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<東京怪談ノベル(シングル)>


『桜葬送』


 その当時、女は現世ほど身分も権利も無く、
 貧しき家の娘はわずかな麦で人買いに買われ、花街へと売られていき、
 また高貴な身分の娘も、家を栄えさせるための道具とみなされておりました。
 百人一首や源氏物語、そういった物語に見られるようには女は恋に生き、強くある事は出来なかったのです。
 それは願望。
 夢。
 希望。
 愛しいと書いて、かなしい、と読む。
 それがこの時代の女だったのでございます。



 ――――――――――――――――――――――――――――
 open→



 +a・T
「帝のご寵愛を受ける呪禁師とはおまえの事か?」
 宮廷の渡り廊下を歩いているとふいに声をかけられた。
 おまえ、とはまた不躾な事だ。
 彼、高峯弧呂丸は苦笑を浮かべ、そこへと視線をやる。
 そこにはまだ幼い子が立っていた。
 たいして生地の良くない衣に身を包み、足は裸足。
 頬は白いもののこけていて、
 目はどこか剥き出しの刃物を思わせる。
 そうかと思えば袖から伸びる腕や、裾を捲し上げているから見える足、太ももは町の浮浪児のようにガリガリだった。
 宮中には居るが、しかしそれは場違いというものだ。
 一体どうしてこのような者がここに居るのか、それがはなはだ弧呂丸には疑問だった。
 が、しかし弧呂丸の顔に浮かんだのは、どこか悪戯めいた表情ではあった。
 彼の隣に居た者の方が感情も露にガキを睨んでいる。
「どうか、と言っているんだ?」
 弧呂丸がニヤニヤと笑っているだけで、答えようとはしないと、そのガキは無礼にも汚い足のまま渡り廊下に登ってきた。
 声を上げたのはやはり隣の者だった。
 弧呂丸自体は高峯という家にあってもさほど礼儀作法には煩くは無く、寧ろ宮中に出入りし、帝のご寵愛を受けるほどの力のある呪禁師としては………好ましくは無いのだが、博打打や酒、そういう下賎な遊びに興じる一面もあり、つい先日までは高峯家を勘当されていた身分もあってそういうのは決して嫌いではなく、寧ろ息が詰まるようなここでの生活に飽き飽きとしていた分だけその嵐が来たかのような変化の匂いを嗅ぎ取り、意地の悪い笑みで二人のわーわーと騒ぐやり取りを見ていたのだが、
 いささかそれは熱狂しすぎた。
 男は強くガキを押し、ガキは身体の安定を失って渡り廊下から庭へと―――
 いかん。弧呂丸は動きは早かった。当たり前だ。意地の悪い笑みを浮かべながらそれを見ていても、身体はいかなる事になろうともすぐさま対応できるようにしていたのだから。
 だから庭へと落ちそうになったガキの細すぎる腕を掴んで、胸へと抱き寄せる事自体はいささかも難など無かったのだが、
 しかしそれはさすがの弧呂丸も想像していなかった。
 抱き寄せたガキの身体は見た目はガリガリな癖に、しかし腕に抱けば胸にはわずかなふくらみ、腰から下、女特有の尻の曲線がわかったのだ。
「お、おまえ、女か?」
 さすがに驚いたように弧呂丸が言うと、
 ガキ………女の子は耳まで真っ赤にして、弧呂丸を突き飛ばした。
 視界の端に映る彼女の黒髪はそういわれれば男にしてはきめが細かく美しい。
 弧呂丸はまだまだ修行の足りぬ自分に苦笑を浮かべた。



 +b・T
 23年前。
 高峯家本家。
 長き間、しかし誰の目にも触れずに桜の木、淡き薄紅の花によって結界によって護られてきた場があった。
 その場にて、それは鼻をぴくつかせた。
 その場にて、それは目を細めた。
 その場にて、それは口の片端を吊り上げた。
 涎を垂らし、
 荒い息を吐いて、
 それは、喜びに打ち震えた。



