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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


植村警部補の事件簿「奇妙な行方不明者」

「武彦、いるか! 事件だぞ!!」
 ドアを乱暴にノックする音とともに、植村護国 (うえむら・もりくに)の不機嫌そうな声が飛び込んでくる。
 そのまま放っておくと、声だけでなく本人が飛び込んで来かねない。
 武彦が渋々ドアを開けると、ドアのすぐ目の前に、いつも通りにまじめくさった顔の植村が立っていた。

「で、今度は一体どうしたんだ」
 やむなく植村を中に招き入れ、武彦がそう尋ねる。
「集団失踪事件だ。失踪したのは全部で四人。
 性別も職業もバラバラだが、同一の怪奇系サイトの常連だったことがわかった。
 さらに、失踪したと思われる日に、この四人と、もう一人の人物が参加してオフ会が開かれている」
 やや興奮気味にまくし立てる植村だが、彼の話を聞く限りでは、さっぱり難事件のようには思えない。
「それで決まりじゃないか」
 武彦がそう正直な感想を述べると、植村は「やれやれ」と言うように大きくため息をついた。
「それならわざわざお前の所に来たりせんよ」
 それから、身を大きく前に乗り出すようにして、再び話を続ける。
「奇妙な点は三つ。
 まず第一に、オフ会に参加していたと見られる『第五の人物』なんだが、こいつの素性がどうにもわからん。
 問題のサイトには事件後も顔を出しているし、しっぽを掴むのはそう難しくなさそうに見えたんだが、アクセス元は偽装されているし、メールを出してもなしのつぶてだ。
 他の連中にはちゃんと返信しているようなんだが……こっちが投げた餌にだけは、なぜか食いついてこない」
 なるほど、十中八九その男が犯人であるとしても、その男がなかなか容易に尻尾を掴ませてくれないらしい。
 それだけなら、恐らくその男の尻尾を掴める人間を連れてくればいいだけなのだが――本当に奇妙なのは、むしろここからだった。
「そして第二に、失踪したはずの連中が、全員失踪後もサイトに顔を出している、ということだ。
 それだけじゃない、メールも送れるようだし、携帯電話にもつながる」
 それは――失踪していると言えるのだろうか?
「なら、本人たちに聞いてみればいいだけの話だろう」
 武彦がそう口にすると、植村は相変わらず深刻そうな表情でこう答えたのだった。
「そこが最後の問題でな。
 彼らは全員、自分は失踪なんかしていないと言い張っている。
 自宅にもちゃんと帰っているし、会社や学校にもちゃんと行っていると主張しているが、誰一人としてその形跡はない」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「メールやネット、電話などでは、ちゃんと連絡が取れているんですね?」
 武彦と植村の説明を聞いて、海原みなも(うなばら・みなも)は真っ先にそう確認した。
「ああ。こっちからメールを出してもちゃんと返事が来るし、それ以外にも普通に家族や友達にメールしたりしているようだ」
 ということは、電子的な手段での連絡は取れている、ということになる。
「だとしたら、データ上は……つまり、ネットワーク上には、明らかにその失踪した方々、もしくはその方々を名乗る何かが存在している、ということですね」
 みなもがそう言うと、二人は納得したように頷いた。
「なるほど、よく『ネットワークの向こうにもちゃんと自分と同じ人間がいる』というようなことを言うが、今回のようなケースではまずそれを疑ってみるべきなのかもしれないな」
 そもそも、怪奇事件というものは、皆どこかで「常識」の及ぶ範囲を逸脱している。
 だからこそ「怪奇」事件なのだが、そうとわかっていても、なかなか捜索する側が「常識」の枷を外すことは容易ではない。
 そしてこの手の事件は、「常識」に囚われたままの捜査方法では、絶対に解決できないのである。
「それで、失踪人届けは受理されたんですか?」
 みなもの次の質問に、植村は首を横に振る。
「本人と普通に連絡が付き、本人が失踪してないと言い張ってる以上、受理できるわけないだろう。
 だから、本来はウチの管轄じゃないんだが……あまりにも妙な事件だし、放っておくのも寝覚めが悪いからな」
 確かに、厳密に言えば、問題の相手と連絡が取れるのであれば、それは「失踪」とは言わない。
 どちらかと言えば「家出」に近い感じなのだが――それにしては、相手の主張があまりにも奇妙だ。
 自宅にいる相手に対して、「自宅に帰っている」などと言う嘘をついたところで、すぐにばれるのは目に見えている。
 ならば、なぜ彼らはそんな不自然な答え方をしたのだろう?

