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<東京怪談ノベル(シングル)>


ファルスのお仕事な一日

 ファルス・ティレイラは、生活資金稼ぎに、なんでも屋をやっている。
 その名のとおり、出来る範囲のことならなんでも請け負うのだが、主にしているのは、手で持ち運びできる程度の荷物の配達だった。
「こんにちわー。お電話いただいた、ファルスですー。お荷物の受け取りに伺いましたー」
 ある日の朝、ファルスは一軒の家の前で声をかけた。
「ああ、ご苦労さま」
 しばらくして中から現れたのは、三十代半ばと見える、優しそうな女性だった。手には正方形のビニールバッグを持っている。ケーキ屋で、ホールでケーキを買った時に入れてくれるような、あんなバッグだ。
「これを、竜胆村のはずれに住んでいる私の父に届けてほしいの。誕生日のプレゼントだから、申し訳ないけれど、絶対に今日中にあちらに届くようにね」
「はい」
 受け取って、ファルスは念のためにと中身が何かを訊く。女性は、ケーキとワイン、それにストールとメッセージカードが入っていると告げた。
「わかりました。では、たしかにお預かりしますー」
 ファルスはそれを受け取り、一礼してそこを離れた。
 とりあえず、人目につかない場所まで来ると、飛翔可能な姿になった。背中に巨大な翼が生え、更に頭には角が、そして尻からは尻尾が生えた姿になる。
 ちなみに、今渡された荷物の配達先である竜胆村は、東京からはけっこう遠かった。地図上では奈良と和歌山の境ぐらいの位置に存在するのだが、交通手段がほとんどないらしい。一般的な郵便や宅配便でもそこへの配達は、たとえば通常二日で配達できるものなら四日、三日で配達できるものなら六日と、常に倍の時間がかかるのだそうだ。
「誕生日は前もってわかっているんだから、少し早い目に送ればよかったんだけど……ストールが、なかなか仕上がらなくて。それで、あなたの噂を聞いて、お願いしたのよ」
 配達を頼んで来た女性は、ファルスに渡す際、そんなふうに言っていた。どうやら、荷物の中身は皆、手作りのものらしい。
 ファルスは、それらのことを思い出し、責任重大だと考えながら、地図を片手に空へと舞い上がった。

 空の旅は、快調だった。
 まずはとにかく、竜胆村のある奈良と和歌山の境――つまり、近畿を目指せばいいわけで、彼女は新幹線の線路を目印代わりに、ひたすら西を目指して空を駆けた。
 幸いにして天気も良く、空は真っ青に晴れ上がっている。しかも、春らしい温かい日で、まさに空の旅には絶好だった。
 時々、地上に降りては、手元の地図と新幹線の駅名を照らし合わせて、今自分がどのあたりにいるのかをきちんと確認するのも忘れない。
 おかげで彼女は、昼前には大阪へと到着していた。昼食を取るには、まだ少し早い気もしたので、彼女はそこから、今度は地図だけを頼りに、奈良の竜胆村に一番近い小さな駅のあるあたりまで更に飛行を続けた。
「うわー。きれい!」
 駅の傍に降りると、ファルスは思わず声を上げる。そのあたりは、桜並木になっていて、何本かの木はすっかり満開だったのだ。思わず、携帯電話のカメラにそれを収めて、彼女は昼もこの並木の下で取ろうと決める。おあつらえ向きに、桜と桜の間には、木のベンチが用意されていた。
 駅が小さいせいか、その周辺にもそれほど店はなかった。が、幸い、弁当屋があったので、そこでおにぎりとシャケの弁当を買い、彼女はベンチに腰を降ろすと、しばしの間、桜を眺めながらランチタイムとしゃれ込む。
「こんなにきれいな所で、お昼を食べられるとは、思わなかったなー。それに、午前中にここまで来られたんだから、後は楽勝ね」
 そんなことを笑顔で呟きつつ、彼女はおにぎりをほおばった。
