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<東京怪談・PCゲームノベル>


とまるべき宿をば月にあくがれて


 慎の髪を弄び、夜風がふつりと吹いていく。
 しっとりとした湿り気を帯びた風は、春を過ぎ、じきに入梅を迎えようとしているこの時期にあっても、幾分かひやりとした温度を保ち続けている。
 頬を撫ぜて過ぎていった風に薄っすらと目を細め、慎は小さな息を吐いて足を止めた。

 仕事が終わり、自室へと戻って来た時には、既に夜も更けた時間となっていた。むろん、慎の年齢を考慮にいれた撮影スケジュールであったから、日付が変わる頃合まで延びるといった事にはならないものの、それでも、マンションの周りはすっかりと夜の色を濃いものとしており、ひっそりとした闇が広がっているばかりなのだ。
 喉の乾きを覚え、マンション下の自動販売機へと足を向けたのだ。が、その時、吹く風に紛れて、ふつりふつりと唄声が流れくるのを、慎は確かに聴きとめたのだ。
 あまり耳にする事のない、和を思わせる唄。それは細くたなびく雲のような感触をもって、聴こえては消え、消えては聴こえを緩やかに繰り返していた。
 それは長唄と呼ばれる唄であったのだが、慎にとり、それはあまり触れた事のない未知と呼ぶに相応しい音――反面で、どこか懐古を思わせるような、そんな唄だった。
 気付けば、慎は、自動販売機とは別の方角――すなわち、長唄が聴こえ来た方へと歩みを進めていた。

「……ふぅん」
 小さな呟きを落とし、眼前に広がる夜の薄闇を確かめる。
 そこは、慎が住むマンションの周辺とは明らかに異なる風景をもった場所だった。
 街灯もなく、並ぶ家並みもない。見上げれば、そこにあるのは漆黒の一色きりで塗りこめられた月の光も何もない夜空ばかり。
 慎は、ふと目を細めて笑みを浮かべ、止めていた歩みを再びゆっくりと進め始めた。
 東京に広がる道路とは明らかに異なる、舗装のなされていない、剥きだしになったままの路。路幅は――おそらくは四十メートルほどはあるのだろうか。車の数台が悠にすれ違って通っていく事が出来そうな道幅だ。
 突出した石をつま先で蹴り上げて、慎はきょろきょろと周りを確かめる。
 見た事のない風景がそこにある。
 薄闇に目が慣れてくれば、路の両脇に、柳やら松やらといった木立ちが点在しているのが分かる。次いで、現代ではあまり目にする機会もなくなりつつある、茅葺屋根の鄙びた家屋もいくつか軒先を並べていた。
 
 今、自分は、怪異に見舞われている。おそらくは、常ならば踏み入るはずのない一線を偶然にも踏み越えてしまったのだろう。その結果、自分は、現世とは異なる場所――ここがどういった場所であるのかは、未だ確かめる術もないままだ。
 ――が、吹く風を肌先に感じるのと同じ感覚で、慎にはこの場所がどういった場所であるのかを掴み、理解出来ていたのだ。
 微かに鼻先をくすぐる風の湿り気も、漂う土の匂いも、一条の灯りすら持たない暗天も――そして、慎の耳を確かに撫ぜる唄声も。何もかもが、この場が『怪異』と称するに値する世界であるという事を知らしめている。
 しかし、慎の心には、恐怖や畏怖といった畏れは微塵たりとも浮かばない。それどころか、頬をゆったりと緩め、満面の笑みさえ浮かべてみせているのだ。
「なんだか、楽しそうなトコに出ちゃったみたいだね」
 笑い声を漏らし、眼前に広がる大路を歩く。
 振り向いてみれば、そこに、緩やかな山型を描いた木製の橋があるのが見えた。慎はその橋を視界に収めながらも、橋に背中を向けて歩き始める。
 多分、あの橋を渡れば現世へと戻れるのだろう。それは、慎の内に流れる月代の血が知りえた直感だ。
「でも、やっぱり、楽しい場所なら、ちょっと見てみたいしね」
 独りごちながら歩くその足取りは、今にもスキップを踏みそうな程に軽やかなものだった。

