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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


植村警部補の事件簿「奇妙な行方不明者」

「武彦、いるか! 事件だぞ!!」
 ドアを乱暴にノックする音とともに、植村護国 (うえむら・もりくに)の不機嫌そうな声が飛び込んでくる。
 そのまま放っておくと、声だけでなく本人が飛び込んで来かねない。
 武彦が渋々ドアを開けると、ドアのすぐ目の前に、いつも通りにまじめくさった顔の植村が立っていた。

「で、今度は一体どうしたんだ」
 やむなく植村を中に招き入れ、武彦がそう尋ねる。
「集団失踪事件だ。失踪したのは全部で四人。
 性別も職業もバラバラだが、同一の怪奇系サイトの常連だったことがわかった。
 さらに、失踪したと思われる日に、この四人と、もう一人の人物が参加してオフ会が開かれている」
 やや興奮気味にまくし立てる植村だが、彼の話を聞く限りでは、さっぱり難事件のようには思えない。
「それで決まりじゃないか」
 武彦がそう正直な感想を述べると、植村は「やれやれ」と言うように大きくため息をついた。
「それならわざわざお前の所に来たりせんよ」
 それから、身を大きく前に乗り出すようにして、再び話を続ける。
「奇妙な点は三つ。
 まず第一に、オフ会に参加していたと見られる『第五の人物』なんだが、こいつの素性がどうにもわからん。
 問題のサイトには事件後も顔を出しているし、しっぽを掴むのはそう難しくなさそうに見えたんだが、アクセス元は偽装されているし、メールを出してもなしのつぶてだ。
 他の連中にはちゃんと返信しているようなんだが……こっちが投げた餌にだけは、なぜか食いついてこない」
 なるほど、十中八九その男が犯人であるとしても、その男がなかなか容易に尻尾を掴ませてくれないらしい。
 それだけなら、恐らくその男の尻尾を掴める人間を連れてくればいいだけなのだが――本当に奇妙なのは、むしろここからだった。
「そして第二に、失踪したはずの連中が、全員失踪後もサイトに顔を出している、ということだ。
 それだけじゃない、メールも送れるようだし、携帯電話にもつながる」
 それは――失踪していると言えるのだろうか?
「なら、本人たちに聞いてみればいいだけの話だろう」
 武彦がそう口にすると、植村は相変わらず深刻そうな表情でこう答えたのだった。
「そこが最後の問題でな。
 彼らは全員、自分は失踪なんかしていないと言い張っている。
 自宅にもちゃんと帰っているし、会社や学校にもちゃんと行っていると主張しているが、誰一人としてその形跡はない」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「メールやネット、電話などでは、ちゃんと連絡が取れているんですね?」
 武彦と植村の説明を聞いて、海原みなも(うなばら・みなも)は真っ先にそう確認した。
「ああ。こっちからメールを出してもちゃんと返事が来るし、それ以外にも普通に家族や友達にメールしたりしているようだ」
 ということは、電子的な手段での連絡は取れている、ということになる。
「だとしたら、データ上は……つまり、ネットワーク上には、明らかにその失踪した方々、もしくはその方々を名乗る何かが存在している、ということですね」
 みなもがそう言うと、二人は納得したように頷いた。
「なるほど、よく『ネットワークの向こうにもちゃんと自分と同じ人間がいる』というようなことを言うが、今回のようなケースではまずそれを疑ってみるべきなのかもしれないな」
 そもそも、怪奇事件というものは、皆どこかで「常識」の及ぶ範囲を逸脱している。
 だからこそ「怪奇」事件なのだが、そうとわかっていても、なかなか捜索する側が「常識」の枷を外すことは容易ではない。
 そしてこの手の事件は、「常識」に囚われたままの捜査方法では、絶対に解決できないのである。
「それで、失踪人届けは受理されたんですか?」
 みなもの次の質問に、植村は首を横に振る。
「本人と普通に連絡が付き、本人が失踪してないと言い張ってる以上、受理できるわけないだろう。
 だから、本来はウチの管轄じゃないんだが……あまりにも妙な事件だし、放っておくのも寝覚めが悪いからな」
 確かに、厳密に言えば、問題の相手と連絡が取れるのであれば、それは「失踪」とは言わない。
 どちらかと言えば「家出」に近い感じなのだが――それにしては、相手の主張があまりにも奇妙だ。
 自宅にいる相手に対して、「自宅に帰っている」などと言う嘘をついたところで、すぐにばれるのは目に見えている。
 ならば、なぜ彼らはそんな不自然な答え方をしたのだろう?