 やがて弁当を食べ終わると、ゴミをちゃんと駅のゴミ箱に捨てて、彼女は大きく伸びをする。
「さて。目的地まで、あと、少し。がんばらなくっちゃー」
 自分で自分に気合を入れるように、両手の拳を握りしめると、彼女は再び、空へと舞い上がった。
 しかしながら、本当に大変だったのは、ここからだったのである。

 竜胆村は、地図で見ると、かなり山の高い位置にある。奈良はもともと平野と山地で構成された県で、和歌山も内陸側はこれまた、基本的に山地だった。その境なのだから、ようするに山の只中である。もちろん、同じ奈良・和歌山県内の山中にあっても、道路が整備されて車を使う宅配便や郵便なら、都会と変わらない速さで届く地域も多かった。が、竜胆村へはいまだに道路整備が成されておらず、ファルスが翼を持っていなければ、昼食を取った駅まではともかく、その後はかなりの時間を必要としたに違いなかった。
 だが、高い山も険しい道も、空を飛べる彼女には、なんの問題にもならない。新たな目印とした川の流れを時おり確認しながら、彼女は鼻歌混じりに飛び駆けて行く。
 ところが、そろそろ村に着くだろうころになって、彼女は突如として前へ進めなくなった。上空からどれだけ目を凝らして見やっても、眼下に広がるのは木々ばかりで、人家の屋根らしいものも、道も畑も何も見えないのだ。
「な、なんでー? だって、村って言うからには、何かあるはずよねー? 家とか畑とかー」
 ファルスは、焦って必死で地上を見回しながら、呟く。ちなみに、彼女の脳裏に描かれている「村」の風景は、おとぎ話にでも出て来そうな、わらぶき屋根の家々とその間に水田が広がるのどかな雰囲気のものである。……わらぶき屋根はともかく、山奥にあっても村というからには、田畑が広がっていて上空からでもすぐにわかるに違いない、と考えていたのは本当だ。
 しばらく地図を睨みながら、上空をうろうろした彼女は、結局、地上に降りるしかないと判断した。山の中でなければ、もうちょっと低い位置まで降りて飛行しつつ、目的地を探す方法もある。しかし、木々の中を飛ぶのは、かなり難しい。油断をすれば、翼が枝に引っかかって、立ち往生してしまう可能性もあった。
 そこで彼女は、できるだけ木々がまばらな場所を探して降りると、翼と角と尻尾をしまった。
 地図は、一応村の中と近辺のものとそこまでのものの、二種類を用意して来ている。彼女は、今まで見ていたものをしまって、かわりに村の中とその近辺の地図を出す。
「ええっとー、今いるのがたぶん、このあたりだからー」
 一人でぶつぶつ言いながら、地図を睨んでいたが、ようやく進むべき方向を決めて、歩き始めた。しかし、行けども行けども、村らしいものはどこにも見えて来ない。やがて彼女は、ごく小さな川にさしかかった。向こう岸までの間には、丸太が一本、渡されているだけだ。
「もしかしてー、これが橋ー?」
 思わず目をぱちくりさせて、彼女は呟く。念のため、あたりを少し探索してみたが、他には橋らしいものもなく、やはりこれを渡るしかなさそうだ。
「む〜ん」
 小さくうなって彼女は、しばらく考え込む。バランス感覚はそう悪くはないと思うが、大事な荷物を預かっている身だ。もしも足を滑らせて川に落ちたりしたら、荷物を守りきれる自信がない。
 さんざん悩んだ末に、結局彼女は、丸太の少し上の空中を飛んで行くことにした。幸い、川の周辺はさほど木々が密集していないから、なんとかなるだろう、と考えたのだ。
 再び、翼と角と尻尾のある姿になって、空中へと舞い上がる。あまり高く昇らないよう気をつけて、丸太に沿って、飛び始めた。川の幅はそんなに広くもなく、すぐに向こう岸にたどり着く。が、きっとホッとしたのがよくなかったのだ。地面へ降りようとして、こちらに大きく張り出していた枝の一つに、翼が引っかかった。
