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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


過去からのSOS

【プロローグ】
 ある日のことだ。
 草間は、難しい顔でソファに座り込んでいた。
 目の前のテーブルの上には、四角い封筒と広げた便箋が一枚、写真が一枚、そして桜の花が一輪置かれている。便箋と写真と花は、その封筒の中に入れられて、数日前、郵便で届いたものだ。
 写真には、高校生らしいブレザー姿の男女が四人、写っていた。真ん中にいるのは、今より幾分幼い印象があるが、草間自身だった。右隣には、はにかんだように笑う長い髪の少女が立ち、左隣には、草間よりいくらか長身の精悍な顔つきの少年が立っている。残る一人は、その少年の隣に立って、笑いに顔をゆがませながらVサインを突き出していた。卒業式の後なのか、四人とも片手に黒い筒状のものを持っている。
 一方、便箋にはたった一言「助けて」の文字。細いそれは、女のものとも見える。封筒の宛名の文字とも、同じだった。ただし、便箋にも封筒にも、差出人の名前も住所も書かれていない。
(やっぱり、これは榊からのSOSだと考えるべきなのか?)
 草間は、腕を組んでそれらを見やりながら、胸に呟く。
 これが送られて来た時、写真に写っている自分以外の誰かが差出人だろうと、彼は思った。だからまず、男二人――田沼悟志と栗本真に連絡を取ってみた。
 だが、二人はそんな手紙など出した覚えがないという。その一方で彼らは、草間に新たな情報を与えてくれた。写真の少女、榊真由美が、高校卒業後、行方不明だというのだ。
 高卒後、短大への進学が決まっていた彼女は、入学までの休みの間に、高校で仲の良かった女友達らと旅行に行く計画を立てていたそうだ。ところが、その出発の当日、彼女は待ち合わせの場所に現れなかった。家族は、たしかに荷物を手に出て行く彼女を見送ったというのに、だ。そうして、警察や周囲の人々の必死の捜索も空しく、彼女の消息は現在まで途絶えたままなのだそうだ。
 草間は、便箋を取り上げると、それを睨むように見据える。
(もし榊が、どこかから助けを求めているなら、それに応えてやるべきだよな)
 胸に呟き、うなずくと、草間は調査を開始すべく、立ち上がった。

【1】
 翌日。
 阿佐人悠輔は、応接用のテーブルの上に広げられた封筒と便箋、それに写真と桜の花を見下ろしていた。
「これが、問題の手紙なわけね」
 呟いてその横から、封筒を取り上げたのは、本業は翻訳家だが、普段は草間興信所の事務員をしているシュライン・エマだった。彼女は、しばし眉をしかめて、封筒をさまざまな角度から眺めていたが、とうとう諦めたようだ。
「だめだわね。消印からなら、投函された日付や場所が、わかるかと思ったんだけど」
「そんなに薄いんですか?」
 悠輔は尋ねて、封筒を覗き込んだ。
 事務所には他に、中学生の草摩色と、小料理屋の主・一色千鳥の二人もいた。
 シュラインが、こちらへ封筒を差し出して来たので、彼はそれを受け取り、目を眇めてしばし眺める。たしかに消印は薄く、かすれてしまって、うまく読み取れなかった。彼は、肩をすくめる。
「たしかに、薄くて読み取れませんね」
「これらについては、後で私と色くんで見てみることにします。私たちの能力なら、何かわかるかもしれませんから」
 それへ言ったのは、千鳥だ。二十代半ばぐらいとおぼしい彼は、全ての事象を見通す力を持っている。一方、色もまた、自らの血を飲み、普段はカラーコンタクトで隠している銀色の目をさらけ出すことで、過去を見る能力を発揮することができるのだった。
「そうね。……それが一番、この手紙の差出人について知る近道かもしれないわね」
 シュラインが腕を組んで考え込むようにしながら、うなずく。そして、さっきからずっと黙ってソファに腰を降ろしたままの、草間をふり返った。
「ところで、武彦さん。私思ったんだけど……この手紙の差出人が、榊真由美さんって人だったとしたら、その人、武彦さんのこと、好きだったんじゃないかしら。他の二人には何も届いてなくて、武彦さんだけに届いたってことは、その人にとって武彦さんは何か特別な相手だったんじゃないかって気がするのだけど」
 彼女の言葉に、千鳥も横から口を挟む。
「私も一つ気になることが……。この写真に写っている友人二人が、榊さんの失踪を知っていたのに、どうして草間さんはそれを知らなかったんでしょう?」
「その時、俺は日本にいなかったからな」
 草間は、小さく肩をすくめると言って、悠輔たち四人に座るよう促した。そこへタイミングよく零が人数分のコーヒーを運んで来る。
