コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


霊鬼兵の恋/前編


■オープニング

 零ちゃんの様子が変だ。
 草間興信所で、そんな話が持ち上がる。
 …まぁ、変だ――とは言っても、深刻に何処かがおかしいと言う訳ではなく、お医者さまでも草津の湯でも…の方面で。

 いつも通りのお掃除お洗濯、それら家事をしている時であっても。
 何処と無くそわそわしている。
 何をしていても普段より三割増しで(?)楽しそうである。
 気のせいか、考え事をしている事が多い。
 何か、悪意の無い隠し事をしている節もある。
 ひとりで買い物に行く時、やけに嬉しそうである。
 そうでない外出の時も、何かに期待しているようなそんなうきうきした様子を見せる。
 ぱあっと花が咲いたような笑顔まで見せる事がある。
 作った笑顔ではなく、心からの笑顔のような。

 …素性を辿れば大日本帝国最終兵器・初期型霊鬼兵であるあの零ちゃんがである。
 それは草間武彦の妹になって長い。興信所に集う皆さんの影響もあり、ある程度普通の女の子っぽくなって来た。
 来たが。
 …今回の変わりようは、それにしてもちょっと劇的である。
 勿論、それは良い事だろうとは思う。

 思うが。
 …だからと言ってあんまり自然に恋する女の子な行動を取られると、お兄ちゃんとしては心密かに嬉しい反面、また別の意味で心配にもなる訳で。…零の惚れた相手はどんな奴なんだ、と。
 そう、ハードボイルド指向な草間武彦、敢えて何も言わないようだが――その内心、気が気では無い模様。
 何だかんだ言いつつ、結構確りお兄ちゃんしているようです。

 …えー、草間さんちに集う皆さんも、零ちゃんの春ともなれば…放っておけませんよね?



■草間興信所のある春の日〜ぱっと花咲く応接間

 と。
 本当に零が誰かに恋をしたのなら、本来ならば――喜ぶべき事柄の筈なのだが。
 …その時の草間興信所応接間は、どうも様子が変だった。
 まずは――毎度の如くいつもの定位置デスクに着いて、零の淹れてくれた紅茶を前に黙りこくったまま煙草を吹かしている草間武彦。ぱっと見ではハードボイルドそのままに、厳しい表情で真面目に何か思索に耽っているようにも見えるが――その実デスク上や服に煙草の灰が落ちるのに気付いてなかったり、煙草のフィルタ部分まで燃え尽きそうになっているのに気付かなかったり…と何だか危ういボケをやっている。
 次に、来客用ソファの方には――荒々しく逆立てられた派手な短髪、血も凍るような極悪顔に右目には眼帯、顔にタトゥ(もしくはそれ風の化粧)まで見える大柄な男性が座っている。そしてテーブルを挟んだその向かいのソファには――国と時代が間違っているような西洋中世の貴婦人的風体の、繊細そうで顔色の悪い――更にはその口許にちらりと牙らしきものまで見える何やら人間では無さそうな妙齢の女性。…それだけで草間興信所の営業妨害確定なくらい真っ当な客は引く事が容易く想像出来る。もし誰か一見さんな依頼人が来ても、中に座るこの二人を見た途端、他の要素はさて置き即、踵を返してサヨウナラだろう。とは言えまぁこの草間興信所、そもそも真っ当な客は殆ど来ないのであまり気にする事でも無いのだが。
 …話が少々脱線した。まぁ営業妨害以前に、彼ら二人も客は客である。その証拠に、武彦の前に置かれているのと同じ、零の淹れた紅茶が置かれている。
 ただ客と言っても、依頼人と言う意味の客ではないのだが。
 彼ら二人はいったい何者なのかと言えば、男性の方が名うての悪役俳優CASLL・TO、女性の方が一応の分類吸血鬼になるらしいエル・レイ。…どちらも客どころか興信所の身内のような常連になる。
 だからこそ、今のこの現状がある。
 エルの方はごくごく自然な所作で有難く紅茶を頂いているだけなので、良く見るならばそれ程引っ掛かる事もないのだが――CASLLの方は元々造りが極悪顔である上にやけに凶悪な面相になったまま、紅茶に手も付けず黙り込んでいる。
 はっきり言う。
 今の草間興信所内、妙に空気が重い。…特に武彦とCASLLの二人の周りが。
 だが。
 そんな空気も気付いていないのかはたまた気にする気が初めから無いのか、ひとりにこにこと場違いなまでに明るい空気を振り撒いているのが、零。皆の前にある紅茶だが、誰かが頼んだと言う訳では無く唐突に彼女が気を利かせて運んで来た(武彦が頼んだのならまず珈琲になっている筈である)。お茶菓子も頂き物な差し入れの中から吟味の上に吟味、確り選んで用意し持って来る。そして何の用があるのか、それらが済んでもまた、気忙しくぱたぱたと奥の部屋――と言うか台所と応接間を行ったり来たりしている。その最中、時計の針をちらちらと見てもいた。…何やら時間を気にしている。どうも、それを誤魔化す為に行ったり来たりしているような気が無きにしもあらず。…全然誤魔化し切れてませんが。

