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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


霊鬼兵の恋/前編


■オープニング

 零ちゃんの様子が変だ。
 草間興信所で、そんな話が持ち上がる。
 …まぁ、変だ――とは言っても、深刻に何処かがおかしいと言う訳ではなく、お医者さまでも草津の湯でも…の方面で。

 いつも通りのお掃除お洗濯、それら家事をしている時であっても。
 何処と無くそわそわしている。
 何をしていても普段より三割増しで(?)楽しそうである。
 気のせいか、考え事をしている事が多い。
 何か、悪意の無い隠し事をしている節もある。
 ひとりで買い物に行く時、やけに嬉しそうである。
 そうでない外出の時も、何かに期待しているようなそんなうきうきした様子を見せる。
 ぱあっと花が咲いたような笑顔まで見せる事がある。
 作った笑顔ではなく、心からの笑顔のような。

 …素性を辿れば大日本帝国最終兵器・初期型霊鬼兵であるあの零ちゃんがである。
 それは草間武彦の妹になって長い。興信所に集う皆さんの影響もあり、ある程度普通の女の子っぽくなって来た。
 来たが。
 …今回の変わりようは、それにしてもちょっと劇的である。
 勿論、それは良い事だろうとは思う。

 思うが。
 …だからと言ってあんまり自然に恋する女の子な行動を取られると、お兄ちゃんとしては心密かに嬉しい反面、また別の意味で心配にもなる訳で。…零の惚れた相手はどんな奴なんだ、と。
 そう、ハードボイルド指向な草間武彦、敢えて何も言わないようだが――その内心、気が気では無い模様。
 何だかんだ言いつつ、結構確りお兄ちゃんしているようです。

 …えー、草間さんちに集う皆さんも、零ちゃんの春ともなれば…放っておけませんよね?



■草間興信所のある春の日〜お兄ちゃんたちの一喜一憂

 と。
 そんな話を聞いた途端。
「………………零ちゃんが『恋』だぁ!?」
 そりゃあ…めでてぇな、と、童顔美青年風な背格好に似合わぬ豪快かつ頓狂な声を上げつつ、零ちゃんの一大事とばかりに唐島灰師はまず速攻で興信所に駆け付けていた。来て早々に零の様子をそれとなく、だがじっくりと観察。そしてそんな話が出て来た事に即納得。…確かに、様子がおかしい。今の零、まるで恋する普通の女の子のようにきらきらと輝いている。
「…めでたい…か。まぁ…そうなんだろうが…」
 と、まるで世界の終わりが来たかの如き沈鬱な声で、ぽつりと武彦。めでたいと言う灰師の科白を否定しない割に、態度が口調が物凄く虚ろである。
 その科白に重々しげにうんうんと頷き、灰師はがばりと武彦の前に乗り出す。で、相手は誰だよとそのままこそりと耳打ち。そんな灰師の直球な問いに、わからんと苦虫噛み潰した顔で武彦。そうか未確認か…と取り敢えずそれ以上は何も訊かず、灰師はいつものように――と言うか端から見てそう見えるように――煙草をスパスパと吹かしている。どうも、平静を装ってはいるが――武彦同様こちらも平静ではなさそうである。…何故ならいつものように武彦で遊ぶ様子すら――その余裕すら、無いらしい。
 そんな灰師に零が紅茶を淹れて来た。どうぞ唐島さんっ、とにっこり自然に可憐な笑顔と共に、ソーサーに載せたカップを灰師の前に供している。そしてそれが終わると、足取りも軽やかにまた応接間から奥の部屋へとぱたぱた引っ込んで行く。
「…」
 勿論、別に悪い事な訳ではない。今の零の顔を見てしまえば、決して悪い事とは思えない。だがそれでも――あまりに有り得ない光景に、灰師もさすがに一時停止。
 …それっきり、間。
 灰師の持つ煙草から、ぽろりと灰が落ちている。
 それでも何も反応無し。
 はぁ、と武彦もまた重々しく溜息を吐いている。そして今度は――少し前に偶然来訪していた、モノトーンを纏う落ち着いた雰囲気の中国系美人こと黒冥月の方をちらりと見上げた。彼女は壁を背に佇みそこに居る事は居るのだが――まるで彼女自身も影であるかの如くずっと沈黙を守ったまま、気配すら微妙な状態でそこに居る。
 彼女のその手には先刻零から供された紅茶のカップを載せたソーサー。…冥月としては何も手伝えるような仕事が無いならすぐ帰ろうと思っていたのだが――来訪するなり何だか問答無用でこれを貰ってしまったからして、取り敢えず中身を干すまではこのままお邪魔していようと考えていたところ。
 そんな時に武彦から話が振られた。
「…お前はどう思う?」
「何が?」
「…零の事に決まってるだろう。気になるだろ?」
「いや全く」
「…」
 間。
 それも何だかとっても冷え切った空気が流れる、間。
 冷たく突き放されたそれだけでまた、ずーん、と武彦の周囲の空気が重くなっている。
 そんな姿を確認し、今度は冥月もまた小さく溜息。
「…少しは落ち着け情けない。零が誰と恋しようが自由だろう」
「………………そんな簡単に片付けられると思うのか…?」
「…おう。実に全くその通り。そうだな…こりゃ、あれだな。相手が零ちゃんに相応しいか、ちゃんと確認しねぇとよ」
 俺の認められない相手なら、灰にして消そう。そうしよう。
 と、何やら穏やかではない事をぶつぶつ呟きつつ、ひとりうんうんと頷いている灰師。そんな灰師の何やら不穏当な科白に、武彦もまた神妙な顔で頷いている。
「…ああ…そうだな」
「…」
 冥月、また溜息。
 武彦と灰師の常ならぬ協同歩調振りを目の当たりにし、何だか呆れた。確かこの二人、仲が悪いと言う事は無かったと思うが、だからと言って意気投合するような事もまず無かったような気がするのだが――どうやら零の事となるとまた別の話になるらしい。…親バカならぬ兄バカ二匹?
「…お前らが横から余計なちょっかいを出してどうする。肝心の零に嫌われるぞ?」
「っ…お前は一大事だとは思わんのか…っ…くそっ、冥月じゃ埒が開かん、レイベルっ」
 と、こちらもまたいつの間にそこに居たのか、零の淹れてくれた紅茶を優雅に啜っている二十代程度に見える金髪碧眼の女性――レイベル・ラブの姿があった。応接間のソファ、灰師の座るのとは逆の方に座っている。
 風体からは全然らしくは見えないが、彼女はとんでもなく広い意味での医者になる。そんな訳で武彦の心からの救助を求める緊急コールに呼び出された…と言うかむしろ『喚』び出されたようなところとも言える。そう、彼女は誰が何と言おうと経過を無視しようと『患者』の居るところに現れる。
 そんな訳で、零の様子がおかしいと心配している武彦に呼ばれた通り、レイベルは今ここに居る訳で。
 少し考え、ぽつりと呟く。
「…草津の湯では無理でも私ならその症例を治せる」
「本当か!?」
「って姉さんまじ!?」
 唐突に齎された希望に、がばりとレイベルの前に乗り出す武彦と灰師。
 が、レイベルはそんな姿もちらりと観察するように見ただけ。
「嘘は言わん。…だがそれを“治癒”と呼ぶ者はおらず私もそんな無粋はしないが」
 草間も唐島も見るからに動揺のし過ぎだ。同じ心を砕くならばもっと冷静になった上でやれ。ここで見る限り…零よりも貴方たちの方が余程治療の必要があるように感じてしまうぞ。
「…ちっ」
「…レイベル、お前もか」
「…まぁ、ある程度の懸念がある事を否定はしないが」
「…どうしてそんなに冷静でいられるんだ、お前らは」
「それはこちらが逆に訊きたいが。今の時点で――何故そこまで動転する必要があるのか、と」
「その通り。慌てたからと言ってどうなるものでもあるまい。初恋とはあんなものだ。…私も最初はそうだった」
 と。
 レイベルに同意しつつ、冥月が溜息混じりに呟くなり。
 静寂が落ちた。
 …初恋とはあんなもの。
 …私も最初はそうだった。
 この如何にも恋愛と縁遠そうな冥月から、そんな科白が出て来るとは俄かに思わない。
「…」
「…」
「何だその反応は」
 冥月、む、と眉を顰めてみる。
 と。
「お前の初恋か…だがお前で参考になるか?」
「どう言う意味だ」
「零とは話が違うだろ。まぁ一応訊いとくか。…相手はどんな女だったんだ?」
 また神妙な顔をし、ぼそりと武彦。
「…」
 また、間。
 一拍置いて、何かがぷちりと切れた音がした。
 途端。
「………………勿論、相手は男だ」
 静かな静かな訂正の声と共に、いつの間にそれ程近くに居たのか――冥月の手が当然の如く武彦の首をぎりぎりと絞めている。
 が、現在その場に居る第三者こと灰師、そんな冥月の行動を止める気なし。…と言うか零の事で頭が一杯で武彦自体にあまり意識が向いていない。冷静に事態の推移を見ているだろうレイベルもレイベルで、それら無視したままゆっくり紅茶を楽しんでいる。…彼女の場合、沈黙した理由は冥月の科白に反応した訳では無く、単に我関せずのままでいたかっただけのよう。
 と、突発で修羅場が起きたところで、奥の部屋から零が飛んで来る。そして冥月さん止めて下さいっ、と慌てて冥月の凶行を止めに入る。
 そこに至り、冥月、何事も無かったように手を離す。
 結果――草間武彦、失神寸前。
 …その一連の出来事を見ていても、レイベルは動じない。…好きにやれ、後の心配は要らない死なない限り…いや死んでも私が治してやる。冥月にあっさり太っ腹な事を言いつつ、相変わらず紅茶を啜り別世界。
 灰師も灰師で、ぶつぶつぶつと呟きながらもひとり考え込んでいる。その呟きの内容をよくよく聞けば零の行動半径やら笑顔を向けた事のある相手――延いては好意を持つ可能性のある相手を自分の知る限りの中で片っ端から確認、いや絶対許せねぇ、と誰かの顔を思い出すなり自分の中でダメ出ししては無意識の内にチェーンスモーク。…そんな訳で、武彦のちょっとした危機には完全無反応。
 合掌。