 草間は、彼女がそれを配り終わるのを待って、改めて口を開いた。
「俺と田沼、栗本、榊の四人は、高校時代、ずっと一緒につるんでたんだ」
 彼によれば、もともと彼と田沼は中学からの友人で、榊真由美と栗本がいとこ同士という関係だったのだそうだ。それが、高校に入って田沼と栗本が仲良くなり、そこから草間も栗本や真由美との友人関係が生まれたのだという。
 真由美は、シュラインが言ったとおり、草間が好きだったらしい。映画に誘われたり、誕生日のプレゼントを渡されたりしたことがあるという。
「へぇ。わりと積極的だったんだな、その子。けど、草間さんはつきあおうとか、思わなかったんだ?」
 砕けた口調で尋ねたのは、色だった。
「そうだなあ……。ちょっと大人しすぎて、俺のタイプじゃなかったからな」
 当時を思い返すように言う草間に、悠輔は思わずシュラインを見やった。それほど親しいわけではないが、彼女が「大人しい」と言われるようなタイプではないことは、なんとなくわかる。
(たしかに、あの写真の女性は、シュラインさんとはずいぶんタイプが違うように見えたよな)
 胸に呟き、彼は納得してうなずいた。見れば、色と千鳥も同じようにシュラインを見やった後、うなずいている。それに気づいてか、彼女は軽く眉根を寄せていた。悠輔は、慌てて視線をそらす。こんなことで彼女を怒らせるつもりはない。
 だが、彼女の様子に気づいていないらしい草間は、話を続けた。
「それに、田沼から一年の時に、彼女が好きだって聞かされてたからな。俺としては、どっちかというと、親友の恋がうまく行けばいいって気持ちだったのもあって、逆に誘われても避けてた部分があったな」
「え? じゃあ、映画とか誘われても断ったり、プレゼントも受け取らなかったりしたんだ」
 驚いたように目を丸くして、またもや色が言った。十五歳で青春真っ盛りの彼にとっては、それは信じがたい話だったのだろう。
「ああ。あんまり、期待を持たせるようなことは、してなかった。けど、バレイタインのチョコや、クリスマスのプレゼントは受け取ってたぜ。こっちは、田沼や栗本にも渡してたから……友人としてくれるんならいいや、と思ってな」
 うなずいて言う草間に、千鳥が笑う。
「草間さんて、妙なところで律儀なんですね」
「そうかな」
「そうですよ。……じゃあ、結局彼女とは、卒業まで友達づきあいしかしてなかったわけですね?」
 首をかしげる草間に言って、千鳥は念を押すように尋ねた。
「そういうことだ。……そして、俺は卒業式のすぐ後に、アメリカに渡った。叔父がそっちにいて、住む所を提供してくれるって言うから、大学はあっちのを受験してたからな。だから俺は、榊の失踪についても知らなかったんだ。日本へ戻って来てからも、結局今まで、あいつらとは連絡も取らなかったしな」
 草間はうなずき、そう言って話を締めくくった。
「なるほどね。……ところで、この手紙の筆跡は、本当に榊さんのものなの?」
 相槌を打った後、テーブルの上の手紙を示して尋ねたのは、シュラインだ。
「似てるような気はするが……はっきりそうとは、俺にも言いきれん」
「文集とかがあれば、榊さんの筆跡と照らし合わせることができるかもしれないわね。持ってないの?」
 首をひねる草間に、シュラインが再度尋ねた。
「十一年も前のものだぞ。置いてあるわけないだろ」
 即座に返って来た答えに、彼女は溜息をつく。
 それへ悠輔は、さっきから気になっていたことを訊いた。
「あの……その桜はなんなんでしょう?」
 一瞬、草間も他の者たちも、驚いたように目をしばたたく。が、ややあってシュラインが口を開いた。
「私もあれ、気になっていたのよ。武彦さん、何か四人でか、それとも榊さんと二人でか共有した思い出に関わる桜とか、ないの?」
「桜については、ずっと俺も考えていたんだが、何も思い当たるものがないんだ」
 問われて草間は、困ったように返す。
 それを聞いて、シュラインが再び溜息をついた。
「つまり、今のところはほとんど手掛かりはなしってことね」
「ああ」
 うなずいて草間は、ようやく目の前のカップを取り上げた。
 それを見やって、シュラインが色と千鳥をふり返る。
「こうなったら、あんたたちの能力に望みを託すしかないわね」
「責任重大ですが、やってみますよ」
 うなずいて言ったのは、千鳥だった。彼と色は、それぞれ封筒と便箋、写真、そして桜の花を調べることになった。
 色はカラーコンタクトをはずすと、自分で自分の小指を少し噛み切って、流れ出た血を飲むと、封筒と便箋を手に取った。
 一方、千鳥は写真と花を手に取る。