 …そのまま、また数分経過。
 まだ全く様子の変わらない、彫像の如く固まったままの武彦が持っている煙草から、ぼとりと灰が落ちる。
 と、その灰が落ちるだろう場所に――す、とさりげなくも的確に灰皿が差し出されていた。狙い過たず灰は灰皿に確りとキャッチされる。
 タイミング良くその灰皿を差し出したのは――何とも言い難い顔で武彦の座るすぐ傍に秘書宜しく佇んでいるシュライン・エマ。彼女はいつからこうしているのか、こんな感じで武彦が火傷や備品の破損をしないようずっとフォローを入れ続けている。今の武彦、声を掛けても十中八、九上の空なので、口の方で注意を喚起するのは随分前に諦めた。
 武彦はシュラインのそんな繊細な心配りにも殆ど気付かない。例えば、煙草がフィルタまで焼け指もしくは唇が火傷一歩手前――になったところでシュラインがすかさずその吸殻を取り上げ灰皿に始末する。と、武彦はそこで漸く気付いてすまんと軽く謝罪する。が、謝罪しながらもその手は殆ど無意識の内に次の煙草を探り出し火を付けまた銜えている。その繰り返し。…その時点で何だか色々と重症である。
「…そこまで深刻に考えなくても良い事だと思うんだけど?」
 そろそろ見兼ねたか、零が奥の部屋へ顔を引っ込めた時を見計らい――エルが溜息混じりに誰にとも無く告げてみる。
 と、CASLLの方が――誰が死んだのかと思える程深刻な顔で緩く頭を振っていた。
「ですが…草間さんの心配ももっともだと…それは、零さんの今の楽しそうな姿を見ていれば…良い事なのだとは思います。思いますが…どんな相手なのか、騙されている可能性は、今は良い顔をされていても、本当にそれが続くのか…」
 草間さんの手前あまり具体的に口に出しては言えませんが、色々考えてしまうんですよ…。私も仕事が仕事ですから――それは勿論フィルムの中の話ではありますが、女性を弄び使い捨てる汚い男の姿は色々と知っていますから…そんな可能性も無いとは言い切れないのではと…。
 と。
 CASLLが溜息混じりにそう告げたところで、武彦がぐしゃっといきなり灰皿に煙草を押し付ける。明らかに今のCASLLの発言を重く受け止めて、である。
 数瞬、沈黙。
「…武彦さん、考え過ぎ」
 CASLLさんも。
 それは色々と想像出来ちゃうのもわかるけど、だからってそんなに悪い方にばかり考えなくても。
「ですけれど…」
 と、遠慮がちながらも心配が拭えない為やっぱり楽観できないCASLLの声に、きゅぅん、と宥めるような声が彼自身の膝の上から聞こえて来る。そこにちんまり座っているのは真っ白な子犬さん。…CASLLがあんまり強面故にいつ食われるか(…)とでも心配したくなる姿だが、その実CASLLの相方のような存在だったりする。
 そんな子犬さんにまで宥められ、CASLLは見た目からは到底信じられない程優しい手付きで、その頭をぽむ。やっぱり心配し過ぎなんでしょうかと子犬さんに語り掛けてもみる。が、その直後――でもやっぱりとっても心配ですよねぇ草間さん!? とデスク側の武彦にがばりといきなり食って掛かっている。…その内面は純真も純真、大らかで優しくお人好し過ぎるくらいの人だともう疾うにわかっていても、それら差し引いた上でもやっぱり見た目が怖い。知人であってもいきなりそんな姿にがばりと乗り出して来られれば正直慄いてしまう。
 が。
 その筈なのだが――武彦、それでも大した反応無し。
 CASLLの科白に当然のように重々しく頷くと、それっきりやっぱり深刻そうに黙したまま、煙草の灰が落ちるのにも気付かない。そしてまたシュラインの御世話になっている。そんな姿をエルはしみじみ観察してみる。
「…娘を持つ男親ってやっぱり何処でもこんな感じなのかしらねぇ」
「あのですね、エルさん」
 …武彦さんは親ではなく。
 シュラインが一応そう言ってはみるが、肝心の武彦の方はやっぱり反応無し。
 関係無い事は何を言われても耳に入らないのか、相変わらず黙り込んだまま、深刻そうに考え込んでいる。
「…」
 せめて少しくらいは御本人、反論しましょう。
 と、そこで。
 興信所の玄関ドアがノックされている。その音に早々に気付いたか、はーい、と部屋の奥から元気な零の声。そして奥の部屋から応接間、玄関ドアのところまでぱたぱたと出て来て応対、お客様の為にドアを開けた。…ちなみに破壊的な音質・音量の備え付けブザーは鳴っていない。それは霊鬼兵の身であれば、例え来訪を知らせるブザーが鳴らなくとも奥の部屋に居て新たな来客に気付けるだけの能力はあるのかもしれないが。…音なり気配なり即座に察知して。
 ともあれ、そんな御機嫌な状態の零の手で早々に玄関ドアが開けられると、そこに居たのは――黒髪に黒基調のドレスを纏ったゴシック系アンティークドールばりな美少女――黒榊魅月姫。
 他ならぬ零にいらっしゃいませ黒榊さんっ、ととっても元気に明るい笑顔で迎えられ、魅月姫はそのまま暫く停止。
 また数瞬、間。
 少し経ち、中でティータイム中の旧知なエルに軽く片手を挙げられ名を呼ばれ、魅月姫は漸く興信所の中へ入る事を思い出す。魅月姫としては零の淹れる紅茶を頂こうと久々にここに赴いた訳なのだが――何だかいきなり妙な雰囲気に迎えられ、少々調子が狂い思わず足を止めてしまった。特に零。…有り得ないくらい違和感が。
 そしてよくよく見れば、零を除き――中も中で誰の御通夜かと言った感じである。特に武彦とCASLLの辺りの空気が凄まじく沈鬱だ。まるで二人の宥め役に付いているような状態にあるシュラインとエルの方はそれ程でもないのだが。
 これはいったい何事か。
 さすがに気になり、魅月姫は物問いたげに武彦を見る。そのタイミングで、零は魅月姫に対し紅茶お持ちしますねと残し台所に直行。その行動の一つ一つも、何だかてきぱきとしており――いや、てきぱきしているだけならば普段通りだが、そんな行動の一つ一つをやけに楽しそうにしている事こそがいつもと違う。零の起こす行動の一つ一つが何やらきらきらと輝いている。
 いったい何事か――この場の事はとりあえず所長さんに訊ねてみよう。
「…何かありましたか、零さんに?」
 相変わらずの無表情ながらも、問い質すような――無回答を許さない口調で魅月姫は武彦に問うてみる。
 と。
 続いてすぐに魅月姫の後ろからも声がした。
「…今の草間に訊くのは酷かもしれんよ」
 いつの間にかそこにももう一人客人が来訪している――否、その客人は魅月姫にそう呟いたかと思うと、失礼と声を掛けつつも躊躇う事無く応接間に踏み込み、何やら封書一枚を所長のデスク上――と言うか武彦の状態にも早々に気付いた為むしろ所長にと言うより事務及び整理他担当なシュラインの方――に差し出していた。どうやら繊細な美貌を持つその青年――蒼王海浬の行動を見る限り、彼は客人と言うより素直に調査員と言った方が正しそうな立場のようである。
 彼の来訪の理由は、ここ草間興信所で受けていた依頼の報告か何かのよう。そのままシュラインとその依頼の件でか何事か打ち合わせてから、さてと武彦に向き直る。
 で、取り敢えずの一言。
「…大丈夫か?」
「…」
 魅月姫と海浬、どちらから掛けられた声に対しても、武彦、無言。
 そして無言のまま煙草の灰を漸く自分の意志で灰皿に落とすと、漸く武彦の声が返って来た。…ただ、その口調が声が――いつになく虚ろである。
「大丈夫じゃない…零にどうも好きな奴が出来たらしい」
「まぁ。…零さんに。そうでしたか」
「…ああ」
「草間。…俺は零では無くお前が大丈夫かを訊いたつもりだったんだが」
 今のこの状況を興信所の身内が見れば多かれ少なかれ誰でもそこを気にしそうに思えるぞ。あちらの彼もお前の心配が伝染した結果、ああなってしまっているようだしな。海浬はそう続け、子犬と共に深刻な顔で苦悩しているCASLLをそれとなく視線で指し示す。…海浬の場合、当然のように外見故の偏見は無く、CASLLの事も内面の本質を先に見ている。
 が。
「…俺は大丈夫だ。何も問題無い」
 と、武彦。海浬の科白も何だか右から左へ通り抜けてしまっている模様。…シュラインの行動を見る限り、今の武彦に全然問題無くはない。逆にむしろ問題山積みである。所長がこれでは現状、草間興信所は身動き取れない。全然大丈夫ではない。
 魅月姫と海浬への武彦の科白を聞いてから、はぁ、とシュラインが肩を落として溜息を吐いている。
「…武彦さん、零ちゃんのあの様子見てから…ずーっとこんな調子で」
「そうそう。考え過ぎだって言っても右から左。このまんまだとエマさんが大変」
「って私は別に良いんですけども。まぁ…確かにエルさんの言う通り、これじゃ大変――て言うか仕事にならないのは事実だけど…それより武彦さんのこのあまりにあんまりな重症振りは到底放っとけないし…」
 零ちゃんの事も気にはなるけど…。ある意味武彦さんの方が余程心配な状態とも。
 と、言ったそこで、当の話題になっている零が二人分の紅茶を淹れて応接間まで持って来た。台所に引っ込む以前に確認した魅月姫の分のみならず、当然のように来訪に気付いていたのか海浬の分まで用意してあり、粗茶ですがどーぞっ、とテーブルの上、ソファの空いている位置に置いて、新たに来た二人に笑顔を振り撒きつつ勧めている。俺の分まで有難うとすかさず海浬。こくりと嬉しそうに頷く零。
 と。
 また玄関ドアが外から開けられた。今度はブザーもノックも無しでいきなり。
 よっ、と軽く声を掛けつつ当然のように入って来た、やや軽そうな雰囲気の青年――神納水晶は、魅月姫や海浬同様やっぱり興信所内の妙な様子に速攻で気付き、どしたのどしたのと訳知りげな方々に詰め寄ってみる。
 水晶がその答えを聞く前に、零はまた神納さんにも紅茶お持ちしまーす、と元気に残してぱたぱたと台所へ。
 その際の零の態度で、何となくだが水晶も察知。
「…何だかとっても幸せそーだねぇ? 輝いちゃってるし…ひょっとして男でも出来た?」
 と、軽く言った、途端。
 何やら無闇にドスの効いた武彦の声が聞こえた。
「知ってるのか、神納…?」
「へ?」
「お前は零の惚れた男が誰だか知っているのか」
「や、全然」
「…嘘じゃないだろうな」
「嘘ついてどうするんだって」
「…本当だな」
「…落ち着けって草間」
「…俺はこれ以上無いくらい落ち着いている」
「…いやそうは見えない」
 と。
「当たり前でしょうっ!!!」
 別の礼儀正しい低音の声が轟いた。
 そして同時に、ずいっと水晶の前にCASLLが顔を出して来る。
「大事な大事な零さんの一大事かもしれないんですっ、お兄さんの草間さんが落ち着いていられる訳が無いでしょう!!!」
 うお。
 …水晶、乗り出して来た激烈強面なCASLLの姿を見て瞬間的にビビる。
 が、その実――その超絶威圧的な悪役顔のお兄さんも結局は今現在の草間武彦と同じ状態だと言う事にすぐ気が付いた。そう来ればいつまでもビビっている必要も無い。
 唐突にCASLLに代弁されるなり、武彦は難しい顔でまた黙り込んでいる。
「…落ち着いてられない――ま、そうかも知れねぇか」
 反応が見てて面白いから別に落ち着いてなくて良いけど。CASLLの科白に肩を竦めつつも、水晶の場合は内心でひっそりそう付け加えてもおいてある。…ただ自分に突っ掛かってくれないでくれれば、とも付け加えておきたいが。
 そんな様子を見つつ、魅月姫がぽつり。
「…ですが草間さんが零さんのお兄さんと言えるのと同様に、零さんのお姉さんと言える立場になるシュラインさんの方は――もっとずっと落ち着いていらっしゃいますが?」
「…」
 CASLL及び武彦、沈黙。…但し、一応魅月姫の発言を気に留めてはいるようで。
 すかさずそこを見計らい、シュラインが改めて口を開いてみる。
「落ち着いてるって言うか…まだ言い切れないんじゃないかって思うの。恋じゃなく、懐かしい時代の物発見し見るだけで嬉しいだけ…とか」
 性格的に兄には言い難くても、親しい同性には状況はっきりじゃなくても質問等しそうだけど…それも無いようだし…。
「…そう、か?」
 少し希望が見えたような声を上げ、シュラインを見る武彦。
 が。
「まー、零の懐かしい時代の物っつっても今時その筋では結構昭和初期の風俗普通に流行ってたりするし今ここに来ていきなりそれらに反応ってのも考え難いよーな? つーか、それだけであの輝きっぷりってのは…」
 ちょっと有り得ないよーな。…ねぇ。
 と、あっさりとその希望をぶち壊す水晶。うんうん、と思わせ振りに一人頷きながら武彦をちらりと見る。…平気な顔を装ってはいるが明らかに水晶のその科白に反応し固まっている様が見て取れる。
 …やっぱり面白い。
 そんな武彦の肩に、ぽむ、と宥めるよう海浬の手が置かれている。いつの間にそこに居たのか、デスクの上には海浬の連れている龍にも似た姿の紅き聖獣ソールくんも、海浬同様武彦を宥める為か――武彦に擦り寄り愛想を撒いている。
 …実際、海浬の方もまた水晶同様内心では武彦の様子を楽しんでいたりするのだが、彼の場合は取り敢えず表には出さないで宥める側に回ってみている。この件、わざわざ煽るつもりは無いし、過剰なまでに心配するつもりも無い。…今の零の様子、微笑ましいとは思いこそすれ――こう言った「可愛らしい恋愛」については自分では相談相手に向かないだろう事は自覚している為、零の為に特に動く気は無い。適任は他に居るだろう。…それよりこの場は武彦の状態の方が余程問題あり、と見ている。
「…もう誰かに何度も言われていると思うが、わざわざ悪い方にばかり考える必要は無いと思うぞ」
「ああ…わかってる…わかってるつもりなんだが」
 海浬に言われ、頷きながらもやっぱり武彦はそう楽観できない。が、それでもこの武彦、漸く周りの皆さんの話が耳に入り始めた節がある為、シュラインもまた海浬に続けて再び畳み掛けてみる――再び、と言うのは実は皆さんが来る前にもその辺の事は既に言い聞かせてあるのだが、その時の武彦は今より更に上の空だったので――武彦の頭の中に既に言ってある筈の事が残っている気がしない。
「…私も蒼王さんの言う通り悪い方にばっかり考える必要は無いと思うの。例えば…零ちゃんの核になった桜木礼子さん、怨霊機の核になった佐伯数馬さんて恋人いらしたし、似た感じの方を見付けてそれで…って事もあるかなって」
「…」
 ただ、反応してるのが零ちゃんなのか…それとも親たちとも言える素材となった方たちの誰かが反応してるのか…そこは確認しておく必要があるかなぁって思うけど。
 そう続けながらも、シュラインの心の片隅には――知らず怨霊機そのものに反応だったらどうしよう等、杞憂な心配すらひっそりとある。…今時で怨霊機と出ればあまり穏便な事では終わりそうにない。昔の心当たりと言えば零の作成者こと今は亡き大日本帝国くらいだが――それもそれで穏便には済まないが――、今時で怨霊機と聞いて真っ先に思いついてしまうのは――かのテロ教団虚無の境界になってしまう。
 まぁ、これらは口には出さない。
 …が、この場の面子を見る限り、その心配が察されてしまいそうではある。
 特に武彦。
 悪い方にばっかり想像が働く状態にあるお兄さんは真っ先にそっち側に辿り付いてしまいそうにも感じる。
 やっぱり心配である。
 はぁ、と誰からともなく溜息。
 そんな中、魅月姫が自分の割り当てとして零が持ってきてくれた紅茶に口を付けている。まず、少しだけ口に含んで味わうと、満足そうに頷いた。
 そして――そんなに心配なさる事は無いでしょう、と断言する。
「人を持て成す為に淹れるお茶や紅茶は淹れた者の心理状態も反映されるものです。私は…『恋』については経験上あまり無い事でコメントのしようが無いですが…取り敢えず彼女の淹れる紅茶に影響は無いようですよ。いえ、むしろいつもより美味しいとすら思えますけれど?」
「でしょ? …だからそんなに深刻にならなくても、ってずーっと言ってるんだけど」
「…エルもそう思っていましたか。彼女に悪い影響が無いなら…私も零さんの色恋沙汰に文句はありません。…草間さん、零さんの事…静かに見守っていてあげる気にはなれませんか?」
 …零さん本人は悪い影響を受けていない様子なのですから、相手の方についても、それ程難しく考える事は無いでしょう。悪意や害意の無い相手ならば――それは当人同士の問題ですからそのまま放っておけばいいでしょうし、もし万が一悪い虫だったなら早期に排除すればいい。それだけの事です。
 きっぱりと言う魅月姫に、水晶もそーだな、と軽く同意。
「つぅか俺、零の恋愛については結構、どーでもイイんだケド」
「…どうでも良いだと…?」
「まま、そんな目くじら立てないの武彦お兄ちゃん♪」
 …まぁでも、零の惚れた相手がどんなヤツなのか気にならないコトも無いかな。
 真っ当な相手とは限らない気もするしサ?
 と、ついでにそこまで口に出してみて、水晶はにやり。
 武彦の周囲の空気が、再びずーんと重くなる。
「………………ああ…そうだな…真っ当な相手とは限らない…」
「武彦さん武彦さん、それは人柄云々の話じゃなくって人外の可能性もありそうだ、って事だから」
 真っ当じゃないって言っても霊とか精霊とか…零ちゃんの身体的特性からして何の問題も無い相手って事は充分有り得るし。
 と、武彦さんを慌てて宥めるシュラインさん。

