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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


時間旅行、しませんか? 〜鹿鳴館ミステリ編〜

ACT.0■PROLOGUE――タイム・トラベラーズ――

 それは、井の頭公園池ボート乗り場係員鯉太郎の、ちょっとしたひらめきから始まった。
 ご存知のとおり、というか、特に知りたくもないであろうが、異界化した井の頭公園池には、時空の歪みが発生している。いわばそれが、恋人たちがボート乗り場を利用しない一因(もちろん他に大きな理由があるが)でもある。
「でもさ、あえてそれを売りにするってのはどうだろう。東京には物好きが多いから、タイムスリップしてみたいやつだってたくさんいるよな。【時間旅行ツアー】として商品化できないかなぁ」
「それじゃ! グッジョブじゃぞ鯉太郎!」
「うわ、びっくりした」
「……のう、廻どの。おぬしも当然、ツアー添乗員として協力してくれるであろう?」  
 それまでは気配のなかった弁天が、ボート乗り場にいきなり、しかも、ちゃっかりと男性同伴者つきで現れた。『雷鳴神社』の男前の鴉天狗、廻である。
 廻は気の毒なことに、弁天所有の【異界素敵殿方ファイル】で二重丸要チェックされ、たった今強引に拉致されてきたところであった。
「ははあ。面白そうやな。どうせなら華やかな時代に行こか。鹿鳴館全盛期とかええな」
 ノリのいい鴉天狗は陽気に同意し、弁天は上機嫌である。
「うむうむ、神も妖も冬の時代。生き残りをかけて、事業拡張や多角経営を考えねばならぬ」
「でも弁天さま。手を広げすぎて結局どれも中途半端に終わった例は、世間に嫌と言うほど存在しますが……あうっ」
「ネガティブな忠告なぞ聞きとうない」
 蛇之助のごく常識的な意見が、あっさりと足払いによって退けられたとき。
「大変大変たいへーん!」
『井之頭本舗』方向から、ハナコが転がるように駆けてきた。
「鯉太郎ちゃん。みやこちゃん、どこ? 休憩時間にひとりでボートに乗りに行ってからかなり経つって、店長代理のジュンちゃんから聞いたけど」
「あ? うん、ボートは貸したぞ。どうせ店は暇だろうしゆっくり遊んできなって言って……中央付近は時空の裂け目に巻き込まれるから、出来るだけ端のほうにいろって……さっきまですぐ近くに……」
 言いながらも、鯉太郎の顔が青ざめていく。みやこの乗ったボートは、池のどこにも見あたらない。
「やっぱり! タイムスリップしちゃったんだよ。んもう、鯉太郎ちゃん、係員なんだから気をつけてよ」
「……だな。すまん」
「ハナコじゃなくてみやこちゃんに謝ってよ。助けに行くね?」
「そりゃあ、もちろん」
 鯉太郎は、素早く乗り場横の係員控室に走った。
『時空の歪み測定ルーム』でもあるところの室内は、まるで特撮映画に登場する防衛軍のモニター室さながらである。ハイテクなのか前時代的なのか判然としない摩訶不思議な機器が、所狭しと並んでいる。
 点滅するキーを叩き、いくつかのレバーを押して中央モニタを見上げ、鯉太郎は呟いた。
「みやこが飛んだのは、明治20年4月20日。伊藤博文が鹿鳴館――いや、この日は首相官邸か、ともかく派手な仮装舞踏会を開催した日だな」