 みなもがいろいろと考えていると、不意に、奥の方にいた長身の男が口を開いた。
「俺にいいアイディアがありますよ」
 露樹故(つゆき・ゆえ)である。
「彼らは失踪してないと言ってるんでしょう?
 それなら、その証拠を見せてもらえばいい」
 なるほど、言っていることは筋が通っている。
「だが、どうやって?」
 武彦の問いに、故は薄笑いを浮かべてこう答えた。
「彼らにここに来てもらうんですよ。
 念のため、家族なり、同僚なり、友人なり、自分たち以外の誰かを連れて、ね」





 故のアイディアは、早速実行に移された。
 失踪しているとされた四人のうち、仙台にいるという一人は難色を示したが、それ以外の三人についてはどうにか承諾を取りつけることができた。

 ところが、約束の時間を過ぎても、興信所には誰一人現れなかった。

「来ませんね」
 みなもの言葉に、故が小さく笑う。
「まあ、こんなことだろうとは思っていましたが」

 けれども、予期せぬ事態が起こったのはその後だった。

 武彦や植村が確認のために電話をすると、彼らは皆一様に「興信所にはすでに行った」「あなたたちにも会ったし話もした、すでに誤解は解けたと認識している」というのである。
 念のためにこの場にいた人数や武彦の服装などについていくつか質問をしてみたが、だいたいの質問の答えは合っていた。
 さらに厄介なことに、彼らが「一緒に連れて来た」という友人や同僚も、皆一様に「確かに興信所に行った」と答えてくる。
 これには、さすがの武彦もすっかり面食らった様子だった。
「どうなってるんだ?」
 実際には、彼らはここには来ていない。
 みなもも、故も、武彦も、植村も、そして零も、その点では意見が一致している。
 だが、彼らは皆ここに来ているといい、ここに来ていなければ決して知り得ないはずのことを知っている。
 これは、一体どう解釈したらいいのだろう?

 一同が頭を抱えていると、故がまた何かを思いついたように顔を上げた。
「今確認をとった証人四人の中で、最も近くにいるのは?」
「この木戸って学生だな。確かここから一時間くらいの所に住んでるはずだ」
「朝一ででも直接会ってみましょう。ネットワークは完全に乗っ取られているかもしれない」

 確かに、今回確認に使ったのは「電話」だった。
 相手が失踪した人間を装っていることを考えれば、彼らが「来た」と証言していた人物を装うことも可能に違いない。
 まだ失踪していない証人に、直接会わなければ意味がないのだ。

 とはいえ、全員でその木戸という人物の所に出かけていっても意味はあるまい。
 そう考えて、みなもはこう提案してみた。
「あたしは、問題のサイトの常連さんや、『第五の人物』さんに、いろいろ聞いてみたいと思いますが」
「そうしたいならご自由に」
 故は「うまくいくはずがない」という顔をしていたが、特に反対意見は出なかった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 翌日の早朝。
 故と武彦は、電車で木戸の所へ向かっていた。
 彼の住んでいるところは駅からは近いのだが、なぜかトラックがひっきりなしに通る生活道路に面しているため、車で行くには厳しい場所なのである。

 あまりにも早い時間のためか、車内にも人影はほとんど見られない。
 その間の退屈しのぎも兼ねて、故は武彦にこう尋ねてみた。
「草間さんは、今回の事件どう思います?」
「最初はただの奇妙な事件かと思ったが、それにしても大がかりすぎる。
 かなり厄介な相手が絡んでいると見るべきだろうな」

 その通り。
 あの時、草間興信所から外部への接続が完全に乗っ取られたのだとすれば、相手はごく短時間でこちらが捜査を始めたことを見抜き、誰にも気づかれぬうちに、かなり大がかりな手を打った、ということになる。
 それだけのことができる犯人は、そう多くはいるまい。