 まぁ、何はともあれ――まずは相手を見極める事が肝要、と言う事で。



■取り敢えず様子見

 ――ひとまず。
 買い出しに出掛けたその先での事。
 それまでは買い物用バッグを片手に提げ、てくてくと足取り軽く歩いていたのだが――ふと振り返り小首を傾げ立ち止まっていた草間零の姿があった。暫くそのまま後ろを見ていたが、まぁいっかとばかりに、そのまま、にこり。そして再び元々歩いていた方向に向き直って歩き始めている。…彼女がいつでも背負って連れているオリジナリティ溢れる兎?のぬいぐるみさえも気のせいか三割増し可愛く見える。
 …可憐である。
 零が元通りに歩き出したそこで、物陰にてほーっと安堵の息を吐いている零のお兄ちゃんが一人。…とは言え草間武彦では無い。零ちゃんを猫っ可愛がりしている童顔美青年風の、但しその年齢は武彦のたった一つ下にしかならない唐島灰師である。買い出しに出掛けた零をストーカー宜しく独断で興信所から尾行、ここまで何とか付いて来た。
 …とは言え。多分尾行はとっくにバレている。灰師はバレているとは思っていないだろうが、それはちょっぴり甘かった。実情はただ単に、尾行されている事それ自体を零が気にしていないだけらしい。どうやら、何で少しだけ離れて歩いてくるんだろうと不思議に思っている程度の様子。それだけ。
 今の零にはそれよりずっと気にすべき事があるらしい。
 と。
 零さん、と声がした。灰師の居る位置からはやや遠い場所。場所柄小さくしか聞こえない声なのだが――零の名を即座に察知し何事かと灰師の目がスナイパーの如く鋭くなる。と、そこに見えたのは――零同様買い物用バッグらしきものを提げた、人の好さそうな好青年。…偶然ですね。お買い物ですか。はい。風宮さんもですか。夕食の材料を。奇遇ですね、私も夕御飯の材料買い出しに行くところなんです。何にしようかまだ考え中なんですけれど…何か良い案ありますか? 等々。和気藹々と語り合いながら、零は風宮と呼んだその好青年と並んで一緒に歩き始めてさえいた。…どうやら目的地は同じ方向であるらしい。