 みなもがいろいろと考えていると、不意に、奥の方にいた長身の男が口を開いた。
「俺にいいアイディアがありますよ」
 露樹故(つゆき・ゆえ)である。
「彼らは失踪してないと言ってるんでしょう?
 それなら、その証拠を見せてもらえばいい」
 なるほど、言っていることは筋が通っている。
「だが、どうやって?」
 武彦の問いに、故は薄笑いを浮かべてこう答えた。
「彼らにここに来てもらうんですよ。
 念のため、家族なり、同僚なり、友人なり、自分たち以外の誰かを連れて、ね」





 故のアイディアは、早速実行に移された。
 失踪しているとされた四人のうち、仙台にいるという一人は難色を示したが、それ以外の三人についてはどうにか承諾を取りつけることができた。

 ところが、約束の時間を過ぎても、興信所には誰一人現れなかった。

「来ませんね」
 みなもの言葉に、故が小さく笑う。
「まあ、こんなことだろうとは思っていましたが」

 けれども、予期せぬ事態が起こったのはその後だった。

 武彦や植村が確認のために電話をすると、彼らは皆一様に「興信所にはすでに行った」「あなたたちにも会ったし話もした、すでに誤解は解けたと認識している」というのである。
 念のためにこの場にいた人数や武彦の服装などについていくつか質問をしてみたが、だいたいの質問の答えは合っていた。
 さらに厄介なことに、彼らが「一緒に連れて来た」という友人や同僚も、皆一様に「確かに興信所に行った」と答えてくる。
 これには、さすがの武彦もすっかり面食らった様子だった。
「どうなってるんだ?」
 実際には、彼らはここには来ていない。
 みなもも、故も、武彦も、植村も、そして零も、その点では意見が一致している。
 だが、彼らは皆ここに来ているといい、ここに来ていなければ決して知り得ないはずのことを知っている。
 これは、一体どう解釈したらいいのだろう?

 一同が頭を抱えていると、故がまた何かを思いついたように顔を上げた。
「今確認をとった証人四人の中で、最も近くにいるのは?」
「この木戸って学生だな。確かここから一時間くらいの所に住んでるはずだ」
「朝一ででも直接会ってみましょう。ネットワークは完全に乗っ取られているかもしれない」

 確かに、今回確認に使ったのは「電話」だった。
 相手が失踪した人間を装っていることを考えれば、彼らが「来た」と証言していた人物を装うことも可能に違いない。
 まだ失踪していない証人に、直接会わなければ意味がないのだ。

 とはいえ、全員でその木戸という人物の所に出かけていっても意味はあるまい。
 そう考えて、みなもはこう提案してみた。
「あたしは、問題のサイトの常連さんや、『第五の人物』さんに、いろいろ聞いてみたいと思いますが」
「そうしたいならご自由に」
 故は「うまくいくはずがない」という顔をしていたが、特に反対意見は出なかった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 それから、どれくらい経っただろうか。

 みなもは問題のサイトの常連から情報を収集するつもりだったが、完全に壁に突き当たってしまっていた。
 みなも自身は来たことのないサイトだったのだが、よく言えば常連同士の連帯感が非常に強く、悪く言えば非常に閉鎖的なため、「余所者」のみなもの話など、ほとんど誰も聞いてはくれなかったのである。
 あまつさえ、みなもがメールでいろいろ尋ねようとしていたことを掲示板に報告する者まで出てくるのだからたまったものではない。
 今回の問題ではすでに相当ナーバスになっていたらしく、あっという間にとても話など聞けないような状態になってしまった。