「それは同感です。そしてもう一つおかしな点がある」
「ああ。犯人――人かどうかはわからないが、とにかくそいつがこの犯行を行う理由がわからない」

 これも正解である。
 四人の身柄だけが目的なら、ここまでしてわざわざ彼らが失踪していないように見せかける理由がないし、逆に「ここまでして達成したい目的で、こうしなければ達成できないもの」というのも、ちょっと考えつかない。

 と、なれば。

「我々が考えるようなメリットなどほとんど何もないことのために、強大な力を行使する。
 そんな連中がいるという噂を、何度か耳にしたことがありますが」
「奇遇だな。俺も今そのことを考えていたところだ」

 あえて名前は出さないが、二人が頭に思い浮かべた名前は一つ。
 その予感が当たっていれば――この事件は、とんでもなく厄介だ。

 そんな二人の思索を遮るかのように、車内放送の声が響く。

『次は、地下研究所、地下研究所、終点でございます』

「……地下?」
「……研究所?」

 もちろんそんな駅はないし、本来の終点はまだまだ先だ。
 驚いて二人が辺りを見回してみると、すでに車内には二人以外の乗客の姿はなく、窓の外には明らかにこの世のものではない光景が広がっていた。

 ということは――そういうことか。

 戸惑う武彦を尻目に、故は大声で笑った。
 何を考えているのかわからないし、何を仕掛けてくるかもわからない。
 だが――こんな面白い相手が、他にいるだろうか?





『地下研究所、地下研究所。終点でございます。
 お忘れ物のないようにお気をつけ下さい』
 人を食ったアナウンスとともにドアが開く。
 二人が降りると同時に、列車は忽然と消えてなくなった。

 目の前には、ただ真っ直ぐな廊下があるだけ。

「ご招待のようです。行きましょうか」
「……そうだな。ここで突っ立っていても仕方ない」

 さて、はたして次は何を見せてくれるのだろう?
 胸の奥で期待を膨らませながら、故は廊下の奥へと進んでいった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 廊下の突き当たりには、扉があった。

 二人が前に立つと、扉は音もなく開く。
 扉の向こうは、真っ白な広間だった。

 家具や調度品のようなものは、何一つなく。
 部屋の中央には、二十歳後半と思しき銀髪の男の姿があった。

「お招きありがとう」
 冗談めかして言う故に、男は表情一つ変えずにこう答える。
「私は誰も招待した覚えはありません。他の誰かの仕業でしょう」
 そこで、故は質問を変えて本題に入った。
「今回の失踪事件の黒幕はあなたですね?」
「黒幕というのが適切かどうかはわかりませんが、私が関与していることは認めましょう」
 回答を拒むでもなく。
 否定するでもなく。
 あっさりと、自分が事件に関係していることを認める。

 この男は――面白い。

「話を聞かせてもらいましょうか」
「話くらいならかまいませんが、今実験の邪魔をされるのは本意ではありません」

 実験。
 どうやら、今回の事件は、つまるところ彼の「実験」にすぎぬらしい。
 ここまで大がかりなことをして、一体何を実験したいというのか?
 故としてはその方に興味がわいたが、それより先に、武彦が話に割り込んできた。

「悪いが、邪魔をしないという約束はできない。こっちも仕事なんだ」
 相手の正体にうすうす感づいていながら、わざわざバカ正直にそんなことを言うとは。
 故はその武彦の無謀さに少し驚いたが、男は全く腹を立てた様子もなく、淡々とこう切り返しただけだった。
「邪魔をするなら、排除させてもらうだけです」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「どこから話したらいいですかね」
 男は少し首をひねり、やがてこう切り出した。
「とりあえずは、自己紹介させてもらいましょう。
 私は『アドヴァンスド』の一人、『ヘリックス』です」
 それに対して、故たち二人も自己紹介を返す。
「草間興信所所長、草間武彦だ」
「露樹故です、よろしく」
「こちらこそ」
 ヘリックスは穏和そうな笑みを浮かべると、静かに語り始めた。