 と、それからまた暫く後の事。

 お兄ちゃんな武彦と同じような状態(…)になってしまっている灰師、素知らぬ顔で紅茶を啜っている冥月やレイベルに続き、いつもの通り何となく来訪していたり、零の様子がおかしい――延いては武彦の様子が面白い(…待て)と耳聡く聞き付けた、常連組と言える皆さんが草間興信所に続々と集まって来る。
 そんな訳で、次にそこに来訪していたのは――長い青の髪を緩やかに編み肩から胸に流している中華風の青年だった。辿るなら素性は天狐、だがその職業は地上にありてごく有り触れた薬剤師。…彼の名は玲焔麒。
 その焔麒は零の姿を見るなり、おやおや、なかなか微笑ましい光景ですね、とあっさり言ってのけ、やっぱりすぐに零が淹れて持って来てくれた紅茶をのほほん頂いている。心持ち、紅茶の味も良い。…今の零、事ある毎に何だかとっても素敵な笑顔を振り撒いている。…何をしていても幸せそうである。
 ただ一つ、時計の針を頻りに気にしている節があったか。
 それを誤魔化す為にくるくると良く動いているようでもあったが、そわそわと何処か落ち着かない、期待に満ちたその顔を見てしまうと――誤魔化している意味は無い。端から見ればはっきり時間が気になっているのだろうとすぐわかってしまう。…だが、今の零のような恋する女の子の場合は…すぐバレてしまうような行動を取ってしまっている辺りがまた微笑ましくもあり。
 お出かけの予定でも? と焔麒が試みに声を掛けてみる。と、かあっ、と顔を赤らめて、はいと消え入りそうな声。曰く、具体的な用としては本日の夕食用買い出し。それなら別に時間を決めて行っている訳ではない筈なのだが――どうも近頃の零は何故か時計を見てから買い出しに出ている、らしい。
 そして今日もまた同様。お出かけの予定でもと訊いて来た焔麒に詳細を語る事もせず、えと、買い出し行って来ます! と奥の部屋からお財布とお買い物用バッグを持って来るなりそのまま逃げるように出て行ってしまった。…さすが霊鬼兵と言うべきか、一度決めたら行動がやたらと速く引き止める間も無い。
 と。
 そんな風に零の姿が玄関ドアから鮮やかに消え去った後、その刹那までぶつぶつ呟きつつ固まっていた灰師が――ガタンと派手にソファを蹴立てて立ち上がり玄関へ。そして何も言わないまま乱暴にドアを開け、零の後を追い一目散に外へと駆け出した。
 また、間。
 頼りなく揺れる玄関ドアを見、一拍置いて、武彦ががくりと俯く。
「――…かーらーしーまー…」
 恨めしげな声で唸る武彦。…野郎、先走りやがった。
 そんな姿に――今度はクスクスと控え目な笑い声が聞こえて来る。
 …誰かと思えば――焔麒と殆ど同じタイミングで来訪していた緩く波打つ銀髪の麗人、セレスティ・カーニンガムだった。ソファに腰掛けたまま、失礼、と謝りつつも――動揺し過ぎですよ草間さん、とやっぱり笑いが堪え切れない様子でちょっぴり忠告を投げてもいる。今までずっと武彦の様子を見ていたのだが、零の一挙一動をずっと観察、事ある毎にいちいち固まっているお兄さんの行動は…言ってしまっては気の毒ながらもやっぱり面白い。そんな姿に同意するよう、焔麒の方も袖口を口許に当てこちらもクスリ。セレスティと視線を交わし、二人で笑い合っている。…何だか俄かに別世界。
 その直後、何事ですか、とやや呆れ混じりの声と共に、確り閉まっていなかった玄関ドアがゆっくりと開かれる。ドアの外、そこに居たのはこれまた草間興信所常連組の女性の一人。短い髪に細身で長身、中性的な顔立ちにパンツルック、と時折性別を間違えられたりもする彼女――綾和泉汐耶は、どうやら、飛び出して行った零と灰師の姿を興信所の前で次々と見送ってしまったところらしい。
 いったい何事かとは思いつつも、零の顔を見る限り――取り敢えずあまり深刻な話だとは思わなかった為、引き止めもせず黙って見送っている。それで、本の回収に来ましたと声を掛け、中へ。
 と、そんな汐耶の全くいつも通りの行動を、全然いつも通りでない気もそぞろげな武彦が迎えている。
「…ああ、綾和泉。…零が、な」
「…誰か好きな人でも出来たって事でしょうか?」
「っ…。やっぱり、わかるか」
「今の零ちゃんの顔見る限りそんな感じですもんね」
「…そうか。…いやそれもわかってるんだがな…だが…」
 他ならないあの零が、なんだ。
「はい」
「…それ以上の感想は無いのか」
「…いい傾向と思いますけど?」
「…そうか。…いや、ある意味同じ状況にあるお前に訊いたのが間違っていた」
 と、汐耶の何でもなさそうな反応を見、武彦がぽつりと漏らした途端。
 すかさず汐耶の冷ややかな視線がぐさりと刺さる。銀縁眼鏡の奥から射竦められたようになり、武彦はさりげなく目を逸らした。…失言。
 そんな二人をまぁまぁ、と宥めつつ、それより、と焔麒。
「…唐島さんは一足お先に追い掛けて行ってしまいましたが…私もそのお気持ちは察します。はて…彼女を夢中にさせる殿御とはどのような御仁なのでしょうね?」
 興味があります。
 と、そんな焔麒に同意するよう、セレスティもこくりと頷いている。
「そうですね。私も彼女を放ってはおけない気はしますよ。零嬢は性格的に純粋ですから…騙され易いとも言えますし、少し心配ではありますからね。
 …取り敢えず、零嬢の好みを考えると…大日本帝国時代の日本男児――に比されるような方とも思えますから――ただそれだと、恋のお相手としては精神的にも外見的にも年齢幅が随分ありそうな方になりそうな気がするのですが。…零嬢の一番側に居るのも、草間さんになりますしね」
「…年上の方。…そう考えてみますと、お相手はいつも側に居る草間さんくらいの方…いえ、大日本帝国の時代と考えるなら、草間さんの親御さんより少し上程度の方…が妥当なところになるんでしょうかね?」
 あっさり、焔麒。
 そんなセレスティと焔麒二人の遣り取りに、武彦はやっぱり固まっている。
 …当年取って三十の身、自身の年代はともあれ、もう一方の彼らの言いたい年頃の方については…何となく想像は付くような付かないような。セレスティや焔麒の言う通りならつまりは手前の親より更に干支一回り以上は優に年上、下手すると親どころか祖父母の代、大戦中に十代半ば〜二十代前半程度の年齢になるだろう方がストライクゾーンと言う事になる訳で…?
 と、そんな何とも言い難い武彦の反応を見て、セレスティは苦笑。
「まぁ、直球でそのまま七、八十代の年頃の男性を選ぶ――と言う可能性は低いとしましても。零嬢は優しさより誠実さを取るような…古風なイメージがあるのです」
 と、それもそうかも知れないな、とレイベルが口を開く。
 ただ、彼女の場合は少し異論もある。
「零の恋なら何でも問題ありだと思う草間や唐島ではないが…今回の件については私も少し待ったを掛けたい」
「…本当か、レイベル?」
「何を疑う。嘘は言わないとさっきも言わなかったか。…例えば今焔麒やセレスティの言ったような――相手が普通の人間であるなら零の為にも深入りする前に止めてやりたいとは思わんか。一般的表層的なふれあいの中での歓迎と別離なら暖かい目で見守ろうものの、不老である霊鬼兵がそれ以上の関わりを他者と持つなどとは私はお勧めできぬ」
 零が辛い。
 その発言に、焔麒が苦笑する。
「仰る事はわからないでもないですが。もしお相手が普通の人だったとして――それでも本当に本気で好いてらっしゃるのでしたら、見守ってあげたいとは思いませんか?」
「ああ。勿論それもわかる。…だから元々――話を聞いた時点で私も楽観はしていた。人間との差異は零本人も自覚している筈だから。彼女ならばそこを見誤る事もないだろう。そしてこれまで彼女の培って来た心的特性からして、他者を不幸にする選択をしはしないだろうと言う予見と、その特性を利用すれば――何か深刻な問題が起きようとも、思い留まるよう説得するのは容易であろう事実がある」
 だから楽観はしていた…のだが。
「…以上から逆算すると、その相手は人ならざる者である可能性が高い」
「…それは私も思いました」
 零ちゃんが、となると所謂一般的な傾向だったり相手だったりする可能性は低いんじゃないかと。汐耶はそう続け、レイベルに同意。
 ですね、と焔麒も同意した。
「彼女は霊鬼兵…精神構造がその辺の少女とは異なるでしょうから、思いを寄せる相手の方も…普通の人…と言う訳ではなさそうな気がします」
「…だな。相手が人間とも限るまい」
 静かに頷きつつ、冥月もまた同意。…言葉悪いが零は人形に霊を容れた存在。人間らしくはなってきたが人が猿に恋しないように価値観が異なるやもしれぬ。…実際、零を好きな男にも無反応だしな。そう続けると――また武彦が固まっている。「零を好きな男」。文脈さて置きたったそれだけの科白にまで反応している模様。
 皆からの同意を受け、再びレイベルが頷いた。
「ああ。人ならざる者である可能性…そこまでなら私も構わぬとは思う。だが今の零の顔を見ているとどうも引っ掛かる。よもやとは思うが――この件は何者か…特殊心霊兵器の攻撃でさえあるやもしれない」
 隠密裏に動く必要を認める。
「そうですね。何か良からぬ事を考えている方が――草間さんが狙いで零嬢から接触を図っている…と言う事も考えられますし」
 それは何も無いに越した事は無いですが、考えの内には入れておいた方が良いかと、とセレスティ。
 そんな二人の様子を見、焔麒がぱちりと扇子を開く。ふむとばかりに開いたその扇子で自分の口許を隠し、ふと思案。
「…。御二人のそれは少々考え過ぎ…とも思えますが、草間興信所の事情を考えますと…確かに否定はし切れませんか。…まぁ馬に蹴られて死にたくはないので、反対はしたくありませんが…それも相手により、と言うところですねぇ」