ACT.1■時をかける調査員

「それ、かなりやばいんじゃない? 旧千円札のおじさんは、女ったらしで有名だよ」
 さっぱりとした歯切れの良い声に振り向けば、宝剣束が腕組みをしている。
 先日の蓬莱館事変に於いて、現地で迷惑かけっぱなしだった弁天は一瞬びくりとし、次いで愛想笑いを浮かべた。
「これはこれは、影の編集長ではないか。蓬莱館ではDやらGやらKやらが世話をかけたのう〜」
「いちばん手を焼かされたのは、『B』とかいう覆面ライターにだったっけ。で、『G』が立て替えたツケの精算は終わったの?」
「そ、そのような瑣末なことを追求している場合ではないぞえ。事件発生なのじゃ!」
 弁天が大げさにモニタを指差すと同時に、複数の挨拶が交差する。
「どうやら、人手が要りそうね。こんにちは」
「どもー。ここに来ると、必ず何か起こるんスね」
「ごめんくださいな。……あらあら、難しそうな機械がいっぱい」
 次々に係員控室に現れたのは、シュライン・エマ、藍原和馬、竜宮真砂という顔ぶれである。
「幻獣ライターさんたちは今、別件の取材で出かけてるんですってね。公爵さんのお見舞いをと思ったんだけど、お留守だったわ」
「あー、俺もちびすけに様子見てこいって言われてさァ。取材に行けるってことは、デュークのフォークダンス大会での名誉の負傷は治りかけてんだな」
「私、ドラゴンの怪我に効く新薬を特別調合してきたのよねぇ。是非とも実験台……いえ、お気軽に使っていただきたいから、後でお渡しくださいね」
 シュラインも和馬も真砂も、デュークを訪ねて、『への16番』ゲートを開けてもらうべく、動物園を訪れたのだった。そして管理人のハナコから事情を聞き、助太刀を頼まれる羽目になったということらしい。
 同様の流れは、散歩がてらに公園を訪れ、『井之頭本舗』でひと休みしようとしていた人々をも巻き込んでいた。
 大変大変たいへーん! というハナコの絶叫は、久方ぶりにお茶でも、と席に着いたばかりの有働祇紀を立ち上がらせ、注文を終えたばかりのセレスティ・カーニンガムに『特製抹茶寒天と栗入りあんみつ』をお預けにさせ、まさに店の扉を開けようとしていた羽柴遊那の手を止めさせて方向転換させた挙句にハイヒールでダッシュさせ、弁天の事業拡張・多角経営計画にいたく感銘して『頭が冴えるお菓子(成分の詳細はトップシークレット)』を差し入れに来た鹿沼デルフェスを青ざめさせたのである。
「一大事のようだな、弁天殿」
「おお、祇紀どの。おくつろぎのところを、申し訳ないのう」
「みやこ殿を早急に見つけねば。お役に立てるようであれば同行しよう」
 祇紀の、渋い色合いの着流しに、機器が放つ光が反射する。その隣で、セレスティも優美な笑みを見せた。
「捜索に行かれるのでしたら、私もお手伝いいたしましょう。ご無事だと良いのですけれども」 
「みやこちゃんがタイムスリップですって?」
 風のように係員控室に現れた遊那は、鯉太郎の手元を見つめる。
「――うん。俺が不注意だった」
「心配だろうけど、みんなで探せば、きっとすぐ見つかるわ」
 落ち込んだ肩を軽く叩き、遊那はすっと目を細めた。ぼんやりとだが、決して悲観すべき結果にはならない未来が見え、言葉に力がこもる。
「そうですとも。日本人形のように愛らしいみやこさまのこと、向こうで気に入られて、帰るに帰れない状態になっているということも考えられますけれど、わたくし、全力で連れ戻してみせますわ。ご安心なさって」
 デルフェスも、真剣な表情で言いつのる。
「せやな」
 はからずも8人の調査員が集合した室内を見回して、廻は微笑んだ。
「選りすぐりの、たいそうな面子や。大船に乗った気分で……と、弁天はん、その大船は鯉太郎はんが用意してくれるとして、服装は旅先に合わせたほうがええんとちゃう?」
「それそれ!」
 弁天が我が意を得たりと両手を打ち合わせる。
「明治20年に時間遡行せねばならぬからのう。成り行きによっては、仮装舞踏会にも潜入する必要がある。皆の者、さっそく衣装合わせじゃ!」
 ふーふーふん♪ ふふふふふふんー♪
 今ひとつ緊張感のない弁天の鼻歌は、とある古典的タイムトラベル映画のテーマ曲であった。