 そもそもの始まりは、彼の所に「シミュレーター」と称する機械が持ち込まれたことであった。
 高度な魔法科学技術によって作られたとされるこの機械は、一辺が二メートルの立方体という一部屋に収まる大きさでありながら、非常に高い演算能力を持ち、一言で言えば地球をほぼ丸ごとシミュレートできるだけの性能があるらしい。
さらに、この「シミュレーター」には、地球上のありとあらゆるコンピュータネットワークから――それこそ、インターネットや電話網から、はては軍事衛星まで――情報を収集し、それらの情報を総合して、シミュレーションの起点となる「現在の地球」の情報を常に最新のものにアップデートできる機能までついているという。

 この機械を、彼は当初「実際に実験すると後々面倒なことになりかねないような実験」をシミュレートするのに使っていた。
 そういった意味では、この機械はきわめて役に立ったのだが、そうこうしているうちに、彼はあることに気づいてしまった。
「シミュレーター」の中の世界は、あくまでこの現実世界に内包される箱庭世界にすぎない、ということである。
 現実世界に限りなく近い、しかし決して現実世界に対してイニシアチブを取りえない世界。

 その状況を変えうるか、否か。
 それは、彼にとって研究するに足るテーマだった。

「そこで私は、ある一組の家族に目をつけたのです。
 小説家の里中日暮と、その娘の阿佐美の二人に」

 SF小説家の里中には、今年で十六になる一人娘の阿佐美以外には肉親がいなかった。
 さらに悪いことに、その阿佐美は不治の病に冒されており、残された数年の――いや、下手をすれば数ヶ月の命を、ただ病院のベッドの上で過ごすことが運命づけられていたのである。

 ヘリックスは里中に近づき、自らの力を示した上で、「シミュレーター」を見せた。
 この中にはもう一つの世界がある。現実と全く変わらない世界が。
 この「向こうの世界」に、阿佐美を「移住」させてはどうだろうか?
「向こうの世界」はこちらの世界と何も変わらないし、ネットワークを介して相互に交流することもできる。
 違っていることはただ一つ、「向こうの世界」はある程度なら改変可能であるということだけだ。
 例えば、不治の病に苦しむ少女に、健康な身体を与えてやることとか。

 里中はかなりの間悩んだが、阿佐美の病状が悪化してきたのを見て、ついにこの話に乗ることに決めたという。

「彼女の『移住』はスムーズに終わり、ほどなくこちらに残った彼女は死を迎えました。
 これによって、彼女は『シミュレーター』の中の世界にのみ存在する人間になったのです。
 そしてその瞬間、『こちらの世界』と『あちらの世界』の関係が変わりました」

 彼女は「シミュレーター」の中に作られた現実と寸分違わぬ世界に生き、携帯電話やインターネットで早速「友達」との交流を始めた。
「シミュレーター」はうまく彼女と世界を管理し、現実世界のネットワークに反映してもいい変更のみを反映し、それによって問題が生じるような場合は、内部のみで処理した上で、現実世界の動きを反映するデータアップデートの際に彼女の記憶の方に手を加える形をとっていた。
 一言で言えば、「シミュレーター」内で生身の彼女を知る人物との通信は遮断し、ネットワーク上でしか知らないはずの知り合いに対する通信はそのまま現実に反映したのである。

「もはや『あちらの世界』は『こちらの世界』に内包されるものではありません。
 二つの世界は、いわば透明の板の両面から絵を描いているような、そんな関係となったのです。
 もっとも、現時点ではまだ『こちらの世界』が主で、『あちらの世界』が従である、という関係性を崩すまでには至っていませんが」

 実験はヘリックスにとっても、里中にとっても、そしておそらく阿佐美にとっても満足のいく形で始まった。
 けれども、現実に合わせる形でたびたび阿佐美の記憶に変更が行われることに対して、里中は徐々に不満を募らせていった。
 そして、それはそのままこの二つの世界の主従関係に満足しないヘリックスの不満でもあった。

「残った問題は、ネットワークに接続されていない部分へのフィードバックをどのようにして行うか、ですが……さすがにこれはなかなか難しい。
 その問題の解決策に思い至るより早く、今回の事件が起きてしまった、というわけです」

