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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


鳥栖探し


『 今回は僕の友人でもある和紙細工師を紹介しよう。 』

 ***

 花葉色の野花は柳茶の花籠で身を休めていた。
 踊り場の小さな明かり窓にふと黄色を見つけ槻島綾は立ち止まる。数段先の仲居が振り向いて「何か?」と控えめに問うてきた。
「あの、この籠なんですが……」
 綾はその窓に置かれていた花をしめした。愛らしい黄色の小花が、まるでその花のためだけに設えられたような小振りの籠から覗いている。器は和紙で作られていた。鈍い黄緑を優々と散る黄金が取り巻いている。風翔らう下、草原のいろを想わせた。
「これをお作りになった方はわかりますか?」
「花籠を……でございますか」
「ええ。とても、素敵な作品だと思いまして」
「尋ねてまいります」礼をいう綾に仲居は笑みを深め、花器をそっと見つめた。「おそらく同じ方のものだと思いますが、そのような和紙細工でしたら他の場所にも置いてございますよ」
 調べて場所をお教えしましょうか。その仲居の言葉に綾は微笑んで首を振った。この旅館に滞在している間に、自分で見つけてみよう。川のせせらぎの清涼の宿で、綾はその和紙細工に心惹かれた。
 今度の旅には少しだけ具体的な目的があった。部屋に落ち着いた綾は、旅館側が用意してくれた観光マップを地理だけを把握してすぐに閉じる。近くに有名な窯元があるのは知っていたし、編集者の薦めた場所でもあった。たまにはそういうところへ行ってみるのもいいかもしれない――そう思って出掛けてきたけれど、やはり僕には向いていないのだろう。綾は口許に笑みを刷いて、立ち上がった。部屋を出て、あの和紙に逢いにいくのだ。
 花器に小物入れ。窓辺や生花に添って置かれたそれらは、和紙特有の深いあたたかさをもって綾を待っていた。どれも小さなもので見逃してしまいそうになる。だからこそその姿を見つけると、嬉しい。心にふわりと優しい風が通う。
 ひと通り館内を巡ってから部屋に戻るとすぐに夕飯の時間だった。料理を運んできたのは先の仲居だ。和紙細工のことを訊いたら謝られた。旅館側が直接依頼して作ってもらったものではないらしい。そう聞いて、綾は驚いた。あれだけ空間に融けこんでいる小物たちだから、旅館を訪れたことがある職人の手によるものだと思っていたのだ。優れたるは職人か宿の主か。両方だろう。
 簡単な料理の説明のあと、仲居は丁寧な辞儀をして下がった。川魚を中心にした料理は色合いも量も華美に過ぎずちょうどよい。箸に手を伸ばす。指先が触れたところで、止まった。
「……ここにも」
 あの仲居の機転だろうか。
 綾の和らいだ眼差しの先には、和紙製の蘇芳の箸置きがあった。

 手掛かりは、鳥だった。
 綾の惚れこんだその和紙細工たちには、等しく手彫りの小さな鳥の朱印が捺されていた。
 探してみようか、と思う。旅先で出逢った和紙細工、名も知らぬ鳥。それを追ってみたかった。
 そしてもうひとつ、此度の目的を思い出す。綾は取材相手を探していた。月間連載の小さなコラムの依頼が来ているのだ。以前、染色職人を取り上げたものを同じ雑誌で書いたのだが、それが好評だったようでまた「職人」をテーマに一本、と頼まれた。
「和」を彩り織り成す「職人」を取材する。
 それならば、この和紙細工を手懸けた今は謎の職人を追う、そんな記事もいいのではないか。
 ――東京に戻った綾は、旅先のメモを纏めながら、和紙に関する資料を集め始めた。

 ***

 当てがまったくなかったわけではない。
 結局もう一度あの旅館に連絡をして、小物を持ちこんだ人物を特定してもらった。旅館に浴衣を卸している業者だった。その店先に飾られていた和紙細工を、宿の主が気に入っていくつか借り受けていたのだという。宿泊客からの評判も良く、宿の方も職人に連絡を取りたがっているようだった。
 その業者は、幸い東京に本社を置く呉服屋の系列で、大手ではあるが昔ながらの店舗をそのまま残している少々珍しい店だ。綾はそこを訪ねて、あの旅館と同じ優しさを伝える花籠にふたたび出逢った。
「それを作った職人さん? さてなあ……誰だったか」
 しかし制作者を尋ねると、店のひとびとは揃ってそう答えた。
 知っている、と綾は感じた。職人を知っているが彼らはその名を口にしない。そしてそこには悪意の欠片もなく、ただそういう約束を交わしているから教えはしないのだ――秘密めいた微笑ではぐらかされながら、正しくそう理解した綾は「頑張ります」、ただ一言清々しく返して店を辞した。
 手掛かりの鳥は、きっと近い。この東京にいるはずだ。
 店の周囲は、和小物を取り扱う店の多い通りだった。もしかしたら近くでまた逢えるのかもしれない。店先を覘きながら、綾は和の色彩のなかに決して見逃しはしないひかりを探す。手帳に挿んでおいた数枚の写真を取り出してみるが、やはり本物に、もっとたくさんの本物に触れてみたい、見てみたい。その思いがつよくなるばかりで、元通りに鞄のうちへ戻す。
 写真は旅館で見掛けた小物を写したものだ。

 金雲の懸かったような渋茶はおそらく桃の皮をつかった草木染め。黒に近い落ち着いた色合いは、森の深奥で月光を待ち侘ぶ幹のものがなしげないろでもある。
 油木から採られた皮をつかえば渋い赤紫の和紙である。深みはそれほど感じぬが、ぬるい沼のような馴染みやすさを伝えてくる。時を経た紙の引っ掛かりでさえ、やさしいざらつきだった。

 そんな和紙の感触を思い出して、綾の歩は止まる。
 ここだけは無機質の石畳の上を走り抜ける薄紅の数多。靴先で戯れるそれにほうと吐息を落として、緑の目立ち始めた桜並木を仰いだ。卯月も半ば。春の花はそろそろ舞い締む季節だ。
 日読みすれば同時に浮かぶのは現の課題だった。職人を追う記事にしようと思い立ったはいいが、成果がなければ担当の編集者にさえ話せない。物憂い表情を浮かべたが、ふと視線の先に惹かれる看板を見つける。
 とりあえず英気を養う心持ちで、その店へ入った。

 表の佇まいから予想した通りの、静かであたたかい甘味処だった。こぢんまりとしているが、机や椅子の配置、ところどころに置かれた植物が、少しも狭さを感じさせない。
 カウンターに当たる席に坐り、綾はメニューと睨めっこした末に抹茶セットを注文した。宇治の抹茶に白玉あんみつが付いてくる。
 待つ間、店内の様子を目で楽しんだ。客は綾の他には二組あるだけだ。平日の昼下がり、一番のんびりできるひと時、表からガラスを透いて降る陽光がもっとも柔和な時間。これからの予定を考えながら、綾はカウンターに視線を戻した。その目が不意に、何かを追う。カウンターの隅。こちらを見返す二羽。
「あ……」
 瞠目する綾の後ろで、カラリと戸が開いた。
 いらっしゃいませ、という若い店員の応対のあとに、和服姿の老婦が奥から顔を出す。
「ああ、アトリちゃん。新作持ってきてくれたの」
 とり、という名に自分でも気づかぬうちに反応したのか、綾は声のする方を振り返った。
「こんにちは。――新作なんて……そんな大したものじゃないんです。こうして大事に置いていただいて本当に嬉しいです」
「いいんだよ、お客さんもね、これかわいいですねってよく言ってくれるんだよ。どこで売ってますかって聞くひともいるけど、そのたびに秘密ですって答えるの、私は楽しくてね」
 笑い声がふたつ。奥へ続く暖簾の前には店の老婦と、腰まである黒髪のロングスカートの女性。後ろ姿で顔は見えないが、声からしてきっと若いはずだ。
 その容姿より、綾の目を強く惹きつけたのは、彼女が手にしているものだった。小さな紙袋から取り出されたのは、二段ばかりの愛らしい小物入れ。表面を覆う赤色は、紛うことなく和紙の細工だ。
 そして。
「――この鳥」
 カウンターに置かれていたそれを手に、綾は彼女へ話しかけた。
「この鳥は、あなたですか?」
 掌の上で、大小二羽の折り鶴が綾とともに見つめる。
 傾いた翼の裏には、鳥の朱印。

 彼女は、柏木アトリと名乗った。
 綾の問いにしばらく迷っていたが、やがて「はい」と頷いてくれた。やっと逢えた。鳥を追ってよかった。
 けれど取材の申し出に関しては、なかなか首を縦に振ってくれない。
「私はまだ学生です。そんな、『職人』として取り上げていただくようなことは……」
 アトリは自分が学生の身であること、そして未熟な腕を恥じ、名を伏せて小物を置いてもらっているのだという。呉服屋の態度にも納得がいく。
「僕はあなたの作品に感動しました。つい、目が離せなくなった。嬉しくなった。――誰かをそんな気持ちにさせるちからが、この和紙細工にはあるんです。だから僕は、あなたを立派な職人だと認めます」

 ***

 五月二日、綾とアトリの姿は再び甘味処にあった。
 一番奥のテーブルで向き合って、ひろげた和紙の一枚々々、産地や製法の説明を、そしてそれらに籠められた想いをアトリは語った。
 初めて出逢った半月前、結局、綾の熱心さに負けた。旅先で花籠に惹かれた話は、アトリにもたしかにわかる感情だった。誰も気づかない、気に留めない一瞬を見つけたときの感動はそれだけで世界の色が変じるくらいの衝撃なのだ。その機会を自分の和紙細工に感じてくれたという。世辞ではないのは綾の表情と口振りから知れた。
 自分のなかに、応えたい、という気持ちが湧く。
 それに、図書館で見つけた雑誌のバックナンバーに掲載されていた綾の記事は、すんなりとそう思わせるほどに、アトリの心を動かした。
 説明に真摯に耳を傾けてメモを取る綾を窺い、アトリは鞄から薄い包みを取り出す。
「槻島さん」
「はい?」
 顔を上げる綾の前へ、それを差し出した。
「これ、よろしかったら……」
「僕に、ですか?」
 包装の様子からプレゼントの類であるのはわかったのだろう。幾度も瞬いて、それでも両手で受け取ってもらえた。「ああ、そういえば、今日は……」
「なんですか?」
 綾の呟きを拾って、アトリは首を傾げる。綾はプレゼントを見つめていた眼差しを上げて照れくさそうに小さく笑った。
「いえ、柏木さんが知っているはずはないんですが」包装紙の角を撫でる。「――今日は誕生日なんです、僕の」
 今度はアトリが驚く番だった。
「え? あ……す、すみませんっ。私知っていたら、もっとちゃんと包装して……それにあの、やっぱり職人さんの和紙の方がよかったですよね……」
 あ、でもべつに、包装は手を抜いたわけじゃないんですよ。
 自分でも混乱しながら喋っていたので、
「中身は和紙ですか」
 綾にそう問い返されてそんなことまで口に出してしまっていることに気がついた。観念して、落ち着くために深呼吸してから会話を続ける。
「は、はい……槻島さんのために作った和紙なんです」
「僕のために?」
「私が槻島さんに懐いたイメージで、作ってみたんですよ」
 綾は慎重な手つきで包みを開き、なかから一葉を取り出した。
 薄い緑灰色。手触りはとてもすべらかで、陽に透かしてみると細かな点が全体に散っているのがわかる。おそらく土を混ぜてあるのだろう。はっきりとした色を持たず、けれど包みこむようなやわらかさを湛えている。
 茫然と紙を見つめる綾の横顔を、アトリは緊張しながら見やった。気に入ってもらえるだろうか。その前に、勝手なイメージで作ってしまって気分を害してはいないだろうか。……
 綾は、ゆっくりとアトリへ面を戻すと、感嘆の吐息とともに、いった。
「ありがとうございます。大切にします」
「お誕生日、おめでとうございます」
 ほっと知らず入っていた力を抜いて、アトリも微笑む。

 包装紙の端では、二人を巡り逢わせた朱い鳥が羽を休めていた。


 <了>