 ++ ++

「あの時代だったら海外からの子女も来日してるだろうし、このままの髪の色で大丈夫よね?」
 一同は、弁財天宮地下3階に急遽設置された『時間旅行専用フィッティングルーム:男女別』に移動した。
 人数分用意された姿見の前で、遊那は髪を纏め始める。
「ああ、それは私も、自分の目の色が気になってて」
 鹿鳴館風バッスルスタイルのデイ・ドレスに着替えたシュラインが、鏡に向かい、蒼い瞳を見やる。
 花浅葱色のスカートの上に白い布地を重ねたそのドレスも、花浅葱色に金をあしらった仮面や同色の髪飾りに扇といった小物も、黒いシャンティーレースを重ねて絹のリボンで編み上げられた、こだわりの革とサテンのルイヒールも、シュラインに身につけさせたがった弁天がいそいそと揃えたものであった。
「どうしても外国人に見えちゃうだろうから、言葉遣いとかは、ちょっとたどたどしい感じにしようと思うの」
「舌足らずな口調のシュラインじゃとっ?」
 自分はさっさと髪を下ろして、時代考証無視の中世ヴェネツィア貴婦人風に衣装替えした弁天が、目を輝かせて身を乗り出す。
「それは是非、何とか録音して怪奇探偵に聞かせてやりたいものじゃ」
「……遠慮するわ」
「ねえ弁天さま。私、街歩き用と舞踏会用の衣装、別にしていい?」
 遊那はすでに外出用ファッションとして、絹とベルベットで仕立てられた青いドレスを着ていた。同色の帽子を被り、レースの日傘を持っている。
 さらに舞踏会用の着替えとして、落ち着いた色合いのワインレッド地に、黒を差し色にしたドレスを選んでいる。二段切り替えのスカートに、フリルを控えめにあしらったものだ。添えた小物は絹の扇と、結い上げた髪を彩る薔薇の髪飾りであった。
 ほほう、と唸り、弁天は頷く。
「さすがにハイセンスじゃのう。要人の令嬢がお忍びの散策という風情じゃな。せっかくじゃから遊那には、舞踏会場外の情報収集も頼むとしよう。全員で街を歩くと目立ってかなわぬゆえ――おお、真砂、美しいの。ひろぶーも一瞬で悩殺じゃ」
 ――ひろぶーって誰のことスかね? 
 ――伊藤博文公のことを仰っているのであろう。
 ――うわぁ、頭痛え。
 ――弁天さまらしいネーミングセンスですねぇ。
 ――初代首相もかたなしやな。
 衝立で仕切られた男性側のフィッティングルームからは、和馬と祇紀と鯉太郎とセレスティと廻のひそひそ声が聞こえてくる。
「まぁ、なんとなくなチョイスではあるんだけど、悪くはないかもね……」
 真砂は鷹揚に、ふふっと笑った。
 赤地のサテンのドレスである。黒のレースを被せ、幾重にもドレープを寄せたデザインは、大人の色香が漂っていた。そろいの帽子には小さなヴェールがついていて、顔の半ばを隠しているさまが、何とも妖艶な雰囲気である。
「デルフェスはどうするのじゃ? おぬしも、どんなドレスとて着こなせるであろうが」
 まだ衣装を選ぶ様子のないデルフェスに、弁天は首を傾げた。
 デルフェスは静かに頭を下げ、
「あの、わたくしは――僭越ながら」
 脱いで畳まれている弁天の衣装を、そっと指し示す。
「いつも弁天さまがお召しになっていらっしゃる、オリエンタルなドレスを希望いたしますわ」
「……これで良いのか? 他にもっと華やかなものがいくらでも」
「いいえ、わたくしにとって、これ以上のドレスはございません」
「えー? デルフェスちゃんが弁天ちゃんのコスプレするの? 弁天ちゃんより本物っぽくなっちゃうね」
「どういう意味じゃ、ハナコ!」
 留守番のハナコは、張り切ってデルフェスの着替えを手伝い、髪を弁財天風に結い上げるのに協力するのだった。
「弁天さま。私、この服にした」
「なんと束っ! これはまた、新しい女神の誕生じゃな」
 束はインド舞踊の踊り手を思わせる衣装を身につけていた。ふくらんだスカートには細かな刺繍と煌びやかなビーズが散りばめられ、ほっそりした腕には幾重もの腕輪をつけ、ショートカットの髪を冠で飾っている。
「できれば楽器も持ち込みたいけど、だめかな?」
「楽器とは、どのような」
「それなんだけどね」
 耳元にとある計画を囁く束に、弁天はにやりとする。
「……ほう。面白い。ひろぶーも度肝を抜かれよう」