 それぞれ、しばらくその能力でそこに隠されたものを探っている様子だったが、やがて二人は、今度は互いの持っているものを交換し、同じようにする。
 やがて、四つとも見終わると、二人はどちらからともなく、深い溜息を漏らした。
「この手紙の差出人って、えらくヘビーな状況に追い込まれてるぜ」
 幾分疲れたように、それでも口を開いたのは、色の方だった。
「どっかの、地下室みたいな所に閉じ込められてて、しかも、もう何日も水も食糧も口にしてないみたいだ」
「私も、同じものを見ました」
 千鳥が隣でうなずく。
「それと、この桜は誰かにもらったもののようですね。……封筒と便箋、花、写真、どれにも同じ人の記憶だとおぼしいものが、染み付いています。差出人は、榊真由美さんと考えて、ほぼ間違いないと思います」
「ああ。俺もそう思う」
 千鳥の言葉に、色も大きくうなずいた。
 それを聞いて、悠輔たちは思わず顔を見合わせる。
「その状況が本当なら、この『助けて』ってのは、文字どおり救いを求めているっていうことじゃないのか?」
 悠輔は、呟くように言った。
「そういうことね」
 うなずいて、再び色と千鳥を見やったのは、シュラインだ。
「その、榊さんが閉じ込められている場所がどこかは、特定できないの?」
「それ、やってみたんだけど、なんかちょっと変なんだよな。……なんていうか、元からここにあった、みたいな?」
 色が、顔をしかめて首をかしげる。
「ええ、そうなんです。郵便物とか宅配の荷物って、記憶を探るとだいたいは断片的に運ばれた経路もわかるものなんですけど……これからは、まったくそれが感じられないんです。まるで、誰もここにこれを配達した人が、いなかったかのように」
 千鳥もうなずいて言った。
「つまり……この手紙からは、それを配達したり配送したりしたはずの、郵便局関係の人の気配が、まったく感じられないってこと?」
 シュラインが、眉をひそめて確認するように、問い返す。
「ええ、そういうことです」
 千鳥がうなずくのへ、色も黙って同意した。
(つまり、この手紙は普通の郵便物として配達されたものじゃ、ないってことか?)
 悠輔は、わずかに眉をしかめて胸に呟く。隣でシュラインが、再度封筒を取り上げて、宛名や切手、消印を確認しているのが見えた。彼の位置からでも、封筒の表に住所と宛名がしっかり書かれ、切手もちゃんと貼られているのはわかる。なにより、切手には最初にも見たとおり、消印が押されているのだ。それがある以上、郵便経路を通過していないというのは、変だった。
 とはいえ、悠輔には二人の見立てが間違っていると言えるほどの根拠もない。
「とにかくこれだけじゃ、何をするにも手掛かりが少なすぎるってことだな」
 全員を代表するように、草間が言った。
「そうね。榊さんが、色くんと千鳥さんの見たとおり、どこかに閉じ込められて飢餓状態で苦しんでいるのなら、早く見つけて、助け出してあげなきゃだし……まずは、手掛かりを集めることね」
 うなずいたのは、シュラインだ。そして彼らは、ともかく手分けして、榊真由美の家族や女友達、草間の友人でもある田沼と栗本にも話を聞いてみようということになったのだった。

【2】
 悠輔は、色と二人で、榊真由美の自宅を訪ね、家族に話を聞いた後、家や部屋を見せてもらうことになった。事前に電話すると、幾分警戒しつつも、彼女の家族は悠輔たちの要望を受け入れてくれた。
 家族といっても、真由美は一人娘だったので、残っているのは両親だけだった。が、結局彼らは、十一年経っても娘の行方を求めることを、あきらめてはいなかったのかもしれない。
 真由美の自宅は、都心を離れた閑静な住宅街の中にあった。そこそこ古い建物のようだったが、手入れが行き届き、住み心地は良さそうだった。
 悠輔と色はまず、ゆったりとした居間に通され、そこで榊夫妻から真由美の失踪当時のことを聞いた。
 真由美と共に旅行に行くはずだったのは、森本優子、坂崎まどか、酒井恵美、松本京子の四人だったという。四人とも、同じ高校の同級生で、ずっと仲良くしていた女たちだったらしい。
 行き先は、長野県の有名なスキー場で、近くに温泉もあり、真由美は楽しみにしていたという。当日は、列車の時間の三十分前に改札口の前に集まる約束だったそうだ。ところが、真由美は現れなかった。
 ちなみに、彼女が自宅を出たのは、集合時間の一時間も前だったらしい。自宅から駅までは、タクシーを使えば二十分程度の距離だった。ただ、彼女は普段から渋滞などに遭遇することを考え、常に所要時間に二十分から三十分はプラスして動く習慣があったのだそうだ。つまり、この日の行動も普段のそれから考えると、どこもおかしなことはなく、それで家族もまったく奇妙に思うことなく、彼女を送り出したのだという。