 まぁ、何はともあれ――まずは相手を見極める事が肝要、と言う事で。



■取り敢えず様子見

 ――ひとまず。
 買い出しに出掛けたその先での事。
 それまでは買い物用バッグを片手に提げ、てくてくと足取り軽く歩いていたのだが――ふと振り返り小首を傾げ立ち止まっていた草間零の姿があった。暫くそのまま後ろを見ていたが、まぁいっかとばかりに、そのまま、にこり。そして再び元々歩いていた方向に向き直って歩き始めている。…彼女がいつでも背負って連れているオリジナリティ溢れる兎?のぬいぐるみさえも気のせいか三割増し可愛く見える。
 …可憐である。
 零が元通りに歩き出したそこで、物陰にてほーっと安堵の息を吐いている零のお兄ちゃんが一人。…とは言え草間武彦では無い。零ちゃんを猫っ可愛がりしている童顔美青年風の、但しその年齢は武彦のたった一つ下にしかならない唐島灰師である。買い出しに出掛けた零をストーカー宜しく独断で興信所から尾行、ここまで何とか付いて来た。
 …とは言え。多分尾行はとっくにバレている。灰師はバレているとは思っていないだろうが、それはちょっぴり甘かった。実情はただ単に、尾行されている事それ自体を零が気にしていないだけらしい。どうやら、何で少しだけ離れて歩いてくるんだろうと不思議に思っている程度の様子。それだけ。
 今の零にはそれよりずっと気にすべき事があるらしい。
 と。
 零さん、と声がした。灰師の居る位置からはやや遠い場所。場所柄小さくしか聞こえない声なのだが――零の名を即座に察知し何事かと灰師の目がスナイパーの如く鋭くなる。と、そこに見えたのは――零同様買い物用バッグらしきものを提げた、人の好さそうな好青年。…偶然ですね。お買い物ですか。はい。風宮さんもですか。夕食の材料を。奇遇ですね、私も夕御飯の材料買い出しに行くところなんです。何にしようかまだ考え中なんですけれど…何か良い案ありますか? 等々。和気藹々と語り合いながら、零は風宮と呼んだその好青年と並んで一緒に歩き始めてさえいた。…どうやら目的地は同じ方向であるらしい。

 唐島灰師、その光景に、停止。

 ――…まさか。
 まさかまさかまさか、零ちゃんの惚れた相手が、あんなニヤけた優男だってんのかぁっ!?