 唐島灰師、その光景に、停止。

 ――…まさか。
 まさかまさかまさか、零ちゃんの惚れた相手が、あんなニヤけた優男だってんのかぁっ!?





 一輪の花が咲いていたかと思った。
 びっくりした。
 …あの草間興信所の零さんが、あんな。
 居候先の家主に頼まれ、人の好さそうな好青年――偶然目撃した唐島灰師曰くニヤけた優男――こと風宮駿は、夕食用の買い出しに御近所の商店街に出たところ。よくよく考えてみれば草間さんちの女性陣も良く見かける商店街でもある事に、彼は今零を見て改めて思い出した。
 それまではあまり気にした事がなかった。
 けれど。
 今日は。
 …ふわりと笑う笑顔、楽しそうに話す声。
 輝いている。
 そんな笑顔を自分に見せてくれている。
 それらが何だかとっても自然で。
 …あの零さんが。
 それは普段の零さんも可愛い事に変わりはない。
 が、駿の知る零は、何と言うか…これ程表情がくるくると変わるような事はなく、もっとクールなタイプだったような。
 普段はそんな感じの零が、常ならぬ可憐な姿を駿に見せている。
 片手に提げている色気もそっけもない買い物用のバッグすら目に眩しい。

 …可愛い。
 ヤバい、惚れたかもしれない…。





 草間興信所。
 取り敢えず記憶を見せろ、と神妙な顔をしたレイベル・ラブがおもむろに所長の武彦に要請。と、意味がわからず怪訝そうな顔をする武彦の額に、レイベルはいきなり五指を根元までぶすりと刺し入れた。武彦本人含め、一同、呆気。それは曲りなりとも医者であるレイベルがいきなり人を害するとも思えないが――怪力やら何やら疑わしい要素はかなりある。…何処からどう見ても、形としては頭に貫き手をブッ刺してる訳で。当然のようにその行為が行われてしまった為に誰も反応しなかった――反応出来なかったが、いきなり殺す気かと疑われても仕方がない。
 武彦の様子があまりにあんまりな為に、なるべく普段以上にここに居て世話を焼いているようにしているシュライン・エマもレイベルのその行為にはさすがに焦りちょっとっ、と声を上げる。が、案ずるなとレイベルはそれをまた当然のように軽く制止。そして刺し込んだ五指で武彦の頭の中をほんの僅か探るような仕草を見せたかと思うと、程無くあっさりと引き抜く。ふむ、と納得したようにレイベルは頷いた。
 何事かと武彦が自分の額に触っている。…何も痕跡はない。
「…何をした」
「記憶を読み取っただけだ。貴方の記憶から零の行動について正確な記録を得てみた――延いてはここから相手の行動半径を特定する」
 そこから先は皆の出番だ。
「…取り敢えず零の外出の用事は主に買い物だな。…彼女の行動として明らかに日課になっているのはそのくらいか。他は興信所常連の連中に連れ回されたり、仕事の足しに調査員、と言った程度だ。所内での行動は――草間は零のプライバシーも一応守っているようだな。そうなると逐一見れる訳ではないが、ひとまず私用で電話等の通信手段を使った風は特に無い。手紙も無いな…ポストにあるのは殆ど請求書やら督促状にダイレクトメール、思い出したように怪文書…ばかりだ。個人的な手紙どころか業務依頼書の一つも無いな」
「…ほっとけ」
 何だか身も蓋も無いレイベルの科白に、その時点で武彦はがくり。
 が、そんな武彦の様子はさて置き、紅茶を傾けつつセレスティ・カーニンガムがレイベルに訊いている。
「零嬢の異変…彼女の様子が変わったのは正確にいつ頃からかわかりますか?」
「ん…日付日付。この部屋のカレンダーは何処だ。…草間の視点で見ると考えると…ああ、そこか。うむ。ちょうど一週間前になる。その日の夕食の買い出しから帰ってきたところ、か」
「…ではそれ以前に会った人――やはり買い出しの時に、と言う可能性が高そうですね。…もしくは…草間さんの記憶からそれらしい人が読めないとなると、草間さんが留守にしていた時間に誰か接触した、と考えるのが妥当でしょうか」
 零嬢は興信所で多くの依頼人や調査員に会う事も多いですから、その中の一人と言う事もあるでしょうか? 興信所に来る方なら草間さんもご存知だと思うのですが。
 外堀から探ってみる事を考えるとしても。零嬢は携帯電話などはお持ちではないと思いますし…。私用で電話を使った痕跡も無いとなりますと、興信所の電話も関係無いですしね。
 もっとも、興信所の電話を使っていたとしても黒電話では着信記録など無さそうですし。
「…シュライン嬢はお心当たりは?」
「心当たり…。零ちゃん…やっぱり買い出しの時が一番嬉しそうなのよね。言われてみれば一週間前くらいからお買い物にはなるべく一人で行きたがってるような気がするし。…同じ時間帯に同じ方面…同じ店に買い物に来てる人、とかなのかしら。あ、そうだ…私も一緒に買い物に行く時なんだけど――どうも途中にある公園に…いつも視線が行ってるような節があるの。気にしてるって言うか」
「でしたらまず、そこが怪しいですね」
 彼女の異変の原因は、その公園からまず探ってみては。来訪目的の紅茶を干した黒榊魅月姫は、皆の話を聞いてそう提案。…一週間前から今に至るまで、零にとってその公園で何か大切な物もしくは事があるのかもしれない。誰か彼女の惹かれる相手がただそこに居る、もしくは来ると言う極個人的な事だけであるならまだ良い。が、もし万が一その場所と時間の条件に当て嵌まる事柄で、何かおかしな出来事が起きていたのなら…それが関係している可能性も考えておいた方が良い。
「…皆さん、特に零さん絡みと言う訳で無くとも、そう言った事件の心当たりはどうでしょう?」
 と、言われ、一同考え込む。事件の心当たり。…この草間興信所周辺、細々した事件なら結構起きているが、これと言うような事は――無い。
「…特に何も起きていないと思うが」
 皆が皆心当たりを考え込んでいる中、逸早く口を開いていたのは蒼王海浬。
「ええ。これと言ったものは」
 玲焔麒もすぐに海浬に同意。続けて他の面子も見渡しつつ、小首を傾げてさて他の方々はどうでしょうと問うてみる。
 と、他の面子も特に何も無いわよね、だよな、ですね、と誰からとも無く頷き合っている。
 魅月姫もまた頷いた。
「皆さん同様私も同じです。…となると個人的な理由、やはりどなたかと公園で逢瀬を、と考えるべきでしょうか」
「…公園、か」
 ぼそりと呟き、武彦は俯いたまま動かない。指に挟まれた煙草から灰がぽろり。すかさずシュラインがその灰を灰皿でキャッチ。…見事な手際。
 武彦はいったい何処のどいつなんだ…と恨めしげに唸っている。
 まぁまぁ、と焔麒は宥めるように苦笑した。 
「…草間さんが直接聞けないのでしたらそれとなく私がお聞きしてみましょうか?」
 まぁ、伊達に長生きしておりませんし、色恋の手管など…。
 と。
 焔麒が思わせ振りに艶っぽい流し目を武彦に送ると。
 ばん、とデスクを思いっきり叩きつつ、武彦が椅子を蹴立てて立ち上がっていた。殺気混じりの視線が焔麒に刺さる。
「…貴様…零に妙な事を吹き込んだら…」
「…って冗談ですよ。そんなに目くじら立てないで下さいな」
 クスクスと悪戯っぽい笑み。…その笑い方だけで、武彦の周辺の空気がまたずーんと重くなる。焔麒にそんな事をされてはどうなる事やら。…冗談と言われても信用し切れない…。
 本の回収に来たまま結局相談に乗っている綾和泉汐耶は、そんな武彦の様子を見ながら、ぽつり。
「…草間さん兄と言うより父親みたいですね」
「それエルさんにも言われたわ…」
 と、シュライン、遠い目。武彦、無言。当人から反論が無い事にあららと苦笑する汐耶。花嫁の父かよとこちらも喉を鳴らして笑っている神納水晶。…誰が花嫁だ誰が…と地獄の底から響いてくるうめきの如き声が続く。…果たしてそこで零とあっさり答えてしまうべきか否か。それは今の武彦を遊び倒すか気遣うかによって分かれる一線なのだろうが。
 今は、取り敢えず落ち着け草間、と海浬がまた至極冷静に宥めている。他の面子もまだ止めは刺さない。
 水晶が改めて口を開く。
「でもサ、本当にそこまで思い詰めるくらいなら…焔麒のゆーよーに先に直接聞いてみろっての。そうすりゃぐるぐる考えるまでもねーじゃん」
 んで、言わないならそこでどうとでも。尾行でも何でもしてやろーじゃナイの。
 …元の仕事と本体の性質上、気配消すの得意よ、俺。





