんと割れてしまいそうなほど薄い瞳には溢れんばかりの涙が溜まっていた。

 「ぼくのこと、とろい、うざいって。さっさと死ねって。・・・・・・はっきりそうは言ってないかも知れないけれど。ぼくを指差してくすくす笑いながらひそひそ言ってるだけだから」

 ハルキは再び目を伏せる。「何となく、頭の中で聞こえるんです。特に悪口は小さな声でも聞こえるんです。ぼくは耳がいいから・・・・・・」

 聞こえてしまうんです、とハルキは消え入りそうな声で言う。くすん、くすんと鼻をすすり上げる音が続いた。慎霰は緑色の数珠を巻きつけた右腕をちらりと見た。それから右手で、できるだけさりげなく、慰めるようにハルキの肩を叩いてやる。しかしその間も数珠に意識を集中させ、右手を適度に緊張させながらダウジングを試みることは忘れない。

 ハルキの中に怪異なものが潜んでいれば数珠が反応して発光するはず。案の定、連なった小さな珠がほのかな光を発した。光は徐々に強くなる。そして最後にはぴーんと一本鋼線でも通ったかのように数珠全体が硬直し、激しい光を発した。やはりハルキの中には何かが潜んでいる。それだけを把握した慎霰はハルキに警戒されないように右手をしまい、さりげなく数珠を遠ざけた。

 「そっか。じゃァさ、じいちゃんとばあちゃんの周りで変な力が使える奴とかはいたか?」

 「いないと思います。そんな話は聞いたことないです」

 あっさり否定されて慎霰は少々拍子抜けしてしまった。

 「さて、そろそろよろしいですかね」

 切りがついたと判断したのか、鏡華が組んだ腕をほどいて冷たく言い下ろした。「時間も経っています。こちらも他に仕事が残っていますし、今回はこの辺りで」

 「あァん? こっちはまだ聞きたいことがあんだよ、自分の都合ばっかで――」

 勝手に決めんなと言いかけたとき、ドアの外で足音と人の話し声が聞こえた。少女と、男性の声。男のほうは沢木の声だと気付いた慎霰は椅子を蹴立ててノブを引っ掴んだ。

 「おい沢木ッ!」

 そして荒々しくドアを開け、どかどかと足音を立てていきなり沢木に食ってかかった。「誰がハルキを泣かしやがったんだよ! どんな取調べしやがったんだ、ハルキをいじめたのか!」

 「落ち着いてください、天波くん。刑事課も我々も違法な取調べなど行っておりません。ただ、取調べという行為の性質上、厳しく問い詰めるような口調になることは往々にして――」

 「うっせェ、難しい単語ばっかりゴチャゴチャ並べんなッ!」

 慎霰は沢木を一喝して沢木のネクタイを乱暴に掴み、がくがくと揺する。予想だにせぬ手荒な扱いに沢木は細い目を白黒させた。

 「誰があいつを泣かせやがったんだ! 桐嶋ってヤツだろ、おっかねェって噂だもんな! 桐嶋を呼べ!」

 「ちょっともぉー、いい加減にしなよ!」

 沢木と一緒にやって来た耀が慎霰の体を引きずって沢木から引きはがす。沢木は軽く咳込みながらネクタイを直した。

 「桐嶋さんって人は本庁の人だから、所轄の事件には直接関わってはいないんじゃないかな?」

 不意に沢木の脇から小柄な少女が口を挟んだ。シャギーショートにした銀髪と大粒の赤い瞳が愛くるしい少女だ。年齢は慎霰よりやや下、中学生といったところだろうか。

 「あァん? 誰だよおまえ。鬼丸・鵺ってのはおまえか?」

 斜めの視線を向ける慎霰に沢木が互いを紹介する。慎霰は腰に片手を当てて「フーン」と鼻を鳴らした。

 「所轄は本庁の手下だろうが。所轄の事件は本庁が仕切ってるんじゃねェのか?」

 「手下、というのとはまた違いますが」

 沢木は困ったように微笑む。「大きな事件でない限り、本庁自らが直接出張ってくることはほとんどありませんねえ」

 「そうそう。桐嶋さんって人は直接は関わってないだろうし、ましてや被疑者に尋問したわけでもないと思うよー」

 「うっせェなァ、グダグダ抜かすんじゃねェよ」

 鵺の的確な指摘に慎霰は軽く舌打ちしてプイとそっぽを向いてしまう。

 「とにかく、次は鬼丸さんが綾瀬さんに対面する番です。どうします? 立ち会いますか?」

 「断る」

 慎霰は鼻息も荒く即答し、肩をいからせてずんずんと廊下を歩いていく。「俺ァ桐嶋んとこに行ってくる! 本庁に案内しろッ!」

 「ねえ、ちょっと待ってよ慎霰! そんなことできるわけないでしょ!」

 耀が慌てて後を追い、慎霰の腕をつかむ。慎霰は無理矢理耀の腕を振りほどいた。

 「年下のくせに呼び捨てにすんなッ! 桐嶋は沢木とダチなんだろ、沢木の名前出せば面会くらいできるだろうが!」

 「なんだそのガキは」

 不意に前方から鋭い男の声がして慎霰は顔を上げる。タイトなブラックのスーツに身を包んだ長身の男が壁にもたれかかり、ポケットに手を突っ込んで慎霰を睨みつけていた。

 「例のヤマがどうなったかと思ってわざわざ様子を見に来てやれば、何の騒ぎだ? この俺の名前を呼び捨てにするとは聞き捨てならんな」

 尊大極まりない口調。オールバックにした髪の毛の質感は針のようで、触れれば突き刺さってしまいそうなほどに硬い。鋭く切れ上がった目に宿る眼光は飢えた猛禽類を連想させる。この男が本庁捜査一課の桐嶋・克己(きりしま・かつみ)管理官だと慎霰は直感した。