「祇紀さん。こんな感じでどうでしょう?」
 かたや衝立の向こうでは、やはり留守番の蛇之助が、ブラシとヘアスプレーを手に男性陣の衣装替えとヘアメイクを手伝っていた。
 祇紀の髪は黒い染料入りスプレー(洗えば落ちるタイプ)で着色されたうえ、綺麗にくしけずられて、金糸を編み込んだ紐で束ねられている。
「……ふむ。何やら、落ち着かぬ気もするが」
「そんなことないですよ。ちゃんと華族の男性に見えます。きっとご婦人方は、どこの公爵さまかと思いますよ」
 祇紀は、デュークの持ち物だという煌びやかな礼装を借りていた。異世界の公爵の服は、不思議にも「鹿鳴館時代」と同じテイストを持っており、黒髪になった祇紀が着ると、見事に渋い色男の完成と相成ったのである。
「白いお召しもののセレスティさんと好対照ですね。おふたり並べば、『白と黒の公爵』という感じがします」
 セレスティは、上質で重厚な白い地に、金の縫い取りをした礼装に着替えていた。美しい銀髪は白と金の紐でひとまとめにしている。やはり貴族風のいでたちではあるのだが、セレスティの優美な立ち姿は、華族の姫君が男装をしているといった風に見えなくもない。
「性別不明に見えるようにしました。そのほうが、何かと動きやすいので」
 意味深な笑みを漏らすセレスティの隣では、黒いタキシード姿の和馬が、椅子に腰掛けて足を組んでいる。
「蛇之助。俺のことは手伝わなくていいぞ、終わったから」
「和馬さん? もう着替えたんですか? それじゃいつもと」
「いつもと同じだとかいうなー! こういう服着てる方が安心するんだよ」
「何じゃとぉ〜? 変わりばえせぬ衣装などつまらぬではないか!」
 衝立越しに、弁天の声が飛んできた。同時に、黒い服の固まりも。
「せめてこれを着やれ。昭和初期の海軍中将の軍装じゃ」
「昔の銭湯で石鹸のやりとりするみたいに、まるっと軍服投げないでくださいよォー。ていうか、時代合ってないし」
「いかにはっちゃけOKな仮装舞踏会でも、まんま当時の軍装ではかえって問題じゃろう。ニューデザインなら、お茶目なコスプレで押し通せる」
「そおですかぁ〜?」
 軍服ひと揃いを抱えて、和馬は溜息をつく。
 衣装もそうだが、そもそも、タイムスリップ先からちゃんと帰れるのですかーと、素朴な疑問が胸をよぎったからだった。

ACT.2■いざ、首相官邸仮装舞踏会へ

 そして――
 衣装も整った一同は、鯉太郎が井の頭池に浮かべた巨大なボート――いや、『ガレー船』に乗り、時を超えた。
 もっと穏便な手段はないのかとか、明治時代に飛ぶのにどうしてガレー船なのかとか、さまざまなクエスチョンが胸を去来したはずだが、混沌とした時空の歪みに巻き込まれてしまえば、そんなことは蝉の抜け殻のゆくえのように、どうでもよくなってしまった。
 ましてや、明治20年4月20日の首相官邸裏庭に着陸したとあっては。
 時は丁度、舞踏会が開催されたばかりのようであった。海軍軍楽隊が奏でる、テンポの速いワルツが聞こえてくる。
「しかしまぁ、過去に飛ぶなんて複雑な気持ちだよなあ。俺はこの時代にも生きていたわけだから、見覚えのある建物のはずなんだが」
 降り立って歩き出し、和馬は官邸を見上げる。
「何だかなァ。自分でも信じられないな――さて、みやこちゃんを探すか。変な奴についていってないといいけど」
「私はこの付近を調べてくるわ。彼女の性質なら通りすがりの人もほっとかないだろうし、見つかりやすいと思うの」
 遊那は果敢にも袖口にデジカメを忍ばせている。散策と聞き込み調査のついでに、街並みも撮っておくつもりのようだ。
「髪の毛がピンクな子は珍しいから、人ごみでも目につくよな。みんなで手分けすれば早そうだ」
「じゃ、さっそく舞踏会に交ぜてもらおか」
「よっしゃあ。さっさと見つけるぞー」
 入口に向かう和馬に、廻と鯉太郎も続く。ちなみに廻と鯉太郎は、弁天に押し切られてヴェネツィア風衣装を着込んでいた。
「では、わたくしも……」
 移動しかけたデルフェスだったが、ふと立ち止まって弁天を振り返る。
「あら、ですが、会場に入るには招待状が必要なのでは?」
「それは大事なかろう。こちらにも時を超越したセレブと、お偉方に顔の利く剣の付喪神がついておる。セレスティ、ちとお歴々に話を通してくれぬかえ?」
「わかりました。あまり目立たないように、ご挨拶をしておきましょう」
 セレスティはステッキを持ち直し、優雅に一礼する。その仕草の美しさは、たとえ本人が「目立たないように」と思っても、注目を集めるだろうと思われた。
「祇紀どのには、かおるん(注:井上馨外相)あたりに根回しをお願いしたいのじゃが」
「心得た」
 短く応えをして、『黒の公爵』は『白の公爵』とともに歩き出す。
「姿を消したとき、みやこちゃんが休憩時間中だったということは、お店の制服のままってことよね。もしかして、厨房に駆り出されている可能性があるかも」
「仮装して舞踏会場にいるとしても、『壁の花』になってそうねぇ。みやこちゃん、まだ若いから、こういう雰囲気には圧倒されてるでしょうし」
 真砂とシュラインも、頷きあってから入口に向かう。
(私は、どうしよう)
 少し遅れて立ち止まり、束は考える。
(『あれ』を、ガレー船から運んておいたほうがいいかな……それとも)
 しかし、まずは様子を見ようと、一同の後を追うのだった。