「シミュレーター」が、阿佐美が数人の知り合いとオフ会の約束をするのを止めなかったのは、おそらくその通信自体が直接的に不都合を起こすものではなかったからだろう。
 とはいえ、それによって非常に厄介な状況が発生してしまったことはまぎれもない事実だった。

 もちろん、阿佐美が「急用で行けなくなった」ことにすれば、全ての問題は解決する。
 だが、里中はそうすることを望まず――そして、ヘリックスもまた、それを望まなかった。

「今は、四十六億対一……しかし、それが四十六億対十となり、四十六億対百となり、四十六億対一万となれば。
 四十六億対百万、四十五億対一億、四十億対六億になれば。
 二つの世界の歪みは大きくなるが、その主従関係は崩れるのではないか――そう思ったのですよ」

「では、あの四人は?」
 答えは、おおかた予想できる。
 それでも、故は念のためそう尋ねてみた。

 ところが、返ってきた答えは、予想よりさらにまずいものだった。
「『向こうの世界』に行っていただきました。そしてもう一人、あなたたちのお仲間のお嬢さんにも」

「みなものことか!?」
 慌てて詰め寄る武彦に、ヘリックスは落ち着き払った様子でこう続ける。
「彼女ならうまくやっていけますよ」
「そういう問題じゃないだろう!」
 激昂してヘリックスにつかみかかる武彦。
 彼の頭の中からは、もはや相手が誰か、などという事は消し飛んでしまっているのだろう。

 その武彦の身体が、突然その場に崩れ落ちた。
 恐らく、つかみかかってきた腕を通じて、電撃の魔法を使用したのだろう。
 殺さぬ程度の、しかし確実に意識を失わせられる程度の強さで。

「邪魔をするなら排除する。そう言ったはずです」
 小さく、しかしはっきりとそう口にして、ヘリックスは故の方に視線を向けた。
「あなたは……どうします?」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 氷のトランプが、間一髪のところで里中の手にした注射器を打ち砕く。

「間に合いましたか」
 故は一言そう呟くと、どこかで見ているであろう「声の主」を探した。





「邪魔をするならば排除する」。
 そう言われてハイそうですかと引き下がるのはシャクだが、ヘリックスと戦って勝てる自信はない。
 一体、どうしたらいいのか?
 故がそう考えていた時に、突然、その「声」は聞こえてきた。

 ――ここに、いるよ――。

 意識の中に直接語りかけてくる声。
 そして、脳裏に浮かぶ場所のイメージ。

 声の主の正体も、その意図するところも。
 それ以前に、そもそも誰が「ここにいる」のかも、何一つわからない。

 それでも、故はその誘いに乗ってみることに決めた。

 理由は簡単。面白そうだったからだ。





 空間転移した故が出てきたのは、みなもたちのいた部屋の片隅だった。
 寝台に拘束されたみなもに、話に出てきた里中と思しき男が何かを注射しようとしている。

「邪魔をするな」。
 あの男は確かにそう言った。
 だが、だからこそ、故はあえて「邪魔する」ことを選んだ。

 理由は簡単。面白そうだったからだ。





「なんだ、お前は? 何故私の邪魔をする!?」
 突然の乱入者に、半狂乱になる里中。
 その後ろに、先ほどのヘリックスの姿が突然現れた。
「なるほど。どうあっても我々の邪魔をしたいというわけですね」
 どうやら、彼も空間転移が使えるらしい。
 ことここに至った以上、彼と雌雄を決するのは避けられないだろう。
 そう考えて、故が残りのトランプを構えた、その時だった。





