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<東京怪談・PCゲームノベル>


日常の非日常

 わざわざ扉のすぐ外に顕現した訪問者は、礼儀正しくも呼び鈴を鳴らし、扉を開けてから入ってきた。
 一瞬の沈黙。そして何かが落ちる音。
 小雪の舞う室内で、最初に我を取り戻したのは所長の雪女だった。
「ようこそおいでくださいました」
 一応笑ってはいるものの、氷狭女の表情はどこか硬い。彼女が平常心を失っている証に、普段なら何かに触れる前に消しているはずの雪が、机や床の上にうっすらと白い膜を張っている。
 それでも彼女はまだ良い方で。
 手にしていた本が足の上に山を作っている者、とうに溢れている湯呑にいつまでも茶を注いでいる者。
 突然の水害に見舞われた黒電話が、抗議の声を上げた。
 眼前の騒動に訪問者は一瞬目を瞠ったが、すぐに屈託のない表情で笑う。
 桜も散り果てた新緑と毛虫の季節。
 一足遅れのその花が、時期外れの粉雪を纏ってそこにいる。
「どうかお気になさらず―――」
 突然現れたかなり高位の神様は、笑顔でそう言った。



 亜真知の笑顔と桜餅の効果か、最初の驚愕は嘘のように消え去っていた。
 ただし騒動は収まるどころか、拡大の一途を辿っている―――主に桜餅のために。
「それで本日は、どのようなご依頼でしょう?」
 争奪戦に没頭している所長の代わりに、濫が問うた。
 ちょうどお茶を運んできた緋音に軽く会釈をしてから、亜真知は濫の方へ向き直る。
「肝試し大会があるのですが……そのお手伝いを」
 その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
 何故か宙を舞っている桜餅に注がれていた所員達の視線が、亜真知に集中する。
「肝試し?」
 瞳を輝かせて復唱する伽灯と天禍。二人の背後で、落ちてくる桜餅をしっかり手中に収めている雪女の姿を、亜真知は見逃さなかった。
「お気に召したようで、嬉しいですわ」
 そんな亜真知の言葉も、にわかに色めきたった彼らには届かない。
「肝試しって、あれだろ? 変装して人間を驚かすやつ」
 嬉しそうに天禍が言う。確かにその通りではあるのだが。
「ええ。ですがそれは、人間が人間を驚かす場合で……」
 本職の妖怪に扮装は必要ない。当然すぎるその事実に、気づいていないのは本人達だけだった。
 苦笑する亜真知と濫を置き去りにして、話はどんどん加速していく。
「俺、河童な!」
 子狐の妖怪が声高に宣言する。
「では我は座敷童子でも」
 人魂の子供もどこか楽しそうだ。
「ならば私は皿でも数えてやろう」
 雪女が不吉な笑みを浮かべる。
 繰り広げられる不毛な会話にを横目に、濫は軽く嘆息してから口を開いた。
「お引き受けする前に、幾つかお尋ねしても?」
「どうぞ」
 鈴を転がすような声で、亜真知が答える。
「あなたのような方が、どうしてこんな所へおいでになられたのです? 他にいくらでも伝手があるでしょうに」
 口調こそ丁寧だが、濫の声は硬い。
「噂を耳にいたしました。それで、あなた方にお願いするのが良いと思ったのですわ」
 軽く小首を傾げて微笑う亜真知に、濫は探るような目を向ける。
「そうですか」
 それに、と亜真知は言葉を続けた。
「身分や地位や種族などて、それほど気になさることでもないでしょう。ここにも、随分といろいろな方がいらっしゃるようですし」
 亜真知の声に悪意は感じられないが、それは知っている者の台詞だった。
 もはや、小耳にはさんだ噂話ではすまされない。
「いくら我々でも、そこまで情報管理が甘いわけではありません。そんな噂が転がっているのは―――」
「IO2のデータバンクくらい、ですか?」
 何でもないことのように言って、亜真知は笑う。
「ご心配なく。それ以上は知りませんし、過去に土足で踏み込むような真似はいたしませんわ」
 確執と因縁と。決して和解するはずのない者たちが集っている事実。
 知っているのは、何かがあったということだけ。何があったかは、知らない。
「わかりました」
 濫の表情が和らぐ。
「お引き受けしましょう。まあ、断れる立場でもないですしね」
 そう言って、濫は見事に空になった桜餅の皿を見やった。
 合点のいった亜真知が、袖で口元を抑えて微笑う。
 すると、唐突に濫が口を開いた。
「ありがとうございます」
 何に対する礼なのか、濫は言わなかったし、亜真知も尋ねない。
 ただ、とてつもなく高位の神は一言だけを紡いだ。
「ですから、どうぞお気になさらずに」