 だが、彼女の足取りはその後、ぷっつりと途絶えた。
 共に行くはずだった友人たちからの電話で初めて、両親は娘が駅に姿を見せていないことを知る。が、最初はそれほど心配していなかったようだ。自宅から駅までは、タクシーの他にバスも走っているが、どちらを利用するにせよ、渋滞などで駅への到着が遅れることは当然あったからだ。
 だが、何度か携帯電話へ連絡してもつながらず、更に森本優子らからも「真由美は来ていない」と知らせをもらうに至って、ようやくただ事ではないと彼らも思い始めた。
 やがて捜索願いを出すことになるのだが、警察の調査では、彼女はたしかに自宅を出た後、タクシーで駅へ向かったというのだ。つまり、彼女が姿を消したとしたら、駅でということになる。
(一旦は駅に行って、そこから電車を利用して、どこか別の場所へ行ったか、それとも……駅で誰かにどこかへ連れ去られたか……。けど、いくら駅が人の多い場所とはいえ、警察が捜査して、手掛かり一つ得られないというのは、どうなんだろうな)
 話を聞きながら、悠輔は頭の中で考えを巡らせた。彼女が自分の意志で行方をくらませたのならば、足取りを完全に消して動くことも可能だろう。ただ、彼女にはそんなことをする動機がない。
 榊夫妻の話では、彼女は卒業後の進路も決まっており、二人の知る限りでは特別悩み事もなかったようだという。友人たちとの旅行も、卒業前から計画して楽しみにしていたもので、それを当日になっていきなりふいにするような理由は、彼らには思い当たらないという。また、後に警察の事情聴取に答えた森本優子ら四人の女たちも、同意見だったそうだ。
(……やっぱり、自分の意志での失踪ではないのかな。どっちにしろ、この人たちにこれ以上話を聞いても、得るものはなさそうだな。もし、榊さんが悩みとか抱えていたとしても、それはたぶん、友人たちの方が詳しいだろうし……)
 そんなことを思いながら、悠輔は隣に座す色を見やった。質問はほとんど彼に任せて、悠輔自身はひたすら聞き役に徹していたのだが、色も似たような判断を下したのか、そろそろ話を切り上げにかかっている。
 やがて二人は、ざっと家の中を見せてもらったあと、真由美の部屋を調べさせてもらうことになった。
 家はおそらく、家族三人でくらすなら、ちょうどいい広さだろう。一階に先程彼らが通された居間と台所、バス、トイレ、風呂といったものが配置され、二階は夫妻の寝室と客用だという四畳半ほどの和室、それに六畳ほどの一室があって、そこが真由美の部屋だった。
 真由美の部屋は、十一年前のままにしてあるという。
 悠輔と色は、頼んで二人だけにしてもらうと、なんとなくあたりを見回した。きれいに整頓された部屋は、華やかさはないものの、おちついた雰囲気だった。
「で、どうするんだ?」
 悠輔は、ざっとあたりを見やった後、色に尋ねた。実は、真由美の家や部屋を見たいと言い出したのは、もともと色なのだ。
「この部屋の、過去を見てみるから、ご両親が覗きに来たりしないように、見張っててほしい」
「わかった」
 色が答えるのへうなずいて、悠輔は部屋の戸口に陣取る。
 それを見やってから、色はコンタクトをはずすと、草間の事務所でと同じく、指を噛み切って自分の血を飲んだ。レンズをはずした彼の目は銀色で、それが血を飲むことで更に輝きを増した。そのせいで、瞳と光彩の区別のなくなったそれは、どこか非人間的でさえある。
 色はその目で部屋の中央に立って、中空へと視線をやった。
 それを見守りながら悠輔は、ふと自分がアニメか特撮番組の世界に紛れ込んでしまったような、奇妙な感じを覚える。とはいえ、色の力を非現実的なものと否定するつもりはなかった。考えてみれば、悠輔自身が三年前、色と変わらない年齢で、他人からすればひどく非現実的な、しかし当人にとっては地獄のような状況を経験することになったのだ。それに、その時彼の中に目覚めた能力もまた、普通に考えれば奇妙なものだろう。
 彼がそんなことを考えているうちに、色は室内の調査を終えたようだ。傍に歩み寄って来ると言った。
「榊さん、旅行の前日に、草間さんの名前で呼び出されてるぜ」
「草間さんの名前で?」
 悠輔は、思わず問い返す。たしか草間は、真由美が消えた時には日本にいなかったと言っていたはずだ。
「ああ。……たぶん、騙りだと思うけどな。呼び出しは手紙だったし、しかもワープロ打ちだぜ」
 色もうなずいて言うと、手紙の文面を口にする。悠輔は、慌ててそれをメモした。そして、軽く眉をひそめる。手紙は、旅行の当日の朝に会いたいというもので、場所と時間が指定されていた。時間は、真由美たちの集合時間の二十分ほど前のものだ。そして場所は……。