(やっぱり、こんな方法じゃうまくいかないのかな?)
 そんな思いに囚われ、みなもが諦めようかと思い始めた矢先。
 彼女の元に、一通のメールが届いた。

 差出人の名前は「Red Pill」――問題の「第五の人物」のハンドルネームだった。

 まさか、一番話を聞きたかった人物からメールが返ってくるとは。
 はやる気持ちを抑えながら、みなもはそのメールを開いた。

ーーーーー

 君と会って話がしたい
 待ってる 

ーーーーー

 メールの本文は、わずか二行。
 添付されていた地図には、少し駅から離れたところにあるカラオケボックスの場所と、部屋番号が記載されていた。

「十中八九……いや、九割九分、罠だな」
 ディスプレイをのぞき込んで、不安そうな表情を浮かべる植村。
 彼の目は、暗に「行くな」と告げていた。

 しかし、このチャンスを逃せば、恐らく次はない。

「行きます」
 みなもがはっきりとそう告げると、植村はもはやそれ以上引き止めようとはしなかった。
「わかった。
 だが、一人で来いとは書いてない……俺も行かせてもらう」
 正直なところ、みなもとしてはあまりついてきてほしくなかったのだが、恐らく彼は止めても勝手についてくるだろう。
 みなもはやむなく彼の同行を認め、小さくため息をついた。





 メールで指定された部屋は、ちょうど一番奥の、非常口に近い部屋だった。
 すでに夜も更け、そろそろ日が昇ろうかという時間帯だけに、他の部屋からもあまり声は聞こえない。
「いかにも、な場所だな」
「そうですね」
 ドアを開けたとたんに、相手に不意打ちされるかもしれない。
 念には念を入れて、二人は問題の部屋のドアを開けた。

 ところが。
 二人の予想とは異なり、部屋の中にいたのは二十代後半くらいと思われる銀髪の若い男一人だけだった。
「どうぞ」
 穏やかな笑みを浮かべ、二人に席を勧める男。
 みなもはやや拍子抜けしつつも勧められるままに腰を下ろし、植村もそれにならった。

 さて、一体何から尋ねたらいいだろう?
 少し考えを整理して、最初の質問をしようと、みなもが顔を上げたその時。

 男と目があった瞬間、不意に強烈な眠気が襲ってきた。
(しまった!)
 とっさに目をそらそうとするが、身体に全く力が入らない。

 薄れゆく意識の中で、みなもはふとあることを思い出していた。

 あのサイトの常連の数人から返ってきたメールでは、「Red Pill」のことを「彼女」と呼んでいたことを。

 本物の「Red Pill」は――恐らく、女性なのだ。

 ……だとしたら、この男は――?

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 空が青い。

「……ん」

 ゆっくりと身体を起こす。

 気がつくと、みなもは公園の芝生の上にいた。

 どうして、こんな所にいるんだろう?

 思い出せない。

 家を出て、それから――。

 思い出せない。

 時計を見る。

 朝だ。

「学校……行かなくちゃ」

 そう呟いてはみたが、いまいちそんな気分にはなれない。

 さぼっちゃおうかな。

 そんなことを考えた時。

 みなもの前で、誰かが立ち止まった。

「どうしたの?」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 目を覚ましたみなもが最初に見たのは、まるで病院か研究所のような真っ白な天井だった。

(……ここは?)

 辺りを見回そうとしてみたが、身体が動かない。
 今度は先ほどのように力が入らないのではなく、どうやら物理的に固定されているようである。
 何か兜のようなものを被せられているのか、妙に頭が重い。

「成功だ。これで彼女も向こうの住人になった」

 横の方から、先ほどの男とはまた別の、もっと年上の男のものと思しき声が聞こえる。

「ここはどこ? あなたは誰?」

 身体が動かせないので、天井を見たまま声と意識だけをそちらに向かわせる。

 すると、数秒ほどしてから、こんな返事が返ってきた。
「私は里中日暮。ここは……もう一つの世界のあるところだよ」

 里中日暮の名は、どこかで聞いたことがある。
 確か、小説か何かを書いていたはずだ。

 それよりも問題なのは、「もう一つの世界」という方である。
 一体、「もう一つの世界」とは何で、彼はここで何をしていたのだろう?
 そして、自分の身に何があって、これから一体どうなるのだろう?