 ++ ++

【午後九時より、永田町なる伊藤総理大臣の官邸にて、予定のごとく夜会の催しありたるが、兼ねて記したる通り仮装会の事なれば、来賓はいずれも異様の装飾にて来会され、まず邸門を入りて見渡せば、大なる電気燈高く輝き、玄関は緑葉を以って陣幕を粧いたるに、椿の花にて処々へ模様を置かれ、また白桃の花にて揚藤の紋を置かれ、ここに現われ出で来賓を待ち設けたるは、黄の筒袖に脛当して、鉄粉塗日の丸の陣笠を戴き、雑兵の扮粧、これはそれぞれの秘書官二人なり(後略)】
 ――毎日コミュニケーションズ出版部編 明治ニュース事典より引用

 400人以上もの紳士淑女が、凝った仮装で踊りに興じているさまは、壮観な光景だった。
 ヤマトタケルに大僧正、弁慶に牛若丸、虚無僧に白拍子、烏帽子直垂の公家、薩摩武士、赤鬼、静御前に源氏物語の夕顔にルーマニアの花売娘。忠臣蔵もいれば七福神までもが揃っている。
「あのォ、弁天さま」
「何じゃ和馬」
「本当にこれ、首相の主催なんスか? ……ものすごいコスプレ大会になってんですけど」
「うーむ。伊藤博文夫妻もヴェネツィア貴族に扮しておるな。しまった、わらわ&廻どのペアとかぶってしもうたわ」
「や、そういう問題じゃなくてですね……」
 気圧されて口ごもる和馬に、セレスティが助け船を出す。
「これだけ色彩が入り乱れていると、みやこさんの印象的なピンク色の髪も埋もれてしまいますね」
「そうねー。壁の花になってるお嬢さんたちか、若い女給さんたちの中にいないか探してるんだけど、見あたらないわ」
 真砂は人の海の中を巧みに泳ぎ、年若い少女たちを中心に調べていた。
 所在なげに立っているおとなしそうな令嬢や、小走りに飲み物を運んでくる女給に注意してみるのだが、いずれもみやこではなかった。
「みやこさんは『井之頭本舗』の店長さんでもありますから、デザートや料理にご興味をお持ちだと思います。シュラインさんも仰ってたように、厨房を調べてみたほうがいいかも知れません」
 言いながらも、セレスティはゆっくりと奧のほうへ歩き出す。
「お料理についてシェフに質問したいのだけど、ということにして、誰かに案内していただくのがいいのかしら」
 思案するシュラインにセレスティは微笑む。
「この雰囲気ですと、普通に訪ねてもかまわないのではないでしょうか。ひっそりと目立たないようにして」
「だーかーらー、セレスティが目立たぬなぞ、無理難題であろうに。回りがほうっておかぬわ」
 弁天は会場を見回した。遠巻きにではあるが、『白の公爵』セレスティと『黒の公爵』祇紀には、貴婦人や令嬢がたの熱い視線が集中している。
「性別不明に見えるようにしたのですが……」
「かえって逆効果のようでございますわ。セレスティさまには殿方からのまなざしも注がれていますもの」
 そういうデルフェスにも、入れ替わり立ち替わり、挨拶と自己紹介をする男性が後を絶たない。やんわりと断っていたが、とうとう、伊藤博文御大までが声を掛けてきた。
「これは、なんとお美しい弁財天。どこのご令嬢かな?」
「井の頭清花と申す」
 デルフェスをさっと後ろ手に庇い、弁天は博文をねめつける。
「そなたには聞いておらん。その蓮っ葉さは、どこぞの二流芸者だろう」
「なななにを言いやる」
 弁天のことはさくっと無視し、博文は真砂に視線を移した。
「こちらの仏蘭西人形のような妖艶な姫君は、三島警視総監のお嬢さんによく似てらっしゃるが」
「まぁ、人違いですわ。お嬢さんよりはほんの少し、年上ですもの」
 真砂はそつなく、にこやかにかぶりをふる。
「……おのれ、ひろぶー。わらわを敵に回して只ですむと思うなよ」
「わっ、弁天さま。首相に喧嘩売っちゃだめだよ」
 慌てて束が止めに入ったが、魅力的な女性に目のない首相は、その束の手をそっと握った。
「この初々しいインドの舞姫は、もしや、槇村議官の令嬢ではないかね? それとも榎本逓信大臣の……?」
「どっちでもないけど」
「こらぁ! この娘御はとある騎士連中が大事にしておるのじゃ。馴れ馴れしく触るでないっ!」
 ますますエキサイトする弁天に、博文はちらっと目をやる。
「……まったく、不調法な。同じ芸者でも、貞奴のように才色兼備な女もいるというのに」
「あー、そういえば貞奴はおぬしの愛人じゃったのう〜」
「何っ!? どこでそんなことを」
「おぬしの女遍歴なぞ、後世の人間なら誰でもネット検索でチェック出来るわい」
 不穏な空気が流れ、あわや一触即発という、そのとき。
「総理大臣殿。あちらに、戸田伯爵夫人の極子殿がいらしているようだが」
 絶妙のタイミングで、祇紀が気をそらした。「鹿鳴館の華」として後世でも名高い伯爵夫人極子の登場に、博文はあっさりとそちらの方へ行ってしまった。
 祇紀は祇紀で、秋波を送ってくる令嬢に微笑を返して頬を染めさせたり、積極的に話しかけてくる貴婦人に適宜応対するなどして、すっかり女性たちの輪に囲まれてしまっている。
 それは、わざと目立つことにより、セレスティやシュラインが動きやすいようにするためでもあったが、同時に、みやこの目を惹いて向こうから名乗りださせる効果を狙ってもいた。
 ――だが。