「なあ、この住所、何か見覚えないか?」
「え? あんたもそう思う? 俺もそうなんだよ。見た途端、妙に聞いたことあるなあって……」
 悠輔の問いに、色も軽く目をしばたたいて答える。そして、二人はしばし考え込んだ。やがて。
「草間興信所の住所だ!」
「草間さんの事務所の住所!」
 ほぼ同時にそう叫んで、二人は思わず顔を見合わせる。そう、それは見覚えがあるのも道理、草間興信所の住所と同じだったのだ。
「けど、どういうことだ? 草間興信所が待ち合わせ場所なんて……」
「いや。これは十一年前の話なんだから、興信所ってわけじゃなくて、正確にはあのビルの前を待ち合わせ場所に指定したってことだろう」
 首をかしげる色に言って、悠輔は改めて自分が書いたメモを見やる。手紙の主は、待ち合わせ場所の住所を書いたあとに、「幽霊アパート」と注釈を加えていた。
(なんで、こんな注釈を加えているんだろうな。……あのビルは、どう考えてもアパートじゃないし、幽霊の噂もない)
 悠輔は少し考え、顔を上げた。
「ここは、もういいか? もしいいなら、俺、どっかでネットカフェに入って、調べてみたいことがあるんだけどな」
「え? ああ、いいぜ」
 うなずいて色は問い返す。
「でも、調べるって何を?」
「草間興信所が入っているビルのことさ。十一年前、あそこがどんなふうだったのか。ちょっと気になるんだ」
「ふうん。……俺の能力で見ることも、できなくはないけど、ちょっと疲れたし。そうだな。ネットで調べられるなら、そっちの方が早いか」
 悠輔の言葉に色もうなずいた。
 彼がもとどおりコンタクトをはめるのを待って、悠輔は共にその部屋を後にする。榊夫妻に礼を言って、真由美の自宅を出ると、彼らはそのまま、近くのネットカフェへと足を向けた。

【3】
 そして、しばらく後。
 悠輔と色は、草間興信所が入っているビルの玄関前にいた。
 真由美の女友達に話を聞いて回っていた、草間とシュライン、千鳥の三人が、こちらへやって来るのが見える。先程、色が携帯電話で彼らをここへ呼んだのだ。
「何がわかったんだ?」
 二人を見つけて、真っ先に歩み寄って来た草間が尋ねる。それへ色が、自分たちが榊家で得た情報――旅行当日のことと、真由美が草間の名前で呼び出され、その相手と旅行当日に集合時間の二十分前、このビルの前で会う約束だったことを話した。
「このビルの前で、俺が榊と待ち合わせ? あり得ないぞ。彼女が消えた日、俺はもう日本にいなかったんだ」
 聞くなり草間は、目を見張って言った。
「それ聞いてたから、俺もおかしいって思ったんだ。おまけに、手紙はワープロ打ちだぜ。誰かが、草間さんの名を騙って、彼女を呼び出したのさ」
 色もうなずいて返す。
「ちなみに、十一年前、このビルは廃屋だったそうです」
 それを補足するために、悠輔が口を開いた。
「榊さんの家を出た後、ネットで調べてみましたが、当時ここには老朽化して解体寸前の、誰も住まない三階建てのアパートが建っていたようです。幽霊が出るとの噂もあって、心霊スポットとして、近隣では有名だったようですね。地下にも部屋があって、アパートが人で賑わっていたころは、画家がアトリエがわりに使っていたこともあったそうです。アパートが取り壊されて、今のビルが建てられたのは、榊さんの失踪から、約一年後のことです」
「地下室……だと?」
 彼の言葉に、草間が弾かれたように顔を上げる。
「誰かを監禁するには、うってつけの場所ね」
 呟いたのは、シュラインだ。彼女は悠輔に尋ねる。
「その地下室は、今はどうなっているの?」
「俺がネットで調べた限りでは、今も残っているようです。たぶん、ビルの管理会社もその存在を忘れているかもしれませんけど」
「行ってみよう」
 悠輔の答えに、草間が即座に言った。
 彼らもうなずき、ビルの中へと向かう。
 悠輔は、ネットでかつてのアパートの見取り図を調べて印刷してあった。おかげで、地下への降り口は、意外と簡単に見つかった。しかも、本当に管理会社にも忘れられているのか、そこも地下室も、扉はさび付いてはいたが、施錠されてはいなかった。
 そのことに今は感謝しつつ、彼らは階段を駆け下り、地下室の扉を半ば壊すようにして開けて、そこへと駆け込んだ。
 だが、そこはがらんとして何もない、かび臭いだけの一室だった。奥には、トイレと洗面所の設備がある。
 彼らは草間の持っていたライターの明かりを頼りに、あたりをくまなく調べたが、人の姿どころか、そこに誰かがいたという痕跡すら、見つけることができなかった。
(榊さんは、ここに閉じ込められているんじゃないのか?)