「ようやく役者が揃ったみたいだね」
 不意に画面が切り替わり、真っ白なスーツを着た少年が映し出される。
「それじゃ、そろそろ解決編と行こうか」
 少年はの言葉とともに、画面が再び切り替わる。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 今度映し出されたのは、まるで教育番組のキャラクターのようにディフォルメされた少年だった。
「さて、それじゃ始めるよ。準備はいいかな?」
 その言葉に同調するように、彼の頭上の空間に、地球と「シミュレーター」と思しき箱の図が現れる。
「今のところ、『こっちの世界』にいる人間は、『あっちの世界』に全面的に干渉することができる。でも、その逆は、きわめて限定された方法でしかできない」
 その二つの図の間に、右から左と、左から右の矢印が一本ずつ。
 しかし、右から左、つまり箱から地球へ向かう矢印は、逆方向のものに比べてやや細い。
「だから、相互の矛盾を解決するために、『あっちの世界』が譲歩することで、世界はどうにか成立していた、と。
 それなのに、今回の一連の騒動は、明らかにそのバランスを崩してしまった」
 二つの世界の図が、赤く染まっていく。
 そこで彼は一旦説明を切ると、少年は画面の前のみなもをじっと見つめて――気のせいかもしれないが、少なくともみなもにはそう思えた――突然、こんな事を言い出した。
「どうでもいいけど、お姉ちゃんそれ窮屈でしょ?」
 それと同時に、少年は画面の中から手を出して――比喩表現でも立体映像でもなく、画面から本当に手が伸びてきたのだ――慣れた手つきでみなもの拘束を解き始めた。
「あ、ありがとう……?」
 まだ何が起こっているのかはよくわからないが、とりあえず自由の身になれたことだけは確からしい。
 みなもが感謝の言葉を述べると、少年はみなもに軽く手を振ってから、一度咳払いをして説明に戻った。





「この歪みを解消する方法は四つ。
 最初の一つは『あっちの世界』そのものを消してしまうことだけど、これは下策中の下策」

 確かに、それは余りにも乱暴すぎる。
 それは、つまり向こうの世界にいる五人を――もう一人のみなもも数えるのならば六人になる――本当に「殺して」しまうことになる。
 みなもとしても、その案は反対だった。

「二つめは、逆に全ての人間を『あっちの世界』に送った上でリンクを切り、『こっちの世界』はいわゆるメタ世界として残すこと。
 この『シミュレーター』には、それが可能なだけのスペックがある。
 実現可能性としては低いけれども、比較的スマートな解決策と言えるかもしれない」

 最初の案よりスマートであることは疑いようがないが、みなもはこの案にも疑問を感じていた。
 この方法ならあの五人は死なずに済むが、すでに「海原みなも」は向こうにも存在している以上、今ここにいる「あたし」は、里中が言っていたように「抜け殻」ということになる。
 けれども、やっぱり「あたし」にとっての「あたし」は、その「抜け殻」のはずの「あたし」しかいない。
 例え「シミュレーター」がどんなに完全に「海原みなも」を写し取ったとしても、やっぱり「あたし」のいる世界は、「こっちの世界」しかありえないのだ。

「三つ目は、『あっちの世界』からも、『こっちの世界』へ全面的な干渉が行えるようにすること。そうすれば、二つの世界は完全にシンクロしたものとなり、あたかも一つの世界であるかのように振る舞うことが可能になる。
 一見理想的な解決策に見えるが、技術的に問題が多く、実現可能性はほぼゼロに近い」

 言っていることはわかるし、それができればそれに越したことはないのもわかる。
 だが、それが「『あっちの世界』の人を『こっちの世界』に連れ戻す」のと同じか、それよりさらに困難なことをしなければならないという意味であることを考えれば、所詮机上の空論でしかないことはすぐにわかった。





 ここまでの三つの解決策は、どれも問題がありすぎる。

 と、なれば。
 おそらく、本命は最後の四つ目。

「そして、四つ目の解決策は……」
 もったいぶるように、少年が一度言葉を切る。
 彼はもう一度一同を見回し、一度小さく頷いてから言葉を続けた。
「ただ、二つの世界のリンクを切り、二つの世界をそれぞれ完全に独立した世界にすること」

『こっちの世界』と『あっちの世界』。
 なまじお互いに交流があり、お互いに影響し合うからこそ、その二つの世界の間に歪みが生まれる。
 二つの世界が、どちらも同じ「現実」を共有しようとするからこそ、そこに矛盾が生まれる。

 それなら、その二つの世界に、それぞれ違った「現実」を持つことを許してやればいい。
 当たり前と言えば、当たり前の答えだった。

 この方法なら、少なくとも阿佐美たちの存在が完全に消えることはない。
 ヘリックスの「実験」は終了ということになるが……はたして、二人はこの解決策を受け入れるだろうか?