 また別の日。
 零を連れてのお買い物が実行されていた。お買い物とは言っても普段の買い出しとは別の話。普段の買い出しに皆して付いて行ったと言う訳ではない。ただ、服でも買いに行きましょうと汐耶から声がかかったからの事。…零ちゃんも女の子ですしお洒落もしたいかも。だから、そこを突いて何があったのかをさりげなく聞き出してみませんか、と言う次第。
 その誘いに、零は少し躊躇いながらも何だか乗り気だった。その理由は――やっぱりそのお洒落を『誰か』の為にしたいが故だったよう。実際に外出するより少し前、近頃嬉しい事でもあったのかとさりげなくシュラインに訊かれていた時も、はい、と輝く笑顔ですぐ肯定。…そう、肯定はするのだが――すぐに恥じらいの表情に代わり、隠れるように皆の前から逃げてしまう。…よってそれ以上の詳細は不明なのだが、その態度がもうはっきり疑う余地が無い。
 何だか核心に近いところを突くと、否定はしないが恥じらった上で逃げられてしまう。…それも霊鬼兵である彼女、本気で逃げられたらそうそう捕まる訳もない――捕まえられるだけの能力がある者が居ない訳でもないが、そんな皆さん総じてそんな無粋はしたくない。
 そんな訳で、少し搦め手で。
 今回、零を連れ出して来たのは二人。綾和泉汐耶、玲焔麒。零にとって兄とも姉とも思うような近しい上にも近しい方々ではなく、むしろ一歩引いたところに居る立場の方が気軽に色々話し易いかも、と考えての人選になっている。
 が。
 そんなつもりでの道々、いつの間にやら唐島灰師がぴったり零の側に付いていた。
 和気藹々と話している――が、この灰師では「それとなく聞いてみる」はかなり難しいと言え。
 いきなり作戦失敗。
 …それは、唐島に注意しろと事前の忠告を武彦から貰ってはいたが。
 まぁ、それで完全に作戦失敗と言う訳でもない。まだ機会はある。
 店に着き、服を選ぶ。零のセンスはと考えると微妙に疑問でもあるが、そこは汐耶と焔麒がアドバイス。灰師も横から結構的確な口を出し。皆で零に似合うような色や形を考える。小物類もまたそんな感じで色々選んでみる。…但し、日頃の習慣かはたまた彼女自身が造られた時代故の元々の習性か、どの品を手に取っても何はともあれ値札にまず目が行く。見た目も華やかなものの場合は気が引けている。構わないんですよとそれを宥めてもみたり、予算の範囲内だから心配の必要は無いのよとも諭してみたり。…そんな感じで時が過ぎて行く。
 取り敢えず灰師の様子を見るに、まだ零のお相手の特定は出来ていないよう。周囲の方々曰くこの灰師、ストーカー宜しく零の事を付け回している、と言う話だが、数日それを続けていながら特定出来ていないとなると、零は上手い事その追跡を躱していると言う事になるらしい。
 となると、最後の手段として直接行動を追い掛けてみる、と言う話になっても、生半可なやり方では意味がないだろうと容易く想像できる。
 想像しながらも、きっと素敵な方なのでしょうね、と焔麒がごくさりげなく持ち掛けた。零が普段の服とはちょっと違った形のエプロンドレスに袖を通し試着してみていたその時。と、すぐにはい、と明るい笑顔で零から答えが変える。が、答えてからはっと気付き、零は顔を赤らめた。
 そこで、まぁまぁ、と焔麒は零のその肩を軽く扇子で押さえて微笑み掛ける。逃げないで下さいな。その気持ちは別におかしい事では無いのですから。恥ずかしい、と言う事は、その気持ちが貴方にとって大事である、と言う事にも繋がりますし、と優しく言い聞かせ。そうなんでしょうか、と零は素直に考え込んでみる。
 そこで汐耶も自分の事を比し。…武彦に突っ込まれるのは少々勘弁だが、零の心を開く為に話を持ってくるのならばまぁ、吝かではない。
 それを聞いての零の様子を見てから、どんな相手なのかの核心部分も漸く訊ける。灰師もそこは聞き逃せないとばかりに真剣な顔で聞いている。
 …読書が好きな人で色々な事を知っていると言う事。まず他人を気遣ってくれる人で、優しい人だと言う事。誠実そうな人でもある事。あまり冗談も言わない真面目な人らしくもある事。その人の事を一生懸命表現しようとする零の話の端々からして、どうも不器用そうでもある事。年の頃を聞くと、少し悩んでから――良くわかりません、兄さんよりは年下だと…シュラインさんくらいかもしれません、もっとお若いかも。そんな感じで年頃についてはいまいち判然としないらしい。
 その人は零が夕食の買い出しの出て来る時間帯に公園にいる事が多いそうで、偶然、初めて会ったその時の時間に合わせて、零は興信所から出掛けるようにしていたらしい。居るのがその時間だけではなく、他の時間も居る事はあるから、近くを通りがかると確かめる為にいつでもそちらに視線が行っていた。
 零はそんな彼と、ほんのひととき、お話が出来るだけでとても嬉しいのだと言う事。

「…良い方のようですね」
「…はい」
「ならひとまずは構いませんでしょう。私たちの方から上手く草間さんにお伝えしておきますよ」
 悪い方ではないようだ、と。
 完全に懸念が消えたとは言えなくとも、少なくともそこに悪意は介在していない。
 これで草間さんの心配も、少しは和らぐでしょう。

 と、そんな訳で、上手く聞き出すと――結構、素直に話してくれている。
 どうやら零ちゃん、お相手の事も特に隠している…と言う気は無かったようです。

 …ただ、『その人』に関する話に触れる事それ自体を、他の誰かの前で『その人』の事を明かしてしまう事それ自体を恥じらっていた、と言うだけで。



■…どうやら

 数日後。
 再び草間興信所。
 心持ち身嗜みを整えてから、緊張してそのドアを開ける風宮駿の姿があった。中には見覚えのある人とない人の両方が居る。草間興信所には色んな人が集まる。駿の知らない人もまだ多く居る。それは例えば影の化身のような、落ち着いた雰囲気の中国系美人なおねえさん。金髪碧眼――と言うか左右で微妙に違うけれどそれぞれ蒼系の色と言えるオッドアイが印象的な、口ではすぐ説明出来ないようなとっても綺麗なおにいさん。
 けれど肝心の零が居ない。駿の目的はただ一つ。彼女に会いたいから今ここに来た。
 取り敢えず所長さんに――当の零のお兄さんに訊いてみる。
「…零さんはお留守ですか?」
「…零?」
「はい。…お会いしたいなぁと思って来たんですけど」
「…お前が零に会いに来るなんてあったか」
「あ、初めてですね確かに。ええとですね、言ってしまうのも少し恥ずかしいんですけれど、実は…」