 悠輔は胸に呟き、それからふと奇妙なことに気づく。榊真由美が失踪したのは、十一年前で、この建物はその一年後に今のこのビルに建て変えられているのだ。もしも彼女がここに監禁されていたのだとしたら、そのおりにでも発見されているはずではないのか。いくら当時のまま残されたとはいえ、地上の建物を破壊したり、新たなビルを建てる際には、当然ここにも人が入っているはずだ。いくらなんでも、ずっと発見されないのはおかしい。
(つまり、榊さんがいるのは、ここじゃないってことか?)
 悠輔が眉をしかめた時だ。
「危ない!」
 ふいにシュラインの声が響いた。驚いてふり返った彼の目に、草間を突き飛ばすシュラインと、その彼女めがけて棒のようなものをふり降ろす男の姿が飛び込んで来た。
「シュライン!」
「シュラインさん!」
 草間の叫びと、悠輔、そして色と千鳥の声が交錯する。あたりが暗いのでよくわからないが、男は棒を手にしたまま、左右を見回しているようだ。
(狙いは、草間さんか?)
 とっさの判断で悠輔は、額に巻いていたバンダナをはずすと、それを硬い棒状に変化させて、男に突進する。ほぼ同時に、色と千鳥、そして草間がそちらへ殺到するのがわかった。あたりにはしばし、彼らの入り乱れる足音と、罵声だけが響いていた。

【4】
 男はほどなく取り押さえられた。
 こちらは大の男が四人もいて、相手は一人なのだ。どだい抵抗したり逃げようとする方が無理な話である。念のため、悠輔は男の腕をバンダナで後ろ手に縛り上げ、それを鉄のように硬くした。いわば男は、手錠をかけられているのと同様である。
 シュラインを助け起こして戻って来た草間が、悠輔たちが作る輪の中に引き据えられた男に、歩み寄った。顔をたしかめるかのように、ライターの明かりをそちらへ近づける。が、その顔を見た途端に、声を上げた。
「田沼!」
 明かりに照らし出されたのは、彼の友人の一人、田沼悟志だったのだ。幾分老け込んではいたが、たしかに男の顔には、あの写真の中で草間の左隣にいた少年の面影がある。
「なんでおまえが……」
 草間は呆然として呟いた。これには、悠輔たちも驚く。誰もが目を見張ったまま、声もなかった。
 そんな中、悠輔はふと思い当たることがあって、口を開いた。
「草間さんは、この人が榊真由美さんを好きだったと言いましたよね?」
「あ、ああ……」
 まだ半信半疑の体で草間がうなずく。それへ悠輔は続けた。
「もしかしたら、草間さんを騙って榊さんを呼び出した手紙の主は、この人なんじゃないんですか?」
 それに反応したのは、当の田沼だった。
「おまえたち、なんであの手紙のことを……!」
 言いかけて、ハッと口をつぐむ。だが、もう遅かった。全員の視線がそちらへ集中し、彼はがくりと肩を落とした。
「……そうだ。あの手紙は、俺が出したんだよ」
 ややあって田沼はぼそりと言うと、十一年前のことを語り出した。
 草間が卒業後アメリカへ行くことを唯一知っていた田沼は、それをいいことに、真由美に草間の名前を騙って手紙を出した。とはいえ、最初はただ、自分の想いを告げると共に、草間が日本にいないことを教えて、交際を申し込むつもりだったのだ。
 ところが、約束の時間にここへ現われた彼女は、田沼の姿を見てあからさまに落胆し、嘘をついて自分を呼び出したことをなじった。それは、日ごろ大人しい彼女にしては、めずらしく強い口調で、田沼はそのことにカッとなって、思わず殴りつけてしまったのだという。
 殴られて、たわいなく気絶した彼女を見ているうちに、田沼は彼女をここへ閉じ込めることを思いついた。廃屋の上に、幽霊の噂のあるここなら、めったに人は近づいて来ない。また、もしも彼女が意識を取り戻して騒いだとしても、全て幽霊の仕業になってしまうだろう。
 彼は、扉に自分で鍵を取り付け、食糧や毛布などを運び込み、そこで一日のうちの何時間かを、彼女と過ごすようになった。
 さっきも見たように、ここにはトレイと洗面所がある。水は錆びだらけで、飲料には使えないが、トイレには充分だった。顔や体を拭くのには、外から水を持ち込めばいい。
 また、旅行へ行くはずだった真由美は、何日分かの着替えを持っていた。なので、衣類を買ったりする必要もなかった。汚れたものは、何日かに一度、田沼がコインランドリーで洗濯して来ていた。
 彼女の携帯電話は、万が一、場所を特定されては困ると、バラバラに解体して他のゴミに混ぜ、別々の場所から収集されるようにまで気を配った。