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「へえ。みなもちゃんって言うんだ」

 みなもに声をかけてきたのは、阿佐美という少女だった。
 歳は十六。みなもより二つほど上である。

「私ね、去年まで病気でずっと入院してたんだ」

 暗闇の中で、輝くこともできず。
 ただ静かに、ずっと光を蓄えていたのだろうか。

「でも、今はもう平気なの。特効薬が開発されたんだって。
 そのお薬を飲んだら、あっという間によくなっちゃった。凄いよね」

 眩しかった。
 生の喜びの全てを凝縮したかのような彼女が。

「だから、今は毎日が楽しくて仕方ないの。
 普通に歩けること、普通に食事ができること、それからこうやって普通に人と話せること」

 眩しかった。
 惹きつけられずにはいられないほどに。

「ねえ、みなもちゃんも私のお友達になってくれる?」

 考えるより早く、みなもは首を縦に振っていた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「これを見るといい」
 そう言いながら、里中がみなもの頭に被せられていた機械のようなものを取り払い、みなもが固定されている寝台を起こす。
 目の前には、巨大な黒い箱と、大きな画面があり……その画面の中では、みなもが見知らぬ少女と談笑していた。
「あれは……あたし?」
「そう。そして、もう一人は私の娘の阿佐美だ。いい子だろう」
 まるで太陽のような少女につられるように、画面の中のみなもは楽しそうな笑みを浮かべている。
「一体、どうなってるの?」

 画面の中のもう一人の自分。
 その正体を、里中はこう説明した。

「君が眠っている間に、君の記憶・人格・その他全てをこの『シミュレーター』の中に写し取ったんだ。
 つまり、君は『向こう側の世界』へ、六人目の住人として無事に移住したということになる。」

 六人。
 あの阿佐美という少女と、自分と、あと四人。

「六人って、まさか!?」
「そう。一人目はあの阿佐美で、残りは君と、君たちが捜している四人だよ」

 やはり。
 四人が電子的には存在している、という直感は正しかった。

「その四人は、一体どうなったの!?」
「『向こう側の世界』に移住してもらって、こちらに残った『抜け殻』は処分した」

 そして、それ以外の意味では……つまり、生身の人間としては、すでに生きてはいないだろうという悪い予感も。

「さあ、君ももうこの抜け殻はいらないだろう」

 さらに悪いことに、今度はそれと同じ運命が、自分に迫りつつある。

「大丈夫、君は『向こうの世界』でちゃんと生き続ける」

 向こうの世界。
 画面の向こうにいたのは、まぎれもなくみなもだった。
 向こうにいる彼女は、ひょっとしたら、こちらにいる自分より幸せなのかもしれない。

 でも。
 あれは「あたし」なのだろうか?
 例え、あれが「海原みなも」であったとしても――あれは、「あたし」なのだろうか?

 そんな疑問が、頭の中をぐるぐる回る。

「それじゃ、おやすみ」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 氷のトランプが、間一髪のところで里中の手にした注射器を打ち砕く。

「間に合いましたか」
 故は一言そう呟くと、どこかで見ているであろう「声の主」を探した。





「邪魔をするならば排除する」。
 そう言われてハイそうですかと引き下がるのはシャクだが、ヘリックスと戦って勝てる自信はない。
 一体、どうしたらいいのか?
 故がそう考えていた時に、突然、その「声」は聞こえてきた。