 耀が桐嶋に駆け寄って事情を説明する。慎霰はきっと唇を結び、耀を押しのけてずかずかと桐嶋の前に進み出た。

 「てめェがハルキを泣かせたのか?」

 「敬語の使い方も知らんのか。これだから最近のガキは困る」

 桐嶋は皮肉に満ちた笑いを浮かべる。完全に人を見下した言い方に慎霰はかっと頭に血を昇らせた。

 「何様だてめェ、偉そうに!」

 「偉そうなのではない、俺は実際に偉いんだ。貴様などとは比べ物にならぬほどにな」

 慎霰に胸倉をつかまれても桐嶋は冷笑を浮かべるだけだ。その態度がますます慎霰の神経を逆撫でする。それに気付かぬのか、それとも気付いていてあえてそうしているのか、桐嶋は含み笑いとともに言葉を継いだ。

 「俺は綾瀬ハルキの件に直接関わってはいない。しかし事件のあらましやこれまで集まった証拠などについては氷吾から報告を受けている。物的証拠・状況証拠ともに、綾瀬ハルキを被疑者とする要素は充分だ」

 「だったらその証拠とやらを出してみろ! ほうじ茶の入れ物にハルキの指紋はついてたのかッ!ハルキのアリバイはどうだったんだ、部屋の窓の鍵とかはちゃんとかかってのかよ!」

 サスペンスドラマで得た知識を総動員して懸命に問い詰めるが、桐嶋は柳に風と受け流して慎霰の手をぱしっと払いのけた。

 「指紋、アリバイ、現場の状況。そんなものは捜査の基礎の基礎だ。捜査に参加するくせに資料にも目を通していないのか」

 至極もっともな指摘に慎霰は返答に詰まってしまう。

 「警察だって根拠もなしに綾瀬を引っ張ったわけではない。そんなに綾瀬を擁護するのならば捜査資料を見せてやる。それを見れば貴様の考えも変わるさ。おい耀、例の資料を持って来い」

 桐嶋は有無を言わせずに耀に命令した。





 被害者の名は須川辰治(七十五歳)、その妻ミヨシ(七十歳)。死因は農薬によるもので、死亡推定時刻は八日(木曜日)の午後九時ごろ。夫妻の首にはひっかいたような血痕が幾条にもでき、爪の間からも自身の皮膚と血液が検出された。苦しんで喉をかきむしったものと思われる。

 容疑者・綾瀬ハルキ(二十一歳)が手製の里芋の煮物を持って二人のもとを訪れたのは翌日九日の朝八時前。ハルキが二人を発見した時は暖房と照明は入っておらず、配達されていた朝刊も受け取られていなかった。窓もドアも鍵がかかっており、完全な密室状態だった。

 農薬は普通の園芸店で入手できる普通の物で、アパートのベランダに花壇を作っていた須川夫妻が購入したものと判明。使用した農薬の残りが二人の部屋から発見されている。農薬は二人が用いた湯呑み茶碗のみから検出された。食器棚から出ていた湯呑みは床に転がっていた物とテーブルに倒れていた物のふたつだけ。湯呑みにはハルキと祖父母の指紋がついていたが、ハルキのものが最も新しかった。ヤカンと急須、茶筒にも同様にハルキと祖父母の指紋が残っていたが、いちばん新しい状態で検出されたのは祖父母のものであった。そして、遺書はまだ見つかっていない。

 「密室、か」

 一通り資料に目を通した後で慎霰は唸って腕組みした。足の下にはエンジンの振動が心地よい波となって伝わってくる。高級リムジンの重厚なリアシートに腰を沈めた慎霰の隣で不機嫌そうに脚を組むのは桐嶋だ。ハルキの疑いを晴らすのに躍起になった慎霰が、捜査資料に目を通すついでに関係者への聞き込みを提案したのである。民間人が一人で行くよりは警官が同行したほうが何かと融通が利くだろうという耀の提案で桐嶋が同行させられたのだ。

 「おい桐嶋。ハルキは合鍵を使って部屋に入ったんだよな?」

 「馴れ馴れしく話しかけるな。管理官と呼べ、ガキ」

 「ハイハイ、分かりましたよ管理官サマ」

 と慎霰は鼻を鳴らす。「それじゃァひとつお尋ねしますがね、ハルキの他に部屋の合鍵を持ってる人間はいないんでしょうかねェ?」

 「今のところ、合鍵を持っているのは一人」

 桐嶋は嫌味に満ちた慎霰の敬語に舌打ちしつつも答えた。「ガイシャ宅に出入りしていた平田浩之。身寄りのない三十五歳の男だ。脚の不自由な須川ミヨシさんと腰痛持ちの辰治さんの代わりに家の中のことをやっていたそうだ。奴が実際に出入りしていることも近所の人間から証言が取れた。さらに、ガイシャが発見された時、野次馬の中に平田がいたという目撃証言もある。何かぶつぶつ言っていたそうだ。何を言っているかまでは聞き取れなかったそうだが」