 +c・T
 夢を見た。
 夢の中の自分はか細く美しいひとりの少女を両腕に抱いて、泣いていた。
 舞い散る桜の木の下で。
 名前さえももう、夢から現に浮上した意識は覚えてはいないが、とても大事な人を亡くした悲しみは、この心は覚えていた。
 障子を透かして入ってくる光りやすずめの詩の中で、しばらく彼、高峯弧呂丸は布団から起き上がる事が出来ずにいた。
 時折見る、夢。
 夢とは願望や知っている事しか反映はされはしない事だと聴く。
 だが弧呂丸にはあのような少女など覚えはないし、
 それに誰か大切な人を失う、などという願望なども無い。当たり前だ。
 前に何を血迷ったかこの事をうっかりとあいつに相談してしまったら、「たまってるんじゃねーか?」、などという下世話な事を言われた。
 枕をぼふぅ、と拳で叩いたのはその時の言い表せない感情が蘇ったからだ。
「まったくあいつは」
 などとぶつくさと言いながらもしっかりといつも彼の事を想っているのは仲が良い証拠だという事を、あえて弧呂丸は気付かぬフリをした。
 縁側へと立つと、本当に良い、天気だった。



 +a・U
 高峯弧呂丸は家人と弟子たちを前に、言った。
「いずれあれの封印が解ける。その時こそ私はまた高峯家に生まれてこよう」
 と―――。



 そしてそれから本当に長い時間が経った後、男子が生まれた。
 それが高峯弧呂丸だった。
 白鼬に変化できる事こそがそれが生まれ変わりである事の証拠だった。
 それを高峯弧呂丸自身は深くは知らない。
 ただ家の者は知っている。
 それを喜び、
 そして覚悟した。
 それはあれが、ついには高峯の始祖ですら倒す事が出来なかったそれが、蘇るのだから。
 高峯弧呂丸はその重い運命を知らない。
 そうしてそれの封印はついに破られる日が来る。



 +c・U
 高峯家に運ばれてきたのは大きな壷だった。
 でん、と、随分と態度がでかくそこにある壷を見据えながら弧呂丸は苦笑を浮かべる。
 そこはかとなくあいつを想わせた。
「それでこの壷は?」
 弧呂丸は高峯家の奉公人である老婆に尋ねた。
 婆は結った白い髪の下にある皺だらけの顔で弧呂丸を見、顔を左右に振った。
「それがこの婆にもわからないのでございます。弧呂丸様。何せこの壷、昨日、曽祖父様のお名前で急に送られてきたものでございまして」
 弧呂丸は眉間に皺を刻んだ。
 もちろん、曽祖父は随分と前に亡くなっている。
 伝票を見せてもらうがそれは確かに曽祖父の字であった。
 前に蔵の中にある妖の退治録に目を通した時に書かれていた曽祖父の筆跡とそれは一緒だから間違いない。
 しかしそれが一体何故今更………
「やはり、何か曰くつきの品なのでございましょうか?」
 不安げに自分を見据える老婆に弧呂丸は安心させるように柔らかく笑んだ。
「なに、心配する事は無い。この壷からは何も嫌な感じはしないから。不都合があるとすれば、それは大きさぐらいだ」
 にしても、この壷………
 安心した婆を仕事に戻らせ、一人となった弧呂丸は壷をよく見直した。
 それは子どもひとりぐらいなら容易に中に入れるほどの大きさの壷であり、柄は子ども数人、それを大人が囲んでいる。その大人たちの顔にはどれも悲壮な顔。対して子どもらは悟ったような表情。しかし白髪の老人の後ろに立った子は―――
 その壷を見ていると、胸が締め付けられるような痛みと切なさを覚えた。
 鶴と亀、その壷の口を囲むその絵に、その壷が何をモチーフに作られたのか、弧呂丸は悟る。
 悟った。