 大路を進み始めてから程なくして、慎の眼前に、大路が四つほど交わって出来た交差点――否、四つ辻が姿を現した。
 辻の真ん中に立って、今しがた自分が歩んできた大路以外の大路を確かめる。
 その何れもが、さほど違わぬ見目をもっていた。
 他の路を歩いてみれば、もしかすると、何か心躍るようなものに見えるかもしれないという予感も、ふと、心中を過ぎる。が、慎は、その目で辻の角の一つに建っている家屋があるのを見とめたのだった。
 薄闇の中を、ふらふらとした動きで、仄かな篝火のようなものが移ろい歩いていく。それは慎が見つけた家屋の中から現れては薄闇の中に消えていき、あるいは、薄闇の中から現れては家屋の中へと消えていくのだ。
 耳を撫ぜる唄声は、確かに、その家屋の中から聴こえきている。
 慎は躊躇する事もなく足を進め、間もなく、その家屋の前へ辿り着いたのだった。

 それは、とてもではないが、人が住めるような家屋には見えないほどのものだった。
 棟の半分は、ほとんど崩れ落ちているといっても過言ではない。木戸はところどころ腐り、大小いくつもの穴が開いている。
 半ば関心したようにうなずきながら、慎は、どうやら引き戸であるらしい木戸の取っ手に手を伸べた。
 人が住めるような家屋には見えないのだが、しかし、確かに話し声がする。その上、開いた穴からはぼうやりとした灯りが漏れていて、しっとりと広がる夜の闇をふつりふつりと照らし出しているのだ。
 人が住めなくとも、人以外のものならば住めるのかもしれない。
「オバケとかね」
 呟いた自分の言葉に、自分で小さな笑みをこぼす。
 引き戸はひどく建てつけが悪く、開けるのにもひどく難儀を要した。

「おんやあ、人間の小童が遊びに来たべえ」
「めんこい童だがや。おい、おめえ、女子かい、坊主かい」
「こっちゃあ来て座れぇ」

 開け放った木戸の向こうには、慎の予想に反し、ひどく安穏とした風景が広がっていた。
「こんばんはー!」
 満面の笑みと共に、ぺこりと一礼。
 くるくるとまわる金色の双眸が映しているのは、家屋の中に並べられていたいくつかの机と椅子。そして、その上に腰掛けている数人の妖怪達の面々だった。
 猫の顔をもった女、腕一杯に鳥目をもった女、河童に小豆洗い。
 書物の中でしか目にした事のない妖怪達に、慎の心は大きく弾む。
「いらっしゃい。きみがこちらに来るのは、今回が初めてですね」
 目を輝かせつつ妖怪達を見やっていた慎を、不意に、穏やかな男の声が呼び止めた。
「うん。俺、自販機にジュース買いに出たんだけど、気がついたらここに来てたんだよ」
 大きなうなずきを返しつつ、声の主を確かめる。
 声の主は、一見すれば人間と何ら変わらない見目をもった壮年の男だった。
「そうですか。まあ、ゆっくりしてってください」
 男は眼鏡の奥の穏やかな眼差しをゆったりと細めて微笑み、手近の椅子を示して慎を手招いた。
「あなたは人間みたいな見た目だね」
 示された椅子に腰を落とし、溢れてくる興味を満面に滲ませて目をしばたかせる。
 男は小さな笑みをこぼした後に、軽く頭髪を掻きまぜた。
「ハハハ、まあ、それなりにですがね。お茶をお出ししますけど、お菓子は何がいいですかね? とは言っても、和菓子しかないんですがね」
「お茶出してくれんの? うん、俺、なんでもいいよ。あ、そうだ、お団子ある? お団子。みたらしがいいな」
「わかりました。今、お持ちしますね。……ああ、そうだ。きみのお名前を伺っても?」
 わずかに首をかしげて微笑む男の問いに、慎は大きくうなずいた後に口を開けた。
「俺、慎っていうんだ。月代慎。あなたは?」
「ここの連中は侘助って呼びますよ。まあ、お好きなように呼んでください。慎クン」