 一輪の花が咲いていたかと思った。
 びっくりした。
 …あの草間興信所の零さんが、あんな。
 居候先の家主に頼まれ、人の好さそうな好青年――偶然目撃した唐島灰師曰くニヤけた優男――こと風宮駿は、夕食用の買い出しに御近所の商店街に出たところ。よくよく考えてみれば草間さんちの女性陣も良く見かける商店街でもある事に、彼は今零を見て改めて思い出した。
 それまではあまり気にした事がなかった。
 けれど。
 今日は。
 …ふわりと笑う笑顔、楽しそうに話す声。
 輝いている。
 そんな笑顔を自分に見せてくれている。
 それらが何だかとっても自然で。
 …あの零さんが。
 それは普段の零さんも可愛い事に変わりはない。
 が、駿の知る零は、何と言うか…これ程表情がくるくると変わるような事はなく、もっとクールなタイプだったような。
 普段はそんな感じの零が、常ならぬ可憐な姿を駿に見せている。
 片手に提げている色気もそっけもない買い物用のバッグすら目に眩しい。

 …可愛い。
 ヤバい、惚れたかもしれない…。





 草間興信所。
 取り敢えず記憶を見せろ、と神妙な顔をしたレイベル・ラブがおもむろに所長の武彦に要請。と、意味がわからず怪訝そうな顔をする武彦の額に、レイベルはいきなり五指を根元までぶすりと刺し入れた。武彦本人含め、一同、呆気。それは曲りなりとも医者であるレイベルがいきなり人を害するとも思えないが――怪力やら何やら疑わしい要素はかなりある。…何処からどう見ても、形としては頭に貫き手をブッ刺してる訳で。当然のようにその行為が行われてしまった為に誰も反応しなかった――反応出来なかったが、いきなり殺す気かと疑われても仕方がない。
 武彦の様子があまりにあんまりな為に、なるべく普段以上にここに居て世話を焼いているようにしているシュライン・エマもレイベルのその行為にはさすがに焦りちょっとっ、と声を上げる。が、案ずるなとレイベルはそれをまた当然のように軽く制止。そして刺し込んだ五指で武彦の頭の中をほんの僅か探るような仕草を見せたかと思うと、程無くあっさりと引き抜く。ふむ、と納得したようにレイベルは頷いた。
 何事かと武彦が自分の額に触っている。…何も痕跡はない。
「…何をした」
「記憶を読み取っただけだ。貴方の記憶から零の行動について正確な記録を得てみた――延いてはここから相手の行動半径を特定する」
 そこから先は皆の出番だ。
「…取り敢えず零の外出の用事は主に買い物だな。…彼女の行動として明らかに日課になっているのはそのくらいか。他は興信所常連の連中に連れ回されたり、仕事の足しに調査員、と言った程度だ。所内での行動は――草間は零のプライバシーも一応守っているようだな。そうなると逐一見れる訳ではないが、ひとまず私用で電話等の通信手段を使った風は特に無い。手紙も無いな…ポストにあるのは殆ど請求書やら督促状にダイレクトメール、思い出したように怪文書…ばかりだ。個人的な手紙どころか業務依頼書の一つも無いな」
「…ほっとけ」
 何だか身も蓋も無いレイベルの科白に、その時点で武彦はがくり。
 が、そんな武彦の様子はさて置き、紅茶を傾けつつセレスティ・カーニンガムがレイベルに訊いている。
「零嬢の異変…彼女の様子が変わったのは正確にいつ頃からかわかりますか?」
「ん…日付日付。この部屋のカレンダーは何処だ。…草間の視点で見ると考えると…ああ、そこか。うむ。ちょうど一週間前になる。その日の夕食の買い出しから帰ってきたところ、か」
「…ではそれ以前に会った人――やはり買い出しの時に、と言う可能性が高そうですね。…もしくは…草間さんの記憶からそれらしい人が読めないとなると、草間さんが留守にしていた時間に誰か接触した、と考えるのが妥当でしょうか」
 零嬢は興信所で多くの依頼人や調査員に会う事も多いですから、その中の一人と言う事もあるでしょうか? 興信所に来る方なら草間さんもご存知だと思うのですが。
 外堀から探ってみる事を考えるとしても。零嬢は携帯電話などはお持ちではないと思いますし…。私用で電話を使った痕跡も無いとなりますと、興信所の電話も関係無いですしね。
 もっとも、興信所の電話を使っていたとしても黒電話では着信記録など無さそうですし。
「…シュライン嬢はお心当たりは?」
「心当たり…。零ちゃん…やっぱり買い出しの時が一番嬉しそうなのよね。言われてみれば一週間前くらいからお買い物にはなるべく一人で行きたがってるような気がするし。…同じ時間帯に同じ方面…同じ店に買い物に来てる人、とかなのかしら。あ、そうだ…私も一緒に買い物に行く時なんだけど――どうも途中にある公園に…いつも視線が行ってるような節があるの。気にしてるって言うか」
「でしたらまず、そこが怪しいですね」
 彼女の異変の原因は、その公園からまず探ってみては。来訪目的の紅茶を干した黒榊魅月姫は、皆の話を聞いてそう提案。…一週間前から今に至るまで、零にとってその公園で何か大切な物もしくは事があるのかもしれない。誰か彼女の惹かれる相手がただそこに居る、もしくは来ると言う極個人的な事だけであるならまだ良い。が、もし万が一その場所と時間の条件に当て嵌まる事柄で、何かおかしな出来事が起きていたのなら…それが関係している可能性も考えておいた方が良い。
「…皆さん、特に零さん絡みと言う訳で無くとも、そう言った事件の心当たりはどうでしょう?」
 と、言われ、一同考え込む。事件の心当たり。…この草間興信所周辺、細々した事件なら結構起きているが、これと言うような事は――無い。
「…特に何も起きていないと思うが」
 皆が皆心当たりを考え込んでいる中、逸早く口を開いていたのは蒼王海浬。
「ええ。これと言ったものは」
 玲焔麒もすぐに海浬に同意。続けて他の面子も見渡しつつ、小首を傾げてさて他の方々はどうでしょうと問うてみる。
 と、他の面子も特に何も無いわよね、だよな、ですね、と誰からとも無く頷き合っている。
 魅月姫もまた頷いた。
「皆さん同様私も同じです。…となると個人的な理由、やはりどなたかと公園で逢瀬を、と考えるべきでしょうか」
「…公園、か」
 ぼそりと呟き、武彦は俯いたまま動かない。指に挟まれた煙草から灰がぽろり。すかさずシュラインがその灰を灰皿でキャッチ。…見事な手際。
 武彦はいったい何処のどいつなんだ…と恨めしげに唸っている。
 まぁまぁ、と焔麒は宥めるように苦笑した。 
「…草間さんが直接聞けないのでしたらそれとなく私がお聞きしてみましょうか?」
 まぁ、伊達に長生きしておりませんし、色恋の手管など…。
 と。
 焔麒が思わせ振りに艶っぽい流し目を武彦に送ると。
 ばん、とデスクを思いっきり叩きつつ、武彦が椅子を蹴立てて立ち上がっていた。殺気混じりの視線が焔麒に刺さる。
「…貴様…零に妙な事を吹き込んだら…」
「…って冗談ですよ。そんなに目くじら立てないで下さいな」
 クスクスと悪戯っぽい笑み。…その笑い方だけで、武彦の周辺の空気がまたずーんと重くなる。焔麒にそんな事をされてはどうなる事やら。…冗談と言われても信用し切れない…。
 本の回収に来たまま結局相談に乗っている綾和泉汐耶は、そんな武彦の様子を見ながら、ぽつり。
「…草間さん兄と言うより父親みたいですね」
「それエルさんにも言われたわ…」
 と、シュライン、遠い目。武彦、無言。当人から反論が無い事にあららと苦笑する汐耶。花嫁の父かよとこちらも喉を鳴らして笑っている神納水晶。…誰が花嫁だ誰が…と地獄の底から響いてくるうめきの如き声が続く。…果たしてそこで零とあっさり答えてしまうべきか否か。それは今の武彦を遊び倒すか気遣うかによって分かれる一線なのだろうが。
 今は、取り敢えず落ち着け草間、と海浬がまた至極冷静に宥めている。他の面子もまだ止めは刺さない。
 水晶が改めて口を開く。
「でもサ、本当にそこまで思い詰めるくらいなら…焔麒のゆーよーに先に直接聞いてみろっての。そうすりゃぐるぐる考えるまでもねーじゃん」
 んで、言わないならそこでどうとでも。尾行でも何でもしてやろーじゃナイの。
 …元の仕事と本体の性質上、気配消すの得意よ、俺。