 +++


 婆は桜の木の下に立った。
 桜の下には死体が眠る。
 桜は人を喰らう。
 その桜は結界。
 結界だった。
 樹齢千数百年。
 それはそのままこの家にあるモノを封印してきた結界だった。
 封印されているものは桜の木の向こう。 
 桜の木が、喰らっていた。それが発する恨み辛みを。
 封印されていた。
 喰っていた。
 婆は弧呂丸の曽祖父の名を呼んだ。
 そしてなんとも表現しがたい表情を浮かべた。
 彼女は本当にこれでよかったのでございますか、そう消え入りそうな声で呟いた。



 +a・V
「お、おまえ、女か?」
 思わずそう問うた高峯弧呂丸を誰が責められようか?
 女の子は顔を赤くすると弧呂丸を突き飛ばした。
 そして庭の林から飛び出してきた白い鼬が弧呂丸に襲い掛かる。
 も、それの首を弧呂丸は掴んだ。
 女の子の目がそれを見て涙目となる。慌てる弧呂丸。
 そしてその後に彼は大声で笑い、後にどのような酔狂なのか、と陰口を叩かれる事となる事をする。
 弧呂丸は彼女を連れ帰ったのだ。
 奉公人に命じたのはまずは弧呂丸のために沸かされた風呂に娘を先に入れる事。
 嫌がり逃げ、暴れる娘を女中たちは苦労して捕らえ、風呂に入れた。
 そしてその間に着物の準備もさせ、風呂上りの娘にそれを着させた。
「ふむ。馬子にも衣装とはよく言ったものだ」
 口元に手をやりながらふむと満足げに笑む弧呂丸を娘は殺意にも似た感情を視線に込めて睨み据えた。
「おまえ、高峯弧呂丸、どういうつもりだ?」
 近所の野良犬でももう少し人懐っこいとも思えるのだが?
 しかしそれがまた弧呂丸を笑ませた。
 真正面に座るまだ年端も行かぬ娘の顔を弧呂丸は覗き込む。
 なるほど、先ほどまではボロを着、埃と泥だらけの小汚い格好だったからわからなかったが、こうして風呂に入れて、髪を梳かせ、美しい着物を着せればこの娘がいかに美しい娘かがわかった。
 本当に美しい娘。
 宮中の貴族の姫たちとも対等に張り合えるほどの美しさを持った娘だった。
「手篭めに、するつもりか? 私を囲い。なら、私はおまえのを噛み千切ってやる」
 言葉遣い、それに作法も教えるべきだな、と弧呂丸は想う。
 想い、笑う。
「安心しろ。私に幼女趣味は無いよ」
「ふん。先ほど私の身体に触り、しっかりと胸も掴んだくせに」
 女中たちの目の温度が低くなった事を敏感に感じ取った弧呂丸は苦笑を浮かべた。
「あれは許せ。よもやおまえが女とは想わなかったのでな。おまえだって自分で想うのだろう。あの小汚い姿ではそうであろう、と。もっともそういう事を考えた上でのあの格好であったのだろうがな」
 この時代、女が自分の身を守るために男装して外に出る事はよくある事だった。
 弧呂丸は肘掛に肘を預け、娘を見る目を和らげた。
「おまえは私に用があったのだろう? 私を探していたではないか? だからおまえの話を聞くためにここへ連れてきた。どうだ、私の言っている事に何か辻褄があわぬ場所があるか? ん?」
 そして改めて弧呂丸は訊いた。「それで私に何の用がある?」
「弟子に、してもらいたいんだ。あんたの。私を」
 弧呂丸はけらけらと笑った。
「それが弟子にしてもらう態度か。言葉か」
「ぅ…。で、でもあんたは先ほど私の胸を触った。十一の若い女子の胸の感触だ。何かしらの技を教えてもらう権利は充分にあるだろう」
 訴える彼女に驚いたように弧呂丸は眼を見開き、また大きく口を開けてけらけらと笑った。
「本当におまえは面白いな。その面白みに免じて私はおまえを私の養女としてやろう。弟子といわずにな」



 +cV



 かごめかごめ
 かごのなかのとりは
 いついつでやる
 夜明けの晩に
 つるとかめがすべった
 後ろの正面だあれ?