 そうして、田沼にとっては幸せな日々が、一月ほど続いた。しかし。
「――彼女をここへ監禁して一ヶ月後、俺は交通事故に遭った。一時は意識不明の重体で、生死の境をさまよったらしい。それで、俺が退院して次にここへ来られたのは、半年後のことだった」
「じゃあ、まさか、彼女は……」
 草間が、小さく息を飲んで問うた。
「……死んでたよ。水も食糧も尽きて。水道も、俺が来た時にはもう、止められてた。それで……彼女は、ひからびたミイラみたいになって、死んでた」
 呟くように言う田沼の口から、すすり泣きが漏れる。
 彼は、真由美の死体をここで燃やし、灰は集めて川に捨てたのだという。彼女の荷物もその時一緒に燃やし、やはり灰は川へ捨てたそうだ。
 その後ここは、悠輔が調べたとおり、一度解体されて、今あるビルに建て直された。そしてそのまま、真由美の行方不明も闇に葬られたのである。
「おまえから電話があって、榊かららしい手紙が来たと教えられた時、俺は心底びっくりしたよ。まさかと思うが、俺のしたことを、知っていた奴がいるのかもしれないとも思った」
 田沼は、そう言って、ようやく草間の方を見やった。
「だから、あれからずっとおまえを見張っていたんだ。そうしたら、いったい誰がおまえに手紙を寄越したのか、わかると思った。だのにおまえは……おまえたちは、ここを見つけてしまったんだ。だから……」
「だから、俺を襲った、か」
 草間は、苦い顔で彼が途切れさせた言葉の後を続ける。そして、肩をすくめた。
「よっぽど切羽詰っていたんだな。五人もの人間を、一人で襲うなんてのはな。それとも、やさ男ばかりと女の集まりだから、どうにかできると思ったのか?」
「……すまん」
 言われて田沼は、ただうめくように、頭を下げた。
 それを見やって吐息をつき、呟いたのはシュラインだ。
「結局、榊さんは亡くなっていたってわけね……。でもそうなると、あの手紙はいったい誰が出したものだったのかしら」
「ぐるっと回って、振り出しに戻ってしまった感じですね」
 千鳥が、同じように吐息をついて呟く。
 その時だ。
「榊……!」
 草間が、低い声と共に目を見張った。その視線を追って、悠輔も瞠目する。
 地下室の一画が、まるでスポットライトが当たっているかのように明るくなり、そこにあの写真の少女が立っていたのだ。身に着けているのは、制服ではなく細かい花柄のワンピースで、長い髪は白いヘアバンドで押さえられていた。手には、手紙に入っていたのと同じ、桜の花を持っている。
『草間くん、私を見つけてくれて、ありがとう。……あなたにならきっと、私の声が届くと、信じていたわ。だから、あなたがこの建物に住むようになって、私、ずっとあなたを呼び続けていたの。それが、やっと届いたのよ。……うれしい』
 彼女は、どこかはかなげに微笑むと、言った。
「榊……。じゃあ、おまえはずっと、ここにいたのか?」
 思わず尋ねる草間に、彼女はこくりとうなずいた。
『そうよ。体は外に出ても、私の魂はずっとここにいたわ。だって、田沼くんが心の中で、ずっと私をここに縛りつけていたから』
「じゃあ、この手紙は……」
 草間は、ポケットからあの封筒を取り出した。そこには、便箋と写真、それに桜の花ももとどおりに収められている。花は幾分しおれかけていたものの、まだ枯れてはいない。
 それを見やって、彼女はうなずいた。
『そう。それは私の声。……私が、過去からあなたに向かって出した手紙よ』
 言って、彼女は話した。
 旅先から、できれば彼宛に、自分の心を伝える手紙を書こうと思って、荷物の中にレターセットを入れてあったこと。草間の名前の手紙で呼び出されてここへ来て、田沼に騙されたことよりも、草間がすでに日本にいないことの方がショックだったことを。
『私、それがわざとだと思ったの。私を避けるために、草間くんがそこまでしたんだって。……馬鹿よね』
 自嘲するように笑って、真由美は肩をすくめる。
 田沼が来なくなった後、彼女はわずかな食糧と水で何日かを凌いだが、とうとうそれもなくなってしまうと、錆のせいで赤茶色に濁った水を少しづつ舐めるようにして、更に何日かを過ごした。だが、給水は半月ほどで止まり、その後彼女は次第に衰弱して結局死に至ったのだという。手紙は、まだわずかな水があったころに書いたものだった。