 「一応そいつにも話を聞いてみたほうがよさそうだな。物盗りか、怨恨か?」

 「金品には手がつけられていなかった。ガイシャ夫妻は夫婦仲も良好、周囲の評判も上々。綾瀬ハルキとの仲も良いらしい」

 「ハルキのアリバイとかは?」

 「アルバイト先のペットショップが定休日で、一日中部屋の中で一人で過ごしていたと言っている。しかしそれを証明する者はいない。友人が少なかったようだな。あの性格では無理もないが」

 「一言多いんだよ」

 慎霰は桐嶋の露骨な冷笑に舌打ちした。「とにかくハルキはやってねェ。あんな優しそうなヤツが人殺しなんかできるもんか。アイツの周りの人間に聞けば分かることだ」

 しかし、事態は慎霰が期待したようには動かなかった。

 ハルキの大学の同級生たちの証言。

 「綾瀬ハルキぃ? ああ、そういえばいたね、そんな奴。田舎から一人で出て来たんだって」

 「しょっちゅう見かけたのなんて一年の前期だけだよね。二年になって以降はほとんど来てないんじゃないの。でも耳はすごくよかったな。それで音楽の道を目指したとか聞いた気がする。暗い子だったみたいよ。いつも一人で学食でごはん食べてたし」

 次に、ハルキのバイト先の同僚や先輩たちの証言。

 「定休日以外は毎日来てるよ。開店前の準備から閉店後の掃除までずーっと。じいちゃんとばあちゃんの生活費を援助してるんだって言ってた。だからずーっとシフト入れてるんだとさ」

 「動物が大好きっていうのもあったみたい。でも使い物になんないね、あの子。とろいし、物覚えも愛想も悪いし。そのくせ地獄耳でさ。あたしたちがひそひそあいつの悪口言ってるとすごい目で睨むの。聞こえてたのかもね。音大だから耳がいいんでしょ」

 「あいつ友達いなかったし、ぼくを含めてここのスタッフとはあんまり会話がなかったけど、じいちゃんばあちゃんはすごくいい人だって言ってたよ。じいちゃんたちを恨んでる奴ってのはあんまりいないんじゃないのかなぁ」

 決定的に不利な証言ではないが、かといってハルキの無罪を証明できるほど有力な証拠でもない。意気消沈した慎霰は桐嶋に嫌味を言われ、頭を小突かれながら事件現場である老夫婦の部屋に向かった。

 現場であるアパートの308号室を満たしていたのは静寂だけだった。四畳半のキッチンの先に和室がふたつ。畳にできたシミが生々しい。被害者の吐瀉物の跡だと桐嶋が言った。部屋の角に置かれた小さな茶卓にはポットがぽつりと残されていた。茶筒や湯呑みも置かれていたのだろうが、それらは鑑識が押収したものと思われる。それ以外は特に変わったところはなかった。

 部屋の中を一回りした後で慎霰は数珠でのダウジングを試みた。何をするつもりだと訝しげに尋ねた桐嶋に得意げに自分の能力を説明して胸を張ってみせる。が――数珠を手に巻きつけ、部屋の中を何度慎重に歩き回っても数珠がまったく反応しない。光を発するどころかウンともスンとも言わないのだ。

 「何も反応がないようだが?」

 案の定、背後で桐嶋がせせら笑った。慎霰は舌打ちとともに桐嶋を振り返る。

 「うっせェなァ。反応がないってことは変なモノが事件を起こしたんじゃねェってことだ。それが分かっただけでもめっけもんだろうが」

 「まぁな。しかし決定的な手がかりにはならんだろう」

 正論を突きつけられて慎霰は唇をへの字に曲げた。そしてこれ以上この部屋にいても手がかりは出てこないと判断し、次は被害者宅に頻繁に出入りしていたという平田浩之のもとへ事情を聞きに向かう。まさに息つく暇もなしだ。

 平田浩之は被害者宅から徒歩で十分と離れていない賃貸マンションに一人で住んでおり、そこから電車で二十分ほどの所にある会社に勤めているという。慎霰と桐嶋は平田の勤め先に出向いた。平田はごく普通の男だった。黒い髪に中肉中背の体つき。容貌にも目立つ点はない。ただ、細い銀縁の奥の目はひどく憔悴していた。

 「ああ、行きましたよ」

 平田は最初は口を開こうとしなかったが、桐嶋が警察手帳を見せると渋々話し始めた。「いつもお邪魔してましたからね。八日は会社が定時で終わって、六時頃に須川さんの所へ行って食事の支度を手伝いました。おいとましたのは夜九時前です。もちろん、その時はお二人とも生きてましたけど。そんなことを聞くためにわざわざ会社まで?」

 平田は不愉快さを隠さずに吐き捨てた後で、

 「あの二人はぼくにとって唯一の縁者なんです。心の支えでした。ショックを受けているのはぼくですよ」

 と呟いて視線を落とした。わずかに震える声の裏に涙を読み取って慎霰は口をつぐむ。平田は犯人ではない。そう直感した。

 「犯人はハルキですよ」

 それから、平田はそう言って目を上げた。「あいつが殺したんだ。絶対に許さない」

 くまが貼りつき、真っ赤に充血した目には激しい怒りと敵意が燃えていた。





 悔しいが、今のところハルキの疑いを晴らせるような証拠はないと言ってよい。平田が怪しいとでもなればまた違った展開になったのだろうが・・・・・・。二重人格説や超能力者の犯行説など、慎霰は慎霰なりに推理を組み立てていたのだが、数珠が犯行現場に反応しなかったということを考えるとそれらの説はしっくりこない。しかし頭の中で“おまえが殺したんだ”という声が聞こえ、ハルキ自身は犯行を否定していること、さらにハルキ自身へのダウジングの結果を総合すれば、とりあえず二重人格説を重点的に検討してみる方向でよかろう。悩みに悩んだ慎霰はハルキ自身のことについて探ってみようと思い立ち、耀に立会いを頼んで再びハルキとの面会に臨んだ(耀では不本意だったが、沢木は不在、鏡華は苦手だし、桐嶋ではハルキを怯えさせるだけだからである)。