 また別の日。
 零を連れてのお買い物が実行されていた。お買い物とは言っても普段の買い出しとは別の話。普段の買い出しに皆して付いて行ったと言う訳ではない。ただ、服でも買いに行きましょうと汐耶から声がかかったからの事。…零ちゃんも女の子ですしお洒落もしたいかも。だから、そこを突いて何があったのかをさりげなく聞き出してみませんか、と言う次第。
 その誘いに、零は少し躊躇いながらも何だか乗り気だった。その理由は――やっぱりそのお洒落を『誰か』の為にしたいが故だったよう。実際に外出するより少し前、近頃嬉しい事でもあったのかとさりげなくシュラインに訊かれていた時も、はい、と輝く笑顔ですぐ肯定。…そう、肯定はするのだが――すぐに恥じらいの表情に代わり、隠れるように皆の前から逃げてしまう。…よってそれ以上の詳細は不明なのだが、その態度がもうはっきり疑う余地が無い。
 何だか核心に近いところを突くと、否定はしないが恥じらった上で逃げられてしまう。…それも霊鬼兵である彼女、本気で逃げられたらそうそう捕まる訳もない――捕まえられるだけの能力がある者が居ない訳でもないが、そんな皆さん総じてそんな無粋はしたくない。
 そんな訳で、少し搦め手で。
 今回、零を連れ出して来たのは二人。綾和泉汐耶、玲焔麒。零にとって兄とも姉とも思うような近しい上にも近しい方々ではなく、むしろ一歩引いたところに居る立場の方が気軽に色々話し易いかも、と考えての人選になっている。
 が。
 そんなつもりでの道々、いつの間にやら唐島灰師がぴったり零の側に付いていた。
 和気藹々と話している――が、この灰師では「それとなく聞いてみる」はかなり難しいと言え。
 いきなり作戦失敗。
 …それは、唐島に注意しろと事前の忠告を武彦から貰ってはいたが。
 まぁ、それで完全に作戦失敗と言う訳でもない。まだ機会はある。
 店に着き、服を選ぶ。零のセンスはと考えると微妙に疑問でもあるが、そこは汐耶と焔麒がアドバイス。灰師も横から結構的確な口を出し。皆で零に似合うような色や形を考える。小物類もまたそんな感じで色々選んでみる。…但し、日頃の習慣かはたまた彼女自身が造られた時代故の元々の習性か、どの品を手に取っても何はともあれ値札にまず目が行く。見た目も華やかなものの場合は気が引けている。構わないんですよとそれを宥めてもみたり、予算の範囲内だから心配の必要は無いのよとも諭してみたり。…そんな感じで時が過ぎて行く。
 取り敢えず灰師の様子を見るに、まだ零のお相手の特定は出来ていないよう。周囲の方々曰くこの灰師、ストーカー宜しく零の事を付け回している、と言う話だが、数日それを続けていながら特定出来ていないとなると、零は上手い事その追跡を躱していると言う事になるらしい。
 となると、最後の手段として直接行動を追い掛けてみる、と言う話になっても、生半可なやり方では意味がないだろうと容易く想像できる。
 想像しながらも、きっと素敵な方なのでしょうね、と焔麒がごくさりげなく持ち掛けた。零が普段の服とはちょっと違った形のエプロンドレスに袖を通し試着してみていたその時。と、すぐにはい、と明るい笑顔で零から答えが変える。が、答えてからはっと気付き、零は顔を赤らめた。
 そこで、まぁまぁ、と焔麒は零のその肩を軽く扇子で押さえて微笑み掛ける。逃げないで下さいな。その気持ちは別におかしい事では無いのですから。恥ずかしい、と言う事は、その気持ちが貴方にとって大事である、と言う事にも繋がりますし、と優しく言い聞かせ。そうなんでしょうか、と零は素直に考え込んでみる。
 そこで汐耶も自分の事を比し。…武彦に突っ込まれるのは少々勘弁だが、零の心を開く為に話を持ってくるのならばまぁ、吝かではない。
 それを聞いての零の様子を見てから、どんな相手なのかの核心部分も漸く訊ける。灰師もそこは聞き逃せないとばかりに真剣な顔で聞いている。
 …読書が好きな人で色々な事を知っていると言う事。まず他人を気遣ってくれる人で、優しい人だと言う事。誠実そうな人でもある事。あまり冗談も言わない真面目な人らしくもある事。その人の事を一生懸命表現しようとする零の話の端々からして、どうも不器用そうでもある事。年の頃を聞くと、少し悩んでから――良くわかりません、兄さんよりは年下だと…シュラインさんくらいかもしれません、もっとお若いかも。そんな感じで年頃についてはいまいち判然としないらしい。
 その人は零が夕食の買い出しの出て来る時間帯に公園にいる事が多いそうで、偶然、初めて会ったその時の時間に合わせて、零は興信所から出掛けるようにしていたらしい。居るのがその時間だけではなく、他の時間も居る事はあるから、近くを通りがかると確かめる為にいつでもそちらに視線が行っていた。
 零はそんな彼と、ほんのひととき、お話が出来るだけでとても嬉しいのだと言う事。

「…良い方のようですね」
「…はい」
「ならひとまずは構いませんでしょう。私たちの方から上手く草間さんにお伝えしておきますよ」
 悪い方ではないようだ、と。
 完全に懸念が消えたとは言えなくとも、少なくともそこに悪意は介在していない。
 これで草間さんの心配も、少しは和らぐでしょう。

 と、そんな訳で、上手く聞き出すと――結構、素直に話してくれている。
 どうやら零ちゃん、お相手の事も特に隠している…と言う気は無かったようです。

 …ただ、『その人』に関する話に触れる事それ自体を、他の誰かの前で『その人』の事を明かしてしまう事それ自体を恥じらっていた、と言うだけで。



■…どうやら

 数日後。
 再び草間興信所。
 心持ち身嗜みを整えてから、緊張してそのドアを開ける風宮駿の姿があった。中には見覚えのある人とない人の両方が居る。草間興信所には色んな人が集まる。駿の知らない人もまだ多く居る。それは例えば影の化身のような、落ち着いた雰囲気の中国系美人なおねえさん。金髪碧眼――と言うか左右で微妙に違うけれどそれぞれ蒼系の色と言えるオッドアイが印象的な、口ではすぐ説明出来ないようなとっても綺麗なおにいさん。
 けれど肝心の零が居ない。駿の目的はただ一つ。彼女に会いたいから今ここに来た。
 取り敢えず所長さんに――当の零のお兄さんに訊いてみる。
「…零さんはお留守ですか?」
「…零?」
「はい。…お会いしたいなぁと思って来たんですけど」
「…お前が零に会いに来るなんてあったか」
「あ、初めてですね確かに。ええとですね、言ってしまうのも少し恥ずかしいんですけれど、実は…」

 俺、零さんの事が好きになってしまったんです。

 と。

 駿が素直に打ち明けるなり。
 空気が冷えた。
「…何?」
 俄かに、間。
 直後。

「――…貴様か! 貴様だったのか!!」
 と、武彦は声を荒げデスクに乗り出し、いや足まで上げ乗り上がりふざけた事をのたまう駿の胸倉を確保、乱暴に引っ張り寄せ、その首を容赦なく、ぎゅー。