 高峯弧呂丸は気付くとそこに居た。
 そこは神社の境内。
 幾人もの子どもたちがそこで遊んでいる。
 だけどそれはどこか肌寒かった。
 血の匂いがした。
 よくわかった。
 そこが呪いを押し込めた場所だと。
 息が詰まる。
 胸が苦しい。
 子どもたちは、怨念に染まっていた。
 それはとても哀しい、怨念。
 どうすれば、この子たちを救える?
「救う。そんなおこがましい事をおまえは望むか、弧呂丸?」
 それは曽祖父だった。
「この子達は村の口減らしで殺された子。故に救うなど無理だ。怨念に塗れた子たちを殺さねばならない。二度」
「二度? 二度殺すと言いますか、あなたは? この子たちを。こんなにも悲しみに満ちた子たちを」
「ふん。だがおまえに何が出来るという? 見ろ、あれらは大人への恨みに満ちている。何もできはしないさ。殺すしかない。二度目」
「殺しはさせませんよ」
 弧呂丸は前に出る。子らに向かって。
 その怨念、晴らすための方法。それは何もこの姿のままでなければ出来ない訳ではない。
 颯爽と歩く弧呂丸の姿は白鼬へと変化する。



 +a・W
 数年が経った。
 あの娘を養女にして。
 あの娘には才覚があり、そして美しくもあり、ゆえに娘が帝の目に留まったのは自然な事だった。
 しかしそれこそが娘の、狙いだった。
 娘は帝の寝所で呪術を使い、帝を殺そうとしたのだ。
 娘の呪術はしかし、効かなかった。
 高峯弧呂丸を敵視する陰陽師の策略だったのだ。
 高峯弧呂丸を失脚させるための。
「我は最初からあの娘を怪しく想っておりました。あれから狐の臭いがする。狐。帝は前に狐を狩られた。それを恨みに想って現れたのでしょうぞ」
 そして高峯弧呂丸も捕らえられた。



 +c・W
 白鼬。
 自分が何故これに変化できるかなど弧呂丸は知らぬ。
 しかしこれが一族においても特別な事なのは幼い頃から肌で感じていた。
 そしてだから彼はそうあろうともしたい。一族の期待に応えられる自分。
 そうして色んな物を背負った。
 思えば自分がこの子らに過度に同情するのもそれが理由なのかもしれない。
 白鼬は十三人の子どもらの環の中に入った。
「きゅぅー」遊ぼう。
 白鼬はかわいらしく周りの子どもらの顔を見回して、それから跳び跳ね回った。
 思い思いに神社の境内で遊んでいた子達はその動きを止めて、突如現れた白鼬に笑みを浮かべる。
 白鼬はきゅぅー、と鳴いて、後ろ足で毛づくろいをして、毛づくろいした毛を舐めたりする。
 それから大地を蹴って、宙で一回転。自分の尻尾を追いかけて走り回ったりもする。
 子どもたちはいつの間にか曲芸を始めた白鼬に夢中となっていた。



 さあさあ、ご覧いただきますのは白鼬のコロコロ、一世一代の大演技。
 まずは大地を蹴っての宙での大回転。
 まずは一回。
 二回。
 三回。
 くるくると回って、目を回しましたのはお約束。



 女の子は笑って、同じように回って、同じように目を回して、ぺたんと座り込んで、そうしてくすくすと嬉しそうに笑いながら成仏した。



 泣いている女の子が居た。
「寒いよー」
 その女の子の涙を白鼬はぺろりと奇麗に舐め取る。
 そうしてくるりと襟巻きのように女の子の首を包み込む。
「温かい」
 女の子は笑って消える。
 成仏する。