 セレスティとシュラインは、すぐに厨房から帰ってきた。
 みやこは、どこにもいないのだ。
(仮装して壁の花になっているわけでなく、女給のなかにも混ざっていない、厨房にも見あたらないとすると……)
 祇紀はふと、別の可能性に思い至る。
 ――どこかの紳士に保護されて、侍女のような立場になっているのでは?

ACT.3■絵師「暁英」の謎

 一方。
 煌々と照り映える電灯の下、遊那はひとり、首相官邸に続く道筋に添って聞き込み調査を続けていた。
 話しかける対象を、『白人の紳士』に絞って。
 それには、明確な理由があった。
 出発前、鯉太郎の肩を叩いたときによぎった未来は、店の制服のままのみやこに、穏やかに話しかけているアングロサクソン系紳士のイメージだったのである。
 ――そして。
 遊那の調査は、思いも寄らぬ展開をもたらすこととなった。

「アナタは、首相官邸裏庭の、ガレー船からいらした方々のひとりデスね?」
 小一時間ほどの聞き込みのあと、はかばかしくない成果に小休止していたところ。
 いきなり、驚天動地の内容をともなって、声をかけてきた男性がいた。
 見れば、30代半ばの、快活な表情をした英国人風紳士である。
 冷静で聡明な遊那も、思わず目を丸くしてしまった。
「ガレー船……って、そんなことどうして知って……」
「官邸のパーティを覗いてみようと出向きましたトコロ、不思議な光が裏庭に落ちたのが見えたのデ」
 紳士は肩を竦めた。
「ソレより少し前にも、小さなボートに乗ったピンクの髪のお嬢サンが降ってきましてネ。足をくじいていたのデ、手当をしたところデシタ」
「あの、その子、今どこにいるのかしら? 私たち、彼女を捜しにきたのよ」
「近くの医療所で休んでいますヨ。怪我のほうは大したコトないので、すぐにお連れしまショウ」
 言うだけ言って、紳士はきびすを返す。遊那はその後を追った。
「待って。いったいあなたは誰? 何者なの?」
「修行中の日本画家デス。暁英とお呼びくだサイ」
「日本画家……? 暁英……さん?」
 紳士が名乗ったのは、およそ風貌とはかけ離れた、職業と名前だった。

