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<東京怪談・PCゲームノベル>


薔薇の眠り、よい夢を

 どこから漂ってくるのだろう――
 この、心地よいまでの薔薇の香りは。

     ************

 星野清香(ほしの・さやか)は薬師である。独自の薬を調合して、人の夢を叶えることのできる少女――
 清香の創る薬を飲めば、病気を治すのはもちろん、性別を変えたり、動物にさえなれる。
 そうやって依頼者の夢を叶えてきたけれど。
 清香は、自分自身の夢だけは――……
 いくら薬を飲んでも叶えられそうになかった。

 それは、大好きなバレエでプリマになること。

 容姿は主役級。けれど、いくら努力しても演じるのは端役ばかり。
 決定的な何かが欠けているのだ。
 今日も発表会で演じるのが端役と伝えられたバレエ教室の帰り道――
 清香は、ふと香ってきた香りによせられ、いつの間にかそこに立っていた。
 傷心を慰めるほどに鮮やかに咲き誇る薔薇たち。

 薔薇庭園――

「いらっしゃい」
 声をかけられ、清香ははっと振り向いた。
 そこに美しい女性が立っていた。
「ようこそ、私の薔薇庭園へ」
 そう言って、紅色のルージュを引いた女性は優しく微笑んだ。

     ***********

「この薔薇庭園は解放してるのよ」
 勝手に入ってごめんなさいと謝った清香に、紫音(しおん)・ラルハイネと名乗った女性はそう言った。
「皆に見てほしくて……どう、美しい薔薇たちでしょう?」
「はい」
 清香は素直にうなずいた。
 辺り一面に香る薔薇の香り。薬師として、縁のない香りではない。
 丁寧に世話された薔薇たちは、色とりどりに咲き誇っている。
 清香は目を伏せた。
 ――直視できない自分がいた。
「どうしたの?」
「……いいえ……」
「何か……悩みごとでもあるみたいね」
「いえ、何でも……ありません」
 こんな通りすがりで、話すようなことじゃない。
 ――今日のバレエ教室で聞かされた言葉。
 悔しくて、清香はぎゅっとスカートを握りしめた。
 自分の何がいけないのだろう……?
 唇をかむと、ふと、目の前の女性がふわりと白衣をひるがえした。
「待ってらっしゃいな。今、面白いものを持ってきてあげるわ」
 面白いもの――
 庭園の主は、屋敷のほうへと入っていく。
 そして、それほど待つまでもなく出てきた。
 手に……何かを持っている。おぼんに乗せたコップと、それから同じくおぼんにのっているあの液体は――?
「これは夢見の薔薇と呼ばれる薔薇のエキス……」
 紫音は透明のそれを指してそう言った。
「これをお湯に溶かして飲むローズティーはね。とても不思議な夢が見られるの。自分の見たい夢が見られる――試してみる?」
「自分の……見たい夢?」
 清香は思わず声をつまらせた。
 自分の見たい夢。それは当然――
 飲んでみる? と紫音は再び尋ねてくる。魅惑的なその唇から紡ぐ声で。
 清香はしばらく沈黙してから、
「――はい」
 うなずいた。

 甘い、甘いローズティー……
 吸い込まれるように、清香を夢の世界へと――

     **********

「星野さん」
 ――誰?
「星野さん、早く出なくては幕があがりますよ」
 ――私を呼んでいるの?
 ああ、端役とは言え仕事はちゃんとこなさなくては。
 そう思った清香ははっと気づいた。
 自分の衣装――これは。
「星野さん、早く!」

 考えるより先に体が動いた。
 清香の足は舞台中央へと――
 迷いなく、進んだ。

 幕が、あがる。

 全員の中央に立つのは、私?

 目の前に、何千人もの観客がいた。
 とくん
 体中が心臓になったように、鼓動が高鳴った。

 聞き覚えのある音楽が鳴る。いつも練習している舞台の。
 でも立ち位置がいつもと違う。この場所は――

 プリマだ。

 とくん
 鼓動が跳ねる。
 とくん とくん とくん

 この場所は。

 とくん とくん とくん

 音楽が始まる。
 ――覚えていた。いつもいつも羨ましくて、覚えていた。
 自分にもできる。そう思って覚えていた。
 体が――
 それを再現していた。

 今、何千もの視線が自分に集まっている。
 自分の動きひとつで、舞台全体の雰囲気が決まる。
 ターン アダジオ ロン・ドゥ・ジャンプ アティチュード
 自分がやっていた端役が、今は私のためにひざまずく。