 また、間。

 …。

 …何だか一部微妙に既視感が。
 思いながらも待て待て待てと武彦の凶行を制止に入る中国系美人のおねえさんこと黒冥月。…自分が同じ事を武彦にする事はちょくちょくあると言う事はさて置きここはひとまず止める。いやむしろ自分がされるから人にもするのかと武彦のこの行為自体に多少の責任も感じたか。
 銀縁眼鏡の中性的な顔立ちなおねえさんこと綾和泉汐耶さんもちょっとちょっとと止めに入っている。…許せないにしても幾ら何でもそれはやり過ぎ。
 だから落ち着けと溜息混じりに制止するオッドアイのとっても綺麗なおにいさんこと蒼王海浬も、二人の女性同様、一応ながら制止に入っている。…いつの間にやら紅き聖獣ソールくんも武彦の腕にぐるりと絡み付き、駿の首を絞めているその腕を離そうと頑張る。
 それらの尽力により、一応駿の首から武彦の手は剥がされた。駿はげほげほと咳込みデスクに倒れ込んでいる。
「うう…酷い草間さ…」
「このくらい当然と思え」
「何でですかあっ」
「お前なんぞに零は渡さん」
 人に隠れてこそこそと…。よくも零を誑かしてくれたな…。
 …と、言われても。
「??」
 駿には武彦の言っている意味がいまいち良くわからない。

 で。
 よくよく話を聞いてみると。
 曰く、零が恋をしたらしい、とここのところの草間興信所ではちょっとした騒ぎになっていて。
 武彦初め居合わせた面子にその件を簡単に説明されると、そうだったんですか、零さんも僕の事を…と、駿は一人納得して黙り込んでしまっている。
 それを見て武彦、またぷちりと切れてデスクに足を乗せ掛ける。…が、本当に凶行に至る前にやめてとばかりに海浬の聖獣ソールくんに制止される。その愛らしい姿に武彦も一応冷静になる。
 はぁ、と冥月から大仰に溜息が吐かれた。
「本当に大袈裟に考え過ぎだ」
 鬱陶しい。
「いちいちそんな反応をするな。…もし彼氏だと某フライドチキン屋のトレードマークなおっさん人形や浮遊霊連れてきたらどうする」
 それよりはこいつ――風宮と言ったか?――の方が余程ましだろうが。
「…こいつだったらその方がずっとましだ…」
 呟き、がくりと項垂れる武彦。
 それもそれであまりにあんまりな言いようである。
 と。
「心配しなくとも。…そいつはまず違うと思うが?」
 たっぷりと駿を観察してから、あっさりと海浬が否定する。貧乏探偵の事務所と言うこんな場所には場違いなくらいと言える、その繊細に過ぎる美貌と余裕ある典雅な態度から発されるその発言は――何だかそれだけで途轍もなく頼りになる。
 一拍置いて、武彦は海浬をがばりと振り向いた。
「だよな。そうだよな。…絶対コイツじゃないよな」
 そして海浬の頼もしい発言に、うんうんと重く頷く武彦。
 と、あっさり否定されているのに、肝心の駿の方は――それら耳に入っていない。
 駿のそんな勘違いな姿を見、汐耶もまた、はぁ、と溜息。
「…風宮君相変わらずみたいね」
 どうもこの彼、その時その時の目的――この場合惚れ込んだ相手――以外目に入っていない。
 汐耶には一応覚えがある。
 ちなみに汐耶にも、零の相手がまずこの風宮駿ではないだろう、とは思える。そもそも外出時に公園で会っている、と言うのなら、元々興信所に出入りするような関係者じゃないのでは、とも思えてくる訳で。
 ただ。
 そうなるとちょっと気にもなる。
「ところで」
「ん?」
「零ちゃんの基準って…こないだこちらで冗談混じりに話題に上った『年齢』って言う意味だけじゃなくても…やっぱり結局草間さんのような気がしてるんですが」
 先日零ちゃんから聞いた話も…何となく草間さん髣髴とさせるようなところが無いとは言い切れませんし、似たような人だとすると、以前の事とか…何か引っ掛かるんですが、心当たりは無いですか?
 と。
 汐耶がそう言った途端、駿以外の面子から武彦にずざっと視線が集まる。
 が。
「………………。…俺、か…?」
 武彦の様子を見る限り、やっぱり心当たりは無いよう。





 買い出し中、零の側。
 あれ、零さん? と声が掛けられる。何者かと思えば――眼帯付けた威圧的な風体の巨漢が零の歩く歩道のすぐ横、バイクで乗り付けていた。外見に似合わないくらい丁寧な口調。CASLL・TO。
 話し掛けられるなり、零の方もこんにちは、と明るく声を掛けている。
 そしてそのまま、少し話し込んでいる。
 と。
 またその後方、店の看板の影では――灰師の銜えた煙草から灰がぽろりと落ちていた。
 CASLLの姿を見、まさかこの男が零の…と血の気が引いている。
 が。
 直後。
「いやあれは違うよん」
「…っとなんだぁっ!?」
 と、気配の無いところでいきなりすぐ背後から声を掛けられ反射的に大声を上げ掛けた灰師の口を、声を掛けた当人こと神納水晶は咄嗟に押さえている。灰師は何事かと思い反射的に暴れるが、すぐに口が押さえられた理由に気付いた。灰師は改めて零を見る。…騒いでは気付かれる…。思い、小声で水晶に話し掛ける。
「…いきなり何なんだよお前はっ」
「…にーさん唐島ってんだろ。草間に聞いてる」
 で、今あそこにバイクで通りがかったのはCASLL・TO。『お相手』の方じゃなくて草間と同じく心配してる方だからご安心。
「っ、近付く奴は誰でも同じだっ」
「…にーさんも重症だねぇ。ま、安心しろって。あの強面に零が靡くと思うか? むしろこの場合イイ用心棒だと思わね?」
 知らない奴ならまずあの強面に近付くのは怖ぇだろうし。
 あれはこの場合付き纏わせておいた方が面白い事になると思うけどなぁ。
「…」
「そーれーよーり。…気になるのは向こう」
 と、思わせ振りに水晶が顎で指した方は――公園。
「何だよ」
「ここんとこ、その公園のベンチでいつも本読んでる奴が居るんだけどサ。これがどーも何処となく草間に似てる気がすんだよねー」
 で、ちょうど零が買い物に出てる時間帯も、そいつここで本読んでるんだよね。
「なにっ!?」
「まだ実際そいつが零と話してるって確認はしてないんだけどサァ、怪しくね?」





 確かこっちの方面だった。そう聞いている。零が買い出しに行く商店街への道。歩道。零が歩いている。すぐにわかった。CASLL・TOは偶然を装い声を掛けながら、そろそろと道の横、立ち止まりこんにちは、と挨拶を返している零の側でバイクを止める。
 いい顔をしているとは思う。
 今のままで済むのなら、それに越した事は無い。

「お買い物ですか?」
「はい。夕食の買い出しに」
「では…宜しければ何かお手伝いでも」
 何でしたら…何処か送って欲しいところがありましたらバイクでお送りしますし、荷物持ちとかもしますよ。
「え、でも、そんな…悪いです」
 そんなお気遣いなさらないで下さい。
「いえいえ、遠慮なさらず。私で出来る事なら…」
 と。
 そこまで言ったところで、思い付く。
「…あの、ひょっとして私はお邪魔なのでしょうか」
「え?」
「いえ、あの…何でもありません」
 無言。
 …何だか偶然にしては不自然な行動になっている気がする。思いながらCASLLは話題を変える事を考える。
 が。
「そう言えば興信所では時間を気にしてらっしゃったようですが――どなたかとお待ち合わせでも?」
 …むしろ逆に直球になってしまった。
 言ってから後悔するが、もうどうしようもない。
「えっ、あ…あの、待ち合わせ…って程の事じゃないんですけれど」
 と、CASLLの問いに、零は顔を赤らめ俯いてしまう。
 否定せず。
 …となると、興信所で思った事は当たり――きっとこれから会うのだろう。
 CASLLが思う間にも零ははっと弾かれたように自分の腕時計を見、あっと大声。そして――えと、失礼しますっ、とまばゆい笑顔でCASLLにぺこり。そのまま足取りも軽くぱたぱたと駆けて行く。…興信所内で見た状況と全く同じ。