 ++ ++

 舞踏会場は、夜が更けるにつれ、まるでサバトのような様相を呈しつつあった。
 酔いつぶれたあげく、踊りながら一枚ずつ服を脱ぎ始めた紳士やら、悲鳴を上げて逃げまどう令嬢やらで、およそ上流階級の紳士淑女にあるまじき羽目の外し方である。
 ダンスに参加しながらみやこを探そうとしていた一同もすっかり辟易し、外の空気を吸いに庭に出ることにした。
 ――と。
 月明かりに照らされた木陰の茂みに、何やら妖しげな気配がある。
「いけません、首相。本日の催しは、ご夫妻での主催ではありませぬか。奥様がお気づきになったら……」
「かまうものか。あれだけ場が乱れれば、誰がどこで何をしようと気にするものはおらん」
「ですが……わたくしにも主人が……」
 ……どうやら、首相と極子伯爵夫人の密会現場に居合わせてしまったようだ。
「おい、おっさん。ふざけんじゃねえぞ」
 いっこうに判明しないみやこの行方に、すっかり苛立っていた鯉太郎は、だだだっと木陰に乱入し、博文の襟首を掴み上げた。
「もしかして、てめぇがみやこをどっかに隠してんじゃないだろうな? 事と次第によっちゃ許さねぇぞ。ミヤコタナゴ虐待で訴えてやる!」
「まあまあ、鯉太郎はん」
 廻が、腕を押さえて押しとどめる。
「それはちょっと言い過ぎや。……せやけど」
 漏れ聞こえてくる、すでに舞踏会とさえ言えなくなった喧噪と、目の前の首相と伯爵夫人のあられもない姿に、廻は憮然とした。
「華やかに楽しむのはええが、品がなさすぎるのもどうかと思うで」
「まったくのう。とんだ乱痴気騒ぎじゃ。タイムトラベラーの浪漫を台無しにしおってからに」
 髪を掻き上げて、弁天は束を振り返る。
「束。そろそろおぬしの出番じゃ。持参の電子オルガンをスタンバイさせるが良い」
「そうこなくっちゃ!」
 束は小走りにガレー船方向に走る。一同も手を貸して、パーティ会場の演奏担当だった海軍軍楽隊は退けられ、代わりに電子オルガンがセッティングされた。
「もう、ひろぶーに仕切りを任せてはおけぬ。皆の者、いざ、パーティジャックじゃ!」

 ++ ++

「あっらー。派手なことになってるわね」
 暁英と、そしてみやこを伴って舞踏会場に合流した遊那は、薔薇色の目を見張った。
 会場に流れる音楽は、電子オルガン3級資格を有する、束の手によるものだったのだ。
 一同のリクエストに応え、ダンスミュージックは盆踊り、フォークダンス、ヒップホップ、パラパラ等、明治時代の紳士淑女が後ずさるようなバラエティぶりである。
 そして、淫蕩に流れがちだった今までの雰囲気は一掃され、非常に健全なダンスシーンが、あちこちで展開することとなった。

ACT.4■EPILOGUE――鹿鳴館幻想――

 ジョサイア・コンドル。鹿鳴館の設計者にして、画家河鍋暁斎の弟子。画号は「暁英」――

 みやこを保護してくれた紳士の正体を知ったのは、一同が首相官邸を後にして、鹿鳴館に移動してからのことである。
 目的のみやこが見つかった以上、この時代にいる必要はないのだが、弁天が頑として譲らなかったのだ。
「ここまで来て帰れるか! わらわは鹿鳴館でも素敵殿方とロマンチックにワルツを踊りたいのじゃ〜。のう、祇紀どの、廻どの、セレスティ、和馬、ジョシィ。がっつり相方を頼むぞえ」
「それは光栄の至り。後ほど、申し込ませていただくとしよう」
「順番が回ってきたらで、ええですわ」
「私は壁の花ですので、お気になさらず」
「構いませんけど、俺の足、踏まないでくださいよォ〜」
「ワタシまでメンバーに入れないでくだサイ」
 ジョシィ呼ばわりされた世界的建築家は、それでも何故か、この場にすんなりと馴染んでいる。
 彼らは今、鹿鳴館の二階奧にある、貴賓客用の食堂に陣取ってテーブルを囲んでいた。建物の使用許可は、セレスティと祇紀がその筋に手を回し、得たうえでのことであった。
「遊那もデルフェスも真砂もシュラインも束も、ばっちり踊って行くのじゃぞ? エスコートしてくれる殿方には事欠かぬゆえ」
「そうね。せっかく舞踏会用の衣装に着替えたことだし、暁英さんにエスコートしていただくのもいいかも」
「わたくし、先ほど、首相官邸でも弁天さまとフォークダンスを踊らせていただきましたから、こちらでは廻さまと踊れればと思いますわ」
「私は、そうですわねぇ、ダンスも良いですが……後でジョシィさんの絵を拝見したいような」
「ジョサイア・コンドルさんて、既視感のある顔だと思ってたら。用事で東大の工学部前を通ったとき、銅像を見たことがあったのよね」
「ワルツとか踊るのって苦手なんだ。演奏担当でいいよ、音楽だけならクラシック系もいけるから」