 とくん とくん とくん とくん

 相手役の男性が私のために踊る。リフト。
 自分の体を支えてくれて、二人で踊る。

 とくん とくん とくん

 鼓動が、相手に伝わってしまっているかもしれない。

 この――幸せな鼓動が。

 楽しく踊った。
 全身で踊った。
 悲しいシーンは悲しい気持ちで、優しいシーンは優しい気持ちで。
 心から、踊った。

 何千人もの視線が、自分の一挙一動を見つめる――

 指先まで鼓動。
 幸せに弾む鼓動を無駄にしないよう。
 指先まで力をこめて。
 踊り踊り 踊り続ける

 敵役の踊り子を憎く思った。自然と。
 愛する人役の踊り子を愛する気持ちになった。自然と。
 ああ――
 踊りは心を変えていく。

 端役のダンサーたち。
 ――いなくては、舞台が成り立たないとプリマの視点になってようやく分かる。

 男性ダンサーと二人でグラン・パ・ド・ドゥ
 盛り上がりの二人でのダンス。

 何て素晴らしい心地だろう。こんな素晴らしい世界――
 プリマとはこれほどに幸せになれる役なのか?

 ふと、思った。

 本当に、プリマがこんなに簡単にできるものなのか?
 自分は今まで、このように役柄の気持ちになって踊っていただろうか。
 ただ……羨んでいただけではないのか?

 その瞬間に。

 目が一気に覚めた。急速に、引っ張られるように――

     **********

「お目覚め?」
 気がつくと、そこは薔薇庭園の横のベンチだった。寝転ぶように。
 目の前に、美しい紫音の顔があった。ふわりと微笑んで、
「いい夢を見られた?」
「夢……」
 ――夢でプリマになった。それをよく覚えている。
「夢……夢の中で、夢が叶いました」
「そう」
「でも……」
 清香は思う。
 本当のプリマは――きっともっと違う。
 何千人もの視線に変化を感じなかった。
 その視線さえも変えさせてしまうのが、きっと本物のプリマ……
「――私には、才能がないんです」
 清香はぽつりと、そう言った。
「ない才能は、薬を飲んでも仕方がないんです……」
「………」
 紫音は黙って聞いていてくれた。
 考えてみれば、自分は彼女に名乗ってもいない。
 清香は体を起こした。
 そしてベンチから降り、ぽんぽんとスカートをはたくと、
「でも、夢の間はとても幸せでした!」
 紫音に向かって、言った。
 紫音の向こうに、薔薇庭園が見えた。
「私は人の夢を叶える薬師――」
 ――自分が夢を叶えてあげた人々も、こんな風に幸せだったろうか?
 だとしたら――こんなに素晴らしいことはない!
「この仕事に誇りを感じます……!」
 紫音が微笑んだ。
 風が吹いた。
 紫音の向こうにある薔薇たちが、なびいた。
 ――もう、誇らしげに咲くあの薔薇たちを、見るのをつらいと思ったりしない。
「美しい薔薇たちですね」
 言った。
 言うことができた。心から。
「ありがとう。……あなたの心も、美しく咲いたわよ」
 薔薇庭園の主はそう言った。
 心が美しく咲いている――?
 ああ、本当にそうだとしたら、
「プリマになるより……素敵なことかもしれません……」
 清香は心から幸せだと思った。
 鼻をくすぐる薔薇の香りに、酔ってしまいそうで――
「今度、あなたの薬を私にも頂戴ね」
 紫音はそう言った。「ふふっ。私もあなたのように心を美しく咲かせてみたいわ」
「とんでもない。紫音さんはもう咲いていらっしゃいますよ」
 清香は笑った。
 バレエ教室から帰ってくる途中の、憂鬱な気分は、薔薇の香りに乗ってどこかへ行ってしまった。
 これからは――
 端役でも頑張ろう。
 端役も大切な役のひとりなのだ。自分の代わりは確かにたくさんいるけれど、端役がいなくては舞台はなりたたないのだ。それを今日、プリマの目で見て学んだから。
 バレエでは端役を。そして薬師としての自分を。
 極めてみせる。
「私、星野清香です。清い香りって書きます」
 ようやく清香は紫音に名乗った。
 紫音は言った。“ぴったりの名前ね”――
 清香はくすぐったくなって笑った。
 そして思った。
 どうかこの笑顔を、永遠になくさないように。
 そして人々の笑顔を生み出すことを、永遠に忘れないように……。


 ―Fin―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【6088/星野・清香/女/17歳/高校生兼薬師】

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■         ライター通信          ■
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星野清香様
初めまして、笠城夢斗と申します。
このたびはゲームノベルにご参加くださり、ありがとうございました!
少し短めのノベルになってしまいましたが、精一杯書かせて頂きました。清香さんの夢に関わる話ですし、気に入っていただけるとよいのですが……
よろしければまた、お会いできますよう。