 どういった変遷があったのか所員達の会話は、『糸に吊るしたこんにゃくを人の顔にぺたっとくっつける係』の争奪戦と化していた。
 肝試しの定番といえば定番なのだが。
 亜真知はにっこりと笑って舌戦の仲裁に入った。
「それでは参りましょうか?」
 部屋を出て行く五人を、緋音が手を振って見送る。
 そして事務所の扉が閉まる寸前、思い出したように亜真知が手を打った。
「そういえば、肝試しの会場は洋館と伺っておりましたわ」
 洋館に河童はいない。座敷童子も微妙であるし、和風の井戸などもってのほか。
 こんにゃくもあまり似つかわしくはないだろう。
 乾いた音を立てて固まった所員達に、亜真知が提案する。
「ですが、西洋の妖怪に変装するのも良いのではないかしら?」
 再び色めきたった所員達の口から、ドラキュラやらケルベロスやらの単語が飛び出し始めるのに、さほどの時間はかからなかった。
 肩をすくめている濫を見やって、亜真知は軽く微笑う。
 すると、突然足元から声をかけられた。
「なぁ、それじゃ亜真知は何すんだ?」
 初対面の時の驚きぶりとは裏腹に、天禍の口調はかなり砕けている。
 亜真知は意表を突かれたといった風で、金色の瞳を瞬いた。
「私……も変装するのですか?」
 当然という顔で天禍が頷く。
「俺はミイラ男にしたんだ」
 八尾の子狐は得意気に胸を張った。
 包帯を踏んで転ぶ小さな姿が眼裏に浮かんで、亜真知の顔に笑みが浮かぶ。
「所長はメドゥーサだってさ」
 雪女だから、石化は無理でも氷付けはお手の物だろう。
 凍らされてしまったら先に進めない気もするが。
「伽灯のヤツは幽霊やるって」
  日常的に浮遊発光しているので適任かもしれない。
「それで、亜真知は?」
 亜真知が困ったように首を傾けると、長い黒髪がさらさらと流れた。
「ローレライなんていかがです?」
 背後から濫の声がかかる。
 振り返ると人を食ったような笑みが視界に入った。
「ローレライ?……人魚ですか?」
「似合うと思いますよ?」
 他の所員達と違って、この男はおそらく確信犯だ。洋館に人魚がいても、誘うのは恐怖ではなく違和感もしくは笑いである。まな板の上の鯉ならぬ、床の上の人魚か。
 だから満面の笑みを浮かべて亜真知は。
「そういえば、あなたも何に扮するか決まっていないようでしたわね?」
「私はおとなしく受付でもしてますよ」
 笑顔の応酬が、周囲の空気を冷やす。
「せっかく人魚がいるんですもの。人魚を食べた不死の人間がいてもよさそうですわ」
 声音はあくまでも無邪気。
「あー、それはまた笑えない冗談ですね」
 にこにこと笑いながら、濫が言葉を返した。



 会場の洋館にたどり着いたのは、陽が中天を越えた頃。
 せわしなく動き回っている制服姿の人影が十人ばかり。
 おそらく今回の仕掛け人なのだろう。
 亜真知達が古びた門をくぐって庭に入ると、周囲に指示を飛ばしていたリーダー格の少年が振り返った。どんな企画にも首を突っ込んでは青春を謳歌しているタイプの人間だ。
「あれ、もしかして手伝いに来てくれたの?」
 ありがとう、人手がなくて困ってたんだ。なにせあんまりたくさん学園の子を呼ぶと、脅かされ役がいなくなるだろう?
 早口にまくし立て、手にした工具箱を亜真知に渡す。
 工具箱。
 亜真知達が顔を見合わせて首を傾げていると、笑顔の少年が洋館の二階を指差した。
「あそこの部屋の仕掛けがまだ完成してないんだ。夕暮れまでに間に合わせないといけないから、行ってくれる?」
「あの……肝試しの手伝いというのは……」
 亜真知が訝しげな顔をすると、少年が頷く。
「そう。準備の手伝い……」
 そこまで言って、少年が言葉を切った。ぱちぱちと目を瞬いている。
「って、もしかして君達……」
「本職の脅かし役ですね、要するに」
 濫が肩をすくめる。
「ホンモノの妖怪さん?」
 一部例外もいるのだが。
 肉体労働かよと、がっくりしている所員達とは裏腹に、少年の目が爛々と輝く。
「へぇ……これは願ってもない」
 舌なめずりしそうな勢いだ。企画に没頭している人間というものは実に恐ろしい。それはもう、生半可な妖怪なんかよりもはるかに。
「それじゃ、ついでに脅かすのも頼むよ」
 一体どちらがついでなのか。
 そして少年は満面の笑みを浮かべる。
「洋館に日本の妖怪なんて、シュールでいいじゃない?」
 扮装計画が水の泡である。
「まぁ、とりあえずは……」
 言って少年は洋館の二階を指し示した。
 春の陽は、まだまだ沈まない。 




END




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1593 / 榊船・亜真知 (さかきぶね・あまち) / 女性 / 999歳 / 超高位次元知的生命体・・・神さま!?】


NPC
【氷狭女】【天禍】【賢木・濫】【伽灯】【水槻・緋音】

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■         ライター通信          ■
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はじめまして、ライターの紀水葵と申します。
このたびは発注ありがとうございました。

神秘的な雰囲気なるような会話等を織り交ぜつつ、基本はギャグ路線です。
所員一同と顔合わせを、ということでしたので、肝試しよりもそちらに重点を置く形になっています。
楽しんでいただければ幸いです。

それでは、またどこかでお会いできますよう。