 ――ここに、いるよ――。

 意識の中に直接語りかけてくる声。
 そして、脳裏に浮かぶ場所のイメージ。

 声の主の正体も、その意図するところも。
 それ以前に、そもそも誰が「ここにいる」のかも、何一つわからない。

 それでも、故はその誘いに乗ってみることに決めた。

 理由は簡単。面白そうだったからだ。





 空間転移した故が出てきたのは、みなもたちのいた部屋の片隅だった。
 寝台に拘束されたみなもに、話に出てきた里中と思しき男が何かを注射しようとしている。

「邪魔をするな」。
 あの男は確かにそう言った。
 だが、だからこそ、故はあえて「邪魔する」ことを選んだ。

 理由は簡単。面白そうだったからだ。





「なんだ、お前は? 何故私の邪魔をする!?」
 突然の乱入者に、半狂乱になる里中。
 その後ろに、先ほどのヘリックスの姿が突然現れた。
「なるほど。どうあっても我々の邪魔をしたいというわけですね」
 どうやら、彼も空間転移が使えるらしい。
 ことここに至った以上、彼と雌雄を決するのは避けられないだろう。
 そう考えて、故が残りのトランプを構えた、その時だった。





「ようやく役者が揃ったみたいだね」
 不意に画面が切り替わり、真っ白なスーツを着た少年が映し出される。
「それじゃ、そろそろ解決編と行こうか」
 少年はの言葉とともに、画面が再び切り替わる。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 今度映し出されたのは、まるで教育番組のキャラクターのようにディフォルメされた少年だった。
「さて、それじゃ始めるよ。準備はいいかな?」
 その言葉に同調するように、彼の頭上の空間に、地球と「シミュレーター」と思しき箱の図が現れる。
「今のところ、『こっちの世界』にいる人間は、『あっちの世界』に全面的に干渉することができる。でも、その逆は、きわめて限定された方法でしかできない」
 その二つの図の間に、右から左と、左から右の矢印が一本ずつ。
 しかし、右から左、つまり箱から地球へ向かう矢印は、逆方向のものに比べてやや細い。
「だから、相互の矛盾を解決するために、『あっちの世界』が譲歩することで、世界はどうにか成立していた、と。
 それなのに、今回の一連の騒動は、明らかにそのバランスを崩してしまった」
 二つの世界の図が、赤く染まっていく。
 そこで彼は一旦説明を切ると、少年は画面の前のみなもをじっと見つめて――気のせいかもしれないが、少なくともみなもにはそう思えた――突然、こんな事を言い出した。
「どうでもいいけど、お姉ちゃんそれ窮屈でしょ?」
 それと同時に、少年は画面の中から手を出して――比喩表現でも立体映像でもなく、画面から本当に手が伸びてきたのだ――慣れた手つきでみなもの拘束を解き始めた。
「あ、ありがとう……?」
 まだ何が起こっているのかはよくわからないが、とりあえず自由の身になれたことだけは確からしい。
 みなもが感謝の言葉を述べると、少年はみなもに軽く手を振ってから、一度咳払いをして説明に戻った。





「この歪みを解消する方法は四つ。
 最初の一つは『あっちの世界』そのものを消してしまうことだけど、これは下策中の下策」

 確かに、それは余りにも乱暴すぎる。
 それは、つまり向こうの世界にいる五人を――もう一人のみなもも数えるのならば六人になる――本当に「殺して」しまうことになる。
 みなもとしても、その案は反対だった。

「二つめは、逆に全ての人間を『あっちの世界』に送った上でリンクを切り、『こっちの世界』はいわゆるメタ世界として残すこと。
 この『シミュレーター』には、それが可能なだけのスペックがある。
 実現可能性としては低いけれども、比較的スマートな解決策と言えるかもしれない」

 最初の案よりスマートであることは疑いようがないが、みなもはこの案にも疑問を感じていた。
 この方法ならあの五人は死なずに済むが、すでに「海原みなも」は向こうにも存在している以上、今ここにいる「あたし」は、里中が言っていたように「抜け殻」ということになる。
 けれども、やっぱり「あたし」にとっての「あたし」は、その「抜け殻」のはずの「あたし」しかいない。
 例え「シミュレーター」がどんなに完全に「海原みなも」を写し取ったとしても、やっぱり「あたし」のいる世界は、「こっちの世界」しかありえないのだ。