「きゃっ!」
 思わず声を上げる。その拍子に、体がバランスを崩し、手にした大事な荷物を取り落としてしまった。
「いやーん。だめー!」
 叫んで彼女は、無理矢理翼を動かした。枝にこすれて、その先端が傷つくが、かまわず枝をふり切り、落ちて行く荷物を追いかける。水に浸かったらアウトだ。
 途中で荷物を追い越し、水面ぎりぎりでスライディングの要領で、必死に荷物を受け止める。おかげでそれは、かろうじて水に浸かることを免れた。そのまま彼女は、慎重に高度を上げて、岸へと着地する。
「はあー。よかったー」
 盛大な溜息と共に、彼女はその場にへたり込んだ。ややあって、服の前面がすっかり濡れてしまっているのに気づく。さっきの水面ぎりぎりのスライディングのせいだろう。
「どうしよー、これ」
 しばし、途方にくれる。春とはいえ、山の中は風があって、濡れた衣服で動き回るには、少々肌寒い。とはいえ、着替えなど用意しているはずもない。
 しかたなく彼女は、いったん服を脱いで、力一杯絞った。が、そんなに簡単にはいかない。なにしろ、上は長袖のTシャツとデニムのジャケット、下はGパンだ。
 それでもなんとか、そのまま着ているよりはマシな程度にまで、水気を絞ってしまうことができたので、ようやく彼女は元通りにそれらを身に着ける。
 が、そのころには彼女は、すっかり疲労困憊してしまっていた。おまけに、ずいぶん時間も食ってしまったようだ。ふと空を見上げると、かなり日は西に傾いてしまっている。
「急がなきゃ。大事な荷物、今日中にお届けしないとー」
 呟いて、彼女は立ち上がった。

 しかしながら、その後も、彼女の前には次々と思いがけない出来事が降りかかった。
 親子連れらしい猿に荷物を取られかけたり、子犬ほどもある巨大なカエルを石だと思って踏んずけ、飛びつかれてびっくりした拍子に、山の斜面をころげ落ちたり、休憩を取るため腰を下ろしたら、傍の木の洞にスズメ蜂の巣があったり――。
 それでも、荷物を死守し続けたのは、見上げた根性と言うべきだったかもしれない。
 そうやって、苦難の末に彼女が竜胆村を発見したのは、すでに空が茜色に染まる頃合だった。それでも幸い、まだ外には人の姿があったので、ファルスは道々、届け先の家を尋ねながら、道をたどる。
 そうして、ようやく村のはずれにポツンと立つ家を見つけた時、彼女はまさに、喝采を叫びたい気分だった。が、彼女はそんな自分を戒める。
(まだ喜ぶのは早いよねー。これを、ちゃんと相手に渡してしまわないとー)
 家の玄関前に立ち、彼女はすっかり埃まみれになってしまった衣服を軽くはたいて、とりあえず威儀を正す。そして、中へと声をかけた。
 ややあって、中から七十を少しすぎたぐらいの、優しそうな老人が姿を現した。
「こんばんわー。お届けものですー」
 言って、彼女は荷物を差し出す。
「わしにかい? それはそれは、ご苦労様」
 老人は笑顔でそれを受け取ると、バッグの中を覗き込んだ。そして、カードを見つけて取り出し、広げた。そこにはどうやら、祝いの言葉と共に、この荷物のことが書いてあったようだ。老人は顔を上げると言った。
「お嬢さん、なんだったら、上がってわしと一緒に、これを食べて行かんかね? 中身は娘が焼いてくれたケーキと、その旦那が作ったワイン、そして孫が編んでくれたストールらしいが、ケーキはわし一人では、食べきれそうもないんでね。……それにお嬢さん、ここまで来るの、大変だっただろう?」
「え? でも……いいんですかー?」
 ファルスは、驚いて問い返す。
「かまわんよ。さあ、お入り」
 言われて彼女は、しばし目をぱちくりさせた後、ぺこりと一つ、頭を下げた。
「じゃ、お言葉に甘えて、失礼しますー」