 男の子は走り出す。
 両手を広げて神社の境内を走り回る。
 白鼬は四肢で神社の石畳を蹴って走り回る。
 笑いながら逃げる男の子を、白鼬は「きゅぅー」と鳴きながら追いかけて、捕まえる。
 そしたら今度は鬼の交代。
 白鼬は逃げる。
 男の子が追いかける。
「待て待て、白鼬」
「きゅぅー」
 四肢で石畳を蹴って走り、
 木の枝にも跳び乗って、
 逃げ回る。
 こける男の子。
「きゅぅー」、と白鼬は男の子を振り返って、その子の方へと走り寄っていく。
 そしたら男の子の両手が白鼬を捕まえる。
「きゅぅー」
 という抗議に男の子は悪戯っ子めいた笑みを浮かべ、そうして成仏する。



 小っちゃな男の子は寝転がりながら白鼬の顔を覗き込む。ぱたぱたと足を動かして。
 小首を傾げその子は、訊いてくる。
「名前は?」
「きゅぅー」
 顔を前に乗り出させて、つぶらな瞳で男の子を見つめて鳴いたその声を聞いて、男の子は笑う。
「コロコロ? コロコロ♪ コロコロ! コロコロ〜」
 何度も何度もコロコロの名前を呼ぶその子。
 その度に白鼬も「きゅぅ。きゅっ♪ きゅぅー! きゅぅ〜」
 と鳴く。とても優しく、詠うように。
 そして何度目かの名前を呼ぶ声に答え、
 白鼬は問い返す。
「きゅー?」君の名前は?
 男の子は目を見開いて、それからもじもじと、まるで怖れるように言った。自分の名前を。
 そうして白鼬はその子の名前を呼ぶ。
「きゅぅー」
「はい」
 男の子は満面の笑みを浮かべて答えて、そうして嬉しそうに何度も、「きゅー。きゅー♪ キュー! きゅ〜」と、白鼬が呼ぶと、「はい。はい♪ はい! はい〜」と答え、成仏した。
 そうやって皆が成仏していく。
 それは優しさ。
 白鼬の、高峯弧呂丸の。
 優しさが、嬉しくって、皆は成仏していく。


 かごめかごめ
 かごのなかのとりは
 いついつでやる
 夜明けの晩に
 つるとかめがすべった
 後ろの正面だあれ?



 囲んだのはとり(村の長)
 夜明けの晩。
 鶴と亀の刻(不吉と呼ばれる刻)
 曲は止まり、
 長の後ろに居た子が、
 間引きされる。



 白鼬はきゅぅーと鳴く。
 橙色の空を見上げて。
 橙が零れるような空の下で、
 駒をまわしたり、
 凧をあげたり、
 メンコをしたり、
 お手玉をしたり、
 遊んでいる子らに混じり、一緒に遊ぶ。
 跳びまわって、
 駆け回って、
 桜の木の枝の上から後ろ足で身体を掻きながら、
 舌で毛づくろいしながら、
 見下ろす。
 見守る。
 温かく。
 優しく。
 子どもらは桜の花びらが舞う中で、跳びまわり、白鼬と遊び続けた。
 舞う花びらは、子どもらを取り囲む。
 桜は、人の心を喰らう。
 子どもらの中にあった悲しみを喰らう。
 そうして桜の花びらに溜まっていく。
 喜びが。
 その喜びを貯めた桜の花びらに囲まれて、
 子どもらはひとりひとり成仏していった。



 手を振る子。
 橙の空の下で。
 子どもは空へと上っていく。
 白鼬は、二本足で立ち、その子を見送った。



 それをずっと、彼は見ていた。
 曽祖父は。
 哀しげな瞳で。
「弧呂丸よ。おまえがそこまでやるとはなー。しかしそれではダメなのじゃ。あれにはそのような想いは届かぬ」
 その呟きが淡い薄紅色の花びらと一緒に風に乗って橙色の空に上がった。



 かごめかごめ
 かごのなかのとりは
 いついつでやる
 夜明けの晩に
 つるとかめがすべった
 後ろの正面だあれ?