「これが答えだよ、ヘリックス。
 これ以上この実験を強行したところで、キミが得られるものは決して多くない。
 それどころか、二つの世界をぐちゃぐちゃにすることは、キミが今後行うであろう実験にも悪影響を及ぼすことになる」
 少年の言葉に、ヘリックスは一瞬不服そうな表情を浮かべたが、やがて諦めたように息をついた。
「そのようですね。The game is over、ですか」

 これで、残るは里中日暮のみ。
 全員の視線が彼に集まる中、里中は寂しげに笑ってみせた。
「どのみち私に選択権はないだろう。君たちのいいようにしてくれ」
 そう言いながら、ふらふらと「シミュレーター」の方に歩み寄る。
「その前に、一つだけお願いがある」

 彼が、何を願うか。
 みなもには――そして、恐らく他の全員にも、想像はついていた。

「私を、向こうの世界に行かせてくれないか」

 娘と共に、「向こうの世界」で生きる。
 これが、彼が出した答え。
 彼が選んだのは、「こちらの世界」ではなく、「向こうの世界」。

 誰からも返事がないのを無言の了解と見なして、里中が先ほどの兜のような機械を被り、寝台に横たわる。
 ヘリックスが「シミュレーター」の側面に触れて二、三語の呪文を呟くと、一瞬彼の身体を光が包み……次の瞬間、画面が再び「向こうの世界」の様子に切り替わった。





「向こうの世界」のみなもと阿佐美が、歩きながら楽しそうに話をしている。
 その向こう側から、穏やかな笑みを浮かべた里中の姿が見えてくる。

「あ、パパ!」
 手を振る阿佐美に、里中は軽く手を振り返した。

 これが、彼自身が選び取った「現実」。



 

「……これでいい」
 その様子を見て、「こちらの世界」の里中が満足げに呟く。
 彼の顔に浮かんだ表情は、「向こうの世界」の里中のそれと全く同じで。

 完全に、満ち足りたものだった。

「さあ、残った抜け殻を廃棄してくれ」

 何でもないことのようにそう口にする彼を見て、みなもはふとある疑問を感じた。

 みなもも、里中も、現時点では「こちら」と「あちら」の両方に存在する。

 とはいえ、「あたし」は、こちらの世界に留まったままで。
「あちら」にいるみなもは、「海原みなも」ではあっても、「あたし」ではない。

 では、里中は?
 ここにいる「彼」――つまり、元からいた「彼」は、画面の中の「里中日暮」には、ついになり得なかったのではないだろうか?
 里中は、そして「彼」は、自らの望む「現実」を選び取った。
「こちら」ではなく、「あちら」を選んだ。
 そしてその結果、「里中日暮」は、「あちらの世界」という「現実」をつかみ取った。
 しかし、「彼」自身は――どうなのだろう?

 その疑問を、はたして口にするべきか否か。
 みなもがその答えを出すより早く、ヘリックスが再び数語の呪文を唱える。
 その言葉が、「彼」の聞いた最後の音となった。

 一瞬にして死をもたらす魔法。
 恐らく、苦痛を感じるどころか、自分が死んだことにすら気づかぬまま、「彼」の「現実」は、唐突に幕を下ろしたのだろう。

 それで、「彼」は本当に満足だったのだろうか――?

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「これで、『シミュレーター』と外部ネットワークとの接続は解除されました」
 立方体から手を離し、ヘリックスは淡々とした口調で言った。
「みなもさんと一緒にいた警官はあのままカラオケボックスに放置してきましたから、恐らくとうに目を覚ましてあちこち駆け回っていることでしょう。
 草間探偵は、あとで興信所の方へ送り返しておきましょう」

 これで、一つの事件は終わる。
 いくつもの疑問を残したままで。

「それでは、あなたたちにもお引き取りいただきましょうか」
 右側の壁に、音もなく大きな穴が空く。
 その穴の向こうには、見慣れた外の景色が広がっていた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 その夜、故は一人で「ある場所」に向かっていた。
 ある人物に会うために。