 俺、零さんの事が好きになってしまったんです。

 と。

 駿が素直に打ち明けるなり。
 空気が冷えた。
「…何?」
 俄かに、間。
 直後。

「――…貴様か! 貴様だったのか!!」
 と、武彦は声を荒げデスクに乗り出し、いや足まで上げ乗り上がりふざけた事をのたまう駿の胸倉を確保、乱暴に引っ張り寄せ、その首を容赦なく、ぎゅー。

 また、間。

 …。

 …何だか一部微妙に既視感が。
 思いながらも待て待て待てと武彦の凶行を制止に入る中国系美人のおねえさんこと黒冥月。…自分が同じ事を武彦にする事はちょくちょくあると言う事はさて置きここはひとまず止める。いやむしろ自分がされるから人にもするのかと武彦のこの行為自体に多少の責任も感じたか。
 銀縁眼鏡の中性的な顔立ちなおねえさんこと綾和泉汐耶さんもちょっとちょっとと止めに入っている。…許せないにしても幾ら何でもそれはやり過ぎ。
 だから落ち着けと溜息混じりに制止するオッドアイのとっても綺麗なおにいさんこと蒼王海浬も、二人の女性同様、一応ながら制止に入っている。…いつの間にやら紅き聖獣ソールくんも武彦の腕にぐるりと絡み付き、駿の首を絞めているその腕を離そうと頑張る。
 それらの尽力により、一応駿の首から武彦の手は剥がされた。駿はげほげほと咳込みデスクに倒れ込んでいる。
「うう…酷い草間さ…」
「このくらい当然と思え」
「何でですかあっ」
「お前なんぞに零は渡さん」
 人に隠れてこそこそと…。よくも零を誑かしてくれたな…。
 …と、言われても。
「??」
 駿には武彦の言っている意味がいまいち良くわからない。

 で。
 よくよく話を聞いてみると。
 曰く、零が恋をしたらしい、とここのところの草間興信所ではちょっとした騒ぎになっていて。
 武彦初め居合わせた面子にその件を簡単に説明されると、そうだったんですか、零さんも僕の事を…と、駿は一人納得して黙り込んでしまっている。
 それを見て武彦、またぷちりと切れてデスクに足を乗せ掛ける。…が、本当に凶行に至る前にやめてとばかりに海浬の聖獣ソールくんに制止される。その愛らしい姿に武彦も一応冷静になる。
 はぁ、と冥月から大仰に溜息が吐かれた。
「本当に大袈裟に考え過ぎだ」
 鬱陶しい。
「いちいちそんな反応をするな。…もし彼氏だと某フライドチキン屋のトレードマークなおっさん人形や浮遊霊連れてきたらどうする」
 それよりはこいつ――風宮と言ったか?――の方が余程ましだろうが。
「…こいつだったらその方がずっとましだ…」
 呟き、がくりと項垂れる武彦。
 それもそれであまりにあんまりな言いようである。
 と。
「心配しなくとも。…そいつはまず違うと思うが?」
 たっぷりと駿を観察してから、あっさりと海浬が否定する。貧乏探偵の事務所と言うこんな場所には場違いなくらいと言える、その繊細に過ぎる美貌と余裕ある典雅な態度から発されるその発言は――何だかそれだけで途轍もなく頼りになる。
 一拍置いて、武彦は海浬をがばりと振り向いた。
「だよな。そうだよな。…絶対コイツじゃないよな」
 そして海浬の頼もしい発言に、うんうんと重く頷く武彦。
 と、あっさり否定されているのに、肝心の駿の方は――それら耳に入っていない。
 駿のそんな勘違いな姿を見、汐耶もまた、はぁ、と溜息。
「…風宮君相変わらずみたいね」
 どうもこの彼、その時その時の目的――この場合惚れ込んだ相手――以外目に入っていない。
 汐耶には一応覚えがある。
 ちなみに汐耶にも、零の相手がまずこの風宮駿ではないだろう、とは思える。そもそも外出時に公園で会っている、と言うのなら、元々興信所に出入りするような関係者じゃないのでは、とも思えてくる訳で。
 ただ。
 そうなるとちょっと気にもなる。
「ところで」
「ん?」
「零ちゃんの基準って…こないだこちらで冗談混じりに話題に上った『年齢』って言う意味だけじゃなくても…やっぱり結局草間さんのような気がしてるんですが」
 先日零ちゃんから聞いた話も…何となく草間さん髣髴とさせるようなところが無いとは言い切れませんし、似たような人だとすると、以前の事とか…何か引っ掛かるんですが、心当たりは無いですか?
 と。
 汐耶がそう言った途端、駿以外の面子から武彦にずざっと視線が集まる。
 が。
「………………。…俺、か…?」
 武彦の様子を見る限り、やっぱり心当たりは無いよう。





 買い出し中、零の側。
 あれ、零さん? と声が掛けられる。何者かと思えば――眼帯付けた威圧的な風体の巨漢が零の歩く歩道のすぐ横、バイクで乗り付けていた。外見に似合わないくらい丁寧な口調。CASLL・TO。
 話し掛けられるなり、零の方もこんにちは、と明るく声を掛けている。
 そしてそのまま、少し話し込んでいる。
 と。
 またその後方、店の看板の影では――灰師の銜えた煙草から灰がぽろりと落ちていた。
 CASLLの姿を見、まさかこの男が零の…と血の気が引いている。
 が。
 直後。
「いやあれは違うよん」
「…っとなんだぁっ!?」
 と、気配の無いところでいきなりすぐ背後から声を掛けられ反射的に大声を上げ掛けた灰師の口を、声を掛けた当人こと神納水晶は咄嗟に押さえている。灰師は何事かと思い反射的に暴れるが、すぐに口が押さえられた理由に気付いた。灰師は改めて零を見る。…騒いでは気付かれる…。思い、小声で水晶に話し掛ける。
「…いきなり何なんだよお前はっ」
「…にーさん唐島ってんだろ。草間に聞いてる」
 で、今あそこにバイクで通りがかったのはCASLL・TO。『お相手』の方じゃなくて草間と同じく心配してる方だからご安心。
「っ、近付く奴は誰でも同じだっ」
「…にーさんも重症だねぇ。ま、安心しろって。あの強面に零が靡くと思うか? むしろこの場合イイ用心棒だと思わね?」
 知らない奴ならまずあの強面に近付くのは怖ぇだろうし。
 あれはこの場合付き纏わせておいた方が面白い事になると思うけどなぁ。
「…」
「そーれーよーり。…気になるのは向こう」
 と、思わせ振りに水晶が顎で指した方は――公園。
「何だよ」
「ここんとこ、その公園のベンチでいつも本読んでる奴が居るんだけどサ。これがどーも何処となく草間に似てる気がすんだよねー」
 で、ちょうど零が買い物に出てる時間帯も、そいつここで本読んでるんだよね。
「なにっ!?」
「まだ実際そいつが零と話してるって確認はしてないんだけどサァ、怪しくね?」





 確かこっちの方面だった。そう聞いている。零が買い出しに行く商店街への道。歩道。零が歩いている。すぐにわかった。CASLL・TOは偶然を装い声を掛けながら、そろそろと道の横、立ち止まりこんにちは、と挨拶を返している零の側でバイクを止める。
 いい顔をしているとは思う。
 今のままで済むのなら、それに越した事は無い。