 二度目の対面とあってハルキの警戒は少々和らいでいるようだ。しかし打ち解けたというには程遠い。

 「さっきな、おまえの周りの連中に色々話を聞いてきた。聞き込みってやつだ」

 慎霰は精一杯の笑顔を作って口を開いた。――今回試みる方法は妖術的な催眠術。ハルキの過去や、ハルキの中に潜む精神の得体の知れない部分を探ってみようという作戦である。

 「そうですか・・・・・・みんな、ぼくの悪口言ってたでしょ」

 「ん」

 即座に否定すればよかったのだろうが、それができないところが慎霰のまっすぐさだろうか。「ま、それはどうでもいいじゃねェか、な。俺がおまえを疑ってないことには変わりねェんだからさ」

 「本当ですか」

 ハルキは縋るような目を慎霰に向けた。慎霰は心臓をぎゅうっと掴まれたような錯覚にさえとらわれる。

 「ああ。それよかペットショップの店員に聞いたんだけど、おまえ、動物が大好きなんだってな」

 「・・・・・・はい。それに、ぼくはいっぱい働かなきゃいけないから。大学に行ってる暇なんかありません」

 声はかすれているが、ハルキの頬には赤みが差している。慎霰はにこっと微笑んだ。

 「俺も動物は嫌いじゃねェな。ハルキが好きな動物はなんだ?」

 「みんな好きです。特にハムスターとか小型犬が」

 動物の話で少しは打ち解けたのか、ハルキは徐々に顔を上げて慎霰の目を見るようになった。慎霰もさりげない笑みを浮かべながら、しかし目の緊張は決して緩めず――目に全身の神経を集中させてハルキの瞳を覗き込む。

 そばで見ていた耀は首をかしげた。慎霰の黒い瞳の奥で不思議な光が揺らめいたかのように見えたのだ。ちろちろと、静かに、それでいてはっきりと、何かの光が燃えている。そのまま見つめ続けていると意識をふうっと吸い取られそうな感覚を覚えて耀は慌てて目を逸らす。しかし至近距離のハルキはすでに視線を外すこともできない状態に陥っているようだ。慎霰と取り留めのない言葉を交わしていたハルキの瞼が徐々に落ち、やがて首ががくんと折れた。そのまま崩れ落ちそうになるハルキの体を慎霰ががっしりと受け止める。

 「何したのよ」

 耀が耳打ちする。慎霰は顔を半分だけ耀に振り向けて「催眠術だよ」と得意げに笑ってみせた。

 「へえっ。それも天狗の妖力?」

 「まァそんなとこかな」

 と言った瞬間、慎霰ははっとしてハルキの肩から手を離した。まるで高圧電流にでも触れてしまったかのように。ハルキの体がそのまま椅子からずり落ちる。耀が慌てて手を貸そうとしたが、その必要はなかった。ハルキは自分で膝をつき、そのままリノリウムの床に腰を下ろした。

 「・・・・・・おまえ」

 ただならぬ気配を察知して慎霰はぴくっと眉を吊り上げる。「誰だ? ハルキか?」

 くっくっく、とハルキの喉が低く鳴った。いや、それはハルキの声ではなかった。ハルキより多分に剣呑で、ひねくれて、そしてどこか卑屈な声であった。

 「俺か? 俺はアキラ」

 そしてハルキは首を持ち上げ、顔にかかった前髪を払おうともせずに口を開いた。いや、ハルキではない。ハルキの体を借りた、ハルキの別人格だ。主人格を催眠にかけたことによって別人格が現れたのだろう。数珠が反応したのはこれだったのか。アキラの薄い唇にこびりつく卑屈な笑みを読み取って慎霰は眉を寄せる。

 「ジジイとババアを殺したのは俺だよ。そして俺を生み出したのはハルキ。つまり、犯人はハ・ル・キ。分かるかい天狗さん」

 「・・・・・・本当におまえが殺したのか?」

 「そうさ。俺が・・・・・・ハルキが殺したんだ。直接手は下しちゃいねえがな。事実上、ハルキが殺したのと同じだ」

 アキラはだらしなく胡坐をかいて乾いた笑い声を立てる。

 「おまえがハルキに向かって“おまえが殺したんだ”って言ったのか?」

 「ああ。俺ともう一人、ハヤトって奴がな。ハヤトのほうが俺より先輩だ」

 「ハヤト?」

 「見たい? 出そうか」

 アキラはにやりと笑ってみせる。その瞼がすうっと閉じられ、再び首が折れた。慎霰と耀は息を呑んでハルキの体を見守る。やがてハルキはすっと顔を上げ、顔にかかった前髪を神経質そうに手で掻いた。こちらはハルキに近い人格のようだ。物静かで繊細な光はハルキそのものである。表情はハルキよりやや明るいが、ハルキよりどこか悲しく、寂しそうな目をしているのはどういうわけか。