 ++ ++

『美しく青きドナウ』を、束が巧みに奏でている。
 その音色に合わせ、祇紀は芝居っ気たっぷりに、弁天に向かって手を差し出した。
「お嬢さん。私と一曲、踊っては貰えぬだろうか?」
「……喜んで」
 しおらしく腰をかがめてその手を取っておきながら、弁天はすぐに演技そっちのけで、一同に駄目だしをするのだった。
「これ、みやこはまだ足が痛かろうから、鯉太郎と茶でも飲んでおれ。帰るときは衝撃に耐えられるよう、大事を取ってデルフェスに石化してもらうが良いぞ。……逃げるな、和馬。次に踊るのはおぬしじゃ。セレスティ、遊那、真砂、シュライン。いつまでジョシィと話し込んでおる、そろそろダンスを――」

 明治20年、4月20日。
 鹿鳴館の夜は更けていく。

 一同はまだまだ、現代には帰れそうもなかった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1253/羽柴・遊那(はしば・ゆいな)/女/35/フォトアーティスト】
【1533/藍原・和馬(あいはら・かずま)/男/920/フリーター(何でも屋)】
【1883/セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)/男/725/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2181/鹿沼・デルフェス(かぬま・でるふぇす)/女/463/アンティークショップ・レンの店員】
【2299/有働・祇紀(うどう・しき)/男/836/骨董屋店主・剣の付喪神】
【4878/宝剣・束(ほうけん・つかね)/女/20/大学生】
【5199/竜宮・真砂(たつみや・まさご)/女/750/魔女】

(タイムスリップ先ゲスト)
【伊藤・博文(いとう・ひろぶみ)/男/46/初代内閣総理大臣】
【ジョサイア・コンドル(じょさいあ・こんどる)/男/35/建築家・絵師】

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■         ライター通信          ■
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えー、このノベルはフィクションであり、実在の建物や人物にはあんまり関係ありません、みたいな、そんなのみんなわかってるよ的一文を入れるべきかどうか、ひとつきほど悩んでみました神無月です、こんにちは(長っ)。
初代首相の女性関係(ちょっとこの人はっちゃけ過ぎ)や、著名建築家が日本画をたしなんでいたり等は資料に基づいてますが、作中の口調や行動は不調法なWRの創作が混在しております。旅先ゲストの方々には、ご協力に感謝して頭を下げたいと思います。

この度は、時間旅行にご同行くださいましてまことにありがとうございます。
みやこの居場所推定については、さすが皆さま鋭くかつ面白く、厨房にいる説、女給か侍女になってる説、伊藤博文に面倒みられてる説、誰かにいろいろおごってもらってる説、仮装して壁の花になってる説等さまざまでした。バラエティに富みつつ、皆さまの方向性が一致してたのには驚きです。
そして、肝心の皆さまにも『壁の花』をご希望なさるかたがちらほらと(笑)。んもう、奥ゆかしいんだから。

□■シュライン・エマさま
シュラインさまの舌足らずな口調バージョンは想像しただけで萌え度MAXですのに、使用場面がなかったのが心残りでなりません。いつかリベンジの機会を(もしもし?)。

□■羽柴遊那さま
遊那さまが壁の花だと、壁が華やかで大変ですよ! 町歩き用ファッションでは孤軍奮闘の調査活動、舞踏会用ファッションは鹿鳴館の方で着ていただきました。さりげに大活躍です。

□■藍原和馬さま
弄りOKのお許しをいいことに、大喜びで軍服を着ていただ(以下略)。おもに弁天へのツッコミを担当していただきましたが、何だか書きやすいというか、ツボを押さえてらっしゃる気が。

□■セレスティ・カーニンガムさま
セレスティさまが壁の花だと、壁が輝いて大変ですよ! 「ひっそりと」とのことでございましたが、はっと気づいた時には逆効果を狙ってしまった描写と相成りました。お、お許しを。

□■鹿沼デルフェスさま
なんと、弁天のコスプレとは意表を突かれましてございます。リアル舞踏会でも「七福神コスプレ」の紳士淑女が存在した記録があるので、他にも弁財天はいたかと思いますが、デルフェスさまが一番でございましょう。

□■有働祇紀さま
これはまた、鼻血もののお姿でございますね。意味もなく、蛇之助に御髪のスタイリングなどさせてみました(笑)。弁天と踊ってくださって、ありがとうございます。

□■宝剣束さま
首相官邸パーティジャックの主役は束さまですね。おかげさまで、音響手配の苦労をせずにすみました。電子オルガンのお持込み&演奏、お疲れ様でした!

□■竜宮真砂さま
仏蘭西人形降臨! わたくしの独断と偏見によりますれば、初代内閣総理大臣は、真砂さまのようなミステリアスな女性が超タイプだったのではと思われます、はい。