「三つ目は、『あっちの世界』からも、『こっちの世界』へ全面的な干渉が行えるようにすること。そうすれば、二つの世界は完全にシンクロしたものとなり、あたかも一つの世界であるかのように振る舞うことが可能になる。
 一見理想的な解決策に見えるが、技術的に問題が多く、実現可能性はほぼゼロに近い」

 言っていることはわかるし、それができればそれに越したことはないのもわかる。
 だが、それが「『あっちの世界』の人を『こっちの世界』に連れ戻す」のと同じか、それよりさらに困難なことをしなければならないという意味であることを考えれば、所詮机上の空論でしかないことはすぐにわかった。





 ここまでの三つの解決策は、どれも問題がありすぎる。

 と、なれば。
 おそらく、本命は最後の四つ目。

「そして、四つ目の解決策は……」
 もったいぶるように、少年が一度言葉を切る。
 彼はもう一度一同を見回し、一度小さく頷いてから言葉を続けた。
「ただ、二つの世界のリンクを切り、二つの世界をそれぞれ完全に独立した世界にすること」

『こっちの世界』と『あっちの世界』。
 なまじお互いに交流があり、お互いに影響し合うからこそ、その二つの世界の間に歪みが生まれる。
 二つの世界が、どちらも同じ「現実」を共有しようとするからこそ、そこに矛盾が生まれる。

 それなら、その二つの世界に、それぞれ違った「現実」を持つことを許してやればいい。
 当たり前と言えば、当たり前の答えだった。

 この方法なら、少なくとも阿佐美たちの存在が完全に消えることはない。
 ヘリックスの「実験」は終了ということになるが……はたして、二人はこの解決策を受け入れるだろうか?

「これが答えだよ、ヘリックス。
 これ以上この実験を強行したところで、キミが得られるものは決して多くない。
 それどころか、二つの世界をぐちゃぐちゃにすることは、キミが今後行うであろう実験にも悪影響を及ぼすことになる」
 少年の言葉に、ヘリックスは一瞬不服そうな表情を浮かべたが、やがて諦めたように息をついた。
「そのようですね。The game is over、ですか」

 これで、残るは里中日暮のみ。
 全員の視線が彼に集まる中、里中は寂しげに笑ってみせた。
「どのみち私に選択権はないだろう。君たちのいいようにしてくれ」
 そう言いながら、ふらふらと「シミュレーター」の方に歩み寄る。
「その前に、一つだけお願いがある」

 彼が、何を願うか。
 みなもには――そして、恐らく他の全員にも、想像はついていた。

「私を、向こうの世界に行かせてくれないか」

 娘と共に、「向こうの世界」で生きる。
 これが、彼が出した答え。
 彼が選んだのは、「こちらの世界」ではなく、「向こうの世界」。

 誰からも返事がないのを無言の了解と見なして、里中が先ほどの兜のような機械を被り、寝台に横たわる。
 ヘリックスが「シミュレーター」の側面に触れて二、三語の呪文を呟くと、一瞬彼の身体を光が包み……次の瞬間、画面が再び「向こうの世界」の様子に切り替わった。





「向こうの世界」のみなもと阿佐美が、歩きながら楽しそうに話をしている。
 その向こう側から、穏やかな笑みを浮かべた里中の姿が見えてくる。

「あ、パパ!」
 手を振る阿佐美に、里中は軽く手を振り返した。

 これが、彼自身が選び取った「現実」。



 

「……これでいい」
 その様子を見て、「こちらの世界」の里中が満足げに呟く。
 彼の顔に浮かんだ表情は、「向こうの世界」の里中のそれと全く同じで。

 完全に、満ち足りたものだった。

「さあ、残った抜け殻を廃棄してくれ」

 何でもないことのようにそう口にする彼を見て、みなもはふとある疑問を感じた。

 みなもも、里中も、現時点では「こちら」と「あちら」の両方に存在する。

 とはいえ、「あたし」は、こちらの世界に留まったままで。
「あちら」にいるみなもは、「海原みなも」ではあっても、「あたし」ではない。

 では、里中は?
 ここにいる「彼」――つまり、元からいた「彼」は、画面の中の「里中日暮」には、ついになり得なかったのではないだろうか?
 里中は、そして「彼」は、自らの望む「現実」を選び取った。
「こちら」ではなく、「あちら」を選んだ。
 そしてその結果、「里中日暮」は、「あちらの世界」という「現実」をつかみ取った。
 しかし、「彼」自身は――どうなのだろう?