 「えっと・・・・・・初めまして」

 そして別人格はたどたどしく口を開く。「ぼく、ハヤトです。ハルキの第二の人格――」

 「おまえがハルキの頭の中の声の正体か?」

 「そう、かも知れないね」

 ハヤトは悲しそうにふっと微笑んだ。「ぼくは自分が病気だって知ってるんだ。ちょくちょく病院にも行ってるんだよ。本体のほうは自分が病気だって気付いてないから。ぼくはね、ハルキに自分が病気だって気付いてほしいんだ」

 「本当にアキラが・・・・・・ハルキがじいちゃんたちを殺したのか?」

 「手を下したわけじゃないよ。ハルキのせいであることは間違いない、かな」

 「なんでハルキが殺さなきゃなんねェんだよッ」

 慎霰は掴みかからんばかりの勢いでハヤトを問い詰める。「ハルキはじいちゃんとばあちゃんたちが大好きだったっていうじゃねェか。そんなハルキがどうして――」

 「そうだね」

 ハヤトの瞼がかすかに震える。慎霰ははっとした。

 色の薄い瞳から透き通った涙が溢れ、音もなく頬を伝っていた。

 「ハルキはおじいちゃんとおばあちゃんが大好き。ぼくもアキラもね。だから・・・・・・いつかこうなるんじゃないかって思ってた」

 ハヤトの――正確にはハルキの、だが――頭がぐらぐらと揺れ始める。耀が慎霰の裾を引っ張って「これ以上はやばいんじゃないの」と囁く。ハルキの精神と体には催眠術の負担が大きいのかも知れない。慎霰も耀の言葉に同意してハヤトの肩を掴み、催眠を解いた。ハルキはぼんやりと目を開き、何度か瞬きをしながら顔を上げた。

 慎霰は口を開けずにいた。自分が多重人格であると自覚させることは大事かも知れない。しかしそれがハルキの心に与えるダメージを考えると、どうしてもハルキの前ではそれを告げられずにいた。





 「どう思う?」

 「ハルキじゃねェ」

 小会議室を出た慎霰は耀の問いに即座にそう答えた。「ハルキじゃねェ。ハルキはやってねェ」

 しかし耀はうーんと唸って腕を組んでしまう。

 「でも、アキラもハヤトも“ハルキがやった、直接手を下したわけじゃないにしろハルキのせいだ”って言ってたじゃん」

 「直接手を下すのが殺人だろうが」

 ハルキじゃねェ、と繰り返して慎霰は首を横に振り続ける。

 「でも、別人格たちがハルキさんのせいだって断言してるわけだしね」

 「ハヤトとアキラは“直接手を下したわけじゃない”って言ってただろ。でもハルキの頭の中では“おまえがほうじ茶に農薬を入れて殺したんだ”っていう声が聞こえたんだろ。ハルキが実行犯じゃないならそんな言い方するか?」

 「ふーん」

 なるほどね、と耀は感心したように慎霰を見上げた。

 「ハルキの頭の中の声はいつ、どういうふうに、どういう状況で聞こえたんだ?」

 「被害者のアパートで、柳さんに事情を聞かれたときに聞こえたって言ってた」

 耀は記憶を反芻しながら淀みなく答える。「周りにたくさん野次馬がいて、誰のものかは分かんないけど視線を感じたんだって。そしたら頭の中で声がしたって・・・・・・」

 「野次馬の中の誰かに見られてたってことか?」

 慎霰の問いに耀は「たぶんね」と浅く肯き、言葉を継いだ。

 「“おまえが殺したんだ”“絶対に許さない”“おまえがほうじ茶に農薬を入れて”って聞こえたんだってさ」

 「ふうん。九日の朝に被害者の所に行ったのは、八日の夜に被害者から電話が来たから・・・・・・だったよな?」

 慎霰は捜査資料の情報を思い出しながら問う。須川夫妻宅の電話の通話記録にもハルキの携帯電話の着信履歴にも互いの番号が残っていたことが確認されたのでこれは間違いない。耀の首肯を確認して慎霰はさらに質問を重ねた。

 「じいちゃんたちがハルキさんに電話をしたのは死亡推定時刻とほぼ同じだよな。もしかしたら死亡直前じゃねェかと思うんだけど。じいちゃんとばあちゃん、何か言ってなかったのか? じゃなければ、様子が変だったとか・・・・・・」

 「それが、ねえ」

 耀は大人ぶって顎に手をやった。何やら歯切れの悪い言い方に気付いて慎霰は足を止める。

 「ハルキさんに電話を入れたのは被害者本人じゃないんだって」

 「あァ?」

 「平田さんらしいよ。須川夫婦が里芋を食べたがっているから持って来てあげてくれ、バイトが終わった後だと遅くなるからバイトに行く前に寄るようにって・・・・・・」

 慎霰は黒い瞳を二、三度瞬かせた。
 




 調べ物があるという耀と別れ、慎霰は二係に戻った。沢木も鵺もまだ戻ってきていない。どっかりとソファに腰を下ろして考え込む。平田が被害者宅からハルキに電話をかけた事実は何を意味するのだろう。少なくとも、被害者の死亡直前、あるいは死亡直後に平田浩之が夫妻の部屋にいて、彼がハルキに電話をかけたということになる。しかし何のために?