 …取り敢えず、その顔が曇るような事にならなければ良いのですけれど。
 CASLLは思いながら、それでも黙って手を振りつつ、零の背を見送っている。





 公園前。
 偶然そこを通りがかっていた風宮駿は、少し過ぎたところで慌ててバイクを止める。今、公園の中に零が居た。…草間さん――興信所の皆さんは零さんが恋をしていると言っていた。そしてその相手は恐らく自分(いや誰もそんな事言ってない)なのだとも。
 だったらその想いを受けとめてあげなければならない。お兄さんにも報告した。これ以上零さんを悩ませていてはいけない。早くこちらからきちんと零さんに告白しないと。逸る気持ちを抑えつつ、駿はバイクを降り、公園へと入っていこうとする。
 と。
 少し離れた位置、植え込みの向こう側にあるベンチに、一人の青年が座って文庫本を読んでいるのが見えた。年の頃は――外見の造りだけで見るなら零とあまり変わらない程度にも見える。となると少年と言うべきかとも思えるが、どうも当人の印象が『少年』ではなく『青年』と言いたくなるような節がある。本当は見た目より年嵩なのか。はたまた単に大人びているだけなのか。

 ――…とにかく、零はその彼の前に居た。
 零の姿を見るなり、本を閉じ、零に笑いかけているその青年。
 それを受けてぺこりと頭を下げる零。ベンチに座る青年の隣に、嬉しそうな様子で腰掛ける。
 零のその顔は。
 自分に向けられたものより、ずっと。
 きらめいていて。

 …そうか。

 零さんが好きな相手。それは俺じゃなかった、そう言う事なのか。
 目の前の二人を見、駿は即座にそう理解すると――その場で呆然と立ち竦む。

 と、そんな駿の肩に、後ろから、ぽむ、と優しく手が置かれた。
「…そんな事もありますよ。…失恋の痛手も我慢して乗り越えて行けば、きっといつかいい事があります」
 優しい声が掛けられる。
 慰めるようなタイミング。
 しみじみとその手と声の暖かさが心に沁みた。
 どなたか存じ上げませんが有難う御座います。ひとの思いやりの有難さを噛み締めつつ、駿はその思いやりを掛けてくれた相手の顔を見ようと何気無く振り返る。
 と。
 …そこに居たのはチェーンソー振り回してホラー系映画の殺人鬼な主役張ってるのがとっても似合いそうな超絶威圧系強面のお兄さん。

 …瞬間、停止。
 直後。
 ぎゃああああああ、と駿の悲鳴が響き渡る。

 強面のお兄さんことCASLL・TO、そんな反応はいつもの事ながらもやっぱりちょっとショック。





 草間興信所。
 お買い物先で何があったかの報告を汐耶と焔麒の両方から確りと受け、零ちゃんのお姉さんことシュラインは少し考え込む。そうなると、やはりここは黙って見守っていてあげた方が良いのでは。そう武彦さんに覚悟決めてもらわないと、とシュライン。そんなシュラインの言葉に、うーん、と唸ったままでまた固まってしまった零ちゃんのお兄さんこと武彦。確かに零当人がそんな様子であるのなら、問答無用で反対は出来ない。然程悪い相手とも思えない。
 そんな悩める武彦に、辛いかもしれんがいつかはそう言う時も来るものさ、と海浬が宥める。そういう事なのでしたら私も焔麒さんと綾和泉さんの判断同様、ひとまずお邪魔はしたくないと思いますけれど。と魅月姫。報告内の零の様子からして大方が『黙って見守る』側に傾き掛ける。が――それでもやはり念の為、相手を伝聞でなく直接確認はしておいた方が良くないだろうか、と言う話も消えはしなかった。
 だが。
 そこに至り、また重い空気を背負って武彦がずーんと沈んでいる。
 何事かと思えば、尾行等して追跡するにもあの零にバレないようにするのは難しいだろと言う話。確かにそれも買い物時、一時的に合流していた灰師が――零にずっと付き纏っている筈なのに何故か決定的なシーンの目撃ができないと言う事実でそれとなく確認済みではある。
 と。
 そういう事でしたら…と、言い掛け――結局それ以上は言わずに魅月姫は言葉を止めた。冥月をちらりと見、それから意味ありげに微笑む。
 その、直後。
 ふ、と冥月が静かに笑っている。
「…譲られてしまったようだ」
「?」
「草間、お前の懸念だが、私にとっては――いや、この場にいる中では私ばかりでも無いようだが――大した問題にもならない」
 私の能力を忘れたか。そう冥月は武彦に告げる。不遜な態度で片手を掲げ自らの腕の影を作ると、その影の黒を軽くデモンストレーション。水芸の如く踊らせて見せた。冥月曰く、彼女が持っているのは影を自在に操る能力。数多の影に完璧に潜伏、対象の監視や追跡等様々な行動を取る事も容易い――更にはその効果を他者にまで及ぼす事も可能と言う事で。
「望むなら請け負うぞ。どうする?」
 共に来たい奴が居たら連れても行こう。
 そんな太っ腹な提案に、まずはにこりと魅月姫が挙手。人様の扱う影の中に入ってみたいとも思っていました、とさらり。続いて、お邪魔でないようでしたら私もお願いしましょうか、と焔麒。良いですね、面白そうですとあっさり同意のセレスティ。
「…って興信所空にしていいんでしょうか」
 そんな皆行くと言いそうな流れの中、ふと汐耶。
 と、レイベルにあっさり頷かれた。
「構わないだろう。どうせ今の状態の草間ではどう足掻いても仕事になるまい」
 ここは潔く探偵稼業は休んどけ。…医者の助言は聞いておく事を勧める。
 その一声で、何だか特に意見表明してない面子も合わせ皆して行くような展開になっている。
 とは言ってもまぁ、特に断る理由も無いのだが。

 冥月の有難い提案に、武彦は感激。くうっ、と拳を震わせ、言葉も無いのかこくこくと頷いている。
 が。
 その感激を伝える為に、何とか搾り出した次の科白が少々まずかった。
「…持つべきは男の親友だ」
 と。
 何処かでぷちりと音がした気がした。
 直後。

 どごっ

 …冥月から武彦へのお返事は愛を込めての鉄拳一発。
 いい加減に男扱いは止めておけ。





 冥月の力で影から影を辿り、現在零の居る位置を捜す。買い出しに使う道程。その途中でCASLLや駿が居た。公園の入口。影を移動して中へ入る。…他の奴も誰か来て零の事を気にかけているだろうか? ある意味一番心配な灰師の行動は。武彦が頻りに気にしているのだが。
 公園の中、植え込みやベンチが置かれている。影は多い。移動は自在になる。対象までの位置は近い。
 ――…見付けた。

 だが。

 影の牽引役になる冥月は溜息を吐く。
 零にバレないように、と言うのは少し遅かったようだ。
 …草間。お前の懸念が当たったぞ。

 と、冥月が皆を招いた影の中。そこから確認した、ベンチに腰掛ける零の姿。それと、その隣に腰掛けている見覚えの無い年若い青年。
 そこまでは、まぁ、ある程度予想の範囲内。
 ただ。
 そんな二人の前に。
 父親宜しく難しい顔をした唐島灰師と、そんな灰師の姿を見、あーあとばかりに肩を竦めている神納水晶の姿まで一緒にあった。