 その人物は、故の予感通りそこにいた。
「ああ、やっぱり来たんだ」
 不敵な笑みを浮かべた、白いスーツの少年――「プリズム」である。





 開口一番、故は単刀直入にこう尋ねてみた。
「全て、あなたが仕組んだことですね?」
「さて、なんのことかな?」
 とぼけようとするプリズムに、故は自分の推理を――いや、確信を伝える。
「あなたは最初からこうなることを知っていた。
 ヘリックスが『シミュレーター』をこう言った目的で使いたがるであろうことも、その結果起きるであろうことも……さらに言うなら、俺たちをあそこに導いたのも」
 すると、プリズムは意外とあっさりとその事実を認めた。
「そう、そして最終的にこういう結果に終わるであろうことも、ね。
 全てはボクの筋書き通りに進んだ。話の詳細やキャスティングまでは知った事じゃないけどね」

 やはり、今回の事件の本当の黒幕はこの男だったか。

「なぜ、こんなことを?」
 故はそう訊いてみる。
 彼の答えはわかっている。

 なぜなら――。





「面白いからだよ」
 プリズムの口から、その言葉が発せられる。

 思った通りだ。

「俺と、あなたは」
「ボクと、キミは」

『似ている』

 プリズムの顔に、笑みが浮かぶ。
 そして、恐らく故の顔にも、全く同じ笑みが浮かんでいることだろう。

 面白いから動く。
 面白いからこそ動く。

 そういった意味で、二人は「同類」だった。





 夜が明けた。

 人里離れた山の中。
 この近くに誰もいないことはほぼ間違いないが、もし、万一誰かがいたとしたら。
 そして、この光景を見たら、一体どんな感想を抱いただろう。

 氷のトランプがプリズムの喉を切り裂く。
 けれども、その身体が大地に倒れ伏すよりも早くかき消え、「次」のプリズムが現れざまにサーベルで背後から故の心臓を貫いた。
 しかし、その故の姿も幻のように消え、「次」の故がプリズムに仕掛ける。

 こんなことを、彼らは延々と繰り返していた。

 戦ってみたかった。
 面白そうだから。

 それだけの理由で、彼らはこの不毛な争いを続けていた。
 決着など決してつかないであろうことは、お互いにとうにわかっている。
 それも全て承知の上で、彼らはただ楽しみのためだけに戦っていた。

 故の魔法がプリズムを氷漬けにし、その直後の一撃が氷ごと彼を粉砕する。
 その一瞬後には、「次」のプリズムが投げたハンマーが故の頭を砕く。

 すでに、厳密な意味では、これは戦いではなかった。
 それよりは、むしろ二匹の子犬がじゃれ合っているのに近い。
 その証拠に、二人の顔から笑みが絶えることはなかった。
 自分が仕掛けた時だけでなく、相手の一撃を受けて消える瞬間であっても。





 戦いは、いつ果てるともなく続いた。

 どちらかが飽きるか、もっと面白そうなことを思いつくまで。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 1252 / 海原・みなも / 女性 /  13 / 中学生
 0604 /  露樹・故  / 男性 / 819 / マジシャン

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■         ライター通信          ■
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 撓場秀武です。
 この度は私の依頼にご参加下さいまして誠にありがとうございました。

 今回は「一区切り」ということもありまして、だいぶムチャをさせていただきました。
 だいたい「書きたいこと」のうちで「書けること」、そして「書いていいこと」はだいたい書き切れたのではないか、と個人的には思っています。

 なお、今回のノベルは途中と最後の二カ所に個別パートがありますので、よろしければもう一方のノベルの方にも目を通してみて頂けると幸いです。

・個別通信(露樹故様)
 今回はご参加ありがとうございました。
 話の展開の都合上、故さんの側は主に「種明かし」がメインとなってしまいましたが、いかがでしたでしょうか?

 また、故さんの描写の方ですが、こんな感じでよろしかったでしょうか?
 性格といい、能力といい、どことなく「プリズム」と近いところがあるようですので、ひょっとしたらお互い引き合うものがあるのではないかということで、あのようなラストになりました。

 ともあれ、もし何かありましたら、ご遠慮なくお知らせいただけると幸いです。