 ハルキはやっていない。それが慎霰の変わることのない信念だ。見込み捜査と批判されようと構わない、とにかくハルキはやっていないのだ。ならば平田か? そうとも思えない。平田のあの憔悴した表情、ハルキに対する敵意と憎悪。平田を疑わしめる要素はない。かといって、現場で数珠が反応しなかったということは別人格の犯行でもないことになる・・・・・・。

 頭からぷすぷすと煙が出そうな表情で考え込んでいた慎霰は鵺が戻って来たことに気付かなかった。

 「ねえ、どうでした? 聞き込み」

 その声とともに不意に目の前に鵺の顔が現れ、慎霰は悲鳴を上げて姿勢を崩してしまった。

 「わっ、なんだ! びっくりさせんなッ」

 「ごめんなさいねー」

 鵺はにこにこと人なつっこい笑顔を浮かべる。「ねえねえ、平田さんは何か言ってました?」

 「ん」

 慎霰は居住まいを正してごほんとひとつ咳払いした。「おまえはハルキを疑ってるんじゃねェのか? そんなヤツに情報を教えたって意味ねェだろうが」

 「うーん。実はね、鵺もちょっと考えが変わったんだあ。じゃーん、見てこれ」

 鵺はトートバッグから何かを取り出して慎霰に示した。慎霰は激しく目を瞬かせて息を呑む。それは二枚の能面だった。リアルに再現されたのはハルキの――いや、ハヤトとアキラの顔だった。対面した人間の内面や本性を現した面を打つ事が出来るのが鵺の能力だそうである。さらに鵺がその面を被るとその人間が隠している事が判ったり、その人間の本性の人格になったりすることができるのだそうだ。

 「ハヤトくんは鵺の友達でね。この面でハヤトくんとアキラの人格を呼び出したんだ。アキラは“殺したのはハルキだ、直接手を下してなくても俺はジジイとババアが大好きだったのに”って言って泣いてた・・・・・・だからハルキさんじゃないと思う。少なくとも直接殺したわけじゃないと思うんだ」

 「俺もそう思う」

 慎霰は大きく肯いてから自分が得た情報、そしてハルキとの面会の様子を事細かに鵺に伝えた。鵺はふんふんと肯きながら聞いていたが、一通りの伝達が終わるとすぐに口を開いた。

 「怪しいのは平田かなあ? お茶を飲む前に帰ってきたっていうのも嘘っぱちかも知れないし。その数珠が反応しなかったってことは、少なくともハルキさんの別人格の犯行じゃないわけだ」

 「動機は?」

 すかさず慎霰が反論する。「平田はこまごまと被害者の世話を焼いてたんだろ。無償でそこまでするってことは相当慕ってたんじゃねェのか? 状況やアリバイは怪しいが、年の離れた親子みたいだったらしいし」

 「それじゃ、祖父母に生活費まで渡してたハルキさんがやったっていうの?」

 「いや・・・・・・それは」

 鵺の至極もっともな反論にハルキを擁護する慎霰は口をつぐんでしまう。平田がやったとは考えにくいが、かといってハルキが犯人であることだけは絶対にないのだ。二人の思考は混乱した。

 沢木のデスクの辺りで「ふふふ」と忍び笑いをする声がする。見ると、耀が前後逆に椅子に座り、にまにましながら二人を眺めていた。二人はどちらからともなく顔を見合わせた。いつの間に来たのだろうか? さっきまでは確かにいなかったのに・・・・・・。