「…貴方がたは?」
「…いや、えっと」
「零君の…お身内の方で」
「お、おう…」
「そうですか。…どうやら、ご心配を掛けてしまっていたようですね」
 そこまで言うと、青年は儚く笑う。と、零がきょとんとした顔で青年を見た。
「心配…ですか?」
「はい。お身内の方からすれば、僕は何処の馬の骨か、ってところでしょうから」
「って、それ、あの」
 その発言を意味するところに思い至ると、零はかあっと顔を赤らめ俯いてしまう。自分だけではなく、青年の側からもそう思われていた事実に余計に過敏に反応してしまう。青年はそんな零を微笑んで見詰めてから、灰師と水晶の視線を真っ向から受けとめた。
 …第一印象は優男ながら、案外骨がありそうである。
「…お前」
「ノインと申します。零君とは…この一週間くらいになりますか。ここで何度かお話をさせて頂いています」
 彼女とは…こうしてここでお話が出来る事だけでも、とても楽しかった。
 それでお身内の方がご不快と言うのなら、僕の事でしたらどうして下さっても構いません。
 ですが零君を責める事だけはしないで下さい。お願いします。
 零君は何も悪い事はしていませんから。悪いのならば全て僕です。
 真面目にそう言ってのける青年――ノインのその姿に、灰師も俄かに呆気に取られた。
 そして、気が付けば零の縋るような潤んだ目が灰師の顔を恐る恐る見上げている。言葉が無くとも見るからに怒らないで、と。許して、と言っている。…灰師としてはそんな零の期待を裏切る訳にはいかない。…困った。
 さて。
「んー…そうか。…ま、話をしてるってそれだけならな」
「いーの本当にそんな簡単に許しちゃって?」
「っ…お前は黙ってろっ」
 と。
 そこまで、話したところで。

「――…ノイン?」

 親しげに、それでいて不思議そうに呼び掛けられる、声。
 …容姿の美しさをも想像させるような、綺麗なソプラノ。
 その声に、灰師と水晶も思わず声の主を探す。
 影の中の皆も、声の主へと視線を向ける。
 零も、思わず振り返る。
 前後して、声を掛けて来たソプラノの女性の、息を呑む気配。

 …ノインと呼ばれた青年だけは、何かを諦めたように、ただ静かに瞼を閉じていた。



■判明

 皆が注目したそこ。立ち止まっている、一人の少女。…息を呑んだソプラノの少女は、彼女。
 緩くウェーブのかった、長い金髪のポニーテール。
 紅い瞳。
 白皙の肌。
 黒を基調とした、ややボンデージ風でもある軽装。
 そんな服からすらりと伸びる手足。

 ――…そして零と同じ、首をぐるりと一周取り巻く形の、継ぎ目。
 過去に鉤十字の理想に求められていた、純血アーリア人種を素体に、『造られた』少女。
 初めの名はギリシア字母の最終字を冠される。
 零の名が漢数字の『零』でもあるように。

 …零は、後に草間の名を授かった。
 そしてこの彼女は――後に『永久の女』の名を授かった。

 彼女の姿は――零にとっても、見覚えのある姿。
 それは、あまり深く関わった事がある訳では無くとも。
 存在は知っている。
 例え触れ合う事は無くとも、その素性はこれ以上無いくらい近く。


 姉さん、と言われた事がある。


 ――…そこに居たのは、エヴァ・ペルマネント。


「…な、んで」
「――」
 言葉が何も続かない。
 零も、エヴァも。
 と。
 彼女らの無言の代わりに、ノインが静かに言葉を紡いでいる。
「…このまま何も無く居られればとずっと思っていたけれど。残念ながら――ここまでだ」
「…ノイン、さん?」
「ちょっとノインどう言う事なのよ!? ユーの仕事は姉さんと接触する事じゃなかった筈よ!?」
 我に帰るなり、ノインに問い質すよう声を荒げるエヴァ。
 そんな『妹』の態度に――零は、はっとする。
 ノインの顔を、見上げた。
 と、諦めたように――零に目が、『紅の』瞳の色が見られたくないとでも言いたげに、ノインは瞼を閉じている。
「…まさか」
「そうだ」


 ノイン――即ち、ドイツ語で9を指す。
 数字。
 それを名とするならば。
 それ以上の名を持たないならば。


「…すまない。零君。
 虚無の境界製・量産型霊鬼兵No.9。それが僕の本当の名前だ」


【続】


×××××××××××××××××××××××××××
    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
×××××××××××××××××××××××××××

 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■0086/シュライン・エマ
 女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

 ■2778/黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)
 女/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒

 ■4697/唐島・灰師(からしま・はいじ)
 男/29歳/暇人

 ■1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)
 女/23歳/都立図書館司書

 ■4682/黒榊・魅月姫(くろさかき・みづき)
 女/999歳/吸血鬼(真祖)/深淵の魔女

 ■0606/レイベル・ラブ
 女/395歳/ストリートドクター

 ■6169/玲・焔麒(れい・えんき)
 男/999歳/薬剤師

 ■2980/風宮・駿(かざみや・しゅん)
 男/23歳/記憶喪失中 ソニックライダー(?)

 ■3620/神納・水晶(かのう・みなあき)
 男/24歳/フリーター

 ■1883/セレスティ・カーニンガム
 男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い

 ■3453/CASLL・TO(キャスル・テイオウ)
 男/36歳/悪役俳優

 ■4345/蒼王・海浬(そうおう・かいり)
 男/25歳/マネージャー 来訪者

 ※表記は発注の順番になってます

×××××××××××××××××××××××××××

 …以下、登場NPC(□→公式/■→手前)

 □草間・零(初期型霊鬼兵・零)/主人公(え)
 □草間・武彦/探偵と言うより今回は零の兄…(もしくは父…?)
 ■エル・レイ/魅月姫さんと旧知の女吸血鬼。御指名あったが故にちょこっとお邪魔に来ました。

 ■ノイン/どうやら零ちゃんの本命であるらしい青年。正体は旧型から新型への過渡期に製造された虚無の境界製・量産型霊鬼兵No.9。なお、9がドイツ語読みにはなっているが素体は日本人。
 □エヴァ・ペルマネント(最新型霊鬼兵・Ω)/零の妹…と言うか虚無の境界製霊鬼兵の筆頭とも…。

×××××××××××××××××××××××××××
          ライター通信
×××××××××××××××××××××××××××

 今回は発注有難う御座いました。
 …どうも懸念通りに多少の無茶(櫻ノ夢突発参加)が影響し(…汗)早い内に発注して下さった方の納期に掛かり気味で御座います…。作成日数目一杯上乗せの上に遅刻気味ですみません…やはり少々行動が浅墓でした…(平伏)
 それから特に初めましての方、当方、今回のように遅れずとも毎度のように初日発注の方の納期ぎりぎりの事がやたらと多く、期日に余裕を持っての納品は稀だったりします…そんな奴で宜しければ以後お見知り置きを…。
 ともあれ、大変お待たせ致しました。

 今回の文章としては本文一番初めの「草間興信所のある春の日」の部分だけ二つに分割、それから風宮駿様のみ「草間興信所のある春の日」の部分がありません。
 それ以外の文章は皆様全面共通になっています。

 なお、初めましてになります黒冥月様、唐島灰師様、玲焔麒様、風宮駿様、蒼王海浬様の五名様、口調・性格・行動の描写等でこれはやらない・違う等々引っ掛かりがありましたらお気軽にお声掛け下さい。出来る限り善処致します。…また、それ以外の今回含め二度以上御世話になっております皆々様も、何かありましたら。

 …まだ前編、と途中なのであまり何だかんだ言えませんが、取り敢えず募集時に注意書きを入れた理由は…わかって頂けたのではと思います。
 タイトルの意味は…絡んでくるのが皆、霊鬼兵になるからで。
 ラブコメ求められると後々問題が…の理由はお相手ことノインの素性が明らかに敵側でしかも何らかの作戦行動中?だったからで。
 …但しこのノイン、悪意は無い上にどうやら零の事、本気なようなのですが…。

 と、そんな感じなので御座います。
 では、事の顛末は――宜しければ、後編の方で。

 深海残月 拝