 その疑問を、はたして口にするべきか否か。
 みなもがその答えを出すより早く、ヘリックスが再び数語の呪文を唱える。
 その言葉が、「彼」の聞いた最後の音となった。

 一瞬にして死をもたらす魔法。
 恐らく、苦痛を感じるどころか、自分が死んだことにすら気づかぬまま、「彼」の「現実」は、唐突に幕を下ろしたのだろう。

 それで、「彼」は本当に満足だったのだろうか――?

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「これで、『シミュレーター』と外部ネットワークとの接続は解除されました」
 立方体から手を離し、ヘリックスは淡々とした口調で言った。
「みなもさんと一緒にいた警官はあのままカラオケボックスに放置してきましたから、恐らくとうに目を覚ましてあちこち駆け回っていることでしょう。
 草間探偵は、あとで興信所の方へ送り返しておきましょう」

 これで、一つの事件は終わる。
 いくつもの疑問を残したままで。

「それでは、あなたたちにもお引き取りいただきましょうか」
 右側の壁に、音もなく大きな穴が空く。
 その穴の向こうには、見慣れた外の景色が広がっていた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 みなもは夢を見ていた。
 友達の家へ遊びに行く夢を。

「みなもちゃん! さ、上がって」
 満面の笑みで彼女を出迎えてくれたのは――阿佐美だ。

 ちょうどそこへ、二階から里中が降りてくる。
 それに気づいて、阿佐美は嬉しそうにこう言った。
「あ、パパ、紹介するね。
 海原みなもちゃん。私の大事なお友達」
「はじめまして」
 軽く頭を下げるみなもに、里中は何度か小さく頷いて、優しげな微笑みを浮かべた。
「そうか。
 みなもちゃん、これからも阿佐美と仲良くしてやってくれよ」





 夢から覚めて、みなもは思った。

 夢の中の「あたし」は、「向こうの世界」の「海原みなも」だった。
 だとしたら、「向こうの世界」の「海原みなも」は、あんな風に感じていたのだろうか?
 夢の中の「あたし」は、幸せだった。
 だから、「彼女」も、幸せなのだろうか?





 ――ずっと、ともだちだよ――。

 どこかで聞いたような少女の声が、微かに聞こえたような気がした。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 1252 / 海原・みなも / 女性 /  13 / 中学生
 0604 /  露樹・故  / 男性 / 819 / マジシャン

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■         ライター通信          ■
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 撓場秀武です。
 この度は私の依頼にご参加下さいまして誠にありがとうございました。

 今回は「一区切り」ということもありまして、だいぶムチャをさせていただきました。
 だいたい「書きたいこと」のうちで「書けること」、そして「書いていいこと」はだいたい書き切れたのではないか、と個人的には思っています。

 なお、今回のノベルは途中と最後の二カ所に個別パートがありますので、よろしければもう一方のノベルの方にも目を通してみて頂けると幸いです。

・個別通信(海原みなも様)
 今回はご参加ありがとうございました。
 まずは、ノベルの方遅くなってしまいまして申し訳ございませんでした。

 さて、みなもさんの描写ですが、こんな感じでよろしかったでしょうか?
 確かに「幸せ」は人それぞれなのですが、本当に「幸せの種類は人の数だけある」としてしまうと、結局の所、「幸せなのかどうか」は、当人以外には知り得なくなってしまうのではないか、という気がします。
 みなもさんには、その辺りでいろいろと悩んでいただく形になりました。

 ともあれ、もし何かありましたら、ご遠慮なくお知らせいただけると幸いです。