 かごのなかのとり(お母さんのお腹の中の子ども)
 いついつでやる(何時産まれてくるの?)
 夜明けの晩に(夜明けの神社で)
 つるとかめがすべった(赤ちゃんとお母さんが滑った)
 後ろの正面だあれ?(私たちを押したのは誰?)


 それはかごめかごめに込められたもう一つの意味合い。
 夜明けの晩に神社にお参りに行っていた嫁を、気に入らなかった姑が押した―――



 そいつは怨念の塊。
 嫉妬の塊。
 絶対最悪の闇。



「弧呂丸よ。それでもおまえは甘い事を言い続けられるか? この世には微塵の容赦も情けも無く殺さねばならぬものがあると知れ。何よりもおまえ自身を生かすために」




 +b・U
 あれは想い通りに行った。
 計画は全て上手く行っていた。



 +a・X
 娘は白鼬に笑いかけた。
 泣きながら。
「もしも私がおまえなら、父様を救えたのにね。私はまた」
 娘は身体を丸め、牢の中で泣いた。



 陰陽師は歩いていく。帝の所へと。
 高峯弧呂丸は手下が殺す手はずとなっている。
 そうすれば、狙いは全て、上手く行く。
 計画は全て良好だ。



 娘は固く閉じていた瞼を開いた。
 そしてペットの白鼬に命じた。自分を縛る縄を噛み切るようにと。
 そうして彼女は牢から抜け出した。
 同じく牢に閉じ込められている弧呂丸を助けるために。
「父様」
 娘は弧呂丸に抱きつき、泣いた。
 それから全てを告白しようとした娘を手で制した。
「良い。わかっている。おまえの辛さも、哀しみも。全て。今は帝を助けに行こう」
 


 知っていた。
 わかっていた。
 この娘が何かしらの良くない想いゆえに自分に近づいてきた事など。
 しかしそれを面白いと想い、そしてそれの背後に居る者も捕らえようと思った。
 それが弧呂丸の計画であった。上手くやるつもりはあった。
 だが予想外の事が起こっていた。それは自分の感情だった。



「何用じゃ? 我は高峯弧呂丸に裏切られ、怒り、悲しんでおる。しばらくは誰の顔も見とうない」
「それは困りますな。私はこの時をずっと待っておったのですから。高峯弧呂丸は今頃火の海に飲まれて死んでいるはずです」
「何じゃと?」
「そして帝よ、おまえは今ここで、私が殺してやる」
 牙が剥き出しにされ、陰陽師は九つの尾を持つ九尾の狐となった。
 逃げ惑う帝。
 それに襲い掛かる九尾。
 しかしそれの前に現れたのは稀代の呪禁師高峯弧呂丸。
 それとその娘。
 九尾は娘を罵った。
「やはり我を裏切るか? 口減らしで山に捨てられたおまえを我の母は助けてやったというのに。おまえと我は兄妹であり、我らはあの敵である帝を殺しに来たというのに。やはりおまえは人間か」
「私はぁ。私は………」
「煩いわ。もはやおまえなどどうでもいい。帝もろとも殺してくれるわ」
 咆える九尾に肩に白鼬を乗せた弧呂丸は笑った。
「これは否な事を言う。おまえは私が怖くって、このような事を仕組んだのだろう? ならばここは逃げ出すべき場所だと思うのだがな?」
 それは的外れな自信でも、うぬぼれでも無く、ただの真実。
 弧呂丸は微笑み、白鴉を使役し、
 毒蟲どもを操る。
 そうして九尾の呪の尻尾一本一本を切り取っていく。
 それは【白月】。白き焔に包まれた弓矢。
 それを射る。九尾に。
 その戦いは十日間続いた。
 不眠不休で。
 その戦いは決着を見なかった。
 実力は同等。
 底抜けの力はしかしどちらも尽きかけ、それは、弧呂丸の方がほんの少しだけ早くって、弧呂丸は舌打ちしたいのに苦笑を浮かべた。
 その弧呂丸の前に飛び込んだのが、娘。
 その命を代価に弧呂丸は九尾を封印した。
 娘は死ぬ間際に言った。舞い降る桜に打たれながら。
「父上。私はあなたを、愛しておりますよ」
 娘は最後に奇麗に笑って、そうして死んでいった。肩に娘が残していった白鼬を乗せた父の腕の中で。