 勧められるままに、中へと入る。
 家の中は、広い土間のある玄関を上がってすぐのところが、居間らしい部屋になっていた。朝晩はまだ寒いからだろうか。そこにはコタツが据えられていたが、その下には四角い炉が切られていて、灰と共に、炭が入れられている。いわゆる「掘りゴタツ」というものだ。
「うわー。すごいですねー」
 初めて見るそれに、ファルスは目を丸くして声を上げる。
「そうかね? さあ、足を入れなさい。温かいよ」
 老人に笑顔で勧められて、彼女はその一画に座を占め、足をコタツに入れた。
「あったかーい」
 思わず声が漏れるのは、途中で水に濡れたりしたせいで、思った以上に冷えてしまっていたからだろう。
 その後彼女は、老人と一緒にケーキを切り分け、お茶を入れ、ワインも少しだけ味見させてもらった。
 ケーキは、バターと卵と生クリーム、それに苺をたっぷりつかったスポンジケーキだった。特別凝ったものではなかったが、とても美味しく感じられたのは、彼女の気のせいだったろうか。ワインも、口当たりがよく、美味しかった。ちなみに、老人の娘――つまり、ファルスに荷物を託した女性の夫は、小さなワイナリーを持っているのだという。
(そっかー。それで、旦那さんの作ったワイン、なのねー)
 グラスの底にわずかに残ったワインを舐めながら、彼女は納得して胸に呟いた。

 そんなこんなで、しばしの間、老人との時間を過ごしたファルスは、ようやく腰を上げた。
「ケーキとワインを、ご馳走さまでしたー」
 玄関で頭を下げる彼女に、老人は笑って言う。
「なに、礼を言うのはこちらの方だ。……運送会社の人や、郵便屋さんは、一緒にケーキを食べてはくれないからね。毎年、ケーキは美味いが、それを一人で食べるのは、なんとなく味気なかったんだよ。でも、今年は本当に楽しかった」
「はあ……」
 曖昧にうなずいて、ファルスは小さく首をかしげる。そして、思い切って言った。
「あのー。じゃあ、どうして娘さんたちと一緒にくらすとか、しないんですかー? せめて、東京にいたら、一緒にケーキも食べられるじゃないですかー」
「娘にも、よくそう言われるんだけどね」
 老人は、苦笑して返す。
「わしは、生まれた時からずうっとこの年まで、この村でしかくらしたことがないんだよ。だから、とてもじゃないけれど、東京なんて所へは出て行けない。……娘たちには、すまないとは思うし、寂しい時もあるけれどもね。それでも、わしにとっては、ここが一番なんだよ」
「ふうん。そんなものなんですかー」
 本来、この世界の生まれではなく、そこから異空間転移までしてやって来たファルスには、それは今一つ、理解できない感情だった。老人はしかしそれを、彼女の若さゆえと取ったようだ。
「お嬢さんも、年を取ればわかるかもしれないね」
 小さく苦笑して言うと、付け加えた。
「では、気をつけてお帰り。それと、娘たちにはわしがとても喜んでいたと伝えておくれ」
「はい。かならず、お伝えしますー」
 元気よくうなずくと、ファルスはもう一度礼を言って、そこを後にした。
 外に出ると、あたりはすっかり夜になってしまっている。しかし、それほど暗くはない。空には星々が、まるで宝石箱をひっくり返したかのように眩しく輝き、丸い月が優しい光を地上に投げかけていたからだ。
「わあー!」
 その空を仰ぎ見て、ファルスは小さく歓声を上げると、翼と角と尻尾を生やし、空へと舞い上がった。今度は、迷う心配はない。ひたすら、東京目指して、飛べばいいだけだ。
(途中は、なんだか大変だったけどー、でもちゃんと届けられたし、おじいさんも喜んでくれて、よかったー)
 胸に呟き、月光の下、踊るように小さく身を翻すと、彼女は一路、東京を目指して飛び始める。
 こうして、ようやく彼女の長かった一日が、終わろうとしていた。