 きびすを返して家屋の奥へと引っ込んでいった侘助に代わり、妖怪達が慎の周りに椅子を寄せて集まってきた。
 慎は、少しも身構えたりする事なく、妖怪達と対峙する。妖怪達もまた、どうにかすればそら恐ろしい見目をもっている割には、悪意やら害意やらといったものを微塵ももたず、慎を迎え入れている。
 安穏とした空気が満ち広がっている。 
 気付けば、慎は、自分を迎えた怪異の中にあって、その空気の中に溶け込んでいた。
 ひどく心地良い空気だと微笑みながら、慎は団子を口にした。

「団子の味はどうですか?」
 妖怪達とのやり取りを一頻り楽しんだ頃、再び顔を見せた侘助が、慎の隣に腰掛けた。
 慎は三本出された団子の内、最後の串分を食し終えたところだった。
「あ、ワビスケくん。コレおいしーね。老舗どころの団子よりもおいしいよ」
 満面の笑みでそう返した慎に、侘助もまた満面の笑みをもってうなずく。
「そりゃあ、良かった」
「お土産に何本か貰ってってもいい?」
「ええ、どうぞ。みたらしだけじゃなくて、小豆のものなんかも何本か包んでおきますね」
「マジで? やった!」
 思わずガッツポーズをとる。侘助は慎を真っ直ぐに見やって、ただ静かに微笑んでいた。
「あ、そうだ。このお団子って、やっぱりお代が要るよね。っていうか、ここって何? お店?」
 訊ねると、侘助は小さなうなずきを見せてから口を開けた。
「ま、茶屋ですかね。茶でも酒でも飯でも、割となんでもお出ししてますが」
「茶屋かあ。そっか」
「ああ、お代とかは、まあ、お気にやまずとも結構ですよ。また気が向かれたら遊びにいらしてくだされば、それで」
「うーん、でも、それだと、なんか悪いしな……」
 侘助の言葉に、慎はしばし小さな唸り声をあげる。しかし、それもまたすぐに解かれるところとなった。
 次の時には、慎は、何事かを思いついたような面持ちで、茶屋の真ん中に立っていたのだった。
「俺さ、たまにストリートで踊ってんだけどさ」
「すとりいととはなんじゃい」
 妖怪の一人が口を挟む。
「ここにもある、大路とかみたいな道の事だよ」
 にこやかに笑いながら答えを返す。
「ここには初めて来たけど、みんなの話も面白かったし、団子も美味しかったから、お代がわりに俺のダンスを見てもらうってのはどうかな!?」
 
 歓声が沸き起こり、茶屋の中はにわかに賑わいを得た。
 拍手がリズムをとるなかで、慎は生き生きとした表情でダンスを始める。


 現世へと戻った慎が、出演したラジオ番組の中で長唄の一節を口ずさみ、リスナーの間でちょっとした話題となるのは、それから間もなくの事。


  

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【6408 / 月代・慎 / 男性 / 11歳 / 退魔師・アイドルの卵】



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         ライター通信          
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初めまして。このたびはご発注くださいまして、まことにありがとうございます。

このシナリオでは、参加するごとに様々な展開をのぞむ事が可能となっております。
今回は慎様の初・四つ辻訪問ということもあり、互いの顔みせと交流をメインとしたものとさせていただきました。
もしもこのノベルがお気に召されましたら、そしてまたご縁がありましたら、その時にはまたどうぞ四つ辻へとおいでくださいませ。

それでは、またご縁をいただけますようにと祈りつつ。