 「皆様、お困りかしら? アタクシのとっておき情報を教えてあげてもよろしくてよ」

 似合わぬ言葉遣いとともに耀はバインダーを開く。「あのねー。おじいちゃんとおばあちゃん、悩んでたみたいだよ。学生のハルキさんに生活を助けてもらうのは心苦しいって」

 「そんなこと、誰から聞いた?」

 慎霰が訝しげに問う。「聞き込みじゃそんな話は聞かなかったぜ」

 「あたしは情報収集屋だもん」

 これくらい当たり前、と耀はぺちゃんこの胸を張って不敵に笑ってみせる。鵺と慎霰は顔を見合わせて首をかしげるしかない。

 「心苦しい、か」

 そうかもね、と鵺は顎に指を当てて呟く。「ハルキさん、“ぼくはいっぱい働かなきゃいけない、大学に行ってる暇なんかない”って言ってた」

 「かもな。じゃなきゃ親から充分に仕送りをもらってるハルキがバイト漬けになる必要はねェ」

 「・・・・・・なるほど」

 と言ったのはずっと黙り込んでいた沢木であった。

 慎霰、鵺、耀の目が一斉に沢木に向く。糸のような沢木の目がかすかに開き、鋭い光が灯る。しかしそれもほんの一瞬で、次の瞬間にはいつもの穏やかな微笑が浮かんでいた。

 「耀ちゃん、柳さんに連絡して。綾瀬さんと、それから平田さんを連れてくるようにと」

 耀は元気な返事をして出て行く。鵺は訝しげに沢木に問うた。

 「犯人が分かったのか?」

 沢木は慎霰の問いに答える代わりに黙って微笑んでみせた。いつもの柔和な笑みの裏にかすかに悲しみの色がたゆとうていることにどれだけの人間が気付いただろうか。





 警察への呼び出しを受けて会社を早退してきた平田浩之は露骨に不快の色を浮かべていた。

 「どうしてぼくが呼ばれなきゃいけないんです? そいつが自白したって聞きましたけど」

 宮本署の小会議室に呼ばれた平田は舌打ちしてハルキを見やった。ハルキは怯えたようにびくっと体を震わせる。

 「犯人はハルキさんじゃありませんよ」

 厳しい目つきでまず口火を切ったのは鵺である。平田は口元をかすかに痙攣させた。

 「じゃあぼくがやったとでも? 冗談じゃない。辰治さんとミヨシさんを殺したのはハルキだ。そいつが二人を――」

 「“死なせた”って」

 耀がきっと顔を上げる。「そう言いたいんでしょ?」

 「ああそうだよ! 二人が死んだのはハルキのせいだ、全部こいつが――」

 「殺したのはハルキじゃねェよ。おまえでもない。自殺さ」

 慎霰がぼりぼりと頭をかきながら吐き捨てた。

 ハルキが弾かれたように顔を上げる。平田の顔が決定的にこわばった。それを肯定とみなして沢木がゆっくりと口を開いた。

 「最近、須川ご夫妻は悩んでいたそうです。お心当たりは?」

 沢木の言葉に平田の口元が歪む。眼鏡の奥に燃え上がる激しい憎悪と敵意を鵺は読み取った。

 「推測でしかありませんが、例えばこういうことは考えられませんかねえ」

 沢木の口調は柔らかかったが、糸のような目は正面から平田を見据えている。「ご夫妻はハルキさんに迷惑をかけていると思い悩んでいました。自分たちに生活費を援助するためにハルキさんが働き詰めになって大学にも行けなくなったのだと」

 ハルキが沢木の背後で息を呑む。

 「ハルキの性格だから、援助はいらないと言っても聞かなかっただろうな」

 慎霰がやや顔を歪め、一言ひとこと押し出すように低い声で言う。「そして、自分の存在がハルキの重荷になってると勘違いした被害者は・・・・・・」

 慎霰の言葉を遮ったのは平田の甲高い叫び声だった。激しく頭を振って叫ぶ。まるで
何かから逃れようとしているかのように。リノリウムの床に眼鏡が落下し、無機質な金属音を立てる。

 「――平田さん」

 沢木は膝をついた平田の前にしゃがみ込んでゆっくりと口を開いた。「須川さんご夫婦はあなたの目の前で服毒死したのでしょう」

 平田はゆっくりと顔を上げ、虚ろに肯いた。





 陽はすっかり落ちて、夕焼けの残滓は徐々に闇に侵蝕されつつあった。

 「おかしいと思ったんです。ぼくに“絶対にやかんや急須、湯呑みに触らないで”なんて言って。いつもはぼくがお茶を淹れてあげるのに。ぼくの指紋をつけないようにするためだったんですね」

 やがて平田はぽつりぽつりと話し始めた。

 「二人はぼくの目の前で農薬を飲んだんです。自殺の目撃者になってくれと言って、ぼくの目の前で死んでいったんです」

 平田は悲鳴のような声さえ上げて両手で顔を覆った。スーツの肩ががたがたと震えている。

 「二人の寝室から遺書が見つかりました。ハルキに迷惑をかけたと・・・・・・自分たちのせいでハルキは大学にも行けなくなった、だから自分たちは死ぬのだと書いてありました」

 「ハルキさんのせいで二人が死んだって思ったってわけですね」

 鵺の言葉に平田はこうべを垂れたまま肯いた。

 「それでハルキさんに電話をかけたんでしょ? 第一発見者に仕立て上げて疑いを向けさせようとして。たぶん遺書は持って帰ったのかな。自殺に見せかけた他殺だと思わせるために」

 「おまえ、野次馬の中にいたそうだな。何かぶつぶつ言ってたって聞いたぜ。もしかして“おまえが須川さんを殺した、おまえのせいだ”とでも言ってたんじゃねェのか?」

 「あんたはハルキさんの耳のよさも、統合失調症の疑いがあることも知ってた。それでハルキさんに自分の言葉が聞こえればいいって・・・・・・あわよくば殺人犯にしてしまおうって思ったんでしょ。だから“おまえが農薬を入れた”なんて言ったんでしょ?」

 鵺、慎霰、耀が順に口を開くが、平田は答えない。すすり泣く声が聞こえただけだ。

 「どうして救急車を呼ばなかったのですか」

 沢木がそっと平田のそばにしゃがみこんだ。「農薬自殺は苦しいものです。つまり、即死ではない。すぐに救急車を呼んでいれば、あるいは・・・・・・」

 「・・・・・・許せなかった」

 平田はぽつりと呟いた。濡れた顔をゆっくりと上げる。真っ赤に泣き腫らした目には敵意と憎悪が燃え滾っていた。それは明らかにハルキに向けられたものだった。

 「ぼくは辰治さんとミヨシさんを本当の親のように思っていました。ぼくには身寄りがありませんから。・・・・・・ぼくは、そんな二人の自殺の場面を目の前で見せられたんです」

 ハルキの華奢な体がぎゅっと収縮する。

 「だから・・・・・・ハルキなんか苦しめばいい! ぼくの大事なあの二人を自殺に追い込むまで苦しめたハルキなんか――」

 ぱん、という乾いた打撃音が小会議室に反響した。鵺がはっとして顔を上げる。慎霰は喉の奥で小さく息を呑んだ。

 「いい加減にしなさい」

 平田の頬を平手で打ち、低く呻いたのは沢木であった。

 「大事な人なのでしょう。親みたいに慕っていた人なのでしょう。だったら助けなさい。なぜ黙って死なせたのですか。救急車を呼んだら助かっていたかも知れないのに。大事な人をみすみす死なせたあなたに・・・・・・助ける努力もしなかったあなたに、“ぼくの大事なあの二人”などとおっしゃる資格はありませんよ」