「お買い物ですか?」
「はい。夕食の買い出しに」
「では…宜しければ何かお手伝いでも」
 何でしたら…何処か送って欲しいところがありましたらバイクでお送りしますし、荷物持ちとかもしますよ。
「え、でも、そんな…悪いです」
 そんなお気遣いなさらないで下さい。
「いえいえ、遠慮なさらず。私で出来る事なら…」
 と。
 そこまで言ったところで、思い付く。
「…あの、ひょっとして私はお邪魔なのでしょうか」
「え?」
「いえ、あの…何でもありません」
 無言。
 …何だか偶然にしては不自然な行動になっている気がする。思いながらCASLLは話題を変える事を考える。
 が。
「そう言えば興信所では時間を気にしてらっしゃったようですが――どなたかとお待ち合わせでも?」
 …むしろ逆に直球になってしまった。
 言ってから後悔するが、もうどうしようもない。
「えっ、あ…あの、待ち合わせ…って程の事じゃないんですけれど」
 と、CASLLの問いに、零は顔を赤らめ俯いてしまう。
 否定せず。
 …となると、興信所で思った事は当たり――きっとこれから会うのだろう。
 CASLLが思う間にも零ははっと弾かれたように自分の腕時計を見、あっと大声。そして――えと、失礼しますっ、とまばゆい笑顔でCASLLにぺこり。そのまま足取りも軽くぱたぱたと駆けて行く。…興信所内で見た状況と全く同じ。

 …取り敢えず、その顔が曇るような事にならなければ良いのですけれど。
 CASLLは思いながら、それでも黙って手を振りつつ、零の背を見送っている。





 公園前。
 偶然そこを通りがかっていた風宮駿は、少し過ぎたところで慌ててバイクを止める。今、公園の中に零が居た。…草間さん――興信所の皆さんは零さんが恋をしていると言っていた。そしてその相手は恐らく自分(いや誰もそんな事言ってない)なのだとも。
 だったらその想いを受けとめてあげなければならない。お兄さんにも報告した。これ以上零さんを悩ませていてはいけない。早くこちらからきちんと零さんに告白しないと。逸る気持ちを抑えつつ、駿はバイクを降り、公園へと入っていこうとする。
 と。
 少し離れた位置、植え込みの向こう側にあるベンチに、一人の青年が座って文庫本を読んでいるのが見えた。年の頃は――外見の造りだけで見るなら零とあまり変わらない程度にも見える。となると少年と言うべきかとも思えるが、どうも当人の印象が『少年』ではなく『青年』と言いたくなるような節がある。本当は見た目より年嵩なのか。はたまた単に大人びているだけなのか。

 ――…とにかく、零はその彼の前に居た。
 零の姿を見るなり、本を閉じ、零に笑いかけているその青年。
 それを受けてぺこりと頭を下げる零。ベンチに座る青年の隣に、嬉しそうな様子で腰掛ける。
 零のその顔は。
 自分に向けられたものより、ずっと。
 きらめいていて。

 …そうか。

 零さんが好きな相手。それは俺じゃなかった、そう言う事なのか。
 目の前の二人を見、駿は即座にそう理解すると――その場で呆然と立ち竦む。

 と、そんな駿の肩に、後ろから、ぽむ、と優しく手が置かれた。
「…そんな事もありますよ。…失恋の痛手も我慢して乗り越えて行けば、きっといつかいい事があります」
 優しい声が掛けられる。
 慰めるようなタイミング。
 しみじみとその手と声の暖かさが心に沁みた。
 どなたか存じ上げませんが有難う御座います。ひとの思いやりの有難さを噛み締めつつ、駿はその思いやりを掛けてくれた相手の顔を見ようと何気無く振り返る。
 と。
 …そこに居たのはチェーンソー振り回してホラー系映画の殺人鬼な主役張ってるのがとっても似合いそうな超絶威圧系強面のお兄さん。

 …瞬間、停止。
 直後。
 ぎゃああああああ、と駿の悲鳴が響き渡る。

 強面のお兄さんことCASLL・TO、そんな反応はいつもの事ながらもやっぱりちょっとショック。





 草間興信所。
 お買い物先で何があったかの報告を汐耶と焔麒の両方から確りと受け、零ちゃんのお姉さんことシュラインは少し考え込む。そうなると、やはりここは黙って見守っていてあげた方が良いのでは。そう武彦さんに覚悟決めてもらわないと、とシュライン。そんなシュラインの言葉に、うーん、と唸ったままでまた固まってしまった零ちゃんのお兄さんこと武彦。確かに零当人がそんな様子であるのなら、問答無用で反対は出来ない。然程悪い相手とも思えない。
 そんな悩める武彦に、辛いかもしれんがいつかはそう言う時も来るものさ、と海浬が宥める。そういう事なのでしたら私も焔麒さんと綾和泉さんの判断同様、ひとまずお邪魔はしたくないと思いますけれど。と魅月姫。報告内の零の様子からして大方が『黙って見守る』側に傾き掛ける。が――それでもやはり念の為、相手を伝聞でなく直接確認はしておいた方が良くないだろうか、と言う話も消えはしなかった。
 だが。
 そこに至り、また重い空気を背負って武彦がずーんと沈んでいる。
 何事かと思えば、尾行等して追跡するにもあの零にバレないようにするのは難しいだろと言う話。確かにそれも買い物時、一時的に合流していた灰師が――零にずっと付き纏っている筈なのに何故か決定的なシーンの目撃ができないと言う事実でそれとなく確認済みではある。
 と。
 そういう事でしたら…と、言い掛け――結局それ以上は言わずに魅月姫は言葉を止めた。冥月をちらりと見、それから意味ありげに微笑む。
 その、直後。
 ふ、と冥月が静かに笑っている。
「…譲られてしまったようだ」
「?」
「草間、お前の懸念だが、私にとっては――いや、この場にいる中では私ばかりでも無いようだが――大した問題にもならない」
 私の能力を忘れたか。そう冥月は武彦に告げる。不遜な態度で片手を掲げ自らの腕の影を作ると、その影の黒を軽くデモンストレーション。水芸の如く踊らせて見せた。冥月曰く、彼女が持っているのは影を自在に操る能力。数多の影に完璧に潜伏、対象の監視や追跡等様々な行動を取る事も容易い――更にはその効果を他者にまで及ぼす事も可能と言う事で。
「望むなら請け負うぞ。どうする?」
 共に来たい奴が居たら連れても行こう。
 そんな太っ腹な提案に、まずはにこりと魅月姫が挙手。人様の扱う影の中に入ってみたいとも思っていました、とさらり。続いて、お邪魔でないようでしたら私もお願いしましょうか、と焔麒。良いですね、面白そうですとあっさり同意のセレスティ。
「…って興信所空にしていいんでしょうか」
 そんな皆行くと言いそうな流れの中、ふと汐耶。
 と、レイベルにあっさり頷かれた。
「構わないだろう。どうせ今の状態の草間ではどう足掻いても仕事になるまい」
 ここは潔く探偵稼業は休んどけ。…医者の助言は聞いておく事を勧める。
 その一声で、何だか特に意見表明してない面子も合わせ皆して行くような展開になっている。
 とは言ってもまぁ、特に断る理由も無いのだが。

 冥月の有難い提案に、武彦は感激。くうっ、と拳を震わせ、言葉も無いのかこくこくと頷いている。
 が。
 その感激を伝える為に、何とか搾り出した次の科白が少々まずかった。
「…持つべきは男の親友だ」
 と。
 何処かでぷちりと音がした気がした。
 直後。

 どごっ

 …冥月から武彦へのお返事は愛を込めての鉄拳一発。
 いい加減に男扱いは止めておけ。





 冥月の力で影から影を辿り、現在零の居る位置を捜す。買い出しに使う道程。その途中でCASLLや駿が居た。公園の入口。影を移動して中へ入る。…他の奴も誰か来て零の事を気にかけているだろうか? ある意味一番心配な灰師の行動は。武彦が頻りに気にしているのだが。
 公園の中、植え込みやベンチが置かれている。影は多い。移動は自在になる。対象までの位置は近い。
 ――…見付けた。

 だが。

 影の牽引役になる冥月は溜息を吐く。
 零にバレないように、と言うのは少し遅かったようだ。
 …草間。お前の懸念が当たったぞ。

 と、冥月が皆を招いた影の中。そこから確認した、ベンチに腰掛ける零の姿。それと、その隣に腰掛けている見覚えの無い年若い青年。
 そこまでは、まぁ、ある程度予想の範囲内。
 ただ。
 そんな二人の前に。
 父親宜しく難しい顔をした唐島灰師と、そんな灰師の姿を見、あーあとばかりに肩を竦めている神納水晶の姿まで一緒にあった。