『……四人で写した写真は、私の宝物だったから、卒業した後、いつも持ち歩いていたの。この時にはもう、署名する力もなかったから、かわりに写真を封筒に入れたわ。それから、桜の花と』
 言って真由美は、初めて田沼を見やった。彼もまた、呆然として彼女の方を見詰めている。真由美は、それへ小さく微笑みかけた。
『あの桜、田沼くんがくれたものよ。……ここから出してって泣く私を慰めるために、持って来てくれた花。あんな濁った水だったのに、そこに生けられて花はずっと枯れなかったのよ。田沼くんが来なくなった後も、ずっと咲き続けて、私を慰めてくれたの。だからかしら。手紙と一緒に、外へ出してやりたかった。それで、写真と便箋と一緒に、封筒に入れたわ』
 言葉を切って、彼女は再び草間をふり返る。
『そして、一生懸命願ったの。……これが、草間くんに届きますようにって。私、馬鹿だから、他の誰でもない、草間くんに助けてほしかったの。だから、本当にそれが届いてよかった。そして、私を見つけてくれて、ありがとう。これで私、やっと自由になれる――』
 ふいに彼女の声が遠くなり、その姿がゆっくりと透けて行き始めた。同時に、彼女の手の中の桜が、ゆるやかに散り始める。やがて彼女は、その花びらに包まれるようにして、静かに消えて行った。

【エピローグ】
 数日後の夕方。
 悠輔は校門の近くでふと足を止め、満開の桜を見上げた。携帯電話からネットを通して見た天気予報では、夜には雨が降るというから、この桜も明日の朝は散ってしまっているのかもしれない。
 そんなことを思う彼の脳裏に、あの日の榊真由美の霊の姿が浮ぶ。
 あの後、田沼は警察へ自首し、しばし世間を騒がせた。
 草間の話では、その後に真由美の両親が事務所を訪れ、感謝の言葉と共に、もしできるなら詳しい事情を文書にしてほしいと頼まれたそうだ。昼にシュラインから携帯に電話があって、そのレポート作成の件で、放課後、事務所に寄ってほしいとも言われている。なので、これから校門を出たら、彼は草間興信所へ行くつもりだった。
(そういえば、草間さんは、なんで田沼さんにだけ、自分がアメリカへ行くことを教えたんだろう?)
 ふとあの時の真由美の霊の言葉を思い出し、悠輔は胸に呟く。
(榊さんに教えると、悲しまれると思ったのか? それとも、彼女の前から逃げると思われるのが、いやだったのかな)
 そんなふうに考えてもみるが、正確なところはわからなかった。ただ思うのは、人間関係は――殊に、異性との関係は難しいということだ。
(それほど好きじゃない相手から好かれるのが重いっていうのは、なんとなくわかるけど……相手を好きすぎて監禁するっていうのは、よくわからないな。それって何か、違う気がする)
 友人や両親など、大切な人間を何人も失った過去を持つ彼には、たとえ他の誰かを想っていたとしても、自分の愛する人には幸福でいてほしいとしか思えないのだ。心身共に健康で、自由で、いつも笑っていてほしい。そう思う。
(それとも……俺にはまだ、誰にも渡したくないほど想う相手がいないから、そんなふうに考えるだけなんだろうか)
 ふとそんなふうにも思いながら、彼はゆっくりと桜から目を離し、校門をくぐる。
 たとえそうだったとしても、自分の愛する人に、あんな顔はさせたくない――そう思う彼の脳裏には、いまだ、榊真由美のゆっくりと透けて消えて行く姿が離れないままだった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【5973 /阿佐人悠輔(あざと・ゆうすけ) /男性 /17歳 /高校生】
【2675 /草摩色(そうま・しき) /男性 /15歳 /中学生】
【4471 /一色千鳥(いっしき・ちどり) /男性 /26歳 /小料理屋主人】
【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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●阿佐人悠輔さま
はじめまして。参加いただき、ありがとうございます。
ライターの織人文です。
さて、こんな感じにまとめてみましたが、いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。

それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いします。