 低く抑えた沢木の声の裏に激しい感情を読み取った慎霰は少々意外そうに目をぱちくりさせた。

 沢木の携帯がポケットの中で震え出す。沢木は一言断ってから応対した。分かりました、ありがとうございますとだけ言って電話を切る。

 「平田さん。あなたのお部屋から須川さんの遺書が発見されました。筆跡も須川さんのものと一致したそうです」

 沢木は静かにそう告げた。

 平田の目から新たな涙が溢れ出す。そして平田は慟哭した。胎児のように体を丸めて、床に拳を叩きつけながら激しく泣きじゃくった。誰の目も憚らぬ嗚咽が白い壁に乱反射し、長い尾を引いていつまでもいつまでもその場にとどまった。
 


 
  
 「ありがとうございました」

 小会議室から出ると、ハルキは三人に小さく頭を下げた。沢木は事後処理のために一足先に刑事課に戻っている。

 「疑いが晴れてよかったな」

 慎霰が晴れ晴れとした笑みを浮かべてハルキの肩を叩く。ハルキも小さく笑って応じた。もっとも、それは多分に無理をした作り笑いであったのだが。

 このまま終わればハッピーエンド。慎霰はそう信じていた。しかし――鵺が口を開いてしまった。慎霰もはじめのほうから気になっていた、小さな小さな疑問を鵺は口にしてしまったのだ。

 「ねえハルキさん。ハルキさんは、バイトに忙しいから大学に行かなくなったの?」

 ハルキの目が決定的に揺らめいた。慎霰もかすかに眉を動かしてハルキの動向を見守る。

 「違うよね? 大学に行かなくなったのが先で、バイトはその後だよね。大学に行かなくなったからバイトに打ち込んだんだよね。おじいちゃんとおばあちゃんのために、っていう理由をつけて」

 慎霰がはっと息を呑む。大きく見開かれたハルキの瞳の縁に涙の玉が盛り上がり、す
ーっと頬を伝っていった。そしてハルキはそのままずるずると座り込んだ。

 くっくっく、とハルキの喉が低く鳴った。ハルキではない。アキラが出てきたのだと慎霰は悟った。

 「・・・・・・ジジイとババアは、ハルキが大学に行かなくなった理由を知らなかったんだよ」

 アキラは片手で顔を覆って声を震わせた。「登校拒否になったのは単に人付き合いが苦手で、大学になじめなかったからなのに・・・・・・ジジイとババアは生活費援助のためだって思い込んだんだ。“毎月ありがとう、ごめんね”なんて言われたらほんとは登校拒否だなんて言えねえだろ? ジジイたちに感謝されてると思うと嬉しかったし・・・・・・ジジイたちに仕送りするためだって思えば登校拒否も正当化できたからな・・・・・・」

 アキラの言葉はそこで途切れた。またがくんと首が折れる。その後でゆっくりと顔を上げたのはハヤトだった。ハヤトは透き通った涙を流して慎霰を見上げた。 

 「本当はハルキも薄々感づいてたんだ。でも気付きたくなかったんだろうね。だからアキラが作られた・・・・・・“自分がおじいちゃんたちを苦しめている”っていう記憶を持たせるために生まれたのがアキラ。アキラがおじいちゃんとおばあちゃんを殺したっていうのはそういう意味なんだ」

 「で、今もハルキの代わりにハヤトたちが出てきたってことは、本体はこの事実を知りたくねェってことか」

 慎霰は低く呻いた。

 多重人格。それは意味での自己防衛機構。嫌なこと、つらい記憶を肩代わりさせるために他の人格を生み出す。嫌なことやつらいことを他の人格の記憶に持たせることによって自分を守る――。「自分が病気である」という事実を肩代わりさせるために生まれたのがハヤト。祖父母を苦しめているということを認めたくなくて作り出したのがアキラ。どちらも、厳然と突きつけられた事実を頑なに拒むハルキの心が生み出したものだったのだ。

 ハルキの首が再び折れる。ややあってハルキがぼんやりと目を開いた。主人格が現れたらしい。慎霰は黙ってハルキを見下ろしていた。

 ハルキが本当のことを打ち明けてさえいればこんな事件は起こらなかったのだろうか?

 ――それは慎霰には分からない。ただ分かっているのは、ハルキは祖父母が大好きで、祖父母もハルキが大好きだったということだけ。そのすれ違いが今回の事件の引き金になったのだとしたら・・・・・・。慎霰はやりきれない思いでハルキの肩に手を置くことしかできなかった。(了)





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 1928 /天波・慎霰(あまは・しんざん)/ 男性 /15歳 /天狗・高校生
 2414 /鬼丸・鵺(おにまる・ぬえ)  / 女性 /13歳 / 中学生・面打師




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■         ライター通信          ■
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天波・慎霰さま


こんにちは、宮本ぽちです。お待たせしておりました「VOICE」をお届けします。
続けてのご注文、まことにありがとうございました。
早くにご注文をいただいておきながら、納期ぎりぎりまでかかってしまって申し訳ございません。

前回の事件に比べると動きのないシナリオでしたが、ここまでご覧くださってありがとうございます。
ハルキに味方してくださった天波さまのお気持ち、嬉しかったです。

それでは、今回はこの辺りで筆を置かせていただきます。
今後活動できるかどうか分かりませんが、またどこかでお会いできることを願って・・・。


宮本ぽち 拝