 +c・X
 怨念の塊。
 今まではそれを浄化してきた。
 力を持って。浄化の力のみで。
 しかし今また高峯弧呂丸は新たな境地に足を踏み入れようとしていた。
 おそらくはそれは、今朝見た、あの少女の奇麗だけど哀しい笑みのせい。
 あの笑みを見て、弧呂丸は思い出した言葉があった。


 愛しい、と書いて、かなしいと読む。それがその時代の女。


 白鼬は歩いていく。
 そして真っ黒な闇の塊の前で鼻面を出して、奇麗に微笑んで、「きゅぅー」と鳴いて、
 闇は赤子の形を取って、
 白鼬は鼻先を赤子に摺り寄せて、「きゅぅー」と鳴きながらあやした。
 そうして赤子と遊ぶ。
 赤子はそれに慰撫され、赤子は、微笑み、成仏した。
 それを全て見届けて高峯弧呂丸の曽祖父は涙を流し、頷いた。



 +b・V
 壊れる。
 ついに、壊れる。
 どれだけ長かった事か。
 これで積年の恨みを、晴らせる。
 桜の結界は壊れる。
 淡き薄紅は、その瞬間に絶望の闇色に染まり、燃える。
 燃え尽きて消える。それは桜の木も。
 その九尾の前に壷の世界から戻ってきた高峯弧呂丸が立った。
「たかみねころまるぅー」
 九尾が叫ぶ。
 世界の大気がびりびりと震えた。
 弧呂丸の肌が粟立つ。
 それの怨念が分かった。
 それの怒りが分かった。
 そしてそれの悲しみが分かった。


 そう。高峯弧呂丸の目には、今朝見た夢の少女の顔が瞼の裏に焼きついていた。
 それゆえに哀しみを見る目が養われた。
 それはおそらくは魂の記憶。
 これまでもおぼろげながらに何度も見てきた夢。
 その意味がわかった。
 生まれ変わる前は、愛する女を利用した九尾への怒りで、目が曇っていた。
 しかし、封印した後、娘の死に逝く顔を見て、それを理解した。
 いや、本当には理解はしてはいないのかもしれない。
 感情があるから。
 でも、高峯弧呂丸は高峯弧呂丸で、その高峯弧呂丸では無いから、だから曇りない眼で、少女の笑みに込められた哀しみを見、
 それ故に新たな境地を開き、
 目覚めた。
 荒れ狂う九尾が弧呂丸に襲い掛かってくる。
 しかし弧呂丸はその邪気を同情と憐憫によって受け止めて、浄化する。
 怒りを寛容で受け止めて、浄化する。
 優しい瞳で九尾を見据え、
 凄まじき殺気と邪気が渦巻く中を歩いていき、
 後ずさる九尾の鼻面にそっと手をあてて、微笑む。
 静かな清流の流れのように。
 爽やかな涼風のように。
 それは雄大にして、爽やかに、優しく。
 広き愛。
 深い慈悲。
 共感。
 そして、哀しみ。
「辛かったのだろう、あなたも? その辛さを私が、受け止めてやるから、あなたももうお眠り」
 九尾の目が大きく見開かれ、涙に濡れる。
 が、九尾は、咆え(慟哭を上げ)、
 弧呂丸に襲い掛からんと………