「…貴方がたは?」
「…いや、えっと」
「零君の…お身内の方で」
「お、おう…」
「そうですか。…どうやら、ご心配を掛けてしまっていたようですね」
 そこまで言うと、青年は儚く笑う。と、零がきょとんとした顔で青年を見た。
「心配…ですか?」
「はい。お身内の方からすれば、僕は何処の馬の骨か、ってところでしょうから」
「って、それ、あの」
 その発言を意味するところに思い至ると、零はかあっと顔を赤らめ俯いてしまう。自分だけではなく、青年の側からもそう思われていた事実に余計に過敏に反応してしまう。青年はそんな零を微笑んで見詰めてから、灰師と水晶の視線を真っ向から受けとめた。
 …第一印象は優男ながら、案外骨がありそうである。
「…お前」
「ノインと申します。零君とは…この一週間くらいになりますか。ここで何度かお話をさせて頂いています」
 彼女とは…こうしてここでお話が出来る事だけでも、とても楽しかった。
 それでお身内の方がご不快と言うのなら、僕の事でしたらどうして下さっても構いません。
 ですが零君を責める事だけはしないで下さい。お願いします。
 零君は何も悪い事はしていませんから。悪いのならば全て僕です。
 真面目にそう言ってのける青年――ノインのその姿に、灰師も俄かに呆気に取られた。
 そして、気が付けば零の縋るような潤んだ目が灰師の顔を恐る恐る見上げている。言葉が無くとも見るからに怒らないで、と。許して、と言っている。…灰師としてはそんな零の期待を裏切る訳にはいかない。…困った。
 さて。
「んー…そうか。…ま、話をしてるってそれだけならな」
「いーの本当にそんな簡単に許しちゃって?」
「っ…お前は黙ってろっ」
 と。
 そこまで、話したところで。

「――…ノイン?」

 親しげに、それでいて不思議そうに呼び掛けられる、声。
 …容姿の美しさをも想像させるような、綺麗なソプラノ。
 その声に、灰師と水晶も思わず声の主を探す。
 影の中の皆も、声の主へと視線を向ける。
 零も、思わず振り返る。
 前後して、声を掛けて来たソプラノの女性の、息を呑む気配。

 …ノインと呼ばれた青年だけは、何かを諦めたように、ただ静かに瞼を閉じていた。



■判明

 皆が注目したそこ。立ち止まっている、一人の少女。…息を呑んだソプラノの少女は、彼女。
 緩くウェーブのかった、長い金髪のポニーテール。
 紅い瞳。
 白皙の肌。
 黒を基調とした、ややボンデージ風でもある軽装。
 そんな服からすらりと伸びる手足。

 ――…そして零と同じ、首をぐるりと一周取り巻く形の、継ぎ目。
 過去に鉤十字の理想に求められていた、純血アーリア人種を素体に、『造られた』少女。
 初めの名はギリシア字母の最終字を冠される。
 零の名が漢数字の『零』でもあるように。

 …零は、後に草間の名を授かった。
 そしてこの彼女は――後に『永久の女』の名を授かった。

 彼女の姿は――零にとっても、見覚えのある姿。
 それは、あまり深く関わった事がある訳では無くとも。
 存在は知っている。
 例え触れ合う事は無くとも、その素性はこれ以上無いくらい近く。


 姉さん、と言われた事がある。


 ――…そこに居たのは、エヴァ・ペルマネント。


「…な、んで」
「――」
 言葉が何も続かない。
 零も、エヴァも。
 と。
 彼女らの無言の代わりに、ノインが静かに言葉を紡いでいる。
「…このまま何も無く居られればとずっと思っていたけれど。残念ながら――ここまでだ」
「…ノイン、さん?」
「ちょっとノインどう言う事なのよ!? ユーの仕事は姉さんと接触する事じゃなかった筈よ!?」
 我に帰るなり、ノインに問い質すよう声を荒げるエヴァ。
 そんな『妹』の態度に――零は、はっとする。
 ノインの顔を、見上げた。
 と、諦めたように――零に目が、『紅の』瞳の色が見られたくないとでも言いたげに、ノインは瞼を閉じている。
「…まさか」
「そうだ」


 ノイン――即ち、ドイツ語で9を指す。
 数字。
 それを名とするならば。
 それ以上の名を持たないならば。


「…すまない。零君。
 虚無の境界製・量産型霊鬼兵No.9。それが僕の本当の名前だ」


【続】


×××××××××××××××××××××××××××
    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
×××××××××××××××××××××××××××

 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■0086/シュライン・エマ
 女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

 ■2778/黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)
 女/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒

 ■4697/唐島・灰師(からしま・はいじ)
 男/29歳/暇人

 ■1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)
 女/23歳/都立図書館司書

 ■4682/黒榊・魅月姫(くろさかき・みづき)
 女/999歳/吸血鬼(真祖)/深淵の魔女

 ■0606/レイベル・ラブ
 女/395歳/ストリートドクター

 ■6169/玲・焔麒(れい・えんき)
 男/999歳/薬剤師

 ■2980/風宮・駿(かざみや・しゅん)
 男/23歳/記憶喪失中 ソニックライダー(?)

 ■3620/神納・水晶(かのう・みなあき)
 男/24歳/フリーター

 ■1883/セレスティ・カーニンガム
 男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い

 ■3453/CASLL・TO(キャスル・テイオウ)
 男/36歳/悪役俳優

 ■4345/蒼王・海浬(そうおう・かいり)
 男/25歳/マネージャー 来訪者

 ※表記は発注の順番になってます

×××××××××××××××××××××××××××

 …以下、登場NPC(□→公式/■→手前)

 □草間・零(初期型霊鬼兵・零)/主人公(え)
 □草間・武彦/探偵と言うより今回は零の兄…(もしくは父…?)
 ■エル・レイ/魅月姫さんと旧知の女吸血鬼。御指名あったが故にちょこっとお邪魔に来ました。

 ■ノイン/どうやら零ちゃんの本命であるらしい青年。正体は旧型から新型への過渡期に製造された虚無の境界製・量産型霊鬼兵No.9。なお、9がドイツ語読みにはなっているが素体は日本人。
 □エヴァ・ペルマネント(最新型霊鬼兵・Ω)/零の妹…と言うか虚無の境界製霊鬼兵の筆頭とも…。

×××××××××××××××××××××××××××
          ライター通信
×××××××××××××××××××××××××××

 今回は発注有難う御座いました。
 …どうも懸念通りに多少の無茶(櫻ノ夢突発参加)が影響し(…汗)早い内に発注して下さった方の納期に掛かり気味で御座います…。作成日数目一杯上乗せの上に遅刻気味ですみません…やはり少々行動が浅墓でした…(平伏)
 それから特に初めましての方、当方、今回のように遅れずとも毎度のように初日発注の方の納期ぎりぎりの事がやたらと多く、期日に余裕を持っての納品は稀だったりします…そんな奴で宜しければ以後お見知り置きを…。
 ともあれ、大変お待たせ致しました。

 今回の文章としては本文一番初めの「草間興信所のある春の日」の部分だけ二つに分割、それから風宮駿様のみ「草間興信所のある春の日」の部分がありません。
 それ以外の文章は皆様全面共通になっています。

 なお、初めましてになります黒冥月様、唐島灰師様、玲焔麒様、風宮駿様、蒼王海浬様の五名様、口調・性格・行動の描写等でこれはやらない・違う等々引っ掛かりがありましたらお気軽にお声掛け下さい。出来る限り善処致します。…また、それ以外の今回含め二度以上御世話になっております皆々様も、何かありましたら。

 …まだ前編、と途中なのであまり何だかんだ言えませんが、取り敢えず募集時に注意書きを入れた理由は…わかって頂けたのではと思います。
 タイトルの意味は…絡んでくるのが皆、霊鬼兵になるからで。
 ラブコメ求められると後々問題が…の理由はお相手ことノインの素性が明らかに敵側でしかも何らかの作戦行動中?だったからで。
 …但しこのノイン、悪意は無い上にどうやら零の事、本気なようなのですが…。

 と、そんな感じなので御座います。
 では、事の顛末は――宜しければ、後編の方で。

 深海残月 拝