『父様』
 ―――聴こえた声に、弧呂丸は、「ああ、わかっているよ」と、呟く。



 紫の数珠に封印されていた【白月】解放。
 そして白き焔に包まれた弓を引く。
 その矢を見据え、九尾が呪詛を唱えるように口汚い言葉を叫んだ。それは笑っているようで、そして嘆いているようで。
 それを見据える弧呂丸の目はかなしみに溢れていて、
 そしてだからその瞳は、愛しい。
 何時しか高峯家の敷地全ての桜の花の花びらが舞っていた。
 その無限とも思えるほどの桜の花びら舞う光景の中で、
 夢幻の光景の中で、
 空を舞う花びらが、花霞を作り、
 その花びらに包まれる弧呂丸は静かに矢を射った。
 花びらは、
 桜は、
 人の感情を喰らう。
 人の感情を、溜め込む。


 弧呂丸は呟いていた。
 矢を射る時も。
 射った後も。
「桜の花びらよ。九尾の感情を喰らえ。呪いを、怒りを。桜の花びらよ、伝えよ。あの九尾に、あなたたちが溜め込んだ想いを」
 風が爆発したかのように、花びらはそこで空へと高く飛んだ。
 それは花の柱。
 そして桜の淡き薄紅に葬送されるように九尾の魂は空へと昇って逝った。



【ラスト】


 高峯弧呂丸は夢を見た。
 白鼬となって彼は野を駆ける。
 そこは緑溢れた山の中で、狐の親子と一緒に走り回った。
 優しい温かい狐の親子と一緒に走り回り、そしていつしかひとりとなっていた白鼬は涼やかなせせらぎの音に誘われて小川に辿り着き、後ろ足で身体をかいて、舌で毛づくろいをした後に、小川に口をつけて水を飲んで、
 その白鼬をしかし小川に突き落とした悪戯っ子。もう一匹の白鼬。
 その白鼬を見た時、何故だか夢の中にもかかわらずに弧呂丸はあの昨日の朝見た夢の中の少女を思い出し、
 そうして白鼬二匹で今度は仲良く山の中を走り回り、また狐の親子と合流して四匹で楽しく山の中を駆け巡って、遊んだ。
 温かな日差しの中、豊かな緑を駆け抜けて、野いちごを食して、楽しく楽しくじゃれあいながら。
 それは夢。
 いつか誰かが見た、願った、愛しい夢。
 夢。
 夢の世界を桜の花びらが飛んでいく。



 →closed


 ++ライターより++


 こんにちは、高峯弧呂丸さま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
 今回もご依頼、本当にありがとうございます。^^


 発注をいただけてすごく嬉しかったです。^^
 本当にもう、また書かせていただけたらなー、とすごく想っておりましたから。^^
 私の方こそ、前回は素敵なお褒めのお言葉をいただけて嬉しかったですし。^^
 本当にその節も、そして今回もとても嬉しいお言葉をありがとうございました。
 本当に嬉しかったです。^^


 今回は始祖さまの生まれ変わり、という設定に深く関わるお話を聞かせていただけましたので、このようなお話にしてみました。いかがでしたでしょうか?
 始祖様の性格、わかってもらえたでしょうか?^^ ちょこちょこと、意味合いを込めてみました。^^
 自由に、というお言葉に甘えてしまい、ものすごく自分の好きな要素を織り込んで書いてしまったのですが、PLさま的にはいかがでしたでしょうか?
 お気に召していただけていますと嬉しいです。^^
 白鼬の描写はラストでの夢と、子どもたちとの触れ合いのシーンで、という事なのですが、ご要望に沿えておりましたでしょうか? PLさまのご要望に沿えて、満足していただける白鼬のお話となっていますと、嬉しいのですが。
 本当に今回もお言葉に甘えられて、すごくすごく好きな物を込めて書く事が出来まして、すごく楽しかったです。^^
 本当にPLさまのお気に召していただけます作品に出来上がっている事を